同性婚訴訟



  【このページの目次】


〇 同性同士の「事実婚」の可否

〇 「同性間の共同生活関係」と犯罪被害者給付金の訴訟

〇 同性間の財産分与

〇 同性婚訴訟

  ・札幌地裁判決

〇 同性間で「不貞行為」は成立するか




同性同士の「事実婚」の可否

宇都宮地裁真岡支部判決


同性カップルの事実婚も「法的保護」認め、不貞行為の元パートナーに賠償命令…原告側「画期的な判決」 2019年09月18日

同性カップル法的保護認める判断 2019年09月18日

同性の「事実婚」認定 損賠訴訟、宇都宮地裁支部判決 2019/9/18

同性カップルの「事実婚」認定 「法的保護の対象」 宇都宮地裁真岡支部 2019.9.18

同性カップルの「事実婚」認定 2019/09/18

米国で結婚、元同性パートナーへの賠償請求一部認める 宇都宮地裁支部判決 2019年9月18日

同性の「事実婚」を認定、宇都宮 地裁支部判決、法的保護の対象 2019/9/18

同性事実婚が破綻し慰謝料請求の訴訟 元交際相手女性に110万円の賠償命令 宇都宮地裁真岡支部 2019.9.18

同性カップルを「男女の事実婚」に準じる法的保護を認める。宇都宮地裁支部で“画期的な判決” 2019年09月18日

「憲法、同性婚否定せず」 内縁カップル巡る訴訟で判決 2019年9月18日

同性カップルの慰謝料認める 法的保護で初判断 宇都宮地裁支部 2019年9月18日

不貞行為で破局、同性婚でも「内縁関係準じる法的保護」 2019年9月18日

同性パートナーとの「事実婚」巡る裁判 原告側の請求一部認める(19-09-18) 2019/9/20

同性婚と憲法24条 南野森 2019/9/21

同性婚と憲法24条(補遺)ーー宇都宮地裁真岡支部判決の「憲法論」について 南野森 2019/9/22

「準ずる関係に準ずる関係」 Tiwtter

「理由があれば憲法条文の記述を完全に否定することができる判例を作った」 Twitter

【判決文】損害賠償請求事件 宇都宮地方裁判所 真岡支部 令和元年9月18日

第193号 同性カップルの一方の不貞行為による関係破綻につき内縁関係に準じて損害賠償が認められた事案 ~宇都宮地裁真岡支部令和元年9月18日判決※1~ 京都女子大学 手嶋昭子 2020年2月6日 (PDF

(最新判例:その他)同性同士の「事実婚」に法的保護(宇都宮地裁真岡支部判決)

 



 宇都宮地裁真岡支部判決の内容について、憲法学者「南野森」の資料を基に検討する。


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そうすると、本判決のように、同性カップルに男女の事実婚に「準じた」扱いを行うことについて、それが憲法(24条1項)に違反しないということをわざわざ確認する必要そのものが本来なかった、とさえ言える可能性があるのである。
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同性婚と憲法24条(補遺)ーー宇都宮地裁真岡支部判決の「憲法論」について 南野森 2019/9/22


 この部分について、宇都宮地裁真岡支部判決が、「ブランダイス・ルール」『 憲法判断回避の準則』を検討したのかどうかについても考えておきたい。


準備書面(13) (違憲審査制と裁判所の役割)の構成と記述内容 PDF (P5~が詳しい)
ブランダイス・ルール Wikipedia

 「ブランダイス・ルール」を用いるか否かについても議論があるが、このような論点が存在することを押さえておきたい。

 宇都宮地裁真岡支部判決は、「同性婚」という文言を当然のように用いている。しかし、当サイト「同性婚について」のページの「『異性婚』や『同性婚』は法律用語ではない」の項目でも論じたように、既に「同性婚」という言葉には「同性の組み合わせ」が「婚姻」の中に含まれることを前提とするかのようなネーミングとなっており、憲法24条の示すものが「婚姻」であり、それに適合しないものは法律上(憲法上も)「婚姻」でない可能性があるにもかかわらず、既に「同性の組み合わせ」についても一つの「婚姻」の形と考えることができるかのような混乱をもたらすワードであることに対する注意深さがないように思われる。

 このような「用語先取」とでも言うようなバイアスの入りやすい用語を基礎として法論理を組み立てようとしても、その内側には既に政治性が含まれているのであって、その用語をそのまま受け入れて使用することは、自ずと結論も政治性を帯びてしまいがちになる。

 今回の判決文でも、「『婚姻』であるか否か」に関する論点について政治的主張を含んだまま「用語先取」とでもいうものを行った結果として創作された「同性婚」という用語を用いることは、最高度の公正性が求められる司法の場においては相応しいとは言えず、「同性同士の組み合わせ」などの中立性の高い用語に置き換えるべきであったように思われる。 




24条1項は「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」のか

 宇都宮地裁真岡支部判決(令和元年9月18日)PDF)では、「憲法24条1項が『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し』としているのも、憲法制定当時は同性婚が想定されていなかったからにすぎず、およそ同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」と述べている。

 

 【参考】同性婚と憲法24条 2019/9/21


 この判決で用いられている「同性婚」の意味は、「同性間の共同生活関係」のことを指しており、憲法24条と法律上の制度として示された「婚姻」(法律婚)とは別の意味で用いられている可能性がある。


 そのため、下記では「同性婚」の意味について、「同性間の共同生活関係」を指す場合と、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることを指す場合とで、別に検討する。


「同性婚」の意味が「同性間の共同生活関係」を指す場合

 この判決のいう「同性婚」の意味が、「同性間の共同生活関係」を指しているのであれば、それは憲法21条1項の「結社の自由」によって保障されている。

 そのため、24条1項がそれを「否定する趣旨とまでは解されない」との理解は正しいといえる。



「同性婚」の意味が「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることを指す場合

 この判決のいう「同性婚」の意味が、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることを指しているのであれば、その意味を丁寧に読み解く必要がある。

 

 「『同性間の共同生活関係』と犯罪被害者給付金の訴訟」の控訴審の判決で、同じような文面で述べられている部分があるので、ここでまとめて検討する。

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(ウ) もっとも、憲法24条は、憲法制定当時に同性婚が想定されていなかったため、このような定めとなっており、同性婚を禁止した趣旨とは解されない。……(略)……

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犯罪被害者給付金不支給裁定取消請求控訴事件 名古屋高等裁判所  令和4年8月26日(PDF

控訴審判決 令和4年(P26) (「同性パートナーにも犯罪被害の遺族給付金を」訴訟

 こちらで使われている「同性婚」の意味は、宇都宮地裁真岡支部判決と同じような文面であるが、「同性間の共同生活関係」ではなく、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることを指しているようである。
 ただ、「同性婚を禁止した趣旨とは解されない。」と述べているものの、別の個所で下記のようにも述べている点には注意が必要である。

 

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 ところで、重婚や近親婚は、これを認める弊害を考慮して、政策的に禁止されているが、このような内縁関係について、個別具体的な事情の下で、禁止する理由となっている弊害が顕在化することがないという特段の事情が認められる場合には、法律婚に準ずるものとして保護される余地があるといえる。これに対し、同性間の共同生活関係は、政策的に婚姻が禁止されているのではなく、婚姻制度の対象外になっているから、局面を異にしている。…(略)……

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PDF) (P14)

控訴審判決 令和4年 (P15)



〇 いくつかの立場との関係性


 この24条1項に関する「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」との意味について、いくつかの立場との整合性を検討する。


◇ 「婚姻」の由来説

 「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」が、そもそも「同性同士の組み合わせ」は「生殖と子の養育」の趣旨を含まないため「婚姻」とすることはできない。


◇ 存在しない説
 「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」が、そもそも「婚姻」は男女を必要とするため「同性同士の組み合わせ」による「婚姻」というものは存在しない。


◇ 成立条件説

 「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」が、そもそも「同性同士の組み合わせ」は「婚姻」の成立条件を満たさないため「婚姻」として成立しない。

◇ 想定していない説

 上記の三説と下記の二説の両方の可能性がある。

◇ 立法裁量の限界を画するもの

 ➀ 「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」(義務文・否定文による禁止ではない)が、これを満たさないものは「婚姻」とすることはできない。

 ② 「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」という解釈は誤っており、24条1項は立法裁量の限界を画することによって「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることを否定する趣旨である。


◇ 禁止説

 ➀ 「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」という解釈は誤っており、24条1項は「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることを否定する趣旨である(禁止する趣旨である)。

 ② 「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」という解釈は誤っており、24条1項は「両性~に基づいて成立し、~なければならない。」(shall)という義務文・否定文の規定であり、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることを否定する趣旨である。



〇 「想定されていなかった」のはなぜか


 先ほどの文の「憲法制定当時は同性婚が想定されていなかったからにすぎず、」との部分であるが、「想定されていなかった」ことには、それが「想定されていなかった」なりの事情が存在するはずである。

 その理由を遡って検討しなければ、「婚姻」という概念そのものや、24条の「婚姻」の文言、「両性」「夫婦」の文言が、「同性同士の組み合わせ」をどのように扱っているのかについて確定することはできないのであり、法律で「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることが可能か否かも判断することができない。


 「婚姻」という制度が形成された経緯から、「婚姻」は「生殖と子の養育」の趣旨を含む制度であり、「同性同士の組み合わせ」はその間で「生殖」を観念できないことから、「婚姻」として「想定されていなかった」ことが考えられる。
 すると、制度の趣旨に沿わない関係であれば、もともと「婚姻」ではないのであり、「婚姻」として「想定されていなかった」と考えられる。

 また、「同性同士の組み合わせ」については、下記を満たさない。

 

・子の遺伝的な父親を特定できる組み合わせとすること

・特定された子の父親にも子に対する責任を担わせること

・特定された子の父親を基に遺伝的な近親者を把握すること

・未婚の男女の数の不均衡を防止できる組み合わせに限定すること


 そのため、そもそも「同性同士の組み合わせ」については、「婚姻」として「想定されていなかった」と考えられる。

 このように、「想定されていなかった」ことには、「想定されていなかった」だけの理由があると考えられる。

 それを単に立法者がうっかり忘れていたかのような安易な発想によって「想定されていなかった」と考え、それを理由にしてそのまま「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることができるかのように断定してしまうことは妥当でない。



〇 「立法裁量の限界を画するもの」であるか

 この24条1項についての解釈が妥当であるか否かを検討する。


憲法
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第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
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 まず、24条2項については、明確に「その裁量の限界を画したもの」と述べている判決がある。


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 ところで,婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものである。したがって,その内容の詳細については,憲法が一義的に定めるのではなく,法律によってこれを具体化することがふさわしいものと考えられる。憲法24条2項は,このような観点から,婚姻及び家族に関する事項について,具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに,その立法に当たっては,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請,指針を示すことによって,その裁量の限界を画したものといえる。また,同条1項は,「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」と規定しており,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。婚姻は,これにより,配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)などの重要な法律上の効果が与えられるものとされているほか,近年家族等に関する国民の意識の多様化が指摘されつつも,国民の中にはなお法律婚を尊重する意識が幅広く浸透していると考えられることをも併せ考慮すると,上記のような婚姻をするについての自由は,憲法24条1項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる。
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損害賠償請求事件  最高裁判所大法廷 平成27年12月16日 (PDF) (再婚禁止期間違憲訴訟)


 このことから、2項の意味によれば、「婚姻」についての法律を立法する際に「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚」していなかった場合には、国会の「裁量の限界」を超えて違憲となる。


 次に、1項の「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」の部分は、国会の立法の「裁量の限界を画したもの」であるか否かを検討する。

 もし、1項は、国会の立法の「裁量の限界を画したもの」である場合には、「婚姻」という概念それ自体において、また、「両性」「夫婦」の文言によって、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすること(いわゆる同性婚)はできない可能性がある。



〇 文言に沿わないものを許容する場合の論点


 宇都宮地裁真岡支部判決(2019.9.18)では、「憲法24条1項が『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し』としているのも、憲法制定当時は同性婚が想定されていなかったからにすぎず、およそ同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」と述べられている。
 これについて、「同性同士の組み合わせ」については「両性」の文言を満たすものではないが、「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」として、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることができるかのように考えている場合を考える。
 ただ、このような文言に沿わない解釈を許した場合、他の部分との整合性に関して問題が生じる。



◇ 「合意」の部分について、「『合意』に基づかない『婚姻』を否定する趣旨とまでは解されない」のか


 「『合意』に基づかない『婚姻』を否定する趣旨とまでは解されない」と考えることが可能となり、「合意」のない形での「婚姻」を立法することが可能となる。

 例えば、親、親戚、会社の上司、地方公共団体、国家など他者によって当事者が婚姻させられるような法律が考えられる。

 このような法律を立法しても、違憲ではないことになる。



◇ 「合意のみ」の部分について、「『合意』以外の条件を満たすよう求める『婚姻』を否定する趣旨とまでは解されない」のか


 「『合意』以外の条件を満たすよう求める『婚姻』を否定する趣旨とまでは解されない」とした場合、「両性の合意」以外の条件を課す形での「婚姻」を立法することが可能となる。

