法のアクセシビリティ


 訳の分からない法体系を、国民の誰もが使いやすい形に作り直すことが必要と考えます。


演説:「『意味不明』『分けわからん』『こんなの、宇宙人の読み物だ』。そんな国民の声に、今まで政治は耳を傾けてこなかった。これは、政治家がいけないのです。そうです。日本の法体系は、宇宙人の読み物です。今まで、宇宙人にしか読み解けず、法律が国民のものになっていなかったんです。そうです、本来、法律を使うのは私たち国民です。国民のための法律。法律のアクセシビリティを向上させなくてはいけません。皆様のため、皆様のために、そして、多くの凡人のために、私たちは、法体系をアクセシビリティの高い姿へと整理してまいります。使いやすく、分かりやすく、理解しやすく、覚えやすく、納得しやすく、読み取りの疲労感が少なく、美しい法体系を、つくり出してまいります。我々は、美しい法整備を徹底して行ってまいります。現行法令に、歴史的仮名遣いなんて必要ありません。カタカナ語なんて、必要ありません。立法ミスが多発している分かりにくい法典を、そのままにしてはいけません。理論的に常識となっている判例の論理を、法典に条文化しないなんてあり得ません。そうです。国会がサボっているのです。初学者に明るい法学界をつくっていくべきなんです。法は使ってこそ意味があるものです。趣味で読むものではありません。法律の読み方で躓いている時間はないのです。私たち現代人に、手間暇を取らせる法律が悪いのです。法律が読めないことで、頭が悪いと軽んじられて嫌な思いをした経験が、皆さんにもあると思います。いいえ、皆さんが悪いわけではありません。立法者の頭が悪かったのです。そのため、分かりにくく、読めないようになっているのです。やたらに長く、たった一行にいろいろな言葉を詰め込み過ぎて読めなくなっているのです。こんなものは、箇条書きにすればいいんです。そうです。皆さん、いつもレポートを書くときにやっていることではありませんか。もともと法律の条文に、箇条書きを導入すれば済む話です。それをしていない、立法者がいけないのです。講学上の許可・特許・認可や、取消・撤回、条件・負担などが、条文中の意味と違うことがあったりと、そんなの、あり得ないじゃないですか。とっとと改正して統一すればいいんです。何で担保物権が人的担保とセットで配置されていないんですか。物権の分類の仕方を間違えたんじゃないですか。もう条文番号を付けてしまったから、なかなか言い出せなかったんじゃないですか。立法ミスじゃないのですか。学ぶ際に、こんなに疲労感の大きい形に、放置している政治家がいけないのです。何百本もの似たような法律が乱立しており、学ぶ意欲を失せさせる形にしているからいけないんです。統合して編纂し、整理すればいい話です。それをしていないことが問題なのです。国民の皆さんは、まったく悪くありません。今こそ、『法体系アクセシビリティ整備法』を成立させ、この国の法体系を片っ端から整理整頓してやるべき時です。皆さん、やりましょうよ。そうです。大掃除です。整理整頓は、国民の美徳です。国会議員が、率先して行うべきものです。想像してみてください。国民の誰もが、苦労を感じずに法律を学び、自然に扱い、心地よい社会生活を実現する日々を。そんな日を、私たちは、夢見ています。美しい美しい法体系を、整備してまいります。法のアクセシビリティを、ご期待ください。ありがとうございました。」

演説:「今、バリアフリーな法体系が求められています。誰が見ても、外国人が見ても、小中学生が見てもできるだけ分かる法体系に整備するべきなんです。専門家に聞かないと分からない領域を極力減らしていくべきなんです。見たら分かるように、読んだら分かるようにしておくべきなんです。法体系の全体を見渡しやすく、掴みやすくするべきなんです。国民が条文に触れる際に、読み取りの抵抗感を極限まで軽減するべきなんです。法律への抵抗感を完全に消滅させるべきなんです。そのための、あらゆる努力を惜しみなく投入していくべきなんです。現行法令を、専門性に特化していない凡人が見ても理解できる領域を増やし、スムーズに数多くの法領域に理解を及ぼせるようにするべきなんです。乱立している法体系を、一本化して整理できるものがあるはずです。複雑な条文を、整理して整えられるものがあるはずです。見直してみれば、意味がなさそうな法律があるはずです。法典や条文の改廃も検討しつつ点検していくべきです。誰もが簡単に、よりスムーズに運営できるようにしないといけません。誰もがそれなりの努力をすればどんな法領域でも学べてしまえるようにするべきです。無用なバリアは取り除かれるべきものです。細々した特別法について、その必要性から点検しなおします。運用効率を高め、なーなーになっている古い法律の更新を行います。法体系のアクセシビリティは、私たちの手で行っていくべきものです。皆さんの快適な法律学習の環境を整備してまいります。意味不明な法律、無意味な法律、学習漏れを起こすマイナーすぎる法律を、整えてまいります。法のアクセシビリティを、これからも応援よろしくお願いいたします。ありがとうございました。」

演説:「才能に恵まれない多くの凡人学習者のために、分かりやすく法律を書き換えて改正すべきなんです。皆さんは悪くありません。立法府が悪いのです。書き方が悪いのです。もっと美しくできるはずです。読んだら分かるようにできるはずです。それをしてこなかった立法府がいけないのです。法学者も実は相当の暇人です。暇だから分かりにくい法律にイライラせずに付き合っているのです。我々は暇ではありません。アクセシビリティの低い条文に付き合っていられません。法学者が暇だからいけないのです。法学者は暇だから、分かり易いことがいかに大切かを身を持って感じていないのです。だから読みにくい条文を放置してきたのです。改正してしまえばいい話です。やりようはまだまだあります。我々の手で、アクセシビリティを実現していくべきときです。全ての凡人に優しい法律をつくりましょう。法律を、皆さんのもの、私たちのものに致しましょう。ありがとうございました。」





法のアクセシビリティ 方針

 日本の法体系をもっとアクセシビリティの高い姿にしなくては、国民の法学への抵抗感を拭うことはできません。すると、法律を学び扱う際、生きることに負担を抱えていたり、勉強が苦手だったりする弱い立場に置かれた人に対して、無用な負担を強いることになってしまいます。私たちは、国民の皆様の法律が、そのような状態ではいけないと思っています。これは、国会議員の力を総結集して、法体系を分かりやすく編纂しなおすしかありません。法体系のアクセシビリティを高める整備作用を国会の通常業務として担わせるべきなのです。


 障害を持っている人、文字を読むのに目が疲れやすい人、難しい漢字や古い字体が分からない子供や外国出身の人、法学の初学者の人、法律を専門的に学んでいないため法学に通じる独特の文化をフィーリングで感じ取れない人、そもそも社会科学の教養のない完全に理系で生きてきた人など、様々な境遇の人が分かりやすく、使いやすく、読みやすく、障壁が少なく、簡単簡潔にまとめられた法体系をつくり上げていくべきなのです。


 この国の立法府は、長らくそれを怠ってきました。あまりの理解のしづらさに、誰も手を出したがらなかったのです。国会議員も、すべての法領域を理解しているわけではありませんので、手が出なかったのでしょう。そのため、法のアクセシビリティの改革を今まですることができていないのです。しかし、私たちは違います。全法領域を再点検し、国民の皆様の使いやすいかたちに整備しなおしていきます。今こそ、私たちの手で、法律をアクセシビリティの高い姿へと整えていくべき時です。まずは、「法体系アクセシビリティ整備法」から成立を狙います。



