9条解釈の枠組み



 ここでは、裁判所の判決文で述べられている9条解釈の枠組みを考える。




◆ 砂川事件 第一審判決(伊達判決)



伊達判決を生かす会

砂川事件の第1審判決(伊達判決)

砂川事件 第一審判決


 砂川事件は、米軍の駐留が9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触するか否かが問われた事件である。

砂川事件 Wikipedia

◆ 砂川事件 最高裁判決



日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反 最高裁判所大法廷 昭和34年12月16日


 日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否や、「自衛隊」については何も述べていない。

◆ 長沼事件 第一審判決(地裁判決)



 この9条解釈の枠組みについては、「二、憲法第九条の解釈」の項目(PDF上のP95~)に記載がある。これは下記で紹介する長沼事件の第二審判決のPDF資料であるが、「 (原裁判等の表示) 」の項目(PDF上のP82~)で第一審判決と思われるものを読むことができる。


 長沼事件判決に対して、政府の答弁がある。

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○政府委員(角田礼次郎君) これは、先ほど申し上げたことをもう一度繰り返すことに結果的にはなると思いますが、長沼判決では、御承知のように、陸海空軍は通常の観念で考えられる軍隊の形態であり、あえて定義づけるならば、それは「外敵に対する実力的な戦闘行動を目的とする人的、物的手段としての組織体」であると定義して、その上に「その他の戦力」についても定義して、そして自衛隊は陸海空軍に当たる、こういうことを言っているわけでございます。私ども、この判決の一つ一つのことばについてここでどうこう申し上げるわけではございませんけれども、われわれとしては、先ほど来申し上げているように、陸海空軍というのはやはり戦力の一つの例示であって、「陸海空軍その他の戦力」ということばで一括して読む。その上、九条第一項で自衛権を認めている。また自衛権を裏づける実力組織としての自衛のために必要最小限度の力を憲法は許していないはずはない、許している。そういうところから九条二項を解釈すれば、戦力ということばは、何度も申し上げるように、自衛のため必要最小限度を越える力ということに論理的になるわけです。そういうような定義を私どもはしているわけです。そういう意味では、ここでいう定義とは違うと言わざるを得ないと思います。

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第71回国会 参議院 内閣委員会 第27号 昭和48年9月13日



<その他>


長沼ナイキ事件
 Wikipedia

憲法判例集 第10版 (有斐閣新書) (日本語) 新書 – 2008/12/5 〈長沼事件地裁判決〉(P12~15) 

福島重雄さんが、長沼判決の核心部分となる論理構成の着想をニセコアンヌプリの山頂で書きとめた手帳=2015年12月、永井靖二撮影

自衛隊を「違憲」とした長沼裁判の判決言い渡し法廷。写真中央が福島裁判長=1973年9月7日、札幌地裁

◆ 長沼事件 第二審判決(高裁判決)




 9条解釈のバリエーションが二つ示されている。


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四 憲法第九条の解釈

わが憲法は、第九条第一項において国際紛争解決の手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を放棄し、同条第二項において右目的を達成するため陸海空軍その他の戦力を保持しないと定めたことにより、侵略のための陸海空軍その他の戦力の保持を禁じていることは一見明白である。しかし、憲法第九条第二項の解釈については、自衛のための軍隊その他の戦力の保持が禁じられているか否かにつき積極消極の両説がある。

まず、積極説の論旨を要約すれば、次のとおりである。すなわち、憲法第九条は、その文言の形式的な表現にとどまらず、前文を含む憲法全体に貫ぬかれている平和主義国際協調主義の理想追求の精神、憲法制定当時における事情、憲法提案者たる政府当局者の立法趣旨説明、政府の行為により戦争の惨禍を避けるための現実的方策等を十分に考慮して検討すれば、第一項において自衛のための戦争等を放棄していないとしても、第二項は、憲法前文の精神を受けて「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する」目的を達成するため、およそ「陸、海、空軍その他の戦力」の不保持を規定したものと解すべきで、この規定は、憲法前文第一項において「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることがないように決意」し、第二項において日本国民は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を維持しようと決意した」ことに照応するものである。まして同条第二項後段が「交戦権一を否認している以上、自衛のための戦争も遂行することは不可能であり、自衛戦争のための軍備も不要で、自衛権の存在は戦力保持を根拠づけない。したがつて、右戦力不保持の規定は、例外を許さない絶対的禁止規定と解するほか他に解する余地のたいことは明白であるというのである。しかして、被控訴人らの主張する憲法第九条第二項の解釈も、要するに右のような積極説の立場に立つものである。

