夫婦別姓訴訟 最高裁判決を読む

 

   【このページの目次】


〇 平成27年12月16日

  筆者分析


〇 令和3年6月23日

  筆者分析


〇 令和4年3月22日

  筆者分析

 





平成27年12月16日

【判決】損害賠償請求事件 最高裁判所大法廷 平成27年12月16日PDF




ポイント

 この判決の13条との関係を論じる項目では、「氏名は,社会的にみれば,」と述べているように、まず、「社会的」に見た場合の「氏名」の性質について論じ始めている。

 そして、次に「その個人からみれば,」とあるように、「個人」から見た場合についても論じている。

 このような性質について、「人格権の一内容を構成するもの」と認めている。

 しかし、その後「氏名」ではなく、「氏」そのものについて、前提として「氏」は法制度によって定められているものであり、それは「身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることは,その性質上予定されている」ことから、「氏が変更されること自体」について「憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない。」としている。


 この判決では、「謝罪広告等請求事件」との違いを明らかにするために、初めに「謝罪広告等請求事件」で示した部分を引用し、その後、その前提となっている「具体的な法制度」の仕組みの話に遡る形で論じられている。

 この点が、この判決の内容が読み取りづらく感じる原因となっている。

 

 



 

 


 下記は少し読みやすくしてみた。正確には、もともとの判決文を確認してほしい。

〇 段落のまとまりを明確にするため、改行を加えた。

〇 タイトルの文字サイズを拡大しているところがある。
〇 裁判官の「補足意見」「意見」をタイトルとして拡大した。

〇 裁判官の「補足意見」「意見」に①~⑤を付けた。

〇 条文番号にe-Govのリンクを付けた。

〇 判例にリンクを付けた。

〇 法律用語にリンクを付けている部分がある。

〇 夫婦同氏の「意義・メリット」と「デメリット」に色を付けた。

〇 情報量を削ぎ落し、論点を浮きだたせるため、訴訟手続きに関する部分や国会の立法不作為の違法性の有無などは「灰色」で潰している。


平成26年(オ)第1023号 損害賠償請求事件

平成27年12月16日 大法廷判決



          主 文

   本件上告を棄却する。 

   上告費用は上告人らの負担とする。



          理 由


上告代理人榊原富士子ほかの上告理由について



第1 事案の概要


1 本件は,上告人らが,夫婦が婚姻の際に定めるところに従い夫又は妻の氏を称すると定める民法750条の規定(以下「本件規定」という。)は憲法13条,14条1項,24条1項及び2項等に違反すると主張し,本件規定を改廃する立法措置をとらないという立法不作為の違法を理由に,被上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づき損害賠償を求める事案である。


2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

(1) 上告人X1(氏)x1(名)(戸籍上の氏名は「Ax1」である。)は,Aaとの婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「X1」を使用している。

(2) 上告人X2x2と上告人X3x3は,婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,協議上の離婚をした。同上告人らは,その後,再度婚姻届を提出したが,婚姻後の氏の選択がされていないとして不受理とされた。

(3) 上告人X4x4(戸籍上の氏名は「Bx4」である。)は,Bbとの婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「X4」を使用している。

(4) 上告人X5x5(戸籍上の氏名は「Cx5」である。)は,Ccとの婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「X5」を使用している。



第2 上告理由のうち本件規定が憲法13条に違反する旨をいう部分について


1 論旨は,本件規定が,憲法上の権利として保障される人格権の一内容である「氏の変更を強制されない自由」を不当に侵害し,憲法13条に違反する旨をいうものである。


2(1) 氏名は,社会的にみれば,個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが,同時に,その個人からみれば,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格の象徴であって,人格権の一内容を構成するものというべきである(最高裁昭和58年(オ)第1311号同63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁参照)。


(2) しかし,氏は,婚姻及び家族に関する法制度の一部として法律がその具体的な内容を規律しているものであるから,氏に関する上記人格権の内容も,憲法上一義的に捉えられるべきものではなく,憲法の趣旨を踏まえつつ定められる法制度をまって初めて具体的に捉えられるものである。

 したがって,具体的な法制度を離れて,氏が変更されること自体を捉えて直ちに人格権を侵害し,違憲であるか否かを論ずることは相当ではない。


(3) そこで,民法における氏に関する規定を通覧すると,人は,出生の際に,嫡出ある子については父母の氏を,嫡出でない子については母の氏を称することによって氏を取得し(民法790条),婚姻の際に,夫婦の一方は,他方の氏を称することによって氏が改められ(本件規定),離婚や婚姻の取消しの際に,婚姻によって氏を改めた者は婚姻前の氏に復する(同法767条1項771条749条)等と規定されている。また,養子は,縁組の際に,養親の氏を称することによって氏が改められ(同法810条),離縁や縁組の取消しによって縁組前の氏に復する(同法816条1項808条2項)等と規定されている。

 これらの規定は,氏の性質に関し,氏に,名と同様に個人の呼称としての意義があるものの,名とは切り離された存在として,夫婦及びその間の未婚の子や養親子が同一の氏を称するとすることにより,社会の構成要素である家族の呼称としての意義があるとの理解を示しているものといえる。そして,家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位であるから,このように個人の呼称の一部である氏をその個人の属する集団を想起させるものとして一つに定めることにも合理性があるといえる。


(4) 本件で問題となっているのは,婚姻という身分関係の変動を自らの意思で選択することに伴って夫婦の一方が氏を改めるという場面であって,自らの意思に関わりなく氏を改めることが強制されるというものではない。

 氏は,個人の呼称としての意義があり,名とあいまって社会的に個人を他人から識別し特定する機能を有するものであることからすれば,自らの意思のみによって自由に定めたり,又は改めたりすることを認めることは本来の性質に沿わないものであり,一定の統一された基準に従って定められ,又は改められるとすることが不自然な取扱いとはいえないところ,上記のように,氏に,名とは切り離された存在として社会の構成要素である家族の呼称としての意義があることからすれば,氏が,親子関係など一定の身分関係を反映し,婚姻を含めた身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることは,その性質上予定されているといえる。


(5) 以上のような現行の法制度の下における氏の性質等に鑑みると,婚姻の際に「氏の変更を強制されない自由」が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない。本件規定は,憲法13条に違反するものではない。


3 もっとも,上記のように,氏が,名とあいまって,個人を他人から識別し特定する機能を有するほか,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格を一体として示すものでもあることから,氏を改める者にとって,そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり,従前の氏を使用する中で形成されてきた他人から識別し特定される機能が阻害される不利益や,個人の信用,評価,名誉感情等にも影響が及ぶという不利益が生じたりすることがあることは否定できず,特に,近年,晩婚化が進み,婚姻前の氏を使用する中で社会的な地位や業績が築かれる期間が長くなっていることから,婚姻に伴い氏を改めることにより不利益を被る者が増加してきていることは容易にうかがえるところである。

 これらの婚姻前に築いた個人の信用,評価,名誉感情等を婚姻後も維持する利益等は,憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとまではいえないものの,後記のとおり,氏を含めた婚姻及び家族に関する法制度の在り方を検討するに当たって考慮すべき人格的利益であるとはいえるのであり,憲法24条の認める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると考えられる。



第3 上告理由のうち本件規定が憲法14条1項に違反する旨をいう部分について


1 論旨は,本件規定が,96%以上の夫婦において夫の氏を選択するという性差別を発生させ,ほとんど女性のみに不利益を負わせる効果を有する規定であるから,憲法14条1項に違反する旨をいうものである。


2 憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定が,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。

 そこで検討すると,本件規定は,夫婦が夫又は妻の氏を称するものとしており,夫婦がいずれの氏を称するかを夫婦となろうとする者の間の協議に委ねているのであって,その文言上性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではなく,本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではない我が国において,夫婦となろうとする者の間の個々の協議の結果として夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めることが認められるとしても,それが,本件規定の在り方自体から生じた結果であるということはできない。

 したがって,本件規定は,憲法14条1項に違反するものではない。


3 もっとも,氏の選択に関し,これまでは夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている状況にあることに鑑みると,この現状が,夫婦となろうとする者双方の真に自由な選択の結果によるものかについて留意が求められるところであり,仮に,社会に存する差別的な意識や慣習による影響があるのであれば,その影響を排除して夫婦間に実質的な平等が保たれるように図ることは,憲法14条1項の趣旨に沿うものであるといえる。そして,この点は,氏を含めた婚姻及び家族に関する法制度の在り方を検討するに当たって考慮すべき事項の一つというべきであり,後記の憲法24条の認める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たっても留意すべきものと考えられる。



第4 上告理由のうち本件規定が憲法24条に違反する旨をいう部分について


1 論旨は,本件規定が,夫婦となろうとする者の一方が氏を改めることを婚姻届出の要件とすることで,実質的に婚姻の自由を侵害するものであり,また,国会の立法裁量の存在を考慮したとしても,本件規定が個人の尊厳を侵害するものとして,憲法24条に違反する旨をいうものである。


2(1) 憲法24条は,1項において「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」と規定しているところ,これは,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。

 本件規定は,婚姻の効力の一つとして夫婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものであり,婚姻をすることについての直接の制約を定めたものではない。仮に,婚姻及び家族に関する法制度の内容に意に沿わないところがあることを理由として婚姻をしないことを選択した者がいるとしても,これをもって,直ちに上記法制度を定めた法律が婚姻をすることについて憲法24条1項の趣旨に沿わない制約を課したものと評価することはできない。ある法制度の内容により婚姻をすることが事実上制約されることになっていることについては,婚姻及び家族に関する法制度の内容を定めるに当たっての国会の立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると考えられる。


(2) 憲法24条は,2項において「配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」と規定している。

 婚姻及び家族に関する事項は,関連する法制度においてその具体的内容が定められていくものであることから,当該法制度の制度設計が重要な意味を持つものであるところ,憲法24条2項は,具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに,その立法に当たっては,同条1項も前提としつつ,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請,指針を示すことによって,その裁量の限界を画したものといえる。

 そして,憲法24条が,本質的に様々な要素を検討して行われるべき立法作用に対してあえて立法上の要請,指針を明示していることからすると,その要請,指針は,単に,憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害するものでなく,かつ,両性の形式的な平等が保たれた内容の法律が制定されればそれで足りるというものではないのであって,憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重すべきこと,両性の実質的な平等が保たれるように図ること,婚姻制度の内容により婚姻をすることが事実上不当に制約されることのないように図ること等についても十分に配慮した法律の制定を求めるものであり,この点でも立法裁量に限定的な指針を与えるものといえる。