 例えば、「親の同意」や「年収」、「筆記試験」、「職業」などの条件を満たさなければ婚姻できない法律が考えられる。

 このような法律を立法しても、違憲ではないこととなる。



 このように、「両性」の文言を満たさないにもかかわらず「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」と考えるとすれば、「『合意』に基づかない『婚姻』」や「『合意』以外の条件を満たすよう求める『婚姻』」についても「否定する趣旨とまでは解されない」と論じることが可能となる。

 すると、法律によって「『合意』に基づかない『婚姻』」や「『合意』以外の条件を満たすよう求める『婚姻』」を制定しても違憲ではないこととなってしまう。

 このような解釈が可能となってしまうと、そもそも1項は何を制限するために設けられた規定なのか意味が分からなくなり、この規定が存在する意義が失われてしまう。

 そのため、2項については「立法裁量の限界を画したもの」であるが、1項については「立法裁量の限界を画したもの」ではないと考えることは妥当性を欠くと思われる。


 果たして、2項の「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚」していないものは違憲となるため「婚姻」とすることができないが、1項の「両性の合意のみに基いて成立」していないにもかかわらず「婚姻」とすることが論理的に可能であるだろうか。


 この論点について、1項の「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、」の文言の「のみ」の掛かり方を限定することによって、「両性」と「合意」の文言が「立法裁量の限界を画したもの」であるか否かを分けることができるとの主張が考えられる。
 1項について、「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」と考える者は、恐らく「のみ」の文言は「合意」の部分だけに掛かっていると考えていると思われる。


   ① 両性の「合意」のみ  ⇒ 合意の部分だけ必須要件と考える


 これにより、「合意のみ」を満たさない場合は違憲となるが、「合意のみ」を満たせば「両性」であるか否かは限定されていないと考えていると思われる。


 しかし、日本語の文法としては、「のみ」の文言は「合意」の部分だけに掛かっているとは限らず、「両性の合意」をまとめる形で掛かっていることも考えられる。


   ② 「両性の合意」のみ  ⇒ 男性と女性の両方と、その合意のすべてが必須要件と考える

 「のみ」の文言は、「両性」を含める形で強調していることも考えられるのである。

 そのため、①のように「のみ」の掛かり方を限定的に読むことによって、1項について「同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」と結論付けることができるとは限らない。


 また、「両性の合意のみ」の「のみ」の掛かり方がどうであろうと、1項には「両性」や「夫婦」と記載されている
のであり、この文言に当てはまらないものを1項の下で許容できるか否かは「のみ」の掛かり方とは異なる観点からの検討が必要である。

 さらに、「婚姻」という概念そのものに含まれる内在的な限界により、「婚姻」に含めることのできるものはもともと限られていることも考えられる。

 そのため、「のみ」の掛かり方について①の立場を採ったからといって、直ちに「およそ同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」と結論付けることができるというわけではない。


 このように文言の掛かり方は多様であり、これだけが解釈の決め手になるわけではないことから、24条を解釈する際には「婚姻」の由来、「婚姻」の立法目的と整合的に考えることが必要となる。

 




 


〇 1項と2項の関係性

 日本語では、1項の文尾にある「維持されなければならない。」の文言の「されなければならない。」の部分が、同じく1項の冒頭にある「両性の合意のみに基いて成立」の部分に対して掛かるか否か明確でない。そのため、「両性の合意のみに基いて成立」「されなければならない。」という「裁量の限界」を示しているのか定かとは言い難い面がある。

 しかし、英語では、すべて「shall」であるため、2項は「裁量の限界を画したもの」であるが、1項はそうでないかのように主張することは難しいように思われる。

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第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない
Article 24. Marriage shall be based only on the mutual consent of both sexes and it shall be maintained through mutual cooperation with the equal rights of husband and wife as a basis.
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない
With regard to choice of spouse, property rights, inheritance, choice of domicile, divorce and other matters pertaining to marriage and the family, laws shall be enacted from the standpoint of individual dignity and the essential equality of the sexes.
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日本国憲法 The Constitution of Japan

 もし2項で初めて「法律は、」という言葉が出てきているために、そこに「裁量の限界を画したもの」が掛かっており、1項は関係がないと主張するとしても、2項の「婚姻」の文言は、1項の「婚姻」と同一のものであるから、2項の「婚姻」の中には1項の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」の趣旨が既に含まれているようにも思われる。


◇ 2項「 ━ 婚姻両性の合意のみに基いて成立)は、 ━ 個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」


 すると結局、2項を国会による
立法の「裁量の限界を画したもの」と考える場合には、その2項の中に1項の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」の意味が含まれていることにより、「両性の合意」を満たさないものは「婚姻」と認められず、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすること(いわゆる同性婚)は違憲となるように思われる。

 

 このような24条の1項と2項を結びつける読み方は、あまりに難解であり妥当性を欠くとの批判を受けそうではある。しかし、憲法9条に関しては、9条の1項と2項前段・後段の意味を様々に結び付けた解釈が展開されているのであって、9条に対しては複雑に読み解くが、24条に関しては敢えて複雑に読むことはしないとすることは、法学上の一貫性を欠くこととなるため採用できない。

 9条に関しては【統治規定】であるため国家権力を制限する方向で読み、24条に関しては【人権規定】であるため権利拡大の方向で解釈するべきとの考え方もある。しかし、具体的に妥当な結論を導くまでの過程においては、様々な解釈のバリエーションを網羅的に検討しなければならないのであって、それを怠ることがあってはならない。また、24条に関しても、具体的に「国民の自由・権利」を保障する規定であるとは未だ明らかになっておらず、9条と同様に統治権に対して制約を課す規定である可能性も考えられる。実際に、24条2項が立法の「裁量の限界を画したもの」と考える判例が存在することは、24条2項も統治権に対する制約の趣旨を有するのであり、24条1項に関しても同様に統治権に対する制約の趣旨である可能性は十分に考えられる。

 このような中においては、規定と規定の組み合わせを考えることは当然に為さなければならない過程である。

 


 この観点から考えると、1項の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」についても、「裁量の限界を画したもの」であると考えることができる。

 すると、「両性」を満たさない「同性同士の組み合わせ」については、「婚姻」とすることができないこととなる。

 この意味において、1項を「およそ同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」との結論は導かれない。


 「宇都宮地裁真岡支部判決(令和元年9月18日)」が、「憲法24条1項が『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し』としているのも、憲法制定当時は同性婚が想定されていなかったからにすぎず、およそ同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」と述べていることは、先ほど挙げた別の判例の「その裁量の限界を画したものといえる。」との見解とは相いれないものである可能性が考えられる。



〇 他の条文との整合性

 「宇都宮地裁真岡支部判決(令和元年9月18日)」は、「憲法24条1項が『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し』としているのも、憲法制定当時は同性婚が想定されていなかったからにすぎず、およそ同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」と述べている。

 この意味を「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることができるかのように考えている場合のであれば、他の条文の解釈との整合性が問われることになる。


 例えば、憲法15条3項の「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。」との文言についても、「成年者による普通選挙」でない「公務員の選挙」を否定する趣旨ではないと考えることに繋がる。


【参考】「憲法15条2項が『成年者による普通選挙を保障する』とあるのに,成人年齢が20歳の今も18歳以上に選挙権を与えられてる」 Twitter


 これは今まで気づかなかった。本当に、これは違憲でないのであろうか。

 たとえば選挙権を与える対象を5歳児にまで引き下げた場合、民主主義の制度の根幹を揺るがすものとなる可能性が考えられる。民主主義の実現には十分な教育が必要であることは大前提であるし、社会生活を送る中で他者からの干渉に左右されにくい自律的な判断能力に関しても、十分に形成できているとは考えにくいからである。

 そのような問題を防ぐために、憲法は「成年者による普通選挙」に制限し、未成年者に対して選挙権を与えることを想定していない、あるいは禁じていると読むことができる。

 「成年者による普通選挙を保障する。」の意味は、「『成年者』に対して普通選挙の権利を保障する」の意味ではなく、「『成年者』によって行われる『普通選挙を保障する。』」の意味と考えられる。

 民主主義の安定のために、判断能力の十分でない未成年者に対して安易に投票権を与えないことを含む意味で、「成年者」を強調する形で「『成年者による普通選挙』を保障する。」としていると考えられるからである。
  このような、制度上限界となる年齢を判定する一線がもともと引かれていない場合には、制度上の趣旨や規定の意義を保つためにも、「成年者による普通選挙」に限定し、未成年者による普通選挙は否定されていると考える方が法的安定性を確保することに繋がると思われる。(この問題は違憲訴訟を起こしたらどうなるだろうか。)

 ただ、15条3項が「成年者による普通選挙を保障する。」という保障の趣旨であるのに対して、24条は「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、」と成立条件を示す形となっている点では、性質が異なるようにも思われる。仮に、15条3項が「公務員の選挙は、成年者による普通選挙に基づいて成立し、」という文言であった場合、「成年者」でない者を含む「普通選挙」を許容することはさらに難しくなると思われる。

 

 (追記) 下記の答弁を見つけた。


第142回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第4号 平成10年5月7日


 他にも、憲法42条には「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。」との記載があるが、これは一院制とすることや、あるいは、逆に「衆議院及び参議院」に加えて「枢密院」など別の「院」を設けることは「想定されていなかった」と考えられるが、これらを否定する趣旨ではないと考えることに繋がる。


 このように、書いてないことを根拠として、そのまま「否定する趣旨ではない」として立法することが可能であると決めてしまうことは、他の条文の解釈との間で整合性を保つことができず、条文の規範的な効力を損なわせることに繋がるため、極めて慎重に考える必要がある。 

 

【参考】「何も言っていない事をOKにしてしまうと、他でも同じことができてしまう」 Twitter

【参考】「同性婚を想定したものじゃないから関係ない。 これ言い始めたら憲法条文に意味がなくなる。」 Twitter 

【参考】「〝24条の迂回〟ができちゃうからこそ、よりきちんと議論されるべき」 Twitter

【参考】「両当事者って解釈できるほど憲法解釈ゆるくなると」 Twitter

【参考】「相当数の憲法の条文において形骸化できるんじゃね?」 Twitter

【参考】「解釈で無理矢理正当化するのは、むしろ憲法のルールとしての力を蔑ろにすることに繋がり危険」 Twitter 

【参考】「憲法を時の政権の解釈で運用する姿勢の方が強権的で怖くね???」 Twitter

【参考】「権力を縛るための憲法を、権力が解釈や捉え方で抜け道を作るのを許すことになる。」 Twitter

【参考】「憲法の規範性という視点から文言解釈に厳格性を求め」 Twitter

【参考】「曖昧な言葉を解釈で意味をどんどん変更することを許すのは、他の問題に禍根を残す」 Twitter


 このことから、1項の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」の文言についても、国会の立法における「裁量の限界を画したもの」と考えることが妥当であるように思われる。

 すると、「両性」を満たさない「同性同士の組み合わせ」については「婚姻」とすることができないこととなる。

 この意味において、1項を「およそ同性婚を否定する趣旨とまでは解されない」との結論は導かれない。


 (上記は「両性」の文言の解釈について取り上げたものであり、「婚姻」という概念そのものや、24条の「婚姻」の文言、「夫婦」の文言による制約の論点は別にある。)

 




東京高裁判決

同性事実婚、高裁も法的保護対象 元パートナーに賠償命令 2020年3月4日
同性カップル事実婚、賠償額も異性婚と差なし 高裁判決 2020年3月4日

同性カップル「婚姻に準ずる」 不貞訴訟、2審も法的保護認める 2020.3.4

同性「事実婚」に法的保護 「婚姻に準じる関係」―不貞行為に賠償命令・東京高裁 2020年03月04日

同性カップルの「事実婚」も婚姻に準じる関係であり法的保護対象となると示す初の高裁判決が下されました 2020/03/04

「同性カップルにも異性の事実婚と同じ法的保護」二審も認める、同性婚訴訟にはずみ 2020年3月4日
同性事実婚訴訟 2審、内縁判断踏み込む 「制度の外」を救済 2020年3月5日

「婚姻に準ずる」同性カップルの不貞慰謝料判決、同性婚法整備への道は開けるか 2020年03月11日
同性カップルの権利 守るための仕組み作りを 2020年3月22日

 

【判決文】令和1(ネ)4433  東京高等裁判所 令和2年3月4日



 「同性の事実婚」が認められる場合、「実の兄弟姉妹」が「兄弟」「姉妹」「兄妹」「姉弟」の組み合わせによって「事実婚」を主張した場合に、法的保護を与えることができるのかを考える必要があると思われる。婚姻意思や子を育てる意思があれば、認められることになるのだろうか。


   【参考】「妹と「事実婚」は可能か?」

 もし「同性の事実婚」が認められるのであれば、「事実婚」が男女の組み合わせである必要がないことから、「兄弟の事実婚」や「姉妹の事実婚」についても同様に認められることとなる。これと同様に、「兄妹の事実婚」や「姉弟の事実婚」の組み合わせについても同様に認められることとなることが考えられ、民法734条が消極要件として「近親婚」を禁じている趣旨を損なうことが考えられる。これでいいのだろうか。



