9条関係の用語



  【このページの目次】

 

用語の混乱

〇 国際法とは何を指すか
〇 国際法の主体

〇 国際法上の「権利」と憲法上の「権限」の違い

〇 「自衛権の行使」と「武力の行使」
〇 「自衛権」の性質
〇 「自衛権」に「集団的自衛権」は含まれるのか
〇 「集団的自衛権」と「集団的自衛権の行使」の違い
〇 「限定的な集団的自衛権」は存在しない概念

〇 「自衛権」の誤解
〇 国際法上の「権利」と憲法上の「権限」の誤解

〇 国際法と憲法の優劣
〇 「自衛」という言葉
〇 「自衛の措置」とは何か
〇 「武力の行使」と「実力の行使」
〇 「侵略戦争」と「自衛戦争」の二分論
〇 「自衛戦争」を禁じる規定はどれか
〇 「交戦権」を何と呼ぶか
〇 「交戦権」の『権』とは何か





用語の混乱

 9条関係を深く議論しようとすると、必ず用語の混乱に遭遇する。


 筆者は、憲法学界が総力を挙げて用語を整理する作業に取り掛かる必要があると考える。

 まずは憲法学者が「9条解釈 用語集」というホームページをつくり、統一規格を生み出すのはどうだろうか。
 「内閣法制局」や「国会の衆参法制局」も、9条解釈で使われる用語の意味をすべて解説した統一規格となる用語集を整備する必要があると考える。

 一つの用語に複数の学説が存在する場合もあるが、それもすべて分類して整理していくと良いだろう。


 「9条解釈 用語集」は、下記の形式を参考とすると良いかもしれない。

   【参考】行政法事典 単行本 – 2013/3/1 amazon


<理解の補強>


政府解釈における「武力の行使」の系譜 : 「現点」 の確認 (スケッチ) と分析視角 森山弘二



使い分ける必要がある用語


 当サイトで解説している内容を読むにあたっては、下記の違いを意識することをお勧めする。繰り返し登場するため、これらの違いを理解していないと正確に読み解くことができないと思われる。


    【区別して理解するべきキーワード】

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〇 自衛権 (right)

〇 個別的自衛権

〇 集団的自衛権

〇 自衛権の行使(自衛権の発動)



〇 侵略戦争

〇 自衛戦争


〇 自衛のための措置(自衛の措置) (power)

〇 自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するため必要最小限度) = 三要件(旧)

〇 自衛行動


〇 武力の行使(武力行使)

〇 実力の行使(実力行使)

 

〇 陸海空軍その他の戦力(戦力)

〇 自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)

〇 警察力


〇 交戦権

〇 自衛行動権

〇 警察権

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国際法とは何を指すか


 国際法とは、主に「条約」を指し、国際慣習法も含まれる。国連憲章も「条約」の一つである。

 

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○政府委員(大森政輔君) 憲法との関係でございますので、まず私の方からお答えいたしたいと思います。

 ただいまお尋ねになりました国際連合憲章、これは九十八条第二項が述べております我が国が締結した条約、すなわち我が国が国際連合に加盟するために締結した条約に当たると解しているわけでございます。

(略)

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第136回国会 参議院 予算委員会 第8号 平成8年4月17日

 




国際法の主体


 「自衛権」という概念は、国際法上の「主体(法主体)」に対して与えられる『権利』の一つである。


 この『権利』の性質を明らかにするために、いくつかの法分野を参考に「法主体」の概念を検討する。

 憲法上では、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。(憲法11条)」とされており、「国民(現在及び将来の国民)」であれば法主体として認められ、「基本的人権」という『権利』を与えられ、享有を妨げられることはないとされている。学説上は「国民」だけでなく、外国人や法人にも性質上可能な限り『権利』の適用を認めることができるとされている。ただ、「人権」は憲法典を定めて国家が形成される以前から人がもともと有している『権利』であるとする「自然権(前国家的権)」とされることがある。

 民法上の法主体には「自然人」と「法人」の二つがある。自然人については、「私権の享有は、出生に始まる。(民法3条)」とされており、「出生」によって民法上の主体(法主体)として認められることになる。法人の場合は「法人は、この法律その他の法律の規定によらなければ、成立しない。(民法33条)」とされており、法律によって成立し、法主体として認められることとなる。

 権利義務の主体となり得る地位を、自然人の場合は「権利能力」、法人の場合は「法人格」という。

 

【動画】司法試験入門講座 プレ講義 「体系マスター」民法5 「契約の成立と効力発生まで~民法総則」 2020/03/17


 刑法上の主体(法主体)として認められるのは、「自然人」と「法人」である。犯罪行為の主体について、自然人の場合、法文上では通常「者(〇〇した者)」と表現されている(刑法)。

 国際法上の法主体として認められるのは、「国家」と「国際機構」と「個人」を挙げることができる。「国家」については、他国による国家承認を得ることによって、国際法上の主体となる地位を取得することになる。

 国際法上の法主体について、下記でさらに詳しく確認する。


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3 国際法の主体


A 法主体
 国際法主体とは、国際法における「法主体」という意味であり、国際法人格という表現もされる。「法主体」とは、法の主体すなわち法で定められた権利・義務の主体のことである。「法人格」については、独法系と英米法系とで意味が異なる。独法系の意味では、「権利の主体となることのできる地位または資格を権利能力(Rechtsfahigkeit〔筆者:※〕)または人格(Personlichkeit〔筆者:※〕)」(我妻、1965・43頁)、あるいは「法人格(Rechtspersonlichkeit〔筆者:※〕)」という。すなわち法人格とは、法的人格の意味で用いられている。他方、英米法の用法では、「法人格(corporate persnality)」、「法人(body corporate)」、法的主体・法人格(legal entity)」は、営利・非営利の法人および行政的活動を行う公法人を含む概念として用いられ、特に前二者は、米法においては営利法人を指称する場合が多い(田中、1991)。つまり、英米法では、自然人(natural person)に対する概念で、法により、構成員から独立した法人格を認められた人為的な法主体、法的人格(artificial person, juristic person)をいう。この概念は、国際社会の法主体では、国際機構の法主体性に類似する。


B 国際法主体
  国際法主体(subjects of international law)とは、上述の法主体性が国際法上で認められる存在である。すなわち、国際法の法律関係の当事者となりうるもの、国際法上の権利が付与され、義務が課される主体のことである。国家が積極的、能動的主体であるのに対し、国際機構はその能動性において限定的な主体であり、個人はさらに受動的かつ消極的な主体であるといわれる。フェアドロスによれば、「能動的国際法主体(aktive Volkerrechtssubjekte〔筆者:※〕)」は国際法を直接定立する地位にある主体であり、「受動的国際法主体(passive Volkerrechtssubjekte〔筆者:※〕)はすでに存在する国際法によって権利・義務が与えられる主体である。国際社会における唯一の能動的国際法主体である国家は、その意味からも、典型的国際法主体なのである。
 国連をはじめとする国際機構が、その構成要素(メンバー、構成員)である国家から独立して、それ自体が国際法上の権利、義務の主体となりうる能力、すなわち国際法主体性・国際法人格を有することには異論がない。しかし、国家が他国による国家承認を得て、国際法主体たる地位を当然に取得するのに対し、国際機構については国家と同じように設立と同時に国際法主体を当然に有する存在なのか(生得説)、設立条約で認められた時に初めて国際法主体となるのか(設立条約説)について学説の対立がある。多数説は後者である。ただし、設立条約中に明文規定が不存在であっても、黙示的権能(implied powers)」、「当然の推論、必然的推断(necessary implication, une consequence necessaire〔筆者:※〕)」として認められる。国際法上の主体性は、国際法によって認められるのであるから、加盟国の国内法によって変更されることはないし、非加盟国も否認できない。すなわち、国際機構は「客観的法人格(personalite internationale objective 〔筆者:※〕)」を有するとされている。
 また、今日では、第9章で説明されている諸人権条約のように、個人にも国際法の権利を定めていることがある。とりわけ、本国から保護されないことをその本質とする難民の国際法上の権利は重要である。

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Next 教科書シリーズ 国際法 渡部茂己・喜多義人 編 弘文堂 平成23年5月30日 初版(下線は筆者) 

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 (〔筆者:※〕と記載した部分については、英語ではないアルファベットが用いられている部分があり、スペルが正確に反映できていない。)


 この国際法上の主体(法主体)の概念を理解しなければ、国際法上において「自衛権」という『権利』の適用を受けることができる地位を有していることを根拠として、あたかも国家の統治権の中に『権力・権限・権能』が発生するかのような誤解が生まれやすいため注意が必要である。

 民法上の債権関係において双務契約を行った場合に、「同時履行の抗弁権」や「解除権」を行使する形で、意思表示を行うことができる場合があるとしても、それを行うか否かは当事者の自由である。

 刑法上で「正当防衛」や「緊急避難」を行う形で、人を殴ったり、物を破壊したりすること(物理的な有形力の行使)ができる場合があるとしても、それを行うか否かは本人の自由である。

 

 同様に、国際法上で「自衛権」を行使する形で、国家の統治権による「武力の行使」を行うことができる場合があるとしても、実際に「武力の行使」を行うか否かはその国家の自由である。

 ただ、日本国の場合は、憲法9条が日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」が行われることを制約しているため、国際法上において『権利』を行使することそのものは自由であっても、実際にはその『権利』を行使することができない(行使する機会がない)場合がある。


<理解の補強>



 

 ある団体(人の集まり)が法人格を得て「法人」となったときに法律上の『権利』の適用を受ける地位を獲得し、法主体として取り扱われることとなる。そのため、法主体同士の関係においては『権利』と『義務』の関係が発生する場合がある。


 しかし、その法主体の内部(法人内部)の関係や、国家が国民等に対して行う一方的行為については、『権利(right)』ではなく『権力・権限・権能(power)』と表現することが適切と思われる。

 これと同様に、国際法上の法主体である国家に対して『権利(right)』の適用を受ける地位が与えられたとしても、その国家という法主体内部の『権力・権限・権能(power)』の範囲については別問題である。国際法上の『権利(right)』の適用を受ける地位を有するからといって法主体内部で『権力・権限・権能(power)』が発生するわけではない。


 下図の「憲法」と「民法」についての矢印の向きは、「物の流れ」を示している。一般的に使われる債権者が債務者に対して請求権を有していることを示す「債権者 → 債務者」という矢印の向きとは逆になっていることに注意。

【動画】司法試験入門講座 プレ講義 「体系マスター」民法1-3 「民法とは何か」 2020/03/16

 







 日本国が国際連合を脱退したとしても、憲法9条は日本国の統治権の『権力・権限・権能』に対して効力を持ち続ける。そのため、国連憲章の「個別的自衛権」や「集団的自衛権」という『権利』の区分を基準として9条を解釈し、その制約範囲を決しようとする考え方は法解釈として成り立たない。



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○高橋(通)政府委員 この前文は、日本が国連加盟国といたしまして、国際法上、固有の権利として——固有と申しますか、集団的自衛権権利主体である、すなわち、国連加盟国としてこの権利を享有するものであるということを、はっきりうたっておるわけでございます。ただ、それではこの権利によって、この権利を援用して正当化さなければならないという行動が、個々の条文のどこにあるかと言えば、それはございません。

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第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第21号 昭和35年4月20日

 





国際法上の権利」と憲法上の「権限」の違い

 国際法上の『権利』は、国際慣習法や、国家間で締結された「条約」によって発生が確認されるものである。この国際法上の『権利』を有するとしても、この『権利』を行使するか否かは各国が自由に判断する事柄である。また、各国がその国際法上の『権利』を行使するための統治権の『権限』を有しているかどうかは、各国の憲法上の問題である。


 国家の統治権の『権限』を正当化する根拠は、各国の憲法に求められる。日本国の場合は国民主権原理を採用しているため、国民からの「厳粛な信託(前文)」により授権されることによって初めて正当性を有する国家の統治権の『権力・権限・権能』(国家権力)が発生する。

 しかし、「日本国民」が9条を定めることによって放棄し、不保持とし、否認した部分については、国民主権による「厳粛な信託(前文)」の過程でもともと国家の統治権として授権されておらず、『権力・権限・権能』が発生していない。そのため、日本国の統治機関は、9条で示された部分については行使することができない。



   【「自衛権」と「自衛の措置」の違い

 「自衛権」は、「自衛の措置」とは異なる概念である。

◇ 自衛権
 「自衛権」とは、国際法上の概念である。「自衛権」という場合、一般に不戦条約の下での暗黙の了解として許容されていた「自衛権」の概念や、国際連合の体制下での国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する同51条の「個別的自衛権」や「集団的自衛権」という違法性阻却事由の『権利(right)』の概念を指すことが多い。
 「自衛権の行使」とは、国際法上の『権利(right)』を行使する意味から見た表現である。「武力の行使」を実施した場合、国際法上の違法性を問われることになるが、この『権利(right)』を行使することでその違法性を阻却するのである。

 ただ、国会での政府の答弁では必ずしも「自衛権の行使」の意味するところを「武力の行使」を伴う措置が行われたものとして考えていない時期がある。そのため、国会答弁を読み取る際には注意が必要である。

 また、政府の答弁において、政府が「自衛行動権」の意味で「自衛権」の言葉を使っていると思われる箇所がある。政府自身が「自衛権」という国際法上の『権利(right)』の用語と、「自衛行動権」という国内法上の『権力・権限・権能(power)』の用語を区別しているのか疑わしい場合がある。注意が必要である。



◇ 自衛の措置
 「自衛の措置(自衛のための措置)」とは、日本国の統治権の『権限(power)』が「武力攻撃が発生した場合」にそれに対して行う何らかの措置のことをいう。
 砂川判決では、この「自衛の措置」の内容として「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」の二つを挙げている。

 政府はこの「自衛の措置」の中に日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」が含まれると解しており、1972年(昭和47年)政府見解はその限界を「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」としている。



 「自衛権」と「自衛の措置」の関係であるが、日本国の統治権の『権限(power)』が「自衛の措置」として「武力の行使」を行った場合、それが国際法上の「自衛権」という違法性阻却事由の『権利(right)』の区分に該当した場合、国際法上の評価では「自衛権の行使」となる。

 国家が行った「武力の行使」の内容が国際法上の「自衛権」の区分に該当するか否かの判断は、最終的には国際司法裁判所の管轄する事項である。それに対して、憲法9条の下で許容されている「自衛の措置」の範囲であるか否かという判断は、最終的には日本国の裁判所が管轄する事項である。これらは別々に評価される事柄である。

 そのため、日本国の統治権の『権限(power)』が「自衛の措置」として行った「武力の行使」が9条に抵触して違憲となった場合でも、国際法上は「自衛権」の区分に該当して国際法上の違法性が阻却されることはあり得る。

 反対に、通常は9条の制約の方が厳しいと考えられているため想定することが難しいが、9条の制約の下でもなお許容される「武力の行使」であったとしても、国際法上の「自衛権」の区分に該当せず、国際法上は違法となることも考えられる。


 国会答弁では、日本国の統治権の『権限(power)』によって行われる「武力の行使」について、国際法上の『権利(right)』としての評価概念を用いて「自衛権の行使」と述べている部分が多々見られる。

 ただ、その実質が日本国の統治権の『権限(power)』によって行われる9条に抵触しない範囲で行われる「武力の行使」であり、かつ国際法上の違法性阻却事由を得られている「武力の行使」を示す意味として使われていることが多い。

 この区別ができないと、あたかも日本国の統治権の三権分立の原理から導き出された「立法権」「行政権」「司法権」という『権限(power)』の他に、「自衛権」という『権限(power)』が存在するかのような誤った認識を抱いてしまうことになるため、注意が必要である。

 



 

 政府は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否を、国際法上の「個別的自衛権」に該当するか「集団的自衛権」に該当するかという基準によって決しているのではなく、「自衛権発動の三要件(旧)〔『武力の行使』の三要件(旧)〕」を満たすか否かによって決している。

【質問】
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 (二) 例えば我が国が攻撃されてはいないが、同盟国の軍隊が我が国領域外のこれに接着した水域で攻撃され、同盟国に対する武力行使と評価しうる場合に、同国を防衛しなければその直後には我が国への武力行使が確実と見込まれるようなとき、すなわち個別的自衛権に接着しているものともいえる形態の集団的自衛権に限って、その行使を認めるというような場合を限局して集団的自衛権の行使を認めるという解釈をとることはできないか。このような解釈を含め、集団的自衛権に関する憲法解釈について政府として変更の余地は一切ないのか。
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政府の憲法解釈変更に関する質問主意書 平成16年5月28日 (下線・太字は筆者)

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【答弁】
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 お尋ねのような事案については、法理としては、仮に、個別具体の事実関係において、お尋ねの「同盟国の軍隊」に対する攻撃が我が国に対する組織的、計画的な武力の行使に当たると認められるならば、いわゆる自衛権発動の三要件を満たす限りにおいて、我が国として自衛権を発動し、我が国を防衛するための行為の一環として実力により当該攻撃排除することも可能であるが、右のように認めることができない場合であれば、憲法第九条の下においては、そのような場合に我が国として実力をもって当該攻撃を排除することは許されないものと考える。
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政府の憲法解釈変更に関する質問に対する答弁書 平成16年6月18日 (下線・太字は筆者)



   国際法と憲法に矛盾抵触がない


 国際法上において国家が『権利』を有している場合に、憲法上でその『権利』の行使を制限したとしても、国際法と憲法との間で矛盾抵触が生じるわけではない。

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○秋山政府特別補佐人 集団的自衛権と憲法第九条の問題でございますが、お尋ねにございましたように、我が国が主権国家である以上、国際法上は集団的自衛権を有していることは当然でございますが、国家が国際法上、ある権利を有しているとしましても、憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限することはあり得ることでございまして、国際法上の義務を国内法において履行しない場合とは異なり、国際法と国内法との間の矛盾抵触の問題が生ずるわけではございませんで、法律論としては特段問題があることではございません。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日 (下線・太字は筆者)


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○角田(禮)政府委員 ちょっと別の例で申し上げて恐縮でございますが、いわゆる個別的自衛権、こういうものをわが国が国際法上も持っている、それから憲法の上でも持っているということは、御承認願えると思います。
 ところが、個別的自衛権についても、その行使の態様については、わが国におきましては、たとえば海外派兵はできないとか、それからその行使に当たっても必要最小限度というように、一般的に世界で認められているような、ほかの国が認めているような個別的自衛権の行使の態様よりもずっと狭い範囲に限られておるわけです。そういう意味では、個別的自衛権は持っているけれども、しかし、実際にそれを行使するに当たっては、非常に幅が狭いということを御了解願えると思います。
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第94回国会 衆議院 法務委員会 第18号 昭和56年6月3日 (下線は筆者)


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○大森政府委員 集団的自衛権に当たるから認められないとか、集団的自衛権に当たらないのだから認められるという、集団的自衛権を核にした議論がよくなされるわけでございますけれども、我が国の問題に関する限りは、やはり集団的自衛権の概念を解するのではなくて、我が国を防衛するために必要最小限度の行動に当たるかどうかということが基準になるはずでございます。
 したがいまして、冒頭にも申し上げましたとおり、憲法九条は、国際紛争を解決する手段としては武力による威嚇または武力の行使等を禁止しているけれども、我が国を防衛するために必要最小限度の実力行動は禁止していない。したがって、問題となる行為が我が国を防衛するために必要最小限度の行為であるかどうかということによって事が決せられるべきであるというふうに考える次第でございます。(岡田委員「持っているけれども行使できないというのは」と呼ぶ)国際法上は集団的自衛権を主権国家であるから保有しているのである、これは国際法上そのように解せられておりますから、従前も政府の答弁としてもそのように答弁してきているわけでございますが、やはりそれに対しまして、我が国は最高法規としての憲法によりまして、我が国の行動を縛っているわけでございます、言葉は悪いかもしれませんが。
 したがいまして、憲法九条によって、武力による威嚇または武力の行使に当たることはいたしません、やってはいけませんと。したがって、行動の面で縛っているわけでございますから、集団的自衛権の行使というのはその観点から認められない。国際法上は保有していると言えても、その行使は憲法で禁止されているんだということは、何らおかしいことでないということは従前から反論しているわけでございます。
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第142回国会 衆議院 予算委員会 第27号 平成10年3月18日
 (ここで説明されている『我が国を防衛するため必要最小限度』の意味については、当サイト『自衛のための必要最小限度』で解説している。)


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○政府委員(大森政輔君) ……(略)……この第九条の解釈といたしましては、我が国を防衛するために必要最小限度の実力組織を保持し、そしてその組織に基づく自衛行動を行うことはともかくとして、それ以外については一切武力の行使に当たる行為等は行わないという方針を採用しているわけでございます。

(略)

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第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第9号 平成11年5月20日


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集団的自衛権は個別的自衛権の共同行使ではなく、第三国による「同盟」国への攻撃を自国の死活的利益への攻撃とみなして反撃することを指す。また、これを国連憲章51条は「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利」と表現し、あたかも国家に固有の権利があるがごとく表現しているが、国連憲章が主権国家の対等平等な併存を前提としていること、主権国家のあり方はほかならぬ当該国家の憲法によって定められていることが前提だから、国連憲章51条は日本国憲法を上書きするように日本が集団的自衛権を行使できる、ないし行使しなければならないと日本に命じているといった見解は、日本の主権を侵害するものと言わなければならないから失当である。
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山口大学経済学部教授・立山紘毅氏  憲法学者アンケート調査



   【「有しているが、行使できない」は普通の解釈】

 日本国は国際法上で「集団的自衛権」という『権利』を有しているが、憲法上の統治権の『権限』では行使できないことをおかしいと考える主張がある。また、国際法上の『権利』と憲法上の『権限』を同一にするべきだとの主張も見られる。他には、自衛隊について、国際法上では「軍隊にあたる」が、国内法上では「軍隊ではない(9条2項前段の『陸海空軍その他の戦力』ではない)」ということもおかしいとする主張がある。


 しかし、同じ事柄についてでも、法分野が異なれば評価が異なるという事例は、何も安全保障の問題に限らない。犯罪行為があれば、一つの行為であっても「刑法上の責任」と「民法上の責任」は別々に判断されることとなる。裁判も別々であり、これを同一にしようなどとする者はいないであろう。


 それにもかかわらず、国際法上「集団的自衛権」という『権利』を有していれば、憲法上の『権限』においても行使できるとするべきであるとか、自衛隊が国際法上「軍隊」として扱われているのであれば、国内法上も「軍隊」として扱うべきであるとか、そんなことは法分野が異なる以上当然であり、まったくおかしくないのである。「刑事裁判」と「民事裁判」で違法性の結果が全く異なることがあるように、「国際司法裁判所」と「日本の裁判所」の評価や判断が分かれることも当然にあり得るのである。


 法分野の違いからくる評価の違いを、同一にしようなどという主張は、そもそも法体系がどのように構成されているのかを知らない者の主張でしかない。「これでは国民は理解できない」という主張もよく見かけるが、国民は「刑事責任」と「民事責任」の判断が分かれることはよく聞く話として知っていることが多く、法分野の違いによって評価が異なることも理解している者は多い。殊更に安全保障の分野だけで「国民は理解できない」という主張も、あまり説得力はないと言えるだろう。「では、刑事責任と民事責任の裁判を一緒にしたいのですか」と聞いてみたいところである。

   【参考】「持っているのに行使できない」  2014年03月09日
   【参考】「持っているのに行使できない」(続) 2014年03月10日


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自衛隊は、憲法上自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものであって、憲法第九条第二項で保持することが禁止されている「陸海空軍その他の戦力」には当たらないと考えているが、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし自衛権行使の要件が満たされる場合には武力を行使して我が国を防衛する組織であることから、一般にはジュネーヴ諸条約上の軍隊に該当すると解される。

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自衛隊員とジュネーブ条約上の捕虜との関係に関する質問に対する答弁書 平成14年12月6日



 例として、下記に法分野の違いで評価が異なるものを取り上げる。

〇 不貞行為

民法上 

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(不法行為による損害賠償)
第七百九条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

(財産以外の損害の賠償)
第七百十条 他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。

(裁判上の離婚)
第七百七十条 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
一 配偶者に不貞な行為があったとき。
二 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
三 配偶者の生死が三年以上明らかでないとき。
四 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
五 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
2 裁判所は、前項第一号から第四号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。

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不貞行為 Wikipedia

刑法上

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(違法ではない。無罪)

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姦通罪 Wikipedia (廃止)



〇 重婚

民法上
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(重婚の禁止)
第七百三十二条 配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない。
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刑法上
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(重婚)
第百八十四条 配偶者のある者が重ねて婚姻をしたときは、二年以下の懲役に処する。その相手方となって婚姻をした者も、同様とする。
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〇 故意又は過失による損害賠償

民法上
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(不法行為による損害賠償)
第七百九条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う
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行政法上 (国家賠償法)
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第一条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる
○2 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。
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〇 工作物や営造物の損害賠償

民法上
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第七百十七条 土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じたときは、その工作物の占有者は、被害者に対してその損害を賠償する責任を負う。ただし、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときは、所有者がその損害を賠償しなければならない。
2 前項の規定は、竹木の栽植又は支持に瑕疵がある場合について準用する。
3 前二項の場合において、損害の原因について他にその責任を負う者があるときは、占有者又は所有者は、その者に対して求償権を行使することができる。
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行政法上 (国家賠償法)
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第二条 道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる。
○2 前項の場合において、他に損害の原因について責に任ずべき者があるときは、国又は公共団体は、これに対して求償権を有する。
第三条 前二条の規定によつて国又は公共団体が損害を賠償する責に任ずる場合において、公務員の選任若しくは監督又は公の営造物の設置若しくは管理に当る者と公務員の俸給、給与その他の費用又は公の営造物の設置若しくは管理の費用を負担する者とが異なるときは、費用を負担する者もまた、その損害を賠償する責に任ずる。
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○藤崎政府委員 日本も、国際法上は国連憲章が認めている自衛権、つまり個別的または集団的自衛権を持っておるというわけでございます、国連加盟国でございますから。ただ日本国憲法では、日本自身が攻撃された場合でなければ武力を行使しないという自制をしておる。国際法上の権利としては国連憲章の権利をそのまま持っておるということでございます。

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第49回国会 衆議院 予算委員会 第4号 昭和40年8月6日

 

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○説明員(吉國一郎君) 私の、これはお答えと申し上げるより釈明みたいなものでございますが、平和条約の五条のC項でございますか、と安保条約の前文、日ソ共同宣言で、わが国が自衛権を持っているということは確認をしております。その自衛権には、形容詞がついておりまして、個別的及び集団的自衛の固有の権利があるということで、条約上うたわれておりますが、これは国際法上の問題として、日本が自衛権を持っている、その自衛権というのは個別的及び集団的なものであるということを国際法上うたったわけでございまして、憲法上こういう権利の行使については、また別途措置をしなければならない。憲法ではわが国はいわば集団的自衛の権利の行使について、自己抑制をしていると申しますか、日本国の国内法として憲法第九条の規定が容認しているのは、個別的自衛権の発動としての自衛行動だけだということが私どもの考え方で、これは政策論として申し上げているわけではなくて、法律論として、その法律論の由来は先ほど同じような答弁を何回も申し上げましたが、あのような説明で、わが国が侵略された場合に、わが国の国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るためにその侵略を排除するための措置をとるというのが自衛行動だという考え方で、その結果として、集団的自衛のための行動は憲法の認めるところではないという法律論として説明をしているつもりでございます。

