9条解釈




政府解釈


 政府解釈
確認する。



政府の9条解釈の基本


〇 「侵略戦争」と「自衛戦争」の二分論


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○佐藤政府委員 これは憲法の九条の中で第一項と第二項とをわけて考えなければならないことだろうと私ども思つております。この第一項の方だけを見ますと、「国際紛争を解決する手段としては」という条件を大きく掲げております。その「国際紛争を解決する手段としては」ということはどういうことをいつておるだろうかということは、当時から研究の対象であつたわけでありますが、われわれといたしましては、そのころから、また今日に至るまで、今お言葉にありましたように、主として侵略戦争を放棄しておるのだろう、侵略の手段としての戦争を禁止しておるというのが、第一項の主眼であるというふうに考えて来ております。従いまして第一項だけから言いますと、自衛戦争というものには全然触れておらないのみならず、もちろん自衛権も否定しておらない。ところが今度は目を移しまして第二項の方を見ますと、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」こう書いてあるわけであります。そこで芦田説とか佐々木説とかいわれますところの先生方のお考えと、われわれの考え方とのわかれ道がそこへ出て来るわけであります。われわれとしても、これは憲法制定の当初から第二項というものは、侵略戦争のためはもちろんのこと、自衛戦争のためでもこの戦闘力というものは放棄しておるのだ、戦力というものは放棄しておるのだという考え方で来ておりますから、従つて第一項の表では自衛戦争は認められておるような形になつても、第二項の関係から、そのための有力な手段を否定されておる。あるいは交戦権という法律上の手段も否定されておる。従つて金森さんも言つておりましたように、りつぱな戦争の形のものができないということを言葉で表わしておりました。そういう気持で今日までおるわけでございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第19回国会 衆議院 外務委員会 第1号 昭和28年12月11日

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○佐藤(達)政府委員 河野委員のお言葉のうちの五分の一ぐらいは同感でございます。ただ全体といたしまして、ただいまばらばらとおつしやいましたけれども、私どもはばらばらとは考えておりませんので、一通り今のお話の筋をたどつて申し上げますと、この御指摘の第九条は、おつしやる通り、これは国際紛争解決の手段として一切の武力を用いてはならないというふうに禁じておるのでありますから、第一項だけを見ますと、学者も言つておりますように、自衛権は全然否定されておらない、のみならず第一項だけを見ると、自衛戦争も否定されてはおりません。これは憲法制定の審議の際に、政府当局もそう言つて答えております。第一項に関する限りにおいては、自衛権自衛戦争すらも禁止せられておらない。しかし眼を転じて第二項を見ますと、ここに戦力の否定と、それから今お言葉にありました交戦権の否定と二つある。これは何のためかということは、結局この第一項の侵犯の具に供されないように、第二の備えとしてここに戦力の否定交戦権の否定をきめておるのである。従いましてこの戦力の否定は第一項の目的のためであろうと、あるいは自衛の目的のためであろうと、あるいはまた治安維持という名目のものであろうと、一定規格の強さを持つた闘争力というものは一切いけないというのが、私はこの戦力の否定の趣旨であろうと思います。それから次には、ものの具体的な力の方から押えておるとともに、次には今お言葉にありましたように、今度は交戦者の立場としての具体的権能の行使の場面から一定の制約を加えておる、五分の一と申し上げたのはその点であります。それも憲法制定のときから政府が一貫してお答え申し上げておるところであります。

 そこで今度はそれを裏を返すわけでありますが、第一項においては、自衛権は否定されておらない。それから第二項において戦力に達しない実力を持つことは否定されておらない。従つて戦力に達しない実力をもつて国内の治安維持に当るということは当然許されますし、またそれによつて直接侵略に対抗するということも、当然戦力に達しない限りにおいては、その規模のものを持つことは許される。しかし先ほどのお言葉のように、交戦権の制約はございますから、自由奔放の戦争の姿はできないという結論になるわけであります。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第19回国会 衆議院 外務委員会 第20号 昭和29年3月19日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○政府委員(角田礼次郎君) 御指摘のように、各国の憲法の中でいわゆる侵略戦争の放棄ということをうたった規定が多々あることは御指摘のとおりだと思います。むろんわが国においても、そういう意味の侵略戦争が放棄されておるというか、禁止されておるわけでありますが、しかし、その反語として、直ちにわが憲法においていわゆる自衛戦争が許されるというような言い方は、政府としてはしていないわけであります。自衛権の行使という場合においても、わが国は御承知のような憲法の上では自衛のための必要最小限度の実力行使しかしない、専守防衛とかそういうふうなことばで言われることもあります。
 それからまた自衛のための措置として、私どもは必要な実力組織を保有することは必要最小限度で許されると言っておりますが、これまた自衛のためであればどのような実力組織を持つことも許されるというような、そういうほかの国の何といいますか、実力組織の保有のしかたとは違うわけでありまして、憲法上の制約としては最小限度のものでなければいけない。たとえば、先ほど防衛庁長官から御説明申しましたようないろいろな、徴兵制であるとか、海外派兵ができないとか、あるいは侵略的、攻撃的な脅威を与えるような兵器は持てないとか、そういう意味におきまして規範的な拘束力があるわけでございますから、単に各国の憲法と比較しまして、各国の憲法ではそういう意味の規範がないという意味におきまして、私どもはやはり質的に違っているというふうに考えております。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第71回国会 参議院 内閣委員会 第29号 昭和48年9月18日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○政府委員(角田礼次郎君) 私どもは自衛戦争はできないと思っておりますし、また、自衛戦争ということばをお使いになる方がどういう意味で使っているか確実には言えませんけれども、しかし、外にあらわれた形では、私どもは、たとえば一般に自衛戦争の場合にはおそらく国際法上の交戦権というようなものもできるでしょうし、それから、場合によっては相手国に対して相手国の領域に進んで兵力を派遣するという、いわゆる海外派兵もできるのだろうと思います。しかし、われわれはそういうことはできないと言っているわけですから、そういうような意味で、海外派兵というような一つの例をとってみても明らかに外にあらわれた形において違った現象があると思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第71回国会 参議院 内閣委員会 第29号 昭和48年9月18日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○角田(禮)政府委員 外国の憲法との比較でございますが、端的に申し上げて、外国の憲法の中にも侵略戦争の放棄というような規定を持っているものがございます。しかし、わが国の憲法は、九条の解釈としてはそれのみにとどまらないわけであります。外国では、侵略戦争は放棄しているけれども自衛戦争は反対にできると考えていると思います。しかも、その自衛戦争というのが、先ほど来申し上げているように自由な害敵手段を行使することができるということを前提として、交戦権もあり、またわれわれができないと言っている海外派兵もできるだろうし、またわれわれが持ち得ないというような装備というものも持ち得るというふうに解されていると思います。およそそういうことは外国の憲法では制限されていないと思います。ところが、わが国の憲法におきましては、再々申し上げているとおり自衛のためといえども必要最小限度の武力行使しかできませんし、またそれに見合う装備についても必要最小限度のものを超えることはできないという九条二項の規定があるわけでございますから、これは明らかに外国の憲法とは非常に違うと思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第96回国会 衆議院 内閣委員会 第18号 昭和57年7月8日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○大出政府委員 憲法の解釈にかかわる問題でございますので、まず私の方から申し上げさせていただきたいと思いますが、憲法九条の一項というものは、これは戦争を放棄しておる、こういうことでございますけれども、我が国を防衛するための自衛権の行使、こういうものまで否定をしているものではない、こういうことであります。
 先ほど三つのタイプに分けてお話がございましたが、いわゆる自衛戦争侵略戦争、それから制裁戦争というおっしゃり方をなさったわけでありますが、我が憲法九条というのは、我が国を防衛するために必要最小限度の実力を行使する、こういうことが認められておる、こういうことであります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第131回国会 衆議院 予算委員会 第1号 平成6年10月11日
 



 

 

 日本国憲法の「三権分立」と「外敵を防ぐ」作用に関する国会答弁を確認する。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
政府委員(佐藤達夫君) ……(略)……要するに今の国の作用というものを三つに分けるという、いわゆる三権分立の一般の分類を今の憲法においてとつておりますからして、こういう、即ち外敵を防ぐとかいうようなことが国の作用として許されておるという前提をとりますならば、その作用は立法にあらず、司法にあらず、それは行政の作用であろうということが言い得ると思います。それが一体許されておるかどうかという問題に触れなければなりませんが、これは非常に現実具体的な形では今まで出ませんでしたが、例えばこの憲法ができます際の帝国議会の審議の際において、この憲法は一体無抵抗主義であるのかという御質問が貴族院でありました場合に、決して無抵抗主義ではございませんということを言つておるわけであります。外敵に対して一応許された範囲においての抵抗というものはあり得ることを前提としておりますと答えておるわけでございますからして、できたときの趣旨から言つても、そういうことはあり得るという前提で参つておりますからして、そういうことは今の三つの権力に分けて分類すれば、行政権であろうということが言えると思うのです。ただ、憲法が違つた形でできておつて、仮にいわゆる四権の一つとしての統帥権というものを憲法が作れば、これは憲法を作るその政策の問題としては考え得られますけれども、とにかく三権ということで行つております以上は、その実体は行政権であり、行政作用であろうということであります。(略)………
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
政府委員(佐藤達夫君) ……(略)……今の行政権についてのお言葉でございますが、この問題はもう少し掘下げて考えてみますというと、一応は私は国を守る作用ということは、結局今の内乱が起つた場合に、その内乱を抑える、それを防ぐというような作用というものとは、根本性質は同じものであろうと思いますからして、これをよそから眺めた場合には、要するに立法権でないことは明瞭、司法権でないことは明瞭ということで、一応行政権でございますと答えておるわけでございます。この限りにおいては、その本質をつかまえて言えば、行政作用であることはどうも誤まりないように思います。……(略)………
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第19回国会 参議院 法務委員会 第35号 昭和29年5月13日



