同性婚と憲法


 


日本弁護士連合会の意見書の分析

〇 日弁連の意見書

 ここでは「日弁連の意見書」に対していくつか指摘するが、当サイトは「同性婚」に対して賛成・反対の立場で論じるつもりはない。法的な整合性を保とうとする観点から必要となる考え方を提起し、妥当な結論を導こうとするものである。


 下記の「同性愛」との記述は注意して読み解く必要がある。


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また、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」するという憲法24条1項について、日弁連は、「憲法の制定当時は同性愛を想定していなかった」などとして、同性婚を法律で認めることを禁止せず、「むしろ許容している」と結論づけた。
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「同性婚ができないのは重大な人権侵害」 日弁連が国に法制化を求める意見書 2019年07月25日


 当サイトは、婚姻制度を設ける趣旨を「人を愛する感情を保護すること」にあるかについては未だ明確となっていないと考えている。そのため、当サイトでは「異性愛」や「同性愛」との文言は意図的に避けるようにしている。

 ここに記載された「同性愛を想定していなかった」との言葉には、既に婚姻制度の趣旨を「人を愛する感情を保護すること」にあると考えることを前提とするものが含まれており、未だ明確となっていない部分を一方的に確定させようとする部分が見られるため、論じ方としては適切ではない。

 婚姻する者の中には、「政略結婚」の場合や「第一希望の恋愛感情が満たされず諦めた者」、「恋愛感情に基づかない関係の者」、「同性愛者であるが異性婚を選択した者」もいるはずである。「契約結婚」などの利害関係や、「見合い婚」などの第一印象で婚姻する場合も存在し、たとえ「異性愛」であったとしても、必ずしもその「愛する感情」が婚姻に結びつくとは限らないのである。



 下記の「婚姻が一対一の結合をその本質とすることにあり」の記述にも注意する必要がある。

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・同性婚を認めることは、民法が禁止している重婚なども認めざるを得ないと懸念を示す論者もいるが、重婚の禁止の趣旨は、婚姻が一対一の結合をその本質とすることにあり、そもそも許されるべきものではではない。同性婚を認めることとは全く次元を異にする。
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(リンクは上記サイトと同じ)

 当サイトは、婚姻について「一対一の結合をその本質とすることにあ」ると断定できるかについては未だ明確ではないと考えている。他国には「男性一人と女性四人まで」の婚姻を認めている場合もあり、「婚姻が一対一の結合をその本質とすることにあ」ると考える法的な根拠は見出すことはできないと考えている。そのため、重婚について「そもそも許されるべきものではない。」と結論付けることは、「いわゆる歴史的、伝統的結婚観」に基づく主張であり、法的な根拠を有せず妥当でない。

 論者は「いわゆる歴史的、伝統的結婚観による婚姻の意義を生殖と子の養育を目的とするものと限定することは、正当な理由としてなり得ない。」として「歴史的、伝統的結婚観」を排除しようとする立場に立っているが、論者自身が婚姻について「一対一の結合をその本質とすることにあ」ると考えている部分が「歴史的、伝統的結婚観」に基づく主張となっており、矛盾するものとなっている。

 また、当サイトでは、婚姻の趣旨を「生殖と子の福祉(生殖と子の養育)」にあると考えることを、「歴史的、伝統的結婚観」に基づくものとは考えておらず、社会制度を構築する上で一定の合理性を認めることのできる仕組みとなるものではないかと考えている。もし婚姻制度を構築することで達成しようとする「生殖と子の福祉」などの目的を別の制度で代替できるのであれば、婚姻制度そのものを廃止することも可能と考えている。(例えば、その国で生まれた子供はすべて国の保育施設で24時間育てる制度を構築するなど。)

 上記ページには「同性カップル」「異性カップル」との記載もあるが、当サイトは、「カップル」という言葉も「二人一組」を前提としている文言であるため、意図的に避けている。婚姻は「カップル」の形に限られるものではないと考えることができるが、あたかも「二人一組」を前提として考えている点で、論じ方として適切ではない。

 上記のページが「生殖と子の養育」との文言であるが、当サイトは「生殖と子の福祉」の文言の方が適切と考えている。これは、「子の養育」の文言が親から目線であることに比べ、「子の福祉」は子供目線となると考えるからである。当サイトの視点は、婚姻したからといって子供を産まなければならないとは考えていないが、「子の福祉」に貢献しない制度であれば、婚姻制度そのものを廃止しても構わないのではないかぐらいのことは想定している。「子の養育」という言葉には、子供を有する婚姻当事者を子供抜きの視点から婚姻制度を考えている点にやや抵抗感を感じるところである。「生殖によって生まれてきた子供を親が育てるための婚姻制度」と考えるのか、「生殖によって生まれてきた子供のための婚姻制度」と考えるかの違いである。婚姻当事者は容易に離婚できるが、親と子の関係を切ることは難しいことを忘れてはならない。親と子の関係を切ることは、一般に「子の福祉」の観点から推奨されないことが多い。その意味で、婚姻制度の構築を婚姻当事者の視点だけでなく、「子の福祉」の視点から考えることが非常に重要と思われる。これについて、婚姻当事者を基盤とする「子の養育」との文言には、婚姻当事者の都合を優先しようとする観点を感じる点で適切とは思われない。

 上記ページには、「そもそも、子どもを産み育てるかどうかは、最も私的な領域に属することであり、人としての生き方の根幹に関わり、憲法13条の自己決定権として、またリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する健康・権利)として保障される。そのため、いわゆる歴史的、伝統的結婚観による婚姻の意義を生殖と子の養育を目的とするものと限定することは、正当な理由としてなり得ない。」との記載もある。しかし、「子供を産み育てるかどうか」の自由が13条で保障されるとしても、婚姻制度が「子の福祉」に貢献するものとなっているか否かが重要な点であり、婚姻制度が婚姻当事者の利益のためにのみ構築されていると考えることは短絡的な発想である。「異性婚」を廃止して「同性婚」のみを立法化することに意義を見出すことができないことから明らかとなることは、「子の福祉」の趣旨は婚姻制度を構築するにあたって切り離すことができない重要な要素となっていることである。当サイトは婚姻制度の趣旨(意義)を「生殖と子の福祉(生殖と子の養育)」にあると考えることを「歴史的、伝統的結婚観」とは考えていない。また、婚姻制度を構築する趣旨(意義)を「生殖と子の福祉(生殖と子の養育)」にあると考えることには正当な理由を見出すことは可能と考えている。婚姻制度の趣旨(意義)を「生殖と子の福祉(生殖と子の養育)」に「限定」するか否かであるが、制度構築の主要な部分であり、整合的な法秩序を維持する上では趣旨(意義)を明らかにすることで一定の限界を認めざるを得ない場合もあると考えている。婚姻制度に他の趣旨(意義)を認めることも可能として、制度上の恩恵を受けられないことを理由に平等権に抵触すると考えるとしても、それは婚姻制度を構築する主要な部分を損なわせるものとならないような形でなければならないと考えられる。そうでなければ、婚姻制度を構築することで達成しようとした目的となるものを達成できない事態に陥り、婚姻制度が成り立たなくなるからである。(もちろん廃止する選択肢もある。)


 「同性婚を認めることは、民法が禁止している重婚なども認めざるを得ないと懸念を示す論者」とは、当サイトと同様の意見を持つ者であるが、「婚姻が一対一の結合をその本質とすることにあ」るという認識が、先ほど指摘したように「歴史的、伝統的結婚観」に基づく法的な根拠を有しない主張であれば、同性婚を認めた場合に「重婚なども認めざるを得ない」と導かれてしまう懸念は未だ払拭されていない。重婚不存在違憲訴訟が提起された場合に、法的に「婚姻が一対一の結合をその本質とすることにあ」るとの認識は直ちに導かれず、重婚を排除する法的な理由は存在しないのである。これにより、「同性婚を認めることとは全く次元を異にする。」との話にも根拠はない。



 下記の結論にも注意する必要がある。

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・こうした理由から、法制度上同性婚を認めないことは、憲法14条の定める平等原則に反するものである。
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(リンクは上記サイトと同じ)

 14条の平等原則に反するとの考えであるが、24条が14条に対する憲法上の例外と考える場合や、婚姻制度を設ける立法上の趣旨が「生殖と子の福祉」や「未婚の男女の子を持つ可能性を確保すること」にあると考える場合などには、婚姻制度を「異性婚」に限定するとしても合理的な理由があり、違憲とはならない可能性がある。そのため、未だそれらの論点が明確でないならば、「平等原則に反するものである。」との結論は導かれない。




 下記の資料には、いくつか論拠の不備が見られる。(下線・太字は筆者)

同性の当事者による婚姻に関する意見書 日本弁護士連合会 2019年7月18日 PDF


P1
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しかし,我が国の法制度上,法令上の性別が同性の者同士の婚姻(以下「同性婚」という。)が認められていないために,自らの性的指向に従う限り,法的な婚姻ができず,婚姻によって与えられる各種の法的効果や社会的便益を得られない地位に置かれている者がある。
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 との記載があるが、「自らの性的指向に従う限り,法的な婚姻ができず」との部分には婚姻制度の趣旨を「人を愛する感情を保護すること」にあると考え、さらにその「感情」に従った婚姻しか許されていないかのような前提認識を有している点で論じ方として適切ではない。婚姻制度の趣旨は、未だ「人を愛する感情を保護すること」にあるのかは明確とはなっていない。また、法制度上「性的指向に従って婚姻しなければならない」との拘束はなく、「異性婚」であれば誰でも「法的な婚姻」は可能である。この点を混同すると、整合的な婚姻制度を設計することができなくなるため注意が必要である。


P6
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(4) 民法上の効力以上の自治体における制度は,いずれも家族に関する法の基本を定める民法の婚姻の制度を変更修正する効力を持つものではない。しかし,公権力が明確に同性に性的指向が向く者の存在を認め関心を示したという点において画期的な意義を持ち,同性婚に対する人々の理解を促進している。
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 との記載があるが、「同性に性的指向が向く者の存在を認め」ることは、19条の「思想良心の自由」の観点からも当然である。しかし、そのことが直ちに「同性婚」の制度を設けるか否かという議論には繋がるわけではないと考えられる。なぜならば、婚姻制度を「人を愛する」という特定の思想を保護する制度と考え、「現在『異性愛』の思想が保護されているが、『同性愛』の思想が保護されていない」と考えることは、そもそも国家が特定の思想を優遇するために制度(婚姻制度)を構築していることとなり、妥当でないからである。そのような「思想」に着目して婚姻制度を構築していることとなると、「異性愛」や「同性愛」というものが特定の信仰に基づく価値観であったり、宗教的観念である可能性も排除しきれず、国家がそれらの観念を優遇することは特定の思想や宗教に対する優遇措置となることから適切ではなく、婚姻制度そのものを廃止に向かわせる可能性も生まれると考えられる。婚姻制度を「思想」に着目した制度であると考えることは相当と思われない。

 国家が「キリスト婚」、「イスラム婚」、「神道婚」、「仏教婚」などから一部の思想を選択し、その一部の思想に基づく婚姻のみを法律上の婚姻として制度化することが適切でないように、現在の「異性婚」の婚姻制度を「異性愛」という特定の思想に着目して構築されたものと考えることは相当ではない。もし特定の思想に着目して婚姻制度が構築されていると考えるのであれば、特定の宗教団体の婚姻のみを法律上の婚姻として保護し、その他の婚姻は法律上の制度として認めないとすることも可能となってしまう恐れがある。また、「単婚」という思想を制度上保護し、「重婚」という思想を制度上で保護しないことは、思想による差別となり、14条の平等権に違反することとなり得る。


P6
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7 弁護士会・法学研究者 北海道弁護士会連合会は,2018年7月27日,異性間では認められている婚姻が同性間では認められていないことが,同性間での婚姻を求める者に対する人権侵害にあたるとして,政府及び国会に対し,同性間の婚姻を認める法制度を整備することを求める旨の決議をなしている。
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 との記載があるが、「人権侵害」にあたるか否かは、立法趣旨に照らし合わせて考える必要がある。「同性間での婚姻を求める者に対する人権侵害」との記載があるが、「重婚」の制度が存在しないことは、「重婚を求める者に対する人権侵害」にあたるか否かなども検討する必要があるが、この意見書では説得的な論拠をもって論じられておらず、「同性間での婚姻を求める者」に対してのみ「人権侵害」が成立すると考える論拠は不十分と思われる。

   【参考】「多重婚を認めないのは妾と妾の子に対する重大な人権侵害」 Twitter


P7
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自己決定権として婚姻の自由を捉えるときの婚姻の本質的な要素は,当事者の人格的な結合である。この人格的な結合は,相手と 継続的に協力し合い親密で人格的な結び付きを維持形成することであり,人格的生存に深く関わる価値を持つ。
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 との記載があるが、本当に「婚姻の本質的な要素」は「当事者の人格的な結合」なのであろうか。「人格的な結合」が見られない婚姻当事者(夫婦)は「婚姻」していないのであろうか。この定義がどこから生まれた用語なのか気になるところである。
 その後、P8で「したがって,これらの点で,同性同士の結合の場合においても,婚姻の自由を保障する必要性があることに違いはない。」との記載があるが、「婚姻制度の本質的な要素」を「当事者の人格的な結合」に求めた場合にはそのような論理展開となり得るが、「生殖と子の福祉」にあると考えた場合などには結論は異なると思われる。「当事者の人格的な結合」という前提がどこから導かれている概念であるのかを検討する必要がある。



P8
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そして,同性同士の結合の場合には,自然な生殖の可能性はないという点で,異性同士の結合とは異なる。しかし,異性同士の結合であれば,生殖の可能性や子を持つ意思がなくても,当然のごとく婚姻として認められている。このことからすれば,夫婦間の自然な生殖の可能性の有無によって婚姻の自由の保障が及ぶか否かを異別に解するのは必ずしも相当ではない。
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 との記載があるが、検討を要する。異性婚が「生殖の可能性や子を持つ意思がなくても,当然のごとく婚姻として認められている。」との事実が適切であるか否かは、婚姻制度を構築する立法趣旨から判断されるべきものと考えられる。そのため、事実として「当然のごとく婚姻として認められている。」ことをそのまま「同性婚」を認めるべき理由となるかについては、立法趣旨から合理的理由があるかないかによって判断するべきと考えられる。ただ、この「意見書」では、「婚姻の本質的な要素」について「当事者の人格的な結合である。」と言い切っているが、この点に賛同できない場合、直ちに「同性婚」を「生殖の可能性や子を持つ意思」のない「異性婚」と同様に認めるべきとする結論は導かれないように思われる。


P8
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(3) 小括
 異性同士の結合に自己決定権としての婚姻の自由が認められている根拠はそれが人格的生存に深く関わる価値を有するところにある。同性同士の結合も異性同士の結合と同様に人格的生存に深く関わる価値を有する。したがって,同性同士の結合にも,自己決定権としての婚姻の自由が保障されるべきことは明らかである11。
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 との記載があるが、この論じ方であれば、「重婚」についても「自己決定権としての婚姻の自由が認められている根拠」として「人格的生存に深く関わる価値を有する」として正当化することが可能である。これにより、「重婚」についても同様に、「自己決定権としての婚姻の自由が保障されるべきことは明らかである」と結論付けることができるが、それでいいのだろうか。この論じ方であれば、「近親婚」も認められることとなり、民法上で「近親婚」を禁じようとした立法趣旨を達成できないこととなる。


   【参考】「妹と「事実婚」は可能か?」

   【参考】同性婚と近親婚 2015-04-02


P8
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 現在,性的指向が異性に向く者は,その選択した者を配偶者として婚姻(法制度上の婚姻を意味する。)できるのに対して,性的指向が同性に向く者は,その選択した者を配偶者として婚姻できないことから,性的指向を区分として法的に婚姻できるかについて異なる取扱いがなされている
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 との記載があるが、現在の婚姻制度そのものは、戸籍上(と思われる)の男女の婚姻を許容しているだけであり、「性的指向」とは関係がない。それにもかかわらず、あたかも「性的指向」によって婚姻制度が「同性愛者」に対して異なる扱いをしているかのような論じ方は正確なものではない。婚姻制度そのものは、「性的指向」を審査しておらず、「同性愛者」であっても「異性婚」は可能であるし、「異性愛者」であっても、同性との婚姻は不可能である。