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第69回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号 昭和47年9月14日


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○角田(禮)政府委員 ある国が、その国に対する急迫不正の侵害がある場合に実力をもってそういう侵害を排除する、そういう意味の自衛権につきましては、いま渡部委員がおっしゃいました比喩とは恐らく同じことであろうと思います。ただ私どもは、先ほど国家固有の権利としてそういうものは当然憲法が否定しているはずはない、こういうふうに申し上げたわけであります。そういう意味の自衛権は、憲法以前という言い方が正確かどうかは別として、憲法がそれを否定するはずはないと思います。

 しからば、そういう自衛権を行使する手段としては、これまた憲法によっていろいろな定め方が可能であり、また、憲法の枠内で自衛権を行使する手段なりそれを裏づけるための実力としてどういうものを整備するかということは、それぞれの国の政策の問題であるという意味におきましては、渡部委員がおっしゃったとおりだと思います。

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第94回国会 衆議院 内閣委員会 第5号 昭和56年4月9日


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○秋山政府特別補佐人 従来の私どもの考えについての答弁を踏まえてのお尋ねであろうと思いますので、その点に絞ってお答えいたします。

 我が国が主権国家である以上、国際法上、集団的自衛権を有していることは当然であります。

 それで、お尋ねは憲法上どうかという問題でございますが、日本国憲法を含めましていわゆる近代憲法というものは、主権者たる国民がその意思に基づきまして国家権力の行使のあり方について定めまして、これによりまして国民の基本的人権を保障するというところにその基本的な役割があるものと考えております。したがいまして、ある国際法上の権利を国家が保有するかどうかということについて、そういう事柄について定めることは憲法の本来の役割ではないのではないかと思います。

 それからまた、我が国の憲法は、集団的自衛権を保有するかどうかについて明文で定めているものでもございませんので、憲法の解釈として、憲法上我が国がこれを保有しているかどうかについて結論を導くことについてはなかなか難しい問題があろうと思います。

 ところで、憲法を含め法令の解釈というのは、何らか実際の用に資するために行うものでございます。かねて申し上げているように、憲法九条のもとにおきまして我が国が集団的自衛権を行使することは認め得られないと解される以上、憲法上この権利を保有するかどうかにつきまして論ずることは実際上の利益は余りないのではないかと考えております。

 以上申し上げたところが、従来の説明におきまして、憲法は集団的自衛権の保有それ自体について言及しているものではなく、また、我が国として、憲法上、集団的自衛権を行使できない以上、これを持っているかどうかはいわば観念的な議論であり、集団的自衛権について憲法上行使できず、その意味において保有していないと言っても結論的には同じであると申し上げてきた理由でございます。

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第159回国会 衆議院 予算委員会 第7号 平成16年2月10日


 上記で「集団的自衛権を行使することは認め得られない」と述べている部分は、憲法上で「武力の行使」が制約されることによる付随的なものである。



【参考】第94回国会 衆議院 法務委員会 第18号 昭和56年6月3日





「自衛権の行使」と「武力の行使」

 9条に関わる議論をする際に、同じ行為を異なる視点から見ている場合がある。政府答弁を読む際など、その意味を正確に読み取れているのか注意する必要がある。

 通常「自衛権の行使」とは、国家の統治権の『権限』が「武力の行使」を行った場合に、国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」によって国際法上の違法性を問われるところを、国連憲章51条の「自衛権」という違法性阻却事由の『権利』を行使することによって、その違法性を阻却することを意味する。

 そのため、「自衛権の行使」が行われた場合、必然的に国際法上の評価としては違法性が阻却される形で「武力の行使」が行われていることとなる。

 


 「自衛権の行使」が「武力の行使(実力の行使)」を伴う概念であることを下記で確認する。


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○高辻政府委員 先ほどのお答えですべて申し上げたつもりでございますが、わが国の憲法九条は自衛権というものの完在を否定しておらない。これは最高裁も認めております。最高裁も言っておりますように、自衛のための措置をとること、この中身は言っておりませんが、そういうことも認めておる。日本のいまの現行法制のたてまえでは、自衛隊法というものがあるのは、その判決に合わせていえば、これは見るほうの立場でございますが、自衛のための一つの措置であるという、ふうにいえると思います。それがたで人形としてあるわけではなくて、やはり自衛権の行使という場面になりますと、そこに武力の行使というものが起こらざるを得ない。その場合に相手国が宣戦の布告をすれば、それは国際法上は戦争状態ということにならざるを得ないということをさっき申し上げたわけでございます。

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第58回国会 衆議院 予算委員会 第17号 昭和43年3月16日

 

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○政府委員(島田豊君) 防衛出動は、先ほど来御説明がありますように、外国からの武力攻撃が現存する、武力攻撃が発生をする事態並びにそのおそれのある場合に防衛出動が下令されるわけでございますが、実際に自衛権が発動するといいますか、武力行使をするということは、相手から直接の武力攻撃がございまして、それを防衛するために武力を行使する、その際には八十八条にございますように、「国際の法規及び慣例によるべき場合にあってはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならない」、こういう規定がございまして、したがいまして、防衛出動の場合に自衛隊が出動いたしますのと、それから具体的に武力攻撃を受けまして、そういう事態が発生いたしまして、それに対しまして武力の行使をする、この二つの場合があるというふうに考えます。

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第61回国会 参議院 内閣委員会 第28号 昭和44年7月10日

 

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○伊藤説明員 防衛出動が下令されますのは、七十六条によりまして、外部からの武力攻撃があった場合、それから武力攻撃のおそれのある場合ということになっております。

 これと、自衛権を行使する、すなわち武力を行使するということの間には差があるわけでございまして、自衛権の行使というのは、いわゆる自衛権の行使の三要件というのがございまして、急迫不正の侵害があるとき、それに対して他に全く手段がないとき最小限度の自衛力を行使するということになっているわけでございます。

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第84回国会 衆議院 内閣委員会 第27号 昭和53年8月16日

 

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○味村政府委員 この問題は、ただいま外務省の方が申されましたように、まだ決まった段階ではございませんので、具体化してから検討しなければならない問題であろうかと存じますが、ただ、一般論を申し上げますれば、日本はいわゆる集団的自衛権の行使は憲法上許されないということになっているわけでございます。集団的自衛権と申しますのは、結局、自国と緊密な関係を持っておる他国、これが武力攻撃を受けました場合に、その他国を助けるため、防衛するために武力を行使するということでございます。そういうように武力の行使ということが集団的自衛権の要件といいますか中心概念になっているわけでございますが、費用の負担ということは、一般的に申し上げますれば武力の行使には該当しないであろうというように考えておりますしかし問題は、具体的になりました場合にいろいろな状況とか使途、目的、いろいろございましょうから、そういうことを具体的に詰める必要はあろうかと存じます。

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○味村政府委員 どうも繰り返しになって恐縮でございますが、集団自衛権は武力の行使ということを中心の概念に据えているわけでございます。つまり集団的自衛権の行使のために、わが国が武力を行使するということは許されないということでございまして、費用を負担するということは、武力の行使とは質的に違うということを一般論としては申さざるを得ないということでございます

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第93回国会 衆議院 内閣委員会 第5号 昭和55年10月28日

 

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○茂串政府委員 ただいまの御質問についてお答え申し上げます。

 集団的自衛権というのは、委員も御指摘のとおりに、自国と密接な関係のある他国が武力攻撃を受けた場合に、自国が攻撃されていないのにかかわらずこれを実力をもって排除する権利であるというのが、我々いつもお答えしている御答弁でございます。したがいまして、この集団的自衛権というのは、本質的にと申しますか、内容として武力行使を内容とする概念であるということでございます。

(略)

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第104回国会 衆議院 予算委員会 第19号 昭和61年3月5日


第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第11号 平成4年5月22日


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○政府委員(大森政輔君) まず、集団的自衛権とはいかなる概念であるかということでございますが、これは先ほども申し上げましたように、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国は攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止することを正当化される地位、このように説明されるのが通常でございます。
 したがいまして、この武力攻撃を実力で阻止するということでございますから、この実力で阻止するというのは武力を行使して阻止するという意味を持つわけでございます。
(略)
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第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第4号 平成11年5月11日

 

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自衛隊は、憲法上自衛のための必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の制約を課せられており、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものであって、憲法第九条第二項で保持することが禁止されている「陸海空軍その他の戦力」には当たらないと考えているが、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし自衛権行使の要件が満たされる場合には武力を行使して我が国を防衛する組織であることから、一般にはジュネーヴ諸条約上の軍隊に該当すると解される。

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自衛隊員とジュネーブ条約上の捕虜との関係に関する質問に対する答弁書 平成14年12月6日

 

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 お尋ねは、仮定の事実を前提とするものであるが、一般論として述べると、憲法第九条の下において自衛権の発動としての武力の行使が許されるのは、自衛権発動の三要件が満たされる場合に限られる。

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内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問に対する答弁書 平成15年7月15日


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○秋山政府特別補佐人 昭和三十五年の参議院予算委員会におきまして、法制局長官が、例えば日米安保条約に基づく米国に対する施設・区域の提供、あるいは侵略を受けた他国に対する経済的援助の実施といったような武力の行使に当たらない行為について、こういうものを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、そういうものは私は日本の憲法の否定するものとは考えませんという趣旨の答弁をしたことがございます。
 この答弁は、当時の状況において、集団的自衛権という言葉の意味につきまして、これは御承知のように国連憲章において初めて登場した言葉でございまして、その言葉に多様な理解の仕方が当時は見られたことを前提といたしまして、御指摘のような行為につきまして、そういうものを集団的自衛権という言葉で理解すれば、そういうものを私は日本の憲法は否定しているとは考えませんと述べたにとどまるものと考えております。
 現在では、集団的自衛権とは実力の行使に係る概念であるという考え方が一般に定着しているものと承知しております。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日

 下記の答弁は、「自衛権の行使」、「自衛のための必要最小限度」、「武力の行使」、「実力行使」の文言が同時に使われており、分かりやすい。

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○政府委員(角田禮次郎君)
(略)
 そこで、御質問の自衛隊法上の防衛出動による武力の行使が行われた場合でありますが、これはいま申し上げた自衛権の行使として自衛のための必要最小限度実力行使をするということにとどまるものでありますから、憲法第九条第一項において放棄されている国権の発動たる戦争というものではないというふうに理解しております。
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第94回国会 参議院 予算委員会 第6号 昭和56年3月11日

 下記の政府答弁書では、「自衛権の発動としての武力の行使については、」との文言があり、「自衛権の発動」と「武力の行使」の両方の文言が用いられており、分かりやすい。

 また、「自衛権の行使としての実力の行使」との文言もあり、「武力の行使」ではなく「実力の行使」の文言を用いている部分もある。


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(一) 憲法第九条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については、政府は、従来から、

 

   ① 我が国に対する急迫不正の侵害があること

   ② これを排除するために他の適当な手段がないこと

   ③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

   という三要件に該当する場合に限られると解しており、これらの三要件に該当するか否かの判断は、政府が行うことになると考えている。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

    他方、我が国は、国際法上自衛権を有しており、我が国を防衛するため必要最小限度実力を行使することが当然に認められているのであつて、その行使として相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うことは、交戦権の行使として相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うこととは別の観念のものである。実際上、我が国の自衛権の行使としての実力の行使の態様がいかなるものになるかについては、具体的な状況に応じて異なると考えられるから、一概に述べることは困難であるが、例えば、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められない。

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憲法第九条の解釈に関する質問に対する答弁書 昭和60年9月27日


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○政府委員(秋山收君)
(略)
 一方、自衛行動と申しますのは、我が国が憲法九条のもとで許容される自衛権の行使として行う武力の行使をその内容とするものでございまして、これは外国からの急迫不正の武力攻撃に対して、ほかに有効、適切な手段がない場合に、これを排除するために必要最小限の範囲内で行われる実力行使でございます。
(略)
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第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第5号 平成11年3月15日

 


 このように、日本国の統治権の『権限』が「武力の行使」を行った場合、それが国内法上の憲法9条に抵触するか否かと、その「武力の行使」が国際法上の「自衛権」の区分に該当して国際法上の違法性が阻却されるか否かとは別の基準である。


 以下は表現が異なるが、同じものを指している。

〇 自衛権発動の三要件 ← 「自衛権」という国際法上の違法性阻却事由の『権利』の区分での表現

〇 「武力の行使」の三要件 ← 国内法上の日本国の統治権の『権限』での表現


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(2)自衛権発動の要件
憲法第9条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については、政府は、従来から、
①わが国に対する急迫不正の侵害があること
②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という三要件に該当する場合に限られると解しています。
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憲法と自衛権 防衛省・自衛隊 過去のページ (2014年7月1日閣議決定までの解釈) (太字は筆者)

2 自衛権発動の要件


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■憲法第9条のもとで許容される自衛の措置としての「武力の行使」の新三要件
・わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
・これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
・必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
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憲法と自衛権 防衛省・自衛隊 (太字は筆者)

 (ここでは、「旧三要件」と「新三要件」であるため、三要件の内容が異なっている。しかし、これは「自衛権発動の要件」の文言と、「『武力の行使』の新三要件」の文言が指している対象が異なるものであるということを意味するわけではない。単に、政府も今まで国際法上の概念と国内法上の概念を正確に整理して表現していなかっただけである。また、上記の2014年7月1日以降の政府の説明〔リンクで示したページ〕の中では、『(3)自衛権を行使できる地理的範囲』の説明においては未だに「自衛権を行使」という表現を用いている。これは未だに概念が整理されておらず、従来の混乱した表記が残っているのである。)


〇 自衛力発動の三要件 ← 同じものを指しているが、このように表現している場合もある。

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○政府委員(秋山收君) 憲法第九条のもとに認められております自衛行動と申しますのは、繰り返しになりますが、いわゆる自衛力発動の三要件具体的な武力攻撃を受けていること、それからそれを排除するためにほかの適当な手段がないこと、それから発動の態様は必要最小限に限るということでございます。
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第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第5号 平成11年3月15日 

 




 

 「自衛権」に関する議論をする際、下記のような混乱が生じることがあるため注意する必要がある。

◇ 国際法上の評価としての「自衛権の行使」と表現している場合と、単に「武力の行使」と表現している場合がある。

◇ 「自衛権の行使」についても、単に「自衛権」とだけ表現している場合がある。本来は「自衛権」とは『権利』そのものを指すことから、正確にはその『権利』を「行使」している場合でないと「武力の行使」が行われたことにはならない。しかし、それを省略して「自衛権」と表現している場合がある。
◇ 「自衛権」の文言が、必ずしも国連憲章51条の意味で使われているわけではない場合がある。その場合、自衛のための権利などという「武力の行使」を伴わない曖昧な概念として用いられていることがある。それは、国際法上において「自衛権」の概念が未だ十分に確立していない時期に行われた答弁である場合や、国際法上の概念であることから日本国の政府が確定的な意味を勝手に定義することができないことにより曖昧にしか答弁できていない場合であると思われる。


 政府答弁を読み取る際など、答弁者がどういう感覚で「自衛権」の概念を用いているのかを正確に読み取る必要がある。


 「自衛権の行使」という文言は、国際法上の評価概念である。そのため、これを国内法上の言葉で表現するならば、単に「武力の行使」(あるいは『実力の行使』)と表現すべきである。

 ただ、「武力の行使」と呼んだ場合、それは国際法上の違法性阻却事由を得ているか否かや、9条に抵触しない範囲であるか否かは不明である。9条に抵触しない範囲の「武力の行使」が行われていることを示す場合には「自衛行動」という表現を使うことが妥当と思われる。







「自衛権」の性質

 「自衛権」の性質を確認する。

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○下田政府委員 自衛の観念は非常に広いものであります。これは軍隊を持つ国であろうと、持たない国であろうと、国際法上の基本的権利として、いずれの独立国にも認められておる権利であります。権利ということは何かというと、その権利を行使した場合に不法行為にならないということであります。つまり軍備を持つてない国で本来国内治安の任に当るべき警察が、自衛の場合には侵入軍と戦つても、平常の場合ならば不法行為になるべきものが、不法行為にならないというところが自衛権の一つの意味であります。それで自衛の行為の範囲でございますが、これは各国の憲法なり各国の法制によつてきまるわけであります。軍隊を持つている国は直接防衛、もちろん必要の場合には外にも出るでありましよう。しかし軍隊を持たない国、あるいは憲法で交戦権を放棄されている国では、当然その国の憲法なり法制のもとで許された範囲しか自衛の行為がとれない、それだけの制約があるわけでありますが、自衛という言葉自体は非常に広いのです。しからばその自衛の権利に基いて、いかなることをなし得るかということは、各国の憲法その他の建前できまる問題であります。日本は憲法並びに現行法制のもとに狭い行為しかとれない、そういうことであります。
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第16回国会 衆議院 外務委員会 第9号 昭和28年7月1日


 「自衛権」が違法性阻却事由であることを確認する。


   【参考】違法性阻却事由(国際法) Wikipedia

   【参考】(30)国家責任法 II 国際違法行為と違法性阻却事由 2015-06-22


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第五章 国家の国際責任
 C 国際的な義務違反を行っても責任が問われない場合
 ある国家による国際法上の義務違反行為であっても、特定の事情があれば、例外的に違法性が阻却される場合がある。これを違法性阻却事由といい、同意、自衛、対抗措置、不可抗力、遭難、緊急避難がある(国家責任条文1部5章。なおユス・コーゲンス(強行規範)に違反した行為については、阻却事由に該当する場合でも、違法性は阻却されない(26条)。また違法性阻却事由を援用した場合でも、違法性を阻却する事由が存在しなくなった場合には、国は義務を遵守しなければならない。

[1]同意
(略)


[2]自衛
 条約上も一般国際法上も、国家は自衛権を有している。「国際連合憲章(国連憲章)」においても、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」(51条)と定める。国の行為が、適法な自衛権の行使である場合には、違法性が阻却される(国家責任条文21条)。


[3]対抗措置
(略)


[4]不可抗力
(略)


[5]遭難
(略)


[6]緊急避難
(略)
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第21条 自衛
行為が国連憲章に従ってとられる自衛の法的要件を満たしている場合、国家行為の違法性は阻却される
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国際違法行為に対する国家責任(国家責任条文草案) (太字は筆者)

   【参考】国家責任 Wikipedia

 

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○林(修)政府委員 ちょっと今の御質問の趣旨がよくわからないのでございますが、国連憲章の第五十一条において、個別的自衛権あるいは集団的自衛権の行使が許されている。これはいわゆる武力行使が、国連憲章上違法性阻却の事由としてあげておる点でございます。つまり、武力行使を中心として、この五十一条は書いておるのでございます。先ほど来申し上げました、基地提供とか、あるいは経済援助という問題は、五十一条の直接の問題ではございません。従って、五十一条の問題としてどの範囲のものがあるかということにつきましては、国際法的には、あるいは個別的自衛権、あるいは集団的自衛権の武力の行使ということは相当広いわけでございますが、日本の憲法の解釈としては、先ほど申し上げました通りに、武力行使としては、海外派兵というものは認められない。これは日本憲法の解釈、こういうことでございます。

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○林(修)政府委員 いわゆる国連憲章第五十一条で集団的自衛権という言葉を使っておりますのは、つまり武力行使の違法性阻却の理由として集団的自衛権の行使が認められる、こういうふうに言っておるわけでございます。何といっても、自衛権という観念は、相手からたたかれた場合にたたき返すということが、中心的な概念でございますから、そういう点を中心として考えるべき問題だ。集団的自衛権ということも、中心はそういう考え方だと思います。しかし、その範囲を学者はいろいろ言うわけでございまして、その範囲を出て、たとえば、基地の提供というものも、集団的自衛権があるのだからできるのだという説明をとる人もあると思います。しかし、そういうことは、集団的自衛権があるといい、ないといっても、日本の憲法上は認められている、こういう意味でございます。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

○林(修)政府委員 先ほど来申し上げておりますように、集団的自衛権という観念は、実は国連憲章ができまして初めて国際法的に、あるいは国際条約に出てきた観念でございます。しかも、違法性阻却の理由として、特に憲章の上では取り上げられております。そういうところから、主として国民の集団的自衛権という観念は、武力行使ということを中心にして考えるべき問題であることは、間違いないと思います。しかし、今申しましたように、学説としては相当広く見る人もあります。従って、日本として、そういうものを集団的自衛権の行使として説明してもいいではないかという説があるわけです。しかし、そういう学説をとれば、それは集団的自衛権がないと言う必要はない、こういうことでございまして、政府として、集団的自衛権の範囲はこれこれだということを、実は確定する必要を認めておりません。

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第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第21号 昭和35年4月20日


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○小松政府参考人 
(略)
 このように観念される活動は、国連憲章第二条四項で禁止されている武力の行使には当たらず、したがって、自衛権の行使に当たること、または安保理の決定に基づくことを理由とする違法性の阻却を論ずる必要はない、つまり、基本的に国際法上は合法な活動であるということは、繰り返し御説明をしているわけでございます。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○小松政府参考人 当初、カルザイ政権が成立するまでは、自衛権の行使として、アメリカにつきましては個別的自衛権の行使、NATO諸国につきましては集団的自衛権の行使として開始されたと。カルザイ政権が成立いたしました以降は、国内で内乱に近い、騒擾に近い、非常に乱れた状況であるわけでございますけれども、この治安を回復し、維持するという責任は、基本的に正統政府であるカルザイ政権にあるわけでございますけれども、そのカルザイ政権の力が十分でございませんので、その同意、依頼、要請というものを受けて、そのための活動をしていると。
 したがって、そのような活動は、そもそも、国連憲章で禁止されている国際的な武力の行使ではございません、国際法上違法な活動ではございませんと。自衛権と申しますのは、基本的に、国際法違法である武力の行使を、特別な条件が満たされるためにその違法性が阻却をされるという違法性阻却事由でございますので、自衛権の行使ということで説明をする必要がない活動であるということを申している次第でございます。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○小松政府参考人 繰り返しになって恐縮でございますけれども、違法性阻却事由でございますから、そもそも、違法でないものを違法性を阻却する必要はないわけでございます。国際法上禁止をされておりますのは、国連憲章二条四項に、これは明文で書いてございますけれども、各国はその国際関係において武力を行使してはならないということが書いてあるわけでございます。
(略)
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第168回国会 衆議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 第9号 平成19年11月6日


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○政府特別補佐人(小松一郎君) お答え申し上げます。
 総理から今御答弁があったところでございますが、若干の補足をさせていただきますと、まず、国際法上、国連憲章上、武力行使は一般に禁止するという第二条四項の規定がございまして、これに対する例外的に一定の事由があれば防衛のために武力を行使することがあり得ると。
 これが、国連憲章第五十一条に個別的自衛、集団的自衛権と、こう書いてあるわけでございまして、このうちの個別的自衛権につきましては、慣習国際法上も確立したものである、元々、国連憲章ができる前から確立していたものであったというふうに考えられてございますが、集団的自衛権につきましては、国際法学者大半は、国連憲章第五十一条によって創設された権利と申しますか、国際法学者の間では、武力行使の一般的な禁止に対する違法性阻却事由というふうにとらえるのが一般的な理解であるというふうに理解しております。
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第185回国会 参議院 予算委員会 第1号 平成25年10月23日

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○政府特別補佐人(小松一郎君)

(略)

 そこで、御質問、まず第一点、集団的自衛権とは何かということでございますが、既に本委員会におきまして私から民主党の大塚委員の御質問に御答弁申し上げたとおり、国際法上の概念でございます。
 国際法の解釈、適用、実施は外務省の所掌事務でございまして、内閣法制局の所掌ではございませんが、私が理解しているところを申し上げますと、集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、武力を行使して阻止することが正当化される地位、やや硬い言葉で申し上げますと、国連憲章第二条第四項の定める武力行使の一般的禁止に対する違法性阻却事由であると一般に理解されております。
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第186回国会 参議院 予算委員会 第6号 平成26年3月4日


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国際法、とりわけ国連憲章第51条の自衛権概念の視点から安保法制案の検証が尽くされる必要があるように思われます。この点で、国際法理論における違法性阻却事由としての自衛権の位置づけを跡付けることの重要性を痛感いたします。
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愛知教育大学地域社会システム講座教授・清田雄治氏 憲法学者アンケート調査


<理解の補強>


(36)武力不行使原則の例外 II 国際法上の自衛権 2017-06-25



 


 もう一つ、「武力攻撃」と「自衛権の行使」の関係を確認する。

 

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○政府委員(高辻正巳君)

(略)

 それからもう一つ、首を横に振っていらっしゃるところから見ますと、憲法と五十一条の個別的自衛権との相違をお聞きが要点のようでございますが、国連憲章五十一条の解釈は、私、もし間違っておりましたら外務当局から直してもらいたいと思いますが、やはり、この自衛権を両方が行使していて戦闘が始まるということはあり得ないことで、いずれか一方の武力攻撃というものがなくて自衛権の行使というのはあり得ないわけでございますから、必ずやはり武力攻撃があって自衛権が発動する。その場合の自衛権というのは、やはり自衛ということから来る制約というものはあると思います。あると思いますが、日本の憲法でいえば、特に非常に神経質なその点に関しては考えでございますから、特にまた一つ一つの行動について十分に意を用いて行動をすべきである、そういう面で国際社会における自衛権の行使とはいくらか違うものがあるかもしれない。しかし、法律的に言えば自衛権というものは同じ性質のものであろうと思っております。

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第61回国会 参議院 予算委員会 第5号 昭和44年3月5日




 「武力攻撃」の意味は下記の通りである。

 

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 国連憲章第五十一条、日米安保条約第五条及び指針「Ⅰ.指針の目的」の「武力攻撃」とは、一般に、一国に対する組織的計画的な武力の行使をいうと考える。

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「戦争」、「紛争」、「武力の行使」等の違いに関する質問に対する答弁書 平成14年2月5日


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 自衛隊法第七十六条の「武力攻撃」とは、一般に、我が国に対する組織的計画的な武力の行使をいうと考える。

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武力攻撃事態に関する質問に対する答弁書 平成14年5月24日





「自衛権」に「集団的自衛権」は含まれるのか

 単に「自衛権」と表現した場合に、その中に「集団的自衛権」の意味が含まれていると考えてよいのかどうかは、下記の答弁書が参考になる。


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 「自衛権」については、その用いられる文脈により、個別的自衛権と集団的自衛権の両者を包括する概念として用いられる場合もあれば、専ら個別的自衛権のみを指して用いられる場合もあると承知している。
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内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問に対する答弁書 平成15年7月15日