 


〇 9条1項

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○政府委員(佐藤達夫君) 

(略)

国際紛争の問題でありまして、第九条の第一項においては、お言葉にありましたように、国際紛争解決の手段として武力行使等を許さない、その趣旨はこれはずつと前から政府として考えておりますところは、他国との間に相互の主張の間に齟齬を生じた、意見が一致しないというような場合に、業をにやして実力を振りかざして自分の意思を貫くために武力を用いる、そういうことをここで言つておるのであつて、日本の国に対して直接の侵害が加えられたというような場合に、これに対応する自衛権というものは決して否定しておらないということを申しておるのであります。その趣旨は、私は今のお言葉にも出て来ましたように、恐らく突如として敵が日本に攻め込んで来るということはむしろ例外の場面であつて、何か初めにいざこざがあつて、そうしてそのいざこざのあげくに向うから手を出して攻め込んで来るという場合に、これが常識上普通の場合だ。いざこざがあつて向うから手を出して攻め込んで来た場合に、一体日本がそれを迎え撃つということが国際紛争解決の手段として武力行使になるかどうかと申しますと、それはならないと考えるべきであろうと思います。即ちいざこざが前にあろうとなかろうとこちらから手を出すのは、これは無論解決のための武力行使になりますけれども、いざこざがあつて、そうして向うのほうから攻め込んで来た場合、これを甘んじて受けなければならんということは、結局言い換えれば自衛権というものは放棄した形になるわけです。自衛権というものがあります以上は、自分の国の生存を守るだけの必要な対応手段は、これは勿論許される。即ちその場合は国際紛争解決の手段としての武力行使ではないんであつて、国の生存そのものを守るための武力行使でありますから、それは当然自衛権の発動として許されるだろう、かように考えておるのであります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第19回国会 参議院 法務委員会 第35号 昭和29年5月13日

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○大村国務大臣 

(略)
 二、憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。一、戦争武力の威嚇武力の行使放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。二、他国から武力攻撃があつた場合武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第21回国会 衆議院 予算委員会 第2号 昭和29年12月22日

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○高辻政府委員 あまり私が長く時間をとるのもどうかと思いますので、筋道だけを申し上げたいと思います。

 大体憲法九条の考え方としては、これは何べんも申し上げていることで重ねて申し上げるのも申しわけないのですが、憲法九条の一項というのは、まさに国際紛争を武力で解決することはいけないということがきわめて明瞭にあらわれておるわけであります。したがって国際紛争があれば、それは平和的に解決しろ、国際裁判所にいくのもいいだろう、第三国の調停を得るのもよかろう、いずれにしても個人間の紛争について暴力を行使しないで、それぞれしかるべく筋を通して解決をするのがいいと同じように一それ以上かもしれませんが、国家間の紛争というものは平和的に解決しろ、これはもうきわめて一点の疑いもない憲法の規定であります。ただし、国際紛争を解決するというのではなくて、わが国が武力攻撃を受けて国民の安全と生存が保持できなくなった場合、その場合にもなおかつ身を滅ぼすべきかどうかというのがぎりぎり一ぱいの論点になると思います。そういう場合には、国民の安全と生存を維持するためにその必要の限度で防衛をするというのは、まさかに憲法の否認しているものとはいえまいというところから、自衛に必要な限度の武力組織、実力組織、それから行動の限界というものが問題になってくるわけで、この両点については、少なくとも政府一般がそうでありますけれども、私ども法制局としては、その限界を失えば、これは実は憲法の規定が根底からくつがえされることになるくらいに考えておりますから、その限界というものは非常にやかましくいうものであります。そうではありますけれども、この限界内におけるものは、いまいった本旨から許さるべきではないか。

(略)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第65回国会 衆議院 内閣委員会 第20号 昭和46年5月7日



〇 9条1項、2項前段、2項後段


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○林政府委員 ただいま総理大臣から御指名がありましたから私から憲法問答についてお答えすることにいたします。

 憲法第九条は御承知のように第一項におきまして国際紛争を解決する手段として武力の行使というものをはつきり放棄いたしております。この第一項の解釈につきましては大体において説は一致しておりますが、これにつきましては、日本は固有の自衛権というものを独立国である以上放棄したものではない、従いまして他国から急迫不正の侵害を受けた場合に、その自衛権を行使するという形において武力抗争をすることも第一項は放棄したものではないということも、これも大体通説と考えてよろしいと思います。ただ問題は第二項に参りまして、第二項に前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力は保持しないという規定がございます。この意味につきましてこれはいろいろ説もあるわけでございますが、第一項におきまして、国は自衛権、あるいは自衛のための武力行使ということを当然独立国家として固有のものとして認められておるわけでありますから、第二項はやはりその観点と関連いたしまして解釈すべきものだ、かように考えるわけでございます。それでこれにつきましては、大体においてただいままでの解釈といたしまして、この陸海空軍その他の戦力を保持しないという言葉の意味につきましては、戦力という言葉をごく素朴な意味で戦い得る力と解釈すれば、これは治安維持のための警察力あるいは商船とか、そういうものもみな入ることに相なるわけでありますが、憲法の趣旨から考えて、そういう意味の国内治安のための警察力というものの保持を禁止したものとはとうてい考えられないわけであります。戦力という言葉にはおのずから幅がある、陸海空軍その他の戦力を保持しないという意味においては幅があるというふうに考えられます。従いまして国家が自衛権を持つておる以上、国土が外部から侵害される場合に国の安全を守るためにその国土を保全する、そういうための実力を国家が持つということは当然のことでありまして、憲法がそういう意味の、今の自衛隊のごとき、国土保全を任務とし、しかもそのために必要な限度において持つところの自衛力というものを禁止しておるということは当然これは考えられない、すなわち第二項におきます陸海空軍その他の戦力は保持しないという意味の戦力にはこれは当らない、さように考えます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第21回国会 衆議院 予算委員会 第1号 昭和29年12月21日


1972年(昭和47年)政府見解
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第 13 条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであつて、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであつて、したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【資 料】 衆議院及び参議院の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」に提出された政府統一見解等 参議院 立法と調査 2015.12 (P63)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○大森政府委員 九条の趣旨は、その前提として、日本国憲法の前段で述べられている決意にやはり立ち戻らなければならないのではなかろうかと考えているわけでございます。
 前文におきましては、御承知のとおり、日本国民は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、そして、恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した、このようにその決意を宣明しておりまして、これを受けまして、この決意を実現するために、第九条におきまして、国権の発動たる戦争武力による威嚇または武力の行使を放棄するとともに、いかなる戦力も保持せず、交戦権も認めない、このように規定していると理解されるわけであります。
 しかしながら、冒頭で委員も御指摘になりましたように、これによって我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定するものではない。したがって、我が国に対し武力攻撃が発生した場合に、これを排除するため必要最小限度の実力を行使すること、及びそのための必要最小限度の実力を保持することまでも禁止しているものではないというふうに解されているところであります。
(略)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第142回国会 衆議院 予算委員会 第27号 平成10年3月18日

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○政府委員(大森政輔君)

(略)

 要するに、憲法九条は、一見いたしますと、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と、あたかも一般的な否定の観を呈しているわけですが、こういう憲法九条のもとでも自衛権というものは否定していないんだということが昭和二十九年のあの見解であるわけでございます。

 すなわち、日本国は独立主権国として自国の安全を放棄しているわけではない。それは、憲法上も平和的生存権を確認している前文の規定とか、あるいは国民の生命、自由あるいは幸福追求に対する権利を最大限度尊重すべき旨を規定している憲法十三条の規定等を踏まえて憲法九条というものをもう一度見てみますと、これはやはり我が国に対して外国から直接に急迫不正の侵害があった場合に、日本が国家として国民の権利を守るための必要最小限の実力行使までも認めないというものではないはずである。これが自衛権を認める現行憲法下においても自衛権は否定されていないという見解をとる理由であります。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第9号 平成11年5月20日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○政府参考人(宮崎礼壹君)

(略)

 憲法第九条は、第一項におきまして、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定しておりまして、さらに、同条第二項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定しております。

 解釈論といたしましてはここから出発するしかないわけでございます。この文理だけから見ますと、一見いたしますと、我が国による実力の行使は一切禁じられているようにも見えるわけでございます。

 しかしながら、憲法前文で確認しております日本国民の平和的生存権や、憲法十三条生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えますと、憲法九条は、外国からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされているような場合に、これを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないというふうに解されるところであります。

 すなわち、先ほど述べました憲法九条の文言にもかかわらず自衛権の発動として我が国が武力を行使することができる、認められるのは、当該武力の行使が、外国の武力攻撃によって国民の生命や身体あるいは権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処して国と国民を守るためにやむを得ない措置であるからだというふうに考えられるわけであります。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第156回国会 参議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 第9号 平成15年6月2日

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○政府特別補佐人(秋山收君) 一般論として申し上げまして、今、先生が御指摘になりましたような武力の行使には当たらない国際貢献というものは十分に憲法と両立するものであると考えます。