 その他、「同性の事実婚」を「契約」の方式を用いて法的に保護しようとする場合、下記を満たすことが求められる。


◇ 民法1条1項の「公共の福祉」に適合すること

◇ 民法1条2項の「信義誠実の原則」に当てはまること

◇ 民法1条3項の「権利濫用の禁止」を満たすこと

◇ 民法90条の「公序良俗」に反しない法律行為であること


民法
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   第一編 総則
     第一章 通則
(基本原則)
第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3 権利の濫用は、これを許さない。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
   第五章 法律行為
     第一節 総則
(公序良俗)
第九十条 公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。
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 もし整合的な法秩序を形成できないのであれば、民法1条1項の「公共の福祉」に反すること、民法1条2項の「信義誠実の原則」に反すること、民法1条3項の「権利濫用」に該当すること、民法90条の「公の秩序」や「善良の風俗」に反することを理由として、「契約」の形での「同性の事実婚」は退けられることになると考えられる。

 「労働者の生存権を保障するために、適正な労働条件を法定することが必要とされる場合には、契約の自由は高度に制限されることになろう。」(憲法Ⅱ 宮沢俊義〔P227〕)との事例と同様に、同性同士が行う婚姻類似の契約が制限されることも考えられる。

 

「異性の近親婚は遺伝子的な理由で駄目だけど同性の近親婚なら」 Twitter



最高裁


同性「事実婚」に法的保護認める 最高裁決定 2021年3月19日

同性パートナーの不貞、賠償確定 二審は「婚姻に準ずる関係」―最高裁 2021年03月19日

「同性婚」も不貞に慰謝料確定 最高裁、法的保護認める 2021/03/19

「同性婚」も不貞に慰謝料確定 最高裁、法的保護認める 2021/03/19

同性カップル間でも内縁は成立 司法判断が最高裁で確定 2021/3/19

同性の事実婚にも慰謝料支払い命じた初の判決が確定 最高裁 2021年03月19日

同性事実婚で浮気原因の破局に慰謝料支払い命じる初の司法判断 2021年3月19日

同性間でも内縁関係は成立 慰謝料支払い命じる判決確定 最高裁 2021/3/19

同性カップルも「事実婚」が可能、内縁成立が最高裁で確定 2021年3月19日

「同性婚」パートナーが不貞行為、賠償命令確定…「法的保護の対象」最高裁で確定 2021/03/19

日本 同性カップルを「婚姻に準ずる関係と断定」 同性パートナーの不貞行為に賠償請求 2021年03月19日

同性カップルも「法的保護の対象」 最高裁で確定 2021/3/20

同性の事実婚カップルが浮気で破局 慰謝料はどうなる?

 

「裁判所は立法府じゃ無いのに、事実上、立法府のような役割を果たそうとしている。」 Twitter

「上告棄却決定は所定の上告理由に該当しない」……「上告不受理決定は原審の判断を「是認」する趣旨ではありません。」 Twitter

上告受理の申立て Wikipedia

 

 

 同性の「事実婚」が認められるのであれば、単なる友人関係の共同生活とどのように区別するのだろうか。

 同性の「事実婚」が認められるのであれば、複数人の連れ合いが「事実婚」を認めるように訴えた場合に、その関係を法的に保護することが認められるのだろうか。


 網羅的な観点から婚姻制度を設計する際には、知っておく必要がある思われる視点。

 

「同性婚認めないのは違憲」歴史的判決に既婚ゲイから不満噴出「放っておいて!」 2021年3月20日

 

 




 国(行政府)の理解する「婚姻」の歴史的な経緯について触れられている。

 

【大阪・第9回】被告第5準備書面 令和3年9月24日 PDF (P19~)

【九州・第6回】被告第4準備書面 令和3年10月29日 PDF (P34~)

【東京二次・第3回】被告第2準備書面 令和3年11月30日 PDF (P7~)

【東京・第10回】被告第6準備書面 令和4年5月16日 PDF (P34~)

 

 




 行政府は、「婚姻」について下記のように整理している。


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 もっとも,婚姻及び家族に関する事項については,前記1 (1)のとおり,憲法24条2項に基づき,法律によって具体的な内容を規律するものとされているから,婚姻及び家族に関する権利利益等の内容は,憲法上一義的に捉えられるべきものではなく,憲法の趣旨を踏まえつつ,法律によって定められる制度に基づき初めて具体的に捉えられるものである。そうすると,婚姻の法的効果(例えば,民法の規定に基づく,夫婦財産制,同居・協力・扶助の義務,財産分与,相続,離婚の制限,嫡出推定に基づく親子関係の発生,姻族の発生,戸籍法の規定に基づく公証等)を享受する利益や,「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするか」を当事者間で自由に意思決定し,故なくこれを妨げられないという婚姻をすることについての自由は,憲法の定める婚姻を具体化する法律(本件規定)に基づく制度によって初めて個人に与えられる,あるいはそれを前提とした自由であり,生来的,自然権的な権利又は利益,人が当然に享受すべき権利又は利益ということはできない。このように,婚姻の法的効果を享受する利益や婚姻をすることについての自由は,法制度を離れた生来的,自然権的な権利又は利益として憲法で保障されているものではないというべきである。

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【九州・第6回】被告第4準備書面 令和3年10月29日 PDF (P8)


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 また,前記2 で述べたとおり,婚姻の法的効果(例えば,民法の規定に基づく,夫婦財産制,同居・協力・扶助の義務,財産分与,相続,離婚の制限,嫡出推定に基づく親子関係の発生,姻族の発生,戸籍法の規定に基づく公証等)を享受する利益や婚姻をすることについての自由は,憲法の定める婚姻を具体化する法律(本件規定)に基づく制度によって初めて個人に与えられる,あるいはそれを前提とした自由であり,生来的,自然権的な権利又は利益,人が当然に享受すべき権利又は利益ということはできないのであるから,異性間における婚姻の効果を享受する利益や婚姻の自由と同性間のそれらとの間には,憲法を含めた我が国の法制上,本質的な差異があるものと解さざるを得ない。

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【九州・第6回】被告第4準備書面 令和3年10月29日 PDF (P13)

 

【東京二次・第3回】被告第2準備書面 令和3年11月30日 PDF (P17~)


 これによれば、「婚姻の法的効果を享受する利益」や「婚姻をすることについての自由」は、「婚姻を具体化する法律」「に基づく制度によって初めて個人に与えられる,あるいはそれを前提とした自由」であり、「生来的,自然権的な権利又は利益,人が当然に享受すべき権利又は利益ということはできない」としている。

 この考え方を基にした場合には、「事実婚」についても、「生来的,自然権的な権利又は利益,人が当然に享受すべき権利又は利益」ではないと思われる。

 すると、「事実婚」の内容は、婚姻制度の存在を前提として初めて捉えることができるものと考えられ、「事実婚」として法的に保護できる関係の範囲も、婚姻制度が枠づけている形に限られることになると思われる。


 「三人以上の複数名」による「事実婚」(事実複婚)を法的に保護しないのであれば、そこでは三人以上の複数名による人的結合関係が婚姻制度の立法目的を達成することを阻害するものとなるか否かを審査し、立法目的を達成するための手段として「許容することができない」という結論を導き出していることになる。

 すると、「同性同士の組み合わせ」を「事実婚」として法的に保護することができるか否かについても、まったく同じ婚姻制度の立法目的を用い、「同性同士の組み合わせ」がそれを達成することを阻害する組み合わせであるか否かを審査することによって結論を導き出すことになるはずである。


 また、このような判断によって法的に保護する範囲を決しているということは、「事実婚」は婚姻制度(法律婚)の立法目的を引き継ぐ形で位置付けられていることを意味する。

 このことから、「事実婚」として法的に保護することができる関係の範囲を検討する際にも、婚姻制度の立法目的とその達成手段として設けられている枠組みとの整合性を切り離して考えることはできない。

 そしてそこには、「事実婚」として法的に保護することができる関係の範囲は、婚姻制度の立法目的を達成することを阻害するものとなってはならないという限界が内在的に含まれていることになる。


 そのため、「事実婚」として法的に保護できる関係の範囲も、婚姻制度が枠づけている形に限られることになると思われる。

 

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 また,婚姻及び家族に関する事項は,法制度のパッケージとしで構築されるものにほかならず(最高裁令和3年決定の深山卓也裁判官,岡村和美裁判官及び長嶺安政裁判官の共同補足意見参照。),法制度としてその全体が有機的に関連して構築されているものであるから,法制度の一断片のみを取り出して検討することは相当ではない。そのため,その検討に当たっては,問題となっている事項が,夫婦や親子関係についての全体の規律の中でどのような位置づけを有するのか,仮にその事項を変更した場合に,法制度全体にどのような影響を及ぼすのかといった点を見据えた総合的な判断が必要とされるものである(畑佳秀・最高裁判所判例解説民事篇平成27年度〔下〕 755 及び756ページ)。

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【九州・第6回】被告第4準備書面 令和3年10月29日 PDF (P21)





「同性間の共同生活関係」と犯罪被害者給付金の訴訟


同性同士を事実婚と認めず 被害者給付金不支給で名古屋地裁 2020/6/4

同性同士を事実婚と認めず 被害者給付金不支給で名古屋地裁 2020年6月4日

同性パートナーへの犯罪給付金認めず 名古屋地裁判決 2020年6月4日
同性パートナーへの支給認めず 遺族給付金訴訟で名古屋地裁 2020年6月4日

殺害された男性の同性パートナー「事実婚」と認められず 犯罪被害者の遺族給付金をめぐる裁判で判決 2020年6月4日
同性パートナー殺害された男性に“犯罪被害者給付金”認めず…“事実婚”には支給も「社会通念形成されていない」 2020年06月04日
同性パートナーへの給付金不支給訴訟…原告の請求棄却 名古屋地裁  2020/06/04

同性同士は事実婚に当たらないと名古屋地裁 2020/6/4

同性パートナーに犯罪遺族給付認めず 名古屋地裁判決 2020/6/4
犯罪遺族給付金求めた同性パートナーの請求棄却 名古屋地裁 2020年6月4日
レポート:名古屋・犯罪被害者給付金裁判 オンライン報告会 2020年6月4日
同性パートナーに犯罪被害給付金の支給を求める弁護団 facebook 令和2年(2020年)6月4日

同性内縁「社会通念ない」 遺族給付金不支給 名古屋地裁判決 2020年6月5日
名古屋地裁が「社会通念」が形成されていないとして、同性パートナーへの犯罪被害遺族給付金の支給を認めない判決を下しました 2020/06/05

「裁判所は、人権の砦ではなかったのか」同性パートナーへの犯罪被害者給付金を認めない判決、弁護士らが強く反論 2020年06月05日
差別が無限ループする詭弁。地裁「同性パートナーを事実婚と認めない」判決の問題点は 2020/6/5

同性パートナーの犯罪被害給付金訴訟 「残酷判決」を受け止め、投げ返すために 2020年6月5日

遺族給付金訴訟 差別をまだ放置するのか 2020年6月6日

同性の事実婚、社会通念ない? 地裁判決が議論呼ぶ 2020/6/28

   【参考】社会通念 Wikipedia


【判決文】犯罪被害者給付金不支給裁定取消請求事件 名古屋地方裁判所 民事第9部 令和2年6月4日

 



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 確かに、①重婚的内縁の場合、戸籍上届出のある配偶者との婚姻が事実上の離婚状態にあるとき、②近親婚的内縁の場合、近親者間における婚姻を禁止すべき公益的要請よりも犯給法の目的を優先させるべき特段の事情が認められるときには、そのような関係にあった者は、それぞれ「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に該当する余地があるものと解される(……(略)……)。しかしながら、重婚や近親婚は、婚姻に該当することを前提とした上で、これを認める弊害に鑑み、政策的に法律婚としては一律に禁じられているものである。それゆえ、個別具体的な事情の下で婚姻を禁ずる理由となっている弊害が顕在化することがないと認められる場合には、法律婚に準ずる内縁関係としての要保護性まで否定する理由はないとの判断が働き、そのような場合の内縁関係は法律婚に準ずるものとして保護されるものと解される。これに対し、同性間の共同生活関係については、政策的に婚姻が禁じられているというのでなく、そもそも民法における婚姻の定義上、婚姻に該当する余地がないのであるから(なお、この解釈自体については、原告も争うところではない。)、重婚や近親婚の場合とは自ずから局面を異にしているといわざるを得ない。

 したがって、重婚的な内縁や近親婚的な内縁が一定の場合に内縁関係として保護されているからといって、同性間の共同生活関係が内縁関係に含まれる理由となるとは解されず、原告の前記主張は採用することができない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
犯罪被害者杞憂付近不支給裁定取消請求事件 令和2年6月4日判決言渡 (P19~20)


 裁判所の判断としては、「重婚や近親婚」について「婚姻に該当することを前提」としている(この『重婚』は先に挙げた事例の場合に限定した意味と思われる)。しかし、「これを認める弊害に鑑み」て、「政策的に法律婚としては」禁じていると考えているようである。
 この趣旨から、「弊害が顕在化することがないと認められる場合」には、保護できる場合を見出すのである。

