基本的な論理 3





 ここでは、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を中心に、答弁の誤りを確認する。



 

 



 

中谷元


〇 防衛大臣 中谷元


(下線・太字・色は筆者)

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○中谷(元)委員

(略)
 この点で、集団的自衛権の議論にちょっと移らせていただきます。
 この図のように、一九四五年、憲法が衆議院に送付されたときに、吉田茂総理は、憲法九条第一項は自衛戦争を放棄していないが、第二項において戦力と交戦権を全面放棄したがゆえに自衛戦争も放棄した、日本の生存を、国際平和団体、すなわち国連に我が国の安全を委ねるという趣旨の答弁をしております。
 一九五二年、このころに自衛隊が創設されていくんですけれども、一九五四年、自衛隊創設の年に、政府は自衛のための交戦は憲法上許されるという見解を打ち出しまして、政府の解釈の大変更が事実行われたわけでございます
 そして、主権を回復しまして数年たちまして、安保条約における在日米軍の駐留が憲法に違反するのではないかという裁判が行われました。これがいわゆる砂川事件、砂川判決でありますが、一九五九年、昭和三十四年、最高裁の大法廷は、皆さん立憲主義と申しますけれども、これはまさに三権分立の、法律の解釈、見解を決定する日本の最高機関でありまして、いわゆる憲法で定められた司法判断の場でありますが、この判決の中の主文にある考え方が今の政府の考え方になっていると考えます。
 この主文の中におきまして、まず憲法九条においては、当時、日本は非武装のままでありまして、しかし、その前提となった国連は予定どおりに機能をしなかった、同時に、憲法は主権者である国民の生存を守ることを要請している、どうすれば国民の暮らしと平和を守りながら平和主義を貫くことができるかというのが九条の本質でしたけれども、そこで、最高裁の見解は、憲法第九条は、我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されていない、我が国が、自国の平和と安全を維持してその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないという見解を示しました。
 そこで、お伺いをします。
 総理、この砂川判決で示された我が国の自衛権の見解について、現在の政府見解基本的な論理と軌を一にしておると考えますが、総理の御見解を伺います。


【筆者】

 まず、押さえるべき点は、この発言は「質問」としてなされたものであり、論者が政府の立場で「答弁」したものではないことである。ただ、論者の認識の誤りを理解するためには参考となるため、解説する。


 「吉田茂総理」が「第二項において戦力と交戦権を全面放棄したがゆえに自衛戦争も放棄した」と答弁したとの説明に続いて、「一九五四年、自衛隊創設の年に、政府は自衛のための交戦は憲法上許されるという見解を打ち出しまして、政府の解釈の大変更が事実行われたわけでございます。」との説明があるが、誤りである。政府は今でも「交戦権」は禁じられていると説明しているし、これにより「自衛戦争」もできない旨を述べている。

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○政府委員(高辻正巳君) 私は非常にそこを区別して申し上げたので、おわかりにくいかと思うのでありますが、自衛のための交戦権というものをもしお考えくださるなら、つまり限界のある交戦権というふうにお考えくださるなら、それを交戦権と申して一向にかまいません。私は、その本質が違うものは、中身の違うものは、自衛行動権というような名前で唱えるべきものであって、その憲法の禁止している交戦権とは違うというふうに思っておるものですから、そう申し上げたわけですが、自衛権からくる制約のある交戦権だというふうにお考えいただいても、それはけっこうでございます。
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第061回国会 予算委員会 第3号 昭和44年2月21日

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○政府委員(大森政輔君) そこが個別的自衛権に基づく自衛行動と、それから自衛戦争の違いでございまして、先ほど私が申し上げましたのは、個別的自衛権に基づく我が国を防衛するために必要最小限度の自衛行動というものは憲法が否定していないということを申し上げたのでございまして、いわゆる戦争の三分類による自衛戦争ができるんだということを申し上げたわけではないと自衛戦争という場合には当然交戦権が伴うんでしょうけれども、先ほど我が国がなし得ると申し上げましたのは、自衛戦争という意味よりももう少し縮減された、あるいは次元の異なる個別的自衛権に基づく自衛行動というふうにお聞き取りいただきたいと思います。
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第145回国会 予算委員会 第11号 平成11年3月8日

 よって、「政府の解釈の大変更が事実行われたわけでございます。」との説明は誤りである。

 砂川判決を取り上げて「この判決の中の主文にある考え方」や「この主文の中におきまして、」との質問があるが、判決中の「主文」とは下記の「理由」と区別された部分のみであると思われる。よって、「主文」の考え方ということは、「原判決を破棄する。」や「本件を東京地方裁判所に差し戻す。」という考え方となってしまうと思われる。

砂川判決(抜粋)
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         主    文

     原判決を破棄する。
     本件を東京地方裁判所に差し戻す。


         理    由

 東京地方検察庁検事正野村佐太男の上告趣意について。
(略)
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【参考】主文 Wikipedia

【参考】判決理由 Wikipedia

 
 砂川判決について、「最高裁の見解は、憲法第九条は、我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されていない、我が国が、自国の平和と安全を維持してその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないという見解を示しました。」と説明している部分は、その通りである。しかし、論者はその後、「この砂川判決で示された我が国の自衛権の見解について、現在の政府見解の基本的な論理と軌を一にしておると考えますが、総理の御見解を伺います。」と述べている。このことから、論者は「自衛権」が国際法上の『権利』の概念であり9条がこれを否定していないことと、「自衛のための措置」が日本国の統治権の『権限』であり、9条の制約の対象となるものであることを区別して理解できていない。また、砂川判決は9条は「我が国の自衛権」を否定していないと述べているだけであり、この「自衛権」は「現在の政府見解の基本的な論理と軌を一に」するものの対象とはなっていない。

 政府が「軌を一に」していると説明しているのは、砂川判決の「自衛のための措置」について述べている部分である。しかし、砂川判決は日本国の統治権の『権限』によって「自衛のための措置」の選択肢の一つとして「武力の行使」が可能であるか否かについては何も述べていない。1972年(昭和47年)政府見解は、砂川判決の「自衛のための措置」と軌を一にする形で「自衛のための措置」の規範を設定した上で、その枠の中で「武力の行使」を選択することができる場合がある旨を政府独自の見解として述べたものである。

 もし論者が、砂川判決が「自衛権の行使」としての「武力の行使」が可能であると述べているように考えているのであれば、誤りである。また、砂川判決の「自衛のための措置」と軌を一にしたところで、砂川判決の述べた「自衛のための措置」とは「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであり、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」については何も述べていない。そのため、砂川判決の「自衛のための措置」と軌を一にすることを理由として日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」が可能であるとの結論は直ちに導かれるわけではない。

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○中谷(元)委員 おっしゃるとおりなんですが、改めて自衛権の基本的論理と集団的自衛権について伺うんですが、総理が言われました昭和四十七年、一九七二年に、政府は初めて文書で解釈に基づく整理された見解を国会に示しました。そのことについては、総理がおっしゃったとおりであります。
 根本的な質問をいたしますけれども、それは、では、なぜ個別的自衛権だけで国民の生命、自由、幸福が守られると言い切れたのかということです。谷垣法務大臣も、内閣法制局の示す憲法解釈について、論理の飛躍があるんじゃないかと述べられております。自国民を守るのに必要であれば、個別でも集団でもないはずで、やはり自衛権なんですね。ここには大きな論理の飛躍と断絶があるというのが国際政治の常識なんです。
 ならば、たとえ九条二項はあっても、国民の生命、自由、財産、幸福を守るために、必要な限りにおいて、他国と守り合い、他国と平和を支え合うことを可能とするべきではないでしょうか。言いかえれば、その限りにおいて、集団的な自衛権を行使することを憲法上認めるべきと考えますが、それこそが論理的な解釈ではないかと思いますが、総理はいかがお考えでしょうか。


【筆者】

 まず、押さえるべきことは、この発言は「質問」としてなされたものであり、論者が政府の立場で「答弁」したものではないことである。ただ、論者の理解を知る上で参考となる。


 「自衛権の基本的な論理」との説明があるが、1972年(昭和47年)政府見解で述べているのは「自衛の措置(自衛のための措置)」の論理であり、国際法上の概念である「自衛権」についてではない。

 「自国民を守るのに必要であれば、個別でも集団でもないはずで、やはり自衛権なんですね。」との説明があるが、誤解した認識がある。まず、「個別的自衛権」や「集団的自衛権」とは、国際法上の違法性阻却事由の『権利』の概念である。また、「集団的自衛権」については『他国からの援助要請』が必要であり、これを得た上で初めて『権利』を取得する性質である以上、「自国民を守る」というよりも、『他国防衛』の性質を有する。また、仮に「自国民を守る」との目的があったとしても、9条の下では、『自国防衛』と称する「武力の行使」であっても、必ずしも許容されているわけではない。なぜならば、「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由に政府が『自国防衛』と称して「武力の行使」に踏み切ったことは歴史上幾度も経験するところであり、9条はこのような「武力の行使」を制約するために設けられた規定だからである。論者は国際法上の「個別的自衛権」や「集団的自衛権」の性質を正確に理解していないし、「自国民を守る」ためであればどのような「武力の行使」であっても9条が禁じていないと考えている点で誤りである。もし政府が「自国民を守るのに必要」と考えるだけで「武力の行使」が可能となるのであれば、たとえ「先に攻撃(先制攻撃)」や「侵略戦争」であっても「自国民を守るのに必要」と考えるだけで9条の制約を逃れられると説明することになるのであり、法解釈として成り立たない。論者はその後、「それこそが論理的な解釈ではないかと思いますが、」などと述べているが、論理的な解釈ではないし、法解釈として成り立っていない。

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第186回国会 予算委員会 第16号 平成26年5月28日



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○中谷国務大臣 緒方委員も外務省で日本の経済または暮らしを守るために努力をされましたが、やはり、いかなる事態においても国民の命と暮らしを守り抜くということ、そして、国際協調主義に基づいて国際社会の平和と安定のためにこれまで以上に積極的に貢献するために閣議決定を行ったわけです。
 まず、一、武力攻撃に至らない侵害への対処、二、国際社会の平和と安定への一層の貢献、三、憲法九条のもとで許容される自衛の措置といった、安全保障法制全般の課題について検討を行い、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする法整備を進めているところであります。
 このうち、第三の、憲法九条のもとで許容される自衛の措置については、我が国を取り巻く安全保障環境が大きく変化をしまして、他国に対する武力攻撃であったとしても、我が国の存立を脅かすということも現実に起こり得るということを踏まえて、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによって我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福の追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき、そして必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されるという判断に至ったわけでございます。


【筆者】

 第一要件に「存立危機事態」を含む三要件の内容を挙げ、「従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されるという判断に至ったわけでございます。」との答弁があるが、誤りである。従来の政府見解である1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」を意味する。なぜならば、1972年(昭和47年)政府見解は「集団的自衛権と憲法の関係」について説明した文章であり、前提として「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」としているのであり、この「自衛の措置の限界」の規範を示した部分である「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言の中に「我が国に対する武力攻撃」以外の武力攻撃(他国に対する武力攻撃)が含まれるのであれば、「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」との説明と論理的整合性がなくなり、法解釈を行った文章として成り立たなくなるからである。これにより、この「自衛の措置の限界」を記した規範である「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言の中に、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は含まれない。論者は「従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されるという判断に至った」と説明しているが、「基本的な論理」と称している部分を維持していることにより、「存立危機事態」の要件はこの「基本的な論理」と称している部分によって違憲となるのであり、「憲法上容認されるという判断」には至らない。「憲法上容認されるという判断に至った」などと、あたかも容認できるかのように答弁している部分が誤りである。もしこのような論理的過程を無視して結論のみを述べることで「容認される」とすることができるのであれば、「先に攻撃(先制攻撃)」や「侵略戦争」であっても、同様に「従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されるという判断に至った」と説明することで合憲であるかのように主張することができてしまうのであり、法解釈として成り立たないのである。「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」は、論者自身が根拠としている1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分によって違憲となる。

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○中谷国務大臣 緒方委員からも質問書をいただいてお答えしたとおりでありますが、これは、昭和四十七年の見解から始まりまして、るる説明をしてまいりました。
 五十六年に、また政府答弁書が出されておりますが、これは、四十七年の政府見解を踏まえて、憲法九条において許容される自衛の行使は、我が国を防衛するために必要最小限度の範囲にとどまるべきと解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないということにしております。
 そこで、昨年の七月の閣議決定、これは、憲法九条下でも例外的に武力の行使が許容される場合があるという従来の政府見解における九条の解釈の基本的な論理維持し、その枠内で武力の行使が許容される場合として、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみがこれに当てはまると考えてきたこれまでの認識を改め我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利を根底から覆される明白な危険がある場合もこれに当てはまるとしたものであります。
 この閣議決定は、あくまでも、国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための必要最小限度の自衛の措置を認めるものであり、他国の防衛それ自体を目的とするものではありませんので、その関係におきましては、従来の政府見解基本的な論理維持しております


【筆者】

 「我が国を防衛するために必要最小限度の範囲にとどまるべき」との部分であるが、これは「自衛のための必要最小限度」と呼んでいたものと同じであり、三要件(旧)を意味する。「集団的自衛権の行使」はこの三要件(旧)の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさないことから、「その範囲を超えるもの」と判断されているのである。この「我が国を防衛するための必要最小限度(自衛のための必要最小限度)」とは、旧三要件を意味するものであり、あたかも9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」というものを基準としているかのような理解をすることは誤りである。なぜならば、9条は政府が自国都合によって「武力の行使」に踏み切ることを制約する規定であり、政府が「必要最小限度」と考えれば9条に抵触しないとすることができるのであれば、9条が政府の恣意的な行為を制約しようとした趣旨を満たさず、法解釈として妥当でないからである。

 「昨年の七月の閣議決定、これは、憲法九条下でも例外的に武力の行使が許容される場合があるという従来の政府見解における九条の解釈の基本的な論理を維持し、その枠内で」との記載があるが、誤りである。2014年7月1日閣議決定が「従来の政府見解」として示しているのは1972年(昭和47年)政府見解であり、その「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置の限界」を示したにとどまり、未だ「武力の行使」については触れていない。「武力の行使」については、この「基本的な論理」と称している部分の次の文で初めて登場するものである。それにもかかわらず、「例外的に武力の行使が許容される場合があるという……基本的な論理を維持し、」などと、あたかも「基本的な論理」と称している部分で既に「武力の行使」が許容されているかのように説明することは誤りである。「基本的な論理を維持し、」との記載があるが、「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味することから、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は含まれないため、「存立危機事態」の要件は違憲となる。「その枠内で」との記載についても、「基本的な論理」と称している部分の枠を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件は違憲であるし、「存立危機事態」の要件を定めようとするならば、「その枠内」とは言えないため誤りである。

 「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみがこれに当てはまると考えてきたこれまでの認識を改め、」との答弁があるが、前提認識に誤解があるため、誤りである。1972年(昭和47年)政府見解は、冒頭部分で「集団的自衛権の行使」は「自衛の措置の限界をこえる」と説明しており、その「自衛の措置の限界」を説明した「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、「我が国に対する武力攻撃」を意味する。もしここに「我が国に対する武力攻撃」以外の武力攻撃が含まれるのであれば、「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」とする説明と論理矛盾し、1972年(昭和47年)政府見解自体が法解釈として成り立たないものとして扱うこととなってしまう。そのため、「自衛の措置」の限界を示した部分で既に「我が国に対する武力攻撃」の規範は確定しており、論者が「これに当てはまる」と述べている部分に関しては、「自衛の措置」の限界の規範の中に「武力の行使」を当てはめた場合に、この「自衛の措置」の限界に拘束されるため「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみがこれに当てはまる」とするものである。この「自衛の措置」の限界の規範で既に「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」に限られているのであるから、論者が「これまでの認識を改め、」などと、あたかも「自衛の措置」の限界を示した規範部分では、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」に限られていないかのように考え、改めることができるかのように考えている部分が誤りである。

 「これに当てはまるとしたもの」との答弁があるが、誤った認識である。1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置の限界」を示しており、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味するから、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。そのため、「存立危機事態」の要件が「基本的な論理」と称している部分に当てはまることを前提として「これに当てはまるとしたもの」と説明することは論理的に成り立たない。

 「国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための必要最小限度の自衛の措置を認めるもの」との答弁があるが、誤りである。まず、「必要最小限度」の意味を特定する必要がある。①従来より「自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するための必要最小限度)」と呼んでいた「必要最小限度」の意味であれば、旧三要件を意味する。ここには「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を意味することから、「存立危機事態」での「武力の行使」はここに含まれない。「存立危機事態」の要件を定めようとしている閣議決定の内容と矛盾することとなる。②三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」の「必要最小限度」の意味であれば、これは「武力の行使」の程度・態様の意味である。そうなると、「国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための」の部分が「武力の行使」の発動要件ということになるが、9条の下ではたとえ「国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守り抜くため」であったとしても、それだけで「武力の行使」に踏み切ることはできない。なぜならば、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合によって「武力の行使」に踏み切ることを制約する規範であり、「国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守り抜くため」であることを理由とするだけで「武力の行使」を行うことができるのであれば、9条の規定を無視するものとなるからである。③論者は9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」という基準であるかのように考えている可能性があるが、9条は政府の自国都合による「武力の行使」を制約するための規定であり、政府が「必要最小限度」と考えるだけで「武力の行使」を発動できるのであれば、9条の趣旨を満たさないため、法解釈として成り立たない。よって、どの「必要最小限度」の意味を採っても「存立危機事態」での「武力の行使」が9条に抵触しないことを説明するものとはなっていない。「認めるもの」との部分についても、9条に抵触しないことを説明するものとはなっていないのであるから、認めることはできない。

 「他国の防衛それ自体を目的とするものではありませんので、」との答弁があるが、9条の下では『他国防衛』のための「武力の行使」が認められないことはは当然であるが、『自国防衛』であるからといって必ずしも「武力の行使」が正当化されるわけではない。そのため「他国の防衛それ自体を目的とするものではありません」と説明したところで、「存立危機事態」での「武力の行使」が9条に抵触しないことを説明したことにはならない。
 「従来の政府見解の基本的な論理を維持しております。」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件は違憲となる。逆に、「存立危機事態」の要件を定めようとするならば、「基本的な論理」と称している部分は維持されていない。

 よって、論者は「存立危機事態」の要件が9条に抵触しない旨を説明することはできていないし、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、それによって「存立危機事態」の要件は違憲となる。

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○中谷国務大臣 お答えいたします。
 この九条の解釈には、一貫した見解の基本的論理と申しますのは、次のとおりです。
 まず一、憲法九条……(発言する者あり)説明しますので。
 文言からしますと、憲法九条は、国際関係による武力の行使は一切禁止しております。
 その前文で、国民の平和生存権、十三条で国民の権利の追求、これは最大限国政の上で尊重するという趣旨を踏まえて、三点目に、だから、自国の平和と安全を維持して、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは禁じていないと解されております。
 それで、四番目が、この措置はあくまでも外国の武力攻撃によって国民のいろいろな権利を覆されるという急迫不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためにやむを得ない措置として許容されている、そのための最小限の武力の行使は許されるという論理、これは同じ論理でございます。


【筆者】

 「最小限の武力の行使は許されるという論理」と「基本的な論理」と称している部分で既に「武力の行使」が許容されているかのように説明している部分があるが、誤りである1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界までしか述べておらず、未だ「武力の行使」については触れていないからである。

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○中谷国務大臣 今申しましたとおり、基本的な論理は維持をしておりまして……(発言する者あり)


【筆者】

 「基本的な論理は維持をしておりまして」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、その「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに含まれず、「存立危機事態」の要件は違憲となる。

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○中谷国務大臣 その論理については、従来の憲法解釈の再整理という意味で、それまでの政府答弁書において示された憲法解釈の一部変更……(発言する者あり)聞いてください。今、説明していますから。大事なところですよ、これは。
 従来の憲法解釈の再整理という意味で、それまでの政府答弁書等において示された憲法解釈の一部変更ですが、この基本的論理維持しつつ、その枠内で我が国を取り巻く安全保障環境の大きな変化という客観的状況を踏まえて検討した結果の帰結として導き出されたものであって、合理的な解釈の限界を超えるような便宜的、意図的な憲法解釈の変更ではないということです。


【筆者】

 「この基本的論理を維持しつつ、その枠内で」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、違憲となる。「その枠内で」の部分についても、「基本的な論理」の「枠内」であるならば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、違憲となる。

 「客観的状況を踏まえて検討した結果の帰結として導き出されたもの」との答弁があるが、誤った前提認識がある。1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置の限界」を示した規範部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、既に「我が国に対する武力攻撃」に限られいる。そのため、この「自衛の措置」の限界を記した規範の中に「武力の行使」を当てはめようとしても、この「我が国に対する武力攻撃が発生したこと(我が国に対する急迫不正の侵害があること)」を満たさない中で「武力の行使」を発動することができるとする規範を定めることはできない。論者は「自衛の措置の限界」を示した規範部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言があたかも「我が国に対する武力攻撃」に限られていないかのように考えた上で、「武力の行使」の限界を定めている規範が「我が国を取り巻く安全保障環境の大きな変化」によって変動し得ると考えているようである。しかし、「自衛の措置の限界」を示した規範は「我が国に対する武力攻撃」に限られており、「武力の行使」の限界もこれに拘束されるのであり、「我が国を取り巻く安全保障環境の大きな変化」があったとしても、この論理過程を無視してこれを超える「武力の行使」の規範を定めることができる余地はない。「自衛の措置」の限界を記した規範と「武力の行使」の限界を示した規範の間には、文面上の論理展開しか存在しておらず、論者のいう「客観的状況を踏まえて検討した結果の帰結」という政策判断が入り込む余地もない。「導き出されたもの」との部分についても、「自衛の措置」の限界を記した規範部分では既に「我が国に対する武力攻撃」に限られているのであり、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は導き出されない。導き出されることを前提として「導き出されたもの」と説明することは誤りである。

 「合理的な解釈の限界を超えるような便宜的、意図的な憲法解釈の変更ではない」との答弁があるが、誤りである。1972年(昭和47年)政府見解の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」ことを説明する中において「自衛の措置」の限界を示した規範であり、ここに「集団的自衛権の行使」が可能となる「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれない。なぜならば、ここに「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれるのであれば、「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」とする前提と論理矛盾することとなり、1972年(昭和47年)政府見解そのものが法解釈として成り立たないものとなる読み方だからである。それにもかかわらず、2014年7月1日閣議決定において、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言の中に「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれていると考えて「存立危機事態」の要件を定めようとしていることは、「合理的な解釈の限界を超えるような便宜的、意図的な憲法解釈の変更」であり、解釈手続き上の不正である。これを否定しようとしている論者の認識は、論理的な事実に基づかない誤りである。

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第189回国会 予算委員会 第14号 平成27年3月5日



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○国務大臣(中谷元君) 従来、専守防衛の説明に用いてきた、「相手から武力攻撃を受けたとき」も我が国が武力攻撃を受けたときを指すものと考えてきたところでございます。
 他方、昨年七月の閣議決定におきまして、憲法九条の解釈の基本的な論理維持した上で認識が改められて我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合にも、自衛の措置として武力行使が容認されるとされたものであります。
 これに伴いまして、専守防衛の説明に用いてきた、「相手から武力攻撃を受けたとき」には、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合含むと解しておりますが、いずれにせよ、我が国又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の発生が前提であり、また、他国を防衛すること自体を目的とするものではなく憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいう専守防衛の定義には何ら変更はないということでございます。


【筆者】

 「憲法九条の解釈の基本的な論理は維持した上で認識が改められて、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分が維持されているのであれば、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言の意味が「我が国に対する武力攻撃」に限られていることから、「存立危機事態」の要件は違憲となる。ここには、認識を改められる部分は存在しておらず、「認識が改められて」などと、改められるかのように主張している点で誤りである。もし論理的整合性がないにもかかわらず、「認識が改められて」と主張するだけで要件を定めることができるのであれば、「基本的な論理」を維持していると主張しながら「先に攻撃(先制攻撃)」や「侵略戦争」を行う要件も定めることも同様に可能となってしまうのであり、法解釈として成り立たない。「基本的な論理は維持」しているのであれば、「我が国に対する武力攻撃か発生した場合」を満たさない要件に認識が改められるとする余地はない。

 「自衛の措置として武力行使が容認されるとされたもの」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解は「自衛のための措置を無制限に認めているとは解されない」としており、「自衛の措置」だからといって9条に抵触しないとするわけでもない。憲法上許容される「自衛の措置」と、許容されない「自衛の措置」が存在するのである。論者は「自衛の措置として武力行使が」と表現している部分には、あたかも「武力の行使」が「自衛の措置」の中に含まれると考えれば9条に抵触しないかのような前提を有しているように思われるが、「自衛の措置」であるからといって9条に抵触しないわけでもないため誤りである。

 「専守防衛」の中に「存立危機事態」の要件が当てはまると考えている部分について、誤りである。「専守防衛」とは「憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」を言うが、憲法9条の解釈である1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に適合しない「存立危機事態」の要件は、違憲であり、「憲法の精神に則った」を満たさない。また、「専守防衛」の説明に用いられている「相手から武力攻撃を受けたとき」の文言も、1972年(昭和47年)政府見解を含めて政府が「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」と説明してきたことと対応するものであり、「我が国に対する武力攻撃」を意味する。そのため、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は含まれない。論者は「含むと解しております」と説明するが、論理的に無理である。