 ただ、憲法九条一項では、武力の行使などを国際紛争を解決する手段としては永久に放棄するものを定めまして、第二項は、戦力の不保持及び交戦権の放棄を定めております。

 このようなことから、政府としては、この九条は、我が国自身が外部から武力攻撃を受けた場合における必要最小限実力の行使を除きまして、いわゆる侵略戦争に限らず国際関係において武力を用いることを広く禁ずるものであるというふうに従前から考えているところでございまして、その範囲内でやはり国際貢献も考えていかざるを得ないものと考えております。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第157回国会 参議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会 第5号 平成15年10月9日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○秋山政府特別補佐人 
(略)
 それで、政府は、従来から、その九条の文理に照らしますと、我が国による武力の行使は一切できないようにも読める憲法九条のもとでもなお、外国からの武力攻撃によって国民の生命身体が危険にさらされるような場合に、これを排除するために武力を行使することまでは禁止されませんが、集団的自衛権は、我が国に対する急迫不正の侵害に対処するものではなく、他の外国に加えられた武力行使を実力で阻止することを内容とするものでありますから、憲法九条のもとではこれの行使は認められないと解しているところでございます
(略)
 それから、御質問の後段の、憲法解釈において政府が示している、必要最小限度を超えるか超えないかというのは、いわば数量的な概念なので、それを超えるものであっても、我が国の防衛のために必要な場合にはそれを行使することというのも解釈の余地があり得るのではないかという御質問でございますが、憲法九条は、戦争、武力の行使などを放棄し、戦力の不保持及び交戦権の否認を定めていますが、政府は、同条は我が国が主権国として持つ自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を保有し行使することは認めていると考えておるわけでございます。
 その上で、憲法九条のもとで許される自衛のための必要最小限度の実力の行使につきまして、いわゆる三要件を申しております。我が国に対する武力攻撃が発生したこと、この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、それから、実力行使の程度が必要限度にとどまるべきことというふうに申し上げているわけでございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 憲法第九条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見えるが、政府としては、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第十三条生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えると、憲法第九条は、外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないと解している。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

政府の憲法解釈変更に関する質問に対する答弁書 平成16年6月18日

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○秋山政府特別補佐人 憲法九条で、一項は、国権の発動たる戦争及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄するというふうに決めているわけでございます。

(略)

 それで、九条は、このような武力の行使を、我が国自身が外部から武力攻撃を受けた場合における必要最小限度の実力行使を除きまして、国際関係において武力を用いることを広く禁ずるものであるというふうに政府は考えているわけでございます。

(略)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第160回国会 衆議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 第2号 平成16年8月4日


━━━━━【自衛のための必要最小限度】━━━━━
「武力の行使」の旧三要件
〇 我が国に対する急迫不正の侵害があること
〇 これを排除するために他の適当な手段がないこと
〇 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 政府見解は、9条で「武力の行使」を一般に禁止しているように見えるが、前文の「平和的生存権」や13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の趣旨によって、「自衛の措置」をとることができると解し、その「自衛の措置」の選択肢として「武力の行使」も可能と解している。


 これは、9条は、前文の「平和的生存権」や13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を保護するための行政作用の範囲まで制約するものではないと考えるものである。
 「武力の行使」を実施する『権限』や、「自衛隊」の存立根拠である「自衛隊」を保持する『権限』についても、この13条の「国民の権利」の趣旨の論理を踏まえた65条の行政権である。

 



「陸海空軍その他の戦力」と「自衛力」について

 下記は、政府の9条2項前段の「陸海空軍その他の戦力」に関する考え方である。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(1) 保持し得る自衛力
わが国が憲法上保持し得る自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えています。
自衛のための必要最小限度の実力の具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面を有していますが、憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」に当たるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題です。自衛隊の保有する個々の兵器については、これを保有することにより、わが国の保持する実力の全体この限度を超えることとなるか否かによって、その保有の可否が決められます
しかしながら、個々の兵器のうちでも、性能上専(もっぱ)ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、これにより直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。したがって、例えば、ICBM(Intercontinental Ballistic Missile)(大陸間弾道ミサイル)、長距離戦略爆撃機、あるいは攻撃型空母を自衛隊が保有することは許されないと考えています。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

憲法と自衛権 防衛省・自衛隊


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2.憲法第9条の趣旨についての政府見解
(1)保持できる自衛力
 わが国が憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えています。その具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面があり、毎年度の予算などの審議を通じて国民の代表者である国会において判断されます。憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」にあたるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題であって、自衛隊の個々の兵器の保有の可否は、それを保有することで、わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かにより決められます
 しかし、個々の兵器のうちでも、性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。たとえば、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないと考えています。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

憲法と自衛隊 防衛省・自衛隊 2014年7月1日閣議決定以降、文面がやや変更されている。)


━━━━━【
自衛のための必要最小限度】━━━━━
「武力の行使」の旧三要件
〇 我が国に対する急迫不正の侵害があること
〇 これを排除するために他の適当な手段がないこと
〇 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━





第19回国会 衆議院 外務委員会 第1号 昭和28年12月11日(発言番号151)

第19回国会 衆議院 外務委員会 第1号 昭和28年12月11日(発言番号161)

第19回国会 衆議院 外務委員会 第1号 昭和28年12月11日(発言番号163)

第19回国会 衆議院 外務委員会 第1号 昭和28年12月11日(発言番号173)

第19回国会 衆議院 外務委員会 第1号 昭和28年12月11日(発言番号175)

第19回国会 参議院 法務委員会 第32号 昭和29年5月10日

第55回国会 衆議院 予算委員会 第8号 昭和42年3月28日

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○高辻政府委員

(略)

 現行憲法の解釈といたしまして、わが国が国権を発現してする武力の行使は、他国からの急迫不正の侵害があり、わが国に武力攻撃が加えられ、わが国民の生存と安全が危うくされる場合における自国の防衛の正当な目的を達成する限度にとどまるものでなければ、これは憲法の許容するところではない、憲法に違反する。しかしその限度にとどまるものであれば憲法が許容しないいわれはないというのが従来の考え方であったわけでございます。そこで、それが基本になりまして、わが国が保有する兵器につきましても、それが核兵器であろうとなかろうと、通常兵器であろうと何であろうと、いま申した基準に照らして判断されるべきものであるというのが基本的な考え方でございます。純粋の法理として申し上げるわけでございますが、わが国の生存、国民の生存と安全を保持するという正当な目的を達成する限度をこえる兵器は、わが憲法がその保持を禁止するものと考えるべきであるし、これが攻撃的というようなことばで出ておったものと私は思いますが、わが国民の生存と安全を保持するという正当な目的を達成する限度をこえることがない兵器は、わが憲法がその保持を禁止するものとは考えられないというのが、純粋の理論上の問題としてあらためて申し上げれば、それがほんとうの考え方である。その場合に、一方のものを攻撃的といい、一方のものを防御的というような表現を使ったことがあるかもしれませんが、その本旨はいま申したとおりでございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第61回国会 衆議院 予算委員会 第4号 昭和44年2月5日


第61回国会 衆議院 予算委員会 第14号 昭和44年2月19日

第61回国会 参議院 予算委員会 第3号 昭和44年2月21日(発言番号75)

第61回国会 参議院 予算委員会 第3号 昭和44年2月21日(発言番号142)

第65回国会 衆議院 内閣委員会 第20号 昭和46年5月7日(発言番号8)

第65回国会 衆議院 内閣委員会 第20号 昭和46年5月7日(発言番号173)

第70回国会 参議院 予算委員会 第5号 昭和47年11月13日

第71回国会 参議院 内閣委員会 第25号 昭和48年9月4日(発言番号172)

第71回国会 参議院 内閣委員会 第25号 昭和48年9月4日(発言番号178)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○政府委員(角田礼次郎君) よけいなことばが入っているという意味じゃございません。これは申し上げると非常に長くなるわけですけれども、政府の九条二項の戦力についての解釈というのは九条一項から出てくるわけでございます。つまり、かねがね申し上げているように、いわゆる自衛権というものは認められている。そこで、その自衛権を行使する、あるいはその裏づけとなる自衛のために必要かつ最小限度の実力組織というものは、憲法がまさかそれを認めないということはあり得ないはずだと。そこで、そういう実力組織というものを憲法が許しているとすれば、一方、憲法の九条二項では、戦力というものは持っちゃいけないと書いてあるわけですから、そうなりますと、九条の二項の「戦力」というのは自衛のため必要最小限度の力を越える実力組織であろうと、こういうことで政府は従来解釈しているわけで、決して「その他の戦力」ということばが無用であるというようなことは、いま申し上げたつもりもありませんし、かねてから政府はそのようなことは申し上げたことはないと思います

 ただ、「陸海空軍」ということばと「その他の戦力」ということばを切り離しまして——まあこの判決自体を批評することは差し控えますが、この判決に述べられているようなああいう分折的な言い方は私どもはしていないということを申し上げているわけです。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○政府委員(角田礼次郎君) これも学説がいろいろございますので、いま源田委員が言われたように、「前項の目的を達するため、」というのを「国際紛争を解決する手段としては、」というのに結びつけて解する解釈のしかたはむろんあります。ただ、別に、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」というのが「前項の目的を達するため、」に当たるんだと、こういう解釈もあるわけです。ですから、いま源田委員が言われたような解釈だけではないということだけは申し上げておきたいと思います。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○政府委員(角田礼次郎君) これは、政府がこの問題についてはっきり国会の場において申し上げた記憶は私はございませんけれども、ただ従来、「国際紛争を解決する手段としては、」ということばを「前項の目的を達するため、」にかけて読む読み方は、いわゆる自衛のためには、戦力といいますか、自衛戦争もできるし、自衛のためには必要な限りにおいて戦力も持てるというような説に結びつくわけでございます。政府としましては、この点についてはそのような見解は持っておりません。むしろ、そういう意味では、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」というほうの目的、政府の説はそれに近いと思います。ただ、そういうことばで申し上げたことは私はないと思います。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○政府委員(角田礼次郎君) 先ほどの私の答弁の中で若干補足さしていただきたいと思いますが、政府の九条の解釈というのは、第一には、九条一項から九条二項の「戦力」を論理的に導き出すということと、もう一つは、先ほど申し上げたように、たとえば、「陸海空軍その他の戦力」というようなことばを二つに分析して、「陸海空軍」とは何かとか、「その他の戦力」とは何かというふうに、一つ一つのことばを引き抜いて解釈をするという解釈の方法でないわけでございます。したがって、「前項の目的を達するため、」というのは何かということについて率直に見解を申し上げた例はないわけであります。ただ、「前項の目的を達するため、」ということばを、二項に書いてあるそのことばを、「国際紛争を解決する手段として」ということばに結びつけてお読みになる学説は、これは、先ほど申し上げたように、自衛のためなら——まあ正確な言い方かどうか知りませんが、自衛のためなら軍隊も持ってよろしい、戦争もやってよろしいというような説であろうと思います。そこで私どもは、政府はそういう説ではないということを申し上げたつもりでございます。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○政府委員(角田礼次郎君) ただいまの御質問に関連して、午前中に私が答弁しておりますので、私から御答弁申し上げることをお許し願いたいと思います。