3(1) 他方で,婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断によって定められるべきものである。特に,憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益や実質的平等は,その内容として多様なものが考えられ,それらの実現の在り方は,その時々における社会的条件,国民生活の状況,家族の在り方等との関係において決められるべきものである。


(2) そうすると,憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害して憲法13条に違反する立法措置や不合理な差別を定めて憲法14条1項に違反する立法措置を講じてはならないことは当然であるとはいえ,憲法24条の要請,指針に応えて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定が上記(1)のとおり国会の多方面にわたる検討と判断に委ねられているものであることからすれば,婚姻及び家族に関する法制度を定めた法律の規定が憲法13条,14条1項に違反しない場合に,更に憲法24条にも適合するものとして是認されるか否かは,当該法制度の趣旨や同制度を採用することにより生ずる影響につき検討し,当該規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たるか否かという観点から判断すべきものとするのが相当である。


4 以上の観点から,本件規定の憲法24条適合性について検討する。


(1)ア 婚姻に伴い夫婦が同一の氏を称する夫婦同氏制は,旧民法(昭和22年法律第222号による改正前の明治31年法律第9号)の施行された明治31年に我が国の法制度として採用され,我が国の社会に定着してきたものである。前記のとおり,氏は,家族の呼称としての意義があるところ,現行の民法の下においても,家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ,その呼称を一つに定めることには合理性が認められる

そして,夫婦が同一の氏を称することは,上記の家族という一つの集団を構成する一員であることを,対外的に公示し,識別する機能を有している特に,婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権に服する嫡出子となるということがあるところ,嫡出子であることを示すために子が両親双方と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義があると考えられる。また,家族を構成する個人が,同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できるところである。さらに,夫婦同氏制の下においては,子の立場として,いずれの親とも等しく氏を同じくすることによる利益を享受しやすいといえる。

 加えて,前記のとおり,本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではなく,夫婦がいずれの氏を称するかは,夫婦となろうとする者の間の協議による自由な選択に委ねられている。


イ これに対して,夫婦同氏制の下においては,婚姻に伴い,夫婦となろうとする者の一方は必ず氏を改めることになるところ,婚姻によって氏を改める者にとって,そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり,婚姻前の氏を使用する中で形成してきた個人の社会的な信用,評価,名誉感情等を維持することが困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない。そして,氏の選択に関し,夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている現状からすれば,妻となる女性が上記の不利益を受ける場合が多い状況が生じているものと推認できる。さらには,夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるために,あえて婚姻をしないという選択をする者が存在することもうかがわれる。

 しかし,夫婦同氏制は,婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく,近時,婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっているところ,上記の不利益は,このような氏の通称使用が広まることにより一定程度は緩和され得るものである。


ウ 以上の点を総合的に考慮すると,本件規定の採用した夫婦同氏制が,夫婦が別の氏を称することを認めないものであるとしても,上記のような状況の下で直ちに個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠く制度であるとは認めることはできない。したがって,本件規定は,憲法24条に違反するものではない。


(2) なお,論旨には,夫婦同氏制を規制と捉えた上,これよりも規制の程度の小さい氏に係る制度(例えば,夫婦別氏を希望する者にこれを可能とするいわゆる選択的夫婦別氏制)を採る余地がある点についての指摘をする部分があるところ,上記(1)の判断は,そのような制度に合理性がないと断ずるものではない。上記のとおり,夫婦同氏制の採用については,嫡出子の仕組みなどの婚姻制度や氏の在り方に対する社会の受け止め方に依拠するところが少なくなく,この点の状況に関する判断を含め,この種の制度の在り方は,国会で論ぜられ,判断されるべき事柄にほかならないというべきである。



第5 その余の上告理由について

 論旨は,憲法98条2項違反及び理由の不備をいうが,その実質は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。



第6 結論

 以上によれば,本件規定を改廃する立法措置をとらない立法不作為は,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。上告人らの請求を棄却すべきものとした原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。

 よって,裁判官山浦善樹の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官寺田逸郎の補足意見,裁判官櫻井龍子,同岡部喜代子,同鬼丸かおる,同木内道祥の各意見がある。




① 裁判官寺田逸郎の補足意見は,次のとおりである。


 岡部裁判官及び木内裁判官の各意見における憲法適合性の議論に鑑み,多数意見の第4の4の記述を敷衍する趣旨で補足的に述べておきたい。

 本件で上告人らが主張するのは,氏を同じくする夫婦に加えて氏を異にする夫婦を法律上の存在として認めないのは不合理であるということであり,いわば法律関係のメニューに望ましい選択肢が用意されていないことの不当性を指摘し,現行制度の不備を強調するものであるが,このような主張について憲法適合性審査の中で裁判所が積極的な評価を与えることには,本質的な難しさがある。


(1) およそ人同士がどうつながりを持って暮らし,生きていくかは,その人たちが自由に決められて然るべき事柄である。憲法上も,このことを13条によって裏付けることができよう。これに対して,法律制度としてみると,婚姻夫婦のように形の上では2人の間の関係であっても,家族制度の一部として構成され,身近な第三者ばかりでなく広く社会に効果を及ぼすことがあるものとして位置付けられることがむしろ一般的である。現行民法でも,親子関係の成立,相続における地位,日常の生活において生ずる取引上の義務などについて,夫婦となっているかいないかによって違いが生ずるような形で夫婦関係が規定されている。このような法律制度としての性格や,現実に夫婦,親子などからなる家族が広く社会の基本的構成要素となっているという事情などから,法律上の仕組みとしての婚姻夫婦も,その他の家族関係と同様,社会の構成員一般からみてもそう複雑でないものとして捉えることができるよう規格化された形で作られていて,個々の当事者の多様な意思に沿って変容させることに対しては抑制的である民事上の法律制度として当事者の意思により法律関係を変容させることを許容することに慎重な姿勢がとられているものとしては,他に法人制度(会社制度)や信託制度などがあるが,家族制度は,これらと比べても社会一般に関わる度合いが大きいことが考慮されているのであろう,この姿勢が一層強いように思われる。


(2) 現行民法における婚姻は,上記のとおり,相続関係(890条900条等),日常の生活において生ずる取引関係(761条)など,当事者相互の関係にとどまらない意義・効力を有するのであるが,男女間に認められる制度としての婚姻を特徴づけるのは,嫡出子の仕組み(772条以下)をおいてほかになく,この仕組みが婚姻制度の効力として有する意味は大きい(注)。現行民法下では夫婦及びその嫡出子が家族関係の基本を成しているとする見方が広く行き渡っているのも,このような構造の捉え方に沿ったものであるといえるであろうし,このように婚姻と結び付いた嫡出子の地位を認めることは,必然的といえないとしても,歴史的にみても社会学的にみても不合理とは断じ難く,憲法24条との整合性に欠けることもない。そして,夫婦の氏に関する規定は,まさに夫婦それぞれと等しく同じ氏を称するほどのつながりを持った存在として嫡出子が意義づけられていること(790条1項)を反映していると考えられるのであって,このことは多数意見でも触れられているとおりである(ただし,このことだけが氏に関する規定の合理性を根拠づけるわけではないことも,多数意見で示されているとおりである。)。複雑さを避け,規格化するという要請の中で仕組みを構成しようとする場合に,法律上の効果となる柱を想定し,これとの整合性を追求しつつ他の部分を作り上げていくことに何ら不合理はないことを考慮すると,このように作り上げられている夫婦の氏の仕組みを社会の多数が受け入れるときに,その原則としての位置付けの合理性を疑う余地がそれほどあるとは思えない


(注) 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者の妻の懐胎子と嫡出推定規定の適用に関する最高裁平成25年(許)第5号同年12月10日第三小法廷決定・民集67巻9号1847頁における寺田補足意見(1852頁以下)参照。嫡出推定・嫡出否認の仕組みは,妻による懐胎出生子は,夫自らが否定しない限り夫を父とするという考え方によるものであり,妻が子をもうけた場合に,夫の意思に反して他の男性からその子が自らを父とする子である旨を認知をもって言い立てられることはないという意義を婚姻が有していることを示している。このように,法律上の婚姻としての効力の核心部分とすらいえる効果が,まさに社会的広がりを持つものであり,それ故に,法律婚は型にはまったものとならざるを得ないのである。


(3) 家族の法律関係においても,人々が求めるつながりが多様化するにつれて規格化された仕組みを窮屈に受け止める傾向が出てくることはみやすいところであり,そのような傾向を考慮し意向に沿った選択肢を設けることが合理的であるとする意見・反対意見の立場は,その限りでは理解できなくはない。しかし,司法審査という立場から現行の仕組みが不合理といえるかどうかを論ずるにおいては,上記の傾向をそのまま肯定的な結論に導くにはいくつかの難所がある。

 上記のとおり,この分野においては,当事者の合意を契機とすることにより制度を複雑にすることについて抑制的な力学が働いているという壁がまずある。我が国でも,夫婦・親子の現実の家族としてのありようは,もともと地域などによって一様でないとの指摘がある中で,法的には夫婦関係,親子関係が規格化されて定められてきていることに留意することが求められよう諸外国の立法でも柔軟化を図っていく傾向にあるとの指摘があるが,どこまで柔軟化することが相当かは,その社会の受け止め方の評価に関わるところが大きい。次に,選択肢を設けないことが不合理かどうかについては,制度全体との整合性や現実的妥当性を考慮した上で選択肢が定まることなしには的確な判断をすることは望めないところ,現行制度の嫡出子との結び付きを前提としつつ,氏を異にする夫婦関係をどのように構成するのかには議論の幅を残すことを避けられそうもない。例えば,嫡出子の氏をどのようにするかなどの点で嫡出子の仕組みとの折り合いをどのようにつけるかをめぐっては意見が分かれるところであり(現に,平成8年の婚姻制度に関する法制審議会の答申において,子の氏の在り方をめぐって議論のとりまとめに困難があったようにうかがわれる。)どのような仕組みを選択肢の対象として検討の俎上に乗せるかについて浮動的な要素を消すことができない。もちろん,現行法の定める嫡出子の仕組みとの結び付きが婚姻制度の在り方として必然的なものとまではいえないことは上記のとおりであり,嫡出子の仕組みと切り離された新たな制度を構想することも考えられるのであるが,このようなことまで考慮に入れた上での判断となると,司法の場における審査の限界をはるかに超える。加えて,氏の合理的な在り方については,その基盤が上記のとおり民法に置かれるとしても,多数意見に示された本質的な性格を踏まえつつ,その社会生活上の意義を勘案して広く検討を行っていくことで相当性を増していくこととなろうが,そのような方向での検討は,同法の枠を超えた社会生活に係る諸事情の見方を問う政策的な性格を強めたものとならざるを得ないであろう。