 

【訴訟資料】「同性パートナーにも犯罪被害の遺族給付金を」訴訟

 



 

【東京二次・第3回】被告第2準備書面 令和3年11月30日 PDF (P32~)

 

 「三人以上の複数名」による「事実婚」(事実複婚)を法的に保護しないのであれば、そこでは三人以上の複数名による人的結合関係が婚姻制度の立法目的を達成することを阻害するものとなるか否かを審査し、立法目的を達成するための手段として「許容することができない」という結論を導き出していることになる。

 すると、「同性同士の組み合わせ」を「事実婚」として法的に保護することができるか否かについても、まったく同じ婚姻制度の立法目的を用い、「同性同士の組み合わせ」がそれを達成することを阻害する組み合わせであるか否かを審査することによって結論を導き出すことになるはずである。


 また、このような判断によって法的に保護する範囲を決しているということは、「事実婚」は婚姻制度(法律婚)の立法目的を引き継ぐ形で位置付けられていることを意味する。

 このことから、「事実婚」として法的に保護することができる関係の範囲を検討する際にも、婚姻制度の立法目的とその達成手段として設けられている枠組みとの整合性を切り離して考えることはできない。

 そしてそこには、「事実婚」として法的に保護することができる関係の範囲は、婚姻制度の立法目的を達成することを阻害するものとなってはならないという限界が内在的に含まれていることになる。


 そのため、「事実婚」として法的に保護できる関係の範囲も、婚姻制度が枠づけている形に限られることになると思われる。

 そして、犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律5条1項1号の「(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあつた者を含む。)」とは、この範囲の者を指すと考えられる。


 その他、整合性を検討する上で、「婚姻適齢に満たない者」を「事実婚」として保護することができるかなども考えてみると分かりやすい。



【判決文】犯罪被害者給付金不支給裁定取消請求控訴事件 名古屋高等裁判所  令和4年8月26日 (PDF



〇 補足

 下記では、主に「重婚」や「近親婚」が「婚姻」に該当するか否かを論じているが、「同性間の共同生活関係」についても触れられている。


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 確かに,①重婚的内縁の場合,戸籍上届出のある配偶者との婚姻が事実上の離婚状態にあるとき,②近親婚的内縁の場合,近親者間における婚姻を禁止すべき公益的要請よりも犯給法の目的を優先させるべき特段の事情が認められるときには,そのような関係にあった者は,それぞれ「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に該当する余地があるものと解される(①につき,最高裁昭和54年(行ツ)第109号同58年4月14日第一小法廷判決・民集37巻3号270頁参照,②につき,最高裁平成17年(行ヒ)第354号同19年3月8日第一小法廷判決・民集61巻2号518頁参照)。しかしながら,重婚や近親婚は,婚姻に該当することを前提とした上で,これを認める弊害に鑑み,政策的に法律婚としては一律に禁じられているものである。それゆえ,個別具体的な事情の下で婚姻を禁ずる理由となっている弊害が顕在化することがないと認められる場合には,法律婚に準ずる内縁関係としての要保護性まで否定する理由はないとの判断が働き,そのような場合の内縁関係は法律婚に準ずるものとして保護されるものと解される。これに対し,同性間の共同生活関係については,政策的に婚姻が禁じられているというのではなく,そもそも民法における婚姻の定義上,婚姻に該当する余地がないのであるから(なお,この解釈自体については,原告も争うところではない。),重婚や近親婚の場合とは自ずから局面を異にしているといわざるを得ない。

 したがって,重婚的内縁や近親婚的内縁が一定の場合に内縁関係として保護されるからといって,同性間の共同生活関係が内縁関係に含まれる理由となるとは解されず,原告の前記主張は採用することができない。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

犯罪被害者給付金不支給裁定取消請求事件 名古屋地方裁判所 令和2年6月4日


 この考え方は、下記のようにまとめることができる。


◇ 「重婚」や「近親婚」は、「婚姻」に該当することを前提とした上で、これを認める弊害に鑑み、政策的に法律婚としては一律に禁じられている

◇ 「同性間の共同生活関係」については、政策的に「婚姻」が禁じられているというのではなく、そもそも民法における「婚姻」の定義上、「婚姻」に該当する余地がない


 この観点からは、「同性同士の組み合わせ」については、「禁止」をしているというのではなく、そもそも憲法24条の定義上、「婚姻」に該当する余地がないということになる。

 (成立しないものを禁じることには意味がない。無効なものに対して取消しを行うことができないことと同じ。)


 高裁判決でも同様の説明をしている。

 

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 ところで、重婚や近親婚は、これを認める弊害を考慮して、政策的に禁止されているが、このような内縁関係について、個別具体的な事情の下で、禁止する理由となっている弊害が顕在化することがないという特段の事情が認められる場合には、法律婚に準ずるものとして保護される余地があるといえる。これに対し、同性間の共同生活関係は、政策的に婚姻が禁止されているのではなく、婚姻制度の対象外になっているから、局面を異にしている。…(略)……

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犯罪被害者給付金不支給裁定取消請求控訴事件 名古屋高等裁判所  令和4年8月26日 (PDF) (P14)

 







同性婚訴訟


札幌地裁判決

同性婚訴訟「画期的な判決」でも弁護団が控訴する理由 2021年03月17日 


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 判決は「性的指向は人の意思で選択、変更できない。同性愛者が異性愛者の受ける法的効果の一部すら受けられないのは、立法府の裁量の範囲を超えた差別的な扱いだ」と指摘。

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同性婚訴訟、札幌地裁が初の違憲判断 原告の請求は棄却 2021年3月17日

 

 「性的指向」は法律用語ではない。「同性愛」や「異性愛」という「性的指向」に基づいて「法的効果」の有無を検討することが許されるのであれば、「キリスト教」や「イスラム教」などの「宗教的指向」に基づいて「法的効果」の有無を検討することが可能となってしまう。

 そうなると、イスラム圏では「男性一人と女性四人まで」の婚姻が可能であることから、日本国内においてもそのような複婚関係を求めることが可能となる。

 また、幼児や児童を愛する者が民法上の「婚姻適齢」を撤廃するように求めた場合に、それを認めなければならなくなる。


 法律上は、「権利能力」を有する「法主体」(自然人または法人)を単位として当事者の法律関係を構成し、法律上で認められている分類方法(戸籍上の『男女』の区分)に基づいて法律関係を形成できるか否かを論じる必要がある。

 ここで、「性的指向」という法律上の用語でない分類に基づいて判決を下したことは、正当化できない可能性がある。

 


 この判決について、下記でも分析している。

 




〇 憲法学者「木村草太」


【動画】結婚の平等へ。 同性婚を認めないことは 「憲法14条に違反する」 2021/3/18

【動画】結婚の平等へ。 同性婚を認めないことは 「憲法14条に違反する」 2021/3/18

      動画内での発言について 2021-03-23



【参考】同性婚訴訟の違憲判断 憲法学者・木村草太氏に聞く判決のポイント 2021年03月19日


 「木村さんは、今回の判決について『正しい理論にのっとった判決で、細かいところに議論はあるが、違和感のあるところはなかった』と印象を語った。」との記載がある。

 しかし、「異性愛」や「同性愛」という区分は法律用語ではない。そのため、「異性愛者」や「同性愛者」という思想や感情などの内心に基づいて当事者を分類した上で判断を下すことは妥当とは言えないと考える。

 「異性愛者」や「同性愛者」のどちらにも分類されない者も存在するはずであるし、人を愛する感情を抱かない者も存在する。また、生まれつき特定の一人のみを愛する性質を持った者だけでなく、複数人を愛する者も存在するはずである。

 このような法律上の区分でないものに基づいて判断を下したことは、法律論として「正しい理論」ではなく、誤っていると考えられる。


 「一方、被告である国の態度については、「余裕勝ちだと思っていたのか、『同性愛者も異性とは婚姻できるから平等だ』などと訳の分からない反論をしていた」と苦言を呈した。」との記載がある。

 しかし、「異性愛」や「同性愛」が「思想良心の自由(19条)」(内心の自由)の問題であることから法律上の問題ではなく、法律上では「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかを審査しておらず、婚姻を合意する際に「異性愛」や「同性愛」という特定の思想や感情を有していることや意思表示を行うことを必要としておらず、婚姻制度を立法する趣旨・目的が「人を愛する感情を保護すること(性愛を保護すること)」にあると特定されているわけではないのであるから、「同性愛者も異性とは婚姻できるから平等だ」との論理は理解できる。

 これを「訳の分からない反論」として論じることは、論者が婚姻制度の趣旨・目的を「人を愛する感情を保護すること(性愛を保護すること)」にあると考える前提が存在すると考えられる。しかし、未だ婚姻の趣旨・目的が「人を愛する感情を保護すること(性愛を保護すること)」にあるとは明らかにされていない。

 「恋愛感情」や「性愛」などの内心の問題は、法律論に持ち込むべきではないと考える。


 婚姻制度の趣旨・目的が「人を愛する感情を保護すること(性愛を保護すること)」にあると考えるのであれば、不貞行為(いわゆる不倫)で訴えられた者が、「自分は同時に複数人を愛する感情を抱いていただけであり、その感情を保護するための複婚の制度が存在しないことは違憲であり、損害賠償を支払う必要はない」と論じた場合にどうなるかを検討する必要があるように思われる。

 

 

 法律論の中に個々人の内心に基づいて当事者を分類する方法を持ち込むと、下記のような論点を生み出してしまうこととなる。

 

【参考】同性婚訴訟札幌地裁判決は「違憲状態判決」(法令合憲)――婚姻の本質を「性愛目的」と明記 2021/03/18

【参考】同性婚を認めないのは憲法違反か!? 2021年03月19日

【参考】「判決要旨を読んだ時にも引っかかったけど。 認定事実にある」……「ってマジでOKなんか?」 Twitter

【参考】「ギリギリのラインで進行してんな」 Twitter

 

[木村草太の憲法の新手](148) 同性婚 札幌地裁判決 平等権通じ24条類推適用 禁止解釈は差別的態度 2021年3月21日

□ 「旧憲法の時代 ~~ の反省を踏まえ、憲法24条が制定された。」と述べられている部分であるが、それは憲法24条を立法する際に意図された一つの側面に過ぎないものであることに注意が必要である。

 憲法24条が立法される際にそのような意図が存在するとしても、その立法意図とは別に婚姻制度そのものを構築することの趣旨・目的(意義)が存在することを忘れてはならない。

 憲法24条を立法する際にそのような意図があったとしても、婚姻制度そのものの範囲を確定する段階の議論において、直接的な因果関係はない。

 

「(1)」の部分について


◇ 「夫婦が同等の権利」は、24条1項の文言である。

◇ 「個人の尊厳と両性の本質的平等」は、24条2項の文言である。


 ただ、24条1項には「両性の合意のみに基づいて成立し、」の文言がある。

 この記事の言葉を用いれば、「婚姻」を「両性の合意のみに基づいて成立」する「制度と位置付け」、「両性の合意」に「立脚すべきことを定める」ものであるともいえることになる。


「(2)」について


□ 「『婚姻は、両性の合意のみ』で成立すると定め、戸主等の同意を要件とすることを禁止した。」との記載がある。

 しかし、それは先ほどの立法過程での意図との整合性の観点から、「戸主等の同意を要件とすることを禁止した」という側面が見出されているだけである。

 そのため、24条1項の「両性の合意のみに基づいて成立し、」の文言の中には、それ以外の制約を含んでいる可能性は排除されていない。

 例えば下記のような形式を婚姻として扱うことを禁じている可能性がある。

 

◇ 「両」を満たさない「複数人の組み合わせ(いわゆる複婚〔重婚〕)」

◇ 「両性」とは言えない「同性同士の組み合わせ(いわゆる同性婚)」

◇ 「合意」のないもの

◇ 「両性の合意」以外の合意や要件を課すもの

 

 そのため、先ほど挙げた立法過程での意図との整合性の観点のみを取り上げて、24条1項の意味を限定的に解することができるかのように論じているのであれば、論じ方として十分ではない。


□ 「これは、婚姻当事者の合意が尊重される権利を保障したものだ。」との部分であるが、24条1項を直接的に具体的な法律の整備を求めることができる憲法上の権利(具体的権利説)として扱うことができるか否かは検討の余地があるように思われる。

 また、「両性の合意のみ」を満たす形の法律が整備されることを具体的な権利として求めることができるとしても、そこに「同性同士の組み合わせ」や「複数人の組み合わせ」が含まれているか否かも別に検討する必要がある。


「(3)」について


□ 「婚姻を一般の契約と区別された法制度と位置付け、婚姻保護請求権を保障するとも読める。」との記載がある。

 しかし、婚姻は債権契約の一種なのか、あるいは債権契約とは別の法形式なのかは整理していく必要がある。

 また、婚姻は、法律上の制度を整備する以前から法的効果が生まれるものなのか、法律上の制度が整備されることによって初めて法的効果が生まれるのかは整理していく必要がある。