P11
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ゆえに,国家が子を養育している家庭を保護することは肯定され積極的に推進されるべきこととしても,国家が生殖と養育を目的とする男女の結合のみを婚姻として保護することは,それ以外の婚姻の在り方を認めないことの正当化事由足り得ない
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 との記載があるが、論者自身も婚姻制度の主な要素として「国家が子を養育している家庭を保護すること」にあることは認めているようである。しかし、「国家が生殖と養育を目的とする男女の結合のみを婚姻として保護することは,それ以外の婚姻の在り方を認めないことの正当化事由足り得ない。」との部分は、意味がよく分からない。国家が「国家が子を養育している家庭を保護する」ことを主な目的として婚姻制度を構築することは可能である。また、たとえ婚姻しても「生殖と子の養育」を行わない者もいるというだけであると思われる。ここで「それ以外の婚姻の在り方」に分類されている「生殖と子の養育」を行わない場合について、国家は特に認めたり認めないなどとする判断を行っていない。国家が「子を養育している家庭を保護すること」を重要と考え、制度構築の趣旨を「生殖と子の養育」に見出し、民法上の私人の関係を規律する制度として婚姻制度を形成することも可能と考える。むしろ、私人の間で「生殖と子の養育」を保護する必要性が想定されないのであれば、婚姻制度そのものを廃止することも可能と思われる。



P11
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したがって,いわゆる歴史的伝統的な結婚観により婚姻の意義を生殖と子の養育を目的とするものと限定することは,そもそも婚姻について別異の例外を認めるための正当化事由とはなり得ない
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 との記載があるが、文章として正確に意味を読み取ることができなかった。どういう意味だろうか。論者は、婚姻制度の意義を「生殖と子の養育」に限定して考えることは「歴史的伝統的な結婚観」に基づくものとして否定しようとしているはずである。しかし、「『生殖と子の養育』に限定することは、例外を認めるための正当化事由にはならない」と説明していることになるが、婚姻制度を構築する意図が「生殖と子の養育」にあると考えるのであれば、それにふさわしい制度が構築されているだけであり、その制度を利用するか否かは当事者の自由とするものである。特に国家は「生殖と子の養育」を行わないものを例外として認めようとしているわけでもなく、例外として正当化しなければならないとすることにもならない。そのため、「正当化事由とはなり得ない。」との論じ方の意味が何を言っているのかよく分からない。


P11
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 しかし,民法が定める婚姻の実質的消極的要件の制定理由は,要件ごとに異なっており,あくまで自己決定権や平等原則との関係で個別に検討していくべき問題である。
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 「民法が定める婚姻の実質的消極的要件の制定理由は,要件ごとに異なって」いるとするならば、婚姻制度そのものの制定理由が「生殖と子の福祉」であるとして「異性婚」のみにあると考えることも可能である。すると、「同性婚」を認めた上で、「民法が定める婚姻の実質的消極的要件」を個別に検討していくべきとの考え方も、そもそも「制定理由」に従って「同性婚」が認められない場合が考えられるため、「同性婚」が認められることを前提とした論じ方は妥当でない。
 また、「同性婚」を「自己決定権」や「平等原則」で認めようとするならば、「重婚」や「近親婚」を禁じる規定についても「自己決定権」や「平等原則」との関係で解除し得ることとなり、そもそもの婚姻制度を構築しようとする立法趣旨が達成されない事態に陥ると考えられる。「同性婚」を認めた場合に「重婚なども認めざるを得ないことになりかねないとの懸念」は解消されていない。


P11
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例えば,重婚の禁止の趣旨は,婚姻が人と人の結合,つまり一対一の結合をその本質とすることにあり21,それ自体,個人の尊厳と両者の本質的平等に立脚した婚姻制度による当然の帰結と言える。 それゆえ,重婚とは,自己決定権や平等原則との関係においても許されるべきものではないのであり,同性婚を認めることとは全く次元を異にするものである。
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 「両者の本質的平等に立脚した婚姻制度による当然の帰結」の部分について、憲法24条には「個人の尊厳と『両性』の本質的平等」と記載されており、ここで「両者」の文言が根拠なく使用されているのは不自然である。そのため、「当然の帰結」と言える根拠は示されていない。
 また、「婚姻が人と人の結合,つまり一対一の結合をその本質とすることにあり」との認識についても、他国では重婚が許容されている場合もあり、「一対一」であることについて法的な根拠に基づかない主張となっている。これにより、「重婚」が「許されるべきものではない」との主張にも根拠はなく、「同性婚を認めることとは全く次元を異にする。」との結論も導かれない。

 「重婚」が「自己決定権や平等原則との関係においても許されるべきものではない」との主張も、意味がよく分からない。「自己決定権」によって「重婚」を望む場合もあるだろうし、「平等原則」についても、複数の会社に同時に勤めて副業を行う者が「平等原則」によって否定されることがないように、特に否定される原因にならないように思われる。

   【参考】「自己決定権と複数婚禁止の関係ってそんなに簡単じゃないはず」 Twitter

   【参考】「『人はひとりだけを愛するものだ』という先入観に支配されていて」 Twitter

   【参考】「複数婚実践してる人達だってたくさんいるんですよ?!」 Twitter

   【参考】生贄にされるポリアモリー~日弁連の重婚ディスりにビックリした話~ 2019-07-29



P11
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 したがって,民法が定める他の消極的要件との関係は,性的指向によって別異の取扱いをする正当化事由とはなり得ない。
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 そもそも、婚姻制度の趣旨が「人を愛する感情を保護すること」にあるとは明確となっていないのであり、婚姻制度が「性的指向」による希望を実現するための制度であるべきとの考え方は直ちに導かれるものではない。「民法が定める他の消極要件」についてであるが、この要件のいくつかは、婚姻制度を構築する趣旨が「生殖と子の福祉」にあることを明らかにするものであり、そもそも婚姻制度が「性的指向」による「異性愛」という特定の思想を保護しようとしたものとは異なることも明らかとなる。


民法
731条(婚姻適齢)
732条(重婚の禁止)
733条(再婚禁止期間)
734条(近親者間の婚姻の禁止)
735条(直系姻族間の婚姻の禁止)
736条(養親子等の間の婚姻の禁止)
737条(未成年者の婚姻についての父母の同意)
738条(成年被後見人の婚姻)


 婚姻制度は「性的指向によって別異の取扱い」をしているわけではないし、特定の「性的指向」を保護しようとしているものでもない。


P12
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 具体的な改正方法としては,民法の婚姻の章の冒頭に「二人の者による婚姻はその者の性別にかかわらず有効である」との条文を置くとともに,各法令における夫婦などの用語を同性の者による婚姻も含む用語に置き換えることが考えられる。また,嫡出推定(同772条)や再婚禁止期間(同733条)の適否なども技術的な問題にすぎない。
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 婚姻制度を構築する理由がなぜ「二人一組」としているのかという立法趣旨が未だ明らかでない中で、「同性婚」を許容するための規定を入れることは、そもそも婚姻制度を構築する趣旨から「生殖と子の福祉」や「未婚の男女の数の不均衡を抑制し、未婚の男女の子を持つ可能性を確保する」などの趣旨が失われることとなり、同時に「二人一組」に限っているとする規定が「重婚」を求める者に対する平等権侵害となり得る。そのため、婚姻の趣旨を明らかにしない中で「同性婚」を許容しようとすることは、婚姻制度を構築することで達成しようとした立法趣旨を損なうこととなり得る。「嫡出推定」や「再婚禁止期間」の適否などについて、「技術的な問題にすぎない。」としているが、婚姻制度の理念や趣旨が明らかでない中で技術的に許容したり否定したりすることは、整合的な法秩序を形成することができなくなるため過小評価することはできない。


P12
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(5) 小括
 以上から,法制度上,同性婚を認めないことは,憲法14条の定める平等原則に反するものである22 23。
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 との記載があるが、憲法24条が婚姻制度を予定している趣旨が、14条の平等原則の及ばない例外的な規定であると考える場合や、婚姻制度の趣旨が「生殖と子の福祉」にあると考える場合には、合理的な理由となることが考えられることから、「同性婚を認めない」としても「憲法14条の定める平等原則に反するものである」と結論付けることはできない。
 この論者は「人を愛する感情」を正当なものとして国家に保護してもらいたいとの主張となっているが、特定の感情や思想、宗教的観念を保護してもらおうとするものと何ら変わらないとも考えられる。この点の整合性はどのように保つのだろうか。(板まんだら事件

 また、同様の主張によって「『近親婚』を認めないことは,憲法14条の定める平等原則に反するものである」と主張した場合に、「近親婚」も認められると考えているのだろうか。この主張にも疑問がある。


P13
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 同条1項は,当事者の合意のみを要件とする婚姻の自由を保障しているが,これは,自己の意思に反する婚姻を強制されず,また,婚姻の成否への両当事者以外の第三者の意思の介入を禁じることを目的としたものである24。最高裁も,同項について,「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。」と判示しているところであり(最大判平成27年12月16日民集69巻8号2586頁),同項の趣旨は婚姻が当事者の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきものを明らかにする趣旨であって,同性婚を禁止する趣旨ではない。
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 上記の判例の内容は下記の通りである。

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 ところで,婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものである。したがって,その内容の詳細については,憲法が一義的に定めるのではなく,法律によってこれを具体化することがふさわしいものと考えられる。憲法24条2項は,このような観点から,婚姻及び家族に関する事項について,具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに,その立法に当たっては,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請,指針を示すことによって,その裁量の限界を画したものといえる。また,同条1項は,「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」と規定しており,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。婚姻は,これにより,配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)などの重要な法律上の効果が与えられるものとされているほか,近年家族等に関する国民の意識の多様化が指摘されつつも,国民の中にはなお法律婚を尊重する意識が幅広く浸透していると考えられることをも併せ考慮すると,上記のような婚姻をするについての自由は,憲法24条1項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる。
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 憲法24条2項について、国会の立法の際の「その裁量の限界を画したものといえる。」としている部分について、「両性」の文言が裁量の限界を画したものと考える場合には、「同性婚」は許容されない可能性がある。そのため、「同性婚を禁止する趣旨ではない。」と直ちに結論付けることは適切ではない。「裁量の限界」に抵触して「同性婚」は許容されないと結論付けられる可能性も考えられるのである。


P13
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このように,憲法24条全体の趣旨は,明治憲法時代の家父長制度の解体と個人の尊厳と両性の本質的平等を徹底した新しい家族制度の構築にあり,制度の構築に当たって立法裁量を画する意義をも有するというべきであり,このような同条2項の趣旨から同性婚を禁止する趣旨を読み取ることはできない。
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 「憲法24条全体の趣旨」が、「明治憲法時代の家父長制度の解体と個人の尊厳と両性の本質的平等を徹底した新しい家族制度の構築にあ」るとしても、婚姻制度そのものを構築している意図が「生殖と子の福祉」にあると考える場合には、憲法24条の「両性」や「夫婦」の文言は「制度の構築に当たって立法裁量を画する意義をも有する」ものとなり、「同性婚」を許容しない趣旨であると読み取ることができる。もし「同性婚を禁止する趣旨を読み取ることはできない。」と考えるのであれば、24条から「近親婚」を禁止する趣旨を読み取ることができないため「近親婚」は許容されることになるし、「重婚」を禁止する趣旨も読み取ることができないため「重婚」も可能となるはずである。また、「婚姻適齢」に満たない者の婚姻も禁止する趣旨を読み取ることができないことから、「婚姻適齢」の制度を廃止させることも可能となる。しかし、そうなると、そもそも「婚姻制度」とは何だったのかという問題に行き着いてしまうことが考えられる。婚姻制度の条文解釈においては、制度構築の趣旨を切り離して考えることはできないように思われる。


P14
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したがって,「両性の合意のみ」との文言が同性の婚姻を禁止する趣旨まで有すると考えることはできない。
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 との記載があるが、「両性」の文言は、立法権の「裁量の限界」を示したものと考える場合、「同性の婚姻」は「裁量の限界」を超えると解釈することも可能となる。


P16
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(3) 小括
 以上のとおり,同性パートナーシップ制度は,各国で社会的歴史的に積極 的な役割を果たしてきた点については評価できるが,人格的価値の平等の観点からは不十分であることは否めず,同性愛者に対する差別や偏見を助長するおそれを孕んでいる点に留意せざるを得ない。
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 「同性婚」を認めることによって「同性愛者」に対する差別を軽減しようとする政策的意図についてであるが、「異性愛者」であっても未婚者や非婚者も存在するため、「同性婚」を認めることが直ちに「同性愛者」に対する差別が軽減されるとの考え方を採ることは難しいように思われる。
 また、「同性愛者」であっても、「異性婚」を行うことは可能であり、婚姻する権利が存在しないわけではない。
 「同性愛者」であることに対する差別を「同性婚」を設けることによって解消しようと試みるのであれば、それは「同性愛」という「感情」を婚姻制度に結び付けて考えている点で、婚姻制度の趣旨を「人を愛する感情を保護すること」にあると考えようとするものである。しかし、婚姻制度の趣旨を「人を愛する感情を保護すること」にあると考えるのであれば、複数の者を同時に愛する者が「重婚」を求めた場合に、「特定の一人のみを愛する感情を保護する制度」は思想による差別となるため、平等権に反し、憲法違反となる。これにより、「重婚」の制度が設けられることとなるが、未婚の男女の数の不均衡によって「未婚の男女の子を持つ可能性」が損なわれるなどの影響が考えられる。


P16
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5 結語
 以上のとおり,同性婚を認めないことは,憲法13条,憲法14条に反する重大な人権侵害であると評価せざるを得ないこと,及び憲法24条は同性婚を法律で認めることを禁止する趣旨とは考えられないことに照らせば,我が国は,速やかに同性婚を認め,これに関連する法令の改正をすべきであり,当連合会は,第1記載のとおり意見するものである。
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 との記載があるが、憲法24条が憲法14条の平等原則の及ばない憲法上で予定された例外と考える場合には、「憲法13条,憲法14条に反する重大な人権侵害」とは評価できない。また、憲法24条の「両性」や「夫婦」の文言が立法権の「裁量の限界」を示したものと考える場合には、「同性婚を法律で認めること」はこの「裁量の限界」を超えるものとなるため、許容されない。「禁止する趣旨とは考えられない」との前提も直ちに導かれるものではない。
 これにより、「我が国は,速やかに同性婚を認め,これに関連する法令の改正をすべき」との結論は導き出されない。



 日弁連はこの点の整合性を検討し直すべきである。これらの点の整合性を突き詰めて考えていかないと、婚姻制度を妥当な形で構築することはできないと考える。





木村草太の意見書の分析

〇 憲法学者 木村草太


意見書 首都大学東京教授 木村草太 令和二年四月三日 PDF

(P1)


    【第1 はじめに】


 □「現行民法では、異性との婚姻に合意した者は、民法上の婚姻の効果を享受できる。他方、法律上の同性との婚姻に合意した者は、それを享受できない。」との記載がある。

 ただ、厳密には「同性同士の組み合わせ」については法律上において「婚姻」とみなすことができるか否かの論点が存在しており、「同性との婚姻に合意した者は、」のように、同性との間に「婚姻」という法形式を合意できるか否かは未だ明確になっていない。 


 □「法律上の婚姻には、異性カップル・同性カップルの別を問わず、愛情に基づく共同生活を営むために必要な効果が多く含まれている。」との記載がある。

 「異性カップル・同性カップル」との部分について、「カップル」という言葉は二人一組を前提とするものとなっているが、法律用語ではないことに注意が必要である。法律上は、「権利能力」を有する法主体を単位として法律関係を形成するのであり、「カップル」などという区分は存在しない。(人〔法律〕

 そのため、「法律上の婚姻には、異性カップル・同性カップルの別を問わず、」などと、「法律上の婚姻」があたかも「カップル」という単位を軸に形成されているかのような前提で論じることは適切ではない。

 次に、「愛情に基づく共同生活を営むために必要な効果」の部分であるが、論者の独自の見解であり、法律論に基づく主張とは言えない。「愛情」というものを法律論に組み入れるのであれば、「キリスト教の愛に基づく共同生活を保護すべき」や「ブッタの慈悲による共同生活を保護すべき」などという宗教的な主張と何ら変わらない。国家の制度と宗教的な感情は分離して考える必要がある。


 □「しかし、同性愛者は、それらの効果へのアクセスから排除されてきた。」との記載があるが、婚姻制度そのものは「異性愛者」であるのか「同性愛者」であるのかを審査しておらず、あたかも「同性愛者」を選別して婚姻制度へのアクセスを排除しているかのような前提認識に基づいて論じている点で誤りである。


 □「しかし、法律婚には、生活に重要な意味を持つ効果が多く含まれている。」との記載がある。

 ただ、婚姻制度による「生活に重要な意味を持つ効果」が認められるとしても、それは特定の人(法主体)を法律上の視点から結び付けることによって、何らかの関係を保護(『子の福祉』など)しようとする立法趣旨に基づいて婚姻という制度を構築した際に発生した付随的・反射的な利益に過ぎないものである可能性がある。