 まず九条の一項と二項を見まして、二項に、「前項の目的を達するため、」ということばがあります。これがどういう受け方をするかということについていろいろな説があるということを申し上げたわけであります。その目で第一項を見ますと、第一項には、修飾句として「正義と秩序を基調とする國際平和を誠実に希求し、」ということばと、それから「国際紛争を解決する手段としては、」ということばと二つあるわけであります。

 ところで、学説としては「国際紛争を解決する手段としては、」という、いま御質問の中にもありましたけれども、そのことばのみにアクセントを置く説があるわけでございます。こういう説をとりますと、自衛のためにはいわゆる戦力まで持てるというような説になっているようでありますが、しかし、政府はそういう説はとっていない。また、判決の一つ一つについて論評することは私の立場からいかがかと思いますが、判決も同じような趣旨を述べておるということ、その点は、ただいま委員が言われたとおり、私どももそう思いますけれども、しかし、私どもの考え方は、そういう意味で前者のみにアクセントを置く説ではございません。

 これに対して、後者にもアクセントを置く説があるわけでございす。後者と申しますと——ちょっと失礼しましたが、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」ということばにもアクセントを置く説があるわけであります。

 しからば政府の説はどうでありますかというと、いま申し上げたように、「国際紛争を解決する手段としては、」ということばだけにアクセントを置く説ではありませんで、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」ということまで含めて、全体の九条一項の趣旨、そういうものにアクセントを置いているということになるわけであります。政府の説の結論については午前中も申し上げましたから、いまここでは省略をいたします。

 ただ、それから先の二項の解釈あるいは一項の解釈になるわけでありますが、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」ということばにアクセントを置く説では、第一項ではすべての武力行使が否定される、あるいは第二項ではすべての実力組織の保持が禁じられているというような説が結びついてくるわけであります。しかし、その点は政府の説は違いまして、これは毎々申し上げているように、九条一項では自衛権は否定していない、同時に、その自衛権を裏づけるための、裏づけとしての必要最小限度の実力組織は持てる、同時に、そういう実力組織を通じての自衛行動といいますか、実力行動はできると、こういう解釈をしているわけであります。したがいまして、もう毎々申し上げているとおりでありますが、二項の解釈としては、「陸海空軍その他の戦力」ということばを、これも午前中申し上げましたけれども、結局、「戦力」ということばを裏返しますと、自衛のため必要最小限度の実力を越える力、それが憲法が禁止している戦力であるというふうに読んでいるわけであります。「陸海空軍」ということばだとか、「その他の戦力」ということばを一つ一つ分析しては申し上げていないということを申し上げたわけでございます。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○政府委員(吉國一郎君) ただいまお触れになりました砂川の最高裁判決においても言っておりますように、憲法第九条が、同条にいわゆる戦争を放棄して、いわゆる戦力の保持は禁止しているけれども、しかし、これによってわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されておらない、わが国が、自国の平和と安全を維持してその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことであるということを最高裁の判決は言っております。私どもの考え方では、この自衛のための必要な措置として自衛力を保持するということを言っておるわけでございます。その自衛力は憲法第九条第二項でその保持を禁止しているところの戦力ではない。憲法第九条第二項において保持を禁止している戦力と申しますのは、先ほど私のほうの部長からお答え申し上げましたように、第一項においては戦争を放棄しておる。その第一項の全体の精神を受けまして「前項の目的を達するため、」と言っていることからいって、自衛のため必要な最小限度において自衛力を整備することは憲法第九条第二項で保持を禁止する戦力ではない。言いかえれば、自衛のため必要な最小限度を越える実力、越える力が戦力であるということに相なるわけでございます。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○政府委員(角田礼次郎君) これは、先ほど申し上げたことをもう一度繰り返すことに結果的にはなると思いますが、長沼判決では、御承知のように、陸海空軍は通常の観念で考えられる軍隊の形態であり、あえて定義づけるならば、それは「外敵に対する実力的な戦闘行動を目的とする人的、物的手段としての組織体」であると定義して、その上に「その他の戦力」についても定義して、そして自衛隊は陸海空軍に当たる、こういうことを言っているわけでございます。私ども、この判決の一つ一つのことばについてここでどうこう申し上げるわけではございませんけれども、われわれとしては、先ほど来申し上げているように、陸海空軍というのはやはり戦力の一つの例示であって、「陸海空軍その他の戦力」ということばで一括して読む。その上、九条第一項で自衛権を認めている。また自衛権を裏づける実力組織としての自衛のために必要最小限度の力を憲法は許していないはずはない、許している。そういうところから九条二項を解釈すれば、戦力ということばは、何度も申し上げるように、自衛のため必要最小限度を越える力ということに論理的になるわけです。そういうような定義を私どもはしているわけです。そういう意味では、ここでいう定義とは違うと言わざるを得ないと思います。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○政府委員(角田礼次郎君) これも、昨年の十一月に、たしか戦力についての定義が参議院の予算委員会で問題になったときに申し上げたと思いますが、戦力については非常に広い意味では、およそ戦う力全部を含むというような解釈もありますけれども、政府はそういうふうには解釈しておりませんで、いま申し上げたような解釈をしているということを申し上げたと思います。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第71回国会 参議院 内閣委員会 第27号 昭和48年9月13日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○真田政府委員 問題は憲法九条第二項の解釈に関連するわけでございますが、九条二項の解釈につきましては、先ほど来繰り返し総理がおっしゃっていますように、わが国の自衛のために必要な最小限度の範囲内の兵器は憲法はその保持を禁止していない、逆に言えば、その限度を超えるものは憲法九条第二項が保持についての禁止をしている、こういうことになるわけでございまして、その禁止される兵器の説明として、従来は、そのときどきの質疑応答の言葉の端々によりまして、攻撃的兵器とか脅威を与える兵器とか、いろいろな言葉を使っているわけなんですが、今回の五十二年の防衛白書に出ている言葉だとか、あるいは四十四年の答弁書に出ている言葉というのは、それは九条二項によって禁止される兵器のうちの典型的なものだという例示として書いてあるわけでございまして、それに当たらないものは全部持てるのだという趣旨で書いているものではございませんので、多少その表現の違いがございましても、九条第二項の解釈が変わるというようなものではございません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第84回国会 衆議院 外務委員会 第8号 昭和53年3月24日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○角田(禮)政府委員 御指摘の問題については、すでにこの国会において論議されているところであります。

 具体的な事実として申し上げますが、昭和五十三年三月二十四日、衆議院の外務委員会におきまして中川委員の御質問に対して当時の福田総理大臣がお答えをいたしております。それをそのまま読み上げます。「憲法の純粋な解釈論といたしましては、これはわが国といたしましては、自衛のため必要最小限の兵備はこれを持ち得る、こういうことでございまして、それが細菌兵器であろうがあるいは核兵器であろうが差別はないのだ。自衛のため必要最小限のものである場合はこれを持ち得る、このように考えておる次第でございます。」このように答弁しております。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○角田(禮)政府委員 それではもう一度繰り返して申し上げます。

 憲法の純粋な解釈論といたしましては、これはわが国といたしましては、自衛のため必要最小限の兵備はこれを持ち得る、こういうことでございまして、それが細菌兵器であろうがあるいは核兵器であろうが差別はないのだ。自衛のため必要最小限のものである場合はこれを持ち得る、このように考えておる次第でございます。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○角田(禮)政府委員 先ほどの答弁で尽きているのじゃないかと思いますが、持ち得るということは、すべて持ち得るということでは決してございませんで、いま防衛局長が申し上げましたように具体的な検討を必要とすると思います。ただ、そういう検討は防衛庁でもしていないわけであります。ですから、私どもは、抽象的な理論として、持ち得る場合があるといいますか、持ち得るものもあるというか、そういう意味で申し上げているので、全部が全部何も持ち得るというような意味で持ち得ると申し上げているわけでは決してございません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第93回国会 衆議院 決算委員会 第2号 昭和55年10月20日


第94回国会 衆議院 内閣委員会 第5号 昭和56年4月9日

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○角田(禮)政府委員 相手が子供である場合には非常にむずかしいと思いますが、一言で言えば、日本には陸海空軍はありません、ただ、自衛のために必要最小限度の実力組織としての自衛隊はあります、そういう答えしかないと思います。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○角田(禮)政府委員 そこまで聞かれましたら、もう少し詳しく法律的な説明をしなければいけないと思います。

 そこで、外国からわが国が侵略された場合に、それを実力をもって追い返す排除するという組織としては、これは日本の自衛隊も、世界のほかの国の軍隊、いまアメリカ軍と言われましたが、そういうものと同じ任務を持っているということが言えると思います。