 「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の発生が前提であり、」との答弁があるが、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生しても、未だ9条の規範性を通過していないのであるから、「武力の行使」を行うことができるとする余地はない。

 「他国を防衛すること自体を目的とするものではなく、」との答弁があるが、9条の下では『他国防衛』の「武力の行使」が許容されないことは当然であるが、『自国防衛』であるとしても必ずしも「武力の行使」が許容されるわけでもないのであるから、「存立危機事態」の要件が9条に抵触しないことを説明したことにはならない。

 「憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいう専守防衛の定義には何ら変更はない」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解という9条に関する憲法解釈の枠の中に当てはまらないのであるから、「憲法の精神にのっとった」を満たさない。これにより、「専守防衛」に当てはまらず、「専守防衛」は損なわれている。論者が「専守防衛の定義には何ら変更はない」と表現している部分について、「専守防衛」という用語の「定義」が変更されていないだけであり、「存立危機事態」での「武力の行使」が「専守防衛」であることを意味しないとしている可能性も考えられる。いずれにせよ、「存立危機事態」での「武力の行使」は「専守防衛」の定義の中には含まれない。

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○国務大臣(中谷元君) 今まではございません。
 ただ、昨年七月の閣議決定におきまして、憲法九条の解釈の基本的な論理はこれは維持した上で認識が改められて我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合にも自衛の措置としての武力行使が容認されるとしたものであるからであります。


【筆者】

 「基本的な論理はこれは維持した上で認識が改められて、」との答弁があるが、誤った認識である。1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」が維持されているのであれば、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」に限られており、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに含まれない。そのため、「存立危機事態」の要件は違憲となる。また、論者は「認識が改められて、」と表現していることから、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界を記した規範部分があたかも「我が国に対する武力攻撃」に限られていないかのように考えた上で、その次に示された「武力の行使」の規範部分で初めて「我が国に対する武力攻撃」に限ったかのように認識し、その「武力の行使」の規範部分を改めることができるように考えていると思われる。しかし、先ほども述べたように、「自衛の措置」の限界を記した規範部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在しており、これは「我が国に対する武力攻撃」に限られている。このことから、「自衛の措置」の限界の規範の中に「武力の行使」を当てはめる論理展開によって導き出される「武力の行使」の規範には、「我が国に対する武力攻撃」を満たさない規範を設定することはできない。そのため、「認識が改められて、」などと、認識を改めることで「存立危機事態」の要件を導き出すことができるかのように考えている部分が誤りである。

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○国務大臣(中谷元君) 憲法九条の解釈の基本的な論理、これは維持されており平和主義の下、我が国が引き続き憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢である専守防衛を維持するということには変わりなく矛盾、抵触するというふうには思っておりません


【筆者】

 「基本的な論理、これは維持されており、」との答弁があるが、維持されているのであれば、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」に限られていることから、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、違憲となる。

 「平和主義の下、」との答弁があるが、憲法9条は前文「平和主義」の理念を具体化した規定であるとされており、「存立危機事態」の要件が9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分のに当てはまらないということは、9条の規範性を損なっていることを意味し、9条の精神が具体化されていないこととなるから、同時に前文「平和主義」の理念も損なわれている。よって、「存立危機事態」の要件を定めたことは、「平和主義の下」とは言えない。

 「憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢である専守防衛を維持するということには変わりなく、矛盾、抵触するというふうには思っておりません」との答弁があるが、誤りである。「存立危機事態」の要件は9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に抵触して違憲となる。このことは、「専守防衛」の定義である「憲法の精神にのっとった」を満たさないことを意味し、「専守防衛」が維持されているとは言えない。「専守防衛」ではないため、「矛盾、抵触するというふうには思っておりません」との認識は、誤った認識である。

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第189回国会 外交防衛委員会 第12号 平成27年5月12日



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○国務大臣(中谷元君) この委員会でも議論をされておりますけれども、憲法九条から認められる基本的な論理、これによって国民の命と暮らしを守る、そのために政府として与えられた権限、権利に基づいて行動ができ得るというふうに思います。

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○国務大臣(中谷元君) この答弁は四十七年の政府見解を出す際にお述べになったことでございますが、これまで政府は、昭和四十七年の政府見解のとおり、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置は、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものがあるとして、武力行使が容認されるのは我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきました
 これは、憲法九条の下において例外的に許容される武力行使についての考え方を整理して述べたものでありまして、その後の政府の説明もここで示された考え方に基づくものでございます。しかし、我が国を取り巻く安全保障環境が変化をいたしまして、それを踏まえて示された解釈というのは今次閣議決定されたものでございまして、このような意味で、集団的自衛権の行使が憲法上容認されるか否かという点では、あくまでも昭和四十七年の政府見解で示された基本的論理当てはめの帰結でありまして基本的な論理そのものの一部ではないということでございます。


【筆者】

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○国務大臣(中谷元君) 私は、日本の国の防衛、安全保障を担当する大臣でございます。
 我が国を取り巻く安全保障環境というのは本当に変化をし、本当に厳しくなってきておりまして、今後他国に対する武力攻撃があったとしても、その目的、規模、態様等によっては我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得るということで、こういった基本的論理、これは維持をいたします。そして、今の現状に合わせて考えると今回の閣議決定に至ったということでございます。


【筆者】

 「基本的論理、これは維持いたします。」との答弁があるが、「基本的な論理」を維持しているのであれば、ここに「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となる。
 「今の現状に合わせて考えると」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解は「自衛の措置」の限界を記した規範から、「武力の行使」の規範を導き出す文面上の論理展開が記されている文章であり、「自衛の措置」の限界の規範から「武力の行使」の限界の規範の間には「現状」などとという政策判断が入り込む余地はない。そのため「今の現状に合わせて考えると」などと、「現状」が入り込む余地があるかのように考えている部分が誤りである。
 「至ったということ」との答弁もあるが、「基本的な論理」を維持していることにより、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、「存立危機事態」の要件は違憲となる。これにより、「存立危機事態」の要件を定めることはできず、「至った」などと、至ることが導かれるかのように説明することは誤りである。

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○国務大臣(中谷元君) 昨年七月の閣議決定というのは、今、日本を取り巻く安全保障環境が大変大きな変化をいたしておりまして、それを踏まえて昭和四十七年の政府見解基本的な論理、この枠内で導き出されたものでありまして、憲法解釈としては論理的な整合性と法的安定性は維持をしているわけでございます。
 そこで、憲法上、我が国が武力行使を行い得るのはあくまでも新三要件、これを満たす場合に限られて我が国又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃がまず発生したことが前提としております。
 何をもって武力攻撃の発生と見るかにつきましては、個別具体的な状況によるため一概に申し上げることは困難であります。その上で申し上げれば、過去においても、この周囲海に囲まれておる日本を武力をもって海上封鎖をし、日本の国民の糧道を断ち、あるいは生産物資を絶つ、そうして日本を危殆に陥らしめるというような手段を講じるならば、それはまさに外部からの武力攻撃に該当する旨の政府答弁があったところでございます。
 いずれにしましても、この新三要件の下では、個別的自衛権の場合も集団的自衛権の場合も、十分かつ限定された厳格な要件の下で武力行使が許容されるということとなっております。


【筆者】

 「昭和四十七年の政府見解の基本的な論理、この枠内で導き出されたもの」との答弁があるが、「基本的な論理」の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、この「枠」に「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。よって、「枠内」で導き出すことはできず、「この枠内で導き出されたもの」と説明することは誤りである。
 「憲法解釈としては論理的な整合性と法的安定性は維持をしている」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を残しながら、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言の中に「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が当てはまると主張していることは、「論理的な整合性」が保たれていない。これにより、「法的安定性」も損なわれており、「論理的な整合性と法的安定性は維持をしている」と説明することは誤りである。
 「憲法上、我が国が武力行使を行い得るのはあくまでも新三要件、これを満たす場合に限られて、我が国又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃がまず発生したことが前提としております。」との答弁があるが、誤りである。まず、「我が国が武力行使を行い得る」場合を記した文章として、1972年(昭和47年)政府見解がある。これは、「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」と結論付ける文章である。2014年7月1日閣議決定では、この政府見解の「基本的な論理」と称している部分を維持しているとするが、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られており、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。そのため、新三要件の「存立危機事態」による「武力の行使」は違憲であり、「憲法上、我が国が武力行使を行い得るのはあくまでも新三要件、これを満たす場合に限られて、」などと、新三要件の「存立危機事態」による「武力の行使」までもが憲法の下で許されるかのように説明しようとすることは誤りである。「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃がまず発生したことが前提」との部分についても、「他国に対する武力攻撃」が発生しただけでは、未だに9条の規範性を通過していない。そのため、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生したことが前提であったとしても、それだけで「武力の行使」を行っても違憲とならないことを説明することはできない。それにもかかわらず、「他国に対する武力攻撃が発生した場合」を契機とする「存立危機事態」が憲法上許されるかのように説明しようとすることは誤りである。
 「十分かつ限定された厳格な要件の下で武力行使が許容される」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)」によって9条に抵触して違憲である。その違憲な要件が「限定された厳格な要件」であるとしても、9条に抵触している事実は変わらない。論者は「武力行使が許容される」と説明するが、9条に抵触しているため、許されない。「十分かつ」などと、「十分」であるかのように説明しようとしているが、「存立危機事態」の要件が9条に抵触している時点で違憲であり、その要件を「十分」であるなどと論者が評価しようとも、法論理に基づくものとはいえず、論者の勝手な評価に過ぎないものである。

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第189回国会 外交防衛委員会 第14号 平成27年5月19日



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○中谷国務大臣 これは閣議決定に至る前からも検討しておりますけれども、この専守防衛の意味におきましては、我が国の、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」という、これは最高裁判所の判決でございますが、この基本的な論理継続をいたしておりまして、今回の法整備におきましても、こういった論理の中で、我が国と密接な関係にある他国に対する攻撃の発生、こういうものも含めて考えているところでございます。


【筆者】

 この答弁では砂川判決を示しているが、砂川判決は「自衛のための措置」として「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」を述べたにとどまり、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていない。

 「この基本的な論理は継続をいたしておりまして、今回の法整備におきましても、こういった論理の中で、」との答弁もあるが、砂川判決の「自衛のための措置」として示された「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」は、「日本国政府の明示の要請」によって機能するものであり、「我が国に対する武力攻撃」が発生した場合の措置である。この「自衛のための措置」からは、「我が国と密接な関係にある他国に対する攻撃の発生」した場合にとりうる措置が必然的に導かれるわけではない。

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○中谷国務大臣 それから十三年たっておりますが、確かに憲法を改正すれば集団的自衛権というのは認められて実現するわけでありますが、その十三年の間にも非常に国際情勢が変化をして、先ほど何のためという御質問がありましたけれども、やはり政府としては、国民の命や幸福な生活を守る、その際、法律がなければ自衛隊も対応できない。では、法律の根拠はというと憲法でありまして、すぐに憲法を改正できればいいんですが、国会で三分の二の議決も要りますし、まだ時間がかかる。

 そういう状況で、今回、憲法をもう一度見直しをすれば、従来の憲法の基本的な論理の中で本当に集団的自衛権が読めないのか。これは、ぎりぎりに私も勉強し検討いたしまして、やはりこの基本的論理を変えない中で我が国の存立を維持するためには集団的自衛権の限定的な容認が可能であると私自身も納得し、今回そういうことでこれの法案を提出したということでございます。


【筆者】

 「確かに憲法を改正すれば集団的自衛権というのは認められて実現するわけでありますが、」との答弁があるが、認識を整理する必要がある。「集団的自衛権」とは国際法上の『権利』の概念であり、日本国の統治権の『権限』の中には存在しない。また、9条は「自衛権」という国際法上の『権利』を制約する趣旨ではなく、日本国の統治権の『権限』を制約する規定である。政府も従来より9条は「自衛権」を直接否定するものではないとの趣旨を答弁しているし、砂川判決でも「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、」と述べ、9条が「自衛権」を否定するものではないと述べている。そのことから、現在9条が「集団的自衛権」という国際法上の『権利』を直接制約しているかのような前提で話を進めようとすることは正確な認識ではない。

 「憲法をもう一度見直しをすれば、従来の憲法の基本的な論理の中で本当に集団的自衛権が読めないのか。」との記載があるが、9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は、日本国の統治権の『権限』による「自衛の措置」の限界を記した部分であり、「集団的自衛権」という国際法上の『権利』について述べたものではない。そのため、「本当に集団的自衛権が読めないのか。」と、国際法上の『権利』を持ち出すことは正確には意味が通じていない。また、日本国の統治権の『権限』による「自衛の措置」は「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」を意味していることから、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を許容する場合の「他国に対する武力攻撃」はここに含まれない。よって、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には、「本当に集団的自衛権」の行使としての「武力の行使」「が読めない」こととなる。

 「この基本的論理を変えない中で我が国の存立を維持するためには集団的自衛権の限定的な容認が可能であると私自身も納得し、今回そういうことでこれの法案を提出した」との答弁があるが、誤った認識である。「基本的論理を変えない」のであれば、「存立危機事態」の要件はここに含まれず、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となる。「我が国の存立を維持するためには集団的自衛権の限定的な容認が可能である」との部分についても、「集団的自衛権」を行使するということは「武力の行使」を実施するものであるが、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)によれば、「武力の行使」は「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす場合に限られるのであり、「集団的自衛権の行使」についてはこれを満たさない中での「武力の行使」であるため、違憲である。「限定的な容認」との部分についても、「限定的」と称しても「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲であることから、「容認」されない。「可能である私自身も納得し、」との答弁も、論理的に不可能であり、論者の「納得」は誤解に基づくものであるか、論理的根拠を示すことができないために「納得」などという言葉を用いて不正を濁し、論拠の不備を覆い隠そうとしているものと考えられる。「今回そういうことでこれの法案を提出した」についても、今回の法案の「存立危機事態」の要件は違憲である。

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○中谷国務大臣 確かに、その発言をいたしました。
 自民党というのは常時、安全保障については熱心に議論、討議をいたしておりまして、そういうものができるという立場の方と、また私なりにも、できないという立場で議論をずっとずっと続けてまいりました。
 そういう中で、安全保障をどうするかということで、自民党は選挙に際して、公約、マニフェスト、これをまとめなければならないという段階にありまして、では、集団的自衛権が本当に読めるのか読めないのか。これは、ぎりぎり詰めた結果、今の憲法の枠の中で従来の基本的論理の中で、集団的自衛権が我が国の存立の際になくて本当に国が守れるかというと、やはり我が国の存立を維持するためには集団的自衛権を容認する場合も必要である、またそういうのは論理的にできるということで、自民党の中で議論をいたしまして、党議決定をして、選挙に臨むために公約といたしました。
 これは、二度、三度、選挙を経て、今回、閣議決定をいたしまして法案の提出ということでありますので、緻密な議論と考察の上、私も納得した上で法案を提出するわけでございます。


【筆者】

 「集団的自衛権が本当に読めるのか読めないのか」との答弁があるが、9条は国際法上の「自衛権」を制約する規定ではない。日本国の統治権の『権限』による「戦争」や「武力の行使」等に対する制約の規定である。そのため、「集団的自衛権」という国際法上の違法性阻却事由の『権利』そのものについて、憲法9条解釈として制約したり制約しなかったりする対象となっていないのであるから、「集団的自衛権が本当に読めるのか読めないのか」というように9条解釈と「集団的自衛権」という『権利』そのものが関係するかのように説明することは誤解がある。

 「今の憲法の枠の中で、従来の基本的論理の中で、」との記載があるが、「今の憲法の枠」を示した憲法解釈が1972年(昭和47年)政府見解である。1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)は、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす場合にしか「武力の行使」を許容しておらず、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」はこれを満たさないことから違憲である。

 「集団的自衛権を容認する場合も必要である、またそういうのは論理的にできる」との答弁があるが、9条は「集団的自衛権」という『権利』そのものを制約していない。そのため、「容認」していないとの前提で説明することは誤解がある。9条が制約しているのは「武力の行使」であり、この「武力の行使」は1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)によれば、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす場合にしか容認していない。これにより、「集団的自衛権の行使」とは、これを満たさない中で「武力の行使」を実施するものであることから、「容認」されないのである。「またそういうのは論理的にできる」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称している部分も同様)により論理的にできないため、「できる」との説明は誤りである。

 「緻密な議論と考察の上、私も納得した上で法案を提出するわけでございます。」との記載があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件が当てはまるとする理由について論理的整合性が保たれていないにもかかわらず、「緻密な議論と考察の上」などと、結論のみを述べて正当化している部分が誤りである。「緻密な議論と考察」を行うと、1972年(昭和47年)政府見解は冒頭で「集団的自衛権の行使」は「自衛の措置の限界をこえる」ことにより憲法上許されないと述べているのであるから、この「自衛の措置の限界」を記した「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言の中に、「集団的自衛権の行使」を可能とする場合の要件である「他国に対する武力攻撃」の意味は含まれない。もしここに「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれるとするならば、「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」との説明と論理矛盾することとなり、1972年(昭和47年)政府見解が法解釈文章として成り立たないものとなるからである。これにより、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味しか含まれていないのであり、この中に「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれ得ることを前提として、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」を起因とする「存立危機事態」の要件を定めようとしていることは、論理的整合性が成り立たない。論者は「私も納得した上で」と答弁しているが、誤った認識による「納得」であるか、あるいは「緻密な議論と考察」を怠ったことによって論理の過程に不正があることを覆い隠すために「納得した」と結論のみを述べて正当化しようとしているものと考えられる。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第3号 平成27年5月27日



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○中谷国務大臣 これは、昭和四十七年に、政府見解として、我が国の武力行使が容認される内容について政府見解が出ておりますので、正式には、その文章によるものが憲法の基本的論理でございます。

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○中谷国務大臣 基本的論理変わっておりません

 昭和四十七年に示したように、我が国の存立にかかわる場合に必要最小限度の自衛の権利というものはあるわけでありまして、状況に応じて、この基本的論理、これは維持されておりますので、中身は、他国の防衛をするのではなくて基本的に自分の国を防衛する、これの必要最小限度の範囲内という点では全く変わっていないわけでございます。


【筆者】

 「基本的な論理は変わっておりません。」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」が変わっていないのであれば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、違憲となる。

 「昭和四十七年に示したように、我が国の存立にかかわる場合に必要最小限度の自衛の権利というものはあるわけでありまして、」との答弁があるが、誤りである。「昭和四十七年」政府見解は日本国も「集団的自衛権」という『権利』を国際法上有していることを示しているが、日本国の統治権の『権限』による「自衛の措置」には限界があると述べている。論者は「自衛の権利」と表現しているが、これは『権利』で言うならば、国際法上の『権利』を有しているだけであり、日本国の統治権の『権限』とは関係がない。憲法上の『権力・権限・権能』のことを指しているのであれば、「昭和四十七年」政府見解は「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たさない中での「武力の行使」をすべて違憲としており、「我が国の存立に関わる場合」と判断したからといって、それだけで「武力の行使」を可能としているわけではない。論者が「必要最小限度」と表現している部分について、「必要最小限度」の意味を特定する必要がある。①従来より政府が「自衛のための必要最小限度」と呼んでいたものであれば、「武力の行使」の三要件(旧)を意味する。これが維持されているのであれば「存立危機事態」での「武力の行使」はここに当てはまらず、違憲となる。②三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」の意味であれば、「武力の行使」の程度・態様を意味する。その場合、「我が国の存立に関わる場合に」の部分が「武力の行使」の発動要件ということになるが、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを制約する規範であり、「我が国の存立に関わる場合」であることを理由とするだけで「武力の行使」のが可能となるような要件では、9条の趣旨に抵触して違憲となる。③9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準となっていると考えている可能性があるが、9条は政府の自国都合による「武力の行使」を制約しようとする規定であり、政府が「必要最小限度」と認識すれば「武力の行使」が可能となるのであれば、9条の趣旨を満たさないため、法解釈として成り立たない。よって、どの「必要最小限度」の意味を採っても、「昭和四十七年」の政府見解に記された意味と一致していないし、「存立危機事態」の要件が違憲でないことを説明することにもなっていない。論者は「我が国の存立にかかわる場合に必要最小限度の自衛の権利というものはある」と説明しているが、「昭和四十七年」政府見解の中には、そのようなものは存在しない。

 「この基本的論理、これは維持されておりますので、」との記載があるが、「昭和四十七年」政府見解が維持されているのであれば、「存立危機事態」の要件は違憲となる。論者の述べる「昭和四十七年」政府見解の中に「我が国の存立にかかわる場合に必要最小限度の自衛の権利というものはある」との説明は、存在しないものを存在すると主張しているものであり、これが「維持されております」と説明しようとしても、意味が通らない。

 「他国の防衛をするのではなくて基本的に自分の国を防衛する、これの必要最小限度の範囲内という点では全く変わっていないわけでございます。」との答弁があるが、意味が通らないため誤りである。「昭和四十七年」政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)は、『他国防衛』の「武力の行使」を認めていないことは当然、『自国防衛』であるとしても「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」を認めていない。そのため、「基本的に自分の国を防衛する」と説明したところで、これを満たさないのであれば、違憲であることに変わりはない。「これの必要最小限度の範囲内という点では全く変わっていない」との答弁についても、「昭和四十七年」政府見解は『自国防衛』であるとしても必ずしも「武力の行使」を認めているわけではないのであるから、『自国防衛』と称しているだけでは違憲でない「武力の行使」であることを説明したことにはならならず、その「武力の行使」を「必要最小限度の範囲内」で実施するとしても、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさないのであればやはり違憲である。論者は「全く変わっていない」と主張するが、「昭和四十七年」政府見解を読み誤っているし、「存立危機事態」の要件を定めようとしているのであれば、「昭和四十七年」政府見解の「基本的な論理」は維持されていないこととなる。「全く変わっていない」かのように説明することは誤りである。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第6号 平成27年6月1日



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○中谷国務大臣 当時は、いわゆる集団的自衛権というものに関しまして定義がありまして、いわゆる国際的な集団的自衛権、これは憲法を改正する必要があるという認識でずっとおりました。この件は、私、自民党内でもこういった意見を主張いたしておりまして、自民党には、いえいえ、集団的自衛権は憲法で容認をされるという御意見の方もおられました。
 二、三年、非常に真剣な議論を重ねまして、そして自民党で選挙公約、マニフェストをつくる際に、では憲法と安全保障法制をどう考えていくかという議論になりまして、こういった現在の論理の帰結でございますが、従来の憲法の基本的論理維持した中でやはり時代の変化を踏まえ、そして安全保障環境が客観的に大きく変化をしているという中で、従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をして、現在の基本的な論理維持したまま、枠内で、国民の命と幸福な暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの帰結を導いた結果他国を防衛するための集団的自衛権ではなくてあくまでも、我が国の存立を脅かし、そして国民の権利を根底から覆される、そういった明白な危険がある事態それに限って集団的自衛権も容認できるという結論に至りました
 この間、二、三年、真剣に議論をいたしましたし、また、この件につきましては、与党の中でこういった考え方も議論をいたしまして、私なりには、こういった部分におきましては、現在、日本国憲法の中で容認される部分であると理解したわけでございます。
 したがいまして、当時の私の考え方は、他国を守ることも含めた集団的自衛権、これは憲法の改正が必要であるという認識でいたわけでございます。