対象として想定する人

 

 様々な境遇の人が分かりやすく、使いやすく、読みやすく、障壁が少なく、簡単簡潔にまとめられた法体系をつくり上げていくべきです。

〇 障害を持っている人

〇 文字を読むのに目が疲れやすい人

〇 難しい漢字が分からない人

〇 古い字体が分からない人

〇 子供

〇 外国出身の人

〇 法学の初学者の人

〇 法律を専門的に学んでいない人

〇 法学に通じる独特の文化をフィーリングで感じ取れない人

〇 社会科学の教養のない人

〇 完全に理系で生きてきた人

〇 法律嫌いの人

〇 法律に抵抗感のある人

〇 法律の文面にうんざりしている人

〇 まどろっこしい文面に理解が追い付かない人

〇 難解な文言に付き合っている気力が追い付かない人

〇 忙しくて法律に時間をかけていられない人

〇 法律以外の自分の専門分野に時間を割きたい人

〇 限られた短い残りの人生の中で無駄なことに時間を使いたくない人

〇 法律に人生をかけていない人

など 





現代仮名遣い(口語体?)に改正するべき

 これらのカタカナ語を現代仮名遣(口語体って言うんですか?)にして、法律を使うすべての方々が抵抗を感じないようにするべき。

 

〇 明治二十二年法律第三十四号(決闘罪ニ関スル件)


〇 手形法

〇 小切手法


〇 大正十五年法律第六十号(暴力行為等処罰ニ関スル法律


〇 昭和五年法律第九号(盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律

〇 鉄道営業法


〇 船舶安全法


〇 物価統制令


〇 未成年者飲酒禁止法


〇 未成年者喫煙禁止法


など 

 

・「現行法令現代語化統一法」を立法し、全現行法令のカタカナ語を廃止できないか。



<理解の補強>

あたらしい憲法のはなし 宮沢俊義 著



小見出しのない法律には、小見出しを付けるべき

 近年立法された法律は、条文番号の前に(小見出し)が付けられています。しかし、古い法律や古い法律をそのまま受け継いで改正している法律は、(小見出し)付けられていません。これでは、法律学習者の条文へのアクセスを困難にしてしまいます。すべての法律に(小見出し)を付け、アクセシビリティを向上させます。


(小見出し)のない法令

〇 憲法

〇 刑事訴訟法

〇 独占禁止法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律





 こんな感じで、法律を分かりやすくしていきたい。

 





法のアクセシビリティ

〇 難しい問題がある。アクセシビリティが高い資料は、おもてなし度が高い。おもてなし度が高いと、その人は恵まれた環境でアクセシビリティのクリエーターに守られて生きているということになる。すると、法学を学ぶ上で必要な「人権侵害の恐怖」の側面をよく理解しないまま法律のメカニズムだけを学ぶことになってしまう可能性がある。法はもともと、「人権侵害の恐怖」を感じている人々の意志と念によって組み上げられ、成り立たせられているという部分がある。この恐怖感を原動力として法の論理が生み出されているのに、その恐怖感をアクセシビリティとおもてなしによって見ないままにしてしまうと、結局、表面的な法のメカニズムしか捉えないままに法を分かった気になってしまうことがあるだろう。これは、法を使えても、人権侵害から身を守るために法を創造する意識が欠落してしまう。すると、弱者の苦しみが分からないまま法を多数派の横暴に加担する形で使ってしまう可能性が考えられる。このような、安易に法のアクセシビリティとおもてなしを重視すると、かえって法の本質を見落とすことに繋がりかねない。どこのアクセシビリティを高められるのか、また、法のメカニズムを知る上で落としてはいけない人権侵害の本質的な恐怖の観念はどのように伝えられるのか。その辺の使い分けが十分にできた上でアクセシビリティを高めるべきだろう。


〇 アクセシビリティが高すぎると、そのアクセシビリティに依存してしまい、結局自分でその分野の柔軟で本質に迫った理解を得ないままになってしまうことがある。アクセシビリティと教育意図の難しさがここにある。この辺をしっかり整理して、理解を十分に導くためのアクセシビリティとは何なのかを見抜く必要があるだろう。安易な納得感のためのアクセシビリティで、理解を導かないものには教育上は注意した方が良いだろう。


〇 アクセシビリティに流されて生きていると、本質を見抜く目が養われないことがあると思う。その辺を失敗しないように、本質を確実に見抜くためのアクセシビリティでありたい。ここを間違えると、何のためのアクセシビリティなのか分からなくなりる。アクセシビリティは手段であって、目的ではないことを知っている必要があると思う。

 

〇 条文ばかりを集めた書籍を法学界では「六法」と呼ぶが、この名称も廃止した方が良いと思うね。憲法・民法・商法・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法が主要な法典として六法とされていたようだが、現在では司法試験に行政法が入っている。だから、もう「六」という数字が意味をなさないのだ。それに、商法から会社法が分離していたりするし、もう八法なんじゃないかと。こういうさ、古い伝統が法律初学者の頭の中をめちゃくちゃにしてしまうんだよね。やめようぜ。整理して、六法という呼び名を廃止し、「条文集」とか、「主要法」とかにした方がよくないか。古いネーミングや洗練されていない概念にいろいろ惑わされるんですよね。混乱して嫌になるでしょ。本当に法学界はめちゃくちゃだと思いますね。それと、めちゃくちゃだから嫌になって諦めた人と、めちゃくちゃであることを利用して法学を分かったふりして驕っている人がいる。前者はかわいそうだし、後者はウザい。何とかした方が良い。もっとアクセシビリティの高い法学界を創造していかないと駄目だ。そういうのをちゃんとやっている人がいないんだよ。だから日本の法学界はぐしゃぐしゃなんですよ。法学部の教員が学会で力を発揮して何とかしないと駄目だ。それが次世代の法学者のためになるのだから、法学部という教育機関がやらずして誰がやるのだ。誰かがやらないと、法学界は改革されませんぜ。

 

【動画】2020年開講 伊藤塾長の体験講義-『基礎マスター憲法1~2』 2020/04/07

【動画】伊藤塾塾長 伊藤真 特別講義「行政書士と憲法」 2021/02/23

【動画】2023年度前期・九大法学部「法学入門」第1回〜ガイダンス 2023/04/18


〇 マジで国会議員も、美しい法体系に整備しなおして、美しい法体系を国民に提供してくれないと駄目だろ。「立法サービス」という精神がないんだよね。世界最高の最アクセシビリティの、見ていて惚れるぐらいの法体系に整備しなおすべきだ。そういう、「立法サービス」をしていないところが問題なんだよ。それに、省庁の人間も、法律に従って動いているだけだ。だから、「立法アクセシビリティ・サービス法」を実現し、美しく簡便で分かりやすく整った法体系を整備する仕事を国家公務員に担わせるべきなんだ。整った法体系は、国益に沿う。当然の責務だ。アクセシビリティの高い法体系へと、整備しなおしてくれよな。だから、「立法サービス」だ。