 下記の答弁にも注意しておくと良い。

 

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○政府委員(高辻正巳君) 先ほどもお答え申し上げましたように、自衛権というのは国際法上の観念であるということを申し上げました。したがって私は、その国際法上の観念をはずして自衛権というものをかってに議論しているつもりはございません。ただし、国際法上の観念としては、個別的自衛権のほかに、集団的自衛権というようなものが認められておる。しかし、私が言う自衛権というのは、集団的自衛権のことを申しておるつもりはさらさらございませんで、いわゆる個別的自衛権、それについて申しておるつもりでございます。

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第61回国会 参議院 予算委員会 第3号 昭和44年2月21日



 国連憲章51条には「個別的又は集団的自衛の固有の権利」と記載されている。そのため、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の両方が「固有の権利」として扱われている。この「固有の権利」の意味は、「国家がもともと持っている権利」として想定するものと考えられる。
 しかし、国連憲章が制定されるまでは、「集団的自衛権」という概念は未だ確立しておらず、存在しなかった。そのため、国連憲章が制定されるまでの間に単に「自衛権」と呼んでいたものは、基本的に国連憲章51条の区分で言えば「個別的自衛権」にあたる部分である。

 このことから、「個別的自衛権」の概念を「国家がもともと持っている権利」という意味での「固有の権利」と呼ぶことができるとしても、「集団的自衛権」の概念についても同様に「国家がもともと持っている権利」という意味での「固有の権利」と呼ぶことのできるものであるかは検討の余地がある。

 

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○高橋(通)政府委員 ただいまの固有の権利でございますが、これも学説上の問題でございます。御指摘のように、集団的自衛権というのは、憲章第五十一条で初めて創設された権利ではないか、従いまして、ここの固有のという、インヘアレントという言葉でございますが、これは従来の個別的自衛権に関して使われる言葉であって、この集団的自衛権の問題ではないではないか、ここには使われるべきではない、こういう学説が考えられております。従いまして、先ほど御指摘になりましたように、この固有のというのは、当然国家として昔から持っているというのではなくて、非常に重要な権利である、そういうふうな意味合いで固有というのを解釈すべきである、そういうふうに一般に解されていると考えております。

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第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第21号 昭和35年4月20日


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○説明員(吉國一郎君) (略)
 それから、ついでと申しては恐縮でございますけれども、たとえばケルゼンのような学者は、コレクティブ・セルフディフェンス・ライトというものについて、自衛権の観念に入れることは、もともと無理だというような説明をしている学者さえあることをつけ加えておきます。
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第69回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号 昭和47年9月14日
(下線部『コレクティブ・セルフディフェンス・ライト』は、下記の下線部に対応するものである。)

 自衛権(right of self-defense)
  個別的自衛権(right of individual self-defense)
  集団的自衛権(right of collective self-defense


【参考】第69回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号 昭和47年9月14日

 

 


<理解の補強>

「7.1閣議決定」をめぐる楽観論、過小評価論の危うさ 2014年8月4日





「集団的自衛権」と「集団的自衛権の行使」の違い

 厳密にいえば、「集団的自衛権」と「集団的自衛権の行使」を使い分ける必要がある。なぜならば、「集団的自衛権」という『権利』そのものを指す言葉と、「集団的自衛権の行使」という「権利の行使」を指す言葉では、意味が違うからである。


 9条は国際法上の「集団的自衛権」という『権利』そのものを否定する規定ではない。そのため、9条の下でも、国際法上で「集団的自衛権」そのものは日本国も適用を受ける地位を有しており、否定されていないのである。その意味では『合憲』と言うこともでき、「集団的自衛権は違憲」との表現は、厳密には誤りである。


 しかし、その「集団的自衛権」を「行使」するとなると、これは国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由の『権利』を行使することを意味することから、実質的には「武力の行使」が行われている状態となる。ただ、日本国の場合は9条が日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を制約しており、その9条解釈によれば「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」の要件を満たさない中で「武力の行使」を行うことは違憲となる。これにより、これを満たさない中で「武力の行使」を行うこととなる国際法上の評価で言う「集団的自衛権の行使」は憲法上許されないとの結論に至るのである。この意味で「集団的自衛権の行使は違憲」である。



〇 「集団的自衛権」 ⇒ 国際法上の『権利』そのものは日本国も有している。9条は国際法上の『権利』そのものを否定した規定ではない。その意味では『合憲』とも言える。

 ここで「日本国は集団的自衛権を有する」と表現すると、あたかも日本国の統治権の中に『権限(power)』が存在するかのように誤解する者が多いが、実際には「国際法上で日本国も集団的自衛権という『権利(right)』の適用を受けることができる」という意味であり、日本国が行う「武力の行使」の『権限(power)』の正当化根拠とは関係がない。この点、注意が必要である。

〇 「集団的自衛権の行使」 ⇒ この「権利行使」の意味は、実質的には「武力の行使」を伴うこととなる。しかし、9条は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を制約しているため、9条解釈によって「武力の行使」の発動要件が制約されることとなる。それに付随する形で国際法で言う「集団的自衛権の行使」は憲法上許されないとの結論に至る。つまり、『違憲』である。


 論者によっては「集団的自衛権は違憲」と主張する場合があるが、実は「集団的自衛権の行使は違憲」との意味で使っていることはかなり多い。この点のミスが多発すると、議論をしていても話し手と聞き手の思い描く概念の枠組みが違うもの(異なるもの)となってしまい、いつまでもかみ合わなくなる問題が起きてしまう。前提を押さえている者との間では話が通じるが、それ以外の者との間では話が通じなくなり、無用な対立を生じさせ、時には対立を加速させる原因となるため注意が必要である。



 ただ、政府答弁でもこの使い分けが厳密に行われていない時期があるため、話し手がどの意味で『違憲』や『合憲』を判定しているのかを詳しく検討する必要がある。

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○秋山政府特別補佐人 集団的自衛権と憲法第九条の問題でございますが、お尋ねにございましたように、我が国が主権国家である以上、国際法上は集団的自衛権を有していることは当然でございますが、国家が国際法上、ある権利を有しているとしましても、憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限することはあり得ることでございまして、国際法上の義務を国内法において履行しない場合とは異なり、国際法と国内法との間の矛盾抵触の問題が生ずるわけではございませんで、法律論としては特段問題があることではございません。
(略)

 それから、御質問の後段の、憲法解釈において政府が示している、必要最小限度を超えるか超えないかというのは、いわば数量的な概念なので、それを超えるものであっても、我が国の防衛のために必要な場合にはそれを行使することというのも解釈の余地があり得るのではないかという御質問でございますが、憲法九条は、戦争、武力の行使などを放棄し、戦力の不保持及び交戦権の否認を定めていますが、政府は、同条は我が国が主権国として持つ自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく自衛のための必要最小限度の実力を保有し行使することは認めていると考えておるわけでございます。

 その上で、憲法九条のもとで許される自衛のための必要最小限度の実力の行使につきまして、いわゆる三要件を申しております。我が国に対する武力攻撃が発生したこと、この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、それから、実力行使の程度が必要限度にとどまるべきことというふうに申し上げているわけでございます。
 お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。
 したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日

 この説明も、厳密にはいろいろと補足する必要がある。


◇ 「我が国が主権国家である以上、国際法上は集団的自衛権を有していることは当然」
 ⇒ 国際法上の『権利』を有している。ただ、「有している」という意味についても、日本国そのものが何かを「持っている」という意味ではない。1972年(昭和47年)政府見解に記載されているように、国際法上「正当化されるという地位を有している」という意味である。国際法上、「自衛権」という『権利』の適用を受ける地位を有しているだけであり、日本国の法体系によって何かを「有している」かのような意味とは異なる。


◇ 「国家が国際法上、ある権利を有しているとしましても、憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限することはあり得ること」
 ⇒ 『権利』を有していても、その「権利の行使」のためには国家の統治権の『権限』が必要であり、その『権限』による「武力の行使」が9条によって制約されるために、結果として「権利の行使」ができない(行う機会がない)のである。


◇ 「憲法九条は、」「我が国が主権国として持つ自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を保有し行使することは認めていると考えておる」

 ⇒ 「自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく」と述べているが、実際には、先ほど「我が国が主権国家である以上、国際法上は集団的自衛権を有していることは当然」と述べている通り、他国を防衛する「集団的自衛権」という『権利』も有しているのである。ただ、日本国の統治権の『権限』が制約される結果、その「行使」の可否は分かれる。

 また、「自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく、」と『権利』で話し始めているが、「自衛のための必要最小限度の実力を保有し行使すること」は日本国の統治権の『権限』によるものなのであって、この「自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく、」の部分とは厳密には因果関係がない。

 この説明方法は、恐らく砂川判決の「かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。…(略)…しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」の部分を真似したことによるものと思われる。注目するべき点は、この砂川判決においても、9条が「わが国が主権国として持つ固有の自衛権」という国際法上の『権利(right)』を否定したものではないことと、「自衛のための措置」という「国家固有の権能の行使」の『権能(power)』を分けていることである。そのため、政府は真似の仕方を誤ったのだと思われる。

(注意:砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」が可能か否かについては述べていない。)


◇ 「自衛権行使の第一要件、…」

 ⇒ 「自衛権行使」という言葉を使っているが、これは国際法上の評価概念である。日本国の統治権の『権限』で説明すれば実質的には「武力の行使」が行われている状態を指している。

 ただ、憲法9条は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を制約しているため、国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由である国連憲章51条の「自衛権」という『権利』の区分に該当するか否かと、9条の下で許される「武力の行使」であるか否かを決する基準は、法体系が連動していないため、関係がない。

 「自衛権行使」との表現を使う場合、それは「武力の行使」が行われていることを示すと同時に、国際法上の違法性阻却事由を得られていることを示すことができるメリットがある。しかし、9条が「武力の行使」の範囲を日本国独自に制約しているにもかかわらず、国際法上の「自衛権行使」に該当するものであればあたかも9条に抵触しないかのような誤解を生みやすいデメリットもある。この点に注意する必要がある。

 9条の制約の下で許される「武力の行使」の部分について、純粋に国内法上の用語を用いて表現するならば、「自衛行動」という表現が妥当と思われる。なぜならば、三要件(旧)の制約の下で行う「武力の行使」は「自衛行動権」に基づくものであり、その範囲内であれば9条2項後段の禁じる「交戦権」に該当しないとする政府解釈に対応する用語だからである。また、「自衛の措置」と表現した場合には、「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」や「他国に安全保障を求めること」が含まれているため、必ずしも日本国の統治権の『権限』によるもの(指揮権・管理権を行使するもの)とは限らないが、「自衛行動」の用語が指すものは日本国の統治権の『権限』(指揮権・管理権)による「自衛行動権」に基づく措置であり、9条の下で許される範囲の「武力の行使」を行う際の基盤にある概念だからである。


◇ 「従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているもの」
 ⇒ ここで「集団的自衛権について、」と、『権利』そのものが「自衛のための必要最小限度をの範囲を超える」かのように説明しているが、厳密には誤りである。「集団的自衛権の行使」、言い換えれば「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が「自衛のための必要最小限度の範囲を超える」という意味である。


 このように、政府答弁においても用語を厳密に意識して使い分けていない場合がある。『権利(right)』と『権限(power)』の違い、「国際法」と「憲法」の関係、「法の正当性の基盤」などの理解を十分に有した上でないと、正確に読み取ることが困難となっている。





「限定的な集団的自衛権」は存在しない概念

 「存立危機事態」での「武力の行使」を合憲と論じる者の中には、「限定的な集団的自衛権の行使」という言葉を用いて正当性を主張しようと試みる場合がある。

 しかし、「集団的自衛権」とは、国際法上の「武力不行使の原則」に対しての違法性阻却事由の『権利』の概念であり、それに該当すれば、当然「集団的自衛権」でしかないものである。

 国際法上「集団的自衛権」という概念は存在するが、「限定的な集団的自衛権」という概念は存在しないのである。


 また、『他国防衛』の「集団的自衛権」を「フルスペックの集団的自衛権の行使」、『自国防衛』の「集団的自衛権」を「限定的な集団的自衛権の行使」という区分で区別しようと試みる者もいる。

 しかし、そもそも、「集団的自衛権」に該当する『権利』の行使であれば、それは国際法上「集団的自衛権の行使」でしかないのである。

 「フルスペック」や「限定的」なる言葉は、「存立危機事態」での「武力の行使」を合憲と論じる者が、国際法上の違法性阻却事由の概念を用いることで、その実質が「武力の行使」であることを覆い隠し、より大きな概念を縮小して行使していることを強調することであたかも9条の制約の範囲内であるかのような印象を持たせるために利用していることのある言葉である。

 そもそも、「集団的自衛権の行使」が「武力の行使」であり、「限定的な集団的自衛権」という概念が国際法上存在していないことを理解すれば、実質的な意味を解き明かすことができる。


〇 国際法上存在しない概念
 「限定的な集団的自衛権の行使」


〇 実質的な意味

 国際法上「集団的自衛権」に該当する『自国防衛』と称する「武力の行使」

 これが、憲法9条の規定に抵触するかを検討する。

 9条は憲法上の規定であるため、国際法とは法分野が異なる。そのため、国際法上の違法性阻却事由に該当しようとも、9条の規定が制約する範囲が変わるわけではない。
 これにより、上記「実質的な意味」の「国際法上『集団的自衛権』に該当する」の部分を取り除いて判断する。

 すると、「限定的な集団的自衛権の行使」など呼ばれるものの意味するところは、『自国防衛』と称する「武力の行使」でしかないものである。


 しかし、9条は『自国防衛』であるからといって、必ずしも「武力の行使」を許容しているわけではない。

 なぜならば、「自国の存立」や「国民の権利」の危機(自存自衛)を理由として政府が自国都合の「武力の行使」に踏み切ることは歴史上幾度も経験するところであり、9条はそのような「武力の行使」を制約するために設けられた規定だからである。

 また、『自国防衛』と称するだけで9条が「武力の行使」を制約している趣旨を回避することができるのであれば、9条が政府の恣意的な動機によって自国都合の「武力の行使」が行われること(政府の行為)を制約しようとする趣旨を損ない、9条が存在している意義そのものを失うこととなるからである。

 そのような9条の規範性を損なわせるような解釈は、法解釈としての妥当性を有しておらず、憲法解釈として採用することはできない。

 さらに、『自国防衛』と称しても、「我が国に対する武力攻撃」が発生していない中で「武力の行使」を行うことは、日本国が「先に攻撃」を行うものである。このような「武力の行使」を9条が許容しているとは解することはできず、9条に抵触して違憲である。具体的には、「先に攻撃」を行う「武力の行使」については、他国との間で発生している何らかの「国際紛争」に対して、それを「解決する手段として」「武力の行使」を用いることになることから、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触して違憲となる。それを行う組織の実態は、9条2項前段の「陸海空軍その他の戦力」に該当し、違憲となる。「先に攻撃」を行う「武力の行使」の実態は、「交戦権」の意味の解釈にもよるが、9条2項後段の禁じる「交戦権」に抵触して違憲となる。

 このことは、その「武力の行使」が国際法上の違法性阻却事由の区分に該当しようとも、結論は異ならない。



 そもそも、日本国の統治権の『権限』においては「個別的自衛権の行使」としての「武力の行使」でさえも最大限に行使することはできないことが前提である。この議論で使われる言葉に合わせれば、「フルスペックの個別的自衛権の行使」も憲法上は認められていないのである。

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○政府委員(真田秀夫君) 普通に自衛権行使の三原則といわれているものにつきましては、先ほども触れておきましたけれども、まず場合といたしましては、わが国に対して外国からの武力攻撃が行なわれたということでございます。第二番目においては、その武力攻撃を防ぐために他に方法がない武力をもって反撃するよりほかに方法がないという非常に切迫している場合、それが第二の要件でございます。それから第三番目の要件といたしましては、かくして発動される武力行使は、外国からの武力攻撃を防止する必要最小限度に限るということでございます。
 それから韓国についての、韓国条項についての御質問でございますが、これはわが国の自衛権行使の三要件とは関係がございませんで、いま申しましたように、わが国に対する武力攻撃があった場合に日本の個別的自衛権は限定された態様で発動できるというだけのことでございますから、韓国に対する脅威が、危害がありましても、これは直ちにわが国の自衛権が発動することになるとは毛頭考えておりません。
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第68回国会 参議院 内閣委員会 第11号 昭和47年5月12日

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○角田(禮)政府委員 ちょっと別の例で申し上げて恐縮でございますが、いわゆる個別的自衛権、こういうものをわが国が国際法上も持っている、それから憲法の上でも持っているということは、御承認願えると思います。
 ところが、個別的自衛権についても、その行使の態様については、わが国におきましては、たとえば海外派兵はできないとか、それからその行使に当たっても必要最小限度というように、一般的に世界で認められているような、ほかの国が認めているような個別的自衛権の行使の態様よりもずっと狭い範囲に限られておるわけです。そういう意味では、個別的自衛権は持っているけれども、しかし、実際にそれを行使するに当たっては、非常に幅が狭いということを御了解願えると思います。
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第94回国会 衆議院 法務委員会 第18号 昭和56年6月3日

 「限定的な」などとする概念は法学上は存在しないが、それに合わせて表現するならば、「個別的自衛権」についても「限定的な個別的自衛権の行使」と言うべきなのである。

 そうであるならば、「限定的な」などという言葉を使う論者は「個別的自衛権」についても「限定的な個別的自衛権の行使」と呼ぶべきなのであって、「集団的自衛権」だけを「限定的な集団的自衛権の行使」であるとして、「フルスペックの集団的自衛権の行使」と区別していることを理由に正当化できると考えることはおかしな論理である。
 結局その実質は「武力の行使」であり、その「武力の行使」が国際法上の「個別的自衛権」と「集団的自衛権」のどちらに該当するかは、その「武力の行使」が9条の下で許容される範囲であるか否かが決せられた後に表れる付随的な問題でしかない。


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○大森政府委員 集団的自衛権に当たるから認められないとか、集団的自衛権に当たらないのだから認められるという、集団的自衛権を核にした議論がよくなされるわけでございますけれども、我が国の問題に関する限りは、やはり集団的自衛権の概念を解するのではなくて、我が国を防衛するために必要最小限度の行動に当たるかどうかということが基準になるはずでございます。
 したがいまして、冒頭にも申し上げましたとおり、憲法九条は、国際紛争を解決する手段としては武力による威嚇または武力の行使等を禁止しているけれども、我が国を防衛するために必要最小限度の実力行動は禁止していない。したがって、問題となる行為が我が国を防衛するために必要最小限度の行為であるかどうかということによって事が決せられるべきであるというふうに考える次第でございます。(岡田委員「持っているけれども行使できないというのは」と呼ぶ)国際法上は集団的自衛権を主権国家であるから保有しているのである、これは国際法上そのように解せられておりますから、従前も政府の答弁としてもそのように答弁してきているわけでございますが、やはりそれに対しまして、我が国は最高法規としての憲法によりまして、我が国の行動を縛っているわけでございます、言葉は悪いかもしれませんが。
 したがいまして、憲法九条によって、武力による威嚇または武力の行使に当たることはいたしません、やってはいけませんと。したがって、行動の面で縛っているわけでございますから、集団的自衛権の行使というのはその観点から認められない。国際法上は保有していると言えても、その行使は憲法で禁止されているんだということは、何らおかしいことでないということは従前から反論しているわけでございます。
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第142回国会 衆議院 予算委員会 第27号 平成10年3月18日
 (ここで説明されている『我が国を防衛するため必要最小限度』の意味については、当サイト「自衛のための必要最小限度」で解説している。)

 国際法上の区分を用いて説明するのであれば、それは国際法上に存在しない「限定的な」などという文言を加えて説明することは誤りと言うべきである。

 下記は「自衛権の行使」そのものについて「限定的な」と表現しており、「集団的自衛権の行使」のみについて「限定的な」との言葉を付けたものでないとの意味では正確である。ただ、厳密には「限定的な自衛権」という区分が存在するわけではない。「武力の行使」の範囲が「自衛権の行使」として許されているよりも狭い範囲ということである。

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 第1に、明文改憲されていない9条の下での自衛隊や日米安保条約はあくまでも9条の規範内容の根幹と矛盾しない限りでしか認められないものである以上、戦争放棄規定を持たない日本以外の国とは全く異質の極めて限定的な自衛権の行使しか日本国憲法は認めていないはずである。しかも憲法9条が武力行使の禁止規定であることに鑑みるならば、武力行使の「限定性」は時々の政府の「時代の変化」に応じた解釈で変動するものではなく、誰もが認めうるような客観的で絶対的な基準でなければならない。したがってその限界は、「自国に対する急迫不正の直接的な攻撃があった場合に限り、これへの一時的な反撃が可能な程度の武力の存在と行使」しかありえない。
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大津浩(成城大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日 (下線は筆者)



 ただ、「限定的な集団的自衛権の行使」の文言は、自衛隊法76条1項2号の「存立危機事態」の条項が定められる以前の2014年7月1日閣議決定がなされた段階での名前が明確となっていなかった新三要件の中の「集団的自衛権の行使」に該当する部分を指し示す意味で用いられている場合がある。


<理解の補強>

「7.1閣議決定」をめぐる楽観論、過小評価論の危うさ 2014年8月4日
「集団的自衛権限定行使」容認論を撃て! 深草徹 PDF

 



「自衛権」の誤解

 「自衛権」の用語が使われる際、国際法上と憲法上の範囲の違いについて語られることが多いが、この言葉の背景を正確に理解する必要がある。

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○折田政府委員 自衛権については、国際法上の側面憲法上の側面というものがあろうかと思います。
 一般国際法上の自衛権でございますが、自衛権は、国家または国民に対する外部からの急迫な不正の侵害に対し、これを排除するのにほかに適当な手段がない場合、当該国家が必要最小限度の実力を行使する権利であって、これは国家に認められた権利でございます。さらに、一般国際法上の観点からいいますと、自分の国が直接攻撃されていなくても、自分の国と密接な関係にある自分の国以外の国に対する武力攻撃も実力をもって阻止する権利、これはいわゆる集団的自衛権というものでございますが、それも国際法上は国家に認められているわけでございます。これが国際法上の自衛権でございます。
 憲法上の自衛権ということになりますと、これは憲法九条一項の解釈になりますが、憲法九条一項は独立国家の固有の自衛権まで否定する趣旨のものではなくて、自衛のための必要最小限の武力を行使することは認められている。しかし、先ほど申し上げました国際法上の集団的自衛権につきましては、我が国は国際法上権利を有するにしても、これを行使することは我が国を防衛するための必要最小限の範囲を超えるもので、これは許されないというのが一貫して政府が申し上げてきているところでございます。
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第132回国会 衆議院 安全保障委員会 第3号 平成7年2月17日


 ここで、「憲法上の自衛権」という言葉は、厳密には正確ではない。なぜならば、「自衛権」とは国際法上の『権利(right)』の区分を意味する用語であり、憲法上(国内法上)において「自衛権」という言葉は存在しないからである。

 憲法上の用語で示すならば、国民主権原理に裏付けられる形で発生する『権力・権限・権能(power)』による国家行為を示さなければならず、これは「自衛の措置」としての「自衛のための必要最小限度」の「武力の行使」と表現することが妥当である。これは、国会の「立法権(41条)」によって立法された法律に基づく、内閣以下の「行政権(65条)」の行使によって行われるものである。

 そのため、この答弁で使われている「憲法上の自衛権」の意味を言い換えると、「憲法上の制約の中で行使できる国際法上の『自衛権の行使』としての『武力の行使』」ぐらいの意味である。厳密には国際法上の「自衛権」という『権利(right)』の区分を用いて説明することは適切ではない。

 国際法上の「自衛権」が行使されるということは、通常「武力の行使」が行われるが、憲法9条がこの「武力の行使」を制約しているために、我が国の場合は国際法上の「自衛権」として許容されている「武力の行使」の幅よりも狭い範囲に限られることを示すものである。 


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○説明員(柳井俊二君) ただいまの点につきましては、御承知のとおり、国連憲章上の、すなわち国際法上の自衛権の範囲我が国の憲法が認めております自衛権の範囲は違うわけでございまして、我が国の憲法上の自衛権というものは国際法上認められているものよりは狭いものでございます。現在我が国として貢献策等国際協調の上でどのようなことができるかということを検討しておりますし、また一部いろいろな施策を実施に移しているわけでございますが、これは当然我が国の憲法の許す範囲内において行うべきであるというふうに考えております。
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第118回国会 参議院 外務委員会 閉会後第1号 平成2年9月19日

 ここでも、「我が国の憲法が認めております自衛権の範囲」や「我が国の憲法上の自衛権」との表現があるが、厳密には「我が国の憲法が認めております『自衛権の行使』としての『武力の行使』の範囲」を意味するものである。
 憲法上で許されている範囲内の「武力の行使」を行った場合、国際法上の違法性阻却事由の『権利(right)』区分で言えば「自衛権の行使」となるだけの話であり、憲法上において「自衛権」という名前の国家の『権力・権限・権能(power)』が存在するわけではないのである。

 





国際法上の「権利」と憲法上の「権限」の誤解
 

 下記の政府の説明の仕方は、誤りであると考えられる。

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1.憲法と自衛権


(略)
恒久の平和は、日本国民の念願です。この平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する規定を置いています。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています
(略)
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憲法と自衛権 防衛省・自衛隊


 まず、「もとより、わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。」の部分について説明する。

 9条が国際法上の「自衛権」という『権利(right)』の概念を否定していないことはその通りである。なぜならば、9条は単に日本国の統治権の『権力・権限・権能』による「戦争(1項)」「武力による威嚇又は武力の行使(1項)」「陸海空軍その他の戦力(2項前段)」「交戦権(2項後段)」を制約しているだけであり、国際法上の『権利』である「自衛権」に直接的に触れておらず、禁じる対象となっていないからである。これにより、確かに「自衛権」は否定されていない。

 しかし、ここで「わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。」と説明している点は誤りである。なぜならば、日本国が国際法上「独立国」として認められていることによって、国際法上において「自衛権」の適用を受ける地位を有すること、9条が日本国の統治権の『権力・権限・権能(power)』を制約していることとの間には因果関係がないからである。9条が日本国の統治権の『権力・権限・権能(power)』を制約していることを、あたかも国際法上で「独立国」として認められていることによってその制約を解除することができるかのような表現となっている点で、国際法上の『権利(right)』の問題と、憲法上で正当化される『権力・権限・権能(power)』の範囲の問題を切り分けていないことによる誤りである。