□ 「ただ、『異性婚当事者の婚姻の権利を保障する』という法命題は、同性婚の否定を含まない。」との記載がある。

 しかし、「異性婚」や「同性婚」という文言は法律用語ではない。

 また、「同性同士の組み合わせ」は、「婚姻」とは言えない可能性があり、「同性婚」の文言を用いることによって、「同性同士の組み合わせ」が「婚姻」の一種であることを前提とする論じ方は、この論点を先取りしようとする意図が含まれているため適切でない。

 下記のような判例がある。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

これに対し,同性間の共同生活関係については,政策的に婚姻が禁じられているというのではなく,そもそも民法における婚姻の定義上,婚姻に該当する余地がないのであるから(なお,この解釈自体については,原告も争うところではない。),重婚や近親婚の場合とは自ずから局面を異にしているといわざるを得ない。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【判決文】犯罪被害者給付金不支給裁定取消請求事件 名古屋地方裁判所 民事第9部 令和2年6月4日


 以上を踏まえれば、「同性婚の否定を含まない。」との言葉は、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることの「否定を含まない。」との意味であると捉えることができる。

 しかし、24条1項が「両性の合意のみに基づいて成立し、」と示しているように、「同性同士の組み合わせ」については「両性」の文言に当てはめることができない可能性がある。

 そのため、「同性同士の組み合わせ」については、「婚姻」とすることができない、あるいは「禁止」されている可能性がある。

 論者は、先ほど述べていた立法過程の意図から「戸主等の同意を要件とすることを禁止した。」との意味であり、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることを「禁止」していないと論じようとするものと思われるが、それは立法過程での一側面であり、婚姻制度そのものを整備することの趣旨・目的・意義を説明したものは言えないことから、「同性同士の組み合わせ」や「複数人の組み合わせ」を「婚姻」とすることが禁止されていないことを示したことにはならない。


 そのため、「ただ、『異性婚当事者の婚姻の権利を保障する』という法命題は、同性婚の否定を含まない。」との部分は、24条1項の「両性の合意のみに基づいて成立し、」の文言の趣旨を立法過程での意図のみを考慮する解釈に限定するという前提に立った立場による一つの解釈方法に過ぎず、24条1項の「両性の合意のみに基づいて成立し、」の文言そのものや、婚姻制度を整備することの趣旨・目的・意義を網羅的に踏まえた主張とは言えない。

 これにより、未だ24条の趣旨を「同性婚の否定を含まない。」と結論付けることはできない。


□ 「このため専門家の間では、憲法24条が同性婚を禁止しているという見解は支持されていない。」との記載がある。

 ここでいう「このため」とは、先ほど挙げたような24条の趣旨を立法過程での意図との整合性を読み解こうとする観点を支持する意見を前提としていると考えられる。

 そのため、その前提に立つ「専門家の間」では「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることを「禁止しているという見解は支持されていない。」と主張しているものと考えられる。

 しかし、その先ほど挙げられたような立法過程での意図とは別に、婚姻制度そのものを構築する趣旨・目的・意義が別に存在するのであり、その趣旨・目的・意義が何かを明らかにしない段階で、24条が「同性同士の組み合わせ」や「複数人の組み合わせ」を「婚姻」とすることを「禁止」していないと断定することはできない。


□ 「『憲法24条の保護は同性婚には及ばない』との解説もあるが、」との記載がある。

 しかし、「同性同士の組み合わせ」はそもそも「婚姻」とは言えない可能性がある。そのため、「同性婚には」のように、「同性同士の組み合わせ」が「婚姻」の一種として存在しており、それを前提として24条が保護しようとしているとの前提に立っている部分は、論じ方として適切ではない。

 また、「男女二人一組」の婚姻についても、法律上の制度が構築される以前に成立して法的効果が生まれるのか、法律上の制度が構築されることによって初めて婚姻が成立して法的効果が生まれるのかも明らかにする必要がある。


□ 「文言上、異性婚について述べているのが明らかな条文について、専門家の見解に一切耳を貸さずに、あえて同性婚禁止規定との解釈をとる人もいるが、それは差別的態度だ。」との記載がある。

 誰を対象として「差別的態度」と論じようとしているのかは明らかではないが、「専門家の見解」と称しているものが、正しい理解に基づくものであるかを考えることが大切である。

 法の支配とは、「人権の保障と恣意的権力の抑制とを主旨として、全ての権力に対する法の優越を認める考え方(平成31年2月22日)」であり、「専門家」と称する者による「人の支配」や「人治主義」に陥ってはならない。

 「法の支配」や「法治主義」の下では、「専門家」と称する者の権威によって押し切ることは否定されなければならない。「専門家」であるとしても誤っている場合があり、その見解の当否は常に論じ続けられる必要がある。

 また、「異性婚」や「同性婚」は法律用語ではない。そして「同性同士の組み合わせ」や「複数人の組み合わせ」については、「婚姻」として成立しないか、立法裁量の限界を超えるか、あるいは「禁止」されている可能性も考えられる。この記事で示されている見解についても、立法過程での意図を重視する立場からの一つの解釈方法に過ぎないことを押さえる必要がある。


 憲法14条の「平等権」の解釈においては、合理的な区別と認められる場合には差異があったとしても許容されることがある。そのため、「平等権」に抵触する不当な差別であるのか、法制度を構築する際に必要となる合理的な区別にとどまるのかを論じる中で、片方の意見を「差別」と断じてしまうことは法解釈としては慎む必要があるように思われる。(法を離れた政治的な態度に陥ってしまうように思われる。)

 法解釈の様々な可能性を考えようとする立場の者が、自分の分析が差別であると断じられてしまうことを恐れるがあまりに、法解釈の合理的な分析をしなくなってしまったり、解釈の過程や結論を誤ることに繋がってしまうことがあってはならないと考える。

 

【参考】「ゲイ当事者として、」……「同性婚は違憲だと思う当事者からしたら、同性婚は合憲と言われる事が差別になりえますし、」 Twitter


□ 「同性婚に憲法24条を直接適用するのは難しい。」との記載がある。

 しかし、未だ「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」として認めることができるか否かは明らかにされておらず、「同性婚」という文言によって「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」の一種として取り扱うことのできるとする前提に立って論じている点は適切ではない。


□ 「しかし、類推適用の可能性はある。」との記載がある。

 しかし、24条1項の「両性の合意のみに基づいて成立し、」の文言と、婚姻制度の趣旨・目的・意義に照らして「同性同士の組み合わせ」について「婚姻」が成立するか否かは、未だ明らかとなっていない。この記事の中で先ほど挙げられた24条の立法過程での意図は、24条の規定が設けられた意図を論じるに過ぎず、そもそも婚姻制度を構築することの趣旨・目的・意義を論じたものではないからである。

 そのため、「同性同士の組み合わせ」については「婚姻」として成立しない可能性があり、その段階で「類推適用」による保護を論じることはできない。

 これとは別に、婚姻制度をどのように設計するかは国会の合理的な立法裁量に委ねられている場合も考えられる。そうなると、そもそも現在の民法で「近親婚」や「重婚」が禁じられていることと同様に、法律上で「同性婚」や「複婚」を禁じることについても合理的な立法裁量の範囲内とされる可能性がある。

 そうであれば、24条によって具体的な権利を導き出したり、24条の趣旨に基づいて「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」として保護するように求めたりすることはできない。


□ 「とすれば、憲法24条も、同性婚当事者に類推適用できるのではないかとの議論が成り立つ。」との記載がある。

 しかし、24条1項の「両性の合意のみに基づいて成立し、」の文言と、婚姻制度の趣旨・目的・意義を明らかにすることなしには、「同性同士の組み合わせ」が「婚姻」として成立するか、「婚姻」とすることが許容されるか否かは確定しないのであり、類推適用できるか否かを確定することはできない。

 また、24条が定められているとしても民法上では「近親婚」や「重婚」が禁じられており、これは国会の合理的な立法裁量に委ねられている。同様に、24条の下で「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることが許容されるとしても、国会の合理的な立法裁量の結果として「同性婚」が禁じられることもあり得る。

 そのため、24条によって何らかの権利を主張したり、保護を要請することが可能であるとは限らない。


□ 「一般的な見解は、同性婚に男女不平等はなく、類推適用は不要としてきた。」との記載がある。

 この「同性婚に男女不平等はなく」の部分は、この記事の第二段落の「女性の意思はないがしろにされやすかった」との部分を受けて、「男性同士」「女性同士」であれば「不平等はなく」との意味で論じようとしているものと思われる。

 「一般的な見解は、」について、憲法学者や民法学者の間で、それほどまでに「一般的な見解」というものが確立しているようには思われない。ただ、ここでいう「一般的な見解は、」とは、前述の「このため専門家の間では、」との部分と同様に、24条の意味を立法過程での意図との整合性を読み解こうとする観点を支持する主張のことを指していると思われる。

□ 判決文に関して、「この論証は、憲法24条が平等権侵害を認定する重要な根拠となっており、」と述べている部分であるが、同様の主張に基づいて「婚姻適齢に満たない者の婚姻」、「近親婚」、「複婚(重婚)」が認められるか否かについても論じる必要がある。

 

 

 【動画】木村草太×荻上チキ『同性婚を認めないのは憲法違反。札幌地裁が初の判断』 2021/03/21

 

 上記の動画の論点は、先ほど記載した一つ前の記事と論点はほぼ同じである。

 

8:46

 「レズビアンのカップル」と表現している部分があるが、法制度を構築してしまえば「異性愛」や「同性愛」の感情を抱く者であっても、また、そのどちらの感情も抱かない者であっても、同様に制度を利用することができることとなる。実際、現在の法制度の下では「同性愛者」とされる「レズビアン」と称する者であっても「婚姻(現行法におけるいわゆる異性婚)」を行うことが可能である。

 そのため、「レズビアン」というように思想や感情を基にして当事者を分類し、その思想や感情を抱く者が形成する人間同士の関係性を特定の形に限定する形で論じようとしている点で適切ではない。

 ここでも、論者が「婚姻」の趣旨・目的について「人を愛する感情を保護すること(性愛を保護すること)」にあるとする立場に立つことを前提とする主張となっており、それが未だ特定されていない段階で論点を先取しようとする意図が含まれていることに注意する必要がある。

 恐らく論者は「自分は『恋愛感情』や『性愛』に基づいて婚姻した」との自覚を持っているのだと思われる。そのため、婚姻制度は「恋愛感情」や「性愛」を保護するものとの前提で論じている。しかし、それは「婚姻」に対して抱いている個々人の価値観や目的に過ぎないのであり、そのような感情を抱かずに制度を利用する者もいることを忘れてはならない。

 また、「国が制度を構築する際の立法目的」と、「その制度を利用する者の抱く個々人の目的」は異なることを理解する必要がある。婚姻制度を利用する者が「恋愛感情」や「性愛」に基づく動機を有していたとしても、国がその制度を構築している立法目的は「子の福祉が実現される社会基盤を整備すること」であるという場合もある。これを混同し、婚姻制度を利用する者の抱いている「『恋愛感情』や『性愛』」という価値観が婚姻制度を構築する際の立法目的であり、普遍的な価値であるかのような前提は成り立たない。

 

「子どもからしたら『自分の出自を知りたい』というのも大事な権利」 Twitter (ケース


 そもそも「女性同性婚」が許容された場合の上記のような論点を生み出し、「子の利益」が損なわれてしまうことがないように、婚姻制度は「男女二人一組」に限定し、それ以外の「組み合わせ」を許容することに対して抑制的な原理が働いている可能性がある。

 そのために憲法24条は「両性の合意のみ」と規定し、「男女二人一組」という形に限定し、立法裁量の限界を画している可能性がある。

 これに該当しない場合には、自律的な個人(13条)として生活していくことを前提としており、特段の優遇措置を講ずる必要はないという考え方である。


 「女性同性婚」が可能となり、手厚い優遇措置が得られる場合には、女性は男性と結婚せずに「女性同性婚」を形成することが主流となり、女性の中で「男性の遺伝子の選別」という価値観が普及していく可能性がある。インターネット上で優等な男性の精子がランキングされて「精子売買」が行われたり、自然生殖による精子提供を専門とする人材派遣会社などが活動する社会も想定することができる。すると、その影響で「子を持ちたくても持つ機会に恵まれない男性」が増えたり、女性の求める精子の需要が一部の男性に集中することによって社会の中の遺伝子の多様性が失われることが考えられる。(生物学的には、遺伝子の多様性が失われると、環境の変化に対応できずに種が消滅することに繋がりやすい。)

 また、その「女性同性婚」の下にある兄弟姉妹は、一人の男性の精子から生まれたわけではなく、それぞれそれぞれ別の男性の精子との間で生まれていることも考えられる。一人目、二人目、三人目の兄弟姉妹は、それぞれ別の男性の精子による子供ということである。そのような兄弟姉妹関係が主流となった場合に、社会の前提にどのような影響を与えるかも考える必要があるように思われる。