〇 全国の法学部の教員が、「条文のアクセシビリティ改正 要求リスト」を作成して、継続的に国会議員に要求できるようにしておくべきだと思いますね。そういう圧力をかけておいたら、法務省も検討会議を重ねるようになるでしょ。そういう、要求リストで分かるようにしていかないと、いつまでもアクセシビリティが向上しないよ。そうやって、継続的に法学者の実力を政治家に見せつけておかないと、政治家がよく分からないままに暴走して違憲立法してしまうからさ。そんな美しくない法律で、国民の人権が守られるわけがないんだよ。政治家が、「後々、アクセシビリティ法学会に叩かれるぞ。」って、感覚的に分かるようにしておかないといけないわけよ。そういう感覚が薄いから、暴走していくんだよ。

〇 「政府情報アクセシビリティ創生法」を作ったほうがいい。政府情報をアクセシビリティの観点から統合的に監督・整理する専門機関を作ったほうがいい。アクセシビリティを政府の全情報に備えさせるべきだ。すると、国民の学習効率や業務効率が上がり、「アクセシビリティの美しい国、日本」になる。アクセシビリティ学会から様々な学説を聞いて、より本質に迫った美しいアクセシビリティの高い情報基盤をつくるため、「政府情報アクセシビリティ創生法」を、成立させてくれよな。


〇 なんで、「法学バリアフリー」にしないんだ。法学には、バリアが多すぎるだろ。そんなレベルでは、国民の権利救済など不可能だ。案外、新しくできた国家の方がシンプルで分かりやすい法律を運用していたりするようだ。変な慣習がない分だけ、最先端の法典をつくってすっきりしている場合があるらしい。日本も、変な慣習をもっと整理したほうがいいぜ。


〇 法学世界を分かりやすくしようとしていない法学者の傲りがウザいよね。もっと、法学世界を分かりやすく整えろよって思いますよね。それを怠っているのは誰だ?そうだ、全国の法学部と立法府だ。何とかした方がいい。アクセシビリティが低い法学界は、古いんだよ。

〇 「アクセシビリティの高い法体系」をつくっていこうぜ。分けわからない順序関係で書かれた法律ってあるでしょ。あんなものを改正しないでそのまましているのは、法学に対するアクセシビリティが低いよね。日本の法体系はずさん過ぎるわ。

〇 「法体系アクセシビリティ整備法」とか、国会議員に提出したほうがいい。


①乱立した刑法の特別法を、刑法典に参入。
②行政法の国家補償の谷間を解消。
憲法に総則を設け、章の配置順序を整理しなおす。
民法典の物権・債権の編纂の乱れを改め、「債権者代位権や詐害行為取消権の責任財産の保全」や、「保証などの人的担保」、「物的担保」の条文を一か所に集め、学習者の混乱を防げるように整理。
など


こういうものをさ、放置しているのがさ、分かりづらいわけよ。何万人の法学の学習者を混乱させているわけでしょ。改正を推し進めるように、「法アクセシビリティ整備法」から成立させたらいい。そしたら、法体系の編纂や整理をも、国会で迅速に取り組んでもらえるだろうよ。日本の法体系はアクセシビリティが低すぎる。法学部の教員よ、国会議員に文句を言って何とかしてしまった方がいい。アクセシビリティ法学会とかつくっていったらいい。学生が困っている。学習のしづらさは生産性が低く、国益を損なう。とか、いろいろ論文で証明したらいい。





アクセシビリティ方針

〇 異文化を見ると、今まで抽出し物事の本質として捉えていた共通項がさらにそぎ落とされて簡素に洗練されていく。今まで信じていた物事のさらに背後にあるより本質でシンプルなメカニズムが見えてくる。すると、今までになく効率的で、今までにない柔軟さ、今までにない高い可変性や高い許容性を生み出す極めて簡素なメカニズムを抜き取ることができるようになる。その視野を持てるように、様々なものを比べ、そぎ落とされた簡素な本質を扱えるように努めることだ。それが美しいシステム、美しい組織、美しい姿、どんな状況下でも効率的に堪えうるメカニズムを生み出すだろう。それが全ての人にとって価値ある形となるだろう。


〇 難しいのは、アクセシビリティが高い製品やサービス、情報ばかりを使っていると、それ以上に考えて本質を理解しようとしない場合があることだ。つまり、そのアクセシビリティの高い製品やサービスに依存してしまい、そのアクセシビリティによって乗り越えられている何らかのメカニズムを自分の力で越える力が備わらないことがあることだ。物事の本質的なメカニズムを捉えるためには、様々な角度から多角的に検討し、それに堪え得る理解を会得する必要がある。しかし、アクセシビリティが高い製品やサービス、情報に触れていると、その多角的な検証をせずとも障壁を乗り越えるために、本質的なメカニズムを自分のものとして会得しないままになってしまう場合がある。それで物事が済んでいれば特に問題はないが、教育の場では本質的なメカニズムを会得し、自らの考える基盤として身に着けることを目的とすることが多いから、アクセシビリティの高さがかえって教育意図を達成する妨げになることがあるだろう。しかし、それを把握し、さらにその欠点を補うだけのアクセシビリティの高さを維持した多角的な検討を導く教育プログラムをつくり上げることは可能であるはずだ。そのような情報提供や環境をつくり出すのが教育の役割だろう。

 

同じような難しさが差別の問題にもある。差別的な問題は是非とも解消したいものであるが、「差別は解消されたので、今は差別はない。」としてしまうことの危うさだ。差別がないことを前提とすると、もし差別があった時に、それに対応し、乗り越えるための対策を準備する視野や手段を選択肢として開いておけないことだ。すると、いつまでも差別を乗り越えられない犠牲を生む。

 

このように、簡単で、問題の起きないシンプルで美しい姿にしたいものではあるが、それを生み出して維持しているもともとの状態を把握できないことは、それで対応できなかった者に対してかえって越えられない壁を生む危険性がある。こういった側面を知っておく必要があるだろう。


〇 根っこのないアクセシビリティは、本質を見誤って長くは続かないと思うんだな。そこを間違えたくないね。根っこのないおもてなしもそうだと思う。浅いんだよね。そういうのはやめておきたい。


〇 アクセシビリティを高めても、実質的な堅実さを損なわないようにしたいね。堪え得る堅実さを保つように。


〇 安易なアクセシビリティは、単純化して割り切る性質上、認識の負担や労力が少ないだけ、切り捨てて差別的な発想に繋がる恐れもあるだろう。複雑なものを複雑に捉えるということを忘れないようにした上でのアクセシビリティでありたい。アクセシビリティはおもてなしや初めのきっかけであり、もともとの複雑なものを取り扱っていく心構えも備えられるようにしていくことも必要だと思う。アクセシビリティに頼り続ける発想にならないようにしたい。アクセシビリティは追及するが、そこで終わらないようにし、本来的なもともとのものを取り扱って対応できる創造性まで十分に導いていきたい。


〇 「アクセシビリティ」と「創造性」の両立が必要だろうね。アクセシビリティが整えられていても、可変性や柔軟性、融通性、創造性が失われていることがある。そうなってしまうことがないように注意したい。アクセシビリティは高くとも、進化する可能性やきっかけを常に開いておくことが必要となるだろう。


〇 柔軟性や許容性の低いアクセシビリティって、冷たい印象があるよね。切り捨てられるようで嫌ですよね。そうならないようにアクセシビリティを高めていく必要があるだろうね。