 次に「わが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。」の部分を説明する。

 先ほども述べた通り、国際法上において「自衛権」の適用を受ける地位を有しているとしても、日本国の統治権が9条の下で行使することが許されている『権力・権限・権能(power)』の範囲とは関係がない。そのため、「わが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められる」との説明の仕方は、国際法上の「自衛権」という『権利(right)』の適用を受ける地位を有することを根拠にして憲法上の統治権の『権力・権限・権能(power)』が発生しているかのような論理となっているため誤りである。

 もしこの説明のように、国際法上の『権利(right)』を有していることを根拠として憲法上の統治権の『権力・権限・権能(power)』が生まれると考えるのであれば、「国家権力(power)」が国民からの「厳粛な信託(前文)」によって生まれるとする国民主権原理を否定することとなる。


日本国憲法 前文
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そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである
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 国際法上において「自衛権」という『権利(right)』の適用を受ける地位を有しているとしても、その行使を裏づけるための「実力」を保持する場合には、憲法上で正当化される統治権の『権力・権限・権能(power)』が必要となる。

 

 国際法上の「自衛権」という『権利(right)』の適用を受ける地位を有することと、日本国の統治権の『権力・権限・権能(power)』が「武力の行使」を行うことができるか否かや、「武力の行使」を行うことができる場合にそれを実施するための実力組織を保持することができるか否かの論点が、全く異なる概念であることを理解するためには、日本国憲法の「三権分立」の仕組みを考えると分かりやすい。

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○政府委員(佐藤達夫君)
(略)
要するに今の国の作用というものを三つに分けるという、いわゆる三権分立の一般の分類を今の憲法においてとつておりますからして、こういう、即ち外敵を防ぐとかいうようなことが国の作用として許されておるという前提をとりますならば、その作用は立法にあらず、司法にあらず、それは行政の作用であろうということが言い得ると思います。それが一体許されておるかどうかという問題に触れなければなりませんが、これは非常に現実具体的な形では今まで出ませんでしたが、例えばこの憲法ができます際の帝国議会の審議の際において、この憲法は一体無抵抗主義であるのかという御質問が貴族院でありました場合に、決して無抵抗主義ではございませんということを言つておるわけであります。外敵に対して一応許された範囲においての抵抗というものはあり得ることを前提としておりますと答えておるわけでございますからして、できたときの趣旨から言つても、そういうことはあり得るという前提で参つておりますからして、そういうことは今の三つの権力に分けて分類すれば、行政権であろうということが言えると思うのです。ただ、憲法が違つた形でできておつて、仮にいわゆる四権の一つとしての統帥権というものを憲法が作れば、これは憲法を作るその政策の問題としては考え得られますけれども、とにかく三権ということで行つております以上は、その実体は行政権であり、行政作用であろうということであります。従いましてその点は木村大臣の答えた通りであると考えております。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○政府委員(佐藤達夫君)

(略)

今の行政権についてのお言葉でございますが、この問題はもう少し掘下げて考えてみますというと、一応は私は国を守る作用ということは、結局今の内乱が起つた場合に、その内乱を抑える、それを防ぐというような作用というものとは、根本性質は同じものであろうと思いますからして、これをよそから眺めた場合には、要するに立法権でないことは明瞭、司法権でないことは明瞭ということで、一応行政権でございますと答えておるわけでございます。この限りにおいては、その本質をつかまえて言えば、行政作用であることはどうも誤まりないように思います。……(略)……
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第19回国会 参議院 法務委員会 第35号 昭和29年5月13日

 9条は、日本国の統治権の『権力・権限・権能(power)』を制約する規定であり、9条の制約範囲によって「武力の行使」の可否や、それを実施するための実力組織を保持することの可否が決められることとなる。ここに、国際法上において「自衛権」という『権利(right)』の適用を受ける地位を有するか否かは関係ないのである。





 もし先ほどの政府の説明のように「わが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められる」と解する場合、下記の「我が国が主権国家である以上、国際法上は集団的自衛権を有していることは当然」としながらも9条の下では「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が否定されるとする答弁と整合性がなくなるため妥当でない。


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○秋山政府特別補佐人 集団的自衛権と憲法第九条の問題でございますが、お尋ねにございましたように、我が国が主権国家である以上、国際法上は集団的自衛権を有していることは当然でございますが、国家が国際法上、ある権利を有しているとしましても、憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限することはあり得ることでございまして、国際法上の義務を国内法において履行しない場合とは異なり、国際法と国内法との間の矛盾抵触の問題が生ずるわけではございませんで、法律論としては特段問題があることではございません。  それで、政府は、従来から、その九条の文理に照らしますと、我が国による武力の行使は一切できないようにも読める憲法九条のもとでもなお、外国からの武力攻撃によって国民の生命身体が危険にさらされるような場合に、これを排除するために武力を行使することまでは禁止されませんが、集団的自衛権は、我が国に対する急迫不正の侵害に対処するものではなく、他の外国に加えられた武力行使を実力で阻止することを内容とするものでありますから、憲法九条のもとではこれの行使は認められないと解しているところでございます。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日



 1972年(昭和47年)政府見解でも、「集団的自衛権を有している」としている。


1972年(昭和47年)政府見解
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 国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する 武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにかかわらず、実力をもつて阻止することが正当化さ れるという地位有しているものとされており、国際連合憲章第 51 条、日本国との平和条約第5 条(c)、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文並びに日本国とソヴィエ ト社会主義共和国連邦との共同宣言3第2段の規定は、この国際法の原則を宣明したものと思わ れる。そして、わが国が国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、 当然といわなければならない。
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【資 料】 衆議院及び参議院の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」に提出された政府統一見解等 参議院 立法と調査 2015.12 (P63) 



 従来の政府答弁も、「集団的自衛権を有している」ことと、憲法9条の下で許容される「武力の行使」の範囲は異なる旨を述べている。

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○政府特別補佐人(津野修君) 集団的自衛権あるいは個別的自衛権についての政府解釈が一貫しておったかどうかというお尋ねでございますけれども、これは制憲議会当時あるいは日米安保改定当時、あるいは最近までを含めてでございますけれども、基本的に個別的自衛権については、憲法第九条第一項が国際紛争を解決する手段としての戦争、あるいは武力による威嚇、武力の行使を禁じているけれども、我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定する趣旨のものではなくて、自衛のための必要最小限度の実力を行使することは認められているところであるというふうに、従来から一貫して政府としてこの見解をとってきているわけであります。
(略)
 それから、集団的自衛権につきましては、これはもともといろんな経緯があって国連憲章上あるわけですけれども、この集団的自衛権につきましては、国際法上、国家は集団的自衛権、すなわち自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされておりまして、我が国が国際法上この集団的自衛権を有していることは主権国家である以上は当然であるという考え方は、これも従来からの見解でございます。
 しかしながら、政府は従来から一貫して、憲法第九条のもとにおいて許容されている自衛権の行使は我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであって、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものとして憲法上許されないという立場に立っているところでございまして、これは従来からの国会答弁、あるいは質問主意書に対する政府の答弁等において一貫して明らかにしてきているところでございます。
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第151回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成13年3月22日



 旧政府解釈の「集団的自衛権」の項目にも、日本国は「集団的自衛権を有している」と述べられている。


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(4)集団的自衛権
国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているとされています。わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然です。しかしながら、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されないと考えています。
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憲法と自衛権 (2014年7月1日閣議決定以前の過去のページ)

 もし9条によって「わが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められる」と説明するのであれば、9条によって「集団的自衛権」が否定されておらず、その適用を受ける地位を有している以上、「その行使を裏付ける」「実力を保持すること」も憲法上認められることになるはずである。しかし、ここでは9条の制約範囲によって「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が許されない旨を述べているのであるから、整合性がないこととなる。


 これについて、「固有の自衛権」と固有でない「自衛権」に切り分けることでその違いを説明しようとを試みる者がいるかもしれない。しかし、国連憲章51条では「個別的又は集団的自衛の固有の権利」の表現が使われているため、「集団的自衛権」についても「固有の権利」として扱っている場合がある。
 また、国連憲章制定以前や廃止された場合における国際慣習法上の「固有の自衛権」の中に「集団的自衛権」は含まれていないと考える可能性もあるが、結局、国際法上の『権利(right)』を有することと、憲法上で正当化される統治権の『権力・権限・権能(power)』を有することでは性質が異なるのであり、説明が通らないことに変わりはない。


 さらに、従来政府は日本国が行使できる「武力の行使」について、国際法上で認められている「個別的自衛権」よりも狭い範囲であると述べており、「自衛権」を有することを根拠にあたかも憲法上で行使できるかのように論じるならば、「個別的自衛権」に該当する部分の「武力の行使」を最大限に行えるはずである。この答弁とも整合性が存在しない。


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○角田(禮)政府委員 ちょっと別の例で申し上げて恐縮でございますが、いわゆる個別的自衛権、こういうものをわが国が国際法上も持っている、それから憲法の上でも持っているということは、御承認願えると思います。
 ところが、個別的自衛権についても、その行使の態様については、わが国におきましては、たとえば海外派兵はできないとか、それからその行使に当たっても必要最小限度というように、一般的に世界で認められているような、ほかの国が認めているような個別的自衛権の行使の態様よりもずっと狭い範囲に限られておるわけです。そういう意味では、個別的自衛権は持っているけれども、しかし、実際にそれを行使するに当たっては、非常に幅が狭いということを御了解願えると思います。
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第94回国会 衆議院 法務委員会 第18号 昭和56年6月3日

 


 下記の答弁では、国際法上「自衛権を持っている」としても、「憲法上こういう権利の行使については、また別途措置をしなければならない。」と述べており、「自衛権の行使」と憲法上の措置は異なることを示している。

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○説明員(吉國一郎君) 私の、これはお答えと申し上げるより釈明みたいなものでございますが、平和条約の五条のC項でございますか、と安保条約の前文、日ソ共同宣言で、わが国が自衛権を持っているということは確認をしております。その自衛権には、形容詞がついておりまして、個別的及び集団的自衛の固有の権利があるということで、条約上うたわれておりますが、これは国際法上の問題として、日本が自衛権を持っている、その自衛権というのは個別的及び集団的なものであるということを国際法上うたったわけでございまして、憲法上こういう権利の行使については、また別途措置をしなければならない。憲法ではわが国はいわば集団的自衛の権利の行使について、自己抑制をしていると申しますか、日本国の国内法として憲法第九条の規定が容認しているのは、個別的自衛権の発動としての自衛行動だけだということが私どもの考え方で、これは政策論として申し上げているわけではなくて、法律論として、その法律論の由来は先ほど同じような答弁を何回も申し上げましたが、あのような説明で、わが国が侵略された場合に、わが国の国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るためにその侵略を排除するための措置をとるというのが自衛行動だという考え方で、その結果として、集団的自衛のための行動は憲法の認めるところではないという法律論として説明をしているつもりでございます。

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第69回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号 昭和47年9月14日

 

 



 これらの理由により、下記の政府答弁は冒頭に示した政府の説明と同じ説明の仕方であるため、すべて誤った答弁ということになる。



〇 誤った答弁


 下記は、「したがいまして、」と繋いでいる部分が誤っている。

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○真田政府委員
(略)
 次に、わが国が保持することのできる戦力の範囲いかんという問題でございますけれども、ただいま御指摘のように、従来核兵器を中心としてずいぶん論議されたところでございます。その際のこれに関します政府の解釈といたしましては、わが国には主権国として固有の自衛権がある、これは憲法も否定しておらないであろう。したがいまして、その自衛権を行使するための必要かつ相当の範囲内における戦力であるならば、これは憲法も許しておる、これも禁止しているとはいえないであろうという解釈をとっております。
(略)
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第61回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第22号 昭和44年7月22日

 下記は、まず、「自衛権がある以上は、」と繋いでいる部分が誤りである。

 次に、「自衛権の範囲内における行動は認められている」の部分であるが、二つの読み方がある。

① 憲法9条の下で「自衛権の範囲内における行動は認められている」と読み解いた場合、国際法上の「自衛権」と我が国の「行動」の範囲を区別していない点で誤りである。9条の下にある我が国の「行動」(自衛行動)は、国際法上の「自衛権」の範囲よりも狭いからである。

② 「自衛権の範囲内における行動は認められている」との部分を我が国が国際法上認められていると読み解く場合、その後「こういうことから申せば、」とのように、国際法上の『権利』の適用を受ける地位と憲法上の『権力・権限・権能』による「自衛力」の保持の可否を結び付けている点で誤りである。


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○政府委員(角田礼次郎君) たびたび申し上げたことをまた繰り返して申し上げるわけでございますけれども、政府の解釈は、九条の一項で自衛権は否定されていないと。自衛権がある以上は、その自衛権の範囲内において他国の侵略を排除するための自衛行動というものも否定されていないだろうと。そこで第二項の問題になるわけでございますが、第二項には、いま御指摘のように、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と書いてあるわけでございますけれども、しかし、第一項と関連づけて規定されております以上、第一項で自衛権は放棄していない、あるいは自衛権の範囲内における行動は認められていると、こういうことから申せば、その裏づけとしての自衛のための必要最小限度において必要な実力を持つということは、九条二項で禁止されているいわゆる戦力には入らないと、これはもう従来から政府が申し上げている解釈でございます。

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第71回国会 参議院 内閣委員会 第27号 昭和48年9月13日


 下記は、「ございませんので、」のように、国際法上の『権利』を否定していないことによって、国際法上の『権利』の適用を受ける地位を有していることと、憲法上の『権力・権限・権能』によって「自衛力」を保持できるか否かを繋いでいる部分が誤りである。

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○真田政府委員 ただいまお読みになりました戦力の定義については、法制局といたしましては、これは公表したということは私は聞いておりません。聞いておりませんが、憲法第九条第二項に言う戦力というのは、結局日本が独立国として有する固有の自衛権、これは憲法が否定しているわけではございませんので、その固有の自衛権の裏づけとしての実力部隊、つまり自衛のために必要な最小限度の自衛力、それが憲法が保持を許している実力組織でございまして、その範囲を超える実力、それが憲法第九条第二項で保持を禁止している戦力である、これが私たちの考えでございます。
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第84回国会 衆議院 予算委員会 第4号 昭和53年2月1日


 下記は、「したがいまして、」と繋いでいる部分が誤りである。

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○真田政府委員

(略)

 私が申しましたのは、もちろんこれは憲法問題でございまして、憲法九条の説明をいたしたわけでございまして、つまり憲法九条は、わが国が主権国として持っている固有の自衛権まで否定しているものではない、これはまず異論のないところでございます。したがいまして、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することも、これもまた憲法は禁じているものではないであろうというのがそもそものわれわれの立論の出発点でございます。
(略)
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第84回国会 衆議院 予算委員会 第9号 昭和53年2月7日


 下記は、「したがって、」と繋いでいる部分が誤りである。

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○茂串政府委員 お答え申し上げます。
 ただいま御質問がございました点は、憲法九条の第二項でいわゆる戦力の保持を禁止しておる規定がございます。この規定の解釈に尽きると思うのでございます。先ほど申し上げましたように、わが国の憲法は固有の自衛権まで否定するものではない。したがって、この自衛権の行使を裏づける必要最小限度の実力を保持することも禁止されていない。九条二項で保持を禁止している戦力は、それを上回るものであるというふうに私どもは前々からそういう見解を持っておるわけでございます。したがいまして、いわゆる自衛力、必要最小限度の自衛力、これは憲法の禁止するところではない、そういう結論でございます。
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第100回国会 衆議院 行政改革に関する特別委員会 第4号 昭和58年9月28日

 下記は、「そういうふうに考えられますので、」と繋いでいる部分が誤りである。


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○政府委員(関守君) 政府といたしましては、憲法第九条第一項は、国際紛争を解決するための手段としての戦争、武力による威嚇あるいは武力の行使というものを禁じておりますけれども、今先生のお話がございましたように、独立国家に固有の自衛権まで否定する趣旨のものではございません。そういうふうに考えられますので、自衛のために必要な最小限度の実力を行使することは憲法の禁止するところではないというふうに、一貫して従来から解釈してきておるところでございます。
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第109回国会 参議院 内閣委員会 第3号 昭和62年9月1日


 下記は、「したがって」と繋いでいる部分が誤りである。

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○依田政府委員 長官に先立ちまして、憲法の話がございましたので、法制局も来ておられますが、ちょっと防衛庁の方から申し上げますと、私どもとしましては、憲法九条は我が国が主権国として持つ固有の自衛権まで否定したものではない。したがって、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限の防衛力を保持することは同条の禁ずるところではないということで一貫してきておるわけでございますが、これは政府等で、しばしば国会等でも一貫して申しておるところでございます
(略)
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第112回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第3号 昭和63年4月13日


 下記は、「そういった趣旨から国が認められておりますのは、」と繋いでいる部分が誤りである。


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○津野政府委員 従来から政府の答弁で言っておりますのは、憲法九条は、国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を禁じております。これは従来から言っているわけであります。しかしながら、独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨ではないというふうに解されてきているわけでありまして、そういった趣旨から国が認められておりますのは、いわゆるその自衛のため必要最小限度の自衛権の行使、その自衛権を行使するための組織、そういったものを持つことが許されているということからきているわけでございます。

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第120回国会 衆議院 内閣委員会 第6号 平成3年3月12日


 下記は、「したがいまして」と関連性があるかのように繋いでいる部分が誤りである。

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○津野政府委員 お答えいたします。
 自衛力の行使についての憲法上のいわば制約がどういうものかというお尋ねかと思いますが、まず第一に、憲法第九条におきまして我が国が主権国として持つ自衛権はこれは否定していない、されているものではないということでございます。そして、この自衛権の行使を裏づける自衛のための最小限度の実力、つまり自衛力を保持することは、したがいまして第九条の禁ずるところではございません。憲法第九条第二項で保有することを禁止している戦力といいますのは、自衛のための必要最小限度の実力を超える実力をいうということでございます。
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第126回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号 平成5年3月5日

 下記は、「したがいまして、」と繋いでいる部分が誤りである。

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○東(順)政府委員 お答えさせていただきます。
 この憲法九条は、我が国が主権国として持つ固有の自衛権、これまでも否定したものではない。したがいまして、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限の実力を保持するということは、この憲法第九条の禁止をしているところではない、このように考えます。したがいまして、自衛隊は我が国を防衛するための必要最小限度内の実力組織である、このような観点から憲法に違反するものではない、このように考えるところでございます。
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第129回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第1号 平成6年5月26日


 下記は、「主権国として持つ固有の自衛権」と「主権国家として当たり前」という表現から、国際法上の主権国家として認められており、「自衛権」という『権利』の適用を受ける地位を有することと、憲法上の統治権の『権力・権限・権能』によって「自衛力」の保持の可否に関係性があるかのように述べている点で誤りである。

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○東(順)政府委員 委員御指摘の思い、お気持ちというのは私も十分承知しているわけでございます。
 私も、前政権からの云々ということよりも、以前から、当然のごとくこの自衛隊というものは、明確に主権国家として自衛権を有するということは当然のことでございまして、また、その自衛隊が海外の平和協力業務のために積極的に出ていく、そしてしっかりと国際貢献をするということに対しましては、これはもっと大いにやっていくべきであるという考え方に立つ者の一人でございます。
 その上で、改めて確認をさせていただきたいのですけれども、当然主権国として持つ固有の自衛権というものは、これは憲法第九条でこれを否定したものではないわけでございまして、繰り返しになりますけれども、自衛のための必要最小限度の実力を保持するということは、これは主権国家として当たり前のことでございます。
 そういう意味で、明確に憲法に合致した存在、これが自衛隊という存在である。そして、我が国を防衛するための必要最小限度内の実力組織という位置づけでもって明確に位置づけられるのであろう、このように思う次第でございます。
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第129回国会 衆議院 決算委員会第二分科会 第1号 平成6年5月26日


 下記は、「したがいまして、」と繋いでいる部分が誤りである。

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○政府委員(大森政輔君) まず、わかりやすくするために、現在、憲法九条第二項が保持しないとしている「戦力」とはどういう意味であるかということからお話しいたしますと、先ほど申し上げましたように、国家固有の自衛権は否定しておらないと。したがいまして、それを行使するための、自衛のための必要最小限度の実力というものも当然否定せず認めているはずであるということが言えようかと思います。最近、一貫してそのように述べてきているわけでございます。

(略)

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第136回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成8年4月23日

 下記は、「したがって、」と繋いでいる部分が誤りである。

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○大森政府委員 九条の趣旨は、その前提として、日本国憲法の前段で述べられている決意にやはり立ち戻らなければならないのではなかろうかと考えているわけでございます。
 前文におきましては、御承知のとおり、日本国民は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、そして、恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した、このようにその決意を宣明しておりまして、これを受けまして、この決意を実現するために、第九条におきまして、国権の発動たる戦争、武力による威嚇または武力の行使を放棄するとともに、いかなる戦力も保持せず、交戦権も認めない、このように規定していると理解されるわけであります。
 しかしながら、冒頭で委員も御指摘になりましたように、これによって我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定するものではない。したがって、我が国に対し武力攻撃が発生した場合に、これを排除するため必要最小限度の実力を行使すること、及びそのための必要最小限度の実力を保持することまでも禁止しているものではないというふうに解されているところであります。
(略)
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第142回国会 衆議院 予算委員会 第27号 平成10年3月18日


 下記は、「したがって、」と繋いでいる部分が誤りである。

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○政府特別補佐人(津野修君) これは、総理がおっしゃられた趣旨でございますけれども、また同じことでございますが、政府が従来から自衛隊を合憲であると解してきているが、これは先ほど言いましたけれども、憲法九条が国際紛争の解決の手段としての戦争等を放棄し、戦力の保持を禁止しているが、これによって我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定しているものではない。したがって、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することも同条によって禁止されているものではなく、自衛隊は違憲ではないということの政府の見解がございます。(略)
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第153回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成13年10月26日


 上記のこれらの答弁は、国際法上の「自衛権」という『権利(right)』と、憲法上で正当化される統治権の『権力・権限・権能(power)』を切り分けて考えることのできていない誤った内容である。



 弁護士「伊藤真」の説明は、書籍「憲法(芦部信喜・高橋和之補訂)」の説明を基にしていると考えられ、その憲法学者「芦部信喜」の説明は、上記の政府の説明を基にしている。しかし、この政府の説明が論理的に誤っているため、結局「伊藤真」の説明も論理的には不十分なものとなってしまっている。


◇ 砂川判決の正しい説明(昭和34年)
   ↓ ↓ ↓
◇ 政府の誤った説明
   ↓ ↓ ↓
◇ 憲法学者「芦部信喜」の理解不足による誤りの継承 ⇒ 「9条関係の誤解」の「芦部信喜」で解説。

   ↓ ↓ ↓
◇ 「伊藤真」の論理的に不十分な説明

   【参考】伊藤真弁護士講演会 #02-1 【前半】 2020/02/22



〇 砂川判決の読み方

 政府解釈が「わが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。」との説明を行っている原因は、恐らく砂川判決の下記の部分を真似しようとしたことによるものと思われる。


砂川判決 (1959年〔昭和34年〕)
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かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。
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 しかし、砂川判決が「自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」との文言を導き出している理由は、「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく」の部分とは直接的に繋がっていない。

 「自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」の部分と繋がっているのは、「同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、」「わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」「われら日本国民は、」「国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、」「全世界の国民と共に」「平和のうちに生存する権利を有する」の部分である。


「同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、」
  ↓  ↓
「わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」
  ↓  ↓
「われら日本国民は、」「国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、」「全世界の国民と共に」「平和のうちに生存する権利を有する」
  ↓  ↓
「自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」


 砂川判決は、「従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、」と述べており、9条2項が「自衛のための戦力」の保持を禁じているか否かについても法的判断を行っていない。

 また、砂川判決は政府解釈の9条2項前段の「陸海空軍その他の戦力」に抵触しない範囲の「自衛のための必要最小限度の実力(組織)(自衛力)」を保持することが可能であるか否かについても全く触れていない。

 そのため、それらの実力組織によって日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否についても当然触れていない。このことから、砂川判決を根拠として日本国の統治権の『権力・権限・権能』による「武力の行使」を直接的に導き出すことはできない。

 さらに、この「国家固有の権能の行使」としての「自衛のための措置」の内容についても、砂川判決は「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」を挙げるに留まるものである。

 砂川判決の「同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく」の部分は、9条が国際法上の「自衛権」の概念を否定する規定ではないことを明らかにしている。

 しかし、砂川判決は、「わが国が主権国として持つ固有の自衛権」という国際法上の『権利(right)』と、「自衛のための措置」という「国家固有の権能の行使」の『権能(power)』を使い分けており、国際法上の『権利(right)』の適用を受ける地位を有しているとしても、『権能(power)』を行使できる範囲については9条の制約に影響を受けることを前提としている。

 そのため、政府が砂川判決の「自衛権は何ら否定されたものではなく」の文言だけを根拠として「その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。」と説明している場合については、「自衛権」という『権利(right)』の適用を受ける地位を有することと、憲法上で正当化されている『権力・権限・権能(power)』の中に「自衛のための措置」としての「武力の行使」が含まれるか否かが別問題であることを理解していないことによる誤った答弁である。


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 砂川事件最高裁判決での自衛権は、国際連合憲章などを踏まえた国際法上の一般論に触れただけであって、日本国憲法下における自衛権「行使」について、云々するとは解せない。
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日笠完治(駒沢大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日



〇 正しい理解

 

 下記の政府答弁は、日本国が独立国として国際法上の「自衛権」の適用を受ける地位を有することと、憲法9条の下で行うことができる「武力の行使」の範囲を切り分けており、適切である。


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○大村国務大臣 ただいまお尋ねになりました点につきまして、政府の見解をあらためて申し述べます。
 第一に、憲法は自衛権を否定していない自衛権は国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。憲法はこれを否定していない。従つて現行憲法のもとで、わが国が自衛権を持つていることはきわめて明白である。
 憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。一、戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。二、他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない
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第21回国会 衆議院 予算委員会 第2号 昭和29年12月22日


 下記の答弁は、「自衛権」と「自衛のための措置」を区別しており、「自衛のための措置(自衛のための必要な措置)」として「自衛力を保持する」と説明していることから、正確な理解である。


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○政府委員(吉國一郎君) ただいまお触れになりました砂川の最高裁判決においても言っておりますように、憲法第九条が、同条にいわゆる戦争を放棄して、いわゆる戦力の保持は禁止しているけれども、しかし、これによってわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されておらない、わが国が、自国の平和と安全を維持してその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことであるということを最高裁の判決は言っております。私どもの考え方では、この自衛のための必要な措置として自衛力を保持するということを言っておるわけでございます。その自衛力は憲法第九条第二項でその保持を禁止しているところの戦力ではない。憲法第九条第二項において保持を禁止している戦力と申しますのは、先ほど私のほうの部長からお答え申し上げましたように、第一項においては戦争を放棄しておる。その第一項の全体の精神を受けまして「前項の目的を達するため、」と言っていることからいって、自衛のため必要な最小限度において自衛力を整備することは憲法第九条第二項で保持を禁止する戦力ではない。言いかえれば、自衛のため必要な最小限度を越える実力、越える力が戦力であるということに相なるわけでございます。
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第71回国会 参議院 内閣委員会 第27号 昭和48年9月13日