    〔田名部委員長代理退席、委員長着席〕

しかし、わが自衛隊は、憲法によっていろいろな制約がございます。たとえば、アメリカの軍隊を含めて世界のほかの軍隊は、国際法で特に禁止されている以外の害敵手段を自由にとることができると思います。しかしわが国の自衛隊は、自衛のため必要最小限度の武力行使しかできないということになっておりますし、交戦権も持ち得ません。海外派兵もできない。そういう憲法上の制約がある。したがって、表面的にアメリカの軍隊と似ていても、日本の自衛隊は本質的に違う、こういう説明をすることになると思います。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○角田(禮)政府委員 外国の憲法との比較でございますが、端的に申し上げて、外国の憲法の中にも侵略戦争の放棄というような規定を持っているものがございます。しかし、わが国の憲法は、九条の解釈としてはそれのみにとどまらないわけであります。外国では、侵略戦争は放棄しているけれども自衛戦争は反対にできると考えていると思います。しかも、その自衛戦争というのが、先ほど来申し上げているように自由な害敵手段を行使することができるということを前提として、交戦権もあり、またわれわれができないと言っている海外派兵もできるだろうし、またわれわれが持ち得ないというような装備というものも持ち得るというふうに解されていると思います。およそそういうことは外国の憲法では制限されていないと思います。ところが、わが国の憲法におきましては、再々申し上げているとおり自衛のためといえども必要最小限度の武力行使しかできませんし、またそれに見合う装備についても必要最小限度のものを超えることはできないという九条二項の規定があるわけでございますから、これは明らかに外国の憲法とは非常に違うと思います。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第96回国会 衆議院 内閣委員会 第18号 昭和57年7月8日

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○政府委員(味村治君) 政府は、従来から、憲法第九条は個別的な自衛権まで否定したものではないというふうに解釈いたしているわけでございます。

 したがいまして、憲法第九条の第二項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」、こう書いてございますが、これは自衛のために最小限必要な実力、これを保持することまでは禁止していないのである、したがって憲法第九条第二項で言う「戦力」というのは、自衛のために必要な最小限の実力を超えるものをここで言う「戦力」と言っているんだ、このように解釈しておるところでございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第113回国会 参議院 内閣委員会 第7号 昭和63年10月20日

 



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 現在の自衛隊が専守防衛という概念に縛られている以上、たとえ高性能な武器を有しており、錬度も外国軍隊に遜色ないとしても、本質的には外国の軍隊とはまったく異質であり、軍隊ではないという政府見解には一定の合理性があると思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
稲葉実香(金沢大学法科大学院)安保法案学者アンケート 2015年7月17日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
従来、内閣法制局が「自衛のための必要最小限度の自衛力」の合憲性の論理を提供していたが、これは「作法」を踏まえた憲法「解釈」であったが故に、自衛隊それ自体を違憲とする憲法学の多数派との間で、一応の憲法「解釈」論争が成立してきた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
國學院大學法学部教授・平地秀哉氏 憲法学者アンケート調査

 

香川大学教授・塚本俊之氏 憲法学者アンケート調査 

その10 陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない 2017/10/23

憲法9条2項で放棄された「戦力」とは具体的に何なのか 2019.01.24




「交戦権」と「自衛行動権」について


 政府答弁を読み取る際に、基本的に「自衛権」と「自衛行動権」は異なる概念であることに注意する必要がある。ただ、混同している場合も見られる。


第19回国会 参議院 外務委員会 第25号 昭和29年4月26日

第22回国会 参議院 内閣委員会 第34号 昭和30年7月26日 (発言番号179)

第22回国会 参議院 内閣委員会 第34号 昭和30年7月26日 (発言番号181)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○政府委員(林修三君) ただいまの点でございますが、これは従来からの私たちの答弁いたしておるところでございます。交戦権というのは、先ほど総理からお答えいたしました通りに、戦時に際して交戦国が持つ権利。その内容といたしましては、たとえば占領地行政、あるいは中立国船舶あるいは敵国船舶の拿捕、それから、あるいは武力を――人を殺傷するというようなことも、まあ交戦権という観念には入ると思います。しかし、いわゆる自衛行動権というものは、これとまた別な観念でございまして、自衛権に基いて急迫不正の侵害排除する。この内容には、当然武力の行使というものは含まれるわけでありまして、いわゆる交戦――国際法上にいわれる交戦権がなくても、自衛権自衛行動権という内容で、国内に侵略者として入ってきた場合侵略者の兵力に対して抵抗する、あるいはこれに対して武力行動をとるということは、自衛のための必要な措置として当然認められる。交戦権がないからそういう自衛行動権は認められないというものではないと、かように考えております。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○政府委員(林修三君) これは、自衛のための自衛権というものは、国家の基本権として認められているわけでありますが、その自衛のために必要な措置というもの、いわゆる自衛行動権、これは国家の基本的な権利として憲法は否定しておらない、かように私は考えているのでございます。従いまして、いわゆる交戦権という面とダブる面が、その自衛の行動権の範囲内にはいわゆる形式の面から見れば、あるかもしれません。しかし、自衛行動権によってカバーされる範囲のものは当然認められるものだ、かように考えるわけでございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第28回国会 参議院 内閣委員会 第30号 昭和33年4月18日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○高辻政府委員 交戦権の用語もいま初めて申し上げるわけではございませんが、要するに、よく皆さんに申し上げておるのは、占領地の行政をやるとか、あるいは敵国都市の砲爆撃をやるとか、そういうたぐいのもの、要するにいわゆる戦争ですね、それを有効適切、具体的に執行していく個別の権能、それを言うものと思います。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第48回国会 衆議院 予算委員会 第17号 昭和40年3月2日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○高辻政府委員 通俗語でいわゆる戦争、これは、そういう意味における自衛戦争ういうものはよくいわれて使われることばでございます。しかし岡田さんの御質問でございますから、そういうことではなしに、戦争という国際法上の概念からいってどうかという御質問かと思います。

 これは非常にむずかしい問題でございますが、いままで国際法上の戦争というものは、やはりたとえば交戦権というものが伴う、これは自衛行動権というようなものとはおよそ品質の違うものである。そういう交戦権が伴うような戦争、そういうものは憲法が否定しておると言わざるを得ない。ただ憲法が認めておるのはそういうような国際法上の概念、交戦権が伴うような戦争ではなくて、自衛権に基づく自衛行動としての——これは通俗には戦争と申します、そういう意味で戦争ということをいってもよろしいかと思いますが、厳密な意味でもし区別するなら自衛行動自衛構想、そのための行動権、それがあるということを申し上げておるわけでございます。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○高辻政府委員 ……(略)……しかし先ほども申し上げましたように、大事なことはそういうことではなくて、わが憲法の上でやれるのは一体何であるかといえば、そういう場合の侵害排除するという一点に尽きるということ、その場合に交戦権があることになるではないかとおっしゃいますが、憲法上は交戦権は否認しておるわけでございますから、もっぱら自衛のための措置、つまり再び侵害を受けないように自国の国民を守るという限度のものは、直ちにこれを交戦権の行使であるというふうにおっしゃることはないと思います。これはあくまでも自衛権の行使としていけばいいし、またそれが限度である、こういうことを申し上げたいと思います。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第58回国会 衆議院 予算委員会 第17号 昭和43年3月16日


第61回国会 参議院 予算委員会 第3号 昭和44年2月21日

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○政府委員(高辻正巳君) 自衛権というものから当然に制約をされた交戦権が使えるんだというか、あるいは交戦権というのは戦争というものを現実具体的に遂行する手段としての権能であるという意味で、自衛権の行使に伴う自衛行動権とは違うというかは、実は手段の問題にすぎないと思うのです。実態は実はどっちからいっても同じことである。大事なことは、それだけができるということを申し上げたいわけです。……(略)……
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第61回国会 参議院 予算委員会 第3号 昭和44年2月21日

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○角田(禮)政府委員 限定的な意味というわけではございませんで、いわゆる交戦権というのは私どもは全面的に持っていない、その反面、自衛権に基づく実力行使の自衛行動権というものは別に持っている、こういうわけで、結果として、こちらは持ってないがこちらは持っているということで、両方比較しますと、直接戦闘をやって相手方を殺すとか、そういうことを中心として考えれば、そういうものは持っているということになるわけであります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第93回国会 衆議院 法務委員会 第7号 昭和55年11月26日

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○角田(禮)政府委員 先ほども申し上げましたけれども、私は、交戦権の行使として認められている中立国船舶の臨検というものが、そのままの形で自衛権の行使として認められるというような答弁をしたわけではございません。
 お言葉を返すようでございますが、交戦権の行使の例として、交戦権の内容の例として、たとえば敵国兵力の殺傷、破壊というようなものが挙げられておりますけれども、同時に、自衛権の内容として、自衛権に基づく、たとえば自衛行動権という名前をつけるならば、その自衛行動権の内容として、敵国兵力の殺傷とか破壊というものができるわけであります。しかも、自衛権として行う場合には、やはりその場合でも交戦権として行える範囲とは必ずしも一致しないと思います。たとえば海外派兵などは私どもはできませんし、それからまた、B52で敵国の領土に対して壊滅的な打撃を与えるというようなこともできないわけでございます。したがいまして、単純に言葉を比較して、交戦権の行使として挙げられているものが、そのままの形でできるとは申しませんが、単純な言葉の比較で、自衛権の行使としてできないということにはならないと思います。現にそういう趣旨の答弁は、かつて佐藤内閣法制局長官当時にも、理論的にはそういう可能性があるという答弁をしております。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第94回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第4号 昭和56年4月20日