<理解の補強>

法令の書き方についての建議





憲法部会
 

〇 法律用語の、「主権」の意味が多すぎる。それに、「機関」の意味も、多義的すぎる。もっと、言葉の特定性を向上させた用語を開発した方が良い。文章を読んでいても、どの意味の「主権」どの意味の「機関」を使っているのか掴むのが難しい。

 そもそも、最初のうちは学習していて「主権」や「機関」の意味が何通りもあることを知らなかった。そのため、頭の中で混乱し続けていた。そういう混乱をすべての学習者に強いる法学の世界はあまりに整備が遅れている。法学者を集めて、用語の整理をした方が良い。これからの法学界のアクセシビリティを作り出していかなくてはならない。


主権 Wikipedia
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主権とは、
・国民および領土を統治する国家の権力のこと。
・他国の支配に服さない統治権力のこと。国家の構成要素のひとつで、最高・独立・絶対の権力。
・国家の政治のあり方を 最終的に決める権利のこと。「国民主権」など。
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機関(法) Wikipedia
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法律用語としての機関とは、
・ドイツ法や日本法における概念で、法人のために意思決定や行為を行う一または複数の者をいう。
・法令用語としては、省庁などの組織を指して「機関」ということもある。
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 こういう、多義的な意味を持つ場合は、各意味に新しい用語を割り振った方が良いと思われる。こういう意味を統一しないままに、教科書を書いていたり、授業をしていたりと、話者と受け手が常に混乱しながら学習することになる。このような非効率な法学界の体質を改めねばならない。


人権 Wikipedia
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「人権」には「基本的人権」や「基本権」のように関連する概念があり、これらが相互に区別して論じられることもあれば、同義的に使用されることもある。
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このような混乱も多い。

 

 それに比べて、「行政罰」「執行罰」「科料」「過料」「罰金」「課徴金」「逮捕」「監禁」「留置」「拘留」「拘禁」「禁錮」「懲役」「留置場」「拘置所」「刑務所」「少年院」「少年鑑別所」など、刑事法は意味がそれぞれしっかりと整理されていて美しいのではないだろうか。こういういった整理された感じがいいのではないだろうか。


〇 これだけ国際化して多くの外国人が行き来しているのに、「外国人」の人権享有主体性が条文にないのはありえないのではないか。「外国人」の人権享有主体性を、学説に頼るのではなく、その程度を条文化した方が良いのではないか。国内の「法人」についても同じように人権享有主体性を条文化して明確化した方が良いと思われる。適用対象が学説や判例に頼るというのは、法の包括性・完全性がない。これは完全に立法者の盲点といっていいだろう。人権規定に、「第〇条 法人や外国人にも性質上可能な限り基本的人権が保障される。」と書き込めばいいのではないか。


〇 憲法の文中の、「何人も」「何人に対しても」や、「日本国民に」「国民は」「すべて国民は」などの、バラバラした用語も整理した方がいいと思う。


〇 「表現の自由、報道の自由、取材活動の自由、知る権利、アクセス権、反論権」などといいうが、「〇〇の自由」とか、「〇〇の権利」とか、「〇〇権」とか、言葉が明快に統一していないところがある。「これは違うのですか」って聞きたい。法学の世界には、こういうバラバラしたものが多すぎる。「表現権、報道権、取材活動権、知得権」とかに全部統一したほうがいいのではないか。あれやこれやいろんな言葉にして、学習者や初学者、法学を学んでいない人の混乱を防ぐように配慮した用語に統一した方が良い。何とかしたい。


 もし、「『〇〇の自由』は、自由権の分類である。」ということであれば、「〇〇の自由」ではなく、「〇〇の自由権」という風に改名すればいいだろう。その方が、「人権」の一種ということが分かり易いはずである。それに、経済的自由権の中には、「職業選択の自由」のような「〇〇の自由」というものもあるが、「財産権」もあるから、結局、自由権の概念だからと言って「〇〇の自由」という形式にあてはめきることもできない。そういう、用語の扱いが雑である。こんなことだからアクセシビリティが低く、混乱を与えるだけになる。法学者が何とか整理すべきである。


自由権 Wikipedia

人権 Wikipedia


 それに加えて、憲法の文中でも人権について「国民の自由及び権利」や「国民に保障する基本的人権」、「国民の権利(及び義務)」などと、使う言葉がバラバラである。これでは学習者を混乱させてしまう。アクセシビリティが低い。


 「基本的人権」の中に、「自由」や「権利」が入っているという意味だろうか。その「自由」というのが、「自由権」であるならば、そもそもそれは「権利」に含まれるのではないか。では「自由及び権利」というのは、やっぱり「基本的人権」に置き換えられるのではないか。法技術的な定義を書き込むようなことはせず、詩的文法を重視したためにこういう言い換えの曖昧さが残っているんじゃないか。これは学ぶ際に理解が困難で面倒なところがある。もともと法の前提(源にあるもの)は人の感情であるから、憲法が詩的な言葉遣いになりやすいのは理解できる。ただ、そういうのは前文に上手く詰め込み、法技術は法技術として使えるようにしてほしいと思う。


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第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
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 であるならば、11条で「この憲法が国民に保障する基本的人権」と言っているのであるから、12条では「『基本的人権』が保障する自由及び権利は、」と書けばいいのに、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、」となっている。そこは整合性が悪いと考える。学説を整理して読みやすい用語に整えるべきであると考える。表面的なアクセシビリティに引きずられて人権の本質を落とさないように注意する必要はあるが、そこをやるのが法学者の仕事であると考える。しっかりと本質まで掘り深めてアクセシビリティのを向上させなくてはならないはずである。



〇 それに、「行政権は、内閣に属する。」なのに、地方自治は行政法が適用されるでしょ。行政権が内閣に属しているはずなのに、地方自治との整合性がないですよね。どういうこと?こういう混乱が多すぎるんですよね。美しくない。


憲法
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〔行政権の帰属〕
第六十五条 行政権は、内閣に属する。
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 こんなの、一般の国民に分かるわけないでしょう。凡人に分かるようにしていないところがよくないね。これで法学を名乗っている立法ミスが本当にあり得ないね。

 

 大体、この「行政権は、内閣に属する。」という条文であるが、「行政権」という文字が、国民の人権である「財産権」とかの【権】という言葉と被るんですよね。

 ここでいう「行政権」の【権】は、国民の「基本的人権」の『権利(right)』の【権】ではなくて、『権力・権限・権能(power)』の【権】でしょ。こんなことだから、法学は分けわからなくなるわけですね。


幸福追求権
生存権
財産権
司法権
環境権
請願権
黙秘権
行政権
立法権
解散権
労働基本権
団体行動権
精神的自由権
経済的自由権


など、この中に「行政権」「司法権」「立法権」「解散権」って書きましたけれども、混じってしまいますね。こういう、無駄に混乱させる用語が多すぎる。こういうことを知らずに学び始めると、完全に迷子になるね。こういうのに惑わされて、法学勉強するのを諦めた人がかなりの数いると思うぞ。アクセシビリティを高めないといけない。