 下記の答弁は、「自衛権」を有することと、「自衛のための必要最小限度の実力」の保持を区別していると読むこともできるため、一応誤っていない。

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○政府委員(真田秀夫君) それでは、核兵器の保有に関する憲法第九条の解釈についての補足説明を申し上げます。
 一 憲法上核兵器の保有が許されるか否かは、それが憲法第九条第二項の「戦力」を構成するものであるか否かの問題に帰することは明らかであるが、政府が従来から憲法第九条に関してとっている解釈は、同条が我が国が独立国として固有の自衛権を有することを否定していないことは憲法の前文をはじめ全体の趣旨に照らしてみても明らかであり、その裏付けとしての自衛のための必要最小限度の範囲内の実力を保持することは同条第二項によっても禁止されておらず、右の限度を超えるものが同項によりその保持を禁止される「戦力」に当たるというものである。
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第84回国会 参議院 予算委員会 第23号 昭和53年4月3日


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○政府委員(茂串俊君) ただいま大臣の方からお答え申し上げましたとおりでございまして、憲法第九条は、わが国が主権国として持つ固有の自衛権まで否定しておらないわけでございます。そしてその自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度実力というものは、これは防衛のために必要でございまして、もとより第九条の禁ずるところではございません
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第84回国会 参議院 決算委員会 第11号 昭和53年4月14日

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○内閣総理大臣(大平正芳君)
(略)
 すなわち、憲法第九条は、わが国が主権国家として有する固有の自衛権を否定しておりませんが、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度実力を保持することが認められておりますが、この自衛のための必要最小限度という限界を越えて防衛力を増強することは許されないと考えております。
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第91回国会 衆議院 本会議 第24号 昭和55年5月13日


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○政府委員(角田禮次郎君) これまで政府の見解としてたびたび申し上げていることでございますけれども、憲法第九条第一項はいわゆる戦争を放棄しておりますけれども、わが国が主権国として持つ固有の自衛権まで否定しているものではなくて、自衛権の行使として自衛のための必要最小限度の実力を行使することは、もとより憲法の禁ずるところではないというふうに私どもは解しているわけでございます。
 そこで、御質問の自衛隊法上の防衛出動による武力の行使が行われた場合でありますが、これはいま申し上げた自衛権の行使として自衛のための必要最小限度の実力行使をするということにとどまるものでありますから、憲法第九条第一項において放棄されている国権の発動たる戦争というものではないというふうに理解しております。
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第94回国会 参議院 予算委員会 第6号 昭和56年3月11日


 下記の政府の説明も、「自衛権」が否定されていないことと、「自衛のための措置」をとり得ることを区別しており、正確な理解である。


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○政府委員(角田禮次郎君) まず、ただいま御指摘の第一の、憲法九条がわが国の自衛権を否定するかどうかという問題につきましては、憲法第九条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかし、もちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防衛、無抵抗を定めたものではないのであると、こういうふうに判示しております。
 次に、自衛の措置をとることを禁止するものではないという点につきましては、わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の機能の行使として当然のことと言わなければならないと、このように判示しております。
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第94回国会 参議院 予算委員会 第10号 昭和56年3月16日

 下記は一つの文であるため、分かりづらいが、9条が「自衛権」を否定していないことと、9条が「自衛のための必要最小限度の実力」の保持
を否定していないことが区別されており、一応誤っていない。

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○味村政府委員 我が国の憲法は、その前文におきまして平和主義及び国際協調主義の理想を高く掲げまして、その理想のもとに、憲法九条におきまして戦争の放棄について定めているところでございます。
 政府といたしましては、憲法第九条は独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものではございませんで、自衛のための必要最小限度の武力を行使することは憲法九条のもとにおいても認められておりますし、また、自衛のための必要最小限度実力の保持は同条によって禁止されていないという見解を、これは従来からとってきているところでございます。
(略)
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第107回国会 衆議院 内閣委員会 第6号 昭和61年11月20日

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○大出政府委員 憲法第九条に関連をいたしましたお話が出ましたので、重ねて私の方からも申し上げたいと思います。
 憲法第九条は、いわゆる戦争を放棄しておる、いわゆる戦力の保持を禁止しておるということでありますが、これによって我が国の主権国として持つ固有の自衛権まで否定をしておるものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を行使するということは認められているところであるというふうに考えております。
 また、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力組織を保持するということも憲法九条の禁止するところではないというふうに考えておるわけであります。自衛隊は我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つための不可欠の機関でございまして、さきに申し上げました自衛のための必要最小限度内の実力組織でございますから違憲のものではないということは、従来から政府はこれを表明してきておるところでございます。
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第112回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第3号 昭和63年4月13日


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○政府委員(日吉章君) 我が国の自衛隊の整備は憲法の精神に基づきまして進めているところでございまして、これはもう委員に今さら申し上げるまでもないことかと思いますが、憲法第九条は我が国が主権国として有する固有の自衛権までも否定しているものではございませんで、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限実力を保持することは同条の第二項によって禁じられていないものと解釈いたしております。
(略)
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第116回国会 参議院 内閣委員会 第5号 平成元年12月7日

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○大出政府委員 自衛隊の合憲性の根拠についてということでございますが、憲法第九条は、第一項において「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定するとともに、二項におきまして「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」などの規定を設けておるわけであります。
 しかしながら、憲法第九条は、我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定しているものではなく、この自衛権の行使を裏づける、自衛のための必要最小限度実力組織を保持することは、もとより憲法第九条の禁ずるところではないということであります。
(略)
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第132回国会 衆議院 予算委員会 第4号 平成7年1月30日

 下記答弁は、「自衛権」と「自衛のための措置」を完全に分離しており、正確である。

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○政府委員(大森政輔君) わかりやすくということでございますけれども、憲法九条、これは文字どおり読みますと、いわゆる戦争を放棄し、そしてまた二項におきまして戦力の保持を禁止しているわけでございます。ただ、これによりまして我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されているものではないということが第一のポイントでございます。
 憲法前文におきまして、第二段あたりでございますが、
 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてみる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
さらに、
 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
このように憲法前文では述べているわけでございます。
 これを踏まえて考えますと、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとる、とり得ることは国家固有の機能として当然のことであるというふうに考えているわけでございまして、憲法第九条がこのことを禁止しているとは到底考えられないということでございます。このことは、昭和三十四年十二月十六日の最高裁判所砂川事件判決において明確に確認されているところでございます。
 以上でございます。
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第136回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成8年4月23日

 下記の答弁も、分かりづらいが、9条が「自衛権」を否定していない旨と、9条が「自衛権の行使」を裏付ける「自衛のための必要最小限度の実力」の保持を禁じていない旨を区別しており、一応誤っていない。

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○国務大臣(野呂田芳成君) 憲法第九条は、我が国が主権国家として有する固有の自衛権を否定しておらず、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度実力を保持することは同条第二項によって禁じられてはいないということは、先ほど来、法制局長官とのやりとりで出たところであります。そしてまた、それが政府の伝統的な解釈であります。
(略)
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第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第9号 平成11年5月20日

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○政府特別補佐人(津野修君) この憲法第九条の解釈につきまして、これは有名な最高裁判所のいわゆる砂川事件に関する判決がございます。
 そして、そもそもの憲法第九条の解釈といたしましては、憲法九条の規定におきましては、国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を憲法第九条は禁じているが、独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものとは解されない。昭和三十四年十二月十六日のいわゆる砂川事件に関する最高裁判所判決は、憲法第九条によって我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然であるということを明白に承認しているわけでございます。政府としてもこのような見解を従来からとってきたところでございます。
 そして、自衛隊の合憲性でありますが、憲法第九条は、先ほど言いましたように戦争を放棄し、戦力の保持を禁止して、いわゆる戦力の保持を禁止しておりますけれども、これによって我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定しているものではなく、この自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度実力を保持することはもとより同条の禁ずるところではない、自衛隊は我が国の平和と独立を守り国の安全を保つための不可欠の機関であって、右の限度内の実力組織であるから違憲のものではない。このことは、従来、政府が国会を通じてしばしば表明してきたところであります。
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第153回国会 参議院 外交防衛委員会、国土交通委員会、内閣委員会連合審査会 第1号 平成13年10月23日

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○政府特別補佐人(津野修君) 個別的自衛権の内容と根拠でございますけれども、これは政府は従来から、憲法第九条のもとにおいて許容されている自衛権の発動につきましては、いわゆる自衛権発動の三要件というのがございまして、一つは我が国に対する急迫不正の侵害があること、すなわち武力攻撃が発生したこと、二つ目は、この場合にこれを排除するために他の適当な手段がないこと、及び三番目といたしまして、必要最小限度の実力行使にとどまるべきことに該当する場合に限られると解しているわけでございます。
 このように、自衛権の発動が許容される理由でございますが、政府が従来から述べておりますように、憲法第九条は、国際紛争を解決する手段としての戦争等を放棄し、戦力の保持を禁止しているわけでありますが、これによりまして我が国が主権国として持っております固有の自衛権までも否定しているものではなく自衛のための必要最小限度実力を行使することは認められていると解されるからであります。
 このことは、昭和三十四年十二月十六日のいわゆる砂川事件に関する最高裁判決におきましても、我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然であるというふうにされているところでございます。
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第153回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成13年10月26日


 下記は一つの文であるため、分かりづらいが、9条が「自衛権」を否定していないことと、9条が「自衛のための必要最小限度」の実力行使を否定していないことが区別されており、一応誤っていない。

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○山本政府参考人
(略)
 もちろん憲法第九条は独立国家に固有の自衛権までをも否定する趣旨ではございませんで、武力攻撃が発生した事態におきましては、我が国が自衛のため必要最小限度の実力行使を行うことは、同条の禁ずる武力の行使には当たらないというわけでございます。
(略)
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第159回国会 衆議院 武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第11号 平成16年4月28日


〇 誤った理解

 しかし、下記の答弁は、「すなわち、その理由にわたるわけでございますが、」と述べている部分に関して、「自衛権」が否定されないことと、「自衛の措置」をとり得ることが別の問題であることを区別できておらず、誤っている。

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○政府委員(大森政輔君)

(略)
 次にお尋ねの、では我が日本国憲法との関係では一体どうなのかということでございますが、御承知のとおり日本国憲法は、いわゆる戦争等を放棄し、また戦力はこれを保持しないというふうに規定しているわけでございますが、これによりまして我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されていないというふうに考えられているところでございます。すなわち、その理由にわたるわけでございますが、憲法前文がいわゆる平和的生存権を有することを確認しているということを踏まえますと、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然であり、憲法九条がこれを禁止しているとは到底考えられない、これは有名な最高裁判所の砂川事件判決においても確認しているところでございます。
 したがいまして、我が国に対して武力攻撃があったという場合におきましては、平和と独立を維持回復するため、すなわち換言しますと、我が国を防衛するために必要最小限度の実力を行使する、またそのための裏づけとなる自衛のための必要最小限度の実力を保持するということは、もとより憲法の否定するところではない、このように解しているところであります。
(略)
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第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第4号 平成11年5月11日

 下記の答弁も、「自衛権と憲法第九条との関係」を説明する際に「自衛のための措置」の説明を行っている点で、「自衛権」と「自衛のための措置」を区別できておらず、誤りである。

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○政府特別補佐人(小松一郎君) お答え申し上げます。
 砂川事件は、旧日米安保条約行政協定に基づく刑事特別法の合憲性が争われた事案でございまして、これは刑事特別法という法律が、米軍の、在日米軍の施設及び区域、制限区域に立ち入る行為を軽犯罪法よりも重い法定刑をもって罰していると、これが違憲なのではないかということが争われた法律でございます。
 この最高裁判決の結論を一言で申し上げれば、旧安保条約が一見極めて明白に違憲、無効であるとは言えない以上、刑事特別法も違憲ではないというものでございます。
 なお、この判決の中に、我が国が主権国として持つ固有の自衛権と憲法第九条との関係について、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことであるという考え方が示されております。これは、従来からの政府の見解の基盤にある基本的な考え方と軌を一にするものであると考えてございます。
(略)
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第186回国会 参議院 決算委員会 第4号 平成26年4月14日

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○政府特別補佐人(小松一郎君)
(略)
 それが結論でございますが、この判決の中に、我が国が主権国として持っている固有の自衛権と憲法第九条との関係について、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことであるという考え方が示されております。これは、私が何度も申し述べております、従来からの政府の見解の基盤にある基本的な考え方と軌を一にするものであると考えてございます。
(略)
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第186回国会 参議院 決算委員会 第4号 平成26年4月14日



〇 正しい理解

 百里基地訴訟の第一審判決の理解も、国際法上の「自衛権」と、国内法上の「自衛の措置」や「実力行動」の用語を使い分けており、正しい理解である。

 

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 二わが国は、独立国であつて他のいかなる主権主体に従属するものではないから、固有の自衛権すなわち国家が、外部から緊急不正の侵害を受けた場合、自国を防衛するため実力をもつてこれを阻止し排除しうるところの国家の基本権を有することはいうまでもない。ところが、憲法第九条第一項は、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使は国際紛争を解決する手段としてはこれを放棄しているので、自衛のための戦争まで放棄されたかどうかが、先ず検討されなければならない。そもそも、みぎ同項は、文理上からも明らかなように、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使を、国際紛争を解決する手段として行われる場合に限定してこれを放棄したものであつて、自衛の目的を達成する手段としての戦争まで放棄したものではない。また、他に自衛権ないし自衛のための戦争を放棄する旨を定めた規定も存しない。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

そうであれば、わが国は、外部からの不法な侵害に対し、この侵害阻止、排除する権限を有するものというべきであり、その権限を行使するに当つてはその侵害阻止、排除する必要な限度において自衛の措置をとりうるものといわざるを得ないし、みぎの範囲における自衛の措置は、自衛権の作用として国際法上是認さるべきものであることも明らかである。このことは、国際連合憲章が、その第五一条において「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」と規定するところに照応するものである。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

従つて、わが国が外部からの武力攻撃に対し自衛権を行使して侵害阻止、排除するための実力行動にでること自体は、なんら否認されるものではないのである。

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百里基地訴訟第一審判決 (この資料のタイトルの年は判決日ではなく事件番号であることに注意。)



 「長沼事件 第二審判決(高裁判決)」の訴訟記録の中に、極めて詳しい記述がある。昭和51年の段階でこれだけの指摘が存在するにもかかわらず、政府は未だに「自衛権」について誤った説明を続けていることになる。

 

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4 憲法第九条の解釈と自衛権及び自衛のための措置

(一) 自衛権の概念

自衛権は、外国からの急迫不正の侵害に対し、自国を防衛するため緊急の必要がある場合、それを反撃するために武力を行使し得る権利であつて、それが緊急やむを得ないものであり、また、侵害の程度と均衡を失しないものである場合には、違法性を阻却され、国際法上合法的なものとされる。このように、自衛権とは、国際法上の国家の権利、すなわち、今日の国際社会がすべての主権国家に承認する国際法上の権利である。それは、外国からの違法な侵害に対する国家の反撃行為に一定の限度で合法性を付与するための法概念であり、当事国の自衛権行使の意思の有無にかかわりなく、その国家行為の客観的側面を対象とするものである。このように主権国家の自衛権とは、国際社会がそれを構成する各主権国家に承認した権利であるから、他国の認否にかかわりないことはもちろん、ある国が自国の自衛権の存在を否認したり放棄しても、その国内法上の効果は格別、国際法上はなんらの消長をきたすものではない。仮にある主権国家が自衛権を放棄すると宣言したとしても、その国に対する他国の急迫不正の侵害が適法とされるものではないし、その侵害に対する当該国の反撃が国際法上違法となるものでもないのである。したがつて、わが憲法が、仮に自衛権(自衛武力の行使)を放棄したと解するとしても、国際社会がわが国に認める主権国家としての自衛権には何らの変動をきたさないし、また逆に憲法が自衛権を否定していないといつても、憲法がわが国政府に軍備の保持を禁じている国内法上の法律関係には何の影響を及ぼすこともないのである。したがつて、自衛権の放棄のためには、明示的な憲法の規定によつてその意思が明確に示されなければならないが、日本国憲法には明示的に自衛権を放棄する旨の規定が置かれていないから、憲法は、わが国が主権国として当然に認められている固有の自衛権を放棄するものではない。」との控訴人の主張は、国際法と国内法の法律関係を区別しない誤まつた見解であつて、法的にはまつたく無意味である。

自衛権は国際法上の国家の権利であつて、急迫不正の侵害に対する抵抗という動的状態をとらえた法概念であり、違法阻却事由としての機能を果すものであるから、それは当然に侵害行為の態様、程度との相対において抵抗行動の多様性を予想している。したがつて個々の主権国家が、いつたん危急の際にどのような方法で抵抗するか、またそのために平素から如何なる手段を備えるか(軍備を持つか無軍備とするかなど)は、その国家が、自らの主体性において自由に選択し得ることであり、このため、憲法上主権国家がそうした武力行使のかたちをとる自衛権の発動を自ら規制することは大いにあり得ることである。また、すべての国民に正当防衛権が認められるからといつて、個々の国民が具体的にこの権利を行使するか否か、また行使するとして如何に行使するかまで画一的に覊束されるものではないのと同様に、自衛権が国際法上認められるからといつて、各主権国家が自衛のための軍備を義務づけられたり、その他自衛の方法を画一的に強制されることにはならない自衛権はあくまで権利であつて義務ではないのである。したがつて、ある国が国際的に自衛権を認められていることに基づき、将来の自衛権行使に備えて軍備を保持することは、国際法上当然許容されるとともに、国内法関係でも可能である場合があろうが、他方また国際法上自衛権が認められるからといつて、武力による抵抗をよしとせず、平素から軍備を保持しないという立場も十分成り立ち得るのである。

問題は、当該国家が憲法以下の国内法で自国の安全保障につき如何なる定めをおいているかにかかるのであるが、わが憲法はこれにつき、「無軍備による平和」(自衛権の武力不行使)の立場をとつたのである。しかるに控訴人の主張は、主権国家の自衛権自衛権の行使(自衛武力の行使)の当然性、自衛武力の保持の必然性という一連の論理を基軸とするもので、右は実定憲法第九条等の文言も、更に憲法条規の存否さえもなんらかかわりがない、いわば実定憲法秩序の外に超越的に成立つている国際法次元のものである。それは、自衛武力の保持や行使が国内法(憲法)上合法であるか否かという本件の問題に答えたものとはいえない。しかも控訴人は、自衛権は、国家固有の権利であるといい、これによれば自衛権(自衛武力)が主権国家の不抜の属性であり、当該国家自身によつても変更や放棄のできない性質のものであるかのように思われるが、右「固有の」という表現自体には、国際法上格別の意味はない。控訴人の主張には、本来緊急時における国家行為の違法阻却事由の法理である自衛権をもつて、平時における軍備保有の正当性の法的根拠としようとするところにも誤りがある。たしかに、まさかの際に自衛権を行使し得るために平素から軍備を保有するという国防政策は存在し得る。しかし、その場合でも、「自衛のため」というのは軍備保有の目的であり動機ではあり得ても、保有される軍備そのものを性格づけることになるものではない。なんとなれば、軍備や武力はそれ自体としては専ら軍備目的のための手段たるにすぎないから、その用いられ方如何で、自衛武力にもなれば侵略武力ともなる性質のものだからである。殊に自衛権というのは武力の行使にかかわる法的概念であり、保有にかかわるものではないから、なおさらである。したがつて、常備軍を保持すること自体を違法とする法理は国際法上存在しないことが事実であるとしても、その軍備自体を自衛権をもつて説明し正当づけることは、不正確であり危険でもある。更に、自衛権は、国が実力をもつて外部からの急迫不正の侵害に対し防衛する権利であり、わが国においても自衛権の行使及び自衛力の保持が憲法上認められているという控訴人の立場に立つと、自衛権は、国家が実力をもつて防衛するものである以上、その実力行使が防衛に役立ち得るものでなければ、自衛権が認められている意義のほとんどが失われ、その自衛権は内容のないものとなるということにもなるが、この論理によれば、自衛のためならば必要な力を無限定的に持てるということにならざるを得ない。しかし、もともと自衛権とは、外国からの急迫不正の侵害に対し緊急やむを得ない場合に行われる反撃の権利であつて、そこで要件づけられる反撃の程度は「必要」で「均衡のとれたもの」でなければならないが、さりとて「必要な最小限度」であることは要請されないし、また「必要」であるかぎり反撃は強化されて差支えない。このように自衛力は本来的に、相手国の武力との関係において相対的に決まるものであり、流動的不確定的なもので、無限定性を内包しているものなのであるから、たとえこれを必要最小限度の自衛力に限るといつてみても、それは必要な自衛力と結局同意義にならざるを得ないものである。控訴人は、憲法第九条で行使することができる自衛権の行使が必要最小限度にとどまるべき法的根拠を、第九条第一項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文言に求めている。しかし、右の文言は、第九条制定の動機を述べたに過ぎないものである。

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保安林解除処分取消請求控訴事件 札幌高等裁判所 昭和51年8月5日 (PDF

 

 




国際法と憲法の優劣


 国際法と憲法の優劣について、政府答弁を確認する。

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○政府委員(高辻正巳君) お答え申し上げます。
 いま防衛庁長官のおっしゃられたことに特におかしな点があると私は思いませんが、結論的に、憲法で禁止していることを安保条約でできることになるのかというのが質問の焦点です。そういう憲法に違反するようなことを、確立された国際法規を成文化するようなものならいざ知らず、一国と他国との間で任意に結ぶ条約で憲法に違反するような事項を定めることは私はできないと思います。やはり条約と憲法との政治的効力としては憲法が上であるというふうに考えております。
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第58回国会 参議院 予算委員会 第13号 昭和43年4月4日


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○政府委員(大森政輔君) 

(略)

 そして、このような国際連合憲章を含めた条約と憲法との優越関係これはただいまお尋ねの中でも学説上は若干の意見の分かれがございますが、私ども政府といたしましては、従前から憲法の尊重、擁護義務を負っている国務大臣で構成される内閣が憲法に違反する条約を締結するということは背理であるということと、そしてまた条約締結手続が憲法改正手続よりも簡易であるということ等を理由といたしまして、一般には憲法が条約に優位するというふうに解してきている次第でございます。

(略)

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第136回国会 参議院 予算委員会 第8号 平成8年4月17日



 裁判所の判決からも確認する。

 砂川事件判決(最判昭34.12.16)は、日米安保条約について「主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するもの」であることを理由として「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のもの」と述べている。


砂川判決
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それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。
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 このことから、裁判所は「条約」についても司法権に基づいた法的審査は可能であり、憲法81条による違憲審査も可能であるとする立場に立っている。これは、憲法優位説を採用するものである。


 砂川判決の「裁判官小谷勝重の意見」も参考にする。
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三、条約と違憲審査権についてわたくしの意見の本論に入る。憲法76条3項及び81条には何れも「条約」の文詞がないから、条約には違憲審査権がないとの説をなすものがある。しかし上来説明のとおり、条約は公布(法例1条、及び現在は廃止されたが明治40年勅令第6号公式令8条参照)によつて国及び国民を拘束する効力を生ずること、法律と全く異なるところがないのであるから、右憲法76条3項及び81条に「条約」の文詞がなくても、右は両条中の「法律」の文詞に当然包含されているものと解するを相当とする(このことは憲法94条の「条例」について言えば、憲法81条に何ら条例の文詞なきも、条例が違憲審査の対象たることは毫も疑を容れない)。すなわち条約は公布により国内法と同様、憲法76条3項により裁判官を拘束すると同時に、同81条の違憲審査権の対象となるものと言わなければならない(憲法81条は違憲審査権賦与の直接の規定ではなく、憲法及び法律に拘束される裁判所としての本質にすでに内在する当然の権能であると説く説がある。この説によれば憲法81条は、最高裁判所は違憲審査に関する最終裁判所であることを示したに過ぎない規定となる)。ただ違憲判決の効力は、わが現在の裁判所は憲法裁判所でなく司法裁判所であるから、当該争訟事件につき本来ならば適用ある法律または条約の全部一部を違憲としてその適用から排除する(もしくは適用を拒否する)旨の宣言と解すべきであつて、違憲とする法律または条約それ自体の無効を宣言するものと解すべきではないのである。そして該判決の確定力の及ぶ範囲は当該当事者及び当該事件並びに当該判決の主文に包含するものに限られるのであつて、いわゆる対世的効力は有しないのである。ただ内閣及び国会は裁判所の当該違憲判決を尊重し判決の趣旨に添う適正措置を講ずべき政治的義務を負担するものと解すべきである。もしそれ条約には違憲審査権が及ばないとするときは、憲法96条の定める国民の直接の承認を必要とする憲法改正の手続によらずして、条約により憲法改正と同一目的を達成し得ることとなり、理論上、その及ぶところは、或は三権分立の組織を冒し或は基本的人権の保障条項を変更することも出来ることとなるのである。わが憲法は果してこのような結論を認容するものであろうか。
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(原文の条文番号等の漢数字を算用数字に書き換えている。) 


 砂川判決の「裁判官石坂修一の補足意見」を確認する。
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二、最高裁判所が、条約に対する違憲審査権を有するや否やについて、多数意見がこれを明確にして居るとは、必ずしも解し得られない。
 若し、違憲審査権を規定した憲法81条に、「条約」の語が現はれて居らないことより出発して、これに対する最高裁判所の違憲審査権を否定する結論に至るならば、甚しき誤謬に陥るであらう。
 仮にわが国の根本組織、国民の基本的人権等に関し、憲法に牴触する条約の締結を見たる場合、最高裁判所は、これを座視すべきものではあるまい。
 わたくしは、最高裁判所に、条約に対する違憲審査権ありとしつゝ、本件安全保障条約は違憲でないとする奥野裁判官及び高橋裁判官の意見に賛同し、なほ右両裁判官の意見と相容れる限り、この点に関する小谷裁判官の意見を支持する。
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(原文の条文番号等の漢数字を算用数字に書き換えている。)