 以上のような多岐にわたる条件の下での総合的な検討を念頭に置くとなると,諸条件につきよほど客観的に明らかといえる状況にある場合にはともかく,そうはいえない状況下においては,選択肢が設けられていないことの不合理を裁判の枠内で見いだすことは困難であり,むしろ,これを国民的議論,すなわち民主主義的なプロセスに委ねることによって合理的な仕組みの在り方を幅広く検討して決めるようにすることこそ,事の性格にふさわしい解決であるように思える選択肢のありようが特定の少数者の習俗に係るというような,民主主義的プロセスによる公正な検討への期待を妨げるというべき事情も,ここでは見いだすに至らない。離婚における婚氏続称の仕組み(民法767条2項)を例に挙げて身分関係の変動に伴って氏を変えない選択肢が現行法に設けられているとの指摘もみられるが,離婚後の氏の合理的な在り方について国会で議論が行われ,その結果,新たに選択肢を加えるこの仕組みが法改正によって設けられたという,その実現までの経緯を見落してはなるまい。そのことこそが,問題の性格についての上記多数意見の理解の正しさを裏書きしているといえるのではないであろうか。





② 裁判官岡部喜代子の意見は,次のとおりである。


 私は,本件上告を棄却すべきであるとする多数意見の結論には賛成するが,本件規定が憲法に違反するものではないとする説示には同調することができないので,その点に関して意見を述べることとしたい



1 本件規定の憲法24条適合性


(1) 本件規定の昭和22年民法改正時の憲法24条適合性

 多数意見の述べるとおり,氏は個人の呼称としての意義があり,名とあいまって社会的に個人を他から識別し特定する機能を有するものである。そして,夫婦と親子という身分関係は,人間社会の最も基本的な社会関係であると同時に重要な役割を担っているものであり,このような関係を表象するために同一の氏という記号を用いることは一般的には合理的な制度であると考えられる。社会生活の上でその身分関係をある程度判断することができ,夫婦とその間の未成熟子という共同生活上のまとまりを表すことも有益である

 夫婦同氏の制度は,明治民法(昭和22年法律第222号による改正前の明治31年法律第9号)の下において,多くの場合妻は婚姻により夫の家に入り,家の名称である夫の氏を称することによって実現されていた。昭和22年法律第222号による民法改正時においても,夫婦とその間の未成熟子という家族を念頭に,妻は家庭内において家事育児に携わるという近代的家族生活が標準的な姿として考えられており,夫の氏は婚姻によって変更されず妻の氏が夫と同一になることに問題があるとは考えられなかった。実際の生活の上でも,夫が生計を担い,妻がそれを助けあるいは家事育児を担うという態様が多かったことによって,妻がその氏を変更しても特に問題を生ずることは少なかったといえる。本件規定は,夫婦が家から独立し各自が独立した法主体として協議してどちらの氏を称するかを決定するという形式的平等を規定した点に意義があり,昭和22年に制定された当時としては合理性のある規定であった。したがって,本件規定は,制定当時においては憲法24条に適合するものであったといえる。


(2) 本件規定の現時点の憲法24条適合性

ア ところが,本件規定の制定後に長期間が経過し,近年女性の社会進出は著しく進んでいる。婚姻前に稼働する女性が増加したばかりではなく,婚姻後に稼働する女性も増加した。その職業も夫の助けを行う家内的な仕事にとどまらず,個人,会社,機関その他との間で独立した法主体として契約等をして稼働する,あるいは事業主体として経済活動を行うなど,社会と広く接触する活動に携わる機会も増加してきた。そうすると,婚姻前の氏から婚姻後の氏に変更することによって,当該個人が同一人であるという個人の識別,特定に困難を引き起こす事態が生じてきたのであるそのために婚姻後も婚姻前の氏によって社会的経済的な場面における生活を継続したいという欲求が高まってきたことは公知の事実である。そして識別困難であることは単に不便であるというだけではない。例えば,婚姻前に営業実績を積み上げた者が婚姻後の氏に変更したことによって外観上その実績による評価を受けることができないおそれがあり,また,婚姻前に特許を取得した者と婚姻後に特許を取得した者とが同一人と認識されないおそれがあり,あるいは論文の連続性が認められないおそれがある等,それが業績,実績,成果などの法的利益に影響を与えかねない状況となることは容易に推察できるところである。氏の第一義的な機能が同一性識別機能であると考えられることからすれば,婚姻によって取得した新しい氏を使用することによって当該個人の同一性識別に支障の及ぶことを避けるために婚姻前の氏使用を希望することには十分な合理的理由があるといわなければならない。このような同一性識別のための婚姻前の氏使用は,女性の社会進出の推進,仕事と家庭の両立策などによって婚姻前から継続する社会生活を送る女性が増加するとともにその合理性と必要性が増しているといえる。現在進行している社会のグローバル化やインターネット等で氏名が検索されることがあるなどの,いわば氏名自体が世界的な広がりを有するようになった社会においては,氏による個人識別性の重要性はより大きいものであって,婚姻前からの氏使用の有用性,必要性は更に高くなっているといわなければならない。我が国が昭和60年に批准した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に基づき設置された女子差別撤廃委員会からも,平成15年以降,繰り返し,我が国の民法に夫婦の氏の選択に関する差別的な法規定が含まれていることについて懸念が表明され,その廃止が要請されているところである。


イ 次に,氏は名との複合によって個人識別の記号とされているのであるが,単なる記号にとどまるものではない。氏は身分関係の変動によって変動することから身分関係に内在する血縁ないし家族,民族,出身地等当該個人の背景や属性等を含むものであり,氏を変更した一方はいわゆるアイデンティティを失ったような喪失感を持つに至ることもあり得るといえる。そして,現実に96%を超える夫婦が夫の氏を称する婚姻をしているところからすると,近時大きなものとなってきた上記の個人識別機能に対する支障,自己喪失感などの負担は,ほぼ妻について生じているといえる。夫の氏を称することは夫婦となろうとする者双方の協議によるものであるが,96%もの多数が夫の氏を称することは,女性の社会的経済的な立場の弱さ,家庭生活における立場の弱さ,種々の事実上の圧力など様々な要因のもたらすところであるといえるのであって,夫の氏を称することが妻の意思に基づくものであるとしても,その意思決定の過程に現実の不平等と力関係が作用しているのである。そうすると,その点の配慮をしないまま夫婦同氏に例外を設けないことは,多くの場合妻となった者のみが個人の尊厳の基礎である個人識別機能を損ねられ,また,自己喪失感といった負担を負うこととなり,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した制度とはいえない。


ウ そして,氏を改めることにより生ずる上記のような個人識別機能への支障,自己喪失感などの負担が大きくなってきているため,現在では,夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるためにあえて法律上の婚姻をしないという選択をする者を生んでいる。

 本件規定は,婚姻の効力の一つとして夫婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものである。しかし,婚姻は,戸籍法の定めるところにより,これを届け出ることによってその効力を生ずるとされ(民法739条1項),夫婦が称する氏は婚姻届の必要的記載事項である(戸籍法74条1号)。したがって,現時点においては,夫婦が称する氏を選択しなければならないことは,婚姻成立に不合理な要件を課したものとして婚姻の自由を制約するものである。


エ 多数意見は,氏が家族という社会の自然かつ基礎的な集団単位の呼称であることにその合理性の根拠を求め,氏が家族を構成する一員であることを公示し識別する機能,またそれを実感することの意義を強調する。私もそのこと自体に異を唱えるわけではない。しかし,それは全く例外を許さないことの根拠になるものではない。離婚や再婚の増加,非婚化,晩婚化,高齢化などにより家族形態も多様化している現在において,氏が果たす家族の呼称という意義や機能をそれほどまでに重視することはできない。世の中の家族は多数意見の指摘するような夫婦とその間の嫡出子のみを構成員としている場合ばかりではない。民法が夫婦と嫡出子を原則的な家族形態と考えていることまでは了解するとしても,そのような家族以外の形態の家族の出現を法が否定しているわけではない。既に家族と氏の結び付きには例外が存在するのである。また,多数意見は,氏を改めることによって生ずる上記の不利益は婚姻前の氏の通称使用が広まることによって一定程度は緩和され得るとする。しかし,通称は便宜的なもので,使用の許否,許される範囲等が定まっているわけではなく,現在のところ公的な文書には使用できない場合があるという欠陥がある上,通称名と戸籍名との同一性という新たな問題を惹起することになる。そもそも通称使用は婚姻によって変動した氏では当該個人の同一性の識別に支障があることを示す証左なのである。既に婚姻をためらう事態が生じている現在において,上記の不利益が一定程度緩和されているからといって夫婦が別の氏を称することを全く認めないことに合理性が認められるものではない。


オ 以上のとおりであるから,本件規定は,昭和22年の民法改正後,社会の変化とともにその合理性は徐々に揺らぎ,少なくとも現時点においては,夫婦が別の氏を称することを認めないものである点において,個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超える状態に至っており,憲法24条に違反するものといわざるを得ない。



2 本件規定を改廃する立法措置をとらない立法不作為の違法について


(1) 上記のとおり,本件規定は,少なくとも現時点においては憲法24条に違反するものである。もっとも,これまで当裁判所や下級審において本件規定が憲法24条に適合しない旨の判断がされたこともうかがわれない。また,本件規定については,平成6年に法制審議会民法部会身分法小委員会の審議に基づくものとして法務省民事局参事官室により公表された「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」及びこれを更に検討した上で平成8年に法制審議会が法務大臣に答申した「民法の一部を改正する法律案要綱」においては,いわゆる選択的夫婦別氏制という本件規定の改正案が示されていた。しかし,同改正案は,個人の氏に対する人格的利益を法制度上保護すべき時期が到来しているとの説明が付されているものの,本件規定が違憲であることを前提とした議論がされた結果作成されたものとはうかがわれない。婚姻及び家族に関する事項については,その具体的な制度の構築が第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねられる事柄であることに照らせば,本件規定について違憲の問題が生ずるとの司法判断がされてこなかった状況の下において,本件規定が憲法24条に違反することが明白であるということは困難である。