これに対し、消極説の論旨は、要約すれば次のとおりである。すなわち、憲法第九条第一項は、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使を、文言上明らかに国際紛争解決手段として行われる場合に限定して放棄しているもので、他国から急迫不正の攻撃や侵入を受ける場合に自国を防衛する自衛権行使の場合についてまで右戦争等を放棄しているものとは解されない。なるほどわが憲法は、国の在り方として平和主義、国際協調主義をその原則としていることは明らかである。しかしわが憲法は、主権を有する日本国民が、その意思によつて形成する国の組織形態及びその基本的運営の在り方を確定した国の最高法規であつて、国としての理想を掲げ、国民の権利を保障し、その実現に努力すべきことを定めているものであるから、わが国の存在基盤をなす領土等が保全され、主権が侵害されることなく維持されることをその前提としているものといわなければならない。したがつて、もし国の存在が失われるならば、主権は否定され、憲法はその理想を実現することはもちろん、国民の人権保障さえ不可能となるのであるから、国の存立維持を図ることは憲法の基本的立場である。憲法の平和主義、国際協調主義も、わが国が戦争等を開始し自ら平和を破ることはないとする生存の姿勢を示したものであり、わが国が他国から武力侵略を受け、滅亡の危機に際してまで無抵抗を貫ぬくものとして平和主義を定めたものと解することはできず、したがつて、実力による抵抗は当然予想されているもので、憲法第九条第一項において他国からの急迫不正な攻撃や侵入抵抗する自衛のための戦争等は放棄されていないと解することは、むしろ憲法の精神に副うものである。ところで同条第二項前段は、戦争等の不保持については、「前項の目的を達するため」と規定している。そして右の文言は、憲法制定議会における審議中、同条第一項における戦争等の放棄条項中に「国際紛争を解決するための手段としては」という限定文言の存在することを前提に挿入された経緯があり、これを考慮しつつ同条第一項、第二項を比照すれば、「前項の目的」とは、第一項全体の趣旨を受けるものと解するのが相当であつて、第二項において不保持を定めた陸、海、空軍その他の戦力は、国際紛争を解決する手段として行われる戦争遂行戦力のみと解すべきであつて、かく解することが、同法第六六条第二項において国務大臣を文民に限定した規定の趣旨に照応するものである。また同条第二項後段において否認されている「交戦権」の解釈については、これを「戦争をなす権利」と解するものと、「国際法上認められている交戦国の権利」と解する説があるが、前者と解するならば第一項において規定した戦争等の放棄と同一事項に関する規定を第二項の後段に位置せしめて反覆したことになり不自然であつて、むしろ第二項前段において戦闘手段たる戦力等の不保持を定めたことに続けて位置せしめていることからすれば戦争の過程における戦闘に伴う個別的加害行為を認容される国際法上の交戦国の権利を定めたものと解することが規定の位置からも素直な解釈というべきである。そして証、同条第二項後段において否認した「交戦権」が前示の国際人上の権利であり「戦争をなす権利」の否認でないとすれば戦争の本質的現象である相手国兵力に対する戦闘行為そのものは否認の対象とはならず、第一項において自衛のための戦争が放棄されていない以上、前示交戦権が否認されたからといつて自衛のための戦闘遂行が不可能になるものではない。したがつて、自衛のための必要最小限度のものについては、憲法第九条第二項前段における「陸、海、空軍その他の戦力」には当らないというのである。しかして控訴人の憲法第九条第二項の解釈も、要するに右のような消極説の立場に立つものである。