【筆者】

 「従来の憲法の基本的論理を維持した中で、」や「従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をして、現在の基本的な論理を維持したまま、枠内で、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られているため、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに含まれない。そのため、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分の「枠内」とは言えない。ここに「存立危機事態」の要件が含まれると称することは、「論理的整合性」が存在しないし、これにより「法的安定性」も損なわれている。「十分留意をして、」との答弁もあるが、「留意」したならば、「論理的整合性」を損なう法解釈ははできないのであり、「基本的な論理」と称している部分によって「存立危機事態」の要件は違憲となる。
 「合理的な当てはめの帰結を導いた結果」との答弁があるが、論理的、合理的、科学的な過程を踏むと、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の意味を含ませることはできず、「基本的な論理」と称している部分に「当てはめ」ることはできない。そのため、「当てはめの帰結を導いた結果」などと、「当てはめ」ることができ、導くことができるかのように説明することは誤りである。
 「他国を防衛するための集団的自衛権ではなくて、あくまでも、我が国の存立を脅かし、そして国民の権利を根底から覆される、そういった明白な危険がある事態、それに限って集団的自衛権も容認できるという結論に至りました。」との答弁があるが、「存立危機事態」での「武力の行使」が9条に抵触しない旨を説明したものではなく、「存立危機事態」での「武力の行使」が憲法上容認できるかのように説明している部分が誤りである。まず、「他国を防衛するための集団的自衛権ではなくて、」との説明であるが、国際法上の「集団的自衛権」の区分に該当して違法性を阻却するためには『他国からの要請』が必要となる。この『他国からの要請』がない中で「武力の行使」を行えば、国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に抵触して違法となる。そのため、この『他国からの要請』を受けて「武力の行使」を行う性質から、「集団的自衛権」としての「武力の行使」はすべて『他国防衛』の意味しか有しないのであり、論者が「他国を防衛するための集団的自衛権ではなくて、」と説明することは事実に基づかない主張である。「あくまでも、我が国の存立を脅かし、そして国民の権利を根底から覆される、そういった明白な危険がある事態、それに限って集団的自衛権も容認できる」との答弁であるが、「集団的自衛権」に該当するのであれば、それは『他国防衛』の意味を有するものしか存在しないのであり、『他国防衛』を否定した上で「我が国の存立を脅かし、そして国民の権利を根底から覆される、そういった明白な危険がある事態、それに限って」などと、『自国防衛』であるかのように説明することは根拠のない主張である。また、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が「武力の行使」に踏み切ることを制約するための規定であり、『他国防衛』の「武力の行使」が許されないことは当然、『自国防衛』であるからといって必ずしも「武力の行使」が許容されるわけではない。1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)によれば、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲となるのであり、これを満たさないにもかかわらず、「我が国の存立を脅かし、そして国民の権利を根底から覆される、そういった明白な危険がある事態、それに限って」いるからといって「武力の行使」が許容されるわけではない。そのため、論者が「我が国の存立を脅かし、そして国民の権利を根底から覆される、そういった明白な危険がある事態、それに限って集団的自衛権も容認できるという結論に至りました。」などと、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」が憲法上容認できるかのように結論付けようとすることは論理的にできないため誤りである。論者は「存立危機事態」の要件が9条に抵触しないことを説明していない。
 「現在、日本国憲法の中で容認される部分であると理解したわけでございます。」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)の下では「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲であり、論者の「容認される部分であると理解した」との認識は論理的過程を誤解しているか、論理的過程の不正を追及されないために「理解した」と結論のみを述べて正当化しようとしているものと考えられる。
 「当時の私の考え方は、他国を守ることも含めた集団的自衛権、これは憲法の改正が必要であるという認識でいたわけでございます。」との記載があるが、誤った認識である。まず、「集団的自衛権」とは国際法上の違法性阻却事由の『権利』の概念であり、これが『他国防衛』の意味であろうと、『自国防衛』の意味であろうと、9条が日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を制約している意味とは関係がない。そのため、論者が「他国を守ることも含めた集団的自衛権」については憲法上許されないことを前提として「憲法の改正が必要である」と認識したとしても、憲法9条は「集団的自衛権」という国際法上の『権利』そのものを制約しておらず、単に日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を制約しているだけである。その「武力の行使」についても、9条の下では『他国防衛』の「武力の行使」が許されないことは当然、『自国防衛』であるからといって必ずしも許容されるわけではない。それにもかかわらず、「他国を守ることも含めた」「武力の行使」でないと主張しただけで、あたかもそ例外の「武力の行使」がすべて憲法上許容されるかのように説明することはできないのであり、誤った認識である。

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○中谷国務大臣 それは、他国を守るために行使する武力行使としての集団的自衛権でございます。
 新三要件のもとで新たに認められる自衛権の行使というのは、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生したということのみならず、これによって我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合との限定を付しております
 このような武力行使は、あくまでも我が国の存立を全うし国民を守るため、すなわち我が国を防衛するためやむを得ない自衛の措置として初めて容認をされるものでありまして、世界各国に認められているものと同様の集団的自衛権、すなわち、自国の防衛と重ならない、他国の防衛のために武力を行使することができる権利として観念される集団的自衛権の行使が認められているわけではございません
 世界各国に認められているものと同様の集団的自衛権の行使を認めるなど、憲法九条の解釈に関する従来の政府見解基本的な論理を超えて武力行使が認められるとするような解釈を現行憲法下で採用することは困難でございますので、そのときは憲法改正が必要であると考えております。


【筆者】

 「他国を守るために行使する武力行使としての集団的自衛権」との答弁は、『自国防衛』の「武力の行使」であれば9条が禁じていないかのように説明しようとするものと考えられるが、9条の下では『自国防衛』であるからといって必ずしも「武力の行使」が許容されているわけではない。そのため、「他国を守るために行使する武力行使としての集団的自衛権」でないと説明したところで、その「武力の行使」が9条に抵触しないことを説明したことにはならない。
 「新三要件のもとで新たに認められる自衛権の行使」とは、つまり「自衛権の行使」としての「新三要件」に基づく「武力の行使」のことである。しかし、「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言に論理的に当てはまらないため、違憲となる。この要件を「限定を付しております。」と評価したところで、違憲であることは変わりない。論者は「限定」であれば「武力の行使」が9条に抵触しないかのように考えているようであるが、そのような論理では「先に攻撃(先制攻撃)」や「侵略戦争」であっても「限定」と評価すれば9条に抵触しないと説明することが可能となるのであって、法解釈として成り立たない。

 「このような武力行使は、あくまでも我が国の存立を全うし国民を守るため、すなわち我が国を防衛するためやむを得ない自衛の措置として初めて容認をされるもの」との答弁があるが、誤りである。まず、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在しており、これを満たすことを必要としているから、単に「我が国の存立を全うし国民を守るため、」であるからといって「武力の行使」ができるわけではない。それにもかかわらず、論者は「我が国の存立を全うし国民を守るため、」であれば9条の下でも「武力の行使」に踏み切って構わないと考えている点が誤りである。また、「我が国を防衛するためやむを得ない自衛の措置」との部分についても、「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由して政府が「武力の行使」に踏み切ることは歴史上幾度も経験しており、9条はそのような「武力の行使」に踏み切ることを制約する規範であるから、たとえ「我が国を防衛するため」であるとしても、それだけで「武力の行使」が許されると解することはできない。そのため、「我が国を防衛するためやむを得ない自衛の措置」と考え方からとそれだけで9条に抵触しないことを説明したことにはならない。1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)の下では「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす中においてしか「武力の行使」が容認される余地はなく、これを満たさない「存立危機事態」での「武力の行使」について、「容認されるもの」としていることは誤りである。「存立危機事態」での「武力の行使」は「容認」されないのである。

 「世界各国に認められているものと同様の集団的自衛権、すなわち、自国の防衛と重ならない、他国の防衛のために武力を行使することができる権利として観念される集団的自衛権の行使が認められているわけではございません。」との答弁があるが、誤った認識である。まず、日本国は国連憲章の「主権平等の原則」の適用を受けており、「集団的自衛権」という国際法上の『権利』を行使する幅は他国と同様に与えられている。そのため、「世界各国に認められているものと同様の集団的自衛権」である。しかし、9条によって「武力の行使」が制約されている。この「武力の行使」については、9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解によって制約されており、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」が必要である。これを満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲である。論者は、「集団的自衛権」の中身を「自国の防衛と重ならない、他国の防衛のために武力を行使することができる権利として観念される集団的自衛権」と、そうでないものに分けようとしているが、国際法上の違法性阻却事由の『権利』の定義については、国際司法裁判所の管轄事項であり、日本国が勝手に定義を行うことはできない。また、たとえ「自国の防衛と重ならない、他国の防衛のために武力を行使することができる権利として観念される集団的自衛権」と、そうでないものがあったとしても、国際法上の『権利』の区分に、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の範囲は何ら影響を受けないのであり、因果関係があるかのように話を持ち出すことは誤った認識である。さらに、9条の下では「自国の防衛と重ならない、他国の防衛のために武力を行使すること」が違憲であることは当然であるが、『自国防衛』の「武力の行使」であるからといって、必ずしも「武力の行使」が許されるわけではない。1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)によれば、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲である。「自国の防衛と重ならない、他国の防衛のために武力を行使すること」を認めているわけではないことを理由としても、「存立危機事態」の要件違憲でないことを説明したことにはならない。あたかも「存立危機事態」の要件が合憲であるかのように説明しようとしている部分が誤りである。

 「世界各国に認められているものと同様の集団的自衛権の行使を認めるなど、憲法九条の解釈に関する従来の政府見解の基本的な論理を超えて武力行使が認められるとするような解釈を現行憲法下で採用することは困難でございますので、そのときは憲法改正が必要であると考えております。」との答弁があるが、従来の政府見解である1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらないため、既に「基本的な論理」と称している部分を超えている。「世界各国に認められているものと同様の集団的自衛権の行使を認めるなど、」と、これとの違いを強調することで、「存立危機事態」の要件があたかも「基本的な論理」と称している部分の範囲内であることを前提として話を進めているが、既に「存立危機事態」の要件は違憲である。「存立危機事態」での「武力の行使」を可能としようとすることは、既に「憲法改正が必要である」事項であり、「現行憲法下」で行うことはできない。

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○中谷国務大臣 権利と義務の関係で、国際法上のことを申し上げました。これは各国に与えられた権利なんですね。どの国も、与えられた権利だから全て果たすということではなくて、あくまでも、自国の主権やまた国益に応じて判断をして行使するわけですから、これは義務ではないということでございます。これは一般論。
 そして、今我々が閣議決定で行いましたのは、いわゆる国際的な集団的自衛権に照らしまして、我が国の憲法上どの範囲まで容認ができるかという議論を行いまして、先ほどお話をいたしましたが、世界各国に認められているものと同様の集団的自衛権の行使を認めるなど、憲法九条の解釈に関する従来の政府見解基本的な論理を超えて武力行使が認められるような憲法解釈を現行憲法下で採用するということは困難であるという結論に至ったわけでございます。


【筆者】

 「世界各国に認められているものと同様の集団的自衛権の行使を認めるなど、憲法九条の解釈に関する従来の政府見解の基本的な論理を超えて武力行使が認められるような憲法解釈を現行憲法下で採用するということは困難であるという結論に至った」との答弁があるが、前提認識に誤りがある。まず、「憲法九条の解釈に関する従来の政府見解の基本的な論理を超えて武力行使」を行うことはできない。それはその通りである。しかし、論者は「存立危機事態」での「武力の行使」がこの「基本的な論理」と称している部分に当てはまると考えた上で、それと区別するために「世界各国に認められているものと同様の集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」はここに当てはまらず違憲であるかのような前提で論じているようであるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味しており、「存立危機事態」での「武力の行使」も、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」についても、これを満たさないものである。そのため、どちらも「基本的な論理」と称している部分の枠を超えており、違憲である。「存立危機事態」の要件が「基本的な論理」と称している部分を超えていないかのような前提認識で論じているところが誤りである。

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○中谷国務大臣 憲法について、それぞれ見識を持たれた方々の御意見であると認識をいたしております。
 しかし、政府としましては、昨年の閣議決定の前に安保法制懇というものを開催いたしました。そこで、憲法や安全保障に非常に知識のある有識者の方々をお招きいたしまして、御検討いただきました。その報告書を提出いただいて、それをもとに与党で協議会を立ち上げて、濃密な協議を二十五回開催いたしました。
 この上、法案を政府で閣議決定いたしましたが、このときの憲法解釈というのは、我が国を取り巻く安全保障環境が客観的に大きく変化しているという現実を踏まえまして、従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をし従来の政府見解における憲法九条の解釈の基本的な論理枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの帰結を導いたものでございます。
 この昨年の閣議決定というのは、これまでの憲法九条をめぐる議論との整合性を考慮したものでありまして、行政府における憲法の解釈として裁量の範囲内のものと考えており、違憲との御指摘は当たらないと考えているわけでございます。

【動画】横畠裕介 集団的自衛権「解釈改憲」の記録「結論の部分が一部変わった」

【筆者】

 「安保法制懇」「報告書」については、当サイト「安保法制墾の間違い」のページで解説している。

 「従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をし、従来の政府見解における憲法九条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの帰結を導いたもの」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件を正当化する説明とはなっていないため誤りである。まず、「従来の憲法解釈」である1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置の限界」を記した「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、冒頭で「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」とする説明を受けたものであるため、「集団的自衛権の行使」を可能とする「他国に対する武力攻撃」の意味は含まれない。もしここに「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれるのであれば、「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」とする冒頭の文面と論理矛盾し、文章全体が法解釈として成り立たないものとなってしまう。そのため、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言の中に、「我が国に対する武力攻撃」以外の武力攻撃が当てはまることはなく、「存立危機事態」の要件である「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の意味も当然含まれない。それにもかかわらず、「従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をし、」などと、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分と「存立危機事態」の要件とが「論理的整合性」があるかのように説明することは誤りである。また、「論理的整合性」がないのであるから、「法的安定性」も損なわれており、「法的安定性」があるかのように説明している部分も誤りである。「従来の政府見解における憲法九条の解釈の基本的な論理の枠内で、」との答弁もあるが、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の意味は含まれないため、「枠内」とは言えない。「基本的な論理の枠内」であるかのように説明している部分が誤りである。「国民の命と平和な暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの帰結を導いたもの」との答弁があるが、9条の下では「国民の命と平和な暮らしを守り抜くため」と称する「武力の行使」がすべて許容されるわけではない。なぜならば、「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が「武力の行使」に踏み切ったことは歴史上幾度も経験しており、9条はそのような自国都合の「武力の行使」となることを制約するための規定だからである。よって、この「国民の命と平和な暮らしを守り抜くため」の部分は、「存立危機事態」の要件が9条に抵触しない旨を説明するものではない。「合理的な当てはめの帰結を導いたもの」との部分についても、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、前後の文脈から「我が国に対する武力攻撃」の意味しか有しておらず、この「自衛の措置」の限界を記した規範の中に「武力の行使」を「当てはめ」るとしても、同様に「我が国に対する武力攻撃」の規範に制約されることとなる。この論理的な過程が「合理的」な解釈であり、あかたもこの「我が国に対する武力攻撃」を満たさない要件である「存立危機事態」が「基本的な論理」と称している部分から「合理的」に導き出すことができるかのように説明しているところが誤りである。「当てはめの帰結」とあるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界を記した規範である「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られており、これが限られていないかのように考えて「存立危機事態」の要件を「当てはめの帰結」として導き出されるかのように説明している部分が誤りである。

 「これまでの憲法九条をめぐる議論との整合性を考慮したものでありまして、行政府における憲法の解釈として裁量の範囲内のものと考えており、違憲との御指摘は当たらない」との答弁があるが、誤りである。「これまでの憲法九条をめぐる議論との整合性」であるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分と「存立危機事態」の要件は論理的整合性がない。論理的整合性がない解釈を「行政府」が行うことは許されておらず、これを「行政府における憲法の解釈として裁量の範囲内のもの」と説明することは誤りである。「適正手続きの保障」の趣旨から違法であるし、「存立危機事態」の要件が1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないことから、9条に抵触して違憲となる。「違憲とのご指摘は当たらない」と答弁しているが、当たることになる。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 これは、昭和四十七年の政府見解でございます。
 憲法は、憲法九条において、同条にいわゆる戦争放棄、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認し、また、憲法十三条において生命、自由、幸福追求に対する国民の権利については国政の上で最大の尊重を必要とする旨を定めていることからも、我が国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまで放棄をしていないということは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されないとした上で、しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右に言う自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものであるというのが、政府の従来の憲法における基本的な論理でございます。 


【筆者】

 ここで使われている「必要最小限度の範囲にとどまるべきもの」とは、「武力の行使」の三要件で言えば第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」に対応する意味である。これについて、あたかも9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」という基準であるかのように誤解していると思われる主張をする者がいるため、注意が必要な部分である。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 三の冒頭に「そうだとすれば、」ということが書かれております。つまり、基本的な論理というのは一と二でありまして、三というのは帰結部分で結論でございますが、しかし、昨年の七月の閣議決定の時点におきましては、我が国を取り巻く安全保障環境が客観的に大きく変化をしているという現実を踏まえまして、従来の憲法解釈との論理的な整合性、法的安定性に十分留意をしまして、この四十七年の政府見解における一、二、基本的な論理枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために合理的な当てはめの帰結を導いたものでございます。
 そもそも、この四十七年の政府見解のうち「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」という部分は、昭和三十四年の砂川判決の「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」との最高裁判所で示された考え方と軌を一にするものでございまして、これまでの憲法解釈の基本的な論理一と二を維持したものでありまして、立憲主義を否定するというものではございません


【筆者】

 「従来の憲法解釈との論理的な整合性、法的安定性に十分留意をしまして、」や「基本的な論理の枠内で、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に論理的に「存立危機事態」の要件は当てはまらない。そのため、「論理的な整合性」は保たれていない。「基本的な論理の枠内」とも言えない。論理的整合性が保たれていないことから、「法的安定性」も損なわれており、「十分留意をしまして」などと、「論理的な整合性、法的安定性」が保たれているかのように説明することは誤りである。

 「合理的な当てはめの帰結を導いたもの」との答弁もあるが、「基本的な論理」から「存立危機事態」の要件が導き出されることはなく、「合理的」とは言えない。「当てはめ」についても、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界に「武力の行使」を当てはめたとしても、この「自衛の措置」の限界の規範に拘束されるのであり、この「自衛の措置」の限界を記した「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに当てはまらない。「当てはめの帰結」などと、当てはまるかのように説明している部分が誤りである。「導いたもの」との部分についても、導かれないため誤りである。

 砂川判決は「自衛の措置」として日本国の統治権の『権限』が「武力の行使」を採ることができるかどうかについては何も述べていなことを押さえる必要がある。

 「立憲主義を否定するというものではございません。」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は論理的に当てはまらないため、これを当てはまるかのように主張することは、論理的整合性が保たれておらず、法治主義を逸脱している。憲法に違反するものであるから、「立憲主義を否定する」ものである。「立憲主義を否定するというものではございません。」との認識は誤りである。

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○中谷国務大臣 三の冒頭に「そうだとすれば、」ということでございまして、これは基本的論理に基づく結論の部分でございます。これは昭和四十七年当時の、そうだとすればこのような結論だということでございますが、もうあれから何十年もたちました、国際情勢も変わりました。世界じゅうどこで起こっても我が国の安全に大変な影響が及ぶわけでございますので、基本的な論理枠内で合理的な当てはめの帰結を導いたということでございます。


【筆者】

 「これは昭和四十七年当時の、そうだとすればこのような結論だということでございますが、」との答弁があるが、この部分は「基本的な論理」と称している部分が「自衛の措置」の限界の規範を示したにとどまり、この中に「武力の行使」を当てはめる場合の「結論」である。論者はその後、「基本的な論理の枠内で合理的な当てはめの帰結を導いたということ」などと、「存立危機事態」の要件が「基本的な論理」と称している部分に当てはまるかのように主張しているが、これは「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることを無視する主張であり、成り立たない。「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分の「枠内」から逸脱するものである。「合理的な当てはめの帰結」との答弁についても、合理的に当てはめることはできないため、「存立危機事態」の要件が当てはまるとの「帰結」は導かれない。これにより、「導いたということ」との認識は誤りである。

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○中谷国務大臣 「そうだとすれば、」というのは結論じゃないですか。一、二が論理を述べて、そうだとすれば結論ですということであります。
 基本的論理は一、二なんですよ。一、二を今の時点で当てはめますと、世界じゅうどこで起こっても日本の安全保障にこれは影響しますよ。商社に勤めている人も世界じゅうで仕事をしていますし、ミサイルもできて情勢が変わっているんです、安全保障の環境が変わっているんです。現時点において一、二の基本的論理を導いて、そうだとすれば今の三要件になるということでございます


【筆者】

 「一、二を今の時点で当てはめますと、」との答弁があるが、論者のいう「一、二」の部分とは、「基本的な論理」と称している部分であり、これは「自衛の措置」の限界を示した規範の部分である。1972年(昭和47年)政府見解はこの「自衛の措置」の限界の中に「武力の行使」を「当てはめ」たことにより、「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」との結論が導き出されているものである。この「自衛の措置」の限界の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、この見解の冒頭の「集団的自衛権の行使」は「自衛の措置の限界をこえる」との説明を受けており、「集団的自衛権の行使」が可能となってしまう「他国に対する武力攻撃」の意味は含まれず、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られている。このことから、この「自衛の措置」の限界の規範の中に「武力の行使」を当てはめても、同様の規範にい拘束されるのであり、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たすことが必要となる。ここには、文面上の論理展開しか存在しておらず、「今の時点」の「情勢」などという政策判断が入り込む余地はない。そのため、論者のように「現時点において一、二の基本的論理を導いて、そうだとすれば今の三要件になるということでございます。」などと、「自衛の措置」の限界を示した規範部分があたかも「我が国に対する武力攻撃」に限られていないかのように考えた上で、その「自衛の措置」の限界を示した規範部分に「存立危機事態」の要件が当てはまるかのように主張することは誤りである。

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○中谷国務大臣 先ほど御説明をいたしましたが、そもそも昭和四十七年の政府見解のうち「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」とする部分は、昭和三十四年の砂川判決の「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」という、最高裁判所の判決で示された考え方と軌を一にするものでございまして、これは、これまで政府が昭和四十七年の見解で申し上げておりました、武力行使が容認されるのは我が国に対する武力攻撃が発生した場合に考えられる、こう考えてきましたけれども、この状況において、武力行使について、その後の政府説明もここで示されたわけでありますが、現時点の、昨年の七月の閣議決定におきまして、改めてこの一と二を考えてみる、いわゆるこの部分が政府の基本的な論理でありまして、そうだとすれば三になるということでございます。

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○中谷国務大臣 基本的な論理による結論だからでございます。

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○中谷国務大臣 現時点の我が国をめぐる安全保障環境を考えますと、やはりかなり状況が違ってまいります。したがいまして、この基本的論理現時点で考えますと、そうだとすれば今の三要件が編み出されるわけでありまして一と二の基本的論理はしっかり維持されています、全く同じです。そこで考えると、そうだとすれば、やはり我が国の安全を確保するためには、こういう条件つきの集団的自衛権による行使、こういうことも必要であるということでございます。


【筆者】

 「この基本的論理で現時点で考えますと、そうだとすれば今の三要件が編み出されるわけでありまして、一と二の基本的論理はしっかり維持されています、全く同じです。」との答弁があるが、誤りである。まず、「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界を示した規範部分が含まれており、これは「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」ことを説明する中において用いられた「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在しており、ここに「集団的自衛権の行使」が可能となる「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれることはない。そのため、「現時点」だけでなく、過去や未来においても「基本的な論理」と称している部分の規範は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られており、「存立危機事態」の要件がここから導かれることはない。「今の三要件」と答弁している部分の「新三要件」の「存立危機事態」の要件は編み出されない。もし「存立危機事態」の要件を定めようとしているのであれば「基本的な論理」と称している部分は損なわれており、「一と二の基本的論理はしっかり維持されています」と説明することは誤りである。

 「そうだとすれば、やはり我が国の安全を確保するためには、こういう条件つきの集団的自衛権による行使、こういうことも必要であるということでございます。」との答弁があるが、論理的に不可能であるため誤りである。「そうだとすれば、」の文言は、「自衛の措置」の限界を記した規範の中に「武力の行使」を当てはめた場合の接続詞として用いられているものであり、「自衛の措置」の限界が「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、これを満たさない「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」は導き出すことができない。「こういうことも必要である」などと、必要性のみによって、法論理の論理的過程を無視することはできない。「我が国の安全を確保するためには、」との部分についても、9条の下では「我が国の安全を確保するため」であるからといって、必ずしも「武力の行使」が許容されるわけではないのであり、1972年(昭和47年)政府見解に論理的に整合しない要件を定めようとするのであれば、憲法改正を行う必要がある。それを行わないで、必要性だけをもって法論理を無視することは不正な法解釈であり、違憲との評価を免れられない。

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○中谷国務大臣 四十七年に示したこの基本的論理、これは、従来の憲法の裁判でもございましたが、それと軌を一にするということで、当時の四十七年に政府が出しました基本的論理でございます。
 時代は変わります。目的はやはり、国家の存立と国民の命、権利、これを国家として守っていかなければならない。こういった憲法の基本的論理の中で一体何ができるのかということを我々は真剣に考えました。その結論として「そうだとすれば、」ということで、現在武力行使が許されるのは、新しい三要件に限って許されるという結論を導き出したわけでございます。


【筆者】

 「こういった憲法の基本的論理の中で一体何ができるのか」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、憲法上これを満たす中での措置しか行うことができない。

 「その結論として『そうだとすれば、』ということで、現在武力行使が許されるのは、新しい三要件に限って許されるという結論を導き出した」との答弁があるが、「新しい三要件」の中の「存立危機事態」については、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらない。そのため、「基本的な論理」と称している部分にから「存立危機事態」の要件を導き出すことはできないことから、「新しい三要件に限って許されるという結論を導き出した」との答弁は誤りである。

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○中谷国務大臣 まさに一と二の部分に、政府といたしましての考え方、見解、いわゆる基本的な論理が記述されているからでございます。一と二をもって三に当てはめると、自衛の措置としての武力行使の新三要件が出てくるということでございます。


【筆者】

 「一と二をもって三に当てはめると、自衛の措置としての武力行使の新三要件が出てくる」との答弁があるが、誤りである。「一と二」は「自衛の措置」の限界を記した規範であり、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られている。「三に当てはめると」と答弁している部分があるが、これは、この「自衛の措置」の限界の規範の中に「武力の行使」を当てはめても、「我が国に対する武力攻撃」を満たすことが必要となることが導かれるものである。それにもかかわらず、ここから「我が国に対する武力攻撃」を満たさない「新三要件」の「存立危機事態」の要件が「出てくる」かのように説明している部分が誤りである。

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○中谷国務大臣 簡単に答えますと、一、二に基本的な論理が考えられて、三に結論部分が当てはめられるということでございます。
 この閣議決定は、憲法第九条のもとでも、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処する場合には、例外的に自衛のための武力行使が許されるという昭和四十七年の政府見解基本的論理維持し、この考え方を前提として、これに当てはまる極限的な場合として我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとしてきたこれまでの認識を改めまして我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合にもこれに当てはまるとしたものでありまして、憲法解釈としての論理的な整合性、法的安定性は私は維持されていると考えております。