(2) 以上によれば,本件規定は憲法24条に違反するものとなっているものの,これを国家賠償法1条1項の適用の観点からみた場合には,憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできない。したがって,本件立法不作為は,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではなく,本件上告を棄却すべきであると考えるものである。





③ 裁判官櫻井龍子,同鬼丸かおるは,裁判官岡部喜代子の意見に同調する。





④ 裁判官木内道祥の意見は,次のとおりである。


 氏名権の人格権的把握,実質的男女平等,婚姻の自由など,家族に関する憲法的課題が夫婦の氏に関してどのように存在するのかという課題を上告人らが提起している。これらはいずれも重要なものであるが,民法750条の憲法適合性という点からは,婚姻における夫婦同氏制は憲法24条にいう個人の尊厳と両性の本質的平等に違反すると解される。私が多数意見と意見を異にするのはこの点であり,以下,これについて述べる。


1 憲法24条の趣旨

 憲法24条は,同条1項が,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻するかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるとして,婚姻の自由と婚姻における夫婦間の権利の平等を定め,同条2項が,1項を前提として,婚姻の法制度の立法の裁量の限界を画したものである。

 本件規定は,婚姻の際に,例外なく,夫婦の片方が従来の氏を維持し,片方が従来の氏を改めるとするものであり,これは,憲法24条1項にいう婚姻における夫婦の権利の平等を害するものである。もとより,夫婦の権利の平等が憲法上何らの制約を許さないものではないから,問題は,夫婦同氏制度による制約が憲法24条2項の許容する裁量を超えるか否かである。


2 氏の変更による利益侵害

 婚姻適齢は,男18歳,女16歳であるが,未成年者であっても婚姻によって成人とみなされることにみられるように,大多数の婚姻の当事者は,既に,従来の社会生活を踏まえた社会的な存在,すなわち,社会に何者かであると認知・認識された存在となっている。

 そのような二人が婚姻という結び付きを選択するに際し,その氏を使用し続けることができないことは,その者の社会生活にとって,極めて大きな制約となる

 人の存在が社会的に認識される場合,職業ないし所属とその者の氏,あるいは,居住地とその者の氏の二つの要素で他と区別されるのが通例である。

 氏の変更は,本来的な個別認識の表象というべき氏名の中の氏のみの変更にとどまるとはいえ,職業ないし所属と氏,あるいは,居住地と氏による認識を前提とすると,変更の程度は半分にとどまらず,変更前の氏の人物とは別人と思われかねない

 人にとって,その存在の社会的な認識は守られるべき重要な利益であり,それが失われることは,重大な利益侵害である。同氏制度により氏を改めざるを得ない当事者は,このような利益侵害を被ることとなる。


3 夫婦同氏制度の合理性

 同氏制度による憲法上の権利利益の制約が許容されるものか否かは,憲法24条にいう個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超えるか否かの観点から判断されるべきことは多数意見の述べるとおりである。

 ここで重要なのは,問題となる合理性とは,夫婦が同氏であることの合理性ではなく,夫婦同氏に例外を許さないことの合理性であり,立法裁量の合理性という場合,単に,夫婦同氏となることに合理性があるということだけでは足りず,夫婦同氏に例外を許さないことに合理性があるといえなければならないことである。


4 身分関係の変動と氏

 民法が採用している身分関係の変動に伴って氏が変わるという原則は,それ自体が不合理とはいえないが,この原則は憲法が定めるものではなく,それを婚姻の場合についても維持すること自体が無前提に守られるべき利益とはいえない。

 身分関係の変動に伴って氏が変わるという原則が,民法上,一貫しているかといえば,そうではない。離婚の際の氏の続称(婚氏続称)は昭和51年改正,養子離縁の際の氏の続称は昭和62年改正により設けられたものであるが,離婚・離縁という身分関係の変動があっても,その選択により,従来の氏を引き続き使用することが認められている。この改正に当たっては,各個人の社会的活動が活発となってくると婚姻前の氏により社会生活における自己の同一性を保持してきた者にとって大きな不利益を被るという夫婦同氏制度の問題を背景とすることは意識されており,それには当面手をつけないとしても,婚姻生活の間に形成された社会的な認識を離婚によって失うことの不利益を救済するという趣旨であった。


5 氏の法律的な意味と効用

 昭和22年改正前の民法は,氏は「家」への出入りに連動するものであり,「家」への出入りに様々な法律効果が結び付いていたが,同年改正により「家」は廃止され,改正後の現行民法は,相続についても親権についても,氏に法律効果を与えていない。現行民法が氏に法律効果を与えているのは,僅かに祭祀に関する権利の承継との関係にとどまる。

 そこで,同氏の効用は,家族の一体感など法律効果以外の事柄に求められている。

多数意見は,個人が同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感する意義をもって合理性の一つの根拠とするが,この点について,私は,異なる意見を持つ。

 家族の中での一員であることの実感,夫婦親子であることの実感は,同氏であることによって生まれているのだろうか,実感のために同氏が必要だろうかと改めて考える必要がある。少なくとも,同氏でないと夫婦親子であることの実感が生まれないとはいえない。

 先に,人の社会的認識における呼称は,通例,職業ないし所属と氏,あるいは,居住地と氏としてなされることを述べたが,夫婦親子の間の個別認識は,氏よりも名によってなされる。通常,夫婦親子の間で相手を氏で呼ぶことはない。それは,夫婦親子が同氏だからではなく,ファーストネームで呼ぶのが夫婦親子の関係であるからであり,別氏夫婦が生まれても同様と思われる。

 対外的な公示・識別とは,二人が同氏であることにより夫婦であることを社会的に示すこと夫婦間に未成熟子が生まれた場合,夫婦と未成熟子が同氏であることにより,夫婦親子であることを社会的に示すことである。このような同氏の機能は存在するし,それは不合理というべきものではない。しかし,同氏であることは夫婦の証明にはならないし親子の証明にもならない。夫婦であること,親子であることを示すといっても,第三者がそうではないか,そうかもしれないと受け止める程度にすぎない。

 夫婦同氏(ひいては夫婦親子の同氏)が,第三者に夫婦親子ではないかとの印象を与える夫婦親子との実感に資する可能性があるとはいえる。これが夫婦同氏の持つ利益である。

 しかし,問題は,夫婦同氏であることの合理性ではなく,夫婦同氏に例外を許さないことの合理性なのである。

 夫婦同氏の持つ利益がこのようなものにとどまり,他方,同氏でない婚姻をした夫婦は破綻しやすくなる,あるいは,夫婦間の子の生育がうまくいかなくなるという根拠はないのであるから,夫婦同氏の効用という点からは,同氏に例外を許さないことに合理性があるということはできない。


6 立法裁量権との関係

 婚姻及びそれに伴う氏は,法律によって制度化される以上,当然,立法府に裁量権があるが,この裁量権の範囲は,合理性を持った制度が複数あるときにいずれを選択するかというものである。夫婦同氏に例外を設ける制度には,様々なものがあり得る(平成8年の要綱では一つの提案となったが,その前には複数の案が存在した。)。例外をどのようなものにするかは立法府の裁量の範囲である。

 夫婦同氏に例外を許さない点を改めないで,結婚に際して氏を変えざるを得ないことによって重大な不利益を受けることを緩和する選択肢として,多数意見は通称を挙げる。しかし,法制化されない通称は,通称を許容するか否かが相手方の判断によるしかなく,氏を改めた者にとって,いちいち相手方の対応を確認する必要があり,個人の呼称の制度として大きな欠陥がある。他方,通称を法制化するとすれば,全く新たな性格の氏を誕生させることとなる。その当否は別として,法制化がなされないまま夫婦同氏の合理性の根拠となし得ないことは当然である。

 したがって,国会の立法裁量権を考慮しても,夫婦同氏制度は,例外を許さないことに合理性があるとはいえず,裁量の範囲を超えるものである。


7 子の育成と夫婦同氏

 多数意見は,夫婦同氏により嫡出子であることが示されること,両親と等しく氏を同じくすることが子の利益であるとする。これは,夫婦とその間の未成熟子を想定してのものである。

 夫婦とその間の未成熟子を社会の基本的な単位として考えること自体は間違ってはいないが,夫婦にも別れがあり,離婚した父母が婚氏続称を選択しなければ氏を異にすることになる。夫婦同氏によって育成に当たる父母が同氏であることが保障されるのは,初婚が維持されている夫婦間の子だけである。

 子の利益の観点からいうのであれば,夫婦が同氏であることが未成熟子の育成にとってどの程度の支えとなるかを考えるべきである。

 未成熟子の生育は,社会の持続の観点から重要なものであり,第一義的に父母の権限であるとともに責務であるが,その責務を担うのは夫婦であることもあれば,離婚した父母であることもあり,事実婚ないし未婚の父母であることもある。現に夫婦でない父母であっても,未成熟子の生育は十全に行われる必要があり,他方,夫婦であっても,夫婦間に紛争が生じ,未成熟子の生育に支障が生じることもある。

 未成熟子に対する養育の責任と義務という点において,夫婦であるか否か,同氏であるか否かは関わりがないのであり,実質的に子の育成を十全に行うための仕組みを整えることが必要とされているのが今の時代であって,夫婦が同氏であることが未成熟子の育成にとって支えとなるものではない。


8 本件立法不作為の国家賠償法上の違法性の有無について

 本件規定は憲法24条に違反するものであるが,国家賠償法1条1項の違法性については,憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできず,違法性があるということはできない。





➄ 裁判官山浦善樹の反対意見は,次のとおりである。


 私は,多数意見と異なり,本件規定は憲法24条に違反し,本件規定を改廃する立法措置をとらなかった立法不作為は国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるべきものであるから,原判決を破棄して損害額の算定のため本件を差し戻すのが相当と考える。以下においてその理由を述べる。


1 本件規定の憲法24条適合性

 本件規定の憲法24条適合性については,本件規定が同条に違反するものであるとする岡部裁判官の意見に同調する。


2 本件規定を改廃する立法措置をとらない立法不作為の違法について

(1) 社会構造の変化

 岡部裁判官の意見にもあるように,戦後,女性の社会進出は顕著となり,婚姻前に稼働する女性が増加したばかりではなく,婚姻後に稼働する女性も増加した。晩婚化も進み,氏を改めることにより生ずる,婚姻前の氏を使用する中で形成されてきた他人から識別し特定される機能が阻害される不利益や,個人の信用,評価,名誉感情等にも影響が及ぶといった不利益は,極めて大きなものとなってきた。