 他にも、「男女二人一組」を前提とした婚姻制度を構築することによって間接的に極力「近親交配」に至ることを防ごうとする立法趣旨が損なわれ、遺伝的な劣勢を有する個体が高い確率で発現する可能性も検討する必要がある。

 そのような社会に変わることが「公共の福祉」に適合するかも検討する必要がある。

 このような様々な問題を防ぐために、憲法24条1項は、法律の改正によって安易にそのような社会に変わってしまうことを防ぐために、「両性の合意のみ」と規定し、「男女二人一組」という形に限定し、立法裁量の限界を画している可能性がある。


【参考】「その子を否定する気はないですが、その環境を作ろうとする大人の価値観は理解できません。」 Twitter

【参考】「そのような子を支援するのは良いですが、その環境を作る後押しをするべきではない」 Twitter 

 

 

【動画】【木村草太教授、「同性婚札幌判決」を詰将棋で解説!!】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#72 2021/04/02


◇ 愛のための制度論


 この動画では、何度も「愛」と言っているが、宗教である。

 

10:46

 「お互いを愛する心にまったく変わりはない」


11:15

 「異性愛者と同性愛者の愛に差異はない」


 「国:異性愛者と同性愛者の愛に差異はない。」のテロップは、間違っていると思われる。「国」はそのように主張していないし、「木村草太」も「原告は」と述べている。


16:46

 「愛し合って一緒に住みたいという点では同じですから」

 「愛する心という点では違いがない」

 「愛する心は変わらないから」


23:58

 「愛し合う二人が一緒に住むために必要な制度ですから」


25:15

 「愛する心が追ってくるんですね」

 「婚姻というものは愛情に基づく親密な関係を保護するためであって、」


25:59

 「婚姻というのは、愛情に基づく親密な関係を保護する制度」


26:59

 「愛の関係では変わらないのに、」


29:58

 「愛する心と法の下の平等が結びつき」


 また、論者は「異性愛」や「同性愛」という「性愛(性的指向)」の話を前提としていたはずであるが、いつの間にか「愛する心」や「愛情」などと、「愛」の内容が拡大している。

 それでは、キリスト教の「愛」はこれに含まれるだろうか。会社の同僚との親密な関係に「愛」はないのだろうか。

 「愛」は「近親婚」を否定する理由にはならないのではないだろうか。「愛」の形は様々で、複数の者に対する「愛」を持つことも平等に保障するべきではないだろうか。「婚姻適齢に満たない者」の「愛する感情」を保障するべきではないだろうか。「婚姻適齢に満たない者」への「愛」も保障するべきではないだろうか。「愛」が失われたならば、婚姻関係は消滅するのだろうか。

 これらは法律論ではなし、婚姻制度の目的を「愛」であると断定している点で妥当でない。このような立法目的では、全体の整合性を保った形で制度を構築することができない。また、このような特定の価値観を保護するために制度を構築することは、「政教分離」に反する恐れがある。

 論者は、婚姻制度を利用する者の心意気と、法律論上の婚姻制度そのものを区別できていない。

 

【参考】「自由恋愛と謳いながら一夫多妻や小児愛、近親愛などは双方同意の上であっても許されないのは何故か?」 Twitter

【参考】「法体系は論理整合性がないと、社会の様々な問題を処理できなくなります。」 Twitter



◇ 憲法祝福論


 「婚姻」を憲法が「祝福」しているか否かという話になっている。

31:00


【動画】第3回緊急マリフォー国会(院内集会)結婚の平等を伝えよう 2021/3/25

41:49

46:42


 しかし、法律上、「婚姻」という法律関係を構成することに対して「祝福」などという概念は存在しない。

 結婚を行う際に当事者や他者から「祝福」される場合があるとしても、それは、新しい門出を祝うという文化的な慣習が存在し、それが「祝福」されているだけであり、法律上の「婚姻」そのものに「祝福」などという概念が関係することはない。

 そのため、たとえ「男女二人一組」の「婚姻」であるとしても、もともと憲法が「祝福」するなどということはない。

 ここも法律論でない話であるため注意する必要がある。



◇ 類推適用


6:48

 条文の「国民」という文言を類推適用して「外国人」にも適用する話が出ている。

 しかし、今回の事例で持ち出されている「同性愛」の思想や感情を有するいわゆる「同性愛者」であるとしても、生物学的な男女の性別(戸籍上の性別)を有している。そのため、それらの者も既に24条の「両性」「夫婦」に該当する性別を有しているのであり、それらの者に対しても、それらの者の生物学的な男女の性別(戸籍上の性別)を基にして、24条の「両性」と「夫婦」の文言は「直接適用」される事柄である。

 これにより、それらの者一人一人の存在が24条の「両性」と「夫婦」の文言に該当しない者であるというわけではなく、「類推適用」が登場する場面はない。

 論者は、「恋愛感情」や「性愛(性的指向)」が「内心の自由(思想良心の自由)」の問題であり、思想や感情の一つであり、憲法や法律上で区分された「性別」とは異なる概念であることを理解する必要がある。


【参考】「男女や性別の話が出たら今話している性別概念がsexなのかgenderなのかを先ず把握すべき」 Twitter


 「アメリカ人」と「カナダ人」の間の区別については、法律が「アメリカ人」と「カナダ人」を区別している場合の事例である。

 しかし、今回の事例では、法律は「異性愛者」や「同性愛者」やそれ以外の者など、まったく審査しておらず、区別していない。

 そのため、「アメリカ人」と「カナダ人」の事例を今回の事例に当てはめることができるわけではない。



◇ 拡張・類推解釈


9:08

 「憲法上の権利の条文」について「拡張・類推解釈」と述べているが、24条は立法裁量の限界を画する規定である可能性があり、「○○の自由」というような形で「自由・権利」を直接的に規定したものとは性質がやや異なることを押さえる必要がある。

 また、もし24条を「具体的権利」として扱うことができるのであれば、「婚姻適齢に満たない者の婚姻」や「近親婚」、「複婚」についても、制度構築を求めることができることとなる。



◇ 「同性愛者」と「異性愛者」の区別の存否

 

10:45

 「同性愛者」や「異性愛者」、「同性カップル」や「異性カップル」という言葉を用いているが、いずれも法律用語ではない。


14:44

 国の「同性愛者と異性愛者を法律は区別していない」との主張について、論者は不満があるようである。

 しかし、「性愛(性的指向)」は「内心の自由(思想良心の自由)」の問題であり、一つの思想であることを理解する必要がある。


28:56

 「同性愛者と異性愛者」と述べているが、法律は「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかを審査していないことから、区別していない。


36:45
 「同性愛」と「『同性同士の組み合わせ』を『婚姻』とすること(いわゆる同性婚)」には直接的な関係性はない。また、婚姻制度は「性愛(性的指向)」を満たすための制度であるとは特定されていない。

 ここで、論者が「同性愛者の尊厳」と述べている点については、婚姻制度の立法目的が「性愛(性的指向)」を満たすことにあるとする前提を有していなければ成り立たない考え方であることを押さえる必要がある。



◇ 「平等権」


11:54

 「平等権」の判断方法をまとめると、下記のようになる。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「平等権の判断」

① 区別の有無 … 区別があるかどうか

② 目的の正しさ … 区別があるとしたらその区別の目的が正しいかどうか

③ 目的と区別の関連性 … 目的が正しいとしてもその正しい目的に役立っているかどうか

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 この枠組み自体は良いのであるが、その後の当てはめに誤りがある。また、そもそも24条は14条の例外規定である可能性があるため、解釈において必ずこの14条が登場するわけでもないことには注意が必要である。

 

14:05

 「一方異性愛カップルの方たちは」や「同性カップルの人たちは」と言って、結論として「違いがないでしょうというところが、非常に重要な核心点」としている。

 しかし、「異性愛カップル」や「同性カップル」と、「カップル」と表現しているが、「カップル」は法主体としての地位を有しておらず、カップル間の不平等を訴えることはできない。

 また、「違いがない」と発言しているが、「違いがない」、つまり、「区別がない」のであれば、先ほど挙げた①を満たさないのであるから、「平等権」に抵触しないことになる。


 他にも、「異性愛」か「同性愛」は「内心の自由」の範囲内の問題であり、法律はどのような思想や感情、信条を抱いている者に対しても同様に婚姻制度を適用しており、異なる取り扱いをしているという事実がない。

 「異性愛カップル」と「同性カップル」との表現からは、婚姻制度は「性愛」を有している者でなければ利用できないかのような印象や、人類は常に「特定の一人」を相手として「二人一組」を形成するかことを前提している印象を受けるが、婚姻制度は「性愛」を有していなくても利用することができるし、人類は必ず「二人一組」の関係を形成するという前提も存在しない。

 そのため、そもそも「異性愛カップル」と「同性カップル」という特定の思想や感情を有する者の組み合わせのみを比較対象として取り上げていること自体が妥当でない。

 

15:55

 「その主張にその思想に何かこう差別意識のようなものはないですか」という部分であるが、論者が「同性愛」という思想や感情と、「『同性同士の組み合わせ』を『婚姻』とすること(いわゆる同性婚)」を切り分けて考えることができていないことによって、差別ではないかと受け取ってしまっているだけであり、法律上の差別そのものはない。

 その後の裁判所の判決文についても、その判決文自体が、事実誤認によって論じたものとなっている。

 

28:38

 「同性婚」だけを特別扱いすると、「分離すれども平等」の発想に陥るのではないかとの話がある。

 また、「同性愛者」と「異性愛者」の区別についても述べている。

 しかし、法律は「異性愛者」と「同性愛者」を審査しておらず、法律上で関知していない。そのため、「平等権」に抵触しない。

 また、婚姻制度は「性愛(性的指向)」を満たすための制度であるとは特定されておらず、「性愛(性的指向)」と婚姻制度の間にも直接的な関係はない。

 そのため、婚姻制度を「性愛(性的指向)」を満たすための制度であるかのような前提に基づいて「区別があるか否か」を論じようとすることは、前提を先取りしようとするものとなるため妥当でない。

 そして、そのまま「『同性同士の組み合わせ』を『婚姻』とすること(いわゆる同性婚)」を整備する話に流れていくが、現在の婚姻制度の立法目的は「性愛(性的指向)」を満たすことであるとは特定されていないにもかかわらず、これを作り替えて「性愛(性的指向)」を満たすための制度に変更しようとする意図が含まれていることに注意する必要がある。



◇ 「国の立法目的」と「個々人の利用目的」の区別


23:21
25:22

 「子供は重要な要素だけれども、それがすべてということにはなんないでしょ。」や、生殖不能によって離婚事由になるか否かを論じて、「そういう風に婚姻制度を理解するのは酷いと思う」と述べている。

 しかし、これは婚姻制度についての「国の立法目的」と「個々人の利用目的」の側面から見ていく必要がある。

 「子供は重要な要素」の部分に関しては、婚姻制度を構築する「国の立法目的」としての「子の福祉が実現される社会をつくる」などの側面と、婚姻制度を利用する「個々人の利用目的」としての「子供との間の法律関係の形成」などの側面が考えられる。

 「それがすべてということにはなんないでしょ。」の部分については、「子の福祉が実現される社会基盤をつくる」という「国の立法目的」によって規格化・一般化された形で整備された制度を、個々人がどのような利用を行うかという「個々人の利用目的」が混じり込んでいると考えられる。




 誤解を避けるために述べるが、当サイトでは、理論的な整合性を追求しているだけであり、「いわゆる同性婚」に対して賛成・反対の立場から論じているつもりはない。

 法的に全体の整合性の保たれた制度を構築できるか否かが重要な点である。それが示せない段階では正当化できない可能性があるということ指摘しているだけである。

 当サイトがこの点を厳しく指摘することができるのは、法律上の婚姻制度にどれほどの価値があるのかを問い直し、婚姻制度自体を廃止する選択肢も視野に入れた上で検討を行っているからである。

 制度を廃止したところから、ゼロから何を組み立てるかを考えると、制度を構築する上で対象となる事柄が自然に浮き出てくると思われる。その根源的な過程を通らなければ、次第に制度の全体の整合性が損なわれ、制度そのものが成り立たなくなることが考えられる。(それでも良いと考えることは可能であるが。)

 問題を解決する際に、特定の者を婚姻制度の中に取り込もうとするアプローチと、婚姻制度に含まれる優遇措置そのものを減少させ利用者の優越性を軽減させることによって、非利用者との間の不公平感を取り除くアプローチが考えられる。

 このような視点も、一度検討すると良いのではないだろうか。

 

【参考】意外と知らない…同性婚を認めることはじつは「保守的」な考えだった 2021.4.9


 この記事も、「婚姻適齢に満たない者の婚姻」や、「近親婚」、「複婚」、近親交配の抑制、未婚の男女の数の不均衡の防止などとの関係を整理できているわけではないが、視点は参考になる。

 







木村草太さんおすすめ 憲法を考える4冊 同性婚 障害者差別…「権利の実現」 知る重み 2021年5月3日


 「まずは、同性婚について。今年三月十七日、札幌地裁が、民法・戸籍法が異性婚と同性婚を不平等に扱うことを違憲とし、大きな注目を浴びた。同性愛差別の歴史は長い。」との記載がある。