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保安林解除処分取消請求控訴事件 札幌高等裁判所 昭和51年8月5日 (PDF

札幌高等裁判所 (この資料のタイトルの年は判決日ではなく事件番号であることに注意。)

行政事件裁判例 昭和48(行コ)2 保安林解除処分取消請求控訴事件 札幌高等裁判所 その他 昭和51年8月5日

 ここで「消極説」の論旨で、「わが国が他国から武力侵略を受け、」や「憲法第九条第一項において他国からの急迫不正な攻撃や侵入に抵抗する自衛のための戦争等は放棄されていないと解することは、」との記載があることから、9条1項の下では「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす必要があることが示されている。

 また、「自衛のための必要最小限度」という文言が出てくるが、従来より政府が「自衛のための必要最小限度」と呼んでいたものは三要件(旧)の基準を意味する。

 これらのことから、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、ここで示された「積極説」と「消極説」の2つの枠組みのどちらにも当てはまらない。


 法規範について複数の解釈が可能である場合、いずれの解釈の枠組みを採用するかについて「自由裁量論」あるいは「統治行為論」に属する問題であることを理由として裁判所での法的判断を回避することはあり得る。

 しかし、どの解釈枠組みでも正当化することができない場合、それは「自由裁量」の限界を逸脱しているか、あるいは「統治行為論」によっては説明することのできない「一見極めて明白に違憲無効」と認められる場合であり、法的判断を回避することは許されないと考えられる。

 そのため、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、憲法判断を行うべきものに該当すると考えられる。

◆ 百里基地訴訟 第一審判決(地裁判決)




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 二わが国は、独立国であつて他のいかなる主権主体に従属するものではないから、固有の自衛権、すなわち国家が、外部から緊急不正の侵害を受けた場合、自国を防衛するため実力をもつてこれを阻止し排除しうるところの国家の基本権を有することはいうまでもない。ところが、憲法第九条第一項は、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使は国際紛争を解決する手段としてはこれを放棄しているので、自衛のための戦争まで放棄されたかどうかが、先ず検討されなければならない。そもそも、みぎ同項は、文理上からも明らかなように、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使を、国際紛争を解決する手段として行われる場合に限定してこれを放棄したものであつて、自衛の目的を達成する手段としての戦争まで放棄したものではない。また、他に自衛権ないし自衛のための戦争を放棄する旨を定めた規定も存しない。むしろ、国家統治の根本を定めた憲法は、国としての理念を掲げ、国民の権利を保障し、その実現に努力すべきことを定めており、しかも、憲法前文第二項において、「われらの安全と生存」の「保持」を「決意」していることによつても明らかなように、憲法は、わが国の存立、わが国民の安全と生存を、その前提として当然に予定するところであるから、わが国の主権、国民の基本的人権の保障を全うするためには、これらの権利が侵害されまたは侵害されようとしている場合、これを阻止、排除しなければならないとするのが、憲法の基本的立場であるといわなければならない。憲法は、平和主義、国際協調主義の原則に立ち「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のであるが、その趣旨とするところが、わが国が他国から緊急不正の侵害を受け存亡の危機にさらされた場合においても、なお自らは手を拱ねいて「われらの安全と生存」を挙げて「平和を愛する諸国民の公正と信義」に委ねることを決意したというものでないことは明らかである。けだし、わが国が加盟した国際連合による安全保障(国際連合憲章第三九条ないし第四二条)が未だ有効適切にその機能を発揮し得ない現下の国際情勢に照らし、国の安全と国民の生存が侵害された場合には、これを阻止、排除し、もつて「専制と隷従、圧迫と偏狭」を地上から除去することこそ、「正義と秩序を基調とする国際平和」(憲法第九条第一項)の実現に寄与するゆえんであり、かくして、はじめて「国際社会において名誉ある地位」を占めることができるからである。そうであれば、わが国は、外部からの不法な侵害に対し、この侵害阻止、排除する権限を有するものというべきであり、その権限を行使するに当つてはその侵害阻止、排除する必要な限度において自衛の措置をとりうるものといわざるを得ないし、みぎの範囲における自衛の措置は、自衛権の作用として国際法上是認さるべきものであることも明らかである。このことは、国際連合憲章が、その第五一条において「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」と規定するところに照応するものである。