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○味村政府委員 これは憲法の解釈から申し上げるわけでございますけれども、憲法の九条二項では、わが国につきましては交戦権は否認されておりますが、われわれは、自衛のために必要な行動をする権利、自衛行動権というのは持っているのだというふうに理解をいたしておるわけでございます。その場合の自衛行動権というのは、やはり武力の行使を中心とする概念でございます。そしてその武力の行使というのは、もちろんわが国による武力の行使でございます。わが国が武力を行使するということ、これが自衛の範囲にとどまるのだというのが憲法の九条の要請しているところである、このように考えているところでございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第98回国会 衆議院 内閣委員会 第2号 昭和58年3月3日

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○政府委員(秋山收君) 少し長くなりますが、いわゆる自衛権、それから戦争自衛戦争、それから交戦権自衛行動自衛行動権などといういろいろな言葉を申し上げておりますので、その辺を整理して一度御説明申し上げたいと思います。
 まず第一に戦争という言葉でございますが、これは一般に国際紛争を解決する最後の手段として国家の間で対等の立場で国権の発動として武力を行使し合うものを指すものと考えられております。国際法上特に制限された手段以外の自由な害敵手段を用いて相手国を屈服させるまで行うものであるというふうに考えております。
 自衛戦争というのは、国際法上確立した概念があるものではございませんが、したがいまして、法的な概念ではなく、一般的な概念として、国家が自己を防衛するために行う戦争を指すものと考えております。
 それで、このような戦争一般でございますが、交戦権を当然に伴うものであるとされておりますが、ここに言う交戦権、あるいはこれは憲法九条の交戦権も同じでございますが、単に戦いを交える権利という意味ではございませんで、伝統的な戦時国際法における交戦国が国際法上有する種々の権利の総称でありまして、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政、それから中立国船舶の臨検、敵性船舶の拿捕などを行うことを含むものを指すものというふうに従来からお答えしてきているところでございます。
 自衛戦争の際の交戦権というのも、自衛戦争におけるこのような意味の交戦権というふうに考えています。このような交戦権は、憲法九条二項で認めないものと書かれているところでございます。
 一方、自衛行動と申しますのは、我が国が憲法九条のもとで許容される自衛権の行使として行う武力の行使をその内容とするものでございまして、これは外国からの急迫不正の武力攻撃に対して、ほかに有効、適切な手段がない場合に、これを排除するために必要最小限の範囲内で行われる実力行使でございます。
 それで、自衛行動権という言葉は、このような自衛行動に伴う具体的な権能を説明するために政府が用いてきた概念でございまして、したがいまして、先ほどのような必要最小限度という要件に該当する場合には、この間、委員が御質問されましたような敵性国家に武器を運んでいるというような船舶に対してこれを検査し、場合によってはそれを没収、押収することもケースによっては含まれるものと考えております。
 ただ、そのような自衛行動権は、先に述べました戦争に伴う交戦権とは別の観念でありまして、例えば伝統的な戦時国際法では交戦権に含まれるとされます相手国領土の占領、あるいはそこにおける占領行政などは自衛のための必要最小限度を超えるものであって、我が国が保有していると考えられます自衛行動権にはこのようなものは含まない。その意味で自衛行動権は限定的なものであるというふうに考えている次第でございます。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○政府委員(秋山收君) 憲法第九条のもとに認められております自衛行動と申しますのは、繰り返しになりますが、いわゆる自衛力発動の三要件具体的な武力攻撃を受けていること、それからそれを排除するためにほかの適当な手段がないこと、それから発動の態様は必要最小限に限るということでございます。
 その範囲内で、それを裏づける具体的な権能として自衛行動権という概念を説明として用いているわけでございますが、伝統的な国際法上の交戦権がいかなるものを、総体的にどんなものを含んでいるか、そのメニューの中で自衛行動権として認められるものは何かということはなかなか具体的に確定することはできないわけでございまして、やはり先ほどの三要件に照らしまして認められる範囲で自衛行動権が認められると。
 したがって、典型的に申しまして交戦権には含まれるとされております相手国領土の占領、軍政の実施というようなものが含まれないということは申し上げているわけでございますが、それ以外のものがどこに境界が引かれるかということは、やはり具体的な状況に応じて判断せざるを得ない問題ではないかと考えております。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第5号 平成11年3月15日


━━━━━【自衛のための必要最小限度】━━━━━
「武力の行使」の旧三要件
〇 我が国に対する急迫不正の侵害があること
〇 これを排除するために他の適当な手段がないこと
〇 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 


 下記の答弁書には「自衛行動権」という文言はないが、「自衛のための必要最小限度」の範囲内であれば、「交戦権」には抵触しないとしている。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    他方、我が国は、国際法上自衛権を有しており、我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することが当然に認められているのであつて、その行使として相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うことは、交戦権の行使として相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うこととは別の観念のものである。実際上、我が国の自衛権の行使としての実力の行使の態様がいかなるものになるかについては、具体的な状況に応じて異なると考えられるから、一概に述べることは困難であるが、例えば、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められない。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

憲法第九条の解釈に関する質問に対する答弁書 昭和60年9月27日






 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○政府委員(高辻正巳君)

(略)

 それから、個別的自衛権の場合でございますが、これは自衛権というものが本来国際法上の慣例であるということからすれば、先ほど外務大臣がおっしゃったとおりに、そういう意味のものと解してかまわないと思いますけれども、わが憲法のもとでは、九条あるいは平和憲法の精神からいいまして、自衛の要件といいますか、自衛行動の要件といいますか、自衛権発動の要件といいますか、そういうものをえらく厳格に、えらく神経質に考えておりますから、現象面としてそういう点が国際社会の場合とあるいは違うことがあるかもしれません。あるかもしれませんが、要は、日本の憲法の中では自衛というものを最も厳密に解していくべきであるという態度を堅持してまいることが絶対に必要であると私は思っております。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第61回国会 参議院 予算委員会 第5号 昭和44年3月5日

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○角田(禮)政府委員 憲法九条の解釈といたしまして、政府が従来から繰り返して申し上げているとおり、憲法九条におきましては、わが国は自衛のため必要最小限度の武力行使しかできない。同時にまた、それに見合うものとして自衛のため必要最小限度の実力しか保有できない、こういうふうに申し上げております。ただいま石橋委員が御指摘になったような海外派兵あるいは他国に壊滅的な打撃を与えるような兵器、そういうものは無論持てない、徴兵制度も先ほど申し上げたように持てない、こういうことでございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第94回国会 衆議院 予算委員会 第2号 昭和56年2月2日

 

 









 




政府解釈による「集団的自衛権の行使」の否定


 従来より政府は「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」の可否については、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たすか否かを基準として判断していた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

説明員(吉國一郎君) これは、憲法九条でなぜ日本が自衛権を認められているか、また、その自衛権を行使して自衛のために必要最小限度の行動をとることを許されているかということの説明として、これは前々から、私の三代前の佐藤長官時代から、佐藤、林、高辻と三代の長官時代ずうっと同じような説明をいたしておりますが、わが国の憲法第九条で、まさに国際紛争解決の手段として武力を行使することを放棄をいたしております。しかし、その規定があるということは、国家の固有の権利としての自衛権を否定したものでないということは、これは先般五月十日なり五月十八日の本院の委員会においても、水口委員もお認めいただいた概念だと思います。その自衛権があるということから、さらに進んで自衛のため必要な行動をとれるかどうかということになりますが、憲法の前文においてもそうでございますし、また、憲法の第十三条の規定を見ましても、日本国が、この国土が他国に侵略をせられまして国民が非常な苦しみにおちいるということを放置するというところまで憲法が命じておるものではない。第十二条からいたしましても、生命、自由及び幸福追求に関する国民の権利は立法、行政、司法その他の国政の上で最大の尊重を必要とすると書いてございますので、いよいよぎりぎりの最後のところでは、この国土がじゅうりんをせられて国民が苦しむ状態を容認するものではない。したがって、この国土が他国の武力によって侵されて国民が塗炭の苦しみにあえがなければならない。その直前の段階においては、自衛のため必要な行動はとれるんだというのが私どもの前々からの考え方でございます。その考え方から申しまして、憲法が容認するものは、その国土を守るための最小限度の行為だ。したがって、国土を守るというためには、集団的自衛の行動というふうなものは当然許しておるところではない。また、非常に緊密な関係にありましても、その他国が侵されている状態は、わが国の国民が苦しんでいるというところまではいかない。その非常に緊密な関係に、かりにある国があるといたしましても、その国の侵略が行なわれて、さらにわが国が侵されようという段階になって、侵略が発生いたしましたならば、やむを得ず自衛の行動をとるということが、憲法の容認するぎりぎりのところだという説明をいたしておるわけでございます。そういう意味で、集団的自衛の固有の権利はございましても、これは憲法上行使することは許されないということに相なると思います。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