 そのため、その「生活に重要な意味を持つ効果」を得られないことを理由として、婚姻制度の立法目的を踏み越えたり、立法目的を達成できなくなる形や、婚姻制度の全体の整合性を損なわせる形で制度を構築し直すように求めたりすることができることにはならない。

 同性同士の組み合わせを「婚姻」という形式で保護できるか否かについては、婚姻制度を立法する際に保護しようとした何らかの目的となっている部分を損なわせることがないように細心の注意を払って全体の整合性を整える中に判断されるべきものと考えられる。

 そのため、ある人(法主体)が「婚姻」という制度における「生活に重要な意味を持つ効果」が得られないとしても、それは「婚姻」という制度が構築されている趣旨に照らして不合理な差別であるか否かを慎重に検討する必要がある。


 □「パートナーが重い病気になったとき、戸籍で配偶者であることを公証できるか否かは、病院等の対応に大きな影響を与える。」との記載がある。

 この「パートナー」という言葉は、論者の前提とする法律上の区分でない「同性愛」や「異性愛」に基づく「カップル」を単位として考える場合に用いられているものと思われる。

 しかし、法律上は「配偶者」について定めた規定はあるが、「パートナー」などという区分は存在しない。

 また、論者は「カップル」という二人一組の関係を前提として「パートナー」という用語を用いていると思われるが、複数人で連れ合う者たちも存在するにもかかわらず、人類が普遍的に「カップル」や一人の「パートナー」を選び、親密な関係を形成するかのような前提で論じようとする視点が含まれているため妥当でない。

 「重い病気になった」人に対して「病院等の対応」がどうなるかであるが、それは行政法学上の「許可」のように一般に病室に入ることが禁じられているが、婚姻関係にある者に対してそれを解除するか、あるいは「特許」のようにもともと持っていない病室に入る権利や地位を婚姻関係にある者に対して与えるものと考えるかなどの論点が考えられる。


 許可 …… 本来誰でも享受できる個人の自由を、公共の福祉の観点から一旦禁止しておき、個別の申請に基づいて特定の場合に解除する行政行為

 特許 …… 本来ならば個人が自由に保有していない特別の能力や権利を国が私人に対して与える行政行為

 また、この権利や地位は婚姻制度にかかわらずに特定の人に対して個別に付与することができることから、これを理由としてそのまま「同性同士の組み合わせ」を婚姻の中に含めるべきであるとの主張には繋がらないように思われる。


 □「養子を二人で育てるとき、共同で親権を行使できなければ不都合な場面は多い。」との部分であるが、「養子」を三人以上の複数名で育てようとする場合も考えられるのであり、論者が「二人で育てる」という風に二人一組を前提として考えている点が妥当でない。ここにも論者が「カップル」という法律上の区分でないものを持ち出している点で妥当でない。


 □「また、パートナーと死別したときに、法律上の相続分・遺留分あるいは相続税法上の控除措置は、残された者の生活保障のために重要な意味を持つ。」との記載がある。

 しかし、またもや「パートナー」という二人一組を前提とする用語が用いられており、三人以上の複数名で連れ添う関係の中の一人、あるいは複数名と「死別」したときの関係についても考慮しようとする視点が見られない。

 論者の主張は、「人類は特定の一人のみを愛し、二人一組の関係を築くものである」という特定の価値観を前提として論じるものとなっている。

 他国の場合では「男性一人と女性四人まで」の複婚が認められている場合もあり、二人一組という選択肢そのものが婚姻制度を構築する際の立法趣旨に照らし合わせた上で現れた政策的なものに過ぎないことを理解していないように思われる。


 □「異性カップルは、役所に赴き、用紙を一枚提出するだけで、これらの効果を簡単に享受できる。」との記載がある。

 しかし、「異性カップル」という用語は二人一組を前提とするものであり、「異性の二人」を指すことは理解できるが、「カップル」という用語に婚姻制度を考える際の普遍的な仕組みであるかのような前提となっている部分には注意する必要がある。


 □「しかし、異性愛者も同性愛者も、愛するパートナーと共同生活を営みたいという思いに違いはない。」との記載がある。

 しかし、「異性愛者」や「同性愛者」という特定の思想をもち出したり、「愛するパートナー」という二人一組を前提として、それに含まれない者の存在を想定していない点で妥当でない。

 まず、婚姻制度は「異性愛者」であるか、「同性愛者」であるかを審査していない。このような思想に基づいて差別がなされている事実はない。

 これを分かりやすく表現すれば、「現在の法律は、『キリスト教徒』の婚姻を認めているが、『イスラム教徒』の婚姻は認められていない。」との主張を考えると理解しやすい。現在の婚姻制度は、「キリスト教徒」であるか「イスラム教徒」であるかを審査していないため、「イスラム教徒」であることを理由として婚姻制度から排除しているとの前提が存在しないのである。

 また、「愛するパートナー」についても、人類は特定の一人のみを愛するとは限らず、複婚を求める者も存在する。その者が「共同生活を営みたいという思い」を抱いている場合も存在するのであり、ある特定の一人のみを愛する感情を抱く人物のみを取り上げて、その者に対する権利侵害の有無を考えることは適切ではない。


 □「この訴訟によって、同性愛者が、何に困り、どのような痛みを抱えているかは可視化された。」との記載があるが、「異性愛者」や「同性愛者」という区分自体が、特定の信仰に基づく主張である可能性がある。もともと「異性愛者」でも「同性愛者」でもない者も存在するはずであろうし、それらを明確に区別できない者や、愛する感情がない者もいるはずである。また、婚姻制度と「人を愛する感情」を結び付けて考えるのであれば、現在の婚姻制度の下における「婚姻適齢に満たない者」の抱く「人を愛する感情」についても同様に結び付けて考える必要があるのであり、その点を考慮せずに「人を愛する感情」を持ち出して論じることは適切でない。


 □「以下、異性カップルと同性カップルとの間の法律婚ができるかどうかに関する区別(以下、本件区別)について、憲法14条1項適合性を検討する。」との記載がある。

 しかし、論者は「異性カップル」や「同性カップル」というように、二人一組を前提とするものとなっているが、法律上「カップル」という区分や単位は存在しない。法律上は権利能力を有する法主体同士がどのような法律関係を取り結ぶか否かによって制度が構築されるのであり、その制度設計の段階において二人一組を前提としなければならないとする区分や単位は存在していない。

 そのため、「異性カップル」や「同性カップル」などと、二人一組の間で法律上の婚姻が可能となるかを論じるだけでなく、三人以上の複数名の間で法律上の婚姻が可能であるかについても同様に検討する必要がある。

 論者は「異性カップル」と「同性カップル」のみに限定して「憲法14条1項適合性」を検討しようとしているが、もともと「カップル」という法律上の区分でない単位を前提として論じようとしている点で適切でない。また、権利能力を有する法主体を単位とした観点から当事者の間にどのような法律関係を構築すれば制度を構築する趣旨が達成されるかを論じずに、単に現在ある特定の者が婚姻という制度を利用することによって得られている利益を、その他の者が得られていないことを理由として「憲法14条1項適合性」を論じようとしている点で適切でない。

 論者は「異性カップル」と「同性カップル」の区別のみを論じようとしているが、三人以上の複数名の連れ合い関係や、婚姻を行った者と行っていない者の間にある区別についても網羅的に論じるべきである。その視点なしに、「同性同士の二人一組の組み合わせ(いわゆる同性カップル)」のみの「憲法14条1項適合性」を論じることは整合的な婚姻制度を形成する上では網羅的な視点とはなっていない。


(P2)


    【第2 民法上の婚姻に関する区別の合憲性について】


       【1 憲法 14 条 1 項の解釈】


 □「本件では、異性愛者と同性愛者の区別とは別に、〈男性は女性と婚姻できるのに、女性は女性と婚姻できない〉という区別、および〈女性は男性と婚姻できるのに、男性は男性と婚姻できない〉という区別が問題となっているという理解も可能である。」との部分について検討する。

 

 まず、「異性愛者と同性愛者の区別とは別に、」としているが、婚姻制度は戸籍上の「男女」の区別を行っているが、「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかという特定の思想を審査していない。これを分かりやすく表現すれば、婚姻制度は「キリスト教徒とイスラム教徒の区別」をしていないことと同じである。法律は個々人の内心には立ち入っていないのである。そのため、「本件」の事例が「異性愛者と同性愛者の区別」を行っていることを前提として論じている点で妥当でない。


 次に、論者のいう下記の例を検討する。

〈男性は女性と婚姻できるのに、女性は女性と婚姻できない〉

〈女性は男性と婚姻できるのに、男性は男性と婚姻できない〉


 論者はなぜ下記のように例示しないのか、その意図がよく分からない。

「男性は女性と婚姻できるが、男性とは婚姻できない」

「女性は男性と婚姻できるが、女性とは婚姻できない」


 そのため、「という区別が問題となっているという理解も可能である。」との部分は、意味がよく分からない。そのように考える必要はなく、理解は可能でないかもしれない。


 □「これは、性別に基づく区別であり、有力説を前提にすれば、厳格審査の対象となろう。」との記載がある。

 「性別に基づく区別」の部分について、婚姻制度は「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかという観点から区別を行っているものではないことに注意する必要がある。

 婚姻制度における「性別に基づく区別」とは、戸籍上の「男女」という区別に基づいて構築されている。ただ、戸籍上の異性間においてしか婚姻することはできず、同性同士が法律上の婚姻として認められていないことは確かである。

 戸籍上の「男女」の区別に基づいて異性間においてしか婚姻することはできず、「同性同士の組み合わせ」が婚姻として認められていないという違いについては、婚姻制度の立法趣旨に照らして区別されたものである可能性があり、最高裁判所の判例の言う通り「事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくもの」であるか否かを審査するべきものである。



    【2 ①法令上の区別の有無について】


 □「現行民法には、同性であることが婚姻障害となると規定した条文はない。」との記載がある。

 しかし、「同性同士の組み合わせ」に関しては「婚姻障害」の区分で論じるべきものではなく、もともと「婚姻」と呼ぶことができないものである可能性がある。この点、「婚姻障害となると規定した条文」がないことを理由として、そのまま「同性同士の組み合わせ」が「婚姻」に含まれることを前提として論じることはできない可能性があることに注意する必要がある。


 □「しかし、婚姻当事者を『夫婦』と表現している規定(民法 750 条以下参照)から、婚姻実務・戸籍実務などにおいて、現行民法は、同性婚を認めていないと解釈されている。」との記載がある。

 ただ、「夫婦」の文言は憲法24条1項にも存在していることを忘れずに押さえておきたい。

 「現行民法は、同性婚を認めていないと解釈されている。」の部分であるが、「同性婚」という用語は法律用語ではないため、「『同性同士の組み合わせ』を法律上の『婚姻』とは認めていないと解釈されている」と表現することがより適切である。このような「同性婚」という用語が通用するとすれば、「兄弟婚」「姉妹婚」「親子婚」「友達婚」「組合婚」「会社婚」など、「婚」という言葉を付けることであたかも「婚姻」の一種として扱うことができるかのような混乱をもたらしやすいため、注意が必要である。


 □「このため、本件では、同性カップルと異性カップルの区別、ないし性別に基づく区別が生じていることを否定することはできない。」との記載がある。

 まず、「同性カップルと異性カップルの区別、」との記載があるが、「カップル」という文言は、二人一組を前提とする用語となっている。しかし、法律上は「カップル」という用語は存在しない。法律上は、権利能力を有する法主体である当事者をどのように結び付けるかという視点から事象を捉える必要があり、「カップル」という単位は用いられていない。そのため、あたかも婚姻制度を構築する際にも、二人一組であることを前提とするものでなければならないかのようなバイアスの入りやすい用語を用いて論じようとしている点に注意する必要がある。

 また、「同性カップルと異性カップルの区別、」については、「カップル」という単位に法律上の権利能力は存在しないのであるから、「カップル」間の区別を論じようとする視点は法的には適切でない。単に、「権利能力の主体となっている自然人が、異性との間では婚姻関係を結ぶことができるが、同性との間では婚姻関係を結ぶことが認められていない」という視点からの区別を論じるべきである。

 「ないし性別に基づく区別が生じていることを否定することはできない。」の部分であるが、先ほど挙げたように、「権利能力の主体となっているある自然人が、異性との間では婚姻関係を結ぶことができるが、同性との間では婚姻関係を結ぶことが認められていない」という形で性別に基づく区別が生じていることは確かであり、否定することはできない。


 □「このため、同性カップルと異性カップルとの間に、婚姻の効果について、実質的な区別はないという反論も考えられなくはない。」との記載がある。

 やはり、「同性カップル」や「異性カップル」という表現を用いることは、法律用語ではいし、権利能力の主体となっているわけではないことから妥当でない。

 また、「カップル」という用語は二人一組であることを前提とするものであり、三人以上の複数名の連れ合いとの比較においても同様に通用する用語とはなっていない点で、婚姻制度を構築しようとする視点からは網羅的で完全なものとなっていないため適切ではない。


 □「異性カップルは容易に婚姻の効果にアクセスできるのに対し、同性カップルはそうでないという区別は存在するだろう。」との記載がある。

 「異性カップル」と「同性カップル」の用語については、先ほど述べたように適切ではない。

 そのため、「異性カップル」と「同性カップル」の「区別」に関する違いを語ろうとしても、そもそも二人一組という視点に限られない形で婚姻制度の全体を把握する必要があるのであり、権利能力の主体となっているある特定の者のみを拾い上げてその違いを論じることは審査方法として適切ではない。


(P3)


 □「さらに、法律婚の効果の中には、相続における配偶者居住権、相続税の優遇や養子の共同親権など、個別の契約や遺言では得難い効果もある。」との記載がある。

 しかし、婚姻制度を立法する趣旨から考えて、これらの効果を与えることが不合理であると考えられる場合には、これらの個別の効果に対する規定を違憲・無効とすることで是正することが妥当であり、これらの効果を得られないことを理由として直ちに「同性同士の組み合わせを婚姻の中に含めなければならない」とする結論が導かれるわけではない。

 これは、論者も取り上げているように、非嫡出子の法定相続分が嫡出子のそれに比べて少ないことを定めた規定が違憲・無効とされた事例と同じように、婚姻してる者と、婚姻していない者、あるいは法律上で婚姻が認められていない者(婚姻適齢に満たない者・兄弟姉妹・親子・同性同士の組み合わせ・三人以上の組み合わせなど)との間での婚姻を求める者との間に婚姻制度を構築した趣旨に照らして不合理な差別が存在する場合には、その規定を個別に失効させる方法である。

 このことは、婚姻制度を構築しようとした趣旨(『生殖によって生まれてくる子の福祉』が中心となると考えられる)からの整合性の観点から個別に論じられるべきものであると考えられる。


 □「よって、①法令が区別を設けていること、の要件は充たされている。」との記載がある。

 しかし、先ほども述べたように、「権利能力の主体となっている自然人が、異性との間では婚姻関係を結ぶことができるが、同性との間では婚姻関係を結ぶことが認められていない」という視点からの区別は存在するが、法律上は「カップル」という単位を基にして区別を論じることはできない。この点に注意する必要がある。



    【3 ②区別の合理性について(1):争点の整理】


       【(1)効果ごとの検討の必要性】


 □「本件では、異性愛者は法律婚の効果を享受でき、同性愛者が享受できない区別が問題となっている。」との記載がある。

 しかし、現在の法律上の婚姻制度は「同性愛者」であるか、「異性愛者」であるかを審査しておらず、「異性愛者は法律婚の効果を享受でき、同性愛者が享受できない区別」など存在していない。

 論者の主張は、婚姻を望む者が自身の性的指向に従うことによってしか婚姻することができないことを前提とする主張となっており、誤りである。

 また、「異性愛者」や「同性愛者」という区分そのものが、「異性愛」や「同性愛」という特定の信仰に基づく価値観である可能性も排除できない。これらは、「キリスト教」、「イスラム教」、「仏教」、「神道」などの宗教的な観念と何ら変わりない一つの価値観に過ぎないものである。

 そのような特定の価値観を前提として婚姻制度が構築されているわけではないし、婚姻制度そのものは特定の価値観を有しているか否かを審査することによってある特定の価値観を有している者を排除しているという事実もない。

 論者の主張は、「『キリスト教徒』は法律婚の効果を享受でき、『イスラム教徒』が享受できない区別が問題となっている。」との主張を行っていることと何ら変わりなく、もともと存在しない区別があたかも存在することを前提として婚姻制度に不備があることを論じようとするものとなっている点で妥当でない。


 □「ただし、法律婚の効果は一つではない。」との記載がある。

 ただ、検討するべきなのは、婚姻制度の立法趣旨に照らして、どの範囲の当事者に対して、どのような法律上の効果を与え、婚姻制度を構築することによって達成しようとした目的を達成できるかを考えることである。