【筆者】

 「一、二に基本的な論理が考えられて、三に結論部分が当てはめられる」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界を示した規範部分は既に「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「三」の結論部分に「武力の行使」を当てはめても、これを満たすことを必要とする規範しか導かれない。

 「昭和四十七年の政府見解の基本的論理を維持し、この考え方を前提として、これに当てはまる極限的な場合として、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとしてきたこれまでの認識を改めまして、」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界を示した規範部分は、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られており、「基本的な論理」と称している部分を維持しているということは、「我が国に対する武力攻撃」を満たす中でしか「武力の行使」を行うことができない。それにもかかわらず、「これまでの認識を改めまして、」などと、認識を改めて「我が国に対する武力攻撃」を満たさない要件に変更できる余地があるかのように考えている点が誤りである。

 「これに当てはまるとしたもの」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件が当てはまることはない。

 「憲法解釈としての論理的な整合性、法的安定性は私は維持されている」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の意味は当てはまらないため、これが当てはまると主張することは「論理的な整合性」は保たれていない。これにより「法的安定性」も損なわれているため、これらが「維持されている」と主張することは誤りである。

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○中谷国務大臣 これは昭和四十七年の政府の見解でありまして、憲法で言う基本的な論理が一と二でありまして、そうだとすれば三であるということでございます。
 私の答弁で不満なら、法制局長官にお答えいただきたいと思います。

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○中谷国務大臣 私もこの文章を何度も何度も読み返しいたしました。そして、やはり一と二の部分で基本的な論理を述べておりまして、これを要約しますと、憲法は、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとるということを禁じているとは到底解されませんよねと。それで、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処するためのやむを得ない措置として必要最小限の武力の行使は容認される
 昭和四十七年はこれは個別的自衛権であるという結論でありましたが、我が国を取り巻く安全保障環境が変化をいたしております。そして、この一、二の基本的な論理を考えますと、三の冒頭に書かれておりますように「そうだとすれば、」ということで自衛の措置としての武力行使の新三要件が導き出されて、これを当てはめたということでございます。


【筆者】

 「必要最小限の武力の行使は容認される」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界を示したにとどまり、未だ「武力の行使」については何も述べていない。そのため、「基本的な論理」と称している部分の中に「武力の行使は容認される」と記載されているかのように説明することは誤りである。論者も別の答弁で述べているように、これは砂川判決の「自衛のための措置」と軌を一にするものとして示された部分であるから、「武力の行使」については何も述べていない砂川判決と軌を一にするにもかかわらず、「武力の行使が容認される」と述べているかのように説明することはできないのである。

 「『そうだとすれば、』ということで自衛の措置としての武力行使の新三要件が導き出されて、これを当てはめた」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られているため、「新三要件」の「存立危機事態」の要件は導き出されないため誤りである。「これを当てはめた」との答弁についても、当てはまらないため誤りである。

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○中谷国務大臣 それは、従来述べている憲法で言う基本的な論理で、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されず、外国の武力攻撃によって国民の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処するためのやむを得ない措置として必要最小限の武力行使は容認される、これを現在考えてみますと、そうだとすればということで結論が導き出されるということでございます。


【筆者】

 「必要最小限の武力行使は容認される」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界を示したにとどまり、未だ「武力の行使」については触れていない。そのため「武力行使は容認される」と記載されているかのように説明することは誤りである。

 「現在考えてみますと、そうだとすればということで結論が導き出される」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分で既に「我が国に対する武力攻撃」を満たすことが必要であることが述べられており、過去や「現在」や将来においてこれを満たさない中での「武力の行使」を可能とする規範を定められるかのように考える余地はない。そのため、「現在考えてみますと、」と、情勢などが入り込んで政策判断が入り込む余地があるかのように説明している部分が誤りである。

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○中谷国務大臣 基本的論理維持いたしております。そして、憲法九条をめぐる議論との整合性、これも考慮いたしました。その結果、憲法の解釈としての裁量の範囲の中であるということでございます。


【筆者】

 「基本的論理を維持いたしております。」との答弁があるが、維持しているのであれば「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分によって違憲となる。

 「整合性、これも考慮いたしました。」との答弁があるが、整合性が保たれていないことにより、「存立危機事態」の要件は違憲となる。

 「憲法の解釈としての裁量の範囲の中である」との答弁があるが、論理的整合性が保たれていない解釈を行うことは「裁量の範囲の中」とは言えないため誤りである。また、9条にも抵触して違憲である。

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○中谷国務大臣 私も、当初は、集団的自衛権はこの憲法から認められないという立場でございました。
 しかし、この点は、我が党の中でもう十年近く議論を重ねております。今回、与党の中でも議論をいたしました。そういう中で、今回の集団的自衛権におきましては、他国を防衛するためのいわゆる国際的な集団的自衛権ではなくて、あくまでも我が国を防衛するため、必要最小限度の範囲の中の集団的自衛権であるということでございます。その論理にしましても、昭和四十七年に政府が、憲法における武力の行使が容認されるための基本的な論理、これは一切変更していない。
 この基本的な論理は、昭和三十四年に戦後ただ一回だけ最高裁で憲法の判決が下されておりますが、この中で「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」とする考え方と軌を一にするものでありますし、また、新三要件の中で許容されるのはあくまでも自衛の措置としての武力の行使に限られており我が国または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の発生が前提でございます。また、他国を防衛すること自体を目的とするものではございません
 このような考えのもとに行われる今般の法整備におきましては、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢である専守防衛について、その定義、そしてそれが我が国の防衛の基本政策であることにいささかの変更もない。そのため、解釈改憲との批判は当たらずに平和国家としての日本の歩みはこれからも決して変わることではございません
 その歩みをさらに強いものにするために憲法の解釈に基づいてこの法律をつくったということでございます。


【筆者】

 「他国を防衛するためのいわゆる国際的な集団的自衛権ではなくて、あくまでも我が国を防衛するため、必要最小限度の範囲の中の集団的自衛権であるということでございます。」との答弁があるが、「存立危機事態」での「武力の行使」が9条に抵触しない旨を説明したものとは言えない。まず、9条の下では「他国を防衛するため」の「武力の行使」が許されないことは当然、たとえ『自国防衛』のための「武力の行使」であっても、必ずしも許容されているわけではない。1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)によれば、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす中でしか「武力の行使」を行うことができない。そのため、「他国を防衛するためのいわゆる国際的な集団的自衛権ではなくて、」などと、『他国防衛』の「武力の行使」でないことを説明したとしても、9条に抵触しないことを説明したことにはならない。「あくまでも我が国を防衛するため、必要最小限度の範囲の中の集団的自衛権である」との答弁であるが、9条の下では「我が国を防衛するため」であるからといって必ずしも「武力の行使」が許容されているわけではない。また、従来より政府が「我が国を防衛するため必要最小限度」と呼んでいたものは「自衛のための必要最小限度」と同じ意味であり、三要件(旧)を意味する。旧三要件には「我が国に対する急迫不正の侵害があること」の要件があるため、これを満たさない中での「武力の行使」は発動できず、「集団的自衛権の行使」はできない。論者がここで「我が国を防衛するため、必要最小限度」と呼んでいるものが「我が国を防衛するため必要最小限度(自衛のための必要最小限度)」の意味であるならば、旧三要件を満たす「武力の行使」の意味であるから、「集団的自衛権である」などとと、「集団的自衛権」に基づく「武力の行使」が可能であるかのように説明することは誤りである。論者は9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」という基準によるものであるかのように考えている可能性があるが、9条は政府の自国都合による「武力の行使」を制約するための規定であり、数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準となれば、政府が「必要最小限度」と考えれば9条に抵触しないとすることが可能となってしまうのであり、法解釈として成り立たない。よって、論者が「あくまでも我が国を防衛するため、必要最小限度の範囲の中の集団的自衛権である」と述べている部分は、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を行うことができないことを明らかにするか、あるいは意味が通じていないかのいずれかである。

 「昭和四十七年に政府が、憲法における武力の行使が容認されるための基本的な論理、これは一切変更していない。」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分を変更していないのであれば、これにより「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、違憲となる。

 「新三要件の中で許容されるのはあくまでも自衛の措置としての武力の行使に限られており、我が国または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の発生が前提でございます。」との答弁があるが、「新三要件」の「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらず違憲であり、「許容される」と表現している部分は誤りである。「自衛の措置としての武力の行使に限られており、」の部分について、1972年(昭和47年)政府見解では「自衛の措置」は無制限でないことを示しており、「あくまでも自衛の措置として」などと、「自衛の措置」であることを理由としても、9条に抵触しないとする説明にはならない。「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の発生が前提」の部分についても、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生したとしても、未だに9条の規範性を通過していないのであるから、これを前提としていることをもって、9条に抵触しないことを説明したことにはならない。

 「他国を防衛すること自体を目的とするものではございません。」との答弁があるが、9条の下では『他国防衛』の「武力の行使」が許されないことは当然、『自国防衛』であるからいとって必ずしも「武力の行使」が許容されるわけではないのであるから、「他国を防衛すること自体を目的とするものではございません。」と述べたところで、9条に抵触しないことを説明したことにはならない。

 「憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢である専守防衛について、その定義、そしてそれが我が国の防衛の基本政策であることにいささかの変更もない。」との答弁があるが、9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に当てはまらないということは、「憲法の精神にのっとった」を満たさないことから、「専守防衛」とは言えない。「専守防衛」の定義が変わらないとしても、「存立危機事態」の要件は「専守防衛」の定義の中に含まれない。「それが我が国の防衛の基本政策である」については、「専守防衛」の定義に当てはまらない要件を定めた時点で、「専守防衛」を「基本政策」としているとは言えないのであるから、誤りである。「いささかの変更もない。」との主張も、事実に基づかない。

 「解釈改憲との批判は当たらずに、平和国家としての日本の歩みはこれからも決して変わることではございません。」との答弁があるが、「平和国家」とは、憲法前文の「平和主義」の理念に基づくことであるが、その「平和主義」の理念を具体化した規定である9条に抵触する「存立危機事態」の要件を定めたことは、同時に「平和主義」の理念も損なわれていることとなるため、「平和国家としての日本の歩み」は底割れ、変わってしまっている。そのため、「これからも決して変わることではございません。」との説明は誤りである。

 「その歩みをさらに強いものにするために、憲法の解釈に基づいてこの法律をつくった」との答弁があるが、「その歩み」は断絶しているし、既に損なわれているから「さらに強いものにする」ことはできない。また、「憲法の解釈」に基づけば「存立危機事態」の要件を有する法律は違憲であり、「憲法の解釈に基づいてこの法律をつくった」と合憲であるかのように主張することは誤りである。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第7号 平成27年6月5日



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○中谷国務大臣 原口委員とは、九・一一のテロやイラクのときに、特措法において、委員会で理事としてともに議論をさせていただきました。
 これまで政府は、昭和四十七年の政府見解にも示されているとおり、憲法九条の解釈に関しまして、憲法九条は、その文言からすると、国際関係における武力の行使、これを一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している国民の平和的生存権や、第十三条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法九条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは解されない。
 一方、この自衛の措置は、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認をされるものであり、そのための必要最小限度の武力行使は許容されるという基本的な論理、これを踏まえまして、武力の行使が容認されるのは我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてまいりました。
 そこで、この基本的論理がある中で、昨年七月の閣議決定において示された憲法解釈は、まず、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化をし続けている状況を踏まえまして、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得るという問題意識のもとに、現在の安全保障環境に照らして慎重に判断をした結果、憲法九条のもとでも例外的に武力の行使が許容される場合があるという従来の政府見解における同条の解釈の基本的な論理維持しその枠内で武力の行使が許容される場合として、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみがこれに当てはまると考えてきたこれまでの認識を改めて我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合もこれに当てはまるとしたものでございます。


【筆者】

 「そのための必要最小限度の武力行使は許容されるという基本的な論理」との答弁があるが、誤りである。1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は、「自衛の措置」の限界の規範までしか述べておらず、「武力の行使」については未だ触れていないからである。ここで用いられている「必要最小限度」の文言は、「武力の行使」の三要件では第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」に対応する意味の「必要最小限度」である。

 「憲法九条のもとでも例外的に武力の行使が許容される場合があるという従来の政府見解における同条の解釈の基本的な論理を維持し、その枠内で」との答弁があるが、誤りである。「基本的な論理」と称している部分は、「自衛の措置」の限界の規範しか示しておらず、未だ「武力の行使」が許容されるとは述べていないからである。また、「基本的な論理」と称している部分を「維持し、その枠内で」としているのであれば、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の意味はここに含まれず、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となる。

 「これまでの認識を改めて、」との答弁があるが、「自衛の措置」の限界の規範は既に「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、これを満たさない要件に「改め」ることができると考えている部分が誤りである。また、論者は「これまでの認識」というが、1972年(昭和47年)政府見解は「自衛の措置」の限界を示す規範に「武力の行使」を当てはめるという文面上の論理展開しか存在しておらず、「自衛の措置」の限界を示した部分で既に「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、あたかも「自衛の措置」の限界を示した規範が「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていないかのように考えた上で、政策判断として「これまで」「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」のみに限っていたかのような認識は誤りである。もともとそのような「認識」によって結論が導き出されていた文章ではないため、「これまでの認識」という考え方自体が誤っている。

 「これに当てはまるとしたもの」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の意味はここに含まれない。そのため、「当てはまるとしたもの」と、当てはまることを前提とした説明は誤りである。

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第189回国会 決算行政監視委員会 第4号 平成27年6月8日



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○国務大臣(中谷元君) 国民の命と平和な暮らしを守ることは、政府の最も重要な責務であります。
 憲法制定以来、我が国を取り巻く安全保障環境は激変をし、一層厳しさを増しております。脅威は容易に国境を越えてきます。今や、どの国も一国のみでは自国の安全を守れません。このような中、国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、あらゆる事態を想定をし、切れ目のない備えを行う平和安全法制の整備が不可欠であります。
 そして、今回の法制整備に当たりましては、これまでの政府見解の基本的論理、これは全く変わっていません。この基本的論理は、政府が述べているだけではなくて、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものでございます。この砂川事件の最高裁判決は、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないと述べております。
 平和安全法制の整備に当たりましては、集団的自衛権の行使を一部限定容認をしましたが、それはあくまでも自衛のための必要最小限度の措置に限られます集団的自衛権の行使一般を認めるものではなく、他国の防衛、それ自体を目的とする行使は認められません。あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、極めて限定的なものであります。この点は新三要件が明確に示しており、憲法の明確な歯止めとなっております。その上で、今回の法制では、この新三要件は全て法律の中に盛り込んでおり、法律上の要件となっております。
 このように、平和安全法制は、従来の政府見解基本的論理最高裁判決の考え方の範囲の中のものであり、最高裁の判決の中のものであり、憲法違反との指摘は当たらないと考えております。


【筆者】

 「これまでの政府見解の基本的論理、これは全く変わっていません。」としているのであれば、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味するから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに当てはまらず、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となる。

 「集団的自衛権の行使を一部限定容認をしましたが、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)は「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす中においてしか「武力の行使」を許容しておらず、これを満たさない「集団的自衛権の行使」となる「武力の行使」が「容認」されるかのように説明している部分が誤りである。

 「それはあくまでも自衛のための必要最小限度の措置に限られます。」との答弁があるが、従来より政府が「自衛のための必要最小限度」と呼んでいたものは、「武力の行使」の三要件(旧)のことである。この「自衛のための必要最小限度の措置に限られます。」としているのであれば、第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たすことを必要とすることから、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が可能となる余地はない。

 「集団的自衛権の行使一般を認めるものではなく、他国の防衛、それ自体を目的とする行使は認められません。」との答弁があるが、「存立危機事態」での「武力の行使」が9条に抵触しないことを説明するものとはなっていない。国際法上の「集団的自衛権」という違法性阻却事由の『権利』の区分を得るためには『他国からの要請』が必要となる。そのため、『他国からの要請』を得て初めて実施する「武力の行使」であるにも関わらず、それを『他国防衛』でないと説明することはできない。それにもかかわらず、「他国の防衛、それ自体を目的とする行使」などと、『他国防衛』でないかのように説明することは論理的に不可能である。また、9条の下では『他国防衛』の「武力の行使」が違憲となることは当然、『自国防衛』であっても必ずしも「武力の行使」が認められるわけではない。そのため、『他国防衛』の「武力の行使」でないと説明しただけでは、その「武力の行使」が9条に抵触しないと説明したことにはならない。

 「あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、」との答弁があるが、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合による「武力の行使」に踏み切ることを節約するための規定であり、「国民の命と平和な暮らしを守ること」を目的としていると主張する「武力の行使」のすべてが許容されるというわけではない。1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)によれば「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」については、たとえ「国民の命と平和な暮らしを守ること」を理由としても9条に抵触して違憲である。そのため、「あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的」と説明したところで、「存立危機事態」での「武力の行使」が9条に抵触しないことを示したことにはならない。

 「極めて限定的なものであります。」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件が1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらず、結果として9条に抵触して違憲であるということは、たとえ「極めて限定的」と称する「武力の行使」であっても、すべて9条に抵触して違憲となる。あたかも「極めて限定的」であれば、9条に抵触しないかのように説明しようとしているところが誤りである。もし「極めて限定的」と説明するだけで9条に抵触しないことになるのであれば、「極めて限定的」と説明すれば「先に攻撃(先制攻撃)」や「侵略戦争」についても同様に9条に抵触しないと説明することが可能となってしまうのであり、法解釈として成り立たない。

 「この点は新三要件が明確に示しており、憲法の明確な歯止めとなっております。」との答弁があるが、誤りである。まず、「憲法の明確な歯止め」とは、9条の規定そのものである。この9条に抵触しないことを説明するための要件として論者は「新三要件」を持ち出そうとしているが、「新三要件」の「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないため違憲である。よって、「新三要件」の「存立危機事態」の要件が憲法に抵触しないことを説明できていない段階で既に違憲であり、この9条に抵触する要件に何らかの「歯止め」となるものがあったとしても、違憲であることは変わらない。論者は「歯止め」があれば9条に抵触しないかのように説明しようとしているが、それでは「先に攻撃(先制攻撃)」や「侵略戦争」を実施する要件であっても「歯止め」があれば9条に抵触しないと説明することが可能となるのであり、法解釈として成り立たない。また、「存立危機事態」の要件には、「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合にその条文を適用できるか否かを識別するための基準を示すところがない部分がある。このような曖昧不明確な内容を有するにもかかわらず、「歯止め」があるかのように説明することはできない。

 「従来の政府見解の基本的論理と最高裁判決の考え方の範囲の中のものであり、最高裁の判決の中のものであり、憲法違反との指摘は当たらない」との答弁があるが、誤りである。まず、「従来の政府見解の基本的論理」であるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに当てはまらない。そのため、「基本的な論理」と称している部分の「範囲の中」とは言えない。次に、「最高裁判決の考え方」であるが、砂川判決は「自衛のための措置」として「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」を述べただけであり、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていない。「武力の行使」を行う措置であるにもかかわらず、砂川判決の「範囲の中」であるかのように説明することは誤りである。1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)によれば「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす中においてしか「武力の行使」を許容しておらず、これを満たさない「存立危機事態」の要件は違憲となる。「憲法違反との指摘は当たらない」との答弁があるが、指摘は当たるため誤りである。

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○国務大臣(中谷元君) 砂川事件の最高裁の判決は、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないというふうに述べているわけでございます。
 この平和安全保障法制の整備に当たりましては、集団的自衛権の行使を一部限定容認をしましたが、それはあくまでも自衛のための必要最小限度の措置に限られるわけでございます。
 そこで、この基本的な論理というのは、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されず、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処するためのやむを得ない措置として必要最小限の武力行使は容認されるという部分でございます。


【筆者】

 「集団的自衛権の行使を一部限定容認をしましたが、それはあくまでも自衛のための必要最小限度の措置に限られる」との答弁があるが、誤りである。「集団的自衛権の行使」は「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中で「武力の行使」を実施するものであり、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に抵触して違憲となる。「一部限定容認をしました」と、「容認」しようとしているが、憲法上違憲となるため「容認」することはできない。「自衛のための必要最小限度の措置に限られる」との答弁があるが、従来より政府が「自衛のための必要最小限度」と呼んでいたものは、三要件(旧)である。この旧三要件には第一要件に「我が国に対する急迫不正の侵害があること」があるため、これを満たす「措置に限られる」のであれば、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を行うことはできない。論者は矛盾したことを述べている。

 「必要最小限の武力行使は容認される」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界を示したにとどまり、未だ「武力の行使」については述べていない。それにもかかわらず、「基本的な論理」と称している部分で「武力行使は容認される」と述べているかのように説明している部分が誤りである。また、この「必要最小限度」とは、三要件で言えば第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」の意味である。一つ上の文で「自衛のための必要最小限度」と出てくるが、これは三要件(旧)そのものを指しているものであるため、意味が異なることを押さえる必要がある。

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○国務大臣(中谷元君) 砂川事件の最高裁判決は、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないということでございます。
 そこで、今回、その基本的論理という中で、結論といたしまして、集団的自衛権の行使の一部を認めるものではなくて他国の防衛それ自体を目的とする行使は認められない、あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であって、極めて限定的なものであるということ、そして、その新三要件が明確に示しているとおり、憲法上の明確な歯止めとなっているということからいたしまして、従来の政府見解基本的論理と最高裁の考え方の範囲内のものであって、憲法違反とならないと私は考えております。


【筆者】

  「基本的論理という中で、」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には当てはまらないため、「基本的論理という中で、」と説明することはできず、誤りである。

 「集団的自衛権の行使の一部を認めるものではなくて、」との答弁があるが、論者は他の答弁で「集団的自衛権の行使を一部限定容認をしました」としているが、論理矛盾である。「一部を認めるものではなくて」ということは、「集団的自衛権の行使」の全部を認めようとしているのだろうか。

 「他国の防衛それ自体を目的とする行使は認められない」との答弁があるが、9条の下では『他国防衛』の「武力の行使」が認められないことは当然、『自国防衛』であるからといって必ずしも「武力の行使」が許容されるわけではない。そのため、「他国の防衛それ自体を目的とする行使は認められない」と説明したところで、「存立危機事態」での「武力の行使」が違憲でないことを説明したことにはならない。

 「あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であって、極めて限定的なものである」との答弁があるが、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを制約する規定であり、「国民の命と平和な暮らしを守ることが目的」であるとしても、これだけで9条に抵触しないとする理由にはならない。「極めて限定的なもの」との説明もあるが、9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に抵触して違憲となる「存立危機事態」の要件が「限定的」であると主張しても、違憲であることには変わりない。「極めて限定的なもの」であれば違憲でないかのように説明しようとしているところが誤りである。

 「憲法上の明確な歯止めとなっている」との答弁があるが、憲法上の「歯止め」とは9条の規定そのものである。また、「存立危機事態」の要件は9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に抵触して違憲となるのであるから、何らかの「歯止め」となる部分があるとしても違憲であることには変わりない。「歯止め」があれば9条に抵触しないと考えている部分が誤りである。

 「従来の政府見解の基本的論理と最高裁の考え方の範囲内のものであって、憲法違反とならない」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらないし、最高裁の砂川判決は「自衛のための措置」を示したにとどまり、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないのであるから、「従来の政府見解の基本的論理と最高裁の考え方の範囲内のもの」と説明することはできず、誤りである。「存立危機事態」の要件は、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に当てはまらず、9条に抵触することから、憲法違反である。「憲法違反とならない」との説明は誤りである。

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○国務大臣(中谷元君) この法案は、我が国の国民の命、そして平和な暮らしを守るために必要な法案でございまして、我が国を取り巻く安全保障環境が変化をしてきたというようなことで、まず政府で安全保障法制で有識者に検討をいただき、その報告書の提出を受け、その後、与党協議会で綿密な協議を踏まえて行ったものでございます。
 これの閣議決定を示された憲法解釈というものにつきまして、従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をした上で、憲法九条の解釈の基本的な論理枠内で、こういった国民の命と平和な暮らしを守るための合理的な当てはめの帰結を導いたものでございまして、こういった昨年の閣議決定によりまして法案が検討をしてきたということでございまして、行政府による憲法の解釈としての裁量の範囲内のものと考えております。


【筆者】

 安保法制懇の「報告書」については当サイト「安保法制墾の間違い」のページで解説した。

 「従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をした上で、憲法九条の解釈の基本的な論理の枠内で、」との答弁があるが、「従来の憲法解釈」である1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件が当てはまるかについて「論理的整合性と法的安定性に十分留意」して検討すると、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。あたかも「存立危機事態」の要件が「基本的な論理の枠内」に当てはまるかのように説明している部分が誤りである。
 「合理的な当てはめの帰結を導いたもの」との答弁があるが、論理的に当てはまらないのであるから、「合理的」とは言えない。また、「当てはめの帰結」との部分も当てはまらないのであるから、「帰結」には繋がらない。「導いたもの」との部分についても、導かれないため誤りである。
 「行政府による憲法の解釈としての裁量の範囲内のもの」との答弁があるが、憲法解釈には論理的整合性が保たれる必要があり、これが損なわれる解釈は「行政府」に与えられた「裁量の範囲」を超え、違法となる。2014年7月1日閣議決定の内容は論理的整合性が保たれていないにもかかわらず、「裁量の範囲内のもの」との説明することは誤りである。

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第189回国会 外交防衛委員会 第20号 平成27年6月9日