 このことは,平成6年に法制審議会民法部会身分法小委員会の審議に基づくものとして法務省民事局参事官室により公表された「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」においても,「…この規定の下での婚姻の実態をみると,圧倒的大多数が夫の氏を称する婚姻をしており,法の建前はともかく,女性が結婚により氏を変更するのが社会的事実となっている。ここに,女性の社会進出が顕著になってきた昭和50年代以後,主として社会で活動を営んでいる女性の側から,女性にとっての婚姻による改氏が,その職業活動・社会活動に著しい不利益・不都合をもたらしているとして,(選択的)夫婦別氏制の導入を求める声が芽生えるに至った根拠がある。」として記載がされていたのであり,前記の我が国における社会構造の変化により大きなものとなった不利益は,我が国政府内においても認識されていたのである。


(2) 国内における立法の動き

 このような社会構造の変化を受けて,我が国においても,これに対応するために本件規定の改正に向けた様々な検討がされた。

 その結果,上記の「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」及びこれを更に検討した上で平成8年に法制審議会が法務大臣に答申した「民法の一部を改正する法律案要綱」においては,いわゆる選択的夫婦別氏制という本件規定の改正案が示された。

 上記改正案は,本件規定が違憲であることを前提としたものではない。しかし,上記のとおり,本件規定が主として女性に不利益・不都合をもたらしていることの指摘の他,「我が国において,近時ますます個人の尊厳に対する自覚が高まりをみせている状況を考慮すれば,個人の氏に対する人格的利益を法制度上保護すべき時期が到来しているといって差し支えなかろう。」,「夫婦が別氏を称することが,夫婦・親子関係の本質なり理念に反するものではないことは,既に世界の多くの国において夫婦別氏制が実現していることの一事をとっても明らかである。」との説明が付されており,その背景には,婚姻の際に夫婦の一方が氏を改めることになる本件規定には人格的利益や夫婦間の実質的な平等の点において問題があることが明確に意識されていたことがあるといえるのである

 なお,上記改正案自体は最終的に国会に提出されるには至らなかったものの,その後,同様の民法改正案が国会に累次にわたって提出されてきており,また,国会においても,選択的夫婦別氏制の採用についての質疑が繰り返されてきたものである。

 そして,上記の社会構造の変化は,平成8年以降,更に進んだとみられるにもかかわらず,現在においても,本件規定の改廃の措置はとられていない。


(3) 海外の動き

 夫婦の氏についての法制度について,海外の動きに目を転じてみても,以下の点を指摘することができる。

前提とする婚姻及び家族に関する法制度が異なるものではあるが,世界の多くの国において,夫婦同氏の他に夫婦別氏が認められている。かつて我が国と同様に夫婦同氏制を採っていたとされるドイツ,タイ,スイス等の多くの国々でも近時別氏制を導入しており,現時点において,例外を許さない夫婦同氏制を採っているのは,我が国以外にほとんど見当たらない。

 我が国が昭和60年に批准した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に基づき設置された女子差別撤廃委員会からは,平成15年以降,繰り返し,我が国の民法に夫婦の氏の選択に関する差別的な法規定が含まれていることについて懸念が表明され,その廃止が要請されるにまで至っている。


(4) まとめ

 以上を総合すれば,少なくとも,法制審議会が法務大臣に「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申した平成8年以降相当期間を経過した時点においては,本件規定が憲法の規定に違反することが国会にとっても明白になっていたといえる。また,平成8年には既に改正案が示されていたにもかかわらず,現在に至るまで,選択的夫婦別氏制等を採用するなどの改廃の措置はとられていない。

 したがって,本件立法不作為は,現時点においては,憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反することが明白であるにもかかわらず国会が正当な理由なく長期にわたって改廃等の立法措置を怠っていたものとして,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものである。そして,本件立法不作為については,過失の存在も否定することはできない。このような本件立法不作為の結果,上告人らは,精神的苦痛を被ったものというべきであるから,本件においては,上記の違法な本件立法不作為を理由とする国家賠償請求を認容すべきであると考える。





(裁判長裁判官 寺田逸郎 裁判官 櫻井龍子 裁判官 千葉勝美 裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 大橋正春 裁判官 山浦善樹 裁判官 小貫芳信 裁判官 鬼丸かおる 裁判官 木内道祥 裁判官 山本庸幸 裁判官 山崎敏充 裁判官 池上政幸 裁判官 大谷直人 裁判官 小池 裕)

 






筆者分析

 

〇 ③の裁判官「木内道祥」の「意見」の「7」について

 ③の裁判官「木内道祥」の「意見」の「7」では、「父母」による「未成熟子」の生育について論じている。

 しかし、この「7」で論じられている観点は、婚姻中の父母は「共同親権」であり、離婚した父母はそうでないことの違いを見失っているように思われる。

 

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    第四章 親権

     第一節 総則


(親権者)

第八百十八条 成年に達しない子は、父母の親権に服する。

2 子が養子であるときは、養親の親権に服する。

3 親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。ただし、父母の一方が親権を行うことができないときは、他の一方が行う。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

     第二節 親権の効力


(監護及び教育の権利義務)

第八百二十条 親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う

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 この「共同親権」と「夫婦同氏(+親子同氏)」の関係性を明らかにしていく必要があると考えられる。



 「嫡出推定」について決定したの裁判官「寺田逸郎」の「補足意見」では、下記のように触れられている。

<性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律3条1項の規定に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者の妻が婚姻中に懐胎した子と嫡出の推定>

戸籍訂正許可申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件 平成25年12月10日(当サイト)

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① 裁判官寺田逸郎の補足意見は,次のとおりである。


1 現行の民法では,「夫婦」を成り立たせる婚姻は,単なる男女カップルの公認に止まらず,夫婦間に生まれた子をその嫡出子とする仕組みと強く結び付いているのであって,その存在を通じて次の世代への承継を予定した家族関係を作ろうとする趣旨を中心に据えた制度であると解される。嫡出子,なかでも嫡出否認を含めた意味での嫡出推定の仕組みこそが婚姻制度を支える柱となっており,婚姻夫婦の関係を基礎とする家族関係の形成・継承に実質的な配慮をしていると考えられるのである(注1)。戸籍上女性とされていた性同一性障害者の性別を男性に変更することを認める特例法が,婚姻し,夫となることを認める限りでの適用に限定せず,民法の適用全般について男性となったものとみなすとして(4条),嫡出推定に関する規定を含めた嫡出子の規定の適用をあえて排除していないのも,このように婚姻と強く結び付く嫡出子の仕組みの存在をもふまえてのことであると解される。


(略)

 
(注1)婚姻し,夫婦となることの基本的な法的効果としては,その間の出生子が嫡出子となることを除くと,相互に協力・扶助をすべきこと,その財産関係が特別の扱いを受けること及び互いの相続における相続人たる地位,その割合があるが(民法752条,755条以下,768条,890条,900条),これらは,本質的には,とりわけ強く結び付いた共同生活者であるがゆえの財産関係の規整であり,扶養の必要性の反映であると解される(婚姻していないカップルなどにも事情に応じて夫婦に準じた扱いを当てはめるべきであるとする解釈論があることが,このことを裏付ける。)。男女カップルに認められる制度としての婚姻を特徴づけるのは,嫡出子の仕組みをおいてほかになく,その中でも嫡出推定は,父子関係を定める機能まで与えられていることからも中心的な位置を占める。また,嫡出子とされることにより未成年の間は自動的に夫婦の共同親権に服することとなること(同法818条1項,3項)は,まさに婚姻と嫡出子との結び付きを明らかにするものであるし,嫡出子は夫婦の氏を称することとされていて(同法790条1項本文),夫婦に同氏を称するよう求められる仕組み(同法750条)の下でいずれかの氏を選択することが,実質的には嫡出子の氏を決める意味を持つことも見逃せないところである。

 なお,本文を含めた以上の説明は,嫡出子とそのもととなる婚姻との関係についての現行法における理解を示したものであり,異なる制度をとることを立法論として否定するものではなく,これを維持するか修正するかなどは基本的にすべて憲法の枠内で国会において決められるべきことであることはいうまでもない。

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(見やすくするために改行を加え、①と番号を付けている。)







令和3年6月23日

 令和3年6月23日の最高裁の「決定」はこちら。

 

市町村長処分不服申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件 最高裁判所大法廷 令和3年6月23日 (PDF




筆者分析

〇 憲法24条の「婚姻」の考え方について

 




 各裁判官は、憲法24条1項について、下記のように述べている。

 

◇ 「裁判官深山卓也,同岡村和美,同長嶺安政の補足意見」

 憲法24条1項について「ここでいう婚姻も法律婚であって,これは,法制度のパッケージとして構築されるもの」としている。


◇ 「裁判官三浦守の意見」

 憲法24条1項について「当事者の自律的な意思決定に対する不合理な制約を許さないこと」としている。


◇ 「裁判官宮崎裕子,同宇賀克也の反対意見」

 憲法24条1項について、「不当な国家介入を禁ずる趣旨」としている。

 


 「裁判官深山卓也,同岡村和美,同長嶺安政の補足意見」の「法制度のパッケージとして構築されるもの」という考え方は、民法によって婚姻の成立を実現しようとする側面に親和的な考え方であるように思われる。


民法
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(重婚の禁止)

第七百三十二条 配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない

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 このような規定は、婚姻の法的効力が成立するか否かの問題であるから、「法制度のパッケージとして構築されるもの」との考え方が妥当であるように思われる。

 


 それに対して、「裁判官三浦守の意見」の「不合理な制約を許さないこと」や、「裁判官宮崎裕子,同宇賀克也の反対意見」の「不当な国家介入を禁ずる趣旨」という考え方は、刑法の中に婚姻に関係する事柄で罰則が存在した場合(刑法183条〔削除〕/姦通罪など)に、それに対して違憲審査を行う側面に親和的な考え方であるように思われる。


刑法
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(重婚)

第百八十四条 配偶者のある者が重ねて婚姻をしたときは、二年以下の懲役に処する。その相手方となって婚姻をした者も、同様とする。

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 このような規定に対して違憲審査を行う際には、「不合理な制約を許さないこと」や「不当な国家介入を禁ずる趣旨」との考え方は効いてくると思われる。



 今回の事例は、民法上の事柄であることから、「裁判官深山卓也,同岡村和美,同長嶺安政の補足意見」の「婚姻」は「法制度のパッケージとして構築されるもの」という考え方を採用することが妥当であるように思われる。