 三憲法第九条第二項前段は、戦力の不保持を宣言しているが、このことは自衛のためにも戦力を保持することが許されないことを意味しているものかどうかが、次に検討を要する点である。同条第二項前段は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と規定しているが、その第一項の趣旨との関連においてこれを合理的に解釈するならば、第一項の戦争放棄等の宣言を実質的に保障する目的のもとに設けられたもの、換言すれば、「前項の目的」とは第一項全体の趣旨を受けて侵略戦争と侵略的な武力による威嚇ないしその行使に供しうる一切の戦力の保持を禁止したものと解するのが相当であつて、みぎ第一項の「国際平和を誠実に希求」するとの趣旨のみを受けて戦力不保持の動機を示したものと解することは困難である。このような見解のもとにおいてこそ、憲法第六六条第二項の、いわゆる文民条項の合理的存在理由をみいだすことができるのである。

 四また、同法第九条第二項後段は「国の交戦権は、これを認めない。」と規定しているので、自衛のための戦争も許されないのではないかとの疑問がないではない。しかし、みぎにいう「交戦権」とは、戦争の放棄を定めた第一項との関連において、さらには戦争の手段たる戦力の不保持を定めた第二項前段のあとを受けて規定されている点から考えてみても、「戦争をなす権利」と解する余地は存しないから、国際法上国が交戦国として認められている各種の権利であるといわざるをえない。従つて、わが国が外部からの武力攻撃に対し自衛権を行使して侵害阻止、排除するための実力行動にでること自体は、なんら否認されるものではないのである。

 五以上要するに、わが国が、外部から武力攻撃を受けた場合に、自衛のため必要な限度においてこれを阻止し排除するため自衛権を行使することおよびこの自衛権行使のため有効適切な防衛措置を予め組織、整備することは、憲法前文、第九条に違反するものではないというべきである。

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百里基地訴訟第一審判決 (この資料のタイトルの年は判決日ではなく事件番号であることに注意。)


 ここには、「わが国が他国から緊急不正の侵害を受け存亡の危機にさらされた場合」や「外部からの不法な侵害に対し、この侵害を阻止、排除する権限」、「わが国が外部からの武力攻撃に対し自衛権を行使して侵害を阻止、排除するための実力行動」、「わが国が、外部から武力攻撃を受けた場合」との記載がある。

 そのため、この判断枠組みが採用される場合においても、9条1項の下では「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たすことが前提となっている。

 しかし、これを満たさない場合については、「自由裁量論」や「統治行為論」に属する問題であることを理由として法的判断を回避することは許されないと考えられる。

 新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、これを超えるものであることから憲法判断を行うべきものに該当すると考えられる。


百里基地訴訟
 Wikipedia

◆ 百里基地訴訟 第二審判決(高裁判決) と思われる




 9条解釈のバリエーションが三つ示されている。


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いま、その見解の主なものを大別すると、およそ、次の三つの考え方に分類することができる。すなわち、その第一は、憲法九条一項はあらゆる戦争、武力の行使を放棄したものであつて、自衛のための戦争も許されず、自衛隊は憲法九条違反の存在であるとするものである。なお、この立場を採る者の多くは、二項後段の交戦権の否認は、全面的戦争放棄の趣旨を再言したものである、と解するのである。また、その第二は、九条一項によつて放棄されたのは、「国際紛争を解決する手段として」の戦争、つまり、侵略のための戦争や侵略のための武力の行使にとどまるのであるが、二項後段によつて「交戦権」、すなわち、国家の戦争をする権利が否認されている結果、自衛のための戦争も、自衛のための武力の行使も許されず、結局、自衛隊は憲法九条違反の存在であるとするものである。さらに、その第三は、九条一項については右の第二の考え方と同様に解しながら、自衛権が認められている以上、自衛のための必要最少限度の実力の行使にとどまる限り、自衛のための戦争も、自衛のための武力の行使も禁止されておらず、二項にいう「交戦権」とは、国家の戦争をする権利ではなく、国家が国際法上交戦国として認められる諸権利(俘虜、船舶の臨検・拿捕の権利、占領地行政の権利等)を指すものと解すべきであつて、憲法はこれらの権利を自ら主張しないことを定めたにすぎないのであるから、自衛のための戦力の保持を認めることは、交戦権の否認と矛盾せず、自衛隊は、憲法九条に違反するものではないとするものである。