 その点、婚姻制度を構築することによって達成しようとした立法趣旨に照らして不合理と認められる権利・利益や法的な効果が存在するのであれば、その規定を「平等権」などを基準として個別に失効させる必要がある。

 しかし、婚姻制度の立法趣旨を勘案しないままに、単に現在婚姻している者が得られる地位や権利と、婚姻していない者や、婚姻できない関係にある者(婚姻適齢に満たない者・兄弟姉妹・親子・同性同士の組み合わせ・三人以上の組み合わせなど)と婚姻関係を望む者との間に差が存在することを論じても、それはもともと婚姻制度を構築する趣旨を達成するために発生した合理的な区別であり、「平等権」を適用することができない場合があり得る。

 そのため、婚姻制度の全体の整合性を見渡すことなしに、ある特定の権利能力を有する法主体となっている自然人をいくつか拾い上げて、そこに差があることを理由として婚姻制度に含まれていないことは平等権に違反すると結論付けることができるわけではない。この点に注意する必要がある。


 □「このような場合、平等権の適用のあり方には注意が必要である。」との記載があるが、婚姻制度を構築する趣旨(『生殖によって生まれてきた子供の福祉』など)を達成するために不合理な規定が存在するのであれば、まずはその規定を失効させることを考える必要がある。

 論者は「カップル」という法律上の権利能力を有しない単位に対して「平等権」を適用させようとしていたり、「異性愛」や「同性愛」などの特定の思想を基にして法律上の区別がなされているかのような誤った前提に基づいて、それが「平等権」に違反するか否かを論じている部分があるが、そもそも「平等権」を適用する対象を誤っていると考えられる。


 □「平等権は、問題となる効果ごとに適用される。例えば、〈効果 A については、異性愛者と同性愛者で区別するのは合理的だが、効果 B についてはそうではない〉という場合、効果A・効果 B 双方の区別が違憲ないし合憲と扱われるのではなく、効果 A の区別は合憲、効果 B の区別は違憲と扱われる。」との記載がある。

 まず、法律上は「異性愛者」や「同性愛者」という区分に従って区別を行っている事実はない。そのため、そのような前提に基づいて法律上の区別がなされているかのように論じることは誤りである。

 違憲・合憲の扱い方であるが、まずは、婚姻制度の立法趣旨を達成するために合理的な内容となっているか否かが審査されることになる。そして、合理的な区別については合憲、不合理な部分については違憲となり、違憲となった部分の個別の規定が失効するだけである。


 論者の主張は、あたかも法律上で「同性愛者」と「異性愛者」が区別されているかのような前提で論じ、その存在しない区別に基づいて、そのどちらかの区分のものが何らかの利益を得られないことを理由とし、さらに「カップル」を単位として法的保護を行うために「同性同士の組み合わせ」を婚姻の中に含めなければ(いわゆる同性婚を整備しなければ)「平等権」に抵触して違憲となるとの論旨となっている。

 しかし、このような特定の価値観や信仰に基づく区分を持ち出して論じようとする主張は、法学的には成立しえない。

 また、このような主張は「法律上の争訟」に当てはまらないことから「司法権の範囲」を超えるものであり、裁判所で扱うことはできない。(裁判所法3条

 「法律上の訴訟」にあたるためには、下記の2つの要件を満たすことが求められる。


「法律上の争訟」
 ◇ 当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であること

 ◇ 法律を適用することにより終局的に解決することができるものであること(いわゆる終局性)


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宗教問題が前提問題として争われる場合

宗教の教義に関する争いなどは、法律の適用により終局的に解決できないため、司法による審査の対象とはならない。「板まんだら事件」の最高裁判所判例(最判昭和56年4月7日民集35巻3号443頁)も「具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式」をとっており、「信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題であるにとどまる」ものとされていても、その判断が「必要不可欠」で、訴訟の「核心」とされている場合には、終局性を欠き「法律上の争訟」にあたらないと判示する[4]。

判例:代表役員等地位不存在確認(最三判平成5年9月7日民集47巻7号4667頁

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司法(司法権の範囲) Wikipedia (下線・リンクは筆者)


審判権の限界 Wikipedia

「板まんだら」事件 第一審判決

「板まんだら」事件 上告審判決


 法律論上は、「異性愛」や「同性愛」という特定の価値観の存在を前提とし、その区分が正しいことを前提として法的保護を与えるべきであるか否かを論じることはできないと考えられる。


 □論者は、「この点は、過去の最高裁判例からも明らかである。一例を挙げよう。」として、嫡出子と非嫡出子の間に法定相続分の違いが存在していた事例を挙げている。

 ただ、ここで最高裁判所が判断したことは、論者が「この判断は、あくまで同規定の効果だけを違憲無効とするのみで、嫡出子・非嫡出子に関するその他の区別や、相続制度・婚姻制度全体を違憲無効としたわけではない。」と述べている通り、法定相続分を異なるものとしていた規定の効果だけを個別に違憲・無効とするのみである。

 そのように、婚姻している者と、婚姻していない者、あるいは現在の法律上で婚姻が認められていない者(婚姻適齢に満たない者・兄弟姉妹・親子・同性同士の組み合わせ・三人以上の組み合わせなど)との間での婚姻を求める者との間に、婚姻制度を構築する趣旨に照らして不合理な差別が存在する場合には、その不合理な差異をもたらしている特定の規定の効果だけを個別に違憲・無効として是正するのみである。

 そのため、論者のように特定の当事者のみを拾い上げて、現在の法律上で婚姻している者との間に何らかの差が存在するとしても、それを理由として直ちにその特定の当事者を婚姻制度の中に含めることが正当化されるということにはならない。

 何らかの差が存在するとしても、それは婚姻制度を構築することによって達成しようとした立法趣旨との整合性の問題であって、特定の当事者を婚姻制度の中に含めなければならないとする理由にはならないのである。



    【(2)法律婚の効果の整理】


 「では、法律婚には、どのような効果があるのか。」として列挙している事項について検討する。

 確かに、法律上の婚姻には論者の挙げているような効果が認められると考えられる。

 しかし、法律上の婚姻に対してそのような効果が認められるとしても、それは婚姻制度を構築することによって達成しようとした立法趣旨に基づいて意図的に生み出された効果に過ぎない。

 そのため、この効果を得られない者が存在するとしても、それは婚姻制度を構築することによって達成しようとした趣旨の中にその者が単に当てはまらなかっただけである可能性があり、その法律上の効果が得られないことを理由として直ちに「平等権」の侵害が認められるということにはならないことに注意が必要である。


 また、婚姻制度の法的な効果のみを論じたとしても、その効果をもたらすことによって達成しようとしたものとは、婚姻制度の趣旨に関わるものである。その婚姻制度の趣旨や達成しようとした目的を見ないままに、法律上の効果が得られる者と得られない者との間の差を強調しても意味がないことを押さえる必要がある。


 「相続に関する効果も重要である。」「税法上も、」という風な記載もあるが、そもそもそれらは婚姻制度を構築した立法趣旨に照らして不合理なものであれば、「相続に関する効果」や「税法上」の利益を与える規定が違憲・無効として廃止されるべきものであって、その利益が得られないことを理由として「同性同士の組み合わせ」を婚姻として認めなければ「平等権」に抵触して違憲となるとの主張は成り立たない。

 論者も述べているように、非嫡出子の法定相続分の規定が違憲・無効とされたように、婚姻制度の趣旨に照らして不合理な差別に基づく制度が存在すれば、その規定が部分的に違憲・無効となるだけである。

 論者は、「法定相続分の規定」や「税法上」の利益等を定めた規定を対象として違憲であると述べることが妥当であり、それを得られないことを理由として「同性同士の組み合わせ」を婚姻の中に含めなければならないとの主張を行うことは、婚姻制度を構築しようとした立法趣旨を逸脱し、全体の整合性を損なわせる主張となっている可能性がある。

 

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……(略)……そして、原告らが「婚姻の自由」として主張するものの内実は、「両性」の本質的平等に立脚すべきことを規定する憲法24条2項の要請に従って創設された現行の婚姻制度の枠を超えて、同性間の人的結合関係についても婚姻と同様の積極的な保護や法的な利益の供与を認める法制度の創設を国家に対して求めるものにほかならないのであって、国家からの自由を本質とするものということもできない。この点については、仮に本件諸規定が違憲無効であると判断されたとしても、現行の法律婚制度が違憲無効となるだけで、直ちに本件諸規定の下で同性婚が法律上可能となるものではないことをも加味すると、より一層明らかである。

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【大阪・第12回】被告第6準備書面 令和4年2月21日 PDF


(P4)


 「戸籍等による公証にも、大きな意味がある。」との部分であるが、ある目的を達成するために婚姻制度を構築したことによって現れた付随的・反射的な利益であると考えられる。

 そのため、これを理由として直ちに「同性同士の組み合わせ」を婚姻の中に含めなければ「平等権」に抵触して違憲となると主張することができるわけではない。婚姻制度を構築した趣旨に照らして妥当な区別基準に基づいてそのような法的効果が発生したか否かを論じるべきである。

 「戸籍」や「公証」が婚姻制度を構築する趣旨に照らして不合理なものと認められるのであれば、「戸籍」や「公証」を整備している規定を違憲・無効として失効させることが妥当である。

 その点を考慮せずに、「戸籍」や「公証」の効果に差があることを理由として「同性同士の組み合わせ」を婚姻の中に含めなければ「平等権」に抵触すると主張することができるわけではないことを押さえる必要がある。


 ここで、付随的・反射的な利益について検討する。

 例えば、要人を保護するためにその要人の自宅前に警察官を配置した場合に、その要人の自宅のある周辺地域の安全・安心の利益は向上すると考えられる。しかし、他の地域の住民が自分の地域には警察官が配置されていないことを理由として安全・安心の利益が得られないと主張したとしても、この事例は要人を保護する目的に従って配置された警察官がその地域にもたらしている付随的・反射的な利益に過ぎないのであり、その付随的・反射的利益が得られないことを理由として自分の地域に警察官を配置していないことを平等原則に違反すると主張できるわけではない。

 同様に、婚姻制度を構築している立法趣旨に従って制度が構築されており、「戸籍等による公証」についても単なる付随的・反射的な利益に過ぎず、それを得られないことを理由として平等原則に違反すると主張することはできないと考える。


 □「法律婚には、当事者が共同生活を営んでいることを公示する機能がある。」との記載がある。

 しかし、「共同生活」とは、婚姻制度を構築する趣旨を達成するために民法752条が(同居、協力及び扶助の義務)を規定することによってもたらそうとした効果によるものであり、それを「公示」するか否かは付随的効果と考えられる。


民法

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(同居、協力及び扶助の義務)

第七百五十二条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 そのため、婚姻制度の趣旨を考慮せずに、この「公示する機能」の存否を理由として直接的に「同性同士の組み合わせ」を婚姻の中に含めなければならないとの主張に繋げることができるわけではないことに注意する必要がある。


 □論者は「法律婚の効果は多様である。」として下記を挙げている。


 ・「氏統一効果を享受できるかの区別」

 ・「同居義務を設定できるかどうかの区別」

 ・「嫡出推定の効果を享受できるかどうかの区別」

 ・「相続税の控除措置に関する区別」

  など


 しかし、それらを単なる利益と見るべきであるのか、婚姻制度を構築する趣旨から派生して生まれた仕組みと位置付けるべきなのかを検討する必要がある。


 例えば、婚姻の趣旨が「子の福祉」にあると考えた場合について検討する。

 〇 「氏統一効果」については、社会生活を送る中において、子供の親権や監督権、養育義務、子供の行為によって引き起こされた問題に対する賠償責任などを有する親をその子供に関わる周囲の人々が容易に特定する効果をもたらすことが考えられる。この点、「子の福祉」に貢献する側面を見出すことができる。

 〇 「同居義務」については、共同で子を育てることにより、経済面でも、価値観の影響などの面でも、子の境遇を高い福祉の下に置こうするとする効果が考えられる。この点、「子の福祉」に貢献する側面を見出すことできる。

 〇 「嫡出推定の効果」は、生まれてくる子供に対する責任を父親にも背負わせることによって、「子の福祉」を向上させる側面を見出すことができる。

 〇 「相続税の控除措置」については、子を含む血縁関係の経済状態を向上させようとするものと考えられ、結局は「子の福祉」に貢献することが考えられる。


 このように、婚姻制度を構築して達成しようとした目的となるものを特定することによって、その目的を達成するために整合的な制度を残し、それ以外については不合理なものとして規定を失効させることが可能である。


 □論者は「それぞれについて、憲法14条1項適合性を審査する必要がある。」と述べている。

 ただ、注意するべきなのは、憲法14条1項に適合するか否かを審査する際には、「異性愛」や「同性愛」などという特定の価値観に基づいた区別や、「異性カップル」や「同性カップル」などという法律上の区分でない基準を持ち出して審査することは適切ではないことである。

 また、婚姻制度を構築することによって達成しようとした趣旨に照らして不合理な差別が存在するか否かによって審査するべきである。

 この点、論者の視点は、婚姻制度によってもたらされる法律上の効果を、婚姻当事者がどのように享受しているか、また、婚姻当事者にどのような利益があるかという視点を中心として論じるものとなっており、婚姻制度を構築する趣旨として主要な部分となっていると考えられる「子の福祉」の視点が欠けており、網羅的な視点から論じるものとなっていない。



    【4 ②区別の合理性について(2):具体的な検討】


       【(1)婚姻の効果の二つのグループ】


 □「では、②同性カップルと異性カップルとの間の法律婚ができるかどうかの区別の合理性を、どのように検討すればよいか。」との記載がある。

 しかし、「同性カップル」や「異性カップル」との用語は法律用語ではない。

 また、婚姻制度を構築する際には、権利能力を有する法主体となっている自然人をどのような法律関係で結ぶことが妥当であるかという視点から考えなければならず、「カップル」という二人一組であることを前提とする用語を用いることは妥当ではない。

 また、法律上は「カップル」という単位は存在しておらず、「カップル」という二人一組を単位として「法律婚ができるかどうかの区別の合理性」の存否を論じることはできない。

 そのため、論者が「②同性カップルと異性カップルとの間の法律婚ができるかどうかの区別の合理性」を論じようとすることは、法律上の視点に基づくものではないため適切でない。


 □論者は「先ほど指摘した法律婚の効果は、二つのグループに分けることができる。」と述べ、その二つのグループとして「生殖関係保護効果」と「親密関係保護効果」を挙げている。

 しかし、先ほども述べたように、論者は婚姻することによって婚姻当事者が得られる効果や利益を婚姻当事者の視点から論じようとする前提を有するものとなっている。

 そのため、ここでも「子の福祉」に貢献する制度を構築しようとする趣旨などが考慮されていない。

 また、婚姻制度は、婚姻適齢に満たない者の婚姻や、重婚、近親者間の婚姻を禁じており、論者の述べる「生殖関係保護効果」と「親密関係保護効果」では捉えることのできない側面が存在する。


731条(婚姻適齢)

732条(重婚の禁止)

733条(再婚禁止期間)

734条(近親者間の婚姻の禁止)

735条(直系姻族間の婚姻の禁止)

736条(養親子等の間の婚姻の禁止)

737条(未成年者の婚姻についての父母の同意)

738条(成年被後見人の婚姻)


 論者は婚姻することによって婚姻当事者が得られる効果や利益を婚姻当事者の視点から論じようとしている。

 しかし、そもそも婚姻制度とはそのような法的効果を与えることによって達成しようとした婚姻制度の趣旨に従って統一的に把握するべきものである。

 婚姻制度の趣旨を離れて、婚姻している者と、法律上で婚姻が認められていない者(婚姻適齢に満たない者・兄弟姉妹・親子・同性同士の組み合わせ・三人以上の組み合わせなど)との間で婚姻を求める者との間に存在する法的効果の有無を取り上げて「平等権」に抵触するか否かを審査できるわけではない。

 そのため、そこで得られる法的効果が異なるとしても、それだけを理由として法律上で婚姻が認められていない者(婚姻適齢に満たない者・兄弟姉妹・親子・同性同士の組み合わせ・三人以上の組み合わせなど)との間で婚姻を求める者を、婚姻制度の中に含めなければならないということにはならない。

 単に、婚姻制度を構築することによって達成しようとした趣旨に照らして合理的な規定は残すべきであり、不合理な規定については失効させることによって、不合理な差別が是正されるべきものである。


 □論者の言う「生殖関係保護効果」であるが、婚姻制度の趣旨は単に「生殖関係」を保護しようとしているのではなく、「生殖」によって生まれてくる「子の福祉」の視点に基づいて構築されている側面が大きいと考えられる。