 まず、「札幌地裁が、民法・戸籍法が異性婚と同性婚を不平等に扱うことを違憲とし、」の部分であるが、札幌地裁判決はそのように述べているわけではない。それは論者の婚姻制度に対する独自の見解であり、札幌地裁の判決文の内容を読み取ったものではない。


【参考】「『別の手段は差別』って何の根拠があって言ってんの?」 Twitter


 また、法律論としては札幌地裁判決の内容には整合性の乱れが存在することを指摘する必要があり、これを覆い隠すような態度をとるようなことがあってはならない。

 次に、「同性愛差別の歴史は長い。」の部分であるが、婚姻制度と「性愛(性的指向)」の間には直接的な関係性がないにもかかわらず、これを結び付けて論じようとしており妥当でない。



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 東京都立大の木村草太教授(憲法)は、法律婚には子どもを産み育てる「生殖関係の保護」だけでなく「親密関係の保護」の効果があると指摘。「同性間でも親密関係は成立し、区別を設ける合理的な理由はない」として、同性婚を認めない民法は違憲と分析する。


 札幌地裁は違憲判断の一方で国が立法を怠っていたとはせず損害賠償請求は退けたため、原告は控訴。東京、名古屋、大阪、福岡の4地裁でも同種の訴訟が続く。木村教授は「憲法は差別に苦しむマイノリティーの人たちが生きやすい社会にするための武器。適切に解釈して権利を広げていくべきだ」と話している。

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同性婚実現、憲法に希望 2021/5/3


 まず、「法律婚には子どもを産み育てる『生殖関係の保護』だけでなく『親密関係の保護』の効果があると指摘。」との部分について検討する。

 婚姻制度を構築する「立法目的」は下記が欠くことのできない重要な要素となっていると考えられる。


◇ 「子の福祉」が実現される社会基盤を構築すること

◇ 「近親交配」によって遺伝的な劣勢を有する個体が高い確率で発現することを抑制すること

◇ 未婚の男女の数の不均衡を防止することで「子を持つ機会に恵まれない者」を減らすこと

◇ 母体を保護すること


 論者のいう「生殖関係の保護」と「親密関係の保護」という内容では、「近親婚」や「複婚」を許容することになるため、現在の婚姻制度がこれらを許容していないこととの整合性が保たれておらず、妥当でない。

 「同性間でも親密関係は成立し、区別を設ける合理的な理由はない」との部分であるが、「親密関係」というだけでは「友情」や「絆」などで結ばれたと主張する関係も含まれてしまうのであり、法律上で婚姻制度を設けている趣旨を適切に捉えたものとは言えない。

 「同性婚を認めない民法は違憲と分析する。」との部分であるが、論者の「生殖関係の保護」と「親密関係の保護」という立論からは、同様に「婚姻適齢に満たない者の婚姻」や「近親婚」、「複婚」を認めない民法は「違憲」と導かれてしまうため、妥当でない。(それで良いと考えることは可能であるが、現在の民法からかけ離れたものに変わってしまう主張であることに注意が必要である。)

 

【参考】「俺は妹のことが好きだから社会が近親婚に寛容になってほしいし、できることなら祝福されたい。」 Twitter

 

 「憲法は差別に苦しむマイノリティーの人たちが生きやすい社会にするための武器。」との記載がある。

 しかし、14条が「差別」を禁じているのは、「法的な」差別取扱いであり、「法的」でないものについては対象外である。

 

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 1 憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定が,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。

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損害賠償請求事件  最高裁判所大法廷 平成27年12月16日 (PDF) (再婚禁止期間違憲訴訟)


 また、婚姻制度そのものはどのような個々人でも民法上の消極要件に該当しない限りは利用することができるのであり、そこに差別的な取り扱いがあるわけではない。
 単に「差別に苦しむ」という者がいるとしても、それが「法的な」差別でないのであれば、法律を用いて救済することはできない。(筆者も救われることを望むが、法律論としては踏み込めない領域があることを弁える必要がある。)


【参考】「憲法は少数者だから保護するというものでしたっけ…?」 Twitter

【参考】「婚姻による法的な優遇を得る為に同性婚を求めているのであれば 差別とは関係ないです」 Twitter

【参考】「反差別と結婚は相性が悪い気がする」 Twitter


 「適切に解釈して権利を広げていくべきだ」との記載がある。

 まず、「適切」さについては、「立法目的」とその「達成手段」の当否を論じる必要がある。

 次に、「権利を広げていくべきだ」については、「人権相互の矛盾衝突を調整する実質的公平の原理(公共の福祉)」による最大限の調整を行うことは可能であるが、一方の権利をむやみに広げることができるわけではない。


【参考】「近親婚と重婚を同性婚と」…「採用した時に起こりうる悪い方の結果が人権に反してしまう」 Twitter




〇 憲法学者「志田陽子」


同性婚を認めないのは、なぜ「違憲」なのか 札幌地裁判決の読み方と「24条」のこれから 2021年04月23日


    【2ページ目】


 こちらの記事のA・B・Cの考え方は、下記のようにまとめることができる。


━━━━━━━━━━━━━━

A → 禁止説・権利侵害説


B → 要請説


C → 立法裁量説

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 しかし、これ以外の分類もある。

 例えば、憲法42条は「衆議院」と「参議院」を想定している。


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第四十二条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。

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 そのため、「国会」の中に「枢密院」を入れる法律を立法することは42条に反して違憲となると考えられる。
 この読み方は、「立法裁量の限界を画するもの」という考え方であり、A・B・Cのいずれとも異なる。


 これと同様に、憲法24条1項の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」の文言は、「立法裁量の限界を画するもの」である可能性がある。

 これによれば、「両性」「夫婦」の文言を満たさない組み合わせについては「婚姻」とすることができないと考えられる。



    【3ページ目】


 「札幌地裁判決は、14条については、『14条が禁止している差別が起きている』ということで『A』、」との記載がある。

 しかし、札幌地裁判決は「同性愛者」と「異性愛者」という二分論を用いて論じようとしているが、法律上は「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかを審査していないのであるから、「区別取扱い」がなされている事実はない。

 そのため、「14条が禁止している差別が起きている」との認識が事実誤認である。

 そのことから、14条による「平等権」違反を主張することはできない。つまり、「A」とすることも誤りとなる。

 「そして24条については『C』の見解をとっている。」との記載がある。

 しかし、札幌地裁判決は、24条1項について、「同条1項はその裁量権の限界を画したものと解される」(18ページ、9~10行目)と示している。そのため、先ほど述べた「立法裁量の限界を画するもの」という考え方を採っている。


 そして、札幌地裁判決は、下記のように述べている。


◇ 「憲法24条1項は『両性の合意』,『夫婦』という文言を,また,同条2項は『両性の本質的平等』という文言を用いているから,その文理解釈によれば,同条1項及び2項は,異性婚について規定しているものと解することができる。」

◇ 「同条が『両性』,『夫婦』という異性同士である男女を想起させる文言を用いていることにも照らせば,同条は,異性婚について定めたものであり,同性婚について定めるものではないと解するのが相当である。」

◇ 「同条1項の『婚姻』とは異性婚のことをいい,婚姻をするについての自由も,異性婚について及ぶものと解するのが相当である」


 このことから、1項は「男女の組み合わせによる婚姻(ここでいう異性婚)」を定め、「その裁量権の限界を画したもの」ということになる。

 よって、札幌地裁判決は24条解釈について「C」の見解ではない。


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この「C」のロジックを読み誤ると、「同性婚を認めていない現行の制度は24条違反とは言えない」と言っている部分が、「24条は同性婚の制度化を認めていない」と読めてしまい、ここから「札幌地裁判決の14条の解釈と24条解釈とは衝突・矛盾している」と読めてしまい、さらにここから「同性婚の制度化を実現するには24条の改正が必要」という話になりかねない。

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 上記の記載があるが、札幌地裁判決は24条1項について「同条1項はその裁量権の限界を画したものと解される」としているのであるから、ここでいう「C」の「立法裁量説」ではなく、「立法裁量の限界を画するもの」という見解を採っている。

 そのため、「この『C』のロジックを読み誤ると、」の部分は、札幌地裁判決の内容を「C」の「立法裁量説」であるとする前提に立ったものであり、誤っている。札幌地裁判決は、24条1項を「裁量権の限界を画したもの」としているのである。


 「『24条は同性婚の制度化を認めていない』と読めてしまい」の部分であるが、札幌地裁判決は24条1項を「裁量権の限界を画したもの」としているのであるから、「『24条は同性婚の制度化を認めていない』と読めてしま」うことになるという指摘はその通りである。


 「ここから『札幌地裁判決の14条の解釈と24条解釈とは衝突・矛盾している』と読めてしまい、」の部分について検討する。

 これについて、そもそも札幌地裁判決が自然人を法律上の区分でない「異性愛者」と「同性愛者」という二分論で論じ初めていることが誤りなのであり、立論の過程が誤っているのであるから、その誤った前提を基にして導き出された14条に違反するという結論も正当化することはできない。

 そのため、「14条の解釈」と「24条解釈」とが「衝突・矛盾している」か否かを論じる以前に、解釈の過程と結論の不当性を指摘しなければならないのであり、この誤った前提に基づいて導き出された結論部分のみを取り上げて、その「衝突・矛盾」の存否や当否を論じることはできない。


 「『同性婚の制度化を実現するには24条の改正が必要』という話になりかねない。」との部分であるが、札幌地裁判決が24条1項を「裁量権の限界を画したもの」と示している以上は、改正が必要となることは当然に考えられる。

 

【参考】「『同性婚』が現憲法が定義する『婚姻』を同性同士がすることと定義するなら、同性婚には改憲が必要」 Twitter


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 札幌地裁判決の24条理解は、Cで読まないと、たしかに14条と矛盾してしまう。その意味では、この判決は、14条によって24条の解釈を一定方向に限定した、と言える。つまり、24条は同性婚の制度化を禁止・排除している、という理解だけは、14条との関係において封じられたことになる。今回の札幌地裁判決は、個別具体的な制度のあり方については国会の議論に譲りつつ、一方で「同性カップルを制度から排除してはいけない」という大原則によって、今後あるべき議論に立憲的な枠づけをした、と言えるのである。

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 上記について、検討する。
 「札幌地裁判決の24条理解は、Cで読まないと、たしかに14条と矛盾してしまう。」との部分であるが、札幌地裁判決は、24条1項を「C」の「立法裁量説」ではなく、「裁量権の限界を画したもの」としている。そのため「C」で読むことはできない。「14条と矛盾してしまう。」の部分については、もともと「異性愛者」と「同性愛者」という法律上の区分でない分類に基づいて論じた点で、すべての整合性がとれなくなっていることが原因である。このような整合性の保たれていない文章は、「法の支配」「法治主義」を逸脱し、恣意的な権力行使を招くこととなるから、単に、その不当性を指摘する必要がある。これを無視して判決の内容を取り繕おうとすることは、「法の支配」「法治主義」の逸脱を支持することとなり、法律論としては正当化できる主張とはならない。

 「この判決は、14条によって24条の解釈を一定方向に限定した、と言える。」であるが、判決の内容は単に法律論でない区分に基づいて当事者を分類するという誤った前提に立ったことによって、論理的整合性がとれなくなっているだけである。そこに何らかの意図を見出そうとすることは、「法の支配」「法治主義」を逸脱する形での国家権力の行使を支持しようとするものとなるため、法律論として妥当でない。そのような誤った内容の判決文から何らかの意図を読み出そうとすることは、法律論を離れた政治的な態度に陥ることとなる。

 「24条は同性婚の制度化を禁止・排除している、という理解だけは、14条との関係において封じられたことになる。」との部分であるが、札幌地裁判決は24条1項を「裁量権の限界を画したもの」と示しており、その規定に反する法律を立法することはできないのであるから、「禁止・排除している」ことと結論は同じである。「14条との関係」については、「区別取扱い」がないものを法律上の区分ではない「異性愛者」と「同性愛者」に二分して「区別取扱い」があると論じる誤った前提に基づいて14条違反を認定しようとするものであり、そもそも正当化することはできない。「封じられたことになる。」の部分であるが、札幌地裁判決は論理的整合性が成り立っていないため、何かを封じるものとなっているわけでもない。

 「今後あるべき議論に立憲的な枠づけをした、と言えるのである。」との部分であるが、そもそもこの札幌地裁判決自体が、法律論として誤っており、「法の支配」「法治主義」の理念を逸脱しているのであるから、「立憲的な枠づけ」は行われていない。むしろ、法律論として論理的整合性が保たれておらず、内容に誤りが存在することから、「立憲的な枠づけ」を損なっているとさえ評価することができる。



    【4ページ目】


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 「憲法に書いていないから認めない」とわざわざ閉じた読み方をし続けることに、いま、国として正当な理由があるとかどうか。このとき、24条の「両性」という言葉が「男女」の異性カップルを指す言葉である、という読み方に、変えてはならない立憲的な「硬さ」を見るべきだろうか。