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○中谷国務大臣 今回の法律の整理で、いろいろな事態を設けまして、それぞれ定義をいたしております。
 基本的には、今までの憲法の基本的な論理、これをもとに考えておりますが、いわゆる新しい三要件をつけまして、それによって、これからなされているわけでありますので、基本的に、その枠組みといたしましては、存立危機事態におきましては、まず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生をした、これがまず大前提、その後で、それが、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるという事態と、ほかに手段がないか、そして必要最小限か、この三要件、これで縛りをかけております。
 では、どういう事態かといいますと、他国に対する武力攻撃が発生した場合において、そのままでは、すなわち、その状況のもとで武力を用いて対処しなければ、国民に、我が国が武力攻撃を受けたと同様な深刻また重大な被害が及ぶことが明らかな状況であるということで、個々いろいろな事態が発生すると思います。
 そういった点においては、その攻撃国の意思とか能力とか事態の発生場所とか、個別の規模とか態様とか推移とか、そういうところをやはり総合的に判断して、そして、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、それから、国民が犠牲となる深刻性、重大性、そういうところから判断をするわけでございます。
 これはどういう事態かといいますと、我が国に武力攻撃を与える場合におきましても、いろいろな事態が考えられますので、こういう事態ということを述べることは一例にすぎませんが、考え方としては、今私が説明したような条件のもとにいろいろな事態を総合して判断するということでございます。

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○中谷国務大臣 山崎拓先生には昨日お会いしまして、意見を交換したわけでございます。
 私が申し上げましたのは、憲法につきましては長い年月をかけて検討してきたということでございます。そして、我が国を取り巻く安全保障環境、これは客観的に大きく変化をしておりまして、従来の憲法解釈と論理的整合性、法的安定性に十分留意をして、その根本となるのは、やはり従来の、昭和四十七年の政府見解における憲法九条の解釈の基本的な論理の枠内で、日本の命と平和な暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの結果を導いたということでございます。
 やはり、憲法で言っている、自国の平和と安全を維持し、また存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されないという部分、これは従来の憲法の基本的論理の部分でございまして、それに今回新しい三要件、これを加えて考えたものでございまして、私は、この内容が憲法違反であるというふうに思っているわけではございません


【筆者】

 「従来の憲法解釈と論理的整合性、法的安定性に十分留意をして、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件が当てはまると主張していることは「論理的整合性」が保たれていないため、「留意」した結果が伴っておらず、誤りである。また、「論理的整合性」が保たれていないことは「法的安定性」も損なわせることとなっている。

 「昭和四十七年の政府見解における憲法九条の解釈の基本的な論理の枠内で、」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。そのため、「基本的な論理の枠内」と説明することはできず、誤りである。

 「合理的な当てはめの結果を導いた」との答弁があるが、「論理的整合性」が保たれていないのであるから、「合理的」とは言えない、当てはめることもできないのであるから、「当てはめの結果を導いた」と当てはまるかのように説明している部分が誤りである。

 「自国の平和と安全を維持し、また存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されないという部分、これは従来の憲法の基本的論理の部分でございまして、それに今回新しい三要件、これを加えて考えたもの」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解が「自衛の措置」の限界の規範を示した部分は、「あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」である。論者はその前の文の「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」の部分を引用しているが、「基本的な論理」と称している部分には「自衛の措置」の限界を記した規範があるため、抜き出し方を誤っている。また、この「自衛の措置」の限界を記した規範には、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られているため、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。そのため、「今回新しい三要件、これを加えて考えた」などと、新三要件の「存立危機事態」の要件が当てはまるかのように説明していることも誤りである。

 「この内容が憲法違反であるというふうに思っているわけではございません。」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称する部分に「存立危機事態」の要件が当てはまることはないため、憲法違反である。「この内容が憲法違反であるというふうに思っているわけではございません。」との答弁も誤りである。

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○中谷国務大臣 私たちは、憲法につきましては真剣に議論をいたしました。ちょうど去年の今ごろでございますけれども、憲法につきまして、いろいろと今の安全保障情勢が変わっていく中でどう対応したらいいのか、そういうことを踏まえまして憲法のあり方を検討したわけで、その際、従来の憲法の基本的論理、これを中心に議論いたしまして、この基本的論理全く譲っていないというか、変えていないわけでございます。
 今回、結論といたしまして、集団的自衛権の一部容認につきましては、これは、憲法上許容される武力行使というのは、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合がありますが、この武力行使は他国に対する武力行使が発生した場合を契機とするものが含まれますが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためやむを得ない自衛の措置として初めて容認をされるものであるということでございます。決して他国に対する防衛を目的とした集団的自衛権ではない、我が国に対しての集団的自衛権である、こういう限定をつけた上でこれを決めたわけでございますので、決して論理的な整合性や法の規範から逸脱するような内容ではないというふうに私は確信を持っております。


【筆者】

 「この基本的論理は全く譲っていないというか、変えていないわけでございます。」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分を変えていないのであれば、ここに「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となる。

 「集団的自衛権の一部容認」との答弁があるが、「集団的自衛権」とは国際法上の違法性阻却事由の『権利』の区分であり、9条はこれを直接制約していない。そのため、制約を受けていることを前提として「一部容認」と表現することは正確ではない。「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」については、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)から導き出すことができないため、違憲である。

 「憲法上許容される武力行使というのは、」との答弁があるが、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」はすべて「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさないのであるから、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に抵触して違憲となるため、許容されない。「憲法上許容される武力行使」と、許容されるかのように論じようとしている部分が誤りである。

 「この武力行使は他国に対する武力行使が発生した場合を契機とするものが含まれますが、」との答弁があるが、「他国に対する武力行使が発生した場合」は「他国に対する『武力攻撃』が発生した場合」の町が意図思われる。また、「他国に対する武力攻撃が発生した場合」を契機とするのであれば、それは『他国防衛』の「武力の行使」か、「先に攻撃(先制攻撃)」であるため、9条に抵触して違憲となる。

 「憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためやむを得ない自衛の措置として初めて容認をされるものである」との答弁があるが、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを制約するための規定であり、「我が国の存立を全うし、国民を守るため、」や「我が国を防衛するため」の「武力の行使」であっても必ずしも許容されるわけではない。あたかも「我が国の存立を全うし、国民を守るため、」や「我が国を防衛するため」であれば9条に抵触しないかのように説明しようとしているところが誤りである。「やむを得ない自衛の措置」との表現についても、1972年(昭和47年)政府見解に「自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、」と示されている通り、「自衛の措置」であるからといって9条に抵触しないわけでもない。「やむを得ない自衛の措置」というだけで「武力の行使」が可能であるかのように説明しようとしている点が誤りである。「初めて容認をされるものである」との答弁があるが、違憲であり、容認されない。

 「決して他国に対する防衛を目的とした集団的自衛権ではない、我が国に対しての集団的自衛権である、こういう限定をつけた上でこれを決めた」との答弁があるが、誤った前提認識がある。まず、「集団的自衛権」とは国際法上の違法性阻却事由の『権利』の概念であり、この定義や性質を決定するのは国際司法裁判所の管轄事項である。それにもかかわらず、「他国に対する防衛を目的とした集団的自衛権ではない」と勝手に定義づけを行おうとしている点で誤りである。また、「集団的自衛権」の違法性阻却事由を得るためには『他国からの要請』が必要である。この『他国からの要請』を有することで初めて違法性が阻却されるにもかかわらず、この「集団的自衛権」の性質に『他国防衛』の意味が含まれないものが存在するかのように説明することはできない。「我が国に対しての集団的自衛権である、こういう限定をつけた上でこれを決めた」との答弁があるが、「集団的自衛権」とは違法性阻却事由の『権利』の概念であり、これを行使することは実質的に「武力の行使」が行われる状態を意味する。この「武力の行使」が『自国防衛』であるとしても、9条の下では『自国防衛』であるからといって必ずしも「武力の行使」が正当化できるわけでもないのであり、『自国防衛』と「限定をつけた」としても9条に抵触しないことを説明したことにはならない。

 「決して論理的な整合性や法の規範から逸脱するような内容ではないというふうに私は確信を持っております。」との答弁があるが、上記の通り、論者の主張は「存立危機事態」の要件が9条に抵触しないことを説明したことにはならないし、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は論理的に当てはまらないことから、「決して論理的な整合性や法の規範から逸脱するような内容ではない」との説明は誤りである。「論理的な整合性」は保たれておらず、9条の「法の規範から逸脱する」ものである。「私は確信を持っております。」との答弁についても、誤解に基づく確信であるか、意図して不正な解釈を隠すために「確信を持って」いると結論のみを述べているものと考えられ、法論理に依拠した主張とは言えない。

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○中谷国務大臣 やはり、この四十七年の見解を私なりに読んでみますと、この中で、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」という部分は、三十四年の砂川事件の、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」と最高裁で判決された考え方と軌を一にするわけでございまして、この四十七年の一と二の部分を読みますと、まさに憲法の基本的論理が書いてありまして、これをもとに、新三要件、この三要件で条件をつくったということで、まさにこれは基本的論理の結論でございますので、この論理からいたしますと、憲法違反ではないと私は思っております。


【筆者】

 「この四十七年の一と二の部分を読みますと、まさに憲法の基本的論理が書いてありまして、これをもとに、新三要件、この三要件で条件をつくった」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在しており、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「新三要件」の「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。そのため、「これをもとに、」「新三要件」の「存立危機事態」の要件を定めることは論理的に不可能であり、「これをもとに、」「新三要件」の「存立危機事態」の要件を定めることができるかのように論じることは誤りである。

 「これは基本的論理の結論でございますので、この論理からいたしますと、憲法違反ではない」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、「基本的論理の結論」として「存立危機事態」の要件を導き出すことができるかのように説明しようとしているところが誤りである。「この論理からいたしますと、」との答弁があるが、「基本的な論理」の「論理」からは「存立危機事態」の要件は違憲となる。「憲法違反ではない」との部分についても、憲法違反であるため誤りである。

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○中谷国務大臣 私が申し上げましたのは、憲法の解釈が政府の自由裁量で決められるということではなくて、憲法第九条の解釈の基本的な論理を維持し、最高裁判所が示した考え方の範囲内で政府としての解釈をしたということでございます。
 あと、四十七年見解につきまして、この結論部分で「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」となっておりますが、これを導くために考えてきた内容のこれは文章でありまして、すなわち、この一と二で考えた結果、この集団的自衛権は憲法上許されないという結論でありますので、やはりこの一と二というのは、これは基本的に考えた論理であるというふうに思います。


【筆者】

 「憲法第九条の解釈の基本的な論理を維持し、最高裁判所が示した考え方の範囲内で政府としての解釈をした」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件は違憲となるため誤りである。また、最高裁判所が示した砂川判決については、「自衛のための措置」を示しただけであり、「武力の行使」の可否については何も述べていないため、砂川判決の範囲内と説明することはできない。1972年(昭和47年)政府見解は砂川判決の示した「自衛のための措置」を引き継いで、その限界となる規範を示した後に、「武力の行使」の限界となる規範を示してはいるが、砂川判決が「武力の行使」を含めて判断しているかのような意味で「最高裁判所の示した考え方の範囲内」と説明することは誤りである。

 「これを導くために考えてきた内容のこれは文章でありまして、すなわち、この一と二で考えた結果、この集団的自衛権は憲法上許されないという結論でありますので、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」との結論は、「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」ことから来る付随的なものである。憲法規定である9条が、国際法上の概念である「集団的自衛権の行使」を直接的に否定しようとしているわけではないことを押さえる必要がある。また、「集団的自衛権は憲法上許されない」との説明についても、9条は国際法上の「自衛権」という『権利』の概念を直接的に制約する趣旨の規定ではないため、正確ではない。9条は「武力の行使」を制約する規定である。

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○中谷国務大臣 憲法の解釈を最終的に確定する機能を有する国家機関、これは、憲法第八十一条によりましていわゆる違憲立法審査権を与えられている最高裁判所でございます。
 行政府が日々その権限の行使を行うに当たっては、その前提として、憲法を適正に解釈していることは当然必要なことでありますが、このような行政府としての憲法解釈は、最終的には、憲法第六十五条に基づく行政権の帰属主体である内閣が責任を負うものでございます。
 昨年七月の閣議決定を踏まえた今回の平和安全法制は、憲法九条の解釈の基本的な論理を維持しておりましてこれまでの政府の憲法解釈と論理的整合性、法的安定性は保たれているのであって、違憲無効となるものとは考えておりません


【筆者】

 「憲法九条の解釈の基本的な論理を維持しておりまして、これまでの政府の憲法解釈と論理的整合性、法的安定性は保たれているのであって、違憲無効となるものとは考えておりません。」との答弁があるが、「基本的な論理」を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、違憲となる。「存立危機事態」の要件を定めることは「論理的整合性、法的安定性」は損なわれることとなり、「保たれている」とは言えない。「存立危機事態」の要件は、「基本的な論理」に当てはまらず、結果として9条に抵触し、「違憲無効」となる。「違憲無効となるものとは考えておりません。」との考えは論理的過程を誤った認識である。

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○中谷国務大臣 るる説明をいたしておりますとおり、これまでの最高裁判所の判決やこれまでの憲法における基本的論理、これに導かれた結果でございますので、私といたしましては、判決が違憲無効となるものとは考えておりません。


【筆者】

 「最高裁判所の判決」の砂川判決は「武力の行使」の可否については何も述べてないし、「存立危機事態」の要件は、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないため、「これに導かれた結果」とは言えない。

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○中谷国務大臣 これは、憲法九条の解釈の基本的な論理、これを維持し最高裁が示した考えの範囲内で政府として解釈をお示ししたということでございます。
 お答えしているように、私は、基本的論理というのは一、二のところでございます。


【筆者】

 「基本的な論理」と称している部分を維持してるのであれば、「存立危機事態」の要件は違憲となる。「最高裁が示した考え」である砂川判決は「武力の行使」の可否については何も述べていないため、「武力の行使」を実施する措置について砂川判決の範囲内であると説明することはできない。もし何も述べてない部分を「範囲内」であると説明することができるのであれば、砂川判決は「先に攻撃(先制攻撃)」については何も述べていないことから、「先に攻撃(先制攻撃)」を行うことが砂川判決の「範囲内」のものということになり、法解釈として成り立たない。

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○中谷国務大臣 考え方は、基本的論理のところで、規範としての部分、これはしっかり維持をしている。三につきましては、その結果、結論でございますので、この文書自体も、集団的自衛権に関してどうかということで、一、二の理論で、三が答えであるというふうに思います。


【筆者】

 「基本的論理のところで、規範としての部分、これはしっかり維持をしている。」との答弁があるが、そうであるならば、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界を示した規範に抵触して違憲となる。

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○中谷国務大臣 基本的論理は変えておりません
 というのは、集団的自衛権、この結論部分に書いていますけれども、集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利ということでございますが、今回、基本的な論理によりまして、我が国はこれに加えて新三要件を課しております
 これは厳格な歯どめでありまして、この内容も、あくまでも国民を守るための集団的自衛権の行使の範囲であります。他国を守るための集団的自衛権ではないわけでありますので、その三要件をよく私も読みましたけれども、この三要件というのは、あくまでも、今までの三要件の基本的な論理、これに基づくものでございますので、その範囲の中だし、基本的論理は変わっていないということでございます。


【筆者】

 「基本的論理は変えておりません。」との答弁があるが、変えていないのであれば、「存立危機事態」の要件は、ここに当てはまらないため違憲となる。

 「基本的な論理によりまして、我が国はこれに加えて新三要件を課しております。」との答弁があるが、「基本的な論理」から「新三要件」の「存立危機事態」の要件は導き出すことができないため誤りである。

 「これは厳格な歯どめでありまして、」との答弁があるが、9条に抵触する要件は既に違憲であり、論者が「厳格な歯止め」と評価する部分があるとしても、9条に抵触して違憲であること変わらない。

 「国民を守るための集団的自衛権の行使の範囲」との答弁があるが、9条の下では「国民を守る」など『自国防衛』が目的でも、必ずしも「武力の行使」が許容されるわけではないため、9条に抵触しない旨を説明したことにはならない。

 「他国を守るための集団的自衛権ではないわけでありますので、」との答弁があるが、9条の下では『他国防衛』のための「武力の行使」が許容されないことは当然、『自国防衛』であっても必ずしも「武力の行使」が許容されるとは限らない。そのため、9条に抵触しないことを説明したことにはならない。また、「集団的自衛権」の違法性阻却事由を得るためには『他国から要請』が必要であり、この有無によって合法・違法の判定が変わるのであるから、この『他国からの要請』に応じて発動できる「武力の行使」が「他国を守るため」でないと説明することもできない。

 「今までの三要件の基本的な論理、これに基づくものでございますので、その範囲の中だし、基本的論理は変わっていない」との答弁があるが、「今までの三要件」とは旧三要件であるが、新三要件はこの旧三要件を超えるため、「ここれに基づくものでございます」との説明は誤りである。また、「基本的な論理」に基づくのであれば、「存立危機事態」の要件は違憲となる。「その範囲の中」とは言えない。逆に、「存立危機事態」の要件を定めるのであれば、「基本的論理は変わっていない」との答弁とは整合性がとれないこととなる。

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○中谷国務大臣 今までも政府はそう考えてまいりましたし……(寺田(学)委員「今までって」と呼ぶ)その基本的論理をもって……(寺田(学)委員「今からでしょう」と呼ぶ)その基本的論理をもって今後も考えていくということでございます。

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○中谷国務大臣 基本的論理を維持してまいっております


【筆者】

 「基本的な論理」を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、違憲となる。

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○中谷国務大臣 四十七年基本的な論理は引き続き維持をしてまいります


【筆者】

 「基本的な論理」を維持しているのであれは、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、違憲となる。

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○中谷国務大臣 基本的な論理昭和四十七年の見解でありまして、これは引き続き堅持をしてまいるということでございます。


【筆者】

 「基本的な論理」を堅持しているのであれば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまることはなく、違憲となる。

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○中谷国務大臣 これまでの憲法の基本的論理、これは変えておりませんから変わらないということでございます。(発言する者あり)


【筆者】

 「基本的な論理」を変えていないのであれば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、違憲となる。

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○中谷国務大臣 この見解は自衛隊が発足してその後すぐできたと思いますが、昭和四十七年以降もこれは引き継がれております。
 その中におきまして、当時、武力行使の三要件というのがありまして、その第一要件、第二要件、これからできたわけでありますが、この基本的論理というのは、規範としての論理の部分は一切変わっていない新しい三要件もこの規範の部分は変わっていないということで、引き継がれておりますし、変わらないということでございます。


【筆者】

 「基本的論理というのは、規範としての論理の部分は一切変わっていない」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分の規範には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られているため、「これが一切変わっていない」ことにより、新三要件の「存立危機事態」の要件は違憲となる。

 「新しい三要件もこの規範の部分は変わっていない」との答弁があるが、新三要件の「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」については、「基本的な論理」と称している部分に当てはまらない。そのため、「この規範の部分は変わっていない」と説明することは誤りである。

 「引き継がれておりますし、変わらない」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分が変わらないのであれば、「存立危機事態」は「基本的な論理」と称している部分によって違憲となる。

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○中谷国務大臣 これは憲法調査会等でも議論をいたしておりますが、特に自民党の国防部会の中では、これは普通の集団的自衛権も認められるんだという方もいれば、全く認められない方もおりまして、相当激しい議論をしました。これは五年ぐらいしました。
 そこで、公約をする際に、そういう集団的自衛権に対する考え方もまとめ、そして、今から一年前、公明党と、与党で相当真剣に議論をいたしました。そこで改めてこの昭和四十七年の見解を見てみますと、その基本的論理の範囲の中で、自分の国に関する自衛のためになし得ることは可能であるという見解が出たわけでございます。


【筆者】

 「普通の集団的自衛権」との答弁があるが、国際法上「集団的自衛権」に該当すればそれは「集団的自衛権」でしかなく、「普通」とそうでないものがあるかのように論じることは誤りである。

 「昭和四十七年の見解を見てみますと、その基本的論理の範囲の中で、自分の国に関する自衛のためになし得ることは可能であるという見解が出た」との答弁があるが、「基本的論理の範囲内」であるならば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらないため違憲となる。ここで論者は新三要件の「存立危機事態」による「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を正当化しようとしていると思われるが、違憲となるため可能とはならない。「見解が出た」との部分についても、誤った見解である。

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○中谷国務大臣 それは、第一ブロックと第二ブロックが憲法の基本的論理ということで、この一ブロックと二ブロックをもって考えた結論ということでございます。

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○中谷国務大臣 それは、憲法の基本的論理が維持されていると認識をしているからでございます。


【筆者】

 「基本的論理が維持されていると認識をしている」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分が維持されているのであれば、ここに「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、「存立危機事態」での「武力の行使」は「基本的な論理」と称している部分によって違憲となる。「存立危機事態」の要件を定めたにもかかわらず、「基本的論理が維持されていると認識をしている」のであれば、論理的に不可能であるため、誤った認識である。

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○中谷国務大臣 それは、第二段落で、集団的自衛権、これは自衛の措置の限界を超えているということを言った上で、その理由として、第三段落があって、この第三段落の中で、これはよく読んでみると、第一ブロックと第二ブロックがそれの基本的論理をもって考察をして、三のブロックで結論を出しているからということでございます。
 それから、もう一つつけ加えさせていただきますが、ここで言われている集団的自衛権、考察の集団的自衛権というのはフルスペックで、いわゆる国際的な集団的自衛権でございますが、私たちが今回基本的論理で導き出したというのはこういったフルスペックの集団的自衛権ではなくて、やはり新三要件、これを加えて、あくまでも厳格な歯どめをかけてあくまでも国民を守るための集団的自衛権と呼ぶべき自衛の措置という限定をつけた
 この三ブロックで言う集団的自衛権、これはフルスペックの集団的自衛権ですけれども、私たちが導き出したのは、一ブロックと二ブロックの考察の上において、他国を守るための集団的自衛権ではない、いわゆる我が国を防衛するという目的であるという限りでございます。


【筆者】

 「集団的自衛権、考察の集団的自衛権というのはフルスペックで、いわゆる国際的な集団的自衛権でございますが」との答弁があるが、認識に誤りがある。まず、「集団的自衛権」とは国際法上の違法性阻却事由の『権利』の概念であり、「フルスペック」とそうでないものなどという区分は存在しない。「集団的自衛権」に該当すれば「集団的自衛権」でしかないのであり、「いわるゆ国際的な集団的自衛権」が「フルスペック」であり、そうでない「集団的自衛権」も別に存在するかのように考えている部分が誤りである。

 「私たちが今回基本的論理で導き出したというのはこういったフルスペックの集団的自衛権ではなくて、」との答弁があるが、「基本的論理」と称しているのは1972年(昭和47年)政府見解の一部であるが、これは憲法解釈であるから、日本国の統治権の『権限』の範囲を明らかにした見解である。しかし、日本国の統治権の『権限』の中には、国際法上の概念である「集団的自衛権」という名前の『権限』は存在しない。「集団的自衛権」とはもともと「武力不行使原則」に対する違法性阻却事由の『権利』の概念だからである。そのため、「基本的論理で導き出した」などと、憲法解釈から「集団的自衛権」という概念が導き出されるかのように説明している部分が誤りである。

 「新三要件、これを加えて、あくまでも厳格な歯どめをかけて、あくまでも国民を守るための集団的自衛権と呼ぶべき自衛の措置という限定をつけた。」との答弁があるが、誤りである。まず、「国民を守るための集団的自衛権と呼ぶべき自衛の措置」という文言であるが、「集団的自衛権」とは国際法上の『権利』の概念であり、「自衛の措置」という日本国の統治権の『権限』による措置とは性質が異なる。国際法上の『権利』と憲法によって導かれる『権限』を混ぜ合わせた文面であり、正確には意味が通じていない。次に、国際法上「集団的自衛権」に該当させるためには『他国からの要請』が必要であり、これを得なければ違法性が阻却されないため、「武力の行使」を適法に行うことができない。そのため、『他国からの要請』がなければ行使できない「武力の行使」の中に『他国防衛』の意図は必ず含まれることとなる。論者は「あくまでも国民を守るための集団的自衛権」と呼ぼうとしているが、「国民を守る」という『自国防衛』の意図・目的を含む場合があるとしても、『他国防衛』の意図が含まれていないかのように論じているのであれば、誤った認識である。また、この「集団的自衛権の行使」として「武力の行使」を実施すれば、『他国防衛』の意図・目的を含む「武力の行使」となるため、9条に抵触して違憲となる。「新三要件、これを加えて、あくまでも厳格な歯どめをかけて、」や「限定をつけた。」との部分についても、「新三要件」の「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないことから既に違憲であり、論者が「厳格な歯止め」と評価している部分があったにせよ、9条への抵触を免れられるわけではない。違憲な要件に「厳格な歯止めをかけて、」「限定を付けた。」としても、違憲である事実は変わらないのである。

 「フルスペックの集団的自衛権ですけれども、」との答弁があるが、国際法上「集団的自衛権」に該当すれば「集団的自衛権」でしかなく、「フルスペック」とそうでないものが存在するかのような認識が誤りである。