 論者は婚姻当事者の視点から「生殖」という行為に利益を見出そうとしているように感じられるが、「生殖」が持ち出される際の本来の目的となっているものは「子の福祉」に繋がるか否かであると考えられる。

 もし「子の福祉」の観点から「生殖」を捉えないのであれば、むしろ「生殖」という行為は、非常に親密な関係にある者との間で行われることが一般的であると考えられ、敢えて論者の区分に従うとすれば「親密関係保護効果」に分類する必要があると考えられる。

 そのため、「生殖関係保護効果」という分類そのものが婚姻制度を構築することで達成しようとした趣旨として妥当であるとは考えられない。


 □次に、論者の言う「親密関係保護効果」について検討する。

 「第二は、当事者の愛情に基づく親密な関係を保護する効果である。」との記載があるが、法律上は「愛情」という特定の思想をもち出すことは適切ではない。

 また、このような「愛情」や「親密な関係」を保護する論理に基づけば、複婚や近親婚、婚姻適齢に満たない者の婚姻も当然に可能となるはずである。


 □「子とは関係のない婚姻の規定、例えば、配偶者相続分・遺留分の設定(民法 900 条、1042 条参照)や、氏統一(民法 750 条)、相互扶助義務の設定(民法 752 条)などが、その例である。」との記載がある。

 しかし、これらの規定を「子とは関係のない」と割り切ることはできないと考える。「配偶者相続分・遺留分の設定」は、人間の平均的な寿命からすれば、子よりも親の方が先に死亡する確率が高く、「配偶者」に相続された財産もその配偶者が死亡することによって子が相続する可能性が高い。そのため、結局は「子の福祉」に貢献するものとなっていると捉えることができる。

 「氏統一」についても、「社会生活を送る中において、子の親権や監督権、養育義務、子の行為によって引き起こされた問題に対する賠償責任などを有する親を子供の周囲の人々が容易に特定できる効果」が存在すると考えられ、「子の福祉」の観点から捉えることが可能である。

 「相互扶助義務の設定」についても、親権を共同で行使しなければならないことに関わると考えられ、「子の福祉」の視点から捉えることが可能である。

 そのため、これらの規定を「子とは関係のない婚姻の規定」と割り切ることはできないと考えられる。

 そのため、論者の言う「親密関係保護効果」という分類が妥当であるとは考えられない。



    【(2)子に関する効果と生殖関係・親密関係】

 □「一見すると、子に関する効果は、すべて生殖関係保護効果に分類できるようにも思える。しかし、子に関する効果の中にも、生殖関係と無関係の規定が多く含まれている点に注意が必要である。」との記載がある。

 しかし、先ほども述べたように、論者の言う「生殖関係保護効果」という分類がそもそも適切であるとは言えない。

 また、論者のいう「子に関する効果」というものも、もともと婚姻制度そのものが「子の福祉」に貢献するためにどのように構築するかという視点から構成されている可能性があり、一つ一つの規定を「子に関する効果」があるか否かに従って個別に切り分けて割り切ることができない場合があり得る。

 ここで論者が「生殖関係と無関係の規定」としている部分については、下記で検討する。


 □「まず、夫婦と生物学的意味での血縁関係のない子を共同で養子にする資格(民法 795 条)などは、生殖関係とは無関係である。」との記載がある。

 しかし、そもそも論者の言う「生殖関係保護効果」という分類そのものが妥当でない。

 婚姻制度を構築する趣旨として「生殖と子の福祉」が挙げられるのは、「生殖」によって子供が生まれることを前提とし、その生まれてきた「子の福祉」に貢献する制度をどのように構成するかという視点から論じられているものである。ここで「生殖と子の福祉」という用語が用いられるときには、「生殖」にアクセントがあるわけではなく、「子の福祉」の部分にアクセントがある。

 そのため、婚姻の効果として「生殖と子の福祉」と言われる場合があるとしても、それは論者のように婚姻当事者の視点における利益として「生殖」というものを重視して保護するべきものと考えているのではなく、「子の福祉」に重点が置かれた意味で用いられてるものである。
 論者の言う「生殖関係保護効果」のように、「子の福祉」を切り離して「生殖」の視点を強調して婚姻制度の趣旨を分類しようとする発想そのものが妥当ではない。


 論者は「夫婦と生物学的意味での血縁関係のない子を共同で養子にする資格(民法 795 条)などは、生殖関係とは無関係である。」と述べているが、そもそも論者の「生殖関係保護効果」という分類そのものが妥当でないことから、婚姻制度の趣旨が「生殖関係保護効果」であることを前提として「生殖関係とは無関係である。」と論じることに説得的な意味はない。

 また、「夫婦と生物学的意味での血縁関係のない子を共同で養子にする資格(民法 795 条)など」が構築されている趣旨は、「子の福祉」の視点から整合性を考えれば済む話である。


 □「むしろ、夫婦の親密関係の中で、養子を共同で監護養育するための規定であり、これは親密関係保護効果に分類できよう。」との記載がある。

 しかし、そもそも論者の「生殖関係保護効果」と「親密関係保護効果」という区分自体が妥当であるとは言えず、それに分類したところで整合的な結論が導き出されるわけではない。


 □「また、嫡出推定にも、生殖関係とは関係しない効果が含まれる。」との記載がある。しかし、そもそも「嫡出推定」を「子の福祉」の観点から捉えることで、合理的な制度設計を行うことができる。論者は自身の分類である「生殖関係」に当てはめる形で論じようとしているが、その分類自体が妥当とは言えないことから、その分類に当てはめることによって妥当な結論を導き出せるものではない。


(P5)


 □論者の挙げる「最決平成 25 年 12月 10 日民集 67 巻 9 号 1847 頁は、戸籍上の性別を女性から男性へと変更した者が、女性と婚姻した事例で、妻が出産した場合は、嫡出推定が及ぶとしている。」との事例であるが、まさに「子の福祉」のための判断であると考えられる。


 □「そうすると、民法は、法律婚する男性に、〈生物学的親子関係のない妻の子を、自らの嫡出子として、扶養義務などを引き受ける地位〉を与える効果を規定していると言える。これも生殖関係とは無関係の効果であり、親密関係保護効果に分類できる。」との記載がある。

 しかし、そもそも「子の福祉」のために最も良い選択がなされているのであれば、生物学的な親子関係の有無は関係ない旨を示しているだけである。

 論者はどうしても自身の示した分類である「生殖関係保護効果」と「親密関係保護効果」の二分論に当てはめようとしているが、この区分自体が婚姻の趣旨を適切に捉えたものとはなっていないため、この分類に当てはめたとしても何らかの結論が得られるわけではない。



    【(3)同性婚を認めないことの合理性】


 □「このように、民法上の婚姻には、生殖関係保護と親密関係保護という性質の異なる二つの効果が含まれる。」との記載がある。

 しかし、論者の言う「生殖関係保護」と「親密関係保護」という分類そのものが妥当なものとは言えない。

 また、婚姻制度の中には、婚姻適齢に満たない者の婚姻を禁じたり、近親婚を禁じることによって近親交配を防ぎ、子に遺伝的な劣勢が発現する確率を下げようとする意図などが存在する。それらの意図は、母体の保護や、生まれてくる「子の福祉」、社会保障制度との兼ね合いなどの社会的な仕組みとの関係性が想定された上で構築されたものと考えられる。

 しかし、これらの意図は論者のいう「生殖関係保護効果」と「親密関係保護効果」では捉え切ることができていない。

 論者は、論者の分類した「生殖関係保護効果」と「親密関係保護効果」のどちらに当てはまるかという視点から、婚姻当事者の利益のみを中心として婚姻制度が構築されているかのように論じようとしているように見える。

 しかし、婚姻制度にはその他の趣旨や効果も存在していることを見逃しており、妥当な分類であるとは言えない。


 □「生殖関係保護に関する効果は、『同性間で自然生殖関係は成立しない』という理由で、異性愛者にそれを及ぼし、同性愛者にそれを及ぼさないことの説明が可能である。」との記載がある。

 まず、「異性愛者」や「同性愛者」であるか否かは「生殖」という行為そのものと直接的な関係性はない。「生殖」という行為を行うことが可能か否かは、単に当事者の生殖器官が機能するか否かの問題であり、「異性愛」や「同性愛」という特定の思想が関与する余地はない。

 そのため、「異性愛者」や「同性愛者」であるか否かに従って「生殖」という関係を保護するか否かという論旨は妥当でない。

 また、婚姻制度は「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかを審査しておらず、婚姻制度を構築することによって何らかの利益を「保護」するために特定の「効果」を与えるか否かに関する判断基準が「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかによって区別を設けているかのような論旨は妥当でない。


 □「しかし、同性間でも異性間と同様に親密関係は成立し得るから、親密関係保護効果は、そうした議論は成り立たない。そうすると、親密関係保護効果については、同性愛者と異性愛者とで区別をするのは不合理である。」との記載がある。

 まず、「親密関係保護効果」であるが、特定の自然人の組み合わせの「親密関係」を婚姻制度が保護しようとしているのか、「婚姻制度」を利用して法律関係に縛られることによって「親密関係」に至っているのかを検討する必要がある。

 もし特定の自然人の組み合わせの「親密関係」を婚姻制度が保護しようとしていると考えるのであれば、現在の婚姻制度の下での婚姻当事者よりも友達同士の友情による「親密関係」の方がより強い場合もあり得ると考えられる。

 また、野球チームやサッカーチームのメンバー間でも「親密関係」は成立し得るし、三人以上の複数人の連れ合いの間でも「親密関係」は成立し得る。

 論者の用いる「親密関係」とは、「同性同士の組み合わせ」を法律上の「婚姻」の中に組み入れるために意図してつくられた概念であり、婚姻制度を構築しようとした趣旨に照らして整合的な概念であるとは思われない。

 そもそも、「親密関係」というのは、婚姻制度を構築することによって現れた付随的・反射的な利益・効果であり、その利益を得られないことを理由として「同性同士の組み合わせ」を婚姻に含めようとする主張は成り立たないように思われる。

 「同性愛者と異性愛者とで区別をするのは不合理である。」との部分についても、もともと法律上の婚姻制度は「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかを審査しておらず、「区別をすることは不合理である」などと、区別をしていることを前提として論じていることは適切ではない。



    【5 小括:同性婚否定の合憲性】


 □「以上に議論したように、親密関係保護効果については、同性愛者/異性愛者で区別する理由は皆無である。」との記載がある。

 しかし、婚姻制度は戸籍上の「男女」によって区別しているのであり、「同性愛者/異性愛者」によって区別していない。

 そのため、「同性愛者/異性愛者で区別する理由は皆無である。」などと、「同性愛者/異性愛者」の間で区別を設けているかのような前提で論じることは誤りである。

 また、論者の言う「親密関係保護効果」に基づけば、同時に複数名を愛する者との間で区別する理由も皆無となり、複婚を望むものに対しても「親密関係」を保護する必要があるという結論に至るはずである。その点、婚姻制度を構築する観点から網羅的に論じられておらず、不備がある。


 □「そうすると、現行法のうち、異性愛者にのみ認めることが合理的なのは、夫婦の生物学的意味での子に対する嫡出推定(民法 772 条)と、生物学的意味での子の法定相続分(民法900 条 1 号)などに限られる。」との記載がある。

 論者は「現行法のうち、異性愛者にのみ認めることが合理的なのは、」という風に、「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかの区別を前提としているが、「現行法」の婚姻制度は戸籍上の「男女」の区別に基づいて構築されており、「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかを区別していない。

 また、婚姻制度は「近親婚」を禁じており、近親交配が行われることによるリスクを下げようとしている。そのことは、「異性愛者」であるか否かなど関係はないし、論者の言う「親密関係保護効果」や「生殖関係保護効果」のどちらにも該当しない意図が存在する。

 そのため、論者の用いるこの区分に該当するか否かのみで「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」の中に含めていないことの不当性を主張することは、前提となる区分の設定が妥当でないことによって証明に失敗している。

 先ほども指摘したが、「子の福祉」の視点から婚姻制度を捉えることができ、もともと婚姻当事者が「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかや、婚姻当事者の「生殖」のみを保護することを重視して婚姻制度が構築されているわけではない。また、論者の言う「氏統一効果」「同居義務」「嫡出推定の効果」「相続税の控除措置」などについても、「子の福祉」の観点から整合的に読み解くことが可能であり、論者のように婚姻当事者の利益の観点を重視した形で「生殖関係保護効果」に価値を見出し、その中身を「夫婦の生物学的意味での子に対する嫡出推定(民法 772 条)と、生物学的意味での子の法定相続分(民法900 条 1 号)」に限ろうとする考え方そのものが妥当とは言えない。


 □「他方、嫡出推定規定(民法 772 条)の効果のうち、当事者と生物学的意味での血縁関係のない子に対する嫡出推定の部分や、共同での養子縁組(民法 795 条)の規定などは、異性愛者/同性愛者で区別する理由はなく、不合理である。この区別は、平等権侵害であろう。」との記載がある。

 しかし、婚姻制度は戸籍上の「男女」を区別しているが、もともと「異性愛者/同性愛者」という区別を行っているわけではない。あたかも「異性愛者/同性愛者」という区別に従って婚姻制度が構築されているかのように論じている部分が誤りである。

 そのため、論者は「この区別は、平等権侵害であろう。」と主張するが、もともと「異性愛者/同性愛者」で区別している事実がないのであるから、「平等権侵害」にも当たらない。

 また、「当事者と生物学的意味での血縁関係のない子に対する嫡出推定の部分や、共同での養子縁組(民法 795 条)の規定など」についても、婚姻の制度の趣旨を「子の福祉」の観点から捉えることで整合的に読み解くことができるのであり、婚姻制度の趣旨が「子の福祉」を実現することにあることはより一層明らかとなっていると考えられる。


 □「その他の婚姻の効果も、やはり生殖関係とは無関係の親密関係保護効果であり、異性愛者と同性愛者の区別は不合理であり、憲法 14 条 1 項違反である。」との記載がある。

 しかし、もともと婚姻制度の趣旨を「生殖関係保護効果」と「親密関係保護効果」の二分論で語ることが誤りであると考える。婚姻制度には「近親婚」を禁じることで近親交配を防ぐなどの他の意図が含まれており、論者の主張は婚姻制度の趣旨を捉えきれていない。

 「異性愛者と同性愛者の区別は不合理、憲法 14 条 1 項違反である。」との記載もあるが、婚姻制度はもともと「異性愛者」と「同性愛者」を区別していないため、「異性愛者」と「同性愛者」を区別していることを前提として「憲法 14 条 1 項違反である。」などと主張しても前提が誤っている。


 □「では、違憲な区別をどのように解消すればよいか。」との記載があるが、もともと「違憲な区別」と断定していることが誤っている。


 □「この点、同性間に生物学的意味での子は生まれない。現行法の生殖関係保護効果を同性間に適用しても、実際に、それが使われることがないだけで、何ら問題は生じないはずである。だとすれば、端的に、同性間でも、異性間と同様の法律婚を認めればよい。」との記載があるが、検討する。

 まず、「同性間に生物学的意味での子は生まれない。」との部分であるが、確かにその同性間において自然生殖が為されることは考えられず、生物学的に関係のある子どもは生まれない。

 次に、「現行法の生殖関係保護効果を同性間に適用しても、実際に、それが使われることがないだけで、何ら問題は生じないはずである。」の部分であるが、女性同性婚の当事者の女性の一方が子を産んだ場合に、その当事者のもう一方の女性に対して嫡出推定が為されるのだろうか。それは嫡出推定と言えるのだろうか。また、その当事者のもう一方の女性にはその子供に対する親権が与えられるのだろうか。

 「何ら問題は生じないはずである。」との部分であるが、「嫡出推定」が行われないとすれば、女性同性婚の当事者の親権や、父親との関係などはどうなるのであろうか。整理しなければ問題が生じうると考えられる。


 女性同性婚の当事者の双方から子供が生まれたとき、その双方から生まれた子供は互いに「兄弟姉妹」と表現できるのだろうか。兄弟姉妹は年齢が異なり、「上の子・下の子」、「長男・次男・三男」、「長女・次女・三女」、「長子・末子」、「第一子・第二子」などと呼ばれるが、母親が異なるため、どのように整理して分類すればよいのだろうか。この点、その女性同性婚の当事者がつくる「戸籍(家)」を単位として「兄弟姉妹」を年齢順にするのだろうか。

 そうなると、「夫婦別姓」の議論もあるが、「夫婦別姓」となった場合で女性同性婚の夫婦(婦婦)の名字が異なる場合、「戸籍(家)」を単位として「兄弟姉妹」を分類することは妥当なのだろうか。子供の名字は生物学的な母親でない方の女性の名字を選ぶことができるのだろうか。