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 上記であるが、国が婚姻制度を構築する立法目的の中には、父親を極力特定することによって「近親交配」に至ることを抑制しようとする趣旨が含まれていると考えられる。この観点から「男女二人一組」としていることには一定の合理的な理由があると考えられる。ここに「両性」の文言を憲法規定として設けている意図がないかを検討する必要があると考えられる。


 「24条は、家制度のもとでの強制結婚を克服するために設けられた。」との部分について、これは立法過程で憲法上に24条が設けられた意図を論じるものではあるが、婚姻制度そのものを構築する趣旨・目的そのものを論じるものではない。婚姻制度そのものを構築する趣旨・目的には、生物学的な父親を極力特定することによって遺伝的な関係性を把握し、「近親交配」に至ることを抑制しようとする趣旨が含まれていると考えられる。これこそが婚姻制度の「ブレさせてはならない『硬い部分』」と見ることが可能である。

 むしろ、「強制結婚を克服する」という視点は、「克服」する以前についても以後についても、婚姻制度の存在を前提とする主張なのであり、その婚姻制度を構築する趣旨・目的が生物学的な父親を極力特定することによって遺伝的な関係性を把握し、「近親交配」に至ることを抑制することにあるとすれば、それを損なわせる形で婚姻制度を改変することはできないという限界がその主張の中に内在的に含まれている。

 そのため、そこを無視して立法過程での「強制結婚を克服するため」という一面的な意図によって、婚姻制度を構築する趣旨・目的と考えられる生物学的な父親を極力特定することによって遺伝的な関係性を把握して「近親交配」に至ることを抑制しようとする趣旨を損なう可能性のある形に、婚姻制度の仕組みを変更するように求めることができるわけではない。

 そのことから、24条が「両性」「夫婦」「相互」の文言を用いている意図には、婚姻制度の形を「男女二人一組」の形に限定している可能性を検討する必要がある。


 「これと同様に、24条の『両性』も、包摂的な理解を採ることは可能であり、」との部分であるが、婚姻制度そのものを構築する趣旨・目的を検討せずに、単に条文の解釈方法の拡張性を主張することが正当化されるわけではないことに注意が必要である。

 




【東京二次・第3回】被告第2準備書面 令和3年11月30日 PDF (P18~)

 


    【5ページ目】


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 言い方を変えれば、法律婚による利益に歩み寄りすぎる結果、法律婚を選択しない人が不当な不利益を飲まされる流れにならないように、という目配りも、今後の制度化の中で留意していく必要があるということだ。

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 上記の記載であるが、その通りである。

 婚姻制度を構築する趣旨・目的の対象外となっている者は、何らの優遇措置も与えられないことになるが、婚姻制度の優遇措置は婚姻制度の趣旨・目的を達成するために必要となる妥当な範囲に留まっている必要がある。

 婚姻制度を利用する者に対して、婚姻制度を構築する趣旨・目的との間で整合性がとれないような過大な優遇措置を与えるようなことがあってはならないと考えられる。

 その婚姻制度を利用する者と、婚姻制度を利用しない者との間の不公平感を取り除くためには、婚姻制度を構築する趣旨・目的を特定し、婚姻制度の形がその趣旨・目的を達成するための手段として妥当な範囲に留まるか否かを審査していくことが必要となる。そのため、違憲審査基準を確立していくことも一つの方法である。

 婚姻制度を構築する立法目的として欠くことのできない要素は、下記があると考えられる。

 

◇ 「子の福祉」が実現される社会基盤を構築すること

    (→ 達成手段:嫡出子として生まれることの重視)

◇ 「近親交配」によって遺伝的な劣勢を有する個体が高い確率で発現することを抑制すること

    (→ 達成手段:父親の特定と近親者の特定)

◇ 未婚の男女の数の不均衡を防止することで「子を持つ機会に恵まれない者」を減らすこと

    (→ 達成手段:複婚や複婚状態の防止・一夫一婦型)

◇ 母体を保護すること

    (→ 達成手段:婚姻適齢)


 これら根幹となっている「立法目的」と、それを達成するための手段の当否を論じていくことで、違憲審査基準を導き出すことができると考えられる。


 「自分の意思では変えられない生まれつきの属性(今回の場合は性的指向)によって人を差別してはならない、という考え方をベースにしている。」との部分であるが、法律上は個々人がどのような「性的指向」にあるかを審査していないし、婚姻制度は個々人がどのような「性的指向」を有していようとも利用することができるのであり、法律上の「差別」そのものはない。法律上の「差別」の存否と、社会的・文化的な「差別」を区別して考えることが必要である。


 「24条は、すべての当事者にとって重要な自己決定である婚姻について、その『自由』を平等に保障する規定と読む解釈が、可能となるはずである。」との部分であるが、繰り返しになるが、婚姻制度は婚姻制度の消極要件に該当しなければ誰もが利用することができる。そのため、その具体的な制度の範囲で「『自由』を平等に保障する規定」として機能しているのである。


 「裁判所が『違憲である』と宣言することは、市民社会に対しても政治に対しても大きなインパクトを持つ。」との部分であるが、札幌地裁判決の内容は論理的整合性がなく、法律論を超え、司法権の範囲を超え、違法な内容であると考えられる。



【動画】「同性婚訴訟から考える憲法」志田陽子さん(武蔵野美術大学 教授) 2020/5/3


27:32

 14条の「国民」の文言を「外国人」にも適用できるとする事例を取り上げて、「両性」を「同性同士」にも適用できるのではないかという議論が出ている。

 ただ、ここでも「外国人」に対する14条の適用は「権利の性質上可能な限り」で保障されるとしていることと同様に、「婚姻」の趣旨・目的を検討した結果として、「同性同士の組み合わせ」については「婚姻」とできない可能性がある。(債権契約や不法行為等は民法1条1項・3項、同90条の範囲であれば可能である。)
 また、ここでは「同性同士」しか対象としていないようであるが、「両性」の意味が「男女二人一組」に限らないとした場合に、「三人以上の複数人」についてもここに当てはまると解釈するのか否かも明確にする必要がある。


【参考】「『性別を問わず一対一』にする理由は何か、を考える必要がある。」 Twitter


 もう一つ、「両性」の文言について議論されているが、24条1項には「夫婦」の文言も存在することを忘れてはならない。


【参考】「両性を両者と読み替えても、直後の夫婦という言葉は同性には成り立たない」 Twitter


 「人権保障を必要としている人が現実に今いる。その人たちに応える仕事をするのが国なんだ、って考えたときに」との発言がある。

 ただ、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」として許容した場合に、婚姻制度を構築することによって極力父親を特定することで「近親交配」に至ることを防ごうとした意図が損なわれることが考えられる。この結果が、遺伝的な劣勢を有する虚弱体質の個体が高い確率で発現するなど、国民にとっての権利・利益を損なわせる場合が考えられる。

 他にも、「女性同性婚」を形成して子供を産む者が増えると、未婚の男女の数の不均衡が発生することが考えられる。この結果が、「子供を持ちたくても持つ機会に恵まれない者」が増えることが考えられ、国民の権利・利益を損なうことが考えられる。

 そのため、婚姻制度の趣旨・目的との整合性を検討しない中に、一方の権利侵害のみを主張して制度を改変することが許されるわけではない。


【参考】「近親婚と重婚を同性婚と」…「採用した時に起こりうる悪い方の結果が人権に反してしまう」 Twitter

 

43:14

 13条の「個人の尊重」によって、24条の「個人の尊厳」にリンクする話であるが、この考え方を採るとすれば「婚姻適齢に満たない者の婚姻」や「近親婚」、「複婚」も許容するつもりがあるのだろうか。

 物事の断片を取り上げて当事者の権利を救済できるかのような錯覚に陥ってはならないと考える。学者であれば、制度の網羅的な整合性を検討する必要がある。


【参考】「一夫(妻)多夫(妻子)さえ、希望者が幸福権の追求と非差別を盾に、法の元の平等を言い募る」 Twitter

【参考】「同性婚が合法であれば、今は想定もされぬ戸籍上の父と息子の婚姻は、如何なる事由で退けられるのか」 Twitter

【参考】「何がどう抵触するか、一々の訴訟に堪えられる法としての堅牢さを」 Twitter

【参考】「同性親族同士が抱えるカネにまつわる動機等は、現行民法により排除せよ、との、不平等極まる処遇を、『支障はない』とする、貴殿の考える合理的根拠を問うた」 Twitter

 

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 また,婚姻及び家族に関する事項は,法制度のパッケージとしで構築されるものにほかならず(最高裁令和3年決定の深山卓也裁判官,岡村和美裁判官及び長嶺安政裁判官の共同補足意見参照。),法制度としてその全体が有機的に関連して構築されているものであるから,法制度の一断片のみを取り出して検討することは相当ではない。そのため,その検討に当たっては,問題となっている事項が,夫婦や親子関係についての全体の規律の中でどのような位置づけを有するのか,仮にその事項を変更した場合に,法制度全体にどのような影響を及ぼすのかといった点を見据えた総合的な判断が必要とされるものである(畑佳秀・最高裁判所判例解説民事篇平成27年度〔下〕 755 及び756ページ)。

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【九州・第6回】被告第4準備書面 令和3年10月29日 PDF (P21)

 

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 なお,「婚姻及び家族に関する事項は,法制度としてその全体が有機的に関連して構築されているものであるから,法制度の一断片のみを取り出して検討することは相当ではな」く,「問題となっている事項が,夫婦や親子関係についての全体の規律の中でどのような位置付けを有するか,仮にその事項を変更した場合に,法制度全体にどのような影響を及ぼすのかといった点を見据えた総合的な判断が必要とされるものである」(畑・前掲解説民事篇平成27 年度〔下〕 756 ページ)……(略)……

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【九州・第6回】被告第4準備書面 令和3年10月29日 PDF (P54~55)





〇 その他
 

【参考】【橋本琴絵】同性婚「だけ」を認めることの差別主義【橋本琴絵の愛国旋律⑯】 2021年3月18日

【橋本琴絵】同性婚「だけ」を認めることの差別主義【橋本琴絵の愛国旋律⑯】 2021年3月18日)


 上記の内容は、全面的に賛同できるというわけではないが、整合的な婚姻制度を考える上で必要な視点と思われる。

 記事中の「その中で、前掲した民法上の婚姻禁止条項のほか、法人との婚姻、死体との婚姻、動物との婚姻など、ダムが決壊するがごとく様々な形のものがあふれ出て公秩序に多大なる影響を与える蓋然性を否定できない恐怖がある。」との部分について、認識を整理する。


 まず、「死体との婚姻」であるが、民法上の法主体としての地位を認められている自然人の有する「権利能力」は、「出生(民法3条)」によって始まり、「死亡(通説)」によって終わる。


民法

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    第二章 人

     第一節 権利能力

第三条 私権の享有は、出生に始まる

2 外国人は、法令又は条約の規定により禁止される場合を除き、私権を享有する。

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権利能力(権利能力の終期) Wikipedia

 

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○政府委員(工藤敦夫君) 

(略)

 民法は、権利能力については出生に始まり死亡に至るまでということでございますが、満二十年をもって成年とすると。……(略)……

(略)

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第116回国会 参議院 予算委員会 第3号 平成元年10月24日


 そのため、「死体」は、既に死亡していることから、民法上で「権利能力」を有する法主体として認められておらず、「死体」との間で婚姻関係を結ぶことはできない。


 次に、「動物との婚姻」であるが、「動物」は民法上の客体である「物」に該当する。(『主体』は『人〔自然人・法人〕』である。)


物 (法律) Wikipedia


 そのため、「物」は民法上で「権利能力」を有する主体としての地位を認められておらず、権利・義務を構成すること(結び付けること)ができないことから、「動物」との間で婚姻関係を結ぶことはできない。


 三つ目に、「法人との婚姻」であるが、「法人」は民法上の「主体」としての地位を認められていることから、「権利能力」を有している。そのため、「法人」については、「死体」や「動物」に比べて民法上は「自然人」に近い関係にある。このことから、法制度を変更することによって「婚姻」が可能となる余地は、「死体」や「動物」に比べて見出しやすい。



 今回の判決の内容の不備があると考えられる部分は、この論点に関連性がある。

 今回の判決は、法律論としてこの「権利能力」を有する法主体を単位として当事者を分類するのではなく、「異性愛」や「同性愛」という特定の思想や感情を抱くか否かによって当事者を「同性愛者」と「異性愛者」に二分し、それを基にして法律関係を論じようとしているのである。

 また、「異性愛カップル」や「同性愛カップル」という民法上の法主体としての地位を有しない区分を用いて論じようとしているのである。
 これは、民法上の「法主体」の概念を正確に理解できていないままに判決が下されたものであり、法律論上の整合性が保たれていない。



 その他、この記事の「同性同士の組み合わせ」を婚姻として認めることができるか否かを検討している部分については、婚姻制度が立法された趣旨・目的に照らし合わせて、全体の整合性を保つことのできる範囲であるか否かを検討することによって導き出される必要があると考えられる。

 

 政治的な当否の部分ではなく、法律論の部分でいくつか参考になる視点がある。

 

【参考】同性パートナーシップという差別政策(橋本琴絵) 2021.05.20