 「他国を守るための集団的自衛権ではない、いわゆる我が国を防衛するという目的であるという限り」との答弁があるが、「集団的自衛権」に該当するためには『他国からの要請』が必要であり、このことから必然的に『他国防衛』の意図・目的を有する概念でしかないものである。それにもかかわらず「他国を守るための集団的自衛権ではない」と答弁することは、虚偽である。また、「集団的自衛権」の区分を利用するにもかかわらず、「他国を守るため」の意図がない「武力の行使」を行えば、それは国際法上「先制攻撃」となると考えられる。さらに、9条の下では「他国を守るため」の「武力の行使」が許されないことは当然、「我が国を防衛するという目的である」「武力の行使」であっても必ずしも許されるわけではない。1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)によれば、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす中での「武力の行使」しか許容していないのである。それにもかかわらず、「他国を守るため」ではないとし、「我が国を防衛するという目的であるという限り」の「武力の行使」であれば9条に抵触しないのように説明しようとしている部分が誤りである。

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○中谷国務大臣 この三ブロックの冒頭に「そうだとすれば、」と書かれております。これは明らかに、一と二でいろいろと考えてみたけれども、そうだとすればこうですよという結論部分の総括のまとめでありますので、一番大事なのは一と二の基本的論理、これが一番大事な、憲法の一番大切な部分ではないかと思っております。


【筆者】

 「そうだとすれば、」は、「自衛の措置」の限界を示した規範部分に「武力の行使」を当てはめる際の繋ぎの言葉である。

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○中谷国務大臣 何度も説明しておりますが、これ以上だと法制局長官にお尋ねいただきたいんですが、いわゆる基本的論理というものがありまして、一と二の部分が基本的論理でありまして、それについて、三の部分が帰結ということで、結論ということにこの文章はなっております。
 したがって、一と二、これが憲法でいう基本的論理の部分で、三はそうじゃないということでございます。

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○中谷国務大臣 今、一般論と言われましたが、憲法九条でございます、一般論といえば。
 この文章というのは、あくまで集団的自衛権が憲法上どう解釈をされたかということに対する考察でありまして、まさに集団的自衛権、このとき、基本的論理で考えた上においては、これは保持できないという結論になっていますけれども、我々は、現時点の社会情勢で考えて、やはり、考察をした結果、三つの条件、我が国が、まさに存立にかかわるとか、国民の権利を根底からなくすとか、ほかに手段がないとか、必要最小限とか、そういうところで導き出した結論であります


【筆者】

 「まさに集団的自衛権、このとき、基本的論理で考えた上においては、これは保持できないという結論になっていますけれども、」との答弁があるが、日本国も主権国家である以上、国際法上「集団的自衛権」の適用を受ける地位を有しており、「集団的自衛権」という『権利』そのものは有している。「保持できない」との答弁は誤りであるし、1972年(昭和47年)政府見解もそのようには結論付けていない。
 「我々は、現時点の社会情勢で考えて、やはり、考察をした結果、三つの条件、我が国が、まさに存立にかかわるとか、国民の権利を根底からなくすとか、ほかに手段がないとか、必要最小限とか、そういうところで導き出した結論であります。 」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界の規範が記載されており、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」が発生した場合に限られている。そのため、この「自衛の措置」の中に「武力の行使」を当てはめるとしても、「我が国に対する武力攻撃」を満たすことが必要となる。論者は「現時点の社会情勢で考えて、」「存立危機事態」の要件を導き出すことができるように説明しようとしているが、「我が国に対する武力攻撃」を満たさない要件は「基本的な論理」と称している部分から導き出すことはできないため誤りである。これは、文面上の論理展開であるから、「現時点の社会情勢」であっても、過去も将来も結論は変わらないものである。「導き出した結論であります。」と、導き出すことかができるように考えている部分が誤りである。

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○中谷国務大臣 憲法一般に関しましては、法制局長官が来られておりますのでお聞きください。
 ただ、私がこれをもとに申し上げているのは、実際、昭和四十七年に、集団的自衛権に対して憲法上どうかということで、このような基本的論理で結論を導き出しておる事実がありますので、それは昭和四十七年にそのように考えたということで、今回も同じような手続で実施をしたということでございます。

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○中谷国務大臣 あくまでも、私の所掌範囲におきまして、この法案を作成して、提出をしております。
 そこで、憲法九条、これにおいてこの集団的自衛権をどう考えるかということで、前例として、事実として、この昭和四十七年の政府見解というものがございます。ここで、基本的論理に基づいて結論を導き出しておりますので、そのような同じやり方をもちまして、この基本的論理で考えて結論を出したということでございます。これは、あくまでも憲法九条に関しての私の範囲におけるやり方でございます。(発言する者あり)


【筆者】

 「基本的論理に基づいて結論を導き出しております」との答弁があるが、誤りである。「集団的自衛権の行使」を行う「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言に当てはまらない。そのため、「基本的論理にもづいて」「存立危機事態」を「結論」として導き出すことはできず、「導き出しております」との部分は誤りである。

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○中谷国務大臣 今回は、まず、基本的論理を当てはめて、それを、結果を出したわけでございます。これは累次申し上げているとおりでございます。私としては、基本的論理維持されているということで、違憲ではないと言っております。
 ほかの防衛省の法案とかいうことについてのお問い合わせでございますが、突然の御質問でございます。非常にこれは、まして、他の政府の法律についてもかかわるわけでございますので、法制局長官に聞いていただきたいと思います。
 今回は、この法律を出すために考えたわけでございます。このように結論を出したわけでございます。(発言する者あり)まだ、その必要性は今のところないわけでございます。そういった法案を作成したりする必要性は今のところございません。


【筆者】

 「基本的論理が維持されているということで、違憲ではない」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られており、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の意味は含まれないため、「基本的論理が維持されている」のであれば「存立危機事態」は違憲となる。「違憲ではない」との認識は誤りとなる。逆に「存立危機事態」の要件を定めるのであれば「維持されている」との部分が誤りとなる。ただ、これについても新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、「他国に対する武力攻撃」を「排除」するための「武力の行使」であり、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の文言を使用しなくても違憲となる。結局「違憲ではない」との認識は誤りとなる。

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○中谷国務大臣 これは、昭和四十七年にこのような考え方で結論を導き出しました。

 今回も、四十年近く経過をいたしまして、同じように考えたわけでございますが、特に、第一ブロックの言わんとする九条の考え方、特に前文と憲法十三条、これをもって、憲法が言う、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするには、必要な自衛の措置をとることを禁じられているとは到底解されない、この文章は、ほとんどこれは砂川判決の文章でございます。
 これは非常に論理的なんです。ここで自衛権というものを認めて、しかしながらと言って、これは、憲法の平和主義ですね、何でもかんでもやっていいのじゃないんだと。やはり、しっかりと、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるというそういった事態に限って、やむを得ない、必要最小限、ほかに手段がない、そういうものを当てはめて、必要最小限度の範囲ということで、これは最高裁の判例も含んだ非常に正当性のある考え方であって、それに基づいて昭和四十七年に結論を出したということでありますので、今回もこういった基本的な論理に当てはめをして考えたということでございます。


【筆者】

 ここで用いられている「必要最小限」と「必要最小限度」の意味を特定する必要がある。恐らく「度」の有る無しによって意味は異なるものと扱っていないと思われる。従来より政府が「必要最小限度」の文言を用いる場合、①三要件(旧)を意味する「自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するため必要最小限度)」の意味、②三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にどどまるべきこと」の意味がある。


━━━━━【自衛のための必要最小限度】━━━━━
「武力の行使」の旧三要件
〇 我が国に対する急迫不正の侵害があること      ← 第一要件
〇 これを排除するために他の適当な手段がないこと   ← 第二要件
〇 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと     ← 第三要件
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 いずれにせよ、第一要件に「我が国に対する急迫不正の侵害があること」の要件が存在していることから、これを満たさない「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を実施することはできないし、これを満たさない「存立危機事態」の要件はこの範囲を逸脱している。

 「今回もこういった基本的な論理に当てはめをして考えた」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、「当てはめをして考えた」と当てはめることができるかのように説明している部分が誤りである。

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○中谷国務大臣 基本的論理は変わっておりませんが、この当時から四十年近くたっております。非常に科学技術も進展をし、周辺国のパワーバランスも変化をし、実際にいろいろな形の脅威が訪れておりまして、もはや世界じゅうで起こっていることが、我が国の安全保障に全く関係ない、そういうふうな時代でもありませんし、一国だけで国を守っていける、そういうふうな状況でもない。
 そういった、日本を取り巻く環境、時代、こういうものは変化をしてきておりまして、それで、憲法に、再び、国を守るための必要最小限度、これは一体どこまで読めるのかなということで、昭和四十七年に考えられた基本的な論理、これを当てはめたわけでございます。


【筆者】

 「国を守るための必要最小限度、これは一体どこまで読めるのかなということで、昭和四十七年に考えられた基本的な論理、これを当てはめた」との答弁があるが、認識に誤りがある。まず、従来より政府が「必要最小限度」の文言を用いていた場合は、①三要件(旧)を意味する「自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するための必要最小限度)」の意味と、②三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にどどまるべきこと」の意味がある。論者が「国を守るための必要最小限度」と表現している部分は、「我が国を防衛するため必要最小限度」に対応すると思われるが、これには三要件(旧)の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」の要件が存在することから、これを満たさない「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が認められるとする余地はない。論者は、「これは一体どこまで読めるのかなということ」となどと、9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」という基準であるかのように誤解している可能性があるが、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由と理由として政府が自国都合による「武力の行使」に踏み切ることを制約するための規範であり、政府が「必要最小限度」と考えれば「武力の行使」が可能となるかのような基準とすれば、9条が政府の行為を制約しようとした趣旨を満たさないため法解釈として成り立たない。「昭和四十七年に考えられた基本的な論理、これを当てはめた」についても、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られており、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに含まれないため、当てはめることはできない。「これを当てはめた」と当てはめることができるかのように説明している部分が誤りである。

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○中谷国務大臣 それは昭和四十七年の政府見解で明らかにしたところでございますが、それから四十数年たちまして、我が国の安全保障の変化がございました。

 改めて、四十七年の政府見解における基本的な論理、これは、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されず、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対応するためにやむを得ない措置として必要最小限度の武力の行使は容認される、この政府見解基本的な論理から考えまして、引き続き維持をさせた結果、現時点におきまして、昨年七月一日に閣議決定された武力行使の三要件、これに限って我が国の自衛の措置が容認されたということでございます。


【筆者】

 「必要最小限度の武力の行使は容認される」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界となる規範を示したにとどまり、未だ「武力の行使」については述べていないため、「武力の行使は容認される」との認識は誤りである。この点は2014年7月1日閣議決定の文面を読み上げていると思われるが、その2014年7月1日閣議決定の文面それ自体が1972年(昭和47年)政府見解の文面を正しく抜き出したものとはなっていないことから注意が必要である。また、ここで使われている「必要最小限度」の意味についても、1972年(昭和47年)政府見解の文言から来たものであり、「武力の行使」の三要件で言えば第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様に対応する意味の「必要最小限度」である。9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」という基準によって決せられているかのような誤解を生みやすい表現となっているため注意が必要である。

 「引き続き維持をさせた結果」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらないため違憲となる。

 「七月一日に閣議決定された武力行使の三要件、これに限って我が国の自衛の措置が容認された」との答弁があるが、2014年7月1日閣議決定の新三要件の「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないため違憲となり、憲法上容認されない。そのため、「これに限って我が国の自衛の措置が容認された」というように、あたかも容認できるかのように説明することはできず、誤りである。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 それは憲法の基本的論理と三要件を考えるわけでございますが、最終的にはやはり、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、そして国民がこうむることとなる犠牲の深刻性、重大性などから客観的、合理的に判断するわけでございまして、先ほど申し上げましたけれども、何もしなければ我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況になったということでございます。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第8号 平成27年6月10日



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○国務大臣(中谷元君) 新三要件というのは、安全保障環境の変化を踏まえて、これまでの政府見解の基本的な論理から導き出したものでありまして、砂川事件の判決を根拠としたものではございません。
 歴代の政権は、そのときの安全保障環境の下で、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処する場合とは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られ、集団的自衛権の行使一般は認められないとしてまいりました。
 新三要件においては、集団的自衛権の行使を一部限定容認しましたが、集団的自衛権行使一般を認めるものではございません。したがって、歴代内閣の答弁が間違いであったという御指摘は当たらないと考えております。


【筆者】

 「これまでの政府見解の基本的な論理から導き出したもの」との答弁があるが、「新三要件」の「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから当てはめることができず、「基本的な論理」から導き出すことはできない。「導き出したもの」と三びき出すことができるかのように説明している部分が誤りである。

 「集団的自衛権の行使一般は認められない」や「集団的自衛権の行使を一部限定容認しましたが、集団的自衛権行使一般を認めるものではございません。」との答弁があるが、国際法上「集団的自衛権」に該当すれば「集団的自衛権」でしかなく、「一般」と「限定」が存在するかのように論じている部分が誤りである。また、9条の下では「限定」と称すれば「武力の行使」が許容されるというわけでもないのであるから、その「武力の行使」が9条に抵触しないことを説明したことにもならない。

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第189回国会 外交防衛委員会 第21号 平成27年6月11日



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○中谷国務大臣 国民の命と平和な暮らしを守り抜くことは、政府の最も重要な責務でございます。そのために、憲法の範囲内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な安全保障政策を具体化するのは、我々内閣と国会の責任でございまして、この点は高村委員の述べたとおりだと私は認識をいたしております。
 平和安全法制につきましてはさまざまな御意見があるということは承知をいたしておりますが、政府の立場といたしましては、これまでも繰り返し述べているとおり、すなわち、この新三要件、これは昭和四十七年の政府見解基本的な論理枠内でありまして、従前の憲法解釈と、論理的整合性、これは十分保たれております
 政府といたしましては、さまざまな御意見に耳を傾けつつ、多くの国民の皆様、そして与党のみならず野党の皆様の御意見また御質問をいただきまして、法案の趣旨を御理解いただきますよう、幅広い支持が得られますよう、引き続きわかりやすく丁寧な説明に努めてまいりたいと思っております。


【筆者】

 「新三要件、これは昭和四十七年の政府見解の基本的な論理の枠内でありまして」との答弁があるが、「新三要件」の「存立危機事態」の要件は「昭和四十七年の政府見解の基本的な論理」の中に当てはまらない。そのため、「枠内」とは言えず、誤りである。

 「従前の憲法解釈と、論理的整合性、これは十分保たれております。」との答弁があるが、「従前の憲法解釈」である1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在しており、これは「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」ことを説明する中で用いられた文言であることから、「集団的自衛権の行使」が可能となる「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれることはなく、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られている。そのため、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が含まれる余地はない。このことから、「従前の憲法解釈」である1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件が当てはまるかのように説明している部分は、「論理的整合性」が保たれていない。「論理的整合性、これは十分保たれております。」との説明は、結論のみを述べて正当化できるかのように考えて主張しようとしているものであり、論理的な過程が事実に基づいてない誤った主張である。

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○中谷国務大臣 一票の格差の判決への対応につきましては、これは国会の場で御議論いただくものと認識しておりまして、政府の立場からコメントは差し控えたいと思います。
 本件につきまして、砂川判決を引き合いに出しているがというお話がございましたが、政府としましては、この平和安全法制、昭和四十七年の政府見解における憲法九条の解釈の基本的な論理枠内で、憲法解釈としては論理的整合性、法的安定性が確保されており違憲との御指摘は全く当たらないと考えております。
 また、合憲か違憲かを最終的に判断するのは、憲法で違憲立法審査権を与えられた、法の番人でございます最高裁判所であります。この最高裁判所は、砂川判決において、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」と考え方を示しておりますが、これは、昭和四十七年の政府見解と軌を一にするものでございまして、その点におきまして、違憲との御指摘は全く当たらないと考えているわけでございます。
 いずれにしましても、御質問がございますけれども、さまざまな御意見に耳を傾けつつ、こちらも丁寧に説明をいたしまして、議論を重ねることによりまして御理解をいただいて、また、必要に応じて丁寧な説明を心がけてまいりたいと思っております。


【筆者】

 「昭和四十七年の政府見解における憲法九条の解釈の基本的な論理の枠内で、憲法解釈としては論理的整合性、法的安定性が確保されており、違憲との御指摘は全く当たらないと考えております。」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることからここに当てはまらず、「基本的な論理の枠内」と説明することはできない。また、論理的に当てはまらないのであるから、「論理的整合性」は損なわれており、これにより「法的安定性」も確保されているとは言えない。「違憲とのご指摘は全く当たらない」との答弁についても、「基本的な論理」に当てはまらないということは、9条に抵触するということであり、違憲となる。「違憲とのご指摘」は当たることとなる。

 「これは、昭和四十七年の政府見解と軌を一にするものでございまして、その点におきまして、違憲との御指摘は全く当たらないと考えている」との答弁があるが、砂川判決の「自衛のための措置」と1972年(昭和47年)政府見解が用いている「自衛のための措置(自衛の措置)」の意味が「軌を一にする」としても、1972年(昭和47年)政府見解は「自衛の措置」の限界を示しており、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらない。これにより、「存立危機事態」での「武力の行使」は前提となっている「基本的な論理」の枠から逸脱しており、9条に抵触して違憲となる。「違憲とのご指摘は全く当たらない」との答弁があるが、ご指摘は当たることとなる。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第9号 平成27年6月12日



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○中谷国務大臣 直接言及しておりませんが、昭和四十七年の話になりますけれども、そこの基本的論理、これと軌を一にしたものでございます。

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○中谷国務大臣 砂川事件の判決は、先ほども申しましたけれども、個別的自衛権と集団的自衛権との区別をつけずに、我が国が主権国家として持つ固有の自衛権を有することに言及いたしております。
 その上で、この判決は、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることを述べておりまして、これは、これまで政府見解の基本的な論理において「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」としていることと軌を一にしております。


【筆者】

 砂川判決について「個別的自衛権と集団的自衛権との区別をつけずに、我が国が主権国家として持つ固有の自衛権を有することに言及いたしております。」との答弁があるが、「自衛権」という言葉が用いられた場合、それは個別的自衛権と集団的自衛権の両者を包括する概念として用いられる場合もあれば、専ら個別的自衛権のみを指して用いられる場合もある。


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 「自衛権」については、その用いられる文脈により、個別的自衛権と集団的自衛権の両者を包括する概念として用いられる場合もあれば、専ら個別的自衛権のみを指して用いられる場合もあると承知している。
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衆議院議員伊藤英成君提出内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問に対する答弁書 平成十五年七月十五日


 そのため、ここで「区別をつけずに」などと、殊更に「集団的自衛権」の概念が含まれることを示唆しようとしているものと思われるが、「個別的自衛権」のみを意味する可能性も否定できないため、「集団的自衛権の行使」を可能とする正当化根拠にはならないものである。

 「この判決は、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることを述べておりまして、」との答弁があるが、砂川判決が示した「自衛のための措置」とは「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」とだけである。日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないことを押さえる必要がある。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 その根拠というのは昭和四十七年の見解基本的論理でありまして、この中に「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」。これは砂川判決の中の同じ文章です、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権利として当然のことと言わなければならない。まさに同じ内容の文章がこの四十七年に書かれているわけでありまして、私たちは軌を一にするものだと考えております。(寺田(学)委員「イエス・オア・ノー。イエス・オア・ノーです」と呼び、その他発言する者あり)


【筆者】

 砂川判決について、「国家固有の権利として当然のことと言わなければならない。」と記載されているかのように説明しているが、砂川判決は「国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」と述べており、『権利』と『権能』を誤っている。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 砂川判決につきまして、今回の新三要件は砂川判決そのものを根拠としたものではありませんが、その後、国会でいろいろな議論がありましてこの昭和四十七年の政府見解がつくられたわけであります。その基本的論理の中にこの砂川判決の部分を記述されまして、その論理の中から導き出したものでございます。


【筆者】

 「今回の新三要件は砂川判決そのものを根拠としたものではありませんが、」との答弁があるが、砂川判決は「自衛のための措置」については触れているが、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」が可能であるかについては何も述べていない。そのため、「武力の行使」について砂川判決を根拠として合憲のものが存在することを説明できるかのように主張することはできない。それは、「今回の新三要件」であっても、旧三要件であっても同じである。それにもかかわらず、論者は別の答弁で「新三要件」に基づく「武力の行使」が砂川判決の範囲内であるかのように説明している部分があるが、誤りである。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 先ほど答弁しましたが、新三要件は砂川判決そのものを根拠としたものではありません。あくまでもこれまでの政府見解の基本的論理から導き出したものでありまして、その上で申し上げますと、砂川事件の判決は、憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する、違憲立法審査権を与えられた憲法の番人である最高裁判所大法廷が判断をしたものでございます。
 そこで、この判決が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることを述べておりまして、これは、これまでの政府見解の基本的な論理において「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」ということと軌を一にしておりまして、砂川判決に言及をしているのは、このようなことを説明したものでございます。


【筆者】

 「新三要件は砂川判決そのものを根拠としたものではありません」の部分についてはそうであるが、「これまでの政府見解の基本的論理から導き出したもの」との答弁については、「基本的な論理」と称している部分に「新三要件」の「存立危機事態」の要件は当てはまらないため導き出すことはできず、「導き出したもの」と説明することは誤りである。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 この最高裁の判決で何が言われたかというと、憲法九条の自衛権との関係についての考え方を示した唯一の最高裁の判決であります。そして、憲法前文が確認する国民の平和的生存権も根拠として、憲法九条の規定によって我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなくて、我が国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能として当然であるというものが最高裁から示されましたので、その基本的論理の中にそのことを記述したということでございます。(発言する者あり)


【筆者】

 「憲法九条の自衛権との関係」との答弁について、「自衛権」とは国際法上の『権利』の概念であり、9条が日本国の統治権の『権限』を制約していることと直接的には関係がないことを押さえる必要がある。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 もう一度申し上げます。
 新三要件は、砂川判決そのものを根拠としたものではなくて、あくまでもこれまでの政府見解の基本的論理から導き出したものでございますが、そのものとこの砂川判決というのは軌を一にしたものでございます。


【筆者】

 「新三要件は、砂川判決そのものを根拠としたものではなくて、」との部分は、砂川判決のが日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないことからその通りである。ただ、「新三要件」の「存立危機事態」の要件については、「これまでの政府見解の基本的論理」の中に当てはまらないため、「基本的な論理」と称している部分から導き出すことができるかのように説明することはできない。「導き出したもの」との答弁は誤りである。

 「そのものとこの砂川判決というのは軌を一にしたものでございます。」との答弁があるが、砂川判決と1972年(昭和47年)政府見解の「軌を一に」している部分とは、「自衛のための措置(自衛の措置)」であることだけである。「新三要件」が砂川判決と「軌を一にしたもの」であるかのように説明することは誤りである。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 根拠、これはあくまでも昭和四十七年の政府見解基本的論理でございます。(寺田(学)委員「砂川判決ではないのなら」と呼ぶ)
 砂川判決を直接の根拠としているわけではございませんが、砂川判決はこの基本的な論理と軌を一にするものでございます。


【筆者】

 「武力の行使」を伴う措置について、砂川判決を直接の根拠とすることができないことはその通りである。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 二の部分は絞り込みの部分で、限界のことを言っています。
 ここでは三つの限界を言っておりまして、しかしながら、だからといって、平和主義、これを基本とする憲法が、右に言う自衛のための措置を無限定に認めているとは解されないということで、それは、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対し、これらの権利を守るためにやむを得ない措置として初めて容認をされるものであるから、必要最小限の範囲にとどまるべきものであると、三つの限界を定めております。
 これは、一によって示された砂川判決の基本的論理と軌を一にするものに対して、憲法上の三つの限界を示したものでございます。


【筆者】

 ここで用いられている「必要最小限度」の意味は、「武力の行使」の三要件で言えば「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様に対応する意味である。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 これは、憲法九条の解釈といたしまして、従来から政府が一貫して表明してきた昭和四十七年の政府見解基本的論理、これに沿ったものでございまして、憲法違反ということではございません。(寺田(学)委員「意図的かあれじゃないかと聞いているんです」と呼ぶ)論理的整合性を持ったものでございます。


【筆者】

 「昭和四十七年の政府見解の基本的論理、これに沿ったもの」との答弁があるが、「沿ったもの」であるならば、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に当てはまらず、結果として9条に抵触して違憲となる。

 「憲法違反ということではございません。」との答弁があるが、9条に抵触して憲法違反であるため、誤りである。

 「論理的整合性を持ったものでございます。」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られており、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに当てはまらないため、当てはまるかのように主張している部分には「論理的整合性」がない。「論理的整合性を持ったもの」との説明は誤りである。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 国際法上各国に認められていると同様の集団的自衛権の行使を認めるなどの、憲法九条の解釈に関する従来の政府見解基本的な論理を超えて武力行使が認められるような解釈を現行下で採用することは困難でありまして、そういうときは憲法改正が必要でございますが、今回は、現行の憲法の中で論理的に考えまして、その範囲内で考えたということでございます。


【筆者】

 「国際法上各国に認められていると同様の集団的自衛権の行使を認めるなどの、」の答弁があるが、国際法上日本国も「集団的自衛権の行使」は各国と同様に認められている。「集団的自衛権の行使」として「武力の行使」を実施することができるか否かについては、憲法上の制約によって行使できないだけである。