〇 憲法や民法1条3項のやたらにくどい「これを」の言い回しをカットした方が良いのではないか。


憲法23条「学問の自由は、これを保障する」など
民法1条3項「権利の濫用は、これを許さない。」


 ただ、「学問の自由は保障する。」だと、「学問の自由は → 保障する」なのか、「学問の → 自由(だけ)は保障する。」なのか、文の切れ目が分からず、単語を確定させることができないという説もある。『学問の自由』『権利の濫用』という単語を強調させるためには、「これを」の言い回しを通例化した方がいいとの説もあるようだ。


 ただしかし、「学問の自由は、保障する」とすると、主語+述語のように見えてしまい、「学問の自由」が何かを保障するかのような印象にもなってしまう。かといって、「国は、学問の自由を保障する。」としてしまうと、ちょっと国家色が強くなって『学問の自由』を強調することができない。となると、そのままの方がいいのかもしれない。

 いや、これは、「憲法は、学問の自由を保障する。」という意味だろうか。主語がはっきりと捉えられないから、結局脳内イメージが掴みづらいんだよな。


 「これを」の言い回しは、言葉の意味と範囲を限定し、その言葉が何に掛かるかを明確にするという効果もあるようだ。しかし、もう少し別の自然な文面に変えられないものだろうか。


〇 21条2項の「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」との文であるが、国は「通信の秘密」を侵してはならないということなのか、私人同士でも「通信の秘密」を侵してはならないのか、その点が明確に掴むことができない。このような意味が曖昧な規定は、より意味をイメージしやすいものに書き換えたほうがいいのではないか。

 もう一つ、「通信の秘密は、これを侵してはならない。」の文は、3項にすることはできなかったのだろうか。なぜ一つの項にまとめようとしたのだろうか、その意図が分からない。条文番号は事細かに変えたほうが、概念を整理しやすく、学習や運用の際に扱いやすくなるはずである。


〇 「憲法31条の手続きの適正は、実体の適正も含まれると解される。」との学説があるが、予め「実体も適正でなければならない。」と条文中に書いて改憲してしまえばいいのではないだろうか。どこの政党も、こういう明快な学説をしっかり書き込んだ改憲案を発表してないように思う。そのような、書けるものは書いてしまってもいいのではないかと思う。いつまでも憶測でいろいろ学説を増やしてしまうと、非効率だとと思うね。また学習しなくてはならない学説が増えてしまうじゃないか。それ以上ないと分かっているようなものは、条文中に明快に示し、勉強しないといけない論点を削減したいと思ってしまう。すると、法学がもっと明快で誰にでも学べる世界になるはずだ。


 他にも、「31条は刑事手続きについて定めた条文であるが、行政手続きにもその保障が及ぶと解される。」との学説がありますが、それだったら改憲案に「これは行政手続きにも及ぶ。」って書き込めばいいじゃないですか。そのような、やたらに推測し、学説を増やしてしまうのは、学習者の混乱を招くのでやめた方がいいと思います。アクセシビリティが低いと思います。やたらに規律密度を濃くする必要はないと思いますが、簡潔な論理は条文化したほうが国民のためだと考えます。柔軟性を失ってはいけませんが、柔軟性を失わない程度にアクセシビリティを高める方法はあると思われます。改憲するならば、そういう改憲草案をつくるべきだと考えます。


 国家運営の形を変えるのではなく、こういうアクセシビリティを高める改憲であれば、学者から見ても妥当性が高いだろうと思われるので、誰もが反対せずに改憲できるのではないかと思います。ただ、国家運営の形を変えるようなリスクの高い改憲を行わせないために、アクセシビリティのためだけに改憲する「お試し改憲」を許したくないという慎重な気持ちも分からないではありません。しかし、誰も文句を言わない美しい法典に条文化する作業は改憲案の形で提示し続けるのは構わないと思います。アクセシビリティについて、もっと議論や合意を積み上げられるようにしていってほしいと思います。


 政治家や政党が改憲案を発表するのではなく、法務省が法学者を集めて法学的に洗練さた改憲の提案を発表してもらってはどうだろうか。民法改正などでいつもやっていると思います。なぜ憲法改正においてはそれができないのでしょうか。法学者であれば、法的な整合性の高い質の高い妥当な憲法典のあり方を提示する力はあるはずです。それを選択するかどうかは、国会議員や国民にかかっています。確かに「行政」の管轄下で憲法案を「立法」させるのは危険な面もあると思いますが、法学の専門的技術的な仕組みをよく分かっていない政治家が法技術を無視した形で改憲を強行してしまうことも危険であると考えます。法学者が改憲草案をつくり、その妥当性の論理の上に、政治や国民の価値観が入ればいいのではないでしようか。法技術を飛ばしてしまう政治家が改憲に手を出してしまうと、つじつまの合わない改憲案を発表してしまうことになります。その作用は国民の人権保障を確実にする上で大変危険なものです。そのため、法学者が議論をした中で、いくつかの提案を絞り出し、新しい憲法改正案をつくり出した方がいいと思います。


<参考>

憲法改正論議をどのように行うのか 検討に値する、内閣による改憲案提出 2017年01月18日


〇 憲法35条の1項・2項の分け方の意味が分からない。


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第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
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 1項の中に、2項を入れてしまえばいいのではないか?

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第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する権限を有する司法官憲が発する各別の令状がなければ、侵されない。
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第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、権限を有する司法官憲が発する)正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する(各別の令状がなければ、侵されない。
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〇 35条の、「第三十三条の場合」というのが分からない。

 

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第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。

2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

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 では、「第三十三条」を確認する。

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第33条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

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 「現行犯として逮捕される場合」のことを意味しているのだろうか。そうならば、「第三十三条の場合」という風に書かずに、「現行犯として逮捕される場合」とそのまま記載すればそれで良かったのではないのか。下記に、35条の「第三十三条の場合」の部分に「現行犯として逮捕される場合」の文言を当てはめてみる。

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第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、【現行犯として逮捕される場合】を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。

2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

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 この文面を反対解釈すると、「現行犯として逮捕される場合」には、「
正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状」が存在せずとも、「住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利」は、侵されるという意味だろうか。

 「第三十三条の場合」という記載をすると、「第三十三条」のすべてを指し示すようなイメージとなってしまい、35条を「何人も、……の権利は、『何人も、……逮捕されない。(33条)』場合を除いては、……侵されない。」と読み取ってしまうこととなる。「〔否定文〕を除いて〔否定文〕」というかなり頭の中で混乱した文を思い描いてしまうこととなる。このような意味不明な混乱をもたらす文を解消する必要がある。


 憲法31条から40条の刑事訴訟関連規定群の文面や構成が、あまりに洗練されていない。分かりづら過ぎる。回りくどすぎる。何とかならないのか。



〇 「国会」は立法権を有しており、国会しか立法権を有しない。それにもかかわらず、「行政権」が「行政立法」をして「政令」「府省令」「規則」とかつくったりする。こういう、立法権は「国会だけ」と聞いていたのに、「行政権」も「行政立法」を行うとか、学ぶときに本当に意味不明なんだよね。何とか分かりやすくできないのか。「何?、『行政立法』!?。行政権と立法権が混ざってないか。」と混乱してしまう。