説明員(吉國一郎君) お答え申し上げる前に申し上げなきゃいけませんことは、自衛権というものは、確かに国際法上固有の権利として国連憲章第五十一条においても認めておるところでございます。自衛権というのはいわば一つの権利でございまして、その自衛権に、国連憲章で認められる前は個別的——インディビデュアルというような形容詞をつけないでザ・ライト・オブ・セルフディフェンス——自衛権ということで、いわば個別的自衛権と申しますか、最近、学者の用いますことばでは個別的自衛権というものを表現していたんだと思いますが、国連憲章になりまして、このインディビデュアルのあとにオアだったと思いますが、インディビデュアル・オア・コレクティブという形容詞がつきまして、個別的及び集団的の固有の自衛の権利というふうなことばづかいになったわけでございます。したがって——したがってと申しますか、自衛権というものはいわば一つの権利、所有権というような権利がございまして、その自衛権の発動の形態としてインディビデュアルに発動する場合とコレクティブに発動する場合とあるという観念じゃないかと思います。憲法第九条の説明のしかたとして自衛権自衛権と言っておりましたのは、いわば狭い意味のインディビルデュアル・セルフディフェンス・ライトというようなものを頭に置いて説明をしてきたわけでございまして、広い意味の自衛権という形になりましても、自衛権というものは一つで、その発動の形態がインディビデュアルかコレクティブだという説明をいたしますと、先ほど申し上げましたように、日本の憲法第九条では、先ほどおっしゃいましたように、国際紛争解決の手段としては武力の行使を放棄しております、自衛権があるかどうかということも問題だと仰せられましたが、その件につきましては、少なくとも最高裁の砂川判決において自衛権が承認をされております。その自衛権を持っているというところまでは最高裁の判決において支持をされておりますが、これから先が政府の見解と水口委員やなんかの仰せられますような考え方との分かれ道になると思います。先ほど私が申し上げましたのは、憲法前文なり、憲法第十二条の規定から考えまして、日本は自衛のため必要な最小限度の措置をとることは許されている。その最小限度の措置と申しますのは、説明のしかたとしては、わが国が他国の武力に侵されて、国民がその武力に圧倒されて苦しまなければならないというところまで命じておるものではない。国が、国土が侵略された場合は国土を守るため、国土、国民を防衛するために必要な措置をとることまでは認められるのだという説明のしかたをしております。その意味で、いわばインディビデュアル・セルフディフェンスの作用しか認められてないという説明のしかたでございます。仰せのとおり、憲法第九条に自衛権があるとも、あるいは集団的自衛権がないとも書いてございませんけれども、憲法第九条のよって来たるゆえんのところを考えまして、そういう説明をいたしますと、おのずからこの論理の帰結として、いわゆる集団的自衛の権利は行使できないということになるというのが私どもの考え方でございます。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

説明員(吉國一郎君) 先ほど憲法第十三条と申し上げましたが、その前に、前文の中に一つ、その前文の第二文と申しますか、第二段目でございますが、「日本国民は、恒久の平和を念願し、」云々ということがございます。それからその第一段に、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」ということで、この憲法を制定いたしまして、さらに憲法第九条の規定を設けたわけでございます。その平和主義の精神というものが憲法の第一原理だということは、これはもうあらゆる学者のみんな一致して主張することでございます。そして「日本国民は、恒久の平和を念願し、」のあとのほうに、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」ということで、平和主義をうたっておりますけれども、平和主義をうたいまして、武力による侵略のおそれのないような平和社会、平和的な国際社会ということを念願しておりますけれども、現実の姿においては、残念ながら全くの平和が実現しているということは言えないわけでございます。で、その場合に、外国による侵略に対して、日本は全く国を守る権利を憲法が放棄したものであるかどうかということが問題になると思います。そこで国を守る権利と申しますか、自衛権は、砂川事件に関する最高裁判決でも、自衛権のあることについては承認をされた。さらに進んで憲法は——十三条を引用いたしましたのは、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」ということで、個人の生命、自由及び幸福追求の権利を非常に重大な価値のあるものとして、第十三条は保障しようとしているわけでございます。そういうことから申しますと、外国の侵略に対して平和的手段、と申せば外交の手段によると思いますが、外交の手段で外国の侵略を防ぐということについて万全の努力をいたすべきことは当然でございます。しかし、それによっても外国の侵略が防げないこともあるかもしれない。これは現実の国際社会の姿ではないかということになるかと思いますが、その防げなかった侵略が現実に起こった場合に、これは平和的手段では防げない、その場合に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が根底からくつがえされるおそれがある。その場合に、自衛のため必要な措置をとることを憲法が禁じているものではない、というのが憲法第九条に対する私どものいままでの解釈の論理の根底でございます。その論理から申しまして、集団的自衛の権利ということばを用いるまでもなく、他国が——日本とは別なほかの国が侵略されているということは、まだわが国民が、わが国民のその幸福追求の権利なり生命なり自由なりが侵されている状態ではないということで、まだ日本が自衛の措置をとる段階ではない。日本が侵略をされて侵略行為が発生して、そこで初めてその自衛の措置が発動するのだ、という説明からそうなったわけでございます。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

説明員(吉國一郎君) 政策論として申し上げているわけではなくて、第九条の解釈として自衛のため必要な措置をとり得るという説明のしかた——先ほど何回も申し上げましたが、その論理では、わが国の国土が侵されて、その結果国民の生命、自由及び幸福追求に関する権利が侵されるということがないようにする、そのないようにするというのは非常に手前の段階で、昔の自衛権なり生命線なんていう説明は、そういう説明でございましたけれども、いまの憲法で考えられておりますような自衛というのは最小限度の問題でございまして、いよいよ日本が侵されるという段階になって初めて自衛のための自衛権が発動できるという、自衛のための措置がとり得るということでございますので、かりにわが国と緊密な関係にある国があったとして、その国が侵略をされたとしても、まだわが国に対する侵略は生じていない、わが国に対する侵略が発生して初めて自衛のための措置をとり得るのだということからいたしまして、集団的自衛のための行動はとれないと、これは私ども政治論として申し上げているわけでなくて、憲法第九条の法律的な憲法的な解釈として考えておるわけでございます。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

説明員(吉國一郎君) 私が密接と申し上げました、密接ということばを使って申し上げたつもりでございますのは、たとえわが国と非常に密接な関係がある国があったとしても、その国に対する攻撃があったからといって、日本の自衛権を発動することはできないという意味で、密接のことばを使ったわけでございまして、いま水口委員の仰せられますように、わが国と安全保障上と申しますか、国家の防衛上緊密な関係にあるその国が攻められることは、日本の国が攻められると同じだというような意味の考え方はしておりません。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

説明員(吉國一郎君) 国際法上の観念としての集団的自衛権、集団的自衛のための行動というようなものの説明として、A国とB国との関係が一定の緊密な関係にあって、そのA国とB国が共同防衛のための取りきめをして、そうしてA国なりB国なりが攻められた場合に、今度は逆にB国なりA国なりが自国が攻撃されたと同様として武力を行使する、その侵略に対して。そういう説明は、国際法上の問題としてはいま水口委員の仰せられましたとおりだろうと思います。ただ日本は、わが国は憲法第九条戦争放棄の規定によって、他国の防衛までをやるということは、どうしても憲法九条をいかに読んでも読み切れないということ、平たく申せばそういうことだろうと思います。憲法九条戦争放棄の規定ではございますけれども、その規定から言って、先ほど来何回も同じような答弁を繰り返して恐縮でございますけれども、わが国が侵略をされてわが国民の生命、自由及び幸福追求の権利が侵されるというときに、この自国を防衛するために必要な措置をとるというのは、憲法九条でかろうじて認められる自衛のための行動だということでございまして、他国の侵略を自国に対する侵略と同じように考えて、それに対して、その他国が侵略されたのに対して、その侵略を排除するための措置をとるというところは、憲法第九条では容認してはおらないという考え方でございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第69回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号 昭和47年9月14日

1972年(昭和47年)10 月14日政府見解
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第 13 条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであつて、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであつて、したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【資 料】 衆議院及び参議院の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」に提出された政府統一見解等 参議院 立法と調査 2015.12 (P63)

 

第84回国会 衆議院 内閣委員会 第22号 昭和53年6月6日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○角田(禮)政府委員 先ほど外務大臣からもお話がありましたけれども、国際法上国家は個別的自衛権及び集団的自衛権の両方を持っているわけであります。これは本来は国家の固有の権利として当然認められているところであります。しかし、わが国の場合はそのうち憲法によって集団的自衛権が禁止されている、こういうふうに従来から解釈されているわけでございます。ここで集団的自衛権というのは、自分の国が直接攻撃されていないにもかかわらず、自分の国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自分の国に対する攻撃と同じように実力をもって阻止することが正当化される、そういうものであるというふうに解されますが、わが憲法は自国の安全を維持し、その存立を全うするために必要な措置をとることはもとより認めていると解されますけれども、それはあくまで外国の武力攻撃によってわが国民の生命なり自由なり、あるいは幸福追求の権利が覆される、そういう急迫不正の事態に対処して国民の権利を守るためにやむを得ない措置として初めて容認される、こういう考え方をとっているわけであります。そこで、そういう事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲にわが国の自衛権の行使はとどまるべきである、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は憲法上許されない、こういう理屈になるわけであります。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第94回国会 衆議院 内閣委員会 第5号 昭和56年4月9日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○角田(禮)政府委員 先ほども申し上げましたように、集団的自衛権の観念というものは、国連憲章五十一条によって確認されたものだと思います。恐らくその国連憲章五十一条でそういう集団的自衛権の観念というものを確立したのは、やはりいわゆる戦争というものが一般的に違法視され、その中においても、自国が侵略を受けたときにそれを個別的自衛権をもって反撃をするということは、少なくともこれは固有の国家の権能として何人も疑い得ないところだと思います。

 ところが、御承知のように、国連憲章のできる前からいろいろ地域的な取り決めがあって、共同防衛というような形ができていたわけです。それを何らかの形で国連憲章上認めようというところから、集団的自衛権という観念がそこへ出てきたのだ。そういう意味では、本来的な意味の自衛権ではございませんけれども、いわば主権国家として、すべての国は個別的自衛権と集団的自衛権とを持つということが確認されたわけで、わが国も国連に加盟をするというときに、平和条約によって独立を回復し、さらに国連加盟によってそういう点が世界のほかの国々と同じように主権国家としてそれを持った、こういうことになると思います。その点は御容認願えると思います。