 「裁判官三浦守の意見」では、「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかということは,単に,婚姻という法制度を利用するかどうかの選択ではない。」とし、「裁判官宮崎裕子,同宇賀克也の反対意見」では、「婚姻自体は,国家が提供するサービスではなく,」としている。

 しかし、行政府の理解では、「婚姻及び家族に関する権利利益等の内容は,」「憲法の趣旨を踏まえつつ,法律によって定められる制度に基づき初めて具体的に捉えられるもの」としており、この「意見」や「反対意見」とは異なる考え方を示していると思われる。


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 もっとも,婚姻及び家族に関する事項については,前記1 (1)のとおり,憲法24条2項に基づき,法律によって具体的な内容を規律するものとされているから,婚姻及び家族に関する権利利益等の内容は,憲法上一義的に捉えられるべきものではなく,憲法の趣旨を踏まえつつ,法律によって定められる制度に基づき初めて具体的に捉えられるものである。そうすると,婚姻の法的効果(例えば,民法の規定に基づく,夫婦財産制,同居・協力・扶助の義務,財産分与,相続,離婚の制限,嫡出推定に基づく親子関係の発生,姻族の発生,戸籍法の規定に基づく公証等)を享受する利益や,「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするか」を当事者間で自由に意思決定し,故なくこれを妨げられないという婚姻をすることについての自由は,憲法の定める婚姻を具体化する法律(本件規定)に基づく制度によって初めて個人に与えられる,あるいはそれを前提とした自由であり,生来的,自然権的な権利又は利益,人が当然に享受すべき権利又は利益ということはできない。このように,婚姻の法的効果を享受する利益や婚姻をすることについての自由は,法制度を離れた生来的,自然権的な権利又は利益として憲法で保障されているものではないというべきである。

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【九州・第6回】被告第4準備書面 令和3年10月29日 PDF (P8)


 この点は、「婚姻」を理解するために押さえる必要がありそうである。

 








〇 「裁判官宮崎裕子,同宇賀克也の反対意見」について


 「裁判官宮崎裕子,同宇賀克也の反対意見」について分析する。


 □「しかし,私たちは,氏を名から切り離して論ずる点についても,氏に関する人格権は法制度をまって初めて具体的に捉えられるものであるとする点についても,次の理由で平成27年大法廷判決とは見解を異にする。」との記載がある。

 しかし、これに続く論旨は、妥当でないように思われる。

 まず、日常生活の中で自分の好む「名前」を使用することは自由である。例えば、「あだ名」で呼び合うことや、インターネット上のコンテンツで「アカウント名」を利用すること、「芸名」を利用することは自由である。

 このような「名前」を使用することに対して、法律が刑罰法規をもって罰則を定めている場合などについては、この論旨と同様の形で、国家による不当な権利制限を主張することが可能となると思われる。

 しかし、法律上で使用される「氏名」については、法制度の創設によって定められたものであり、その「氏名」を使用することによる権利・利益については、法制度が予定する範囲に限られる。

 その法律上で使用される氏名に対して、「個人識別機能」や「人格の同定機能」、「アイデンティティの象徴」を主張する者がいるとしても、それは法律上で使用される「氏名」に対して過度な期待を抱いてしまっているだけであるように思われる。

 徹底された「個人識別機能」や「人格の同定機能」、「アイデンティティの象徴」を求めるのであれば、それは「同姓同名」による混同が存在しない「マイナンバー」に求めるべきであるように思われる。

 「あだ名」や「ニックネーム」、「芸名」を使用することを禁じるような法律が立法された場合には、不当な権利制限を主張することが可能であると考えられるとしても、法制度における「氏名」とは、もともと法制度で定められた手続きに従って利用されることが予定されているものであり、それに対してそれ以上の価値や利益を求めるべきではないように思われる。


 これとやや関連した内容について、憲法学者「美濃部達吉」の書籍に記載がある。

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……(略)……俳優の仲間に付いて申すと、例へば團十郎という名前は市川宗家の獨占權に屬して居つて、それから譲られなければ外の者は之を名乗ることが出來ぬとか、歌右衛門いう名前は誰の權利に屬するとかいうことが大變に喧しいのでありますが、併し民法には氏名權に付いては何の規定も設けて居らぬので、これは専ら習慣に依つてのみ法として認められているのであります。……(略)……

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憲法講話 美濃部達吉 国立国会図書館デジタルコレクション (P495~496)



 □「子を持つ両親が離婚し,さらにそれぞれが別の相手と再婚しそれを繰り返すことは何ら制限されておらず,その結果として子自身の意思によることなく,親の離婚,再婚により,実の両親と,さらには同居の家族とみられる者とも,子の氏が異なる状況に置かれることが民法の制度上も当然想定され,容認されている。」との記載がある。

 しかし、この見解は下記の部分とは異なった考え方であるように思われる。


◇ この「裁判官宮崎裕子,同宇賀克也の反対意見」が、「婚姻自体は,国家が提供するサービスではなく,両当事者の終生的共同生活を目的とする結合として社会で自生的に成立し一定の方式を伴って社会的に認められた人間の営み」と述べている部分
◇ 「裁判官三浦守の意見」が、「婚姻は,その後の生活と人生を共にすべき伴侶に関する選択であり,」と述べている部分


 むしろ、多数意見の「補足意見」の「婚姻」は「法制度のパッケージとして構築されるものにほかならない。」とする単なる制度としてのドライな側面が強調されている。

 すると、この「裁判官宮崎裕子,同宇賀克也の反対意見」は、自身の主張の中で食い違いが生じているように見えるのである。


 筆者としては、婚姻制度は法制度としてのドライな存在であるが、一般に相当長期の継続性を持った関係を形成することを対象として設計されており、「離婚」と「再婚」が繰り返されることが何ら制限されていないとしても、抑制的な原理が働くように構築されていると考えている。

 そのため、「実の両親と,さらには同居の家族とみられる者とも,子の氏が異なる状況に置かれることが民法の制度上も当然想定され,容認されている。」としても、そのような関係性が大多数を形成することは意図されていないと考えている。

 そのことから、その事例を取り出したところで、社会全体としてそのような関係性が形成されることに対しても、もともと抑制的な原理が働くように設計されている事例であると捉えていることから、その事例を一般化して考えることができるかのような前提で論じることは妥当でないと考えている。



 また、「終生的共同生活を目的とする結合」や「その後の生活と人生を共にすべき伴侶に関する選択」との理解であるが、民法の条文解釈としてこのような言葉を用いた場合には、民法の条文を超越した理解となり、個人的な信念が入り込むものとなると考えられる。(ここでは憲法24条1項の『婚姻』を述べているようである。)

 

 行政府は、下記のように「婚姻制度についての伝統的な理解」と「現行憲法の制定に伴い制定された現行民法が制度化した婚姻」に分けて説明している。


 「婚姻制度についての伝統的な理解及び現行憲法の制定に伴い制定された現行民法が制度化した婚姻」(【東京二次・第3回】被告第2準備書面 PDF 〔P7〕)


 ここで「終生的共同生活を目的とする結合」や「その後の生活と人生を共にすべき伴侶に関する選択」と述べているものは、行政府のいう「婚姻制度についての伝統的な理解」にあたるものとして示しているのだろうか。

 

 このような言葉を用いることができるのは、民法上の「終身定期金」などに限られると思われる。

 

民法

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    第十三節 終身定期金


(終身定期金契約)

第六百八十九条 終身定期金契約は、当事者の一方が、自己、相手方又は第三者の死亡に至るまで、定期に金銭その他の物を相手方又は第三者に給付することを約することによって、その効力を生ずる。


(略)

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 婚姻制度を利用する者の中には、仕事の定年までは共同生活を継続し、その後は離婚することも視野に入れた上で婚姻する者もいるはずである。夫婦は協議で離婚することができるからである(763条)。そのような者に対しては、「終生的共同生活を目的とする結合」や「その後の生活と人生を共にすべき伴侶に関する選択」などという理解は当てはまらない。

 婚姻制度の『立法目的』を想定する際に「終生的共同生活」や「その後の生活と人生」を意図して設計されていると論じることは可能かもしれないが、婚姻制度の『条文解釈』として「終生的共同生活」や「その後の生活と人生」という言葉は出てくることはない。(相続の仕組みからそのように読み解くことは可能かもしれないが。)

 このような論じ方は、国家政策として形成された制度に対して、特定の価値観を抱く者の宗教的信条を持ち込むものとなっているように見受けられる。

 「終生的共同生活」や「その後の生活と人生」という理解は、婚姻制度がパッケージとして構築されていることを前提とし、それを利用しようとする者の中で無意識の前提として合意されている場合があるとしても、法律上で形成された婚姻制度そのものとは異なるものである。制度を利用する者の「心意気」に過ぎないものに対して、普遍的な意味が存在するかのような前提で論じている点で、法律論から逸脱しているように思われる。

 分かりやすい例を出せば、商人が「売買契約」を行う際に、今後の会社の展望を考えたり、取引先の相手方の人生を考えたりしている者もいるであろうが、そうでない者もいるということと同じである。その取引に対してどのような目的や意義を見出すか、どのような意味づけを行うのか、どのような流儀で挑むのか、そんなものは個々人の自由ということである。

 婚姻制度についての「国の立法目的」と「個々人の利用目的」、『条文解釈の理解』などを混同しないように注意する必要がある。





〇 「裁判官草野耕一の反対意見」について


 「裁判官草野耕一の反対意見」について分析する。

 

 □「社会の倫理の根幹を形成している規定」との記載があるが、その「社会の倫理」の内容を明らかにする必要がある。それを明らかにしないのであれば、「社会の常識」などと述べて自身の主張を正当化しようとしているに等しく、規定の合理性を説明したことにはならない。

 例えば、論者は「社会の倫理の根幹を形成している規定」として「重婚」や「近親婚」を挙げている。この「重婚」や「近親婚」が禁止されている理由として、下記が考えられる。

 国が婚姻制度を構築する趣旨・目的(立法目的)として、

① 「子の福祉」が実現される社会基盤を構築すること

② 「近親交配」によって遺伝的な劣勢を有する個体が高い確率で発現することを抑制すること

③ 未婚の男女の数の不均衡を防止することで「子を持ちたくても持つ機会に恵まれない者」を減らすこと

④ 母体を保護すること

などを挙げることができると考えられる。これらは、欠くことのできない重要な利益であり、これらの目的を達成するための手段として、婚姻制度を構築していると考えられる。

 「重婚」を許容することは、③や➀を達成することを困難とする可能性が考えられる。また、「近親婚」を許容することは、②や➀を達成することを困難とする可能性が考えられる。