 その女性同性婚の当事者がそれぞれ別の男性と「生殖」を行っていた場合には、その子供たちの父親は同一でないため、相互に生物学的(遺伝的)な繋がりは全くないこととなる。そうなると、その子供たちは互いに「扶養義務」(民法877条)を負う主体としても良いのだろうか。当然のように「扶養義務」を負わせる主体として良いのかは検討する必要があるように思われる。(扶養

 また、「夫婦別姓」の議論もあるが、「夫婦別姓」となった場合に女性同性婚の当事者が「夫婦別姓」を選択し、その子供たちの名字がもともと別々となっていた場合に、その子供たちは互いに「扶養義務」を負うことになるのかも検討する必要があるように思われる。現在の「いわゆる異性婚・夫婦同姓」の制度においても子供たちは婚姻によって(結婚して)名字が変更される場合があるが、その子供たち同士が「兄弟姉妹」であることに変わりはなく、「扶養義務」は解かれないと思われる。しかし、「いわゆる同性婚・夫婦別姓」が許容された場合に、遺伝的な繋がりもなく、同じ名字を共有している期間が一時期にも存在しない相手に対して「扶養義務」を負うことが心理的に当然と認知されるかどうかも考える必要があるように思われる。

 (当サイト筆者は、現在の制度において『扶養義務』が実際にどのような形で運用されているのか知識がないため、これ以上詳しく検討することができない。)


【参考】眞子さまと小室圭さんの結婚で皇族方が「小室家と親戚になりたくない」~「親族」による法的関係はこうなる 2020/12/28

【参考】選択的夫婦別姓“後は日本だけ”国の指針は 2020年12月18日

 

<夫婦別姓違憲訴訟>

【判決】損害賠償請求事件 最高裁判所大法廷 平成27年12月16日PDF


 「端的に、同性間でも、異性間と同様の法律婚を認めればよい。」との部分であるが、そのような単純なものとは考えられない。

 「同性同士の組み合わせ」を婚姻とすることは、一人の男性に対して女性同性婚を行った複数組の当事者が集うなど、事実上の複婚関係が構築されることが考えられる。そうなると、社会の様々な面で事実上の複婚関係を想定した社会制度を構築する必要が生まれると考えられ、社会の前提にどのような影響を与えるかについても考える必要がある。

 法律上は権利能力を有する法主体である自然人が「異性愛者」であるか「同性愛者」であるかを審査しておらず、女性同性婚を行う者が必ず「同性愛者」であるとは限らないことを忘れてはならない。

 また、その女性同性婚を形成している多数の当事者の子供が同一の父親であった場合、その子供同士が婚姻することができるか否かや、その子供同士が近親交配を行った場合に遺伝的な劣勢が高い確率で発現することによって虚弱体質の子供が生まれるリスクなどについても検討する必要があると考えられる。また、その父親と子供が婚姻することができるかも検討する必要がある。

 



 

 □「以上より、同性婚を認めない現行の民法および婚姻に関する効果を持つ諸法律は、憲法14条1項に違反していると言える。」との記載がある。

 しかし、論者の主張に基づけば、近親婚を認めない現行の民法、重婚を認めない現行の民法、複婚を認めない現行の民法についても憲法14条1項に違反していると言える可能性がある。それにもかかわらず、なぜ「同性同士の組み合わせ」を婚姻の中に含めていない(いわゆる同性婚を認めていない)ことのみを14条1項に違反していると言い、「同性同士の組み合わせ」以外の他の関係を婚姻の中に含めていないことについては論じていないのだろうか。この点、婚姻制度の全体の整合性を網羅的に検討するものとはなっておらず、不備がある。


 論者は「カップル」という二人一組であることを前提とする用語を用いたり、「同性愛」「異性愛」などという「人を愛する感情」に基づいて婚姻制度を論じようとしているが、そもそも論者の前提としている特定の思想に基づく結婚観が反映された独自の見解であり、法律論に基づく主張とはなっていないため妥当でない。

 法律関係は、権利能力を有する法主体となる自然人(あるいは法人)をどのように組み合わせるか(法的に結びつけるか)という視点から制度を構築する必要があり、「カップル」などという法律上存在しない区分を持ち出して制度を構築しようとすることは妥当でないし、「同性愛」や「異性愛」などという特定の思想に基づいて当事者を分類することも適切ではない。


 論者の主張の問題点を明らかにするとすれば、「現在の婚姻制度は『キリスト教徒』の婚姻を認めているが、『イスラム教徒』の婚姻は認めていない。しかし、婚姻制度が『キリスト教徒』と『イスラム教徒』を区別し、『イスラム教徒』の婚姻を認めていないことは不合理な差別にあたり、14条の平等権に違反する。」などと述べているようなものである。

 もともと婚姻制度は「キリスト教徒」や「イスラム教徒」などという特定の思想に基づいて区別を行っていないため、このような区別を行っていることを前提として論じることはできないのである。

 また、イスラム圏では「男性一人と女性四人まで」の婚姻が認められている場合がある。このことから、論者の主張に基づけば、「イスラム教徒」としての婚姻の形を実現するべきことになるから、現行の婚姻制度が「複婚」を許容していないことは不合理な差別にあたるとして14条の平等権に違反するということになるはずである。このように、論者の主張は「同性同士の二人一組の組み合わせ」のみを論じ、「三人以上の組み合わせ」について検討を行っていないため、婚姻制度の全体の整合性の観点から不備がある。

 よって、論者の主張である「同性婚を認めない現行の民法および婚姻に関する効果を持つ諸法律は、憲法14条1項に違反していると言える。」という結論は導き出すことができない。


 加えて、婚姻制度を利用する者と、婚姻制度を利用しない者、あるいは法律上で婚姻が認められていない者(婚姻適齢に満たない者・兄弟姉妹・親子・同性同士の組み合わせ・三人以上の組み合わせなど)との間で婚姻を求める者との間に、婚姻制度を構築することによって達成しようとした趣旨に照らして不合理な差別が認められるのであれば、その不合理な差別を行っている規定を個別に違憲・無効とすることによって是正するべき問題であると考えられる。

 それにもかかわらず、何らかの違いがあることを理由として直ちに「同性同士の組み合わせを婚姻の中に含めなければならない」との結論に繋がるわけではない。




 これらの点の整合性の不備を検討し直すべきであると考える。



<理解の補強>


【札幌・第7回】被告第4準備書面 ※原告ら第9準備書面への反論や意見書への反論 令和2年10月21日 PDF 

 

【大阪・第6回】被告第4準備書面 令和3年2月19日 PDF

【東京・第6回】被告第4準備書面 令和3年2月24日 PDF




◇ 用語の意味について

━━ 同性愛や異性愛という言葉について ━━

 「同性愛」や「異性愛」という言葉は、法律上の用語ではない。

「人に恋愛感情が抱けない僕」 Twitter
「私は同性愛者でも異性愛者でもない」 Twitter

「『異性愛』も『同性愛』も求めてないっていう人はかなり多い」 Twitter

「異性婚でも性愛抜きのパターンって実はこれまでもそれなりにあったと思う」 Twitter

「生涯のパートナーは男性でも女性でもいいかな」 Twitter

「兄弟姉妹関係的なものを結ぶ届出があれば良いのに」 Twitter

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二人は同性愛者ではなく、趣味を通じて出会い、12年間共に生活をする中で、お互いが欠くことのできない存在であることを確信し、家族になりたいという気持ちからパートナーシップを宣言したという。

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湘南セント・ラファエロチャペルで初の同性婚挙式 「さまざまなかぞくの形、応援」 2020.10.26 (下線は筆者)

 



 

━━ カップルやパートナーという言葉について ━━

 「カップル」や「パートナー」という言葉は、法律用語ではない。


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二人組(ふたりぐみ、ににんぐみ)とは、2人から成るグループを指す。人間が組織で活動する際の最小単位であり、様々な分野で見られる。 会話ではふたりぐみ、事件報道では、しばしばににんぐみという読み方が用いられる。分野によっては、デュオ、コンビ[1]、ペア、カップル、バディなどの呼び方も用いられる。

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二人組 Wikipedia


 関係性を表現する言葉には、「お笑いコンビ」「歌のデュエット」「仕事の相棒」などもある。

 「バディ」という関係がある。
心強い! ダイビングのバディシステム 2016年6月23日


 「ダブルス」もある。

ダブルス Wikipedia


 三人組として「トリオ」がある。

トリオ Wikipedia

 

 「仲間」という言葉もある。
「お前はおれの仲間だ!!」ルフィがナミに言った名言をワンピース英語版で!! 2014-08-17

 「ソウルメイト」という分類もある。
ソウルメイト Wikipedia



 法律上は、下図のように法主体を単位として法律関係を結び付ける必要がある。

 




【動画】司法試験入門講座 プレ講義 「体系マスター」民法5 「契約の成立と効力発生まで~民法総則」 2020/03/17


 論者の言う「カップル」とは、「権利能力なき社団」なのだろうか。

 

【参考】建物収去土地明渡請求  昭和39年10月15日

【参考】土地所有権確認移転登記手続 昭和55年2月8日

 

 「カップル信仰論(なぜ二人一組なのか根拠を説明しないままに論じるもの)」に陥らないように注意する必要がある。


◇ 婚姻制度の趣旨を特定するための材料

 

 「嫡出推定」の規定は、「裁判上の離婚」を訴えることができる場合の「不貞行為」とも密接に関係していると考えられる。

 通常、「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」ことになる。しかし、夫は「配偶者に不貞な行為があったとき」に、その妻から生まれた子供が自分の子供であるのか確信を持つことができなくなる。

 このような理由で、「不貞行為」は裁判上の離婚を訴えることができる原因となっていると考えられる。

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 (嫡出の推定)

第七百七十二条 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。

2 婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

(裁判上の離婚)

第七百七十条 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。

一 配偶者に不貞な行為があったとき。

二 配偶者から悪意で遺棄されたとき。

三 配偶者の生死が三年以上明らかでないとき。

四 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。

五 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。

2 裁判所は、前項第一号から第四号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。

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 このことは、婚姻制度の立法目的が「子の福祉」を重視していると考える場合にも、「生殖」によって子供が生まれてくるという因果関係を想定しているものと考えることができる。この意味で、婚姻制度の趣旨が「生殖と子の福祉」(婚姻当事者間の生殖によって生まれてくる子の福祉)にあると考えることは妥当であると考えられる。

 


◇ 「子の福祉」の実現は婚姻制度でなければならないのか


 ただ、注意したいのは「子の福祉」を実現する手段は婚姻制度に限らないことである。

 例えば、その国で生まれた子供をすべて国の保育施設で24時間365日育てる制度を構築したならば、婚姻制度を廃止しても問題ないと思われる。

 その国のすべての子供を国の保育施設で24時間365日育てる制度ならば、親による虐待、親の年収による教育格差の問題、家庭環境の違いによるデジタルデバイドの問題などが生じない。

 そうなると、もしかすると子供にとっては婚姻制度の中で自身の親に育てられるよりも恵まれた環境と言えるのかもしれない。

 その国ではいくら子供を産んでも、すべて国が税金を投入して育てることになるため、親は子育てにかかる経済的な心配から解放される。

 また、婚姻制度が存在しないため、貞操義務も生じておらず、合意によって誰とでも生殖が可能となる。子供が生まれたら、すべて国の保育施設が引き受けることになる。

 これらの効果により、少子化問題も解決する可能性がある。


 「子の福祉」という目的を達成するために婚姻制度を採用するのか、代替的な別の制度を採用するのかは、国民がどのような社会を望むかという選択の問題である。


 婚姻制度を廃止した場合には、「氏(姓・名字)」は廃止されると考えられる。その場合に必要となるものは、「どの保育施設に預けられたか」などの事柄を中心として登録番号を割り振り、個人を識別できるようにすることである。
 婚姻制度を廃止した場合には、近親交配が行われる確率が上がると考えられる。それにより、遺伝的な劣勢を有する虚弱体質の個体が高い確率で発現する可能性がある。そのことを問題と捉えるのか、問題と捉えずに放置するのか、もし問題と捉えるのであればどのように解決するかは別途検討する必要がある。



 憲法の条文から、「子の福祉」を必要とする旨の規定があるかを確認する。

憲法

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前文 「日本国民は、……われらとわれらの子孫のために、……この憲法を確定する。」

 

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。


第24条婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない


第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする


第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

3 児童は、これを酷使してはならない。


第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

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◇ その他

 □Twitterの14条の部分であるが、法律は「同性愛者」であるのか「異性愛者」であるのかを審査していないし、それらを異なる分類に区分けしていないし、区別取扱いをしていない。そのため、「同性愛者」と称することを理由として区別取扱いをしているという事実がないのであるから、これを理由として14条に違反するとの主張は成り立たない。



 □Twitterの「差別的意図」の部分であるが、上記と同じ理由で法的な差別取扱いはないし、婚姻制度は「性愛」を保護することを目的とした制度というわけでもない。

 下記の記事も参考になるかもしれない。

 

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それと、この辺の話題を取りあげている報道では、「社会制度としての問題」のはずが、いつのまにか「同性愛への理解」の話になってしまい、そして肝心な問題点が議論されずに、「同性愛への理解を皆がもつようになれば、問題は解決の方向に向かう」というような、勘違いの議論になっている場面も多々見受けられる。

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そもそも「同性婚」などというものは存在しないが? 札幌地裁「同性婚が認められないのは憲法違反」 2021年3月22日


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議論がおかしくなるのは次の理由だ。


1.同性愛を理解し、人々の偏見から解放し、多様性を尊重すべきである。

2.同性のカップルを社会制度として、結婚に相当する関係と認めるべきである。

この二つのことについて、「上記1を認めるならば、当然上記2も認めるられるはず」と思い込んでいるからだ。


「上記1は認めるが、上記2は認めない」という見解があり、”それこそが議論のポイント”であることが理解できずに、「同性愛が理解されれば、社会制度として受けいれられるはず」というような気分になってしまうのだ。

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行政の同性パートナーシップ承認に賛成できないのは偏見があるからなのか? NHKの報道「”家族と認めてほしい”同性パートナーシップ承認の波紋」 「渋谷区、世田谷区」「松戸市」「パートナーシップ宣誓制度」 2015年11月18日

 

【参考】「同性婚合法化に反対するのと同性愛に反対するのにはだいぶ距離がある話で、それがわかりながらこういう意見を展開しているなら、ストローマン論法と言っていい。」 Twitter

【参考】同性愛者でありながら、同性婚の「法制度化」に首尾一貫して反対している私は、自分自身を差別する「同性愛者差別者」ということになりますが、なんのことやら訳がわかりませんね。 Twitter



 □Twitterの①と②③④であるが、婚姻制度を構築する趣旨・目的について下記を考慮すれば、それぞれについて正当化理由を説明することは可能である。


【参考】「結婚はあくまで社会制度なんですから、その趣旨、目的、機能を考慮すべき。結婚をあくまで次世代再生産の可能性のある組合せを優遇する制度と捉えると同性婚容認は必然的ではなくなる」 Twitter


 ➀については、下記も検討する必要がある。


【参考】「他の事例でも『制定当時は想定していない』が通用するとなるがそれこそ危険ではないか?」 Twitter


 そのため、⑤の「違憲」という結論に至るとは限らない。
 また、論者の説明は「婚姻適齢に満たない者との婚姻」、「近親婚」、「重婚」、「複婚」を求める者との間で整合性のある説明をしていない点にも不備がある。


【参考】「単に『自分が考える結婚制度』を押し付けているだけ」 Twitter

【参考】「まず婚姻の定義をしてくれ。そして、その目的と制約の範囲の妥当性を解説してくれ」 Twitter

【参考】「婚姻の自由まわりの問題は、結局、何が『婚姻』なのか定義されていない点にあると思う」 Twitter

【参考】「根本的な婚姻法の目的を明確にしなければいけないと思う。」 Twitter

【参考】「結婚の元来の意味を考える必要がある」 Twitter

 



 

【東京二次・第3回】被告第2準備書面 令和3年11月30日 PDF (P18~)



婚姻の目的は「生殖」なの? 国側の主張に「差別的」と原告が批判 同性婚訴訟、提訴から3年 2022年2月15日


 「結婚式で『子どもを産めなかったら離婚しなさいね』などと言えばハラスメント(嫌がらせ)だ。」との記載がある。


 まず、日本法の下では「結婚式」を挙げることは法律上の要件ではない。婚姻制度を論じる際に「結婚式」というような個人的なイベントや宗教的な行事の話を織り交ぜるべきではない。婚姻する際に「結婚式」を行わない者もいるのである。法律上の制度の話と、文化的な行事や商業的なイベントの話を混同して論じないように注意する必要がある。