    【参考】(1) 条約の違憲審査 平成12年5月 PDF





「自衛」という言葉

 Wikipediaの自衛隊の文章が変更されている。


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自衛隊の公式な英称はJapan Self-Defense Forcesであるが、日本国外において陸海空の各自衛隊は日本の実質的な国軍(Japanese military force あるいは Japanese armed force)として認知されており、陸上自衛隊は Japanese Army(日本陸軍の意)、海上自衛隊は Japanese Navy(日本海軍の意)、航空自衛隊は Japanese Air Force(日本空軍の意)に相当する語で表現されることがある。また、英語の self-defense はいわゆる正当防衛の意味であり、軍事部隊にあてる用語としてSelf-Defense Forcesの訳語が必ずしも適当とは言い難い。英語において各国の国防軍を表す場合は単にDefence Forceと表現される。
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2018年12月25日 (火) 04:03
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自衛隊の公式な英称はJapan Self-Defense Forcesであるが、日本国外において陸海空の各自衛隊は日本の実質的な国軍(Japanese military force あるいは Japanese armed force)として認知されており、陸上自衛隊は Japanese Army(日本陸軍の意)、海上自衛隊は Japanese Navy(日本海軍の意)、航空自衛隊は Japanese Air Force(日本空軍の意)に相当する語で表現されることがある。なお、英語で"right of self-defense"の語は国際法上「自衛権」を意味し、"Self-Defense Forces"は「自衛権を行使するための軍隊」と解釈できる。(国際連合憲章第51条の英文も参照されたい。)
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2018年12月30日 (日) 02:41


 国際法上の「自衛権」の意味が「right of self-defense」であり、自衛隊が「Self-Defense Forces」であったとしても、だからと言って国連憲章51条に記載のある「個別的自衛権」や「集団的自衛権」のすべてが行使できるというわけではない。当然、憲法上の制約に服することとなる。英訳が対応関係にあるとしても、法的な基盤は日本語で構成されているし、組織の名前によって法の論理による制約が変わるわけではない。

 このような言語表現上の問題に惑わされないように法的基盤を読み解くことが必要である。


 自衛隊の行使する『権限(power)』の基盤は行政権であり、日本国憲法が構成する統治権に由来するものである。このことから考えて、国際法上の『権利(right)』の区分の日本語訳に頼ってネーミングすることは妥当な認識ではない。


  日本国の統治権の『権限』に裏付けられた用語としては下記の用語がある。


〇 「自衛のための措置」 砂川判決(判決は『武力の行使』の可否について述べていないことに注意)

〇 「自衛の措置」 1972年(昭和47年)政府見解

〇 「自衛行動権」 政府答弁

〇 「自衛行動」 政府答弁

〇 「自衛の行為」 政府答弁


 これらの「自衛」の文言から由来すると考えることが、国際法上の『権利(right)』の用語である「自衛権」から由来すると考えることよりも妥当と思われる。


 もう一つ、「正当防衛」の英訳は「self-defense」である。「武力の行使」の旧三要件の内容は、刑法上の「正当防衛」の要件とほぼ同じものとなっていたことから、「Self-Defense Forces」という文言はこちらに近いとも思われる。





「自衛の措置」とは何か

 「自衛のための措置」あるいは「自衛の措置」と言われる言葉について検討する。


 この「自衛の措置」という言葉は、「自衛権」とは区別される。「自衛権」が国際法上の概念であり、国連憲章においては国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由として機能する『権利(right)』の概念であるのに対し、「自衛の措置」は日本国の統治権の『権限(power)』が行う自衛を目的とする行為を指して使われる言葉である。


 この「自衛の措置」の行為(アクション)には、様々な内容が考えられる。



 「自衛の措置」の内容として考えられるもの


〇 日頃の外交努力

〇 条約締結

〇 相手国との付き合い方の見直し

〇 相手国に向かって演説を行う

〇 相手国の過失を国際社会に訴える

〇 相手国との貿易停止
〇 相手国との国交断絶

〇 国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等(砂川判決)

〇 他国に安全保障を求めること(砂川判決)

〇 日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」

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ところが、自衛行為は、武力によるものに限定されるわけではない。
自衛行為として、電波妨害侵入国に対する租税支払拒否等の不服従もあり得る。
これを「広義の自衛行為」と呼ぼう。
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[272] (三)日本国憲法九条は武力不行使原則を徹底させた (太字は筆者)



 砂川判決では、「自衛のための措置」として「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」「他国に安全保障を求めること」に触れられている。

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かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
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砂川判決


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○高辻政府委員 先ほどのお答えですべて申し上げたつもりでございますが、わが国の憲法九条は自衛権というものの完在を否定しておらない。これは最高裁も認めております。最高裁も言っておりますように、自衛のための措置をとること、この中身は言っておりませんが、そういうことも認めておる。日本のいまの現行法制のたてまえでは、自衛隊法というものがあるのは、その判決に合わせていえば、これは見るほうの立場でございますが、自衛のための一つの措置であるという、ふうにいえると思います。それがたで人形としてあるわけではなくて、やはり自衛権の行使という場面になりますと、そこに武力の行使というものが起こらざるを得ない。その場合に相手国が宣戦の布告をすれば、それは国際法上は戦争状態ということにならざるを得ないということをさっき申し上げたわけでございます。
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第58回国会 衆議院 予算委員会 第17号 昭和43年3月16日


 1972年(昭和47年)政府見解においては、「自衛の措置の限界」について、「あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」と述べている。

1972年(昭和47年)政府見解
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 憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第 13 条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであつて、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであつて、したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
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【資 料】 衆議院及び参議院の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」に提出された政府統一見解等 参議院 立法と調査 2015.12 (P63)

 この見解において使われている「自衛の措置」の意味は、「外国の武力攻撃」に至る前に行われる自衛の考え方である「日頃の外交努力」「条約締結」「相手国との付き合い方の見直し」「相手国に向かって演説を行う」「相手国の過失を国際社会に訴える」「相手国との貿易停止」「相手国との国交断絶」などは含まれていないようにも見受けられる。

 確かに、日本国憲法の前文「平和主義」や9条の規定が「戦争」や「武力による威嚇又は武力の行使」を制約している趣旨から考えると、「平和主義」や9条に関わる「自衛の措置」が問題となる場面は「我が国に対する武力攻撃」が発生した場合に対応するものが最大の焦点となるため、この論点に絞って「自衛の措置」という文言を使うことに対しては自然であるとも思える。
 しかし、自国の安全を保つために行う行為を広く「自衛の措置」として考える場合には、必ずしも「我が国に対する武力攻撃」が発生していない段階で政府が政治的・経済的・社会的・文化的なレベルで様々な自衛策を講じることも、この言葉に含まれうる余地があるようにも思われる。




 こんな政府答弁を見つけた。「自衛の措置」の中には、「広い意味」とそうでないものがあるようである。

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○大森政府委員 委員ただいま御引用いただきましたように、前回のこの委員会におきまして、最高裁判所の砂川判決理由中の一文を引用いたしましてそのような内容の答弁を申し上げたことは間違いございません。
 このときに使いました「自衛の措置」の意味合いでございますが、その際の答弁の文脈からも御理解いただけますように、紛争の防止や解決の努力を含む国際政治の安定を確保するための外交努力の推進内政の安定による安全保障基盤の確立、そして日米安全保障体制の堅持みずからの適切な防衛力の整備等を含む自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な措置という広い意味で使用したものでございまして、我が国に対する武力攻撃が発生した場合における、これを排除するため自衛権の行使としての武力の行使ということに限定して使ったものではないということを御理解いただきたいと思います。
(略)
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第141回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号 平成9年11月27日


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○大森政府委員 私なりにわかるように申し上げたつもりではございますけれども、もう一度申し上げます。
 先ほど申し上げましたように、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために憲法九条に違反しない範囲内で必要な安全保障の措置をとり得るということは、憲法十三条及び前文の趣旨からして国家固有の機能の行使として認められる、これが基本でございます。
 そこで、我が国が、我が国に対する武力攻撃が発生した場合には、そういう国家固有の機能の行使の一内容として自衛権の行使をする、こういうことでございます。
 それに対して、いまだ武力攻撃は発生しないけれども、周辺地域において我が国の平和と安全に重大な影響を及ぼすという事態が生じた場合にとり得る措置というのも国家固有の機能の行使の一態様である、そういう関係にあるというふうに考えております。
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第141回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号 平成9年11月27日





「武力の行使」と「実力の行使」

 「武力の行使」と「実力の行使」を区別する必要があるかを検討する。


 当サイトは、国際法上の意味でも憲法上の意味でも「武力の行使」の文言を使っている。


 しかし、政府が「実力行使」の文言を用いている場合、憲法上は「実力行使」であるが、国際法上の評価としては「武力の行使」となるという風に文言を使い分けている可能性がある。




 特に、三要件の第三要件には「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」と記載されており、「武力行使」の文言は用いられていない。

 この意図は、9条1項が「武力行使全面放棄」(1項全面放棄)を意味していたとしても、これに抵触しないように配慮した文言と考えられる。

 政府は下記の答弁で、「実力」と「武力」はほぼ同意義で使われているとしている。

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○岡田委員 
(略)
 従来の集団的自衛権の定義、もう時間もありませんので法制局の今までの定義を申し上げますと、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利だ、そういうふうに述べられていると思います。ここで言う実力をもって阻止する権利というときの実力というものは一体何なのか武力行使というふうに考えていいのか。あるいは、武力行使武力の威嚇よりももっと広い概念なのか。そこのところ、長官、いかがでしょうか。


○大森政府委員 この集団的自衛権の定義の中で触れられていますように、攻撃に対してこれを実力でもって阻止するという関連で実力という言葉が用いられているわけでございますから、武力攻撃を阻止するという観点から見ますと、武力をもってというのとほぼ同意義で使われている用語であろうというふうには理解しております。
 ただ、問題は、武力による威嚇とか、あるいはそれ以外の支援行為はこれとは関係ないじゃないかというところまでおっしゃるかどうかの問題があるわけですけれども、それは、また次の問題にいたしたいと思います。
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第142回国会 衆議院 予算委員会 第27号 平成10年3月18日


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○政府特別補佐人(津野修君) お答えいたします。

 集団的自衛権の行使とは、他国に対する武力攻撃を実力をもって阻止するということでございますので、この場合における実力をもってとは、武力をもってと同義であるというふうに考えております。したがって、それに当たらない行為については集団的自衛権の問題は生じないというふうに考えております。

(略)

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第153回国会 参議院 外交防衛委員会、国土交通委員会、内閣委員会連合審査会 第1号 平成13年10月23日


 政府は、憲法9条の「武力の行使」の意味と、国際法上の「武力の行使」の意味は厳密には異なるが、本質的には同一であると述べている。

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四の1について

 憲法第九条第一項の「武力の行使」とは、基本的には国家の物的・人的組織体による国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為をいうと考えるが、同項の「国権の発動たる戦争」に当たるものは除かれる。


四の2及び4について

 国連憲章第二条第四項及び日米安保条約第一条の「武力の行使」とは、一般に、国家がその国際関係において行う実力の行使をいい、憲法第九条第一項の「国権の発動たる戦争」に当たるものも含まれるという点を別にすれば、四の1についてで述べたところと本質的には同一のものをいうと考える。

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「戦争」、「紛争」、「武力の行使」等の違いに関する質問に対する答弁書 平成14年2月5日



<理解の補強>

3. 放棄の対象(「戦争」、「武力の行使」及び「武力による威嚇」の意味) PDF



 文の構造的な曖昧性については、下記で解説している。





「侵略戦争」と「自衛戦争」の二分論

 政府は、1項は「侵略戦争」を禁じているが「自衛戦争」は未だ禁じられておらず、2項で「自衛戦争」まで禁じられると解している。

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○佐藤政府委員 これは憲法の九条の中で第一項と第二項とをわけて考えなければならないことだろうと私ども思つております。この第一項の方だけを見ますと、「国際紛争を解決する手段としては」という条件を大きく掲げております。その「国際紛争を解決する手段としては」ということはどういうことをいつておるだろうかということは、当時から研究の対象であつたわけでありますが、われわれといたしましては、そのころから、また今日に至るまで、今お言葉にありましたように、主として侵略戦争を放棄しておるのだろう、侵略の手段としての戦争を禁止しておるというのが、第一項の主眼であるというふうに考えて来ております。従いまして第一項だけから言いますと、自衛戦争というものには全然触れておらないのみならず、もちろん自衛権も否定しておらない。ところが今度は目を移しまして第二項の方を見ますと、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」こう書いてあるわけであります。そこで芦田説とか佐々木説とかいわれますところの先生方のお考えと、われわれの考え方とのわかれ道がそこへ出て来るわけであります。われわれとしても、これは憲法制定の当初から第二項というものは、侵略戦争のためはもちろんのこと、自衛戦争のためでもこの戦闘力というものは放棄しておるのだ、戦力というものは放棄しておるのだという考え方で来ておりますから、従つて第一項の表では自衛戦争は認められておるような形になつても、第二項の関係から、そのための有力な手段を否定されておる。あるいは交戦権という法律上の手段も否定されておる。従つて金森さんも言つておりましたように、りつぱな戦争の形のものができないということを言葉で表わしておりました。そういう気持で今日までおるわけでございます。
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第19回国会 衆議院 外務委員会 第1号 昭和28年12月11日

 

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○政府委員(佐藤達夫君) おつしやる通りにずつと考えておるわけであります。あの制定の経過から申しましても、今のお言葉のようなことで、およそ戦争能力というものはここで二項で放棄しようと、物理的にも戦力ということを否認をし、それから法律上の権利としても交戦権ということを否定することによつて、それから観念上は九条第一項では自衛戦争というものは決して禁止しておりませんけれども、金森さんのお言葉を借りて言えば、戦争の形をなさんような形に二項の結果なつてしまう。自衛戦争という形が戦争の形をなさんと言つておりますが、その意味で、前項の目的云々は、要するに世界の正義と秩序云々というようなああいう大きな目的のためのものであつて、侵略をしない目的というような卑近な小乗的な目的ではない、ずつと一貫して考えておりまして、当時の経緯から申しますと、衆議院でこの修正が加つて、貴族院に廻つてからの政府の説明も政府の原案と趣旨は変つておらないということも出ております。従つてその頭で今日までずつとおるわけであります。そうでないと又二項の趣旨というものは意味がないのじやないかと思つております。

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第19回国会 参議院 法務委員会 第32号 昭和29年5月10日

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○政府委員(角田礼次郎君) 御指摘のように、各国の憲法の中でいわゆる侵略戦争の放棄ということをうたった規定が多々あることは御指摘のとおりだと思います。むろんわが国においても、そういう意味の侵略戦争が放棄されておるというか、禁止されておるわけでありますが、しかし、その反語として、直ちにわが憲法においていわゆる自衛戦争が許されるというような言い方は、政府としてはしていないわけであります。自衛権の行使という場合においても、わが国は御承知のような憲法の上では自衛のための必要最小限度の実力行使しかしない、専守防衛とかそういうふうなことばで言われることもあります。
 それからまた自衛のための措置として、私どもは必要な実力組織を保有することは必要最小限度で許されると言っておりますが、これまた自衛のためであればどのような実力組織を持つことも許されるというような、そういうほかの国の何といいますか、実力組織の保有のしかたとは違うわけでありまして、憲法上の制約としては最小限度のものでなければいけない。たとえば、先ほど防衛庁長官から御説明申しましたようないろいろな、徴兵制であるとか、海外派兵ができないとか、あるいは侵略的、攻撃的な脅威を与えるような兵器は持てないとか、そういう意味におきまして規範的な拘束力があるわけでございますから、単に各国の憲法と比較しまして、各国の憲法ではそういう意味の規範がないという意味におきまして、私どもはやはり質的に違っているというふうに考えております。
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第71回国会 参議院 内閣委員会 第29号 昭和48年9月18日


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○政府委員(角田礼次郎君) 私どもは自衛戦争はできないと思っておりますし、また、自衛戦争ということばをお使いになる方がどういう意味で使っているか確実には言えませんけれども、しかし、外にあらわれた形では、私どもは、たとえば一般に自衛戦争の場合にはおそらく国際法上の交戦権というようなものもできるでしょうし、それから、場合によっては相手国に対して相手国の領域に進んで兵力を派遣するという、いわゆる海外派兵もできるのだろうと思います。しかし、われわれはそういうことはできないと言っているわけですから、そういうような意味で、海外派兵というような一つの例をとってみても明らかに外にあらわれた形において違った現象があると思います。
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第71回国会 参議院 内閣委員会 第29号 昭和48年9月18日


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○角田(禮)政府委員 外国の憲法との比較でございますが、端的に申し上げて、外国の憲法の中にも侵略戦争の放棄というような規定を持っているものがございます。しかし、わが国の憲法は、九条の解釈としてはそれのみにとどまらないわけであります。外国では、侵略戦争は放棄しているけれども自衛戦争は反対にできると考えていると思います。しかも、その自衛戦争というのが、先ほど来申し上げているように自由な害敵手段を行使することができるということを前提として、交戦権もあり、またわれわれができないと言っている海外派兵もできるだろうし、またわれわれが持ち得ないというような装備というものも持ち得るというふうに解されていると思います。およそそういうことは外国の憲法では制限されていないと思います。ところが、わが国の憲法におきましては、再々申し上げているとおり自衛のためといえども必要最小限度の武力行使しかできませんし、またそれに見合う装備についても必要最小限度のものを超えることはできないという九条二項の規定があるわけでございますから、これは明らかに外国の憲法とは非常に違うと思います。
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第96回国会 衆議院 内閣委員会 第18号 昭和57年7月8日


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○大出政府委員 憲法の解釈にかかわる問題でございますので、まず私の方から申し上げさせていただきたいと思いますが、憲法九条の一項というものは、これは戦争を放棄しておる、こういうことでございますけれども、我が国を防衛するための自衛権の行使、こういうものまで否定をしているものではない、こういうことであります。
 先ほど三つのタイプに分けてお話がございましたが、いわゆる自衛戦争侵略戦争、それから制裁戦争というおっしゃり方をなさったわけでありますが、我が憲法九条というのは、我が国を防衛するために必要最小限度の実力を行使する、こういうことが認められておる、こういうことであります。
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第131回国会 衆議院 予算委員会 第1号 平成6年10月11日



 

〇 その他

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○大村国務大臣 

(略)
 二、憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。一、戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。二、他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。
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第21回国会 衆議院 予算委員会 第2号 昭和29年12月22日


 9条によって「自衛戦争」が禁じられているとするならば、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が許される余地は全くないと考えられる。なぜならば、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」については、「自国に対する武力攻撃」が発生していない段階で「武力の行使」を行うものであるから、『自国防衛』を称して予防的に行う「武力の行使」(予防攻撃・先に攻撃)であり、「自衛戦争」に該当すると考えられるからである。

 (もし『自国防衛』と称して予防的に「武力の行使」をすることが目的ではなく、『他国防衛』のための「武力の行使」であるために「自衛戦争」ではないと考えるとしても、『他国防衛』のための「武力の行使」についても別のアプローチで9条1項・2項に抵触する。)


   【参考】「自衛戦争」と「自衛権の行使」は同じではない


 「自衛戦争」ではなく、9条1項の「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」にも該当することがないものを見出すとすれば、「自国に対する武力攻撃」を「排除」する程度の「武力の行使」であり、この中に「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を見出すことは不可能と考えられる。


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○大森政府委員 九条の趣旨は、その前提として、日本国憲法の前段で述べられている決意にやはり立ち戻らなければならないのではなかろうかと考えているわけでございます。
 前文におきましては、御承知のとおり、日本国民は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、そして、恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した、このようにその決意を宣明しておりまして、これを受けまして、この決意を実現するために、第九条におきまして、国権の発動たる戦争、武力による威嚇または武力の行使を放棄するとともに、いかなる戦力も保持せず、交戦権も認めない、このように規定していると理解されるわけであります。
 しかしながら、冒頭で委員も御指摘になりましたように、これによって我が国が主権国として持つ固有の自衛権までも否定するものではない。したがって、我が国に対し武力攻撃が発生した場合に、これを排除するため必要最小限度の実力を行使すること、及びそのための必要最小限度実力を保持することまでも禁止しているものではないというふうに解されているところであります。
(略)
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第142回国会 衆議院 予算委員会 第27号 平成10年3月18日


<理解の補強>


「侵略戦争しないから9条は改正してもよい」が間違っている理由 2018.03.05
憲法9条が侵略戦争だけでなく自衛戦争をも放棄した理由 2019.01.05





「自衛戦争」を禁じる規定はどれか

 政府は、9条は「自衛戦争」を禁じていると解している。しかし、9条のどの部分に「自衛戦争」を禁じる趣旨が含まれているのだろうか。これを検討する。


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○下田政府委員 高辻部長のおつしやいますように、国家の自衛権を憲法は禁止しておりませんから、自衛行動はとれると思います。ところが自衛のための戦争となりますと、これは別のことでございまして、戦争であれば敵の領土まで行つて爆撃してもいいわけであります。ところがそれは自衛行動とは別であつて、交戦権が認められて初めて敵の領土奥深く入つて敵の首都を爆撃するという権利が発生するわけであります。そういう交戦権というものは認めていないのでありますから、国際法上の戦争と関連して初めて認められる権利は私は行使し得ない、戦争に至らざる自衛行動ならなし得る、そう考えております。
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第16回国会 衆議院 外務委員会 第27号 昭和28年8月5日

 

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○政府委員(大森政輔君) そこが個別的自衛権に基づく自衛行動と、それから自衛戦争の違いでございまして、先ほど私が申し上げましたのは、個別的自衛権に基づく我が国を防衛するために必要最小限度の自衛行動というものは憲法が否定していないということを申し上げたのでございまして、いわゆる戦争の三分類による自衛戦争ができるんだということを申し上げたわけではないと。自衛戦争という場合には当然交戦権が伴うんでしょうけれども、先ほど我が国がなし得ると申し上げましたのは、自衛戦争という意味よりももう少し縮減された、あるいは次元の異なる個別的自衛権に基づく自衛行動というふうにお聞き取りいただきたいと思います。
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第145回国会 参議院 予算委員会 第11号 平成11年3月8日
 
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○政府委員(秋山收君) 少し長くなりますが、いわゆる自衛権、それから戦争、自衛戦争、それから交戦権、自衛行動、自衛行動権などといういろいろな言葉を申し上げておりますので、その辺を整理して一度御説明申し上げたいと思います。
 まず第一に戦争という言葉でございますが、これは一般に国際紛争を解決する最後の手段として国家の間で対等の立場で国権の発動として武力を行使し合うものを指すものと考えられております。国際法上特に制限された手段以外の自由な害敵手段を用いて相手国を屈服させるまで行うものであるというふうに考えております。
 自衛戦争というのは、国際法上確立した概念があるものではございませんが、したがいまして、法的な概念ではなく、一般的な概念として、国家が自己を防衛するために行う戦争を指すものと考えております。
 それで、このような戦争一般でございますが、交戦権を当然に伴うものであるとされておりますが、ここに言う交戦権、あるいはこれは憲法九条の交戦権も同じでございますが、単に戦いを交える権利という意味ではございませんで、伝統的な戦時国際法における交戦国が国際法上有する種々の権利の総称でありまして、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政、それから中立国船舶の臨検、敵性船舶の拿捕などを行うことを含むものを指すものというふうに従来からお答えしてきているところでございます。
 自衛戦争の際の交戦権というのも、自衛戦争におけるこのような意味の交戦権というふうに考えています。このような交戦権は、憲法九条二項で認めないものと書かれているところでございます。
(略)
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第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第5号 平成11年3月15日


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○高辻政府委員 通俗語でいわゆる戦争、これは、そういう意味における自衛戦争ういうものはよくいわれて使われることばでございます。しかし岡田さんの御質問でございますから、そういうことではなしに、戦争という国際法上の概念からいってどうかという御質問かと思います。
 これは非常にむずかしい問題でございますが、いままで国際法上の戦争というものは、やはりたとえば交戦権というものが伴う、これは自衛行動権というようなものとはおよそ品質の違うものである。そういう交戦権が伴うような戦争、そういうものは憲法が否定しておると言わざるを得ない。ただ憲法が認めておるのはそういうような国際法上の概念、交戦権が伴うような戦争ではなくて、自衛権に基づく自衛行動としての――これは通俗には戦争と申します、そういう意味で戦争ということをいってもよろしいかと思いますが、厳密な意味でもし区別するなら自衛行動、自衛構想、そのための行動権、それがあるということを申し上げておるわけでございます。
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第58回国会 衆議院 予算委員会 第17号 昭和43年3月16日


 このように、政府は「自衛戦争」が否定される趣旨を、9条2項後段で「交戦権」が禁じられていることが理由であると考えているようである。


 次に、9条の英文を確認する。

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第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
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   【参考】憲法学者が論じない、誤訳された「9条の自衛権」 2016/7/24

 日本語では、「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を放棄しているように見える。

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日本国民は、  (略)
  〇 国権の発動たる戦争  (と、)

  〇 武力による威嚇又は武力の行使  は、

国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する
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 しかし、英文では、「国権の発動たる戦争」と、「国際紛争を解決する手段として」の「武力による威嚇又は武力の行使」を放棄しているように見える。

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(略)
the Japanese people forever renounce
  〇 war as a sovereign right of the nation  (and
  〇 the threat or use of force as means of settling international disputes

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 日本語の9条では、「国際紛争を解決する手段として」ではない「戦争」が許される余地があるように見えるが、英文を参考としてみると、「国権の発動たる戦争」はすべて禁じられていることになるから、「自衛戦争」についても「戦争」であることに変わりないため、すべて禁じられることとなる。


 政府は9条によって「自衛戦争」が禁じられている理由として2項後段の「交戦権」を挙げているが、この読み方であれば、1項の「戦争」の文言が「自衛戦争」を禁じていると考えることもできそうである。法的効力を有しているのは日本語の憲法であることに注意する必要があるが、政府が「自衛戦争」を否定する趣旨の中には、9条の英文の意味との対応も考慮されているように思われる。





「交戦権」を何と呼ぶか

 政府は「交戦権」と「自衛行動権」を区別している。しかし、「自衛行動権」は「交戦権」ではないのかとの混乱について、下記のように答弁している。

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○政府委員(高辻正巳君) 私は非常にそこを区別して申し上げたので、おわかりにくいかと思うのでありますが、自衛のための交戦権というものをもしお考えくださるなら、つまり限界のある交戦権というふうにお考えくださるなら、それを交戦権と申して一向にかまいません。私は、その本質が違うものは、中身の違うものは、自衛行動権というような名前で唱えるべきものであって、その憲法の禁止している交戦権とは違うというふうに思っておるものですから、そう申し上げたわけですが、自衛権からくる制約のある交戦権だというふうにお考えいただいても、それはけっこうでございます。
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第61回国会 参議院 予算委員会 第3号 昭和44年2月21日

 この区別の問題は、下記の図を見ると理解しやすいと思われる。「自衛のための必要最小限度(旧三要件)」という限界を維持しているのであれば、それを「自衛行動権」と呼ぼうが、「自衛のための交戦権」と呼ぼうが、実質的には変わらないのである。







「交戦権」の『権』とは何か

 9条2項後段の「交戦権」の『権』は、『権利(right)』を意味しているのか、『権限(power)』を意味しているのかを明らかにする必要があると考える。なぜならば、この意味が確定しなくては、9条解釈において「交戦権」の意味するところを正しく読み解くことができず、9条の規定が禁じているものの射程を判断することができないからである。

 

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    第2章 戦争の放棄

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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 ここで詳しく考えたいのは、9条1項の「国権」の文字である。「国権」とは「国家権力」を意味し、「統治権」と同義である。「権力」を英語で表現すれば(power)であり、「国家権力」は(national power / the power of the state)となる。


権力・権限・権能(power
 統治権(supreme power / sovereignty)
 国権/国家権力(the power of the state)
  立法権(legislative power
  行政権(executive power / administrative power)  ⇒  武力の行使(use of force)
  司法権(judicial power


 しかし、法務省の「日本法令外国語訳データベースシステム」においては、9条1項の「国権」の英訳は(a sovereign right of the nation)となっており、『権利(right)』の文字が使われている。2項後段の「国の交戦権」についても、(The right of belligerency of the state)として『権利(right)』の文字が使われている。

 

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第二章 戦争の放棄
CHAPTER II. RENUNCIATION OF WAR

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
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日本国憲法 The Constitution of Japan


 この点、日本国憲法は日本語で効力を有している法典であるため、英語訳は翻訳者の言語選択上の仮のものであるため、英文の翻訳は(power)か(right)かを確定するための根拠とはならないものである。

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     ご利用上の注意
・翻訳について
この「日本法令外国語訳データベースシステム」に掲載している法令翻訳は、正文ではなく、最終改正版でない法令も含まれています。法的効力を有するのは日本語の法令自体であり、翻訳はあくまでその理解を助けるための参考資料です。
このページの利用に伴って発生した問題について、一切の責任を負いかねますので、法律上の問題に関しては、官報に掲載された日本語の法令を参照してください。
・「暫定版」について
法令名に「(暫定版)」と表示されている翻訳は、ネイティブや法令翻訳専門家によるチェック及び修正前の翻訳であり、今後、修正される場合があります。
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日本法令外国語訳データベースシステム 法務省 (下線は筆者)



 恐らくこの翻訳者が「国権」や「国の交戦権」の文言を翻訳する際に参考にした資料は、立法当初の資料であると思われる。


日本国憲法の誕生 論点 戦争の放棄  国立国会図書館 (太字は筆者)

 
3-10 マッカーサー3原則(「マッカーサーノート」) 1946年2月3日 (テキスト表示より)
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  II

War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.