 「司法行政」という言葉もあるしな。わけ分かんないんだよね。


〇 用語が洗練されていない。


 「統治行為論」 …  統治行為とは、裁判所による法的判断が可能な事案でも、国家統治の基本に関する高度な政治性を有する問題であることを理由として司法審査の対象から外すべきと考え、裁判所が法的判断を控える理論のことをいう。
 しかし、国家の「統治権」と言う場合、その中には「立法権」や「行政権」以外に、裁判所の「司法権」も含まれている。こうなると、何故「立法府」と「行政府」の担当する「政治部門」の問題として法的審査の対象から除外しようとしているにもかかわらず、「統治」という司法府を含む用語を使うのだろうか。適切な用語であるとは思えない。

 「統治行為論」という用語からは、「『統治行為』に属する問題であることから司法審査による法的判断を避ける』というようなイメージがどうしても湧いてきてしまう。しかし、その「統治」という言葉から連想する「統治権」の中には、裁判所の「司法権」も含まれている。そうなると、「統治権」に属する問題であるのであれば、「司法権」を有する裁判所が司法審査して法的判断を行うことはできるのではないかとの疑問が湧いてしまう。

 このような混乱を防ぐため、「統治行為論」という用語を「高度政治性論」などの名称に置き換えた方が良いのではないだろうか。この用語ならば「政治」と書いてあるため、「立法府の立法権と行政府の行政権の二権を対象としたものだ」と感覚的に分かるはずである。

 実際、英語、フランス語、中国語では、それに近い用語となっておる。


日本語:統治行為論

英語:Political question doctrine

フランス語:Acte de gouvernement

中国語:政治问题原则


 日本語だけ浮いているが、誰が「統治行為論」という言葉に翻訳したのだろうか。(韓国は日本法の影響を受けているためなのかよく分からないが、同じく統治行為のような言葉になっているようである。)最初に「統治行為論」という言葉を用いた法学者を見つけて、そいつに説明責任を果たさせるべきだ。


 また、「政治問題」と表現すれば、それは「自由裁量」の問題であるとの印象が強く、法律論上の適法・違法の問題ではなく、政治判断に任せるべき問題であるということが分かりやすい。

 しかし、「統治行為」という文言を用いて法的判断を避けると、あたかも「国家緊急権」を発動した超法規的な性格を有するかのような認識を導いてしまいやすい。この誤解を引き起こさないために、「統治行為論」を「政治問題」であることが分かりやすい用語に置き換えることはできないだろうか。


 憲法学者「大石眞」が、答えになりそうなことを記述しているのを見つけた。

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 さらに、③の政治問題の法理は、しばしば「統治行為」理論とも呼ばれてきたが、最高裁判所がその術語を用いたわけではなく、また、その概念を用いることは理論的にも適切でない。というのも、その理論は、行政裁判制度を前提として初めて意味をもつもので、たとい行政部の行為であっても、通常の行政を超える「統治」次元の行為については、行政裁判所の審判権は及ばないとする法理である。しかしながら、すでに述べたように(Ⅰ⑴「司法審査制と立憲民主制」参照)、一次元的裁判制度の考え方に立ち、行政裁判制度を採り入れていない現行の日本国憲法の下では、そのような前提を欠いているからである。

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憲法講義Ⅰ 第3版 大石眞 amazon (P237)

 

 



〇 「社会契約」の用語の不備


 憲法を構築していく過程に関する説明の中で、「社会契約」という用語が使われることがある。

 しかし、この用語の意味が分からない。
 「契約」というのは、「民法」の4種類ある「債権の発生原因」の一つである。そもそも憲法に基づく法秩序が存在しなければ、国会の「立法権」が生まれていないため、国会の作る法律の一つである「民法」も生まれていないはずである。
 それにもかかわらず、「民法」を基にした用語である「契約」の文字を当てて「憲法」の原理として「社会契約」を説明しようとするのは、明らかにおかしい。
 少なくとも日本法の中で憲法の原理を説明するのであれば、「契約」という文字を使わない表現に改めるべきではないか。

 こういう、法学という一つの分野を学ぶ中において、対応関係に混乱が生じるような用語は控えるべきである。

 「社会契約」は、「社会的な合意」や「国民の総意」などの言葉に置き換えることができるのではないか。

 それを、ある政治的立場から見れば「国の歴史や伝統、文化」と言い換えているのか。


 追記:「伊藤真」が詳しく解説しているのを見つけた。

 

【動画】【司法試験】5月生本開講!塾長クラス体験講義 基礎マスター憲法1-3~伊藤塾長の最新講義をリアルタイムで体験しよう~ 2021/05/14



〇 大日本帝国憲法の「法律の留保」と、行政法学上の「法律の留保」では言葉が同じであるが概念は異なる。この混乱を回避することができるような新たな用語を当てることはできないのか。

〇 憲法学を勉強していると、よく出てくる人物名として「芦田」と「芦部」と「長谷部」が混乱する。それに、「美濃部」も出てくる。

 他にも、「佐藤達夫」と「佐藤功」と「佐藤幸治」も混乱する。法哲学者の「井上達夫」とかも出てくることもある。

 この辺、学習者は注意するように。

 

〇 これは違憲ではないのだろうか。


【参考】「憲法15条2項が『成年者による普通選挙を保障する』とあるのに,成人年齢が20歳の今も18歳以上に選挙権を与えられてる」 Twitter


 例えば、選挙権を与える対象を5歳児にまで引き下げた場合、民主主義の制度の根幹を揺るがすものとなる可能性が考えられる。民主主義の実現には十分な教育が必要であることは大前提であるし、社会生活を送る中で他者からの干渉に左右されにくい自律的な判断能力に関しても、十分に形成できているとは考えにくいからである。

 そのような問題を防ぐために、憲法は「成年者による普通選挙」に制限し、未成年者に対して選挙権を与えることを想定していない、あるいは禁じていると読むことができる。

 「成年者による普通選挙を保障する。」の意味は、「『成年者』に対して普通選挙の権利を保障する」の意味ではなく、「『成年者』によって行われる『普通選挙を保障する。』」の意味と考えられる。

 民主主義の安定のために、判断能力の十分でない未成年者に対して安易に投票権を与えないことを含む意味で、「成年者」を強調する形で「『成年者による普通選挙』を保障する。」としていると考えられるからである。
  このような、制度上限界となる年齢を判定する一線がもともと引かれていない場合には、制度上の趣旨や規定の意義を保つためにも、「成年者による普通選挙」に限定し、未成年者による普通選挙は否定されていると考える方が法的安定性を確保することに繋がると思われる。

 この問題は違憲訴訟を起こしたらどうなるだろうか。

 

 (追記) 下記の答弁を見つけた。


第142回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第4号 平成10年5月7日





行政法部会

 一文に情報を詰め込みすぎた結果、凡人にはとても読めなくなっている法律が存在する。それらは、普通の凡人が読めるように整備しなおすべき。


 一文に詰め込みすぎた情報を、箇条書きに改正するべき


行政事件訴訟法
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(当事者訴訟)
第四条  この法律において「当事者訴訟」とは、当事者間の法律関係を確認し 又は 形成する処分 又 は裁決に関する訴訟で法令の規定によりその法律関係の当事者の一方を被告とするもの 及び 公法上の法律関係に関する確認の訴えその他の公法上の法律関係に関する訴訟をいう。
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↓ ↓ このような感じにします。
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(当事者訴訟)
第四条  この法律において「当事者訴訟」とは、次のものをいう。
一 当事者間の法律関係を確認し又は形成する処分又は裁決に関する訴訟で、法令の規定によりその法律関係の当事者の一方を被告とするもの
二 公法上の法律関係に関する確認の訴えその他の公法上の法律関係に関する訴訟
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↓ ↓ あるいは、このような感じです。
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(当事者訴訟)
第四条  この法律において「当事者訴訟」とは、当事者間の法律関係を確認し又は形成する処分又は裁決に関する訴訟で、次のものをいう。
一 法令の規定によりその法律関係の当事者の一方を被告とするもの
二 公法上の法律関係に関する確認の訴えその他の公法上の法律関係に関する訴訟
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 もともとの条文から意味を読み取ることが困難であり、分類の方法も明確には分からない。