 このような社会的に不都合が発生する形で個々の自然人を組み合わせ、法的に結び付けることがタブー視されることによって、「社会の倫理」が形成されていることが考えられる。

 それにもかかわらず、この点を検討せずにいきなり「社会の倫理」を持ち出すことは、単なる嫌悪感を根拠としていたり、理由なく「社会の常識」と言い張ろうとするものに等しく、法律論として正当化することはできない。


 「
夫婦同氏制を定めた本件各規定が社会の倫理の根幹を形成している規定であるとみることが不適切であることは明らかであろう」との記載がある。

 しかし、先ほども述べたように、「社会の倫理」がどのような理由によって形成されているのか、その背景や合理的な理由となっているものを検討することもなく、「社会の倫理」という言葉が持ち出されていることは、単に「社会の常識」などと言い張るものに等しく、法律論として正当化することはできない。

 これにより、夫婦同氏制を定めた規定について、「社会の倫理の根幹を形成している規定であるとみることが不適切であることは明らか」と断言することは、論者の認識の中にのみ存在する「常識」や「感覚」によって適切であるのか、不適切であるのかを勝手に断定しようとするものに過ぎない。

 論者とは逆の立場から、「夫婦同氏」の意義や合理性の側面を根拠として、それが「社会の倫理の根幹」であると主張する者もいるはずである。

 それにもかかわらず、「社会の倫理」の形成されている背景や合理的な理由となっているものを検討することなく、「社会の倫理の根幹を形成している規定であるとみることが不適切であることは明らか」と断定してしまうことは、法律論として正当化することのできる内容ではない。


 同様の懸念について、下記の「全体の奉仕者」(憲法15条)の話が参考になる。

【動画】
九大法学部・憲法2(人権論)第9回〜「在監者の人権」「公務員の人権」・2021年度後期 2021/11/01

 


 下記の「公共の福祉」の説明も参考になる。

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 (九) 要するに、基本的人権は、公共の福祉に反する場合は、保障されないか、または、基本的人権の保障は、公共の福祉のワク内でのみみとめられるか、と問い、これに対して、基本的人権の保障は、公共の福祉のワクによって、制約されるとか、されないとか、答えることによって、問題は少しも解決されない。その公共の福祉が与えられた具体的な事件において、どういう内容をもつかが明らかにされないかぎり、ほんとうの答えは出てこない公安条例を例にとっていえば、問題は、一般的に基本的人権の保障に公共の福祉のワクがあるかどうかではない。そこで、そういうワクがある、または、ない、と答えただけでは、その公安条例の合憲性の有無は少しも明らかにされない。この点について、たとえば、公共の広場での集会についての届出制を定めることは合憲だが、許可制を定めることは違憲だとする説があるとして、━━事実そういう説が多いようであるが、━━もしそういう解釈をとるならば、届出制も集会の自由に対する制約にはちがいないのであるから、そうした制約がいったい何によって合憲とされるかが説明されなくてはならない。ここで、公共の福祉をもち出すとしても、なぜ届出制が公共の福祉によって是認され、なぜ許可制を定めることが公共の福祉によって否認されるか、を明らかにすることが必要である。したがって、ただ公共の福祉によって基本的人権の保障が制約されるか、という問いに答えるだけでは、問題は、少しも解決されない。さらに、具体的に、個々の人権につき、何が公共の福祉であるかが明らかにされなくてはならないのである。

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憲法Ⅱ 宮沢俊義 (P231~233) (下線・太字は筆者)


 これについては、当サイト「人権と同じような言葉」で詳しく説明している。


 論者は、国民審査の前のアンケートに対する回答でも「社会の倫理的基盤」と述べている。

 

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⑭夫婦別姓や同性婚を認めるよう求める人たちが、全国で裁判を起こしています。社会の変化や価値観の多様化に伴うこうした国民の声の高まりに対し、裁判官はどのように向き合うべきだとお考えですか


 人は経験と内省を重ねて自らの価値観を形成し、しかるのちは、その価値観にのっとってよき生き方を構想しその実現に向けて努力を続ける存在だと思います。そして、憲法は「すべて国民は、個人として尊重され……幸福追求に対する国民の権利については……立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めています(13条)。してみれば、人がすでに形成されている価値観のもとでよいと考える生き方を追求することを(その生き方が他者に危害をもたらし、あるいは、社会の倫理的基盤を揺るがすようなものであれば格別、そうでない限り)妨害しないという原則は憲法の求めている立法の基本理念であると思います。なお、夫婦別姓の問題については令和3年6月23日大法廷決定に詳しい個別意見を付しましたので、そちらをご参照ください。

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草野耕一氏(弁護士出身)アンケート回答全文 2021年10月19日 (太字は筆者)


 しかし、その「社会の倫理的基盤」と呼んでいるものの内容を説明することが必要である。



 □「2 以上の観点に立ち,選択的夫婦別氏制の導入によって向上する国民の福利と,それによって減少する国民の福利とを分析し,衡量する。」として下記を挙げている。

 

◇ 選択的夫婦別氏制の導入によって向上する国民の福利について

◇ 選択的夫婦別氏制の導入によって減少する国民の福利について

ア 婚姻当事者の福利に及ぼす影響
イ 子の福利に及ぼす影響

ウ 親族の福利に及ぼす影響

エ 慣習としての夫婦同氏制

オ 戸籍制度に及ぼす影響

 

 そして、結論において「3 以上によれば,選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民の福利は,同制度を導入することによって減少する国民の福利よりもはるかに大きいことが明白であり,かつ,減少するいかなる福利も人権又はこれに準ずる利益とはいえない。」と述べている。


 しかし、ここで比較対象として挙げられているのは、先ほど挙げられた論点だけである。これだけで「夫婦同氏制」と「選択的夫婦別姓制」のメリットとデメリットに関するすべての論点を取り上げたことにはならない。ここで取り上げられたもの以外の論点も考えられるのである。例えば、下記がある。

 

◇ 「夫婦同氏」が、婚姻における「貞操義務」を負い合う関係であることが明確になり、他者との間で貞操に関わる問題が生じることを一定程度防ぐ側面があること。

◇ 「夫婦同氏」が、夫婦間で特殊な債権関係を形成する単位であることを公示する役割がある可能性があること。

 「夫婦同氏+親子同氏」は、夫婦間、親子間を代理して契約を行う場合などに、「顕名」の役割を果たす可能性があること。

◇ 「夫婦同氏+親子同氏」が、子の周囲にいる人々が親権者を特定しやすいという社会生活上で利益をもたらす側面があること。

◇ 「夫婦同氏+親子同氏」が、共同親権による意思決定を行うことを促し、両親の統一された意思の下に子を監護・教育することに役立つ可能性があること。

◇ 「夫婦同氏+親子同氏」は、社会的に扶養義務を負い合う関係のある者として認識されやすいという推定の利益が生じやすい側面があること。また、当事者に対しても自覚を持たせやすいと考えられること。

◇ 「夫婦同氏+親子同氏」が「近親婚」や「近親交配」に至ることを防ぐ役割や働きを持ち得る可能性があること。

【動画】【ゆっくり解説】「近親相姦」はなぜいけないのか?不思議な遺伝子を解説 2021/11/27

◇ 「夫婦同氏+親子同氏」は、他の家族との交流や同居生活があった際に、家族間の境界線を明らかにすることによって、家族間の関係性に混同が生じることを防いだり、次第に複婚状態に至ることを防ぐ効果が考えられること。

 (スラム街や震災後の避難所の体育館のような場所で複数の家族が生活している場面を想像すれば、家族間の境界線が曖昧になりやすい環境が存在することは理解しやすい。)

◇ 「夫婦同氏(+親子同氏)」が、刑法上の「親族間窃盗」が適用される可能性のある単位を形成していることを公示することによって、その人たちに関わる周囲の人たちが「親族間窃盗」が適用される関係性を形成している単位であることを予め推察することができるという予測可能性の利益をもたらす側面が考えられること。

親族相盗例 Wikipedia

 

 このように、論者が取り上げた論点以外のメリットやデメリットが存在する。

 また、最も弱い立場にある者や、最も知識の少ない者であっても安心して生活できる基盤をつくるところに焦点を当て、こぼれ落ちる者を極力減らすことができるような制度となるように、複雑さを避け、規格化された形とするところに意義を見出すという考え方もあり得る。これは、弱き者や知識の少ない者が混乱したり、不利益を生じないようにするところに制度で枠を設ける意義を見出すものであり、強き者や知識のある者は、制度の外で、違法でない範囲で自由に生活すればよいという考え方である。単一化された政策的な規制が敷かれていることに多少の不自由を感じる者がいるとしても、それはパターナリズムの観点から最も弱い立場にある者や、最も知識の少ない者を取りこぼさないことに焦点を当ててつくられた制度である以上、致し方ないということである。

 それにもかかわらず、論者の論じたい論点のみを取り上げて、「比較考量」の手法に持ち込み、「選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民の福利は,同制度を導入することによって減少する国民の福利よりもはるかに大きいことが明白」などと論じようとすることは、もはや政策的な当否を自身の価値観に従って論じようとするものとなっており、このような形での「比較考量」は、法規範に適合するか否か、つまり、合法・違法(合憲・違憲)のみしか判断することのできない裁判所(司法権)の役割を逸脱するものと考えられる。

 この「反対意見」は、多様な論点が存在することを考察した一つの論文としては評価することができるとしても、裁判所が司法権を行使して判断する枠の中で論じるべきものではないように思われる。



 もう一つ、この「反対意見」では「夫婦同氏制を定めた本件各規定が,上記のとおり国会の立法裁量の範囲を超えるほど合理性を欠くといえるか否かを判断するに当たっては,現行の夫婦同氏制に代わるものとして最も有力に唱えられている法制度である選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民各位の福利それによって減少する国民各位の福利を比較衡量することが有用であると考える」とし、下記を「比較衡量」している。


◇ 選択的夫婦別氏制の導入によって向上する国民の福利について

 (選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民各位の福利)

◇ 選択的夫婦別氏制の導入によって減少する国民の福利について

 (それによって減少する国民各位の福利)