No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
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[Original drafts of committee reports] 1 
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 War as a sovereign right of the nation is aboished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation. No Army, Nevy, Air Force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the state.
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[Original drafts of committee reports] 2
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 ARTICLE Ⅰ
 War as a sovereign right of the nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation. No Army, Navy, Air Force, or other war potential will ever be authorized and no rights of beliggerency will ever be conferred upon the state.
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(この資料は〔beliggerency〕とあるが、lが足りずgが多く、〔belligerency〕の誤りと思われる。)


 この資料では、(a sovereign right of the nation)や(rights of beliggerency)の文字が使われている。これらの文は後に現行憲法の9条の規定へと変わっていくものである。



 ただ、立法当初の資料と、日本国憲法そのものは違うものである。

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○政府委員(林修三君) 御承知の通り、いわゆる今、八木委員のおっしゃったマッカーサー・ノートというものは、この占領が終ったあとにおいて公けにされた、いわゆる昭和二十一年の初めごろに、マッカーサーが部下に示したと称するものだと思いますが、あの中には、いわゆる自衛のための武力行使も日本は認めないということが書いてあるわけでございます。ところが、それが実際の条文化する過程におきまして、これは御承知の通りに、今の九条一項をごらんになります通りに、いわゆる九条一項は自衛権の行使を否定しておりません。従って九条一項は、自衛のために日本があるいは武力を使うということは否定されてないというのが、この九条一項の解釈としては一般の解釈ございます。そういう意味におきましては、マッカーサー・ノートと今の憲法九条一項とは違っておるわけであります。その違ったいきさつについては、これはいろいろ議論があるわけでございまして、当時、もちろん日本側は、あのマッカーサー・ノートの存在を知らなかったわけでございますし、向うから示された英文のものを日本文に訳してその日本文をまた英文に訳して持っていった過程において今の形になって、これははからずも、マッカーサー・ノートと変わったものになった。こういうふうに私どもは了解しておりますから、ただいまの憲法の解釈としては、マッカーサー・ノートと違うということだと私は思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第28回国会 参議院 内閣委員会 第34号 昭和33年4月24日


 また、この立法当初の資料と現行憲法9条とでは、「日本国民(the Japanese people)」の文字が含まれているかどうかでも違いがある。現行憲法は国民主権を採用しているため、国家の権力(power)は、国民からの「厳粛な信託(前文)」によって初めての正当性が裏付けられる仕組みが強調されているのである。これの過程は、前文に記載されている。

 

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日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people. This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.
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 この前文の「主権が国民に存する」の文言について、(sovereign power resides with the people)と訳されている点は、やや妥当性に疑問がある。(sovereign power)とは「統治権」を意味するはずだが、この「主権が国民に存する」で使われている「主権」とは、国民主権の意味であり、国民が有する「最高決定権」を指す主権概念だからである。

 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、」の部分は、(Government is a sacred trust of the people,)と訳されている。この「国政」の訳は(Government)としているが、それ以前に記載されている「政府の行為によつて」(through the action of government)の部分の「政府」の訳の(government)とは違うのかを検討する必要がある。日本語において「国政」の意味は、「立法・行政・司法」のすべてを含んでいる。しかし、「政府」の文言は、広義では「立法・行政・司法」のすべてを含むが、狭義では「行政」のみを指す言葉である。これを同じ(government)と表現してよいのかどうかは検討を要する。(government)は、「行政」を指すことが多く、「国政」の訳として一致するのかも検討する必要がある。


 この「国政」や「政府」(government)は、「国民の厳粛な信託(a sacred trust of the people)」によって生まれるものであり、その「権威(the authority)」や「権力(the power)」は国民に由来する(derived)ことで正当性を有するのである。


 しかし、9条によって「日本国民」が放棄し、不保持とし、否認している「権力・権限・権能(power)」は、もともと「国政・政府(government)」には「信託(trust)」されていない。それらは「権威(the authority)」を有さず、それらの「権力(the power)」は国民由来としてもともと発生していないのである。これにより、国民の代表者はそれらの「権力(the power)」を行使することができないのである。

 この国家権力(国権)の発生の過程を考えると、日本国憲法の「国権」や「国の交戦権」の意味は、立法当初の資料として「a sovereign right of the nation」や「rights of belligerency」と記載されて国の『権利(right)』を放棄したなどとする考え方とは異なるものである考えられる。


 これにより、現行憲法9条の「国権」や「国の交戦権」に使われている『権』の意味は、国家権力(統治権)の『権限(power)』と考えることが妥当であり、英訳において「a sovereign right of the nation」や「rights of belligerency」のように『権利(right)』と表記することは正確な表現ではないと思われる。


 「国権」については、41条の「国会は、国権の最高機関であつて、」でも同じ文字が使われている。この英訳は(The Diet shall be the highest organ of state power, )となっており、『権限(power)』の意味で使われている。9条の「国権」を「a sovereign right of the nation」と『権利(right)』で訳していることと一貫性がない。


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 日本国憲法9条には、「国権の発動たる戦争」、41条には「国権の最高機関」ということばが用いられているが、この場合の「国権」とは、国家の意思およびそれを実現するための国家の権力という意味の「主権」と同じ観念である。
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 ここで用いられている「国家の権力という意味の『主権』」とは、「統治権」であり、『権力・権限・権能(power)』を指す。


 憲法中の国家権力の『権限(power)』に関わる他の条文も参考に考える。

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第一章 天皇
CHAPTER I. THE EMPEROR

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.


第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
Article 4. The Emperor shall perform only such acts in matters of state as are provided for in this Constitution and he shall not have powers related to government.
天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
The Emperor may delegate the performance of his acts in matters of state as may be provided by law.


第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
Article 7. The Emperor, with the advice and approval of the Cabinet, shall perform the following acts in matters of state on behalf of the people:
(略)
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
 Attestation of the appointment and dismissal of Ministers of State and other officials as provided for by law, and of full powers and credentials of Ambassadors and Ministers.
(略)
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第四章 国会
CHAPTER IV. THE DIET

第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
Article 41. The Diet shall be the highest organ of state power, and shall be the sole law-making organ of the State.
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第五章 内閣
CHAPTER V. THE CABINET

第六十五条 行政権は、内閣に属する。
Article 65. Executive power shall be vested in the Cabinet.

第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
Article 66. The Cabinet shall consist of the Prime Minister, who shall be its head, and other Ministers of State, as provided for by law.
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
The Prime Minister and other Ministers of State must be civilians.
内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
The Cabinet, in the exercise of executive power, shall be collectively responsible to the Diet.
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第六章 司法
CHAPTER VI. JUDICIARY

第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
Article 76. The whole judicial power is vested in a Supreme Court and in such inferior courts as are established by law.
特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
No extraordinary tribunal shall be established, nor shall any organ or agency of the Executive be given final judicial power.
すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
All judges shall be independent in the exercise of their conscience and shall be bound only by this Constitution and the laws.

第七十七条 最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。
Article 77. The Supreme Court is vested with the rule-making power under which it determines the rules of procedure and of practice, and of matters relating to attorneys, the internal discipline of the courts and the administration of judicial affairs.
検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。
Public procurators shall be subject to the rule-making power of the Supreme Court.
最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。
The Supreme Court may delegate the power to make rules for inferior courts to such courts.

第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
Article 81. The Supreme Court is the court of last resort with power to determine the constitutionality of any law, order, regulation or official act.
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第七章 財政
CHAPTER VII. FINANCE

第八十三条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
Article 83. The power to administer national finances shall be exercised as the Diet shall determine.
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 ここは(right)の文字が使われている点に注意する必要がある。
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第八章 地方自治
CHAPTER VIII. LOCAL SELF-GOVERNMENT

第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
Article 94. Local public entities shall have the right to manage their property, affairs and administration and to enact their own regulations within law.
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 この点、現行憲法9条が不戦条約の影響を受けて立法されていることから、不戦条約の英文からヒントを得られるか確認したが、特にこの点に関わりそうな文言は見つけられないように思われる。


Kellogg-Briand Treaty Wikisource


 9条の議論で混同されやすいのは、国際法上の「自衛権」という『権利(right)』である。これは、国際法が「武力不行使の原則」を定めていることに対する違法性阻却事由の『権利(right)』であり、これは各国に国家権力の『権限(power)』を与えたり発生させたりする概念ではない。あくまで国家が「武力の行使」を行った場合に国際法上の違法性を問われるところを、『権利(right)』として認められている「自衛権」を行使することで責任を阻却するための概念である。

権利(right
 自衛権(right of self-defense)
  個別的自衛権(right of individual self-defense)
  集団的自衛権(right of collectivee self-defense)

国際連合憲章 Charter of the United Nations PDF

 国際法と憲法では法分野が異なり、法源も異なる。これにより、9条が不戦条約や国連憲章の影響を受けているからといって、全く同じ法的効果を有するものとは言えない。法分野が違えば適用される対象も異なるし、法源が異なれば正当性の法的基盤や正当化根拠も異なるのである。


 国際法は各国に批准されることによって正当化されるものであるのに対し、憲法上の規定は日本国憲法では国民主権を採用していることから国民主権による憲法制定によって正当化されるのである。

 また、国際法の「武力不行使の原則」によって一般に「武力の行使」を禁じた上で「自衛権」という『権利(right)』の行使を許容する考え方と、憲法9条の国民主権を背景として国家に『権限(power)』を発生させない形で「武力の行使」を禁じる考え方は、規制規範としてのアプローチが異なる。

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「主権独立国の憲法(国内法)と主権国家の併存する国際社会に妥当する国際法とは、独立した別々の法体系であるとみなすのが一般である。もっとも、日本国憲法の解釈によれば、日本の国内レベルにおいては、憲法は国際法(条約と慣習法)に優位する。国際法とくに条約を憲法(国内法)秩序のどこに位置づけるかおよびその効力は憲法の規定によるのであり、逆に、憲法の外から条約によって押し被せるわけにはいかない。国際法上の国家の権利をその国の憲法が規定しないことは可能であり、その場合国家によるかかる権利行使が違憲とみなされることもあろう。この脈絡では、国際環境の変化を理由にして憲法9条を個別的および集団的自衛権を認める国際法(国連憲章51条)に合わせて解釈したり(意味の変遷)、またそのために改憲しなければならないとするのは本末転倒の感を否めない。」
*藤田久一「平和主義と国際貢献-国際法からみた9条改正論議」ジュリスト1289号(2005年)89頁
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憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その4・完)――憲法9条をめぐって 2017年10月20日

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「憲法九条は「戦争」といい「交戦権」といい、国際法上の概念を用いている。もっとも、戦争や交戦権は、国際法でも、そう簡単明瞭な観念ではない。憲法九条がそれらを一定の国際法的意義で用いているかどうかはもとよりはっきりしない。しかし、それらは国際法上の概念と無関係に用いられているのでもない。そのことは確かであろう。」
*高野雄一「憲法第九条-国際法的にみた戦争放棄条項」宮沢俊義先生還暦記念『日本国憲法体系 第二巻総論Ⅱ』(有斐閣、1965年)109頁
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憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その4・完)――憲法9条をめぐって 2017年10月20日


 この違いを押さえた上で、政府解釈を確認する。


 防衛省・自衛隊の示している政府解釈は、「交戦権」について下記のように説明している。


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(4)交戦権
 憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものです。一方、自衛権の行使にあたっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然のこととして認められており、たとえば、わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものです。ただし、相手国の領土の占領などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められません。
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憲法と自衛権 防衛省・自衛隊 (下線・太字は筆者)

 この政府解釈では『権利(right)』と『権能(power)』の両方の記載があり、政府自身が混乱しているように見受けられる。


〇 『権利(right)』 ⇒ 「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」
〇 『権能(power)』 ⇒ 「相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むもの」

 政府解釈の「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」と説明している部分であるが、日本国憲法は主権国家としての独立性を有する法形式を定めたものであり、国際法上の『権利(right)』について勝手に語ることは妥当でないと考えられる。また、「交戦国が国際法上有する種々の権利」とは、国際法の秩序の変容によって、新たな権利が生まれたり、失われたりする性質のものである。そのような国際法上の『権利(right)』の概念を、日本国憲法がそれとなく示していることに何かの意味があるのかといえば、日本国が勝手にそう主張しているだけということになり、国際法上では(他国との間では)通用しないのである。


 参考として、「自衛権」という『権利(right)』の概念を憲法上に書きこむ議論を確認する。


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また、仮に自衛隊ではなく、自衛権という言葉を書き込むにしたところで、9条2項を維持したうえで自衛権を書き込むところで、自衛権というのは国際法上の観念でありますから、国内法の憲法でいくら主張しても、「そう主張している」というだけの話です。国際法上、黒か白かということは、国際法的な観点から判断されるわけでありますので、非常に据わりの悪いところで議論をしているのだろうなと思います。
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「憲法論議の視点」 第9条 青井未帆・学習院大学教授 井上武史・九州大学准教授 2018年3月12日(P12) (下線・太字は筆者)

 このように、「交戦権」の意味するところを、国際法上の『権利(right)』を指すと考えることは、妥当な解釈とは言えないと思われる。


 さらに、「国際法上有する種々の権利の総称であって、~の権能を含むもの」との説明であるが、国際法上『権利(right)』を有するからといって、日本国の統治権に『権能(power)』が発生するわけではない。統治権の『権能(power)』は、国民主権による国民からの「厳粛な信託(前文)」によって発生するものだからである。それにもかかわらず、「国際法上有する種々の権利の総称であって、~の権能を含むもの」などと国際法上の『権利(right)』と統治権の『権能(power)』を同一視して論じることは法的な正当性が発生する法源を遡って考えれば整合性がなく、意味が通じないのである。

 他にも、政府解釈は「自衛権の行使にあたっては、」「わが国が自衛権の行使として」などと、突然国際法上の「自衛権」という『権利(right)』の概念を持ち出して説明を重ね、「それは交戦権の行使とは別の観念のもの」などと結論付けようとするが、そもそも国際法上の『権利(right)』の概念と、憲法上で正当化される『権限(power)』は法源を異にしているのであり、ここで対応関係があるかのように持ち出すことは論じ方として適切ではない。


 もし「交戦権」の「権」の文字を『権利(right)』の意味で読み取るとしても、国際法上で「交戦権」という概念が正確に定義されているわけではない。また、もし国際法上で「交戦権」の概念が定義されたとしても、その国際法が改正されたり、定義が変更されたり、廃止された場合に、日本国だけが憲法上に「交戦権」の文字を含んでいることによって他国とは『権利(right)』の幅が異なってしまう状況に至らせることとなる。このことは、法体系としての完結性を有していないため、日本国の主権の独立性が損なわれることに繋がる。他にも、憲法上の文言が国際法上の定義に左右されるような形とすることは、国際社会の政治的な事情や法的な策略に影響を受けることになるため、法解釈として妥当とは言えない。

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主権独立国の憲法(国内法)と主権国家の併存する国際社会に妥当する国際法とは、独立した別々の法体系であるとみなすのが一般である。もっとも、日本国憲法の解釈によれば、日本の国内レベルにおいては、憲法は国際法(条約と慣習法)に優位する。国際法とくに条約を憲法(国内法)秩序のどこに位置づけるかおよびその効力は憲法の規定によるのであり、逆に、憲法の外から条約によって押し被せるわけにはいかない。国際法上の国家の権利をその国の憲法が規定しないことは可能であり、その場合国家によるかかる権利行使が違憲とみなされることもあろう。この脈絡では、国際環境の変化を理由にして憲法9条を個別的および集団的自衛権を認める国際法(国連憲章51条)に合わせて解釈したり(意味の変遷)、またそのために改憲しなければならないとするのは本末転倒の感を否めない。」
*藤田久一「平和主義と国際貢献-国際法からみた9条改正論議」ジュリスト1289号(2005年)89頁
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憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その4・完)――憲法9条をめぐって 2017年10月20日


 政府答弁書ではやや違う表現が使われている。

 「交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であつて、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政、中立国船舶の臨検、敵性船舶のだ捕等を行うことを含むものである」

わが国が交戦権を行使できるのか否かに関する質問に対する答弁書 平成28年11月15日

   【参考】自衛隊の海外派兵・日米安保条約等の問題に関する質問に対する答弁書 昭和55年10月28日

 『権能』の文字は使われていないが、結局『権利(right)』で説明しているため、整合性はない。

国際法上の交戦者の権利・義務に関する質問主意書 平成30年6月11日

 

 以下、「自衛権」「戦争」「自衛戦争」「交戦権」「自衛行動」「自衛行動権」の違いを押さえながら政府答弁を読む。

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○下田政府委員 高辻部長のおつしやいますように、国家の自衛権を憲法は禁止しておりませんから、自衛行動はとれると思います。ところが自衛のための戦争となりますと、これは別のことでございまして、戦争であれば敵の領土まで行つて爆撃してもいいわけであります。ところがそれは自衛行動とは別であつて、交戦権が認められて初めて敵の領土奥深く入つて敵の首都を爆撃するという権利が発生するわけであります。そういう交戦権というものは認めていないのでありますから、国際法上の戦争と関連して初めて認められる権利は私は行使し得ない、戦争に至らざる自衛行動ならなし得る、そう考えております。
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第16回国会 衆議院 外務委員会 第27号 昭和28年8月5日


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○政府委員(林修三君) 先ほどから申し上げます通りに、いわゆる交戦権という問題と、日本が他国あるいは外部から侵略された場合に、自衛のためにそれを排除するために抗争するということとは観点が別だと思います。しかしたまたまその形が、いわゆる戦争国際法的に見た戦争と見られるような形をとるということは、これはもちろんあり得ることと思いますが、それは私は排除されておらない。つまり日本その自衛のために必要な限度における、の侵略を排除する範囲における自衛行動、これは認められておる。その形を国際法上何と見るか。これは国際法の関連において決する、かように考えます。
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第22回国会 参議院 内閣委員会 第34号 昭和30年7月26日


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○政府委員(大森政輔君) そこが個別的自衛権に基づく自衛行動と、それから自衛戦争の違いでございまして、先ほど私が申し上げましたのは、個別的自衛権に基づく我が国を防衛するために必要最小限度の自衛行動というものは憲法が否定していないということを申し上げたのでございまして、いわゆる戦争の三分類による自衛戦争ができるんだということを申し上げたわけではないと。自衛戦争という場合には当然交戦権が伴うんでしょうけれども、先ほど我が国がなし得ると申し上げましたのは、自衛戦争という意味よりももう少し縮減された、あるいは次元の異なる個別的自衛権に基づく自衛行動というふうにお聞き取りいただきたいと思います。
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第145回国会 参議院 予算委員会 第11号 平成11年3月8日

 

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○政府委員(秋山收君) 少し長くなりますが、いわゆる自衛権、それから戦争自衛戦争、それから交戦権自衛行動自衛行動権などといういろいろな言葉を申し上げておりますので、その辺を整理して一度御説明申し上げたいと思います。
 まず第一に戦争という言葉でございますが、これは一般に国際紛争を解決する最後の手段として国家の間で対等の立場で国権の発動として武力を行使し合うものを指すものと考えられております。国際法上特に制限された手段以外の自由な害敵手段を用いて相手国を屈服させるまで行うものであるというふうに考えております。
 自衛戦争というのは、国際法上確立した概念があるものではございませんが、したがいまして、法的な概念ではなく、一般的な概念として、国家が自己を防衛するために行う戦争を指すものと考えております。
 それで、このような戦争一般でございますが、交戦権を当然に伴うものであるとされておりますが、ここに言う交戦権、あるいはこれは憲法九条の交戦権も同じでございますが、単に戦いを交える権利という意味ではございませんで、伝統的な戦時国際法における交戦国が国際法上有する種々の権利の総称でありまして、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政、それから中立国船舶の臨検、敵性船舶の拿捕などを行うことを含むものを指すものというふうに従来からお答えしてきているところでございます。
 自衛戦争の際の交戦権というのも、自衛戦争におけるこのような意味の交戦権というふうに考えています。このような交戦権は、憲法九条二項で認めないものと書かれているところでございます。
 一方、自衛行動と申しますのは、我が国が憲法九条のもとで許容される自衛権の行使として行う武力の行使をその内容とするものでございまして、これは外国からの急迫不正の武力攻撃に対して、ほかに有効、適切な手段がない場合に、これを排除するために必要最小限の範囲内で行われる実力行使でございます。
 それで、自衛行動権という言葉は、このような自衛行動に伴う具体的な権能を説明するために政府が用いてきた概念でございまして、したがいまして、先ほどのような必要最小限度という要件に該当する場合には、この間、委員が御質問されましたような敵性国家に武器を運んでいるというような船舶に対してこれを検査し、場合によってはそれを没収、押収することもケースによっては含まれるものと考えております。
 ただ、そのような自衛行動権は、先に述べました戦争に伴う交戦権とは別の観念でありまして、例えば伝統的な戦時国際法では交戦権に含まれるとされます相手国領土の占領、あるいはそこにおける占領行政などは自衛のための必要最小限度を超えるものであって、我が国が保有していると考えられます自衛行動権にはこのようなものは含まない。その意味で自衛行動権は限定的なものであるというふうに考えている次第でございます。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○政府委員(秋山收君) 憲法第九条のもとに認められております自衛行動と申しますのは、繰り返しになりますが、いわゆる自衛力発動の三要件、具体的な武力攻撃を受けていること、それからそれを排除するためにほかの適当な手段がないこと、それから発動の態様は必要最小限に限るということでございます。
 その範囲内で、それを裏づける具体的な権能として自衛行動権という概念を説明として用いているわけでございますが、伝統的な国際法上の交戦権がいかなるものを、総体的にどんなものを含んでいるか、そのメニューの中で自衛行動権として認められるものは何かということはなかなか具体的に確定することはできないわけでございまして、やはり先ほどの三要件に照らしまして認められる範囲で自衛行動権が認められると。
 したがって、典型的に申しまして交戦権には含まれるとされております相手国領土の占領、軍政の実施というようなものが含まれないということは申し上げているわけでございますが、それ以外のものがどこに境界が引かれるかということは、やはり具体的な状況に応じて判断せざるを得ない問題ではないかと考えております。
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第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第5号 平成11年3月15日

 この答弁の重要な点を簡単にまとめる。


〇 戦争 … 国権の発動として武力を行使し合うもの

〇 自衛戦争 … 国家が自己を防衛するために行う戦争
〇 交戦権 … 伝統的な戦時国際法における交戦国が国際法上有する種々の権利の総称 (相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政、それから中立国船舶の臨検、敵性船舶の拿捕などを行うことを含むもの)
〇 自衛行動 … 我が国が憲法九条のもとで許容される自衛権の行使として行う武力の行使
〇 自衛行動権 … 自衛行動に伴う具体的な権能(「自衛力発動の三要件」を裏付ける具体的な権能)


   【参考】「自衛戦争」と「自衛権の行使」は同じではない

   【自衛力発動の三要件】
◇ 表現1 ⇒ 「外国からの急迫不正の武力攻撃に対して、ほかに有効、適切な手段がない場合に、これを排除するために必要最小限の範囲内で行われる実力行使」
◇ 表現2 ⇒ 「具体的な武力攻撃を受けていること、それからそれを排除するためにほかの適当な手段がないこと、それから発動の態様は必要最小限に限るということ」
 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
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「武力の行使」の旧三要件
① 我が国に対する急迫不正の侵害があること
② これを排除するために他の適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
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 つまり、「自衛行動」は、9条の下で許される「自衛権の行使」としての「武力の行使」を意味し、それを裏付ける具体的な『権能』は、「自衛行動権」である。そして、その「自衛行動権」という『権能』は、「自衛力発動の三要件(武力の行使の三要件)」によって制約されている。


 ここで、『権利(right)』と『権力・権限・権能(power)』の違いを整理する。

◇ 「戦争」を「国権の発動として武力を行使し合うもの」として「国権/統治権(power)」で説明している

◇ 「交戦権」の意味を「国際法上有する種々の権利」のように『権利(right)』と説明している

◇ 「自衛権の行使」の意味は『権利(right)』の行使と説明している

◇ 「自衛行動権」の意味は『権能(power)』と説明している

 しかし、下記の答弁には不安を覚える。

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 ただ、そのような自衛行動権は、先に述べました戦争に伴う交戦権とは別の観念でありまして、例えば伝統的な戦時国際法では交戦権に含まれるとされます相手国領土の占領、あるいはそこにおける占領行政などは自衛のための必要最小限度を超えるものであって、我が国が保有していると考えられます自衛行動権にはこのようなものは含まない。

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 「自衛行動権」は『権能(power)』であるが、「交戦権」は政府答弁によれば国際法上の『権利(right)』である。それなのに、「別の観念でありまして」などとして違いを強調するが、そもそも「交戦権」を国際法上の『権利(right)』であると説明したならば、その国際法上の『権利(right)』が否定され有しないことと、憲法上でその区分にあたる『権能(power)』を有するか否かは別の問題である。