 「憲法九条の解釈に関する従来の政府見解の基本的な論理を超えて武力行使が認められるような解釈を現行下で採用することは困難でありまして、そういうときは憲法改正が必要でございますが、今回は、現行の憲法の中で論理的に考えまして、その範囲内で考えたということでございます。」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に論理的に当てはまらないため、既に違憲であり、憲法改正が必要な事項である。「論理的に考えまして、その範囲内で考えた」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られており、「論理的に考え」るとこれを満たさない「存立危機事態」の要件はここに当てはまらない。「その範囲」を超えるものであるため、「その範囲内で考えた」との認識は誤りである。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 四十七年見解によりまして、以前の三要件というものを書いておりました。それは、我が国に対する武力攻撃が発生しとしかなかったわけでございます。
 その基本的論理維持いたしまして、今回、我が国を取り巻く安全保障環境が変化したということで、今後他国に対して発生する武力攻撃であってもその目的、規模、態様によっては我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得るということがございますので、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、しかもそこに条件をつけて限定したということで、第一要件に新しく加えたからこのような記述をしたわけでございます。


【筆者】

 「その基本的論理を維持いたしまして、」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「維持」しているのであれば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず違憲となる。

 「そこに条件をつけて限定した」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に当てはまらない時点で、9条に抵触して違憲であり、「条件」をつけたり「限定」行っても、違憲であることには変わりない。「条件」や「限定」が存在すればあたかも9条に抵触しないと説明できるかのように主張している部分が誤りである。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○中谷国務大臣 思いません。
 これは一般原則を書いているわけでございまして、どのような場合に我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生したときに適用されるのか、その限界を書いているわけでございます。
 わざわざ分けたというのは、これまでの三要件には、我が国に対する武力攻撃が発生しということしかなかったわけでございます。しかしながら、今後他国に対して発生する武力攻撃であってもその目的、規模、態様によっては我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得るということでございまして、基本的論理から導き出したことを記述したわけでございます。


【筆者】

 「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」と「存立危機事態」の要件を「わざわざ分けた」ということは、「存立危機事態」は「我が国に対する武力攻撃」を満たさない場合であることを意味する。そうでなければ、新たな要件を定める意味がないからである。しかし、論者は「基本的論理から導き出した」と主張しているが、「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、9条に抵触して違憲となり、導き出すことはできない。「導き出した」との説明は誤りである。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第10号 平成27年6月15日



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○国務大臣(中谷元君) まず、昨年七月に閣議決定を踏まえた以降、平和安全法制を提示をしておりますが、これは憲法第九条の解釈の基本的な論理、これを維持しておりまして、これまでの政府の憲法解釈との論理的整合性及び法的安定性は保たれているのでありまして、違憲無効となるものとは考えていません
 その上であえて申し上げますが、仮に万が一、最高裁の判断により集団的自衛権の限定容認に関する部分が違憲無効とされるとすれば、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合における我が国の対応が不十分なものになるおそれがあります。そのような場合であっても、政府としては、その時点におけるできる限りの対応を取るということに尽きますが、法の不備により切れ目ない対応を行うことができなくなるとの懸念があり、国民の命と平和な暮らしを守り抜くという政府としての最も重要な責務が果たせないことにもなりかねないと考えます。
 このような事態を避けるためにも、今般の平和安全法制の成立をお願いしているところでございます。


【筆者】

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第189回国会 外交防衛委員会 第22号 平成27年6月16日



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○中谷国務大臣 まず、昭和四十七年の政府見解は憲法の解釈の基本的論理を示したものでありまして、この基本的論理維持をしている、そして憲法の範囲内であるということで、この四十七年の政府見解のいわゆる一の部分、こういった「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」、これは砂川判決で示された判決の部分でありまして、そういう意味では軌を一にしている、また範囲の中であるということでございます。

【動画】衆議院平和安全特別委員会 2015 06 19


【筆者】

 「この基本的論理は維持をしている、そして憲法の範囲内である」との答弁であるが、「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず違憲である。また、「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないことは、9条に抵触することを意味し、憲法違反である。「憲法の範囲内である」との答弁は誤りである。

 砂川判決を持ち出して「範囲の中である」と答弁しているが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないから、何も述べていないにもかかわらず「武力の行使」の措置が砂川判決の範囲内であると説明することはできず、誤りである。もし何も述べていないことを根拠に「範囲の中である」と述べることができるのであれば、砂川判決は「先に攻撃(先制攻撃)」については何も述べていないことから、「先に攻撃(先制攻撃)」を行っても9条に抵触しないと説明することができてしまうのであり、法解釈として成り立たない。

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○中谷国務大臣 これは昨年でありますけれども、昭和四十七年の政府見解をもう一度じっくりと熟読いたしまして、この基本的な論理の中に、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」と。
 この文章は、まさに砂川判決の部分の「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」、まさにこの部分が四十七年の政府見解に書いているということで、これは軌を一にする、その範囲の中であるというふうに自分なりに理解したわけでございます。


【筆者】

 「その範囲内である」との説明があるが、砂川判決は「自衛のための措置」を示しただけであり、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていない。何も述べてないにもかかわらず「その範囲内である」と説明することができるのであれば、9条が存在するにもかかわらず砂川判決で何も述べてない「先に攻撃(先制攻撃)」について「その範囲内である」と説明することができてしまうのであり、法解釈として成り立たないまた、1972年(昭和47年)政府見解は「平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されない」とも述べており、その上で「自衛の措置」の限界となる規範を示しているのであるから、たとえ「基本的な論理」と称している部分の一部分が砂川判決と「軌を一にする」としても1972年(昭和47年)政府見解の「自衛の措置」の限界について示した規範の中に「存立危機事態」の要件が当てはまることを説明したことにはならない。「自衛の措置」の限界を示した「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が当てはまる余地はなく、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となる。「その範囲の中であるというふうに自分なりに理解した」との答弁もあるが、誤った理解である。

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○中谷国務大臣 私のことに言及がありましたが、集団的自衛権というのは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止することが正当化される権利、このことを考えておりました。
 しかし、やはり政府といたしまして、国民の安全、命を守る上においてどうするのか。これは当然、憲法の範囲内で物事を考えるわけでありまして、先ほど御説明がありましたけれども、従来の政府見解基本的な論理、これをもとに引き続き堅持した上で、そして現在の我が国を取り巻く安全保障の変化に当てはめをいたしまして、この論理を維持した上で結論が出たということでございます。


【筆者】

 「従来の政府見解の基本的な論理、これをもとに引き続き堅持した上で、」との答弁があるが、「堅持」しているのであれば「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないことにより9条に抵触して違憲となる。

 「そして現在の我が国を取り巻く安全保障の変化に当てはめをいたしまして、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界を示した規範であり、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「武力の行使」を当てはめるとしても、「我が国に対する武力攻撃」を満たす場合に限られることとなる。この「自衛の措置」の限界の規範と「武力の行使」の限界の規範の間には、文面上の論理展開によるものでしかなく、政策論が介入する余地はない。それにもかかわらず、論者は「現在の我が国を取り巻く安全保障の変化」を考えて「当てはめ」を変更できるかのように考えて、「当てはめをいたしまして」と説明しているところが誤りである。もともと「自衛の措置」の限界の規範と「武力の行使」の限界の規範との間には「現在の我が国を取り巻く安全保障の変化」などという政策論上の問題が入り込む余地はない。

 「この論理を維持した上で結論が出た」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件は違憲となる。「結論が出た」との部分については、論理的に出ないため誤りである。もし論理的整合性が保たれていないにもかかわらず結論のみを「出た」とするだけで「武力の行使」を正当化できるのであれば、「先に攻撃(先制攻撃)」や「侵略戦争」を行う要件であっても、「この論理を維持した上で結論が出た」と主張するだけで「先に攻撃(先制攻撃)」や「侵略戦争」を行う要件も9条に抵触しないこととなってしまうのであり、法解釈として成り立たない。論者の主張は結論のみを述べて正当化しようとしているものであり、誤りである。

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○中谷国務大臣 基本的な論理維持した上で我が国を取り巻く安全保障環境、当時、四十数年前は冷戦構造でありまして、米ソ二大大国がいて世界秩序の安定は保たれていたわけでありますが、その後、グローバルなパワーバランスが変化しました。また、北朝鮮は我が国を射程におさめる弾道ミサイルを保有し、核開発をし、そして中国も東シナ海、南シナ海における急激な活動が活発化しておりますし、テロも発生をしておりまして、やはり脅威というのは容易に国境を越えてやってくる時代になり、一国のみで平和を守ることができない。そういうことで、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしてもその内容、規模、態様等によっては我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得るものと考えて、こういった認識を今の四十七年の憲法の基本的論理当てはめたということでございます。


【筆者】

 「基本的な論理は維持した上で、」との答弁があるが、維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないため違憲となる。

 「こういった認識を今の四十七年の憲法の基本的論理に当てはめたということ」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界の規範の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られており、その「自衛の措置」の限界の規範の中に「武力の行使」を当てはめるとしても「我が国に対する武力攻撃」を満たすことが求められる。この「自衛の措置」の限界の規範と「武力の行使」の限界の規範との間には文面上の論理展開しか存在しておらず、「こういった認識」などという政策判断が入り込む余地はないし、「こういった認識」によって変化させることができる性質のものではない。そのため、「存立危機事態」の要件を「基本的な論理」と称している部分に当てはめることができるかのように、「当てはめた」と説明することは誤りである。

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○中谷国務大臣 四十七年基本的な論理のまず最初の段落に、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」と。この文は、まさに砂川判決で示された「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」、この内容そのものでありまして、そういう意味で軌を一にしているということでございます。


【筆者】

 「軌を一にしている」とあるが、その部分が「軌を一にしている」としても、1972年(昭和47年)政府見解では「自衛の措置」の限界の規範を示しているのであり、ここに「存立危機事態」の要件が当てはまらないことによって「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となる。

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○中谷国務大臣 きのう小野寺委員が説明をされましたけれども、個別的自衛権というのはあくまでも我が国に対する武力攻撃が発生しないと行使できない権限でございまして、現時点においてそれだけで国家の安全を図るという点におきましては不十分な点がございます。
 その点で、昨年の七月に改めて、憲法の基本的論理基づいて今の我が国の安全保障の現状等を当てはめをいたしまして新三要件というものをつくったわけでございまして、それによりますと、我が国が自衛権を行使して対処できるということでございます。これにおいて、余りにも個別的自衛権でやりますと、先ほど外務大臣も言われましたけれども、拡張して説明することが国際法違反になるおそれがあるということで、しっかりとした形で対応できるということで、憲法で改めてこの部分において検討したということでございます。


【筆者】

 「個別的自衛権というのはあくまでも我が国に対する武力攻撃が発生しないと行使できない権限でございまして、」との答弁があるが、「個別的自衛権」は国際法上の『権利』であって、日本国の統治権の『権限』ではないため、誤りである。

 「憲法の基本的論理に基づいて今の我が国の安全保障の現状等を当てはめをいたしまして新三要件というものをつくった」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に基づいているのであれば、ここに「存立危機事態」の要件は当てはまらないため「新三要件」の「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となる。「今の我が国の安全保障の現状等を当てはめをいたしまして」との部分についても、「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界の規範を示したものであり、ここに「当てはめ」ることができるのは「自衛の措置」のいくつかの選択肢のことであり、「今の我が国の安全保障の現状等」を当てはめると考えることができる性質のものではない。論者は「当てはめ」の意味を誤って用いていると考えられる。「新三要件というものとをつくった」とあるが、「存立危機事態」については違憲である。

 「拡張して説明することが国際法違反になるおそれがある」との記載があるが、日本国の統治権の『権限』の中では「武力の行使」の可否の問題しか含まれておらず、その「武力の行使」が国際法上の違法性阻却事由の『権利』の区分である「個別的自衛権」や「集団的自衛権」のいずれの区分に該当するかは関係がない。日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」がなされた場合、それが憲法上で9条に抵触するか否かと、それが国際法上で「個別的自衛権」に当たるか「集団的自衛権」に当たるかとは別問題である。それにもかかわらず、「個別的自衛権でやりますと、」などと、国際法上の区分を持ち出して話をすることは関係のない話を持ち出すもので誤りである。国際法上の法解釈が現在の解釈から変更された場合、たとえ旧三要件に基づく「武力の行使」であっても、「集団的自衛権の行使」と評価される場合もあり得るのである。三要件は憲法9条に抵触しないために設定されるべき要件であるにもかかわらず、「個別的自衛権でやりますと、」などと、国際法上の違法性阻却事由の『権利』の区分を拡大させることができるかのような認識に誤りがある。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第12号 平成27年6月19日



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○中谷国務大臣 私たちは、法律を考える際に、やはりあくまでも憲法の許容の範囲であると。その根拠としましては、昭和四十七年の、憲法の基本的論理考え方に基づいて、今の安全保障の変化に当てはめて、現在のこの存立にかかわる事態を新たにつくったわけでございます。
 また、武力の行使の一体化、これもやはり、一体化を避けるために、憲法との関係、現に戦闘行為が行われている地域、現場ではない、現場ではないところでは行わないというようなことで、憲法上一体化を避けるという内容の法律をつくっているということで、憲法の枠内で私たちはこの法律をつくったという認識でございます。


【筆者】

 「昭和四十七年の、憲法の基本的論理の考え方に基づいて、今の安全保障の変化に当てはめて、現在のこの存立にかかわる事態を新たにつくった」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に「基づいて」いるのであれば「存立危機事態」はここに当てはまらないため「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲である。「今の安全保障の変化に当てはめて、」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分には「自衛の措置」の限界を示した規範が存在し、この中に「当てはめ」ができるものとは「自衛の措置」の選択肢であり、「今の安全保障の変化」などという外的な状況が当てはまるとする性質のものではない。「自衛の措置」の限界の規範の中に「今の安全保障の変化」が当てはまると考えている部分が誤りである。「基本的な論理」と称している部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。これにより、「基本的な論理」の下で「現在のこの存立にかかわる事態を新たにつくった」と「存立危機事態」の要件をつくる(定める)ことができるかのように考えている部分が誤りである。

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○中谷国務大臣 私たちはあくまでも昭和四十七年の政府見解における基本的な論理基づいて考えたわけでございますので、私たちの考えにおいては正当性があるというふうに認識をしております
 それから、一体化につきましても、先ほどお話がございましたけれども、現に戦闘行為が行われている現場ではないところで実施するということで、憲法的に、武力行使をすることがないという前提のもとに実施をしたということでございます。


【筆者】

 「昭和四十七年の政府見解における基本的な論理に基づいて考えたわけでございます」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に「基づいて」いるのであれば「存立危機事態」の要件はここに当てはまらないため違憲となる。

 「正当性があるというふうに認識をしております。」との答弁があるが、違憲であり、正当性はなく、「認識」は誤りである。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第15号 平成27年6月29日



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○中谷国務大臣 もう一度申し上げます。
 「根拠、これはあくまでも昭和四十七年の政府見解基本的論理でございます。砂川判決を直接の根拠としているわけではございませんが、砂川判決はこの基本的な論理と軌を一にするものでございます。」そして、その後発言した、砂川判決は限定容認する集団的自衛権の行使が合憲であるとの根拠たり得るものです、これは決して矛盾したものではないと認識しております


【筆者】

 「砂川判決はこの基本的な論理と軌を一にするもの」との答弁があるが、砂川判決は「自衛のための措置」を述べただけであり、この「基本的な論理」と称している部分も「自衛のための措置(自衛の措置)」の限界を述べていることは確かである。しかし、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないのであるから、砂川判決の示した「自衛のための措置」が日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」まで容認しているかのように考えることはできない。論者は「砂川判決は限定容認する集団的自衛権の行使が合憲であるとの根拠たり得るものです」と説明しているが、「集団的自衛権の行使」とは国際法上の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由の『権利』を行使することであるから、通常「武力の行使」が行われ、その日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については砂川判決は何も述べていないのであるから、砂川判決を根拠に「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」までも「根拠たり得るものです」と説明することはできない。もし砂川判決が何も述べていないことを「合憲であるとの根拠たり得るもの」と説明できてしまうのであれば、「先に攻撃(先制攻撃)」について砂川判決は何も述べていないことから、「先に攻撃(先制攻撃)」を行う要件を定めたとしても、砂川判決によって「合憲であるとの根拠たり得るもの」と説明できてしまうこととなり、法解釈として成り立たない。

 「これは決して矛盾したものではないと認識しております。」との答弁があるが、論理的に成り立たないため法解釈として成立していない。論者の認識は誤りである。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第16号 平成27年7月1日



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○中谷国務大臣 集団的自衛権につきましては、憲法との関係で、昭和四十七年の政府見解で示した憲法の解釈の基本的な論理、これは全く変わっておりません
 これは砂川事件に関する最高裁の判決の考え方と軌を一にするものでございまして、砂川事件の最高裁の判決は、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないと述べておりまして、新三要件のもとで認められる限定的な集団的自衛権の行使我が国の自衛の措置に限られるものでありまして、砂川判決の範囲内のものである
 その意味では、砂川判決は、限定容認する集団的自衛権の行使が合憲であることの根拠たり得るものだというふうに考えております。


【筆者】

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○中谷国務大臣 一般の方々の見解については政府の立場でお答えすることは差し控えますけれども、政府といたしましては、平和安全法制、これは、累次説明をしてまいっておりますとおり、従来の政府見解基本的な論理は最高裁判決の考え方の範囲内のものでありまして、違憲との御指摘は当たらないと考えております。
 維新の党の案につきましては、まさにきょう国会に提出をされて、この委員会にこれからかけられるということでございますので、その評価については今後議論がなされるものと考えております。


【筆者】

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第18号 平成27年7月8日



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○中谷国務大臣 今回の法整備に当たりましては、昭和四十七年の政府見解基本的論理、これは全く変わっておりません。この基本的論理において、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」としているのは、これは砂川事件に関する最高裁判所の判決の考え方と軌を一にするものでございます。
 そこで、平和安全法制の整備に当たりましては、集団的自衛権の行使を一部限定容認いたしましたが、それはあくまでも自衛のための必要最小限の措置に限られる集団的自衛権の行使一般を認めるものではなくて、そして他国の防衛それ自体を目的とする行使は認められない。あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的でありまして、極めて限定的なものでありまして、この点は、新三要件、三つの要件が明確に示しておりまして、憲法上の明確な歯どめとなっております
 その上で、今回の法制では、この新三要件は全て法律の中に盛り込んでおり、法律上の要件になっている。したがって、憲法の枠内ということで、我々は御指摘には当たらないと認識しております。


【筆者】

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第19号 平成27年7月10日



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○中谷国務大臣 砂川判決につきましては、戦後唯一最高裁が下した事件の判決でありまして、ここにおきましては「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」というふうに述べているわけでございます。
 これが、同じように、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的な論理全く変わっていないということで、この論理というのは砂川事件に関する最高裁の判決の考え方と軌を一にするものでございまして、それによって、新三要件で認められる限定的な集団的自衛権の行使我が国の自衛の措置に限られるものであって、砂川事件の判決内のものであり、その意味で、砂川判決は限定容認する集団的自衛権の行使が合憲であるとの根拠たり得るものだと考えております。


【筆者】

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第20号 平成27年7月13日



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○中谷国務大臣 これは武力行使に当たるわけでありますが、今回、存立危機事態ということを設けまして、これは、従来の憲法の基本的論理、すなわち、我が国の存立を脅かし、そして自国の国民の権利を根底から覆すというような場合において三要件を判断してかけるわけでございますので、我が国の防衛、安全保障上の専守防衛、専守防衛の一環でございます。


【筆者】

 「従来の憲法の基本的論理、すなわち、我が国の存立を脅かし、そして自国の国民の権利を根底から覆すというような場合」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在しており、これを満たさないにもかかわらず、「我が国の存立を脅かし、そして自国の国民の権利を根底から覆すというような場合」というだけで「自衛の措置」を執ることができるとはしていないため、それだけで「自衛の措置」を執ることができるかのように説明している部分が誤りである。

 「我が国の防衛、安全保障上の専守防衛、専守防衛の一環でございます。」との答弁があるが、専守防衛とは、「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」を言うが、「存立危機事態」での「武力の行使」は未だ「我が国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず「武力の行使」を発動するものであり、「専守防衛」の定義として示されている「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使」に該当しない。また、従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいたものは「武力の行使」の三要件(旧)であり、「存立危機事態」の要件はこの旧三要件の範囲を超えるものであるから、「自衛のための必要最小限度」とは言えない。そのため、「専守防衛」の定義として示されている「その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限る」の部分にも当てはまらない。さらに、憲法9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)では「武力の行使」(自衛の措置)を実施するためには「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たすことを求めており、「存立危機事態」の要件はこれを満たさないことから、結果として「存立危機事態」での「武力の行使」は9条に抵触して違憲となる。よって、「専守防衛」の定義として示されている「憲法の精神に則った」の部分を満たさないため、「存立危機事態」での「武力の行使」は「専守防衛」とは言えない。そのため、「専守防衛の一環でございます。」との答弁は誤りとなる。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第22号 平成27年7月15日



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○国務大臣(中谷元君) いずれの国におきましても、自衛の措置として自衛権というものは持っているわけでございまして、我が国の憲法におきましても、自衛権という名で容認をされる部分がございます
 そこで、我が国の自衛権の武力の行使につきましては、これまでは三要件によって認められたわけでございますし、この度におきましては新三要件というものを設けまして、従来の憲法の基本的な論理に基づいて我が国を自衛をする範囲において行動が許されるということでございます。
 そこで、他国の領土、領海、領空内におきましては、まさに一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないと解されているわけでございますが、この三要件の論理に必然的に導かれて、従来と同様の範囲で認められるということでございます。


【筆者】

  「自衛の措置として自衛権というものは持っている」との答弁があるが、国際法上いずれの国も「自衛権」という『権利』を有しているが、「自衛の措置」の『権限』が存在するかどうかは憲法上で授権されているかどうかによる。

 「我が国の憲法におきましても、自衛権という名で容認をされる部分がございます。」との答弁があるが、誤りである。日本国憲法の中には「自衛権」という国際法上の『権利』を示した規定は存在していない。9条の下でも、日本国憲法で授権されている統治権(立法権・行政権・司法権)による「武力の行使(あるいは実力行使)」(通常行政権によって行われる)が容認されている場合があるとしても、「自衛権」という国際法上の『権利』の名では容認されていない。従来政府が「自衛権の行使」と表現していたのは、「武力の行使(あるいは実力行使)」を実施する際に国際法上の違法性阻却事由の『権利』を得られる区分として国際法上の観点から見た用語を用いていただけである。

 「従来の憲法の基本的な論理に基づいて、我が国を自衛をする範囲において行動が許される」との答弁があるが、「従来の憲法の基本的な論理」に基づいているのであれば、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないため違憲となる。また、「我が国を自衛をする範囲において行動が許される」との答弁があるが、9条の下では必ずしも「我が国を自衛をする」からといって「武力の行使」が許容されるわけではないことを押さえる必要がある。

 「他国の領土、領海、領空内におきましては、まさに一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないと解されているわけでございますが、この三要件の論理に必然的に導かれて、従来と同様の範囲で認められる」との答弁があるが、誤りである。まず、従来より政府が「自衛のための必要最小限度」と呼んでいたものは「武力の行使」の三要件(旧)のことである。この旧三要件の「我が国に対する急迫不正の侵害(第一要件)」を「排除(第二要件)」したならば、それ以上は「武力の行使」を行ってはならないという限界が定められていることから、「他国の領土、領海、領空内」での活動(海外派兵)は「一般に自衛のための必要最小限度を超えるもの」と判断され、憲法上許されないと解されているのである。しかし、論者は「この三要件の論理に必然的に導かれて、」(ここで論者が提示しているのは『新三要件』の意味である)などと、「新三要件」によって「他国の領土、領海、領空内」の活動(海外派兵)が憲法上許されないと「必然的に導かれ」ると主張しているが、誤りである。なぜならば、新三要件は「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃(第一要件・存立危機事態)」を「排除(第二要件)」するための「武力の行使」であり、この基準に従えば、「他国にに対する武力攻撃」を「排除」するために「他国の領土、領海、領空内」での活動が通常認められることとなり、「他国の領土、領海、領空内」での活動(海外派兵)が憲法上一般に許されないと判断できないからである。「他国の領土、領海、領空内」での活動(海外派兵)が憲法上一般に許されないとする基準は、旧三要件の基準によって判断されていたものであり、この旧三要件が新三要件に変更されているにもかかわらず、「同様の範囲」(基準)であるはずがないのである。もし「同様の範囲」(基準)であるならば、新三要件を定めた後においても、旧三要件に従って範囲(基準)を設定していることとなり、新三要件と旧三要件が競合していることとなる。「必然的に導かれて」などという主張は、まったく必然的ではなく、導かれることもないため、意味が通じないものである。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第3号 平成27年7月28日



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○国務大臣(中谷元君) 私の見解につきましては、十年前、御指摘のような考えを示していたというのは事実でございますが、これはフルセットというかフルスペックの集団的自衛権について考えていたことでございます。
 しかし、この十年、我が国を取り巻く安全保障環境、非常に変化をいたしております。そして、この状況で与党として、政府としていかにするのか、一年前でございますが、政府・与党の中でこういった安全保障に対して緻密な議論と考察を経て慎重に検討をした結果、あくまでも、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福の追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態に限って限定的な集団的自衛権の行使を容認できるという結論に至りました。
 これ、私自身も真剣に、今の憲法、国の存立のために必要最小限度の自衛権、これはいかなるところまで容認されるのか、これを考えた結果でございまして、我が国を取り巻く環境、そして憲法の解釈と論理的整合性、法的安定性、これを私なりに真剣に考察をして納得をしているわけでございます。そして、四十七年の政府見解における憲法九条の解釈の基本的な論理、これはしっかりと維持された考察の結果でございまして、この従来の憲法解釈基本的な論理引き継いで、この国の安全保障、防衛をしっかりするために、閣議決定に従って法案を作り、そしてお願いをしているというところでございます。