 ところが、それにもかかわらず、わが憲法というのは世界のどこにもない憲法でございまして、そして憲法九条の解釈として、自衛権というものは政府がたびたび申し上げているように持っているわけでございますけれども、その自衛権というものはあくまで必要最小限度と申しますか、わが国が外国からの武力攻撃によって国民の生命とか自由とかそういうものが危なくなった場合、そういう急迫不正の事態に対処してそういう国民の権利を守るための全くやむを得ない必要最小限度のものとしてしか認められていない、こういうのが私どもの解釈でございます。

 そうなりますと、国際法上は集団的自衛権の権利は持っておりますけれども、それを実際に行使することは憲法の規定によって禁じられている。つまり、必要最小限度の枠を超えるものであるというふうに解釈しているわけです。そこで、国際法上は持っているにもかかわらず、現実にそれを行使することは国内法によって禁止をされている、こういうふうにつなぎ合わせているわけでございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第94回国会 衆議院 法務委員会 第18号 昭和56年6月3日

 

第96回国会 参議院 予算委員会 第6号 昭和57年3月12日

第96回国会 参議院 予算委員会 第9号 昭和57年3月16日

第96回国会 参議院 外務委員会 第7号 昭和57年4月20日

第104回国会 衆議院 予算委員会 第19号 昭和61年3月5日(発言番号180)

第104回国会 衆議院 予算委員会 第19号 昭和61年3月5日(発言番号226)

第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第11号 平成4年5月22日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○政府委員(大出峻郎君) 集団的自衛権と憲法との関係ということでございます。

 国際法上、国家は集団的自衛権、すなわち自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が直接攻撃されていないにかかわらず実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、我が国が国際法上このような集団的自衛権を有していることは主権国家である以上当然であると考えられます。

 しかし、政府は、従来から一貫して我が国が集団的自衛権を行使することは憲法上許されないとの立場に立っておるわけであります。それは、憲法第九条のもとにおいて許容されている自衛権の行使というのは我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであるというふうに解しておりまして、集団的自衛権を行使することはその範囲を超えるものであって、したがって憲法上許されないというふうに考えておるところであります。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第129回国会 参議院 予算委員会 第13号 平成6年6月13日


第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第4号 平成11年5月11日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○政府委員(大森政輔君) 事前にただいま引用されました文献に目を通してみたんですが、知的アクロバットというのは当たらないのではなかろうかと思うわけでございます。

 要するに、憲法九条は、一見いたしますと、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と、あたかも一般的な否定の観を呈しているわけですが、こういう憲法九条のもとでも自衛権というものは否定していないんだということが昭和二十九年のあの見解であるわけでございます。

 すなわち、日本国は独立主権国として自国の安全を放棄しているわけではない。それは、憲法上も平和的生存権を確認している前文の規定とか、あるいは国民の生命、自由あるいは幸福追求に対する権利を最大限度尊重すべき旨を規定している憲法十三条の規定等を踏まえて憲法九条というものをもう一度見てみますと、これはやはり我が国に対して外国から直接に急迫不正の侵害があった場合に、日本が国家として国民の権利を守るための必要最小限の実力行使までも認めないというものではないはずである。これが自衛権を認める現行憲法下においても自衛権は否定されていないという見解をとる理由であります。

 これがひいては、集団的自衛権を否定する理由にもなるわけでございまして、しかしながら集団的自衛権の行使というものは、他国に対する武力攻撃があった場合に我が国自身が攻撃されていないにもかかわらず、すなわち我が国への侵害がない場合でも我が国が武力をもって他国に加えられた侵害を排除することに参加する、これが集団的自衛権の実質的な内容でございますので、先ほど申しました憲法九条は主権国家固有の自衛権は否定していないはずであるという理由づけからいたしますと、そういう集団的自衛権までも憲法が認めているという結論には至らないはずである。

 したがいまして、先ほど御指摘になりました文献がコメントしているようなそういう自衛隊合憲論を守り通すために集団的自衛権を否定しているんだというものではございませんで、自衛隊は合憲である、しかし必然的な結果といいますか、同じ理由によって集団的自衛権は認められないんだということ、そういうふうに考えているわけでございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第9号 平成11年5月20日


第153回国会 参議院 外交防衛委員会、国土交通委員会、内閣委員会連合審査会 第1号 平成13年10月23日

第153回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成13年10月26日

第156回国会 参議院 予算委員会 第11号 平成15年3月14日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○政府参考人(宮崎礼壹君)

(略)

 憲法第九条は、第一項におきまして、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定しておりまして、さらに、同条第二項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定しております。

 解釈論といたしましてはここから出発するしかないわけでございます。この文理だけから見ますと、一見いたしますと、我が国による実力の行使は一切禁じられているようにも見えるわけでございます。

 しかしながら、憲法前文で確認しております日本国民の平和的生存権や、憲法十三条生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えますと、憲法九条は、外国からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされているような場合に、これを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないというふうに解されるところであります。

 すなわち、先ほど述べました憲法九条の文言にもかかわらず自衛権の発動として我が国が武力を行使することができる、認められるのは、当該武力の行使が、外国の武力攻撃によって国民の生命や身体あるいは権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処して国と国民を守るためにやむを得ない措置であるからだというふうに考えられるわけであります。

 ところで、お尋ねの集団的自衛権は、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止する権利というふうに解されております。

 このように、集団的自衛権は、我が国に対する急迫不正の侵害に対処する、直接対処するものではございませんで、他国に加えられた武力攻撃を武力で阻止することを内容とするものでありますので、先ほど述べましたような個別的自衛権の場合と異なりまして、憲法第九条の下でその行使が許容されるという根拠を見いだすことができないというふうに考えられるところでございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第156回国会 参議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 第9号 平成15年6月2日

 

第156回国会 衆議院 イラク人道復興支援並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会 第4号 平成15年6月27日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
○秋山政府特別補佐人 
(略)
 それで、政府は、従来から、その九条の文理に照らしますと、我が国による武力の行使は一切できないようにも読める憲法九条のもとでもなお、外国からの武力攻撃によって国民の生命身体が危険にさらされるような場合に、これを排除するために武力を行使することまでは禁止されませんが、集団的自衛権は、我が国に対する急迫不正の侵害に対処するものではなく、他の外国に加えられた武力行使を実力で阻止することを内容とするものでありますから、憲法九条のもとではこれの行使は認められないと解しているところでございます。
(略)
 それから、御質問の後段の、憲法解釈において政府が示している、必要最小限度を超えるか超えないかというのは、いわば数量的な概念なので、それを超えるものであっても、我が国の防衛のために必要な場合にはそれを行使することというのも解釈の余地があり得るのではないかという御質問でございますが、憲法九条は、戦争、武力の行使などを放棄し、戦力の不保持及び交戦権の否認を定めていますが、政府は、同条は我が国が主権国として持つ自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を保有し行使することは認めていると考えておるわけでございます。
 その上で、憲法九条のもとで許される自衛のための必要最小限度の実力の行使につきまして、いわゆる三要件を申しております。我が国に対する武力攻撃が発生したこと、この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、それから、実力行使の程度が必要限度にとどまるべきことというふうに申し上げているわけでございます。

 お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。

 したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 憲法第九条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見えるが、政府としては、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第十三条生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えると、憲法第九条は、外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていないと解している。

 これに対し、集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利と解されており、これは、我が国に対する武力攻撃に対処するものではなく、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とするものであるので、国民の生命等が危険に直面している状況下で実力を行使する場合とは異なり、憲法の中に我が国として実力を行使することが許されるとする根拠を見いだし難く、政府としては、その行使は憲法上許されないと解してきたところである。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

政府の憲法解釈変更に関する質問に対する答弁書 平成16年6月18日

 







憲法解釈の方法について

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

○政府特別補佐人(津野修君) 先ほど内閣法制局の見解と言われましたけれども、これは政府の見解として基本的になっておりますので、その点はまず申し上げておきたいと存じます。

 ただいま御指摘の、一般論として政府の憲法解釈と申しますのは、これはその規定の文言とか趣旨とか等に即しながら立法者の意図あるいはその背景となる社会情勢等を考慮し、また議論の積み重ねのあるものについては、全体の整合性を保つことにも留意して論理的になされてきたものであります。政府が、こうした考え方を離れて自由に変更できるというような性格のものではないと私どもは考えております。

 お尋ねの集団的自衛権に係る憲法の解釈につきましても、これは過去、幾多の国会での議論の積み重ねによりまして、それで固まってきたものでありまして、その変更については十分慎重でなければならない非常に難しい問題であるというふうに考えております。

(略)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第153回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成13年10月26日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

政府特別補佐人(秋山收君) 憲法は我が国の法秩序の根幹でありまして、また、憲法九条につきましての政府解釈は九条の文言等についての論理的な検討の結果でございますし、また過去の国会等における論議の積み重ねを経てきたものでございます。このようなことを離れて、政府が憲法九条の解釈を変更して集団的自衛権の行使が認められるとすることは難しいものと考えております。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

政府特別補佐人(秋山收君) 憲法の解釈はその法令の規定の文言、趣旨などに則しつつ、立案者の意図も考慮し、また、議論の積み重ねのあるものにつきましては全体の整合性も保つことにも留意して論理的に確定されるべきものでございます。

 このような観点から検討いたしまして、当局としては、現行憲法第九条の下において集団的自衛権の行使は許容されるという解釈を十分説得力のある論理として構築することは困難であると考えております。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

第156回国会 参議院 予算委員会 第11号 平成15年3月14日

 





 9条解釈に必要となる知識、用語をチェックしてみよう。

 


9条解釈 用語チェック 全19問


正誤

  

問題

  

選択