 次に、国の主張は「生物学的な自然生殖可能性を基礎として抽象的・定型的に立法目的を捉えて,婚姻をすることができる夫婦の範囲を定めていることによるもの(PDF)」と述べており、「子どもを産めなかったら離婚」というような趣旨を述べているわけではない。

 三つ目に、婚姻制度についての「国の立法目的」と「個々人の利用目的」が異なっていることは当然である。「国の立法目的」として国民が「生殖」する可能性を想定して制度を立法することと、「個々人の利用目的」として制度をどのように活用するかは別の次元の問題である。


 「愛し合って共同生活を送っていれば」の部分であるが、「愛し合って」いることは、法律上の要件ではない。

 「愛し合って」いることは、宗教上の結婚を行う者の間では儀式の際などに問題となるのかもしれないが、法律上の婚姻制度とはまったく関係のない話である。

 論者はいつも「カップル」を前提としていると思われるが、「カップル信仰論(なぜ二人一組なのか、その根拠を説明しないままに論じるもの)」に陥らないように注意する必要がある。



 論者は婚姻に対して何か特別なものが存在するのではないかというような期待感を持っているように見受けられる。

 しかし、法律論として考えるのであれば、「結婚式」を行わないことは、「会社の設立イベント」や「入社式」を行わない企業が存在することとあまり変わらない。会社の設立や従業員との雇用契約が行われるときに、「会社の設立イベント」や「入社式」は必要ないのである。

 会社設立の心意気や会社への愛を誓わされている企業も存在するかもしれないが、法律論としては関係ない話である。

 また、自動車運転免許を取得する際に「車への愛」など問われてはいない。自動車運転免許を取得する者の中には車好きもいるとは思うが、そういう動機ではない者もいる。

 制度をドライに見る目が必要である。



Twitter

 

 同性婚と選択的夫婦別姓に対して反対する人に対してだけ、同性婚と別姓婚を行うことを禁じる趣旨の法律を立法すればよいとの提案である。

 しかし、法制度は個々人がどのような思想・信条を有していても平等に適用されなければならないことから、個々人がある特定の思想や信条を有していることを理由として法を適用しないことになれば、「法適用の平等」に違反する。

 これは、憲法14条の「平等原則」に違反する提案になっていると思われる。

 

【動画】シンポジウム 国葬を考える【The Burning Issues vol.27】 2022/09/25 


 また、ある特定の思想・信条を有する者に対してだけ、法制度の利用を禁じるような内容の法律を立法することになれば、憲法19条の「思想良心の自由」にも違反すると思われる。

 

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 人々によって国家が設立され、運営されるのは、特定の個人や特定の集団の利益を図るためではなく、社会のメンバー全員にとって、中長期的な利益を実現するためです(そうではないように見える国家も現実には存在しますが)。そうである以上は、国家の政策決定にあたっては、特定の個人や集団の利益を図るためという理由づけではなく、社会全体の中長期的な利益(公益)を図るためという理由づけが必要です。とりわけ、特定の信念や世界観を奉ずる人々の利益を図り、そうでない人々を二級市民扱いするような政策を決定・実施すれば、その社会は宗教戦争同様の激烈な内部対立に陥りかねません

 公と私の区別は、公の領域で活動する政府が行動する際の理由づけを限定します。社会全体の中長期的利益を図るため、それを根拠としてのみ政府は行動する。特定の信念や世界観を抱いていること、特定の人種や民族や性別に属していること、特定の団体に属していること等を理由に一部の国民を優遇したり、不平等な扱いをすべきではありません

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法律学の始発駅 長谷部恭男 amazon (P145~146) (下線は筆者)

 

 「思想良心を理由とする不利益処分の禁止」について

【動画】第19回〜「思想・良心の自由」 2022/01/24

 

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 (二)保障の意味 このような思想・良心の自由を「侵してはならない」とは、第一に、国民がいかなる国家観、世界観、人生観をもとうとも、それが内心の領域にとどまる限りは絶対に自由であり、国家権力は内心の思想に基づいて不利益を課したり、あるいは、特定の思想を抱くことを禁止することができない、ということである。たとえ民主主義を否定する思想であっても、少なくとも内心の思想にとどまる限り処罰されない、と解すべきである。

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憲法 第三版 芦部信喜・高橋和之補訂 (P140) (下線は筆者)



Twitter

 

 まず、「同性カップル」という「二人一組」を単位として「類推適用」の可能性を検討する問題であるかのように述べているが、法律論としては憲法は「個人の尊重(13条)」、「個人の尊厳(24条)」の原理に基づいていることから、条文の適用の可否を考える際には、個々人を単位とする必要がある。

 そのため、「カップル」という「二人一組」を単位として「類推適用」の可能性を論じることは妥当でなく、個々人が婚姻制度を利用することができるか否かという視点から論じる必要がある。

 そして、個々人は「男女二人一組」の婚姻制度を利用することそのものは可能であることから、個々人に対して「直接適用」される事柄であり、「類推適用」が論じられる場面ではない。

 この点、論者は「カップル」という「二人一組」であることを前提としているが、憲法が「個人の尊重(13条)」、「個人の尊厳(24条)」の原理を採用し、「個人主義」に裏付けられていることに沿うものではなく、妥当でない。

 憲法は「カップル」という「二人一組」を単位として人権規定を設けているわけではないのである。

 また、「カップル」という「二人一組」を前提としていることについても、なぜ「二人一組」であるのかその根拠を説明しないままに論じる「カップル信仰論」となっているようである。


 また、「婚姻」は「生殖」に関わって生じる社会的な不都合を解消するために国家の政策の手段として設けられた経緯があることから、その目的から離れて「婚姻」を観念することはできない。

 そのため、「婚姻」であることそれ自体による内在的な限界がある。

 別の事例で、「法人」と「法人」を「婚姻」させることができるかであるが、これについても「婚姻」そのものが「生殖」に関わって生じる社会的な不都合を解消することを目的として設けられた概念であることから、「法人」と「法人」は「生殖」に関わって生じる社会的な不都合を解消するという目的に沿うものではないため、「婚姻」として扱うことができない性質のものである。

 つまり、「法人」が合意しても、「婚姻」として認めることはできず、「類推適用」を行うこともできない。

 「婚姻」の目的や意義、目的達成のために必要となる機能や内容を離れて、「類推適用」が可能であると結論付けることができるわけでなはい。


 他の論点であるが、「法人」を「婚姻」の対象として扱おうとした場合には、24条の「婚姻」「両性」「夫婦」「家族」の趣旨に反して違憲となると考えられる。


 もう一つ、個々人が人的結合関係を形成した場合には、通常「結社の自由(21条1項)」が適用されることになる。





山元一

 

〇 憲法学者 山元一

 

日本における同性婚に関する議論とその展開 山元一 PDF


◇ 「同性愛」や「異性愛」などの「性的指向」と「婚姻」を結び付けて考えている点で妥当でない。「性的指向」は「内心の自由」に属する問題であり、婚姻制度そのものとは関係がない。


◇ 「カップル」という二人一組を前提として論じているが、法律上は個々の自然人をどのような法律関係で結び付けるかという視点によって事象を捉える必要があり、「カップル」などという法律上存在しない区分を前提として論じようとしている点で妥当でない。


◇ 14条の「平等権」について、「国家が一定のグループに<劣性のスティグマ>を与えることを禁じる趣旨があるとして捉え」のように、スティグマの存否を論じようとしているが、そもそも法律上は「カップル」を単位としていないし、個々人の「性的指向」によって区別取扱いを行っている事実はない。そのため、「一定のグループ」を区分けしているという事実もない。また、スティグマの存否は法的な話ではないため、この問題を法的な観点によって解決することはできない。





「幸せな人が増えるだけ」論


 「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることについて、「幸せな人が増えるだけ」、あるいは「誰にも迷惑かけない」という論拠によって正当化することができるかを考える。
 まず、「幸せな人が増えるだけ」という旨の主張を確認する。

「それで幸せになる人がいて、不幸になる人はいない」 Twitter

「幸せな人を増やすだけで誰にも迷惑かけない」 Twitter

「幸せになる権利が与えられるだけ」 Twitter

「幸せになる人しかいない」 Twitter

「誰一人、何も損はしない」 Twitter

「同性間の結婚を認めた法律は、国民の自由と平等を促進しこそすれ毀損することは1mmもない」 Twitter

「誰も不利益にならない」 Twitter

「誰も不幸にならない」 Twitter

「何のマイナスも無い」 Twitter

「誰のマイナスにならないこと」 Twitter

「同性婚を認めることに対するデメリットがない」 Twitter

 

「これも改善しても誰にも迷惑はかからないし、誰の権利も侵害しない。」

第99回:良い、悪い、の問題ではない問題(想田和弘) 2021年4月14日

 

「4 同性婚を認めても、当事者以外の第三者の人権・権利・利益が侵害されたり、制限されたりすることは一切ない。」

民法等の関連法令を改正して同性婚を認める立法を求める会長声明 茨城県弁護士会 2021年4月30日

 


「幸せな人が増えるだけ」との発言がある。
【動画】結婚の平等へ。 同性婚を認めないことは 「憲法14条に違反する」 2020/3/18


【動画】第二次訴訟提訴報告会(「結婚の自由をすべての人に」東京訴訟) 2021/3/27

【動画】[深澤真紀]我が国の同性婚に対する見解の行く先 2021/03/27

【動画】「同性婚訴訟から考える憲法」志田陽子さん(武蔵野美術大学 教授) 2020/5/3



 しかし、「婚姻適齢に満たない者の婚姻」、「近親婚」、「複婚」を可能とすることについても、「幸せな人が増えるだけ」と論じるつもりがあるのであろうか。

 合理的な一線をどこに引くかという議論を行うことなく、社会に何らの影響もないかのように論じることはできないと考える。


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そうではなくて、『同性婚を認めるとあなたにどんな不利益がありますか?』、『同性婚を認めることで、誰かに危害が生じますか?』、『あるなら、具体的に教えてください』と聞けば、よいのではないでしょうか。この聞き方だと、差別的な動機での反対は表明しにくくなりますし、聞かれた人が『そういえば、同性婚を認めても、誰も困らないな』と気づきを得ることもできます。

また、本当に同性婚を認めると不利益が生じる人がいるというなら、その不利益を解消する手立てを考えて理解を求めて行けばよいでしょう」。

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「同性婚が認められると、あなたにどんな不利益がありますか?」木村草太、小島慶子、ブルボンヌが同性婚の実現性を探る 2018-09-20


 上記であるが、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」と認めることについて「あなたにどんな不利益がありますか?」「誰かに危害が生じますか?」と問いかけることを提案している。

 しかし、この論じ方で「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることを正当化しようとするのであれば、「婚姻適齢に満たない者の婚姻」、「近親婚」、「複婚」についても、「あなたにどんな不利益がありますか?」「誰かに危害が生じますか?」と問いかけることことによって正当化できることとなる。これは、現在の民法上の制度がそれらを禁じていることとの間で整合性のある主張ではない。

 これは法律規範として定めることによってどのような社会を形成するかの問題であり、個々人に対して個別的、直接的な不利益がないとしても、どのような社会の中で生きるかという選択に関わる問題となると考えられる。


 「本当に同性婚を認めると不利益が生じる人がいるというなら、その不利益を解消する手立てを考えて」の部分であるが、その通りである。憲法上で保障されている人権については「公共の福祉」(人権相互の矛盾・衝突を調整する実質的公平の原理)による制約があり得るのであり、それを調整する必要がある。

 たとえば、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」とすることで手厚い保障が受けられることとなるのであれば、女性は女性同士で婚姻関係を形成することによって、男性と婚姻する女性が少なくなる可能性がある。すると、未婚の男女の数の不均衡が発生することによって子供を持ちたくても持てない男性が増える可能性がある。

 また、「女性同性婚」が許容された場合、現在の婚姻制度が「近親交配」を防ごうとしている意図が損なわれ、遺伝的な劣勢を有する個体が高い確率で発現する可能性がある。

 「女性同性婚」が許容される場合について、「精子提供」(生殖補助医療)の問題点についても検討する必要がある。特に、男性の遺伝子を選択するという価値観が普及していく可能性についても検討する必要がある。


 これらを防ぐために、もともと「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」として保護することは不合理と考えられるのではないかという論点である。

 これらの論点を丁寧に解決できるか否かが問われると考えられる。もし解決できないのであれば、「婚姻適齢に満たない者の婚姻」や「近親婚」、「複婚(重婚)」と同様に「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」として保護することは認められないこととなる。



【参考】「流石にそれは都合の悪い情報から目を逸らしてるだけ」 Twitter

【参考】「それが適った結果として生ずる新しい変化に、社会は否応なく影響を受ける」 Twitter

【参考】「税制の優遇の対象が更に広がっていくのかと考えると」 Twitter

【参考】「配偶者控除の適用の有無は(同性婚に)関係のない人にも影響はあります。」 Twitter

【参考】「非婚者の一人当たりの負担が増えるのは確か」 Twitter

【参考】「単身からしたら、搾取してくる層が増える」 Twitter

【参考】「『同姓婚や同性婚は、他人には関係ない』という理屈で要求する人は、」 Twitter

【参考】「近親婚の行為自体は犯罪ではないが、合法ではない」……「同性婚も同じ」 Twitter

【参考】「何の影響もない』という論法で同性婚を認めるのであれば、当然重婚や近親婚にも同じ論法が適用されるはず」 Twitter  

【参考】「『誰の権利も侵害していない』との理由で同性婚を認めるべきと主張しますが、それは近親婚や一夫多妻制も同様」 Twitter

【参考】「問題は、群婚・複婚や同世代内の近親婚も」……「同じくらい『迷惑』がなさそうだという点」 Twitter 

【参考】「多夫多妻制」……「誰にも迷惑かかんないのは一緒」 Twitter

【参考】「『選びたい人が選ぶだけ』という理屈なら、群婚、複婚、近親婚、あるいは貞操義務がない結婚なども認めないとおかしい」 Twitter

【参考】「当事者二人だけではない話に拙速に拡大していく」 Twitter

 

 

 大阪訴訟の原告の一人は、「複婚」や「近親婚」について「知らんがな」との趣旨(Twitter)を述べており、婚姻制度の全体の整合性については検討していないようである。(TwitterTwitter

 

【参考】「自分たちが主張する時は『全ての人のため』なのに」 Twitter

【参考】「『すべての人』とは誰でもということか。近親婚も認めろということか。」 Twitter 

【参考】「近親婚と同性婚は、結婚の自由を考えるという点で、切り離せない」 Twitter 

【参考】「同性婚支持者の人たちは、同性近親婚の自由も訴えて欲しい」 Twitter

【参考】「同性婚認めるなら一夫多妻とか兄妹の結婚とかも認めて欲しさある。」 Twitter

【参考】「近親婚を禁じた民法第734条の規定を見直すことになる。同性婚支持派は、この問題を看過すれば主張の一貫性を保持できなくなる。」 Twitter

 





「同性婚を認めても、関係ない人にはただ今まで通りの人生が続くだけ」。賞賛を集めたニュージーランド議員のスピーチ 2020年10月05日

「日本人のフォロワーが沢山だ!」再び大拡散した感動的なスピーチ、論破劇が爽快 2021/5/30

【動画】「2013年にニュージーランドで同性婚を認める法案が出来たとき、」 Twitter

NZで同性婚法案が上がった時の素晴らしいスピーチ。 2017-11-26

「同性婚を認めて8年、社会は崩壊していません」ニュージーランド元議員が日本の政治家に問いかけること 2021/6/18


 上記サイトのスピーチ内容は、いくつか考えるべき点がある。内容が前後するが、下記の部分から検討する。



□「この法案で、私たちがしようとしているたった一つのことは、愛し合う二人に、結婚という手段を認める。たったそれだけのことです。それが私たちのしようとしていることの全てです。」

□「ただ、愛し合っている二人に結婚という手段を認めるだけです。」


 少なくとも日本法においては、「愛し合う」という感情と法律上の「婚姻」には因果関係がない。そのため、あたかも「愛し合う」という特定の価値観を抱く者がいるとしても、「婚姻」はそのような価値観を保護するために形成されているとの認識を有しているのであれば誤りである。
 また、「愛し合う」という特定の価値観を保護するために「婚姻」制度を構築しているのであれば、それは特定の価値観を国家が保護しようとしていることとなるから、国家が特定の宗教を援助・助長・促進していることとなり、憲法20条1項後段、20条3項、89条の「政教分離」の規定に違反することが考えられる。


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〔信教の自由〕
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


〔公の財産の用途制限〕
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない
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   【参考】政教分離原則(日本の政教分離) Wikipedia