【筆者】

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第4号 平成27年7月29日



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○国務大臣(中谷元君) 昨年七月に閣議決定をいたしましたけれども、憲法第九条、これの解釈の基本的な論理、これは維持をした上で、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得るという認識から、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合にも自衛の措置としての武力行使が容認されるとしたものでございます。
 これに伴って、この専守防衛の説明に用いてまいりました、その表の①の「相手から武力攻撃を受けたとき」には我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合含むと解していますが、いずれにせよ、我が国又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の発生が前提であり、また、他国を防衛するということ自体を目的とするものではなくて、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の体制をいう専守防衛の定義、これには全く変更がないということでございます。


【筆者】

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○国務大臣(中谷元君) これは、昭和四十七年の政府の武力行使に関する基本的な論理これに基づいたものでございまして、その論理は変更をしていないということでございます。
 そこで、相手から武力攻撃を受けたときというのは、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合含むと解しておりますが、いずれにせよ、我が国及び我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の発生、これが前提であり、また、他国を防衛すること自体を目的とするものではなくて、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略をいう専守防衛、これはいささかも変更がないということでございます。


【筆者】

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○国務大臣(中谷元君) 五月十二日の委員会の議事録を精査をいたしました。
 このとき、小西洋之委員から、これは、イランは、日本の同盟国、「要するに、もう限定しますよ、新三要件に基づいて我が国が集団的自衛権を発動できる相手は、今の三者のうちアメリカだけとしましょう。」ということでお尋ねがございました。
 それに対して私は、昨年七月の閣議決定におきまして、憲法九条の解釈の基本的な論理はこれは維持した上で認識が改められて我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合にも自衛の措置として武力行使が容認されるとしたものでございます。
 その後、小西委員が「分かりました。」ということで、改めて政府委員にその前提で聞いたところ、そういう説明であれば、そのように理解をしますということでございます。
 要するに、このときの議事のやり取りは、新三要件を認めた上での議論でございまして私はお答えしましたが、今回はそれを満たさなく一般的に聞かれたものでございますので、それは違いますとお答えしたわけでございます。


【筆者】

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○国務大臣(中谷元君) 相手から武力攻撃を受けたときということでございますが、これ従来、我が国の憲法上、自衛の措置として武力行使が可能なのは我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると解してきました。
 このため、従来、専守防衛の説明に用いてきた、相手から武力攻撃を受けたときも我が国が武力攻撃を受けたときを指すものと考えてきましたが、他方、先ほど説明いたしましたけれども、昨年七月、閣議決定をいたしまして、この憲法九条の解釈の基本的な論理維持した上で、今後、他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得るという認識から、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合にも自衛の措置として武力行使が容認をされるとされたものでございまして、先ほど説明をいたしましたけれども、相手から武力攻撃を受けたときというのは、この我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合も含むと解しております。
 以上で、全く矛盾しておかしいところはないと思っております。


【筆者】

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○国務大臣(中谷元君) この文章を全部読んでいただくと、最後に「憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいう」と、憲法の精神にのっとったということでございまして、昨年の閣議決定によりまして基本的な論理これは維持をしております。これまでの三要件と新しい三要件、これは維持をしておりますので、何らその点は変わりがないということでございます。


【筆者】

 「基本的な論理をこれは維持をしております。」「これは維持をしております」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、「我が国に対する武力攻撃」を満たす中でしか「武力の行使」を発動してはならないことから、これを満たさない中で「武力の行使」を発動する「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となる。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第5号 平成27年7月30日



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○国務大臣(中谷元君) 専守防衛というのは、これまでも繰り返し御説明をしているとおり、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢でございます。
 昭和四十七年の政府見解にあるとおり、我が国による自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に際して、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ないものとして初めて容認をされるものであります。
 この基本的論理というのは、新三要件の下においても維持されております。すなわち、新三要件において容認される武力の行使というのは、我が国と密接な関係にある他国への武力攻撃の発生を契機とするものであっても、他国の防衛それ自体を目的とするものではなく、あくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて容認をされるものでありまして、この専守防衛というのは、このような憲法第九条の解釈の基本的論理の下における憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢でありまして、いわゆるフルスペックの集団的自衛権を認める余地、これはございません


【筆者】

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○国務大臣(中谷元君) 朗読させていただきます。
 「我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。」ということでございます。

【動画】小西洋之「あなたが法的安定性を壊している」横畠裕介を木端微塵に 8/3

 

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○国務大臣(中谷元君) 先ほど質疑がありましたけれども、政府の基本的な論理、これは引き続き堅持をしていくわけでございます。そこの点で、我が国の安全保障の変化、これがこの昭和四十七年の政府見解以降、事実としてあったわけでございますので、その結論部分の当てはめを行いまして、今回は、自衛の措置としての武力行使の新三要件、これに基づいて自衛の措置としての対応をするということでございます。
 今回の憲法解釈の一部変更は、国際情勢の変化を踏まえて、新三要件、これを満たす場合における限定的な集団的自衛権の行使を、憲法第九条の下において自衛権の行使が許容される我が国を防衛するための必要最小限度、すなわち砂川判決に言う必要な自衛の措置に含まれると解したものでございます。しかし、このような解釈の下で、武力行使も憲法の認める必要最小限度の範囲内にあるというところは不変でございます。


【筆者】

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○国務大臣(中谷元君) 自衛隊は創設六十年になるわけでございますが、様々な活動を通じて国民の皆様方にも評価と御理解をいただいておりますし、PKOも二十年以上国際的な現場で活動をいたしておりまして、各国との国際協力、これを実践をしているわけでございます。
 今回の法整備につきましては、従来の政府見解基本的な論理、これを維持をいたしておりまして、最高裁判決、これの考え方の範囲内のものであると考えております。憲法に適合した法整備を行うということにつきましては、昨年七月一日、閣議決定以来、十分に説明をいたしております。
 その上で、今回の法整備に際しまして、近年、安全保障上の課題や不安定要因が複雑かつ多様で広範になりまして、我が国をめぐる安全保障環境はますます厳しさを増していることが前提となっていることから、御指摘のように、憲法の問題のみならず安全保障政策について議論をするとともに、適切に政策判断を行っていくということは極めて重要なことだと考えておりまして、政府といたしまして、我が国の平和と安全を守るために、まず何よりも我が国自身の努力、そして日米同盟の強化、これを通じて抑止力を向上させていくこと、その上でアジア太平洋地域の平和と安定を確保して、さらには国際社会の平和と安定を確保するための努力を行わなければならないと考えておりまして、今回、法整備を国会において議論をしていただいて、これの整備が必要だという認識に立っているわけでございます。


【筆者】

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第6号 平成27年8月3日



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○国務大臣(中谷元君) 私も真剣にもう一度憲法を考え、そして、この四十七年に作られた基本的論理、これが何を意味するのか、そういうことを検討して、私なりに理解をし、そして納得した上で閣議決定に至ったわけでございまして、その上で法案を作成したということでございますので、私なりには現行の憲法の範囲内であるという信念を持って今説明をさせていただいているということでございます。


【筆者】

 「現行の憲法の範囲内であるという信念を持って」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に論理的に当てはまらないため、「憲法の範囲内」とは言えず、誤りである。「信念」は誤った理解に基づくものである。

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○国務大臣(中谷元君)

(略)
 この閣議決定におきましては、昭和四十七年の政府見解で示した憲法九条解釈の基本的な論理、これの枠内で行ったものであるというふうに認識をしているわけでございます。


【筆者】

 「基本的な論理、これの枠内で行ったもの」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分の「枠内」であるならば、「我が国に対する武力攻撃」を満たす場合にしか「自衛の措置」を執ることができず、「武力の行使」についてもこれを満たすことが求められる。「存立危機事態」での「武力の行使」については、これを満たさない中で「武力の行使」を実施するものであるから、「基本的な論理」と称している部分当てはまらず、9条に抵触して違憲となる。

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○国務大臣(中谷元君) これまで政府は、憲法上許容される武力の行使は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した場合に限られるとしてまいりました。
 今回、この四十七年の当時から、我が国を取り巻く安全保障環境、想像も付かないほど変化をしたことを踏まえまして、非常に脅威というものは容易に国境を越えてやってくる時代になりまして、今や、他国に対して発生する武力攻撃があったとしても、その目的、規模、態様等によっては我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得るというような問題意識の下に、この憲法九条の解釈の基本的な論理、これを検討いたしました。
 実際の状況に当てはめた結果新三要件を満たす場合には、我が国を防衛するための必要最小限自衛の措置として限定的な集団的自衛権の行使についても憲法上容認されるといたしました。この限定的な集団的自衛権の行使が、憲法上、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置であることについて、我々も今後とも丁寧に説明をさせていただいて、御理解を得たいと思っております。


【筆者】

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第8号 平成27年8月5日



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○中谷国務大臣 今回の法整備におきましては、これまでの政府見解の基本的な論理、これは全く変わっておらず、この基本的な論理におきましては、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているということとは到底解されないとしていることは、砂川事件に関する最高裁判所の考え方と軌を一にするものでありまして、今回の法整備におきましても、集団的自衛権の行使を一部限定容認はいたしましたが、それはあくまでも自衛のための必要最小限度の措置でありまして集団的自衛権全て行使の一般を認めるものではなく、また、他国の防衛それ自体を目的とするものではなくて、あくまでも国民の命と平和な暮らしを守るということが目的で、極めて限定的なものでございます。
 自衛隊の諸君は、我が国の防衛のために自分たちの存在が必要であると確信をして日々任務に取り組んでいるわけでありまして、今般の法案に基づいて活動する自衛隊の行為、これは憲法の裏づけがあるものと考えておりまして、この平和安全法制、これはまさに国民の命と暮らしを守ることでありまして、これが成立しても何ら変わることなく任務に邁進してくれるものだと私は確信をいたしております。


【筆者】

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第189回国会 予算委員会 第20号 平成27年8月7日



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○国務大臣(中谷元君) 英語版の白書の二〇一三年度版におきましては、憲法第九条の下でも例外的に自衛のため武力の行使が許される場合があるという基本的な論理に当てはまる場合は我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるという当時の認識の下で、専守防衛の説明の英訳にこの認識を反映したところでございます。
 他方、昨年七月一日の閣議決定で示された新三要件は、このような認識を改めて、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合基本的な論理当てはまるとしたものでありまして、二〇一四年版の英語版の白書はこの認識を反映をさせたものでございます。
 このように、二〇一四年の英語版白書の記述は、昨年七月の閣議決定の考え方を踏まえて検討を行った上で訳出をしたということでございます。


【筆者】

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○国務大臣(中谷元君) これは八月十日に提出した資料において述べておりますが、この昭和四十七年九月十四日の吉國法制局長官の答弁は、昭和四十七年の政府見解で示された基本的な論理を含むものであるということを示しております。
 すなわち、この中で、基本的な論理とはということで述べた後、この九月十四日の委員会において、例えば、「侵略が現実に起こった場合に、これは平和的手段では防げない、その場合に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が根底からくつがえされるおそれがある。その場合に、自衛のため必要な措置をとることを憲法が禁じているものではない、」と述べるなど、この基本的な論理を含む答弁をいたしております。
 なお、昨年七月の閣議決定、これは我が国を取り巻く安全保障環境を踏まえて、この基本的な論理当てはまる例外的な場合として我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみがこれに当てはまると考えてきたこれまでの認識を改めて我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合もこれに当てはまるとしたものでございます。
 すなわち、他国を防衛するための武力行使それ自体を認めるものではなくて我が国が武力の行使を許される、あくまでも新三要件を満たす場合の自衛の措置に限られており、これは昭和四十七年の見解及び吉國法制局長官の答弁で示されている基本的な論理枠内のものであるということでございます。


【筆者】

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○国務大臣(中谷元君) 憲法の平和主義、これは大事なわけでございますが、しかし、国家として国民の生命、財産、これを守るという、いわゆる生存権、これも大事なわけでございまして、るる政府の基本的な論理において説明されているように、憲法は、九条において戦争を放棄して戦力の保持を禁止していると思われますけれども、前文による、幸福追求権、そしてこの幸福追求権、こういうものから自国の平和と安全を維持して、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることは禁じているとは到底解されないということでございまして、こういった事態におきまして、国の存立を脅かす危険が明確な場合におきましての自衛の措置ということは、これは国際的にも認められておりますし、憲法上も認めるということでございます。


【筆者】

 「国の存立を脅かす危険が明確な場合におきましての自衛の措置ということは、これは国際的にも認められておりますし、憲法上も認めるということ」との答弁があるが、誤りである。「国の存立を脅かす危険が明確な場合」の意味が、「自国に対する武力攻撃」の『着手』を意味するのであれば、確かに国際法上も「個別的自衛権」を行使することができ、そこで行われる「武力の行使」の違法性は阻却されると考えられる。しかし、この『着手』がないにも関わらず、「国の存立を脅かす危険が明確な場合」を国家が勝手に認定することで「武力の行使」を発動すれば、それは「先制攻撃」となり違法である。「自国に対する武力攻撃」の『着手』がないにもかかわらず、国際法上「国の存立を脅かす危険が明確な場合」に「武力の行使」を行っても違法性が問われないように説明している部分が誤りである。憲法上は、1972年(昭和47年)政府見解が「平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」と示している通りであり、「国の存立を脅かす危険が明確な場合」というだけで「自衛の措置」を採ることができるとはしていない。「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、これを満たさない中での「自衛の措置」は許されていないのである。「憲法上も認めるということ」との答弁があるが、認めることができるかのように説明している部分が誤りである。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第9号 平成27年8月11日



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○国務大臣(中谷元君) 今回の法整備におきましては、これまでの政府見解の基本的論理、これは全く変わっておりません。
 この基本的論理とは、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置、これをとることを禁じているとは到底解されない、これは戦後唯一最高裁で判決をされた考え方、これを軌を一にしまして昭和四十七年基本的論理を作りましたけれども、この整備に当たっては、集団的自衛権の行使を一部限定容認しましたが、それはあくまでも自衛のための必要最小限度の措置に限られております。また、集団的自衛権を一般を認めるものではなくて他国の防衛、それ自体を目的とする行使は認められない、あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的でありまして、極めて限定的でありまして、三要件を示しておりまして、それが歯止めになっております。
 この新三要件は全て法律の中に盛り込んでおりまして、法律上の要件になっているということで、この平和安全法制は従来の憲法の政府解釈基本的論理枠内であるということで、御指摘につきましては私は当たらないと考えております。


【筆者】

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第12号 平成27年8月25日



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○国務大臣(中谷元君) 御指摘の報道は承知いたしておりますが、現役を引退された一私人の発言に政府の立場でコメントをするということは差し控えさせていただきます。
 いずれにしましても、政府は、繰り返し申し述べているとおりです、この法案は合憲であると。すなわち、これまでの政府見解の基本的な論理全く変わっておりません。また、この基本的論理は、政府が述べているだけではなくて、砂川判決による最高裁判決の考え方を軌を一にするものでございます。


【筆者】

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○国務大臣(中谷元君) これは、①、②、まさに基本的論理でございますので、含まれているということでございます。


【筆者】

 直前の「集団的自衛権のうち限定されたもの、つまり限定的な集団的自衛権を行使するということは、昭和四十七年政府見解のいわゆる基本的な論理①、②に現に含まれていると、法理として含まれているということ、それは、下ですね、昭和四十七年政府見解を作ったときに、作った当時から法理として含まれている、こういう理解でよろしいですか。(小西洋之)」の質問に対して、「含まれている」と答弁しているが、誤りである。1972年(昭和47年)政府見解は「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」ことを説明することが冒頭で示されており、その「自衛の措置」の限界を示した規範部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言の中に「集団的自衛権の行使」を可能とする「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれるはずがないからである。もし含まれるのであれば、「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」との説明と論理矛盾することとなり、1972年(昭和47年)政府見解そのものを法解釈して成り立っていない文章としてしまうこととなり、この「基本的な論理」を維持して引き継いでいるとの主張には、既に1972年(昭和47年)政府見解を法解釈として成り立っていないものと扱った上で、それを基盤に「集団的自衛権の行使」を行うための「存立危機事態」の要件を正当化しようとするものであり、解釈過程に不正が存在することとなる。「基本的な論理」と称している部分に「集団的自衛権の行使」を可能とする意味は含まれていない。

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○国務大臣(中谷元君) 両方正しくて、矛盾しておりません。
 というのは、この昭和四十七年当時、集団的自衛権と憲法との関係で示された基本的な論理に言うところの、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に当たるのは、我が国に対する武力攻撃が発生をした場合のみであると認識をされておりました。この「自衛行動の範囲について」は、そのような認識の下で、従来からのいわゆる自衛権発動の三要件を前提として、我が国に対し外部からの武力攻撃がある場合において、憲法第九条が許容している自衛行動の範囲について説明したものでありまして、二つの資料が矛盾するものとは考えておりません。

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○国務大臣(中谷元君) 矛盾をいたしておりません。
 この四十七年当時の集団的自衛権と憲法との関係で示された基本的な論理に言うところの、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に当たるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみであると認識をされていました。「自衛行動の範囲について」は、そのような認識の下で、従来からのいわゆる自衛権発動の三要件、これを前提として、我が国に対して外部からの武力攻撃がある場合において、憲法九条が許容している自衛行動の範囲について説明したものでありまして、この二つの資料が矛盾しているものであるとは考えておりません。


【筆者】

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○国務大臣(中谷元君) 基本的な論理に基づいて当時の当てはめとして書いたわけでございますので、矛盾はしていないということでございます。


【筆者】

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○国務大臣(中谷元君) 当時の基本的な論理に基づいて当てはめた結果、そのように認識をしていたということでございます。


【筆者】

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○国務大臣(中谷元君) 基本的な論理につきましては、文言で書かれていますけれども、自衛の措置、これが認められているわけでありますので、それに当てはめてみた結果であるということでございます。


【筆者】

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○国務大臣(中谷元君) 御質問の参議院の本会議決議は、昭和二十九年六月二日の自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議であると承知しております。
 御指摘の本会議決議の有権的な解釈につきましては行政府としては申し上げる立場にはございませんが、それから、現在におきまして非常に想像も付かないほど状況が変化をしておりまして、今や脅威は容易に国境を越えてくる時代となりまして、もはやどの国も一国のみでは自国の安全を守れない時代となりまして、こういった安全保障環境の大きな変化を踏まえれば、新三要件の下に、他国に対する武力攻撃であっても、我が国の存立を全うし国民を守るための必要な自衛の措置として限定的な集団的自衛権の行使が許容されると判断に至ったものでございます。
 この平和安全法制につきましても、自衛のための必要最小限度の武力の行使しか認められないという従来の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理、これは全く変わっておらず合憲性と法的安定性は確保されると認識しております。


【筆者】

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第16号 平成27年9月4日



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○国務大臣(中谷元君) 四十七年見解では、基本的な論理を示して、これに当てはまる例外的な場合といたしまして、当時の認識として我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるという見解が述べられておりまして、その結論においては従来の自衛権発動の三要件と同じことを述べているものでございます。
 一方、自衛行動の範囲につきましては、従来の自衛権発動の三要件、これを前提として、我が国に対して外部からの武力攻撃がある場合において我が国の武力の行使として行う自衛行動の地理的な範囲を説明したものでございまして、二つの資料が矛盾するものとは考えていないということでございます。


【筆者】

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○国務大臣(中谷元君) そのとおりでございまして、当時の基本的な論理に基づいてこの防衛省の考えが示されたと理解しております。

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○国務大臣(中谷元君) 先日もお答えしましたが、当時の基本的論理の認識において防衛省が書かれているということで、そういう認識に基づいて書かれたものであるというふうに思います。

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○国務大臣(中谷元君) この四十七年につきまして、この文書の当時の考え方におきましては、基本的論理、これを当時の時代を当てはめて考えていたわけでありまして、当時は個別的自衛権しか認めていなかったという状況でございます。
 ここで書かれているのは地理的範囲というようなことで、この状況におきましてそれは千差万別であるというふうに書かれているものであると思っております。


【筆者】

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○国務大臣(中谷元君) 先ほど答えさせていただきましたが、当時の基本的論理に基づいて当時の時代を当てはめていたということでこれが書かれたということでございます。


【筆者】

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第18号 平成27年9月9日



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○国務大臣(中谷元君) 本を出版して、私に頂きました。じっくり読んでみたいと思いますが、けど、我々の見識といたしましては、四十七年基本的論理、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとるということを禁じているとは到底解されておりませんで、この自衛の措置というのはあくまでも必要最小限度の武力行使は容認されるということで、今回の新三要件、これは憲法の範囲内であると私は認識をいたしております。


【筆者】

 「この自衛の措置というのはあくまでも必要最小限度の武力行使は容認されるということ」との答弁があるが、誤りである。まず、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界を記した規範は、「あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」である。ここで出てくる「必要最小(少)限度」の意味は、「武力の行使」の三要件では第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様に対応するものである。これは、9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」という基準によるものと考えるものではない。また、「必要最小限度の武力行使は容認される」と答弁しているが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界までしか述べておらず、未だ「武力の行使」が容認されるとは述べていない。「基本的な論理」と称している部分で「武力行使は容認される」と記載されているかのように説明することは誤りである。

 「今回の新三要件、これは憲法の範囲内であると私は認識をいたしております。」との答弁があるが、誤りである。「憲法の範囲内」であるか否かを示す1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在しており、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、ここに「新三要件」の「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が当てはまる余地はない。これにより、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲であり、「存立危機事態」での「武力行使は容認される」かのような説明は誤りである。

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第189回国会 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第19号 平成27年9月11日



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○国務大臣(中谷元君) 我が国を取り巻く安全保障環境というのは大変厳しく変化をいたしておりまして、政府といたしましては、まず、憲法の範囲内で必要な法整備を進めて国民の命と平和な暮らしを守るということが最も大きな責務でありまして、これにつきまして、御指摘の二〇一四年、政府・与党の間で、こういった憲法の中で安全保障をいかにやっていくかという観点で相当緻密な議論、そして考察を経まして、マスコミにも公開をしながら慎重に検討して、今の憲法の基本的論理、これは昭和四十七年基本的論理その中で我が国の存立を維持するためには限定的な集団的自衛権を容認する場合も必要であると、また、それは論理的にできるということで与党で議論をいたしました。
 私自身も十分納得をいたしまして、先般、平和安全法制の成立をお願いしたものでございまして、今回の平和安全法制、これは現行の憲法九条の解釈の基本的な論理枠内で行ったものでございます。


【筆者】

 「今の憲法の基本的論理、これは昭和四十七年の基本的論理、その中で我が国の存立を維持するためには限定的な集団的自衛権を容認する場合も必要であると、また、それは論理的にできる」との答弁があるが、誤りである。1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「集団的自衛権の行使」を可能とするための「他国に対する武力攻撃」の意味は含まれない。これにより、「基本的な論理」と称している部分から「我が国に対する武力攻撃」を満たさない中での「武力の行使」を実施できる部分は含まれておらず、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を行うことは論理的に不可能である。「論理的にできる」との答弁は誤りである。また、「限定的な集団的自衛権」との文言があるが、国際法上「集団的自衛権」に該当すれば「集団的自衛権」でしかなく、「限定的な」などという区分は存在しない。「限定的な」と称する「武力の行使」についても、9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)の下では「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲であり、これを満たさないのであれば「限定的な」と称しても違憲であることには変わりない。

 「基本的な論理の枠内で行ったもの」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないため、「枠内」とは言えない。「枠内で行ったもの」との認識は誤りである。

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第190回国会 予算委員会 第2号 平成28年1月15日



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○中谷(元)委員

(略)
 また、先ほど、平和安全法制は立憲主義に反するといった趣旨の御発言がありました。
 平和安全法制の合憲性などの個別の立法政策の是非につきましては、本来の所管の委員会で議論すべき事柄でありまして、政局から離れた冷静な憲法議論を行うべき憲法審査会で議論すべき事柄ではないと考えます。
 しかし、憲法改正につながる観点から調査するということで、憲法審査会の所掌事務でもありますので、あくまでも本日のテーマである立憲主義との関係から意見を申し上げますと、この平和安全法制の定める限定的な自衛の措置、憲法九条とともに、前文の平和的生存権、十三条の生命、自由、幸福追求の権利を規定する日本国憲法の構造に照らして、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対応するためにやむを得ない措置であり、現行の憲法の枠内のものでございます。
 また、集団的自衛権の行使を一部容認いたしておりますが、それは、あくまでも自衛のための必要最小限度の措置に限られると。集団的自衛権の行使を丸々全部認めるということではなくて他国の防衛それ自体を目的とする行使は認めておりません。あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的でありまして、極めて限定的なものであります。
 これは、法案の中で新三要件、これで明確に示しておりまして憲法上の明確な歯どめとしておりまして、これを法律に盛り込んでおりますので、こういった点の指摘は当たっていないということで、従来の四十七年の政府見解基本的論理枠内であるということでございます。

(略)


【筆者】

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第192回国会 憲法審査会 第3号 平成28年11月24日

 



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