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東京高等裁判所 (百里基地訴訟 第二審の高裁判決と思われるが、この資料のタイトルの年は判決日ではなく事件番号であることに注意。)


 「自衛権が認められている以上、自衛のための必要最少限度の実力の行使にとどまる限り、自衛のための戦争も、自衛のための武力の行使も禁止されておらず、」との記載がある。これは政府の主張をそのまま取り入れたものと考えられる。

 しかし、ある国家が国際法上において「自衛権」という『権利』の適用を受ける地位を有するとしても、その国家の統治権の『権力・権限・権能』の範囲は、その国家の憲法によって正当化される問題である。そのため、国際法上において「自衛権が認められている」ことと、国家の統治権によって「自衛のための必要最少限度の実力の行使」や「自衛のための戦争」、「自衛のための武力の行使」を行うことができるか否かに関する法的効力は連動する関係にない。つまり、日本国が国際法上において「自衛権」の適用を受ける地位を有しているとしても、憲法9条の下で日本国の統治権の『権限』が「自衛のための必要最少限度の実力の行使」や「自衛のための戦争」、「自衛のための武力の行使」を行うことができるか否かや、「自衛のための戦力」を保持することができるか否かの問題は法的には関係がないのである。

 そのため、「自衛権が認められている以上、」というように、「自衛権」の適用を受ける地位を有していることを根拠として「自衛のための必要最少限度の実力の行使」や「自衛のための戦争」、「自衛のための武力の行使」を行うことや、「自衛のための戦力」の保持が可能であると説明しようとすることはできない。

 ここで「自衛のための必要最少限度」という文言が出てくるが、従来より政府が「自衛のための必要最小限度」と呼んでいたものは三要件(旧)の基準を意味する。そのため、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、ここで示された3つの枠組みのどれにも当てはまらない。

 法規範について複数の解釈が可能である場合、いずれの解釈の枠組みを採用するかについては「自由裁量論」あるいは「統治行為論」に属する問題であることを理由として裁判所での法的判断を回避することはあり得る。

 しかし、どの解釈枠組みでも正当化することができない場合、それは「自由裁量」の限界を逸脱しているか、あるいは「統治行為論」によっては説明することのできない「一見極めて明白に違憲無効」と認められる場合であり、法的判断を回避することは許されないと考えられる。

 そのため、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、憲法判断を行うべきものに該当すると考えられる。

自衛隊のイラク派兵差止等請求控訴事件


 「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」と述べられている部分がある。

 

自衛隊のイラク派兵差止等請求控訴事件 名古屋高等裁判所 民事第3部 平成20年4月17日 平成18(ネ)499

自衛隊のイラク派兵差止等請求控訴事件 名古屋高等裁判所 民事第3部 平成20年4月17日 平成18(ネ)1065

自衛隊のイラク派兵差止等請求控訴事件 名古屋高等裁判所 民事第3部 平成20年4月17日 平成19(ネ)58


    【動画】伊藤塾塾長 伊藤真 特別講義「行政書士と憲法」 2021/2/23






<理解の補強>

 

【動画】2022年度後期・九大法学部「憲法1(統治機構論)」第8回〜平和主義② 2023/02/09

(この動画の〔27:54から新三要件の説明があるが、誤っている。詳しくは『集団的自衛権の合憲性の誤解 4』で解説している。)

 

【動画】2022年度後期・九大法学部「憲法1(統治機構論)」第9回〜平和主義③、国会① 2023/01/14