 条文をあらためて点検し、意味不明な文章を改善していきたい。





民法部会

 民法に対する不満


〇 一文が長すぎて読み取れない。一文に文字を詰め込み過ぎた結果、単純な文章が複雑となっている。文全体の趣旨、文脈の把握を行う際に、初学者は不要な情報を自然とそぎ落として理解することができないため、すんなりと受け入れることができない。


原文

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(不動産に関する物権の変動の対抗要件)
第百七十七条 不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。
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↓  ↓  ↓  ↓ 
変更案
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(不動産に関する物権の変動の対抗要件)
第百七十七条 不動産に関する物権の得喪及び変更は、登記をしなければ、第三者に対抗することができない。
2 登記については、不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)その他の登記に関する法律の定めるところに従う。
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 筆者もこの一文にはかなり惑わされた。というより、読む気力を失せさせ、他にも理解しなければならないことがたくさんあるため、理解しようとする優先順位を下げてしまい、いつまでもしっくり文意を会得しようという気持ちにならなかった。

 また、「不動産登記法」など、他の法令を知らなければ理解できないだろうと思い、「不動産登記法」がいろいろ学習しているうちに自然とやってくるまで放置していた。しかし、「不動産登記法」を詳しく学ぶ機会はないまま時間は過ぎ、いつまでも理解を放置する条文となってしまった。
 最初から、条文が「変更案」のようにシンプルな内容であったならば、理解を妨げることはなく、億劫にもならず、簡単に理解できたはずである。

 こういう、つまらない文章校正のあまりに法律の普及を難しくしてしまっている。立法者の頭が悪いとしか言いようがない。


〇 物権的請求権(妨害排除請求権・妨害予防請求権・返還請求権)であるが、現行民法に条文が存在しない。判例、学説のみに頼っているが、それでは法律の知識の少ない一般人に対して、「民法〇〇条の物権的請求権を根拠に□□の返還を請求する。」という風に分かりやすく要求することができない。判例や学説を基にして物権的請求権を行使するなどということは、法律の専門家同士の中でしか通用しない。物権的請求権は条文化するべきであると考える。

〇 「停止条件」と
解除条件」の概念と、「取得時効」と「消滅時効」の概念の根本は重なるのではないか。それなのに、なぜ「停止」「取得」や「解除」「消滅」とするのか。時間軸が同じならば、同じ用語を使った方が分かりやすいのではないか。また、学習段階でも時間軸をまとめて表現した方が分かりやすいのではないか。分かりやすい図を用いるなどした方がいいのではないか。


〇 教科書には、「要件」や「効果」について、箇条書きがされていたりするが、その内容は条文と完全に一致しているわけではない。ではなぜ、条文そのものを「要件」「効果」の形で箇条書きにしないのか。条文そのものを「要件」「効果」という箇条書きの形で表記することを導入すれば、教科書とのズレはなくなって分かりやすくなるはずである。教科書でしか「要件」「効果」を理解できないような条文では、国民が理解できるわけがない。

〇 「履行」「弁済」「給付」とか、ほとんど同じ意味なのに、様々な用語を使ってくるから、頭の中の概念が混乱してしまう。もっとスッキリと概念を整理できないのか。用語が統一されていないと、学習の初期段階で、全体像を掴むまでのハードルが高くなってしまう。

 「同時履行の抗弁権」「履行の請求」とか、「弁済の提供」「代物弁済」とかいう用語があるが、「同時『弁済』の抗弁権」とか、「『弁済』の請求」とか、「『履行』の提供」とか、「代物『履行』」とか、どちらかに統一できないのか。

 民法の学習中、こういう様々な疑問が湧き起こり、民法の完成度の低さに嫌気がさしてくる。やる気を削いでしまうからね。

〇 「責めに帰すべき」という用語であるが、意味がスッキリと掴めず、よく分からないんだよね。何か言い換えることはできないのか。

 
〇 「譲渡担保」「所有権留保」「仮登記担保」が民法中に規定がないとか、あり得なくないか。どの教科書にも書いてあるのに、法典化していないことがおかしい。

〇 憲法の本質部分のクオリティの高さは、勉強していて感動を覚える。「ここまで考え抜かれているのか」と、感動せずにはいられない。それに比べて、民法の完成度は低すぎる。必要な条文が欠落している、体系的に整理されていない、条文に書かれていない当然の事実が別にある、文言が整理されていない、条文の表現の普遍性が低いものが混じっている。


〇 民法の条文をもっとシステマチックな用語に置き換えて内容を簡素化することはできないのか。

・192条の即時取得について、「取引行為によって」の文言があるが、この「取引行為」とは具体的に何を意味しているのか明らかでないのではないか。「法律行為」なのか、「契約」なのか、「引渡し」なのか、意味が分からない。法律用語として確立していないのではないか。システマチックに意味を特定できる法律用語に置き換えることはできないのか。


・「非典型型の担保物権」を法定するべきではないか。存在する区分は、明確に法律として書いてしまったほうが、学習しやすいし、網羅性が高く、守備範囲に漏れがないため分かりやすくないか。


・民法415条の「損害の賠償を請求することができる。」とあるが、「損害賠償請求権を有する。」や「損害賠償の債権を得る。」と書き換えた分かりやすくないだろうか。「請求することができる。」という文言から、直接的に債権者となることが頭の中でイメージができないんだよね。それが分かるようになるのは、相当勉強して、法主体などの概念が明確にイメージできるようになってからだよ。そういう前提を押さえていない人にも、もっとイメージしやすく、分かりやすい表現に改めることはできるはずである。


・民法709条には「損害を賠償する責任を負う。」とある。しかし、なぜ民法415条の「請求することができる。」という「債権者」の側と、民法709条の「責任を負う。」という「債務者」の側の片方の側しか表現されていないのだろうか。


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(債務不履行による損害賠償)
第四百十五条 債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも、同様とする。


(不法行為による損害賠償)
第七百九条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う
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この、当事者の一方から見た条文形式によって、両当事者の債権・債務の関係を描くのは、学習段階にある者には混乱を与えることとなる。それにもかかわらず、なぜ見方や表現の仕方を統一しないのだろうか。

・民法541条に「債務を履行しない場合」とあるが、「債務不履行の場合」と用語を統一して簡素な法体系にしてシステマチックにできないのか。


・民法の契約各論は、「〇〇することを約し」、「委託し」などがあるが、なぜ全てシステマチックに「意思表示し」に統一しないのか。「意思表示」と分かれば、民法総則の「意思表示」とも直接合致することが理解できて分かりやすいはずである。このよう表現では、各論の用語と、総則の用語の関係性の射程や、対応関係を正確に掴めないんだよね。