 しかし、比較するべき対象の切り取り方が適切であるかを検討する必要がある。

 この「反対意見」のように、「選択的夫婦別氏制の導入によって『向上する国民の福利』と『減少する国民の福利』」の間を比較するのではなく、「夫婦同氏制による国民の福利」と「選択的夫婦別氏制による国民の福利」の間を比較する方法も考えられるからである。

 

◇ 夫婦同氏制による国民の福利

◇ 選択的夫婦別氏制による国民の福利


 この反対意見では、「(さらにいえば,もし,夫婦同氏制に,人々の行動や意識の相互依存的関係を通じて,社会の構成員全般の福利を向上させる働きがあるとすれば,福利の比較衡量を行うことに対して上記と同様の方法論上の懸念が生じ得るが,そのような働きの存在が検証可能なほどの具体性をもって主張されたことはない。)」と述べており、「
夫婦同氏制」における「社会の構成員全般の福利を向上させる働き」は「検証可能なほどの具体性をもって主張されたことはない。」と断定して切り捨てている。

 しかし、先ほど上記で述べたように、「夫婦同氏制」のメリット・デメリットについては、この「反対意見」が取り上げているもの以外の論点も存在している。

 そのため、夫婦同氏制」における「社会の構成員全般の福利を向上させる働き」について、検証可能なほどの具体性をもって主張されたことはない。」などとして取り扱わないことは、これらの論点を意図的に無視しようとするものと考えられる。


 比較衡量論の使い方の注意点については、下記で述べられている。

 

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 このように、比較衡量の方法は、具体的事例に即して判断できる点で「公共の福祉」論を多用することよりは優れているといえるが、実際には限界も存在する。それは、(i)比較の基準が明確でなく比較対象の選択が恣意的になるおそれがあること、(ii)国家による人権制約が問題になる場合に、国家(あるいは国民全体)と個人の利益を比較衡量すると、前者のほうが重視される恐れがあること、などとである……(略)……。

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憲法 第7版 辻村みよ子 amazon (下線は筆者)

 

比較衡量・利益衡量とは何か?わかりやすく解説【憲法訴訟】



「代理人がこの主張をしたら瞬殺されるたぐいのもの」 Twitter







令和4年3月22日

 令和4年3月22日の最高裁の「決定」はこちら。

 

損害賠償請求事件  最高裁判所第三小法廷  令和4年3月22日 (PDF


筆者分析

 〇 「裁判官 渡 惠理子の意見」について


 論者は「婚姻は多くの個人にとって重要な人生における岐路」や「婚姻の自由を制約することは明らか」と述べている。

 しかし、具体的な法制度がなければどのような事柄が「婚姻」であるのか明らかでないのであるから、それが「多くの個人にとって重要な人生における岐路」となるような性質の制度であるかは未だ分からないはずである。

 論者は、論者の頭の中の「これが本来あるべき婚姻の形である」というような漠然としたイメージに囚われて「婚姻」をイメージし、それを法律によって制約されているか否かという視点から論じようとしているように見受けられる。
 論者はそれを「婚姻の自由」と表現するのであるが、そのような漠然とした「人的結合関係」のイメージは「結社の自由(憲法21条)」によって実現するべき性質のものである。

 論者はそれについて「婚姻の自由」と述べているだけである。

 論者の頭の中でイメージしている婚姻のイメージは「結社の自由(憲法21条)」に属するものであり、法制度として具体化される「婚姻」とは異なる。

 論者はこの点を混同しているように思われる。


 行政府の理解する「婚姻」は下記の通りである。

 

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 もっとも,婚姻及び家族に関する事項については,前記1 (1)のとおり,憲法24条2項に基づき,法律によって具体的な内容を規律するものとされているから,婚姻及び家族に関する権利利益等の内容は,憲法上一義的に捉えられるべきものではなく,憲法の趣旨を踏まえつつ,法律によって定められる制度に基づき初めて具体的に捉えられるものである。そうすると,婚姻の法的効果(例えば,民法の規定に基づく,夫婦財産制,同居・協力・扶助の義務,財産分与,相続,離婚の制限,嫡出推定に基づく親子関係の発生,姻族の発生,戸籍法の規定に基づく公証等)を享受する利益や,「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするか」を当事者間で自由に意思決定し,故なくこれを妨げられないという婚姻をすることについての自由は,憲法の定める婚姻を具体化する法律(本件規定)に基づく制度によって初めて個人に与えられる,あるいはそれを前提とした自由であり,生来的,自然権的な権利又は利益,人が当然に享受すべき権利又は利益ということはできない。このように,婚姻の法的効果を享受する利益や婚姻をすることについての自由は,法制度を離れた生来的,自然権的な権利又は利益として憲法で保障されているものではないというべきである。

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【九州・第6回】被告第4準備書面 令和3年10月29日 PDF (P8)


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 また,前記2 で述べたとおり,婚姻の法的効果(例えば,民法の規定に基づく,夫婦財産制,同居・協力・扶助の義務,財産分与,相続,離婚の制限,嫡出推定に基づく親子関係の発生,姻族の発生,戸籍法の規定に基づく公証等)を享受する利益や婚姻をすることについての自由は,憲法の定める婚姻を具体化する法律(本件規定)に基づく制度によって初めて個人に与えられる,あるいはそれを前提とした自由であり,生来的,自然権的な権利又は利益,人が当然に享受すべき権利又は利益ということはできないのであるから,異性間における婚姻の効果を享受する利益や婚姻の自由と同性間のそれらとの間には,憲法を含めた我が国の法制上,本質的な差異があるものと解さざるを得ない。

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【九州・第6回】被告第4準備書面 令和3年10月29日 PDF (P13)

 

【東京二次・第3回】被告第2準備書面 令和3年11月30日 PDF (P17~)

 

【参考】「結婚の自由の性質論が必要。自由権なのか。婚姻制度という国家制度の創設を待って初めて具体化する権利なので自由権ではないのではないか。」 Twitter


 現在の法制度の下では「夫婦同氏」とすることが「婚姻」なのであって、「夫婦同氏」でないものについては「婚姻」ではない。

 24条1項が保障しているものは、「法制度のパッケージとしで構築されるもの」(令和3年6月23日としての婚姻制度を利用するか否かに関する自由(『婚姻をするについての自由』〔再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決(平成27年12月16日))であると考えられる。

 これは、論者の言うような「婚姻の自由」(筆者の理解では『結社の自由』にあたるもの)とは異なる。「同氏」としていない関係については、単なる人的結合関係の一つであり、それは「結社の自由(憲法21条)」によって保障される性質のものである。

 




 論者は、氏の変更によって「個人の識別機能」が低下する不利益を論じている。

 しかし、氏名における「名」の方を「珍しい名」や「長い名」とすることによって「個人の識別機能」は維持することができる。

 「個人の識別機能」が高いか低いかという問題は、「名」の内容や性質の問題である。

 社会的に「個人の識別機能」を重視する文化があれば、「名」を「珍しい名」や「長い名」とすることによって「個人の識別機能」を保つように配慮した「名」が付けられるようになるはずである。

 これは法制度上の「氏」の変更に原因を求めるべきものではなく、社会的に「個人の識別機能」の高い「名」が付けられているかどうかの問題ということである。

 そのため「個人の識別機能」を重視する者は、「個人の識別機能」の高い「名」を付けるように社会運動を行うなどして希望を叶えていくべき事柄であり、法制度に瑕疵があるというものではない。


 また、論者は、氏の変更によって「人格の喪失」の不利益があるとも論じている。

 しかし、法制度上で本人を特定するものは「氏」ではなく、「名」の方にある。

 そのため、「人格」に直接的に結び付くものがあるとしても、それは「名」の方である。

 あたかも自分自身の人格が「氏」を含む「氏名」の全体であるかのような認識は、法制度上の「氏名」の制度を的確に認識できていないだけである。

 氏を変更をしたくないという動機は、「人格」の問題ではなく、「氏」に対する個人的な愛着であるように思われる。

 もともと法制度上の「氏」がそのような性質のものであることを前提として生活している者であれば、そのような「人格の喪失」が生じることはない。 

 論者の主張は、法制度上で定義された「氏」の役割はもともと限られているにもかかわらず、それを超える機能を「氏」に対して求めようとする誤った期待感があり、法制度を誤解しているように見受けられる。

 また、日本国内では文化的に他人を「氏(ファミリーネーム)」で呼ぶことが多いようであるが、これを「名(ファーストネーム)」で呼び合うように習慣づけるなどすれば、「個人の人格」は「名」にこそ結び付く感覚を容易に得られるはずである。

 そうであれば、「氏」を変更したところで、「人格の喪失」が生じるような感覚に陥るというような誤解も防ぐことが可能となる。 

 これは、社会生活における文化の問題であるから、他人を「名(ファーストネーム)」で呼び合う文化を広めるなどの社会運動(ファーストネーム運動)によって解決するべきものということができ、法制度に瑕疵があるという性質のものではない。

 

 行政府の理解する下記の記述も参考になる。

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(ア)前記第2の4で述べたとおり、婚姻の法的効果を享受する利益や婚姻をすることについての自由は、法制度を離れた生来的、自然権的な権利又は利益として憲法で保障されているものではないというべきである。

 この点、平成27年夫婦別姓訴訟最高裁判決は、「氏に関する上記人格権の内容も、憲法上一義的に捉えられるべきものではなく、憲法の趣旨を踏まえつつ定められる法制度をまって初めて具体的に捉えられるものである」と判示しており、これについては、「一定の法制度を前提とする人格権や人格的利益については、いわゆる生来的な権利とは異なる考慮が必要であって、具体的な法制度の構築とともに形成されていくものであるから、当該法制度において認められた権利や利益を把握した上でそれが憲法上の権利であるかを検討することが重要となるほか、当該法制度において認められた利益に関しては憲法の趣旨を踏まえて制度が構築されたかとの観点において、まだ具体的な法制度により認められていない利益に関してはどのような制度を構築するべきかとの観点において憲法の趣旨が反映されることになることを説示したものと思われる」と解されている(畑・前掲解説民事篇平成27年度〔下〕737ないし739ページ参照)。

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【名古屋・第12回】被告第5準備書面 令和3年11月30日 PDF (P20)



 「事実婚の場合には」との記載があるが、今まで裁判所は「事実婚」ではなく「内縁」と表現していたのではないか。

 「事実婚」は法律用語ではなく、「婚姻」ではない「人的結合関係」を一般人が婚姻制度をまねる形で表現しているだけであるように思われる。

 法律論として法制度を論じる際には「内縁」としてきたのではないのか。