□「この法案に反対する人は、これが社会に何をもたらすのか、真剣に心配している。その懸念に敬意を表します。この法案が通ると、自分の家族の身に何か起こるのではと心配しているんです。」


 「同性婚」が許容されると、婚姻の趣旨から「生殖と子の福祉」が失われることが考えられ、同時に「近親婚」や「複婚」を禁じることが不合理となる。また、「生殖と子の福祉」の趣旨がないということは、「婚姻適齢」の制約を設けていることも不合理となる。

 すると、「近親婚」、「複婚」、「婚姻適齢の廃止」を訴える者が現れた際に、それらの主張を退ける合理的な理由となる一線(限界とする基準)がないため、「近親婚」、「複婚」、「現在の『婚姻適齢』に満たない者の婚姻」を認めなければならなくなる。


 「近親婚」が認められた場合、遺伝子の劣勢が高い確率で発現し、虚弱体質の子供が生まれる可能性がある。現在の民法上の規定で「近親婚」を禁じていることには、これらの可能性をパターナリズムによる制度構築によって制約しようとするものと考えられるが、この規制が失われると、婚姻当事者や子供本人、周囲の人間関係や社会保障制度などに与える影響がどの程度のものかを考える必要がある。
 「複婚」が認められた場合、社会の中で未婚の男女の数の不均衡が生じ、「婚姻したくても相手方が見つからないためできない者」が生まれたり、「子を持ちたくても持てない者(子を持つ機会に恵まれない者)」が生まれる可能性が考えられる。日本社会全体、あるいは世界の人口を見れば男女の不均衡が問題となる程の影響がないと考える者もいるかもしれない。しかし、「複婚」が認められた場合、小さな町や村、離島などでは男女の数の不均衡の影響が色濃く出てくる可能性が考えられる。また、多くの人は経済的な負担などを理由として、限られた生活圏で生活している。その範囲で得られる「婚姻の機会」に対して、男女の数の不均衡が影響することは、「婚姻の機会の確保」や「子を持つ可能性の確保」の側面からは障害となり得る。
 「婚姻適齢」が廃止されることとなった場合、そもそも「婚姻」とは何だったのか分からなくなることが考えられる。当事者が「結婚」を宣言してみることは自由でも、法律上の「婚姻」が何を目的として、どのような利益を実現しようとして立法されていたのかという趣旨そのものが揺らぐと思われる。


 「同性婚」が認められた場合、たとえ「複婚」が認められないとしても、「一人の男性と『女性同性婚』」、また「一人の男性と『複数の女性同性婚』」という組み合わせによって、事実上の「一夫多妻」の関係が形成されやすくなると考えられる。すると、未婚の男女の数の不均衡が発生し、「婚姻したくてもできない男性」や「子を持ちたくても持てない男性」が増えると思われる。


 これらの懸念を考えることができるが、「これの何が問題なのか、私にはわかりません。」「明日からも、ただただ毎日がいままで通り続くのです。」との認識を有していることは、論点整理を行っていないことによる粗い主張と思われる。



<理解の補強>

 

「この理論なら同性婚だけじゃなくて近親婚も多重婚もいいじゃないか」 Twitter

「近親の同性婚」……「別に困りはしないし誰にも迷惑かけてない」 Twitter

「賛成したって反対したってお前らには関係ないんだから賛成しろってのは思考停止提案だから同意できない」 Twitter

「その社会に住む人間にとって関係ないことなどは無く、」 Twitter

「関係なきゃ未成年喫煙とか認めんのかね?」 Twitter

「『同性婚を認めろ』という人は近親婚も容認するのだろうか」 Twitter

「愛し合う二人の結婚を認めるだけだって。じゃあ近親婚も認めるのか。」 Twitter

「愛し合う2人が近親婚となるケースについてはどう考えるのかな?」 Twitter

「近親婚はどうなる?愛し合ってりゃOKって言うのも違う」 Twitter

「『そこに愛があればいい』と許されるなら、じゃあなんで、16歳以下は婚姻したらいけないの?近親婚はいけないの?」 Twitter

「兄妹が愛し合う、母子が愛し合う もしかしたら父と息子のような場合もあるかも」 Twitter

「いくら愛し合う2人でも、親兄弟祖父母やおじおばとは結婚できない理由を説明しないといけなくなるんだよ」 Twitter

「愛し合う2人に結婚を認めるなら、近親婚なども認めるかの議論をしないとフェアじゃない」 Twitter

「同性婚支持者の理屈が『愛し合っている者同士が結婚する自由』ならば・・ 当然、近親婚や児童婚も認めないと筋が通りません」 Twitter

「愛する2人のためだとか言う人がいるけど、それを言ってしまうと近親で結婚するとかも許されるべきだから、破綻している」 Twitter

「愛し合っていても3親等ではダメです。これが結婚の制度です。」 Twitter

「"愛し合う2人の愛」……「これだけの理由で同性婚を認めるのなら児童結婚も認めなければならなくなる。」 Twitter

「『同性でも愛があればOK』この先に児童婚とか複数婚とか近親婚とかが、という懸念は無視できない」 Twitter

「『結婚というかたち』で認める意味は、親子関係の規律も大きいので、愛し合う2人だけの話ではない。」 Twitter

「同性婚に対して重婚や近親婚、『性自認』に対して年齢自認とか『ロジックとして』(←重要)どう整合性を取るのか」 Twitter

「複数人と愛し合って当人同士が許可しているのだから重婚も結婚出来ないとおかしい」 Twitter

「この人の間違いは、同性婚の問題が当人同士の問題だとミスリードしている点だ」 Twitter

「シンガポールでイスラム教徒は一夫多妻制だけど社会は崩壊してないから一夫多妻制を認めなさい。って言ってるのと同じこと」 Twitter

「「結婚の自由」や「選択肢が増えるだけ」というロジックは、このような重婚関係にも十分妥当する。」 Twitter

 

 

大屋雄裕氏「その程度の議論を展開したいのであれば「家族を構成する自由」を法的な議論へとうかつに持ち込むべきではない」 2021年3月9日





その他の分析


結婚の自由をすべての人に よくあるご質問 FAQ


 「結婚の自由をすべての人に」とのタイトルがあるが、既に日本国内では「結婚(婚姻)の自由」はすべての人に与えられている。戸籍上の「異性間」であれば、民法上の消極要件に抵触しない限り、誰とでも「結婚(婚姻)」できるのである。そのため、「結婚(婚姻)の自由」が「すべての人に」与えられていないことを前提として、「結婚(婚姻)の自由をすべての人に」と訴えかけることは、論理的誤謬である。

   【参考】誤謬 Wikipedia


 このサイトで問われているのは、法律上の「婚姻」の内容を「異性間」のものから「同性間」のものへと広げるか否かである。「結婚(婚姻)」の中に含まれる内容(範囲)の話であるにもかかわらず、「結婚(婚姻)の自由」それ自体が「すべての人に」与えられていないことを前提とするタイトルは適切ではない。


◇ 「結婚(婚姻)の自由をすべての人に」 ⇒ 既に異性間の婚姻は「すべての人に」認められている

 また、「結婚(婚姻)の自由」という文言は、「結婚(婚姻)」が憲法上の「自由・権利」として認められているかのような印象をもたらすが、憲法24条には「結婚(婚姻)の自由」という文言は含まれておらず、国家に対して具体的権利として要求できる性質のものであるのか明らかとはなっていない。抽象的権利や制度的保障である可能性も排除されていないと考えられる。そのため、個々人が憲法上の具体的権利として「結婚(婚姻)の自由」を行使できることを前提としていることは、この論点を既に具体的権利として確定させようとする意図が含まれており、妥当でない。


 現在、法律上の「婚姻」の内容は「異性間」を対象としているものである。そのため、「婚姻の自由」と言う場合、それは「異性間の婚姻」を意味することとなり、既に「すべての人に」認められている。
 また、「結婚(婚姻)の自由」をすべての人に求めるとしても、その「婚姻の自由」それ自体が「異性間」を対象としたものである場合、「同性婚」は最初から「自由・権利」として認められていないこととなる。

 「同性婚」を求める者が「結婚の自由をすべての人に」と訴える言葉の中には、既に「同性」と婚姻関係となる「自由・権利」が憲法24条によって認められていることを前提としており、未だ憲法24条の意味・内容が明らかとなっていないにもかかわらず論点を先取しようとする意図が含まれているため、論じ方としては適切ではない。


 もし論者が日常用語としての「結婚」と法律上の「婚姻」の文言を使い分け、敢えて「"結婚"の自由」の言葉を用いているとすれば、それは憲法24条が想定している法律上の「婚姻」とは異なるものであり、13条の「幸福追求権」が「喫煙権」を保障することと同様に、「当事者が『自分たちは結婚した』と宣言する自由」や「当事者が『結婚』と名付けた契約関係を結ぶ自由(民法上の契約自由の原則より)」を求めるものということになる。しかし、これは13条の「幸福追求権」によって既に保障されており、現在でも「すべての人に」与えられており、与えられていなことを前提として「結婚する自由をすべての人に」と訴える必要はないこととなる。

◇ 憲法13条の「幸福追求権」で保障されている
  ・喫煙権

  ・当事者が自分たちを「結婚」したと宣言する自由(法律上の『婚姻』とは異なる。)

  ・当事者が「結婚」と名付けた契約関係を結ぶ自由(民法上の『契約自由の原則』。法律上の『婚姻』とは異なる。)


◇ 憲法24条の「婚姻」

  ・国に保障を要求できる具体的権利であるのか明らかでない(具体的権利説)

  ・制度的保障の可能性がある(制度的保障説)

 ⇒ 「婚姻の自由」の内容は、既に「異性間」を対象とした「自由・権利」である可能性がある
 ⇒ 法律によって「婚姻する権利」が創設されるのであれば、憲法の規定を根拠に「婚姻の自由」を求めることはできない。また、憲法24条の「両性」の文言が立法裁量の限界を画する意味を有していると考える場合、法律によって「婚姻する権利」が創設されても、「異性間」を対象としたものに限られ、「同性間」は権利の対象外となる。


 よって「結婚する自由をすべての人に」とのタイトルは、論理的な正確さを有しない言葉である。



【参考】「結婚の自由をすべての人に と言うのなら近親婚は?」 Twitter 

【参考】「この『すべての人』とは誰でもということか。近親婚も認めろということか」 Twitter

【参考】「近親婚も認めろということか。」 Twitter

【参考】「結婚の自由をすべての人に  ということはポリアモリーも含まれますよね。一夫多妻でもなんでもありに」 Twitter

【参考】「同性婚支持者の言う『結婚の自由』は近親婚、幼児婚等も認めなければ筋が通らない」 Twitter

【参考】「近親婚や児童婚も認めないと筋が通らない」 Twitter

【参考】「近親婚や児童婚の実現にも尽力しないと筋が通りません」 Twitter

【参考】「同性婚を望む人、重婚を望む人、児童婚を望む人など全てに公平に」 Twitter

【参考】「自由を理由に同性婚を認めるならば、同じ理由で近新婚や重婚も認めなければならない。」 Twitter





理解は対話の積み重ねから 「同性婚の父」 米のウォルフソン弁護士 福岡市で会見 社会の沈黙が大きな代償に  2019/8/20


 「婚姻する権利は人の自由に内在する基本的権利であり、同性カップルからその権利と自由を奪ってはならない」との記載があるが、本当だろうか。
 私人間で関係を誓い合う自由は「幸福追求権(13条)」や「思想良心の自由(19条)」、「信教の自由(20条)」などによって当然に保障される。

 しかし、法律上の「婚姻」をするかどうかについては、法律上の具体的な制度の存在を前提とするものであり、「国家からの自由」という「自由権」とは異なると考えられる。
 その他、24条に関しても、「プログラム規定説」「抽象的権利説」「具体的権利説」などを検討し、「婚姻」をどのような権利と位置付けるべきかを詳細に検討する必要が考えられるのではないか。「制度的保障説」の可能性もある。


   【参考】生存権(25条の法的性格) Wikipedia

   【参考】人権(人権の権利性) Wikipedia

   【参考】プログラム規定説 Wikipedia

   【参考】具体的権利説 Wikipedia

   【参考】制度的保障 Wikipedia

   【参考】立法の不作為 Wikipedia


 また、「同性カップル」との文言があるが、なぜ「カップル」という「二人一組」のみを「婚姻」の対象として考えているのか、その趣旨が明らかでない。「複婚(重婚)」を「婚姻」として想定していないのはなぜだろうか。



 「婚姻は、家族が互いに責任を持ち関係を強固にする制度。」との記載については、注意深い検討が必要である。

 例えば会社を立ち上げるために「法人」を設立する行為や、「組合契約」、「委任契約」、「代理」の関係と、「婚姻」の関係が、どのような違いを有する制度なのか考える必要がある。「互いに責任を持ち関係を強固にする制度」であるとすれば、その法律上の地位は、「婚姻」以外の方法でも可能と考えられる。

 そもそも「婚姻」とは、民法上の規定であるが、民法の「契約自由の原則」の延長線上にあるのだろうか。「婚姻」は民法の典型契約の一種と考えるべきなのだろうか。


   【参考】契約(契約自由の原則) Wikipedia
   【参考】契約の自由 Wikipedia
   【参考】近代私法の三大原則(法律行為自由の原則) Wikipedia

 法律上の『私権』の中には、「人格権」「身分権(親族権・相続権)」「財産権(物権・債権・無体財産権〔知的財産権〕)」「社員権」などがある。婚姻は、「身分権」に該当し、「財産権」の「債権」ではないようにも思われる。ただ、この違いも学問上の分類であり、条文上では『権利』の名前や類型にかかわらず、同様の効力を有するように思われる。「婚姻」は「債権」ではないような気もするが、いくつかの請求権のようなものによって関係を拘束しているとも思われる。

 そうなると、民法上の「婚姻」を利用するのではなく、「契約自由の原則」に従って、当事者が法律上の「契約」を結ぶというのはどうだろうか。相続に関しても、「契約自由の原則」に従って当事者が詳細に規定し、当事者がその契約関係の中で活動すればいいのではないか。もしその契約が履行されないならば、裁判所で請求することも可能となるはずである。これで対応できる部分と、対応できない部分を明らかにした方がいいのではないだろうか。これは何も「同性間」に限らず、「異性間」であっても、「三人以上」であっても同様の「契約」を結ぶことはできるのではないか。

 

【参考】『同性婚と国民の権利』憲法学者・木村草太さんは指摘する。「本当に困っていることを、きちんと言えばいい」 2017年05月02日

 

 ただ、「契約」の方式を採用する場合、民法1条1項の「公共の福祉」に適合し、2項の「信義誠実の原則」に当てはまり、3項の「権利濫用の禁止」を満たし、90条の「公序良俗」に反しない法律行為であることが求められる。


民法
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   第一編 総則
     第一章 通則
(基本原則)
第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3 権利の濫用は、これを許さない。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
   第五章 法律行為
     第一節 総則
(公序良俗)
第九十条 公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。
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 この論点を通過する「契約」の方式であるかも検討する必要がある。


 また、「婚姻は、家族が互いに責任を持ち関係を強固にする制度。」との定義を憲法24条の「婚姻」の文字の中から読み取れると解釈するのであれば、それは、自民党改憲草案で相当批判の対象に登っている「第24条 1 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」の条項と同様の効果を持つこととなると考えられる。論者はその効果を意図しているのだろうか。

 

【参考】自民党憲法改正案の問題点:第24条1項|家族制度と忠孝の復活 2020.11.26

【参考】自民党憲法改正案の問題点:第24条2項|婚姻で両性の合意を排除 2020.11.26

【参考】自民党憲法改正案の問題点:第24条3項|家族生活への国家の介入 2020.11.27





「同性婚が認められると、あなたにどんな不利益がありますか?」木村草太、小島慶子、ブルボンヌが同性婚の実現性を探る 2018-09-20


 上記の記事には、「憲法24条は『異性婚は、男女の合意があれば、それだけで成立します』と言った条文です。つまり、この条文は、同性婚については何も喋っていないのです。したがって、この条文は、同性カップルに法律婚の地位を与えることを禁じているわけではありません」との記載がある。

 しかし、「同性同士の組み合わせ」については、そもそも「婚姻」の中に含めることができないことが考えられる。そのため、「同性婚については」のように「同性婚」という文言を用いている点は、「同性同士の組み合わせ」を「婚姻」と認めることができるか否かの論点を先取しようとしている点で論じ方として妥当でない。

 

 「同性カップルに法律婚の地位を与えることを禁じているわけではありません」との部分についても、憲法24条は立法裁量の限界を画した規定である可能性があることから、「禁じているわけではない」と断定することはできない。





 お読みいただきありがとうございました。