・「意思表示」の記載を統一できないのか。


 民法91条には「意思を表示したとき」とあるが、民法93条は「意思表示」とある。これはなぜ「意思表示」に統一しないのか。

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(任意規定と異なる意思表示)
第九十一条 法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う。


(心裡留保)
第九十三条 意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。

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 「意思を表示した」と「意思表示」は異なるものなのか。同じであるならば、記載を統一しないと、混乱を招くだけである。

 下記は、「意思を表示した」との記載を集めた。しかし、別の個所では全て「意思表示」である。統一したほうが分かりやすいのではないか。

 >第466条2項「当事者が反対の意思を表示した場合には、」
 >第505条2項「当事者が反対の意思を表示した場合には、」
 >第519条 「債務を免除する意思を表示したときは、」
 >第525条 「申込者が反対の意思を表示した場合」
 >第531条3項 「広告中にこれと異なる意思を表示したときは、」
 >第549条 「当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、」
 >第556条 「相手方が売買を完結する意思を表示した時から、」
 >第579条 「当事者が別段の意思を表示しなかったときは、」
 >第728条 「生存配偶者が姻族関係を終了させる意思を表示したときも、」
 >第817条の六 「父母がその意思を表示することができない場合」
 >第829条 「無償で子に財産を与える第三者が反対の意思を表示したときは、」
 >第830条 「親権を行う父又は母にこれを管理させない意思を表示したときは、」
 >第893条 「被相続人が遺言で推定相続人を廃除する意思を表示したときは、」
 >第903条3項 「被相続人が前二項の規定と異なった意思を表示したときは、」
 >第903条3項4項 「その遺贈又は贈与について第一項の規定を適用しない旨の意思を表示したものと推定する。」
 >第990二条 「遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、」
 >第994条2項 「遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、」
 >第995条 「遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、」
 >第997条 「遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、」
 >第1000条 「遺言者がその遺言に反対の意思を表示したときは、」
 >第1002条 「遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、」
 >第1003条 「遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、」
 >第1014条 「被相続人が遺言で別段の意思を表示したときは、」
 >第1016条 「遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、」
 >第1017条 「遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、」
 >第1047条1項2号 「遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは、」
 >第1047条3項 「遺留分権利者に対する意思表示によって第一項の規定により負担する債務を消滅させることができる。」


・民法697条に「意思を知っている」とあるが、これは「意思を表示した」や「意思表示」として使われている「意思」と違うのか。


・民法は、「解除権の行使」や「解除をすることができる。」、「解除は…によってする。」などと、様々な表現がある。しかし、解除の性質は本来一つであるはずである。これを単一の用語に整理してシステマチックに分かりやすくできないのか。様々な言葉を使うと、それが同様の法的効力を有していることを思い描きにくくなり、学習につまずく原因になる。


・709条の「損害を賠償する責任を負う。」とは、「債務を負う。」「債務者となる。」と書き換えるべきではないか。法律用語として「責任」というものが、直ちに何らかの法的効力を意味するとは思えない。「不法行為」は「債権」の一つであるから、「債務を負う。」と記載するべきではないか。何か、「責任」というと、道義的責任、政治的責任など、私人間の法律関係を規律する民法上の地位とは異なる概念が印象として混じり込みやすく、学習の際に混乱を与えることになると考えられる。法律は道徳に介入しない意味でも、「責任」などという言葉を用いるべきではないのではないか。


・民法703条の「返還する義務を負う。」とあるが、「債務を負う。」と書き換えたら分かりやすいのではないか。「義務」とは、「債務」の「務」の部分の語源となっているのであれば、そのままでいいのかもしれない。しかし、「返還する義務」とは、「返還させる権利」の対義語となるのだろうか。そうなると、債権・債務の片面から見た表現となっているのだろうか。民法上の、債権・債務の片面から見た表現は、分かりにくくないだろうか。もっと両者の間に債権・債務を同時に発生することを分かりやすく表現できないのだろうか。

〇 民法上の「処分権」と、行政法の行政行為としての「処分」が混乱するが、用語を違うものにできないのか。





商法部会

 これらのカタカナ語を現代仮名遣(口語体って言うんですか?)にして、法律を使うすべての方々が抵抗を感じないようにするべき。

〇 商法

   第二編 商行為

    第五章 仲立営業
    第六章 問屋営業
    第七章 運送取扱営業
    第八章 運送営業
    第九章 寄託

   第三編 海商
    第一章 船舶及ヒ船舶所有者
    第二章 船長
    第三章 運送
    第四章 海損
    第五章 海難救助
    第六章 保険
    第七章 船舶債権者



(追記)

<ニュース>

六法ようやく口語体で統一へ 「スルコトヲ得」やめます 2018年5月18日

「六法」すべて口語体に 航空運送のルール新設、商法改正案成立 2018.5.18

改正商法が成立 すべて口語に、航空運送のルール新設 2018/5/18

六法全て平仮名使う口語体に統一 改正商法が成立 2018年5月18日

 ありがとうございます。商法、口語体に統一です。我々の思いが、実現に向かっています。引き続き、現行法令を分かりやすい言葉に整えていってください。お願いいたします。




刑法部会


〇 罰則のある法律は、全て一覧にして網羅的、体系的に示した資料を作るべきである。刑法は刑法典を見るだけですべての罰則が示されているわけではない。様々な特別法でそれぞれによって罰則が設けられているからである。

 しかし、どのような行為がどのような罰則に該当するのか、国民が網羅的、体系的に把握することは現在の状況では不可能となっている。これでは、どのような行為が罰則に当たるのかを予め明確に告知することで国民の萎縮効果を防ぎ、国民の自由を最大限に保障しようとする人権保障の精神が達成されていないこととなる。

 すべての法律の罰則部分を抽出し、網羅的、体系的に分類して予め国民に示すことが求められるはずである。思いもよらぬ法律によって、不意打ちで罰せられるなど、知識の不足による不測の刑罰を受ける恐れを軽減する必要があるはずである。

 国民の誰もが、この国の刑罰法規の全体像を掴み、一般人の普通の努力によって安全で合法的な生活を送ることができる指針となるような、法律の罰則部分を全て抽出した一覧表を指し示すべきである。


 外国人が日本にやってきたときも、「これをしなければ日本国内では犯罪にはなりません。」と、徹底的に分かるようにしておくべきである。予め十分な知識を付けさせることで、犯罪に当たる行為と当たらない行為を明確に切り分ける意識を持たせることができ、本人の自由や生活における生産性を確保することに繋がるはずである。

 「よく分からない」という不安の心理によって、萎縮効果を招いたり、様々な想定を各々で引き受けなくてはならないことによって精神的な負担感を背負わせることになっては、生活の質が下がることとなる。

 刑罰法規の内容を網羅的、体系的に予め告知する機能を最大限に分かりやすく示しておく必要があるはずである。


 インフォビジュアルを活用し、「罰則一覧」というような公式資料を生み出す必要があるはずだ。


 下記のような「刑法典」以外の罰則についても、網羅的に一覧にした資料を作るべきだ。


自衛隊法 (第九章 罰則)

公職選挙法 (第十六章 罰則)