 つまり、「交戦権」に含まれる「相手国領土の占領」「占領行政」などの国際法上の『権利(right)』の有無は、日本国の統治権の『権限(power)』の「自衛行動権」によって「相手国領土の占領」「占領行政」などができるか否かは論点が異なるのである。

 それにもかかわらず、「別の観念でありまして」と違いを強調しながら、あたかも「自衛行動権」の説明をする際に、「交戦権」の文言の制約の対象範囲とは異なることに話の焦点を向けることは、前提となっている『権利(right)』と『権能(power)』の性質の違いによって対応関係にないことを無視するものであり、説明が通らない。


 このことから、「交戦権」の意味を、政府答弁のように国際法上の『権利(right)』として説明することは妥当でなく、日本国の統治権の『権限(power)』と考えることが妥当であり、「交戦権」を否認されることは、日本国の統治権の『権限(power)』によって「相手国領土の占領」や「占領行政」などを行うことを禁じていると説明することが妥当であると思われる。




 政府解釈が「交戦権」について「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」などと解釈することが妥当でないことは、現行憲法を立法する過程で、大日本帝国憲法の「軍事に関する権限」をカテゴリカルに消去した経緯にも根拠を求めることができる。

 

 

大日本帝国憲法 ⇒ 変更 ⇒ 日本国憲法(現行)

【天皇主権】により

天皇の有していた権限

主権の変更

【国民主権】により日本国民が

国家に信託せず、禁じた権限

11条「陸海軍を統帥す 軍事権限の削除 9条1項「国権の発動たる戦争武力による威嚇又は武力の行使」を放棄
12条「陸海軍の編成及び常備兵額 軍事組織の削除 9条2項前段「陸海空軍その他の戦力」を不保持
13条「戦を宣し和を講し」 対外戦争行為の削除 9条2項後段「国の交戦権」を否認
 
20条 日本臣民は法律の定むる所に従ひ兵役の義務を有す 兵役の削除 18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない
31条 本章(注:第2章 臣民権利義務)に掲けたる条規は戦時又は国家事変の場合に於て天皇大権の施行を妨くることなし

侵害可能な

人権観を削除

11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
32条 本章(注:第2章 臣民権利義務)に掲けたる条規は陸海軍の法令又は紀律に牴触せさるものに限り軍人に準行す 軍人の削除 (66条2項 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。)


 大日本帝国憲法から日本国憲法に改正される際、大日本帝国憲法の有していた軍事に関する『権限(power)』は削除されることになるが、日本国憲法の内容は削除に留まらず、より強く否定する形で条文を構成していることが確認できる。


 この観点で対応関係を考えると、日本国憲法9条2項後段の「交戦権」の文言は、大日本帝国憲法の13条を否定する趣旨であるように見受けられる。つまり、天皇の有していた「戦を宣し和を講し」の『権限(power)』である。

大日本帝国憲法
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第11条 天皇は陸海軍を統帥す(①)
第12条 天皇は陸海軍の編制及常備兵額(②)を定む 
第13条 天皇は戦を宣し(③)和を講し及諸般の条約を締結す
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 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
日本国憲法
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第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争(①)と、武力による威嚇又は武力の行使(④)は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力(②)は、これを保持しない。国の交戦権(③)は、これを認めない。
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① 大日本帝国憲法では「国権 = 天皇主権による天皇の権限(ここでは統帥権)」であったが、日本国憲法では、「国権 = 国民主権によって信託された統治機関の権限」に相当すると考えられる。
② 大日本帝国憲法の「陸海軍の編成及常備兵額」は、日本国憲法の「陸海空軍その他の戦力」に相当すると考えられる。
③ 大日本帝国憲法の「戦を宣し」が、日本国憲法の「国の交戦権」に相当すると考えられる。この13条の「和を講し」の和を講すまでが交戦状態と見なすならば、「国の交戦権」の文言は、侵略戦争の『開戦』から侵略の『完遂』、『賠償金請求』の条約締結、侵略未達成の場合の『停戦合意協定の提案』などを指すと思われる。
④ 日本国憲法の「武力による威嚇又は武力の行使」は、国連憲章2条4項の「武力による威嚇又は武力の行使(the threat or use of force)」と同じ文言である。


 こう見ると、日本国憲法9条2項後段の「国の交戦権」の文言の意味するところは、1項の「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」や、2項前段の「陸海空軍その他の戦力」では禁じていない部分の国の『権力・権限・権能(power)』であると解することが妥当と思われる。


 その「交戦権」が禁じているものとは、下記の『権限(power)』が考えられる。

〇 対外的な戦闘行為を前提とした立法を行うこと

〇 対外的な戦闘行為を前提とした法の整備を行うこと

〇 他国と交戦同盟や侵略戦争同盟を締結すること

〇 宣戦布告

〇 他国間の戦争への参戦宣言

〇 他国領土の侵略や占有

〇 他国領土の割譲

〇 賠償金の請求

〇 占領後の終戦宣言

〇 宣戦布告の開戦から講和条約締結の終戦までの計画的な任務遂行

〇 侵略未達成の場合の停戦合意協定の提案

など


 「立法権」を有する国会がこれらを行うための法律の制定や議決を行ったり、「行政権」を有する内閣が閣議決定や行政機関の指揮監督を行ったり、その行政機関がそれらの権限を行使したり、「司法権」を有する裁判所がそれらの国家行為に対して合憲判決を下すことなどが禁じられていると考える。


 日本国憲法では天皇は4条にて「国政に関する権能を有しない」とされている。そのため、天皇はこれらに関わる権限を直接有しているわけではないが、天皇がこれらに関する詔勅やお言葉を発したり、或いは大日本帝国憲法に存在したような天皇大権を行使することも禁じられていると考える。

 「地方自治」や「財政に関する権限」においても同様に禁じられていると考える。



 9条1項は消極的に「国際紛争を解決する手段として」ではない「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を許容していると考えられる。しかし、そこで行われる自衛目的の「武力の行使」や戦闘行為を拡大させることによって、政府が他国を侵略したり、他国領土を占有したり、他国で統治権を行使したり、他国に賠償金を請求したりすることが考えられる。「交戦権」が禁じる対象は、これらの行為であると考えられる。「交戦権」の文言は、そのような1項や2項前段が禁じきることのできなかったこれらの行為が行われることを防ぐ意図があると考えられる。

 この関係するところの政府答弁を確認する。

「イラク人道復興支援特措法に基づく活動は、憲法第九条の禁ずる武力の行使に当たるものではなく、また、我が国が武力紛争の当事国としての立場で実施するものではないので、交戦権の行使に当たるものではない。」

交戦権とCPA(イラク暫定統治機構)への資金供与との関係等に関する質問に対する答弁書 平成16年2月13日


 帝国議会の資料も確認する。

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○北れい吉君 

(略)

 先づ現行憲法改正の根拠に付て御尋ね致しますが、私の見る所では、改正憲法の特色が二つある、先づ国内に於て民主化を徹底すること、更に国内国外に瓦りて平和主義を徹底させること、是は本月二十日議会へ提出されました憲法改正の草案に関連致しまして、勅書を賜はりましたが、其の勅書の中に明瞭に御示しになつて居ります、又此の点は此の草案が発表されました際に、「マッカーサー」元帥の声明に依つても明瞭であります、即ち元帥は三権分立の思想に依つて独裁政治を防止し、国民主権を徹底することと、主権固有の権力たる所の交戦権を抛棄し、平和愛好国民の真実と正義とに依頼することを以て二大特色と指摘致して居ります、又「マッカーサー」元帥は、日本国民が過去の神秘主義と非現実性とから脱却することを要求し、新しき信念と希望とを持つた現実主義の方向に向ふべきことを要望致して居ります、
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第90回帝国議会 衆議院 本会議 昭和21年6月25日(第5号)

 「権力たる所の交戦権」と表現されている。ここでは『権力(power)』であることが前提となっているように思われる。


 これらの理由より、「国権」や「国の交戦権」の文言を、政府解釈や9条の英訳のように『権利(right)』で読み解くことは妥当ではなく、それらを『権力・権限・権能(power)』の意味で読み解くべきであると考える。

 

 政府は、改めて「交戦権」の意味を解釈し直し、英訳も改めるべきであると考える。

 

 


<理解の補強>


 どの文献や資料も「交戦権」について『権利(right)』で説明しようとしていると思われるが、それ自体が誤りと思われる。

交戦権 Wikipedia

日本国憲法第9条(「交戦権」の解釈) Wikipedia

「憲法第 9 条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)について~自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題」 に関する基礎的資料 衆議院憲法調査会事務局 平成15年6月 (P38~ 交戦権について)

交戦権について PDF (タイトル: 交戦権について 明治大学

憲法第9条の交戦権否認規定と国際法上の交戦権 松山健二 PDF

憲法第9条の交戦権否認規定と 武力紛争当事国の第三国に対する措置 松山健二 PDF

5 憲法9条2項後段「交戦権」の解釈

日本国憲法9条の交戦権 2017年08月29日

「交戦権」ということばの意味は 2018年10月28日

国際法上の交戦者の権利・義務に関する質問に対する答弁書 平成30年6月19日

 



Q:第9条2項の交戦権の「権」は権利ではなくて「権力」のことではないでしょうか。


 このアンサーでは「交戦権の『権』は権利の『権』です。」として『権利』の文字を強調している。9条1項の「国権」についても「権利」であると強調しているが、その後「国の主権」の文字が「国権」に修正されたことを示している。しかも、この「主権」について「金森国務大臣は、『国家主権、国家統治権』という意味で、『特に深い意味を含めていない』と答弁」し、その後「これが衆議院の修正となり『国権の発動たる戦争』と改められ」ました。」と述べているように、この「主権」は「統治権」の意味であり、「権力・権限・権能(power)」を意味すると明らかにされている。それにもかかわらず、最初に「交戦権」や「国権」の意味を「権利という意味」などと「権利(right)」と言い切ることは整合性がなく誤りと思われる。


 ここで取り上げられている立法過程での議論を確認する。

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○鈴木(義)委員 修正案を出すべきかどうかと云ふことを前提として御伺ひを致すのでありやす、第九条には国の主権の発動たる戦争を規定したのでありやすが、是は用語として適当でありませうか、主権と云ふ言葉の使い方は色々ありますが、「フランス」革命時代には国家の最高権力の意味に用ひまして、それが英米殊に米国に移りまして国家の最高権力と云ふ意味に使はれて来たのであります、併の近時の通説は、国法の最高性と云ふ職制を表はして居るものと存じます、さうでなくて国家権力と云う意味を表はしますならば、我が国の言葉では寧ろ国権と云ふ言葉が適切と存じます、戦争と云ふものは国家権力の発動に相違ないのであります、戦争をしないと云ふ誓ひは、寧ろ国の政策としての戦争はしないと云ふ意味であらうと存じます、それならさう規定する方が一層適切簡明ではないかと思ふのであります、主権の発動と云ふ用語は、将来之を学問的に説明しまする場合に面白くないやうに存じまするが故に御尋ねを致すのでありますが、政府は何か特別の理由を以て、此の用語法を御採用になつて居るのでございませうか


○金森国務大臣 これは先に御示しになりました国家権国家統治権、さう云ふ意味の主権でありまして、特に外の意味を含めては居りませぬ、唯それだけの単純な意義を表はす為に国の主権の発動と云ふ言葉を使つた訳でありやす、それが当否に付きましては、私から今別に御答へ致しませぬが、御諒承願ひます


○鈴木(義)委員 私自身は此の主権と云ふ言葉の使ひ方に付て独自の考へ方を持つて居りますが、それは姑く預かるとしまして、最も妥協的に常識的に使ふと致しましても、国家と云ふ団体が他の如何なる団体からも拘束を受けないと云ふこと、法的に優越性を持つて居ると云ふことを示す概念であります、歴史的には先程申す通り、「フランス」革命の人権宣言に使はれたのが其の侭或る国の法系に伝はつて残つて居るだけでありまして、国家の最高性を表はすならば、私は之を使つても宜いと思ふのでありまして、前文で使つて居る主権と云ふ言権の使ひ方は、必ずしも非難に値しないと思ふのであります、之に反して実力的、即ち権力の源泉が何処にあるかと云ふ意味で此の主体を示しまする為の表現ならば、国の最高権力とか国権とか云ふべきことは殆ど世界各国の憲法及び公法学説の一致して居る所であります、戦争なるものは明らかに国家権力の発動現象でありまして、国家の法的最高性と云ふこととは無関係であります此の立案者も其のことを意識して居られましたらしく、前文で戦争のことを申しまする時には「政府の行爲によつて再び戰爭の慘禍が發生しないやうに」と言つて居るのであります、是が正しい表現であると存じます、将来の憲法を説明致しまする場合に、学問的に困難を感ずるやうな表現は、立案の際に気が付きまする以上は、出来るだけ改めて戴きたいと念願致しまするが故に、此のことを一言附加して私の質問を打切ります

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第90回帝国議会 衆議院 委員会 昭和21年7月13日(第12号)

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○鈴木(義)委員 それから是は別なことですが、念の為に此の条文に付て一寸申上げて置きたいのです、「國の主權」と云ふのを「國權」と直しましたね、併し国権を英語に訳すときに変な訳し方をされると却て迷惑する、英語の方では「シュターツゲワルト」に相当する言葉は、無理に使へば「パワー・オブ・ステート」と云ふ言葉もありますけれども、それは適当でない、英語では主権国権も共に「ソヴァレンティ」です、だから此の通りで宜いと云ふことを御諒承願ひたいと思ひます
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第90回帝国議会 衆議院 小委員会 昭和21年8月1日(第7回)

 「国権」について、憲法41条の「国会は、国権の最高機関であつて、」の英訳は(The Diet shall be the highest organ of state power, )」であり、(state power)が使われている。しかし、(power of state)は「適当でない」としていることはどういう意味だろうか。9条の「国権」では、(sovereignty)を使わなくてはならない特別な事情があるのだろうか。「主権」の意味が「統治権(supreme power / sovereignty)」であろうとも、これは「国権/国家権力(the power of the state)」と同義であり、結局(power of state)と同じであると思われる。




その他の議事録

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○吉田国務大臣 林君の御質問に御答へ致します、此の間の私の言葉が足りなかつたのか知れませぬが、私の言はんと欲しました所は、自衛権に依る交戦権の抛棄と云ふことを強調すると云ふよりも、自衛権に依る戦争、又侵略に依る交戦権、此の二つに分ける区別其のことが有害無益なりと私は言つた積りで居ります、今日までの戦争は多くは自衛権の名に依つて戦争を始められたと云ふことが過去に於ける事実であります、自衛権に依る交戦権、侵略を目的とする交戦権、此の二つに分けることが、多くの場合に於て戦争を誘起するものであるが故に、斯く分けることが有害なりと申した積りであります、又自衛権に依る戦争がありとすれば、侵略に依る戦争、侵略に依る交戦権があると云ふことを前提とするのであつて、我々の考へて居る所は、国際平和国体を樹立することにあるので、国際平和国体が樹立せられた暁に於て、若し侵略を目的とする戦争を起す国ありとすれば、是は国際平和国体に対する傍観であり、謀叛であり、反逆であり、国際平和国体に属する総ての国が此の反逆者に対して矛を向くべきであると云ふことを考へて見れば、交戦権に二種ありと区別することそれ自身が無益である、侵略戦争を絶無にすることに依つて、自衛権に依る交戦権と云ふものが自然消滅すべきものである、故に交戦権に二種ありとする此の区別自身が無益である、斯う言つた積りであるのであります、
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第90回帝国議会 衆議院 委員会 昭和21年7月4日(第5号)


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○金森国務大臣 憲法第九条の前段の第一項の言葉の意味する所は固より自衛的戦争を否定すると云ふ明文を備へて居りませぬ、併し第二項に於きましては、其の原因が何であるとに拘らず、陸海空軍を保持することなく、交戦権を主張することなし云ふ風に定まつて居る訳であります、是は予ね予ね色々な機会に意見が述べられました通り日本が捨身になつて、世界の平和的秩序を実現するの方向に土台石を作つて行かうと云ふ大決心に基くものである訳であります御説の如く此の規定を設けました限り、将来世界の大いなる舞台に対して日本が十分平和貢献の役割を、国際法の各規定を十分利用しつつ進むべきことは、我々の理想とする所である訳であります、併し現在日本の置かれて居りまする立場は、それを高らかに主張するだけの時期に入つて居ないと思ふのであります、随て心の中には左様な理想を烈しく抱いては居りますけれども、規定の上には第九条の如き定めを設けた次第でございます


○藤田委員 是は私の希望でありまして、由来国際法上の条約にしましても、是は必要の前には常に蹂躪されて参つたのでありまして況んや日本国の憲法に於て国際法上の国内事項に過ぎない日本国の憲法に於て、交戦権を否認して、捨身になつて世界の平和愛好諸国の中に入らうと云ふのでありまするから、将来、而も制裁としての戦争、自衛としての戦争も交戦権否認の名に於て捨てて掛らうと云ふのでありますから、将来違法なる戦争当事国が生じた場合には、其の違法な戦争当事国に対する戦争裁判を請求するの権利、又戦力の国際管理に対する日本国の参加又日本国が将来第三国間に於ける戦争に対しては事実上参加しないし、又参加させられないと云ふ保障を、政府は此の際是非憲法が実施されるまでには国民の前に公表して戴いて、真に国民をして納得せしむるだけの措置を講ぜられんことを希望するのであります

 次に解釈の問題に付きまして、更に草案第九条第二項の交戦権の否認は、交戦団体に対する場合も適用されるかと云ふ問題であります、交戦団体は国際法上の交戦者としての資格を認められた叛徒の団体でありまして、一つの国家に於て政府を顛覆したり或は本国から分離する目的を以て叛徒が一定の地方を占め、自ら一つの政府を組織する場合に、斯様な叛徒の団体に対して国際法上第三国が之を交戦団体として承認する場合があります、叛徒と政府の間の闘争は戦争ではなくて内乱でありまするが、叛徒が第三国より交戦団体としての承認を受けた場合は、其の叛徒団体と政府の間は国際法上の戦争関係になる、例へば斯様な交戦団体が第三国に依つて日本国内に承認された場合に、政府は左様な場合でも交戦権の否認を以て之に対処されるかと云ふ点に付て、解釈の問題として承りたいのであります


○金森国務大臣 第九条第二項の規定は、其の中の交戦権の問題は普通国際法上に認められて居ります交戦権を指して言つて居るのでありまして、随て国内に成立することあるべき交戦団体に対しても此の規定は当嵌つて来るものと考へて居ります


○藤田委員 只今、交戦団体として承認された叛徒団体との間の関係は、国際法上是は戦争の状態に入るのでありまして、交戦団体として承認を受けた叛徒の方は国際法上の戦争資格が認められ、それが顛覆しようとする政府の方は憲法に依つて交戦権が認められない斯様なことになるのでありますから、将来日本が世界の平和愛好国家に参加すると云ふ場合に、斯様な第三国に依る国内に於ける交戦団体の承認、左様なことのあり得ないやうに保障を受ける必要があると考へるのであります、是も前項の場合に準じて希望として政府に申上げたいのであります

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第90回帝国議会 衆議院 委員会 昭和21年7月9日(第9号)

 

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○芦田委員長 読みませうか


○鈴木(義)委員 読まなくても分りますが、非常に私は心配するのです、どうも交戦権を先に持つて来て、陸海空軍の戦力を保持せずと云ふのでは、原案の方が宜いやうに思ふのです、其の点に付て十分御考慮下さつたでせうか


○芦田委員長 私は之を保持してはならないと云ふ書き方が……


○鈴木(義)委員 いや其の書き方を変へるのは賛成しますが、順序を変へることです


○芦田委員長 順序を変へるのは其の人の趣味で、例へば演説をする時に、一番大事なことを一番初めに言ふ人もあれば、一番大事なことは最後に言ふ人もある、是は其の人其の人の趣味であつて、偶々私の趣味が一体交戦権は之を認めないと言ふから、戦争を抛棄すると云ふ結果が出て来るのだ、戦争を先づ抛棄すると言つた其の後で、交戦権は之を認めないと言ふことは、どうも順序を得てない、それだから初めに交戦権は認めないと言つて置いて、国際紛争を解決する為の戦争は之を抛棄する、斯う云ふことが原則から出て来る結果なんだから、それで後に書いた方が宜い、斯う云ふ風に私は感じたのです


○鈴木(義)委員 或る国際法学者も、交戦権を前に持つて来る方が、自衛権と云ふものを捨てないと云ふことになるので宜いのだと云ふことを説明して居りました、だから色々利害はあるのですけれども、何か先達て金森国務大臣は、戦争の方は永久に之を抛棄する……


○芦田委員長 金森君と私の意見は、其の点に於て違ふのです


○鈴木(義)委員 それも分ります、十分御考慮下さつた後で、それで宜いと云ふことであれば私は強ひて反対しませぬ


○犬養委員 是は一寸法制局に伺ひますが、第九条の第一項は今一寸鈴木君が触れられましたが、是は永久不動、第二項は多少の変動があると云ふ、何か含みがあるやうに、一寸此の間国務大臣の御発言があつたのですが、さう云ふ含みがありますか


○佐藤(達)政府委員 正面からさう云ふ含みがあると云ふことを申上げることは出来ないと思ひますが、唯気持を分り易く諒解して戴けるやうに、金森国務大臣はああ云ふ言葉を御使ひになつたのだらうと思ひます


○犬養委員 随て此の順序は無意味でなくて、相当意味がある……


○佐藤(達)政府委員 意味があると云ふことを申したい為にああ云ふ表現を使はれたと思ひます


○犬養委員 是は一応論議の対象になる

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第90回帝国議会 衆議院 小委員会 昭和21年8月1日(第7回)




「交戦権」の意味を描き出す

 政府は「交戦権」の意味を、「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」としているが、なぜ国内法である日本国憲法において、国際法上の『権利(right)』を否定することができるのかという疑問が湧く。国際法と憲法(国内法)では法分野が異なるのであり、それぞれ別の法体系として完結しているはずだからである。

 また、「交戦権」の意味は国際法上必ずしも意味が確定されている概念ではない。そのため、結局日本国が独自に国際法上の『権利(right)』の中身を「交戦権」とそうでないものに区分けして解釈していることになる。

 しかし、そうなると国際法上認められた「自衛権」の中に、日本国が独自に解釈する「交戦権」にあたるものとそうでないものがあるということになるが、これらの『権利(right)』の内容を明確に区分けできるのかどうかという問題が発生する。

 さらに、たとえ国際法上日本国に対して与えられている『権利(right)』の中で、日本国は日本国が独自に主張する「交戦権」という『権利(right)』を有しないとしても、だからと言って日本国の統治権がそれにあたる『権限(power)』を有しているか否かは別の問題である。日本国が国際法上の日本国が独自に「交戦権」と呼んで否定している『権利(right)』の部分を、日本国の統治権の『権限(power)』が行使したとしても、結局その行為が国際法上において「自衛権」という『権利(right)』の区分に該当すれば違法性が阻却されるし、該当しなければ国際法上の責任を問われるというだけである。

 つまり、日本国が独自に「交戦権」と呼んで国際法上の『権利(right)』を否定したところで、その否定した『権利(right)』を日本国が行使したとしても、国際法上で日本国が独自に否定している『権利(right)』を行使したことに対して責任を問う機関は存在しないのである。

 なぜならば、「交戦権」を区分して独自に否定しているのは日本国だけであり、国際法上の機関は国際法そのものによって、他国と同様に主権平等の原則に従って違法性を判定するだけだからである。

 よって、日本国が国際法上の『権利(right)』の一部を独自に「交戦権」と呼び、その『権利(right)』を否定したところで、国際法上も、憲法上も何らかの法規範によって日本国の統治権の『権限(power)』を制約することはないのであり、意味のないことを行っていることになるのである。


 加えて、政府は「交戦権」という『権利(right)』を有しないことを説明する際に「自衛行動権」という統治権の『権限(power)』とは違うことを強調するが、そもそも『権利(rigth)』と『権限(power)』では性質が異なるのであるから、対応関係があるかのように話を持ち出すことは説明が通じない。

 これらの点から、政府見解には整合性がない。


 政府が「交戦権」の意味を答弁する際には、「自衛行動権」との区別が語られている部分が多い。しかし、政府自身が混乱しているためか、内容を整理して読み取ることが難しい。

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○加瀬完君 法制局長官に、先日堀委員の質問に対しまして、法制局長官がお答えになりました点にさらに関連をいたしまして伺いたいのであります。それは長官の御説明によりますと、憲法第九条は交戦権はないが、自衛権を排除しているものではない、従って自衛のための戦闘行為は認められる。また戦闘行為には国際法上の交戦権を認められておらない、こう御説明を承わったわけでございますが、それでよろしうございますか。


○政府委員(林修三君) お答えいたしますが、大体私の申し上げました点と、大体はそういうことだったと存じますけれども、多少ちょっと補足して申し上げますが、交戦権というのは、まあいろいろの学者にも解釈がございますが、私どもの解釈いたしておりますところは、いわゆる一国が戦争状態になった場合において、その戦争を遂行する上において国際法上交戦国として認められておる種々の権利の集合、こういうものをここに言う交戦権と解釈すべきものだと、かように考えております。この交戦権につきましては、第九条第三項で認めないということになっておりますけれども、一方から申しますと、第九条第二項は自衛権を否定しておらないということも、これは通説だと思います。従いまして、その自衛権があります以上、その自衛権の範囲内において、他国等から侵略を受けた場合に、それを排除するために必要かつ相当の限度において自衛行動をとるということは、これまた否定されないものと、これはいわゆる交戦権の否認、あるいは是認というものとは別の問題である、別の観点から考えるべきものである、かようにお答えしたわけでございます。で、その自衛のための従って行動の権利については、これは自衛のために必要相当な限度であるかないかという観点からの制限はあるものと、かように考えます。


○加瀬完君 すると、国際法上同一の戦闘行為をして、それが他国の通常の例とは違って、日本が行なった場合は同一行動でありながら交戦権は認められない、そうするとそれは国際法上は当然戦闘行為の主目的である自衛行動をも認められておらない、こういうことにはならないでしょうか。


○政府委員(林修三君) 先ほど申し上げました通りに、いわゆる交戦権ということを戦争をする権利とは解釈しておらないわけでございまして、そういう戦闘行為に当って交戦国が持つ種々なる権利と、かようにいっておるわけであります。自衛権の発動としての自衛行動権、これはいわゆる侵略排除するため必要な限度における行動の権利であります。その範囲においてでき得ることは、いわゆる戦闘行為あるいは戦争行為もできる、かようにいっておるわけでありますから、そういう厭味における自衛権の発動としての行動、これは交戦権の否認とは関係なく私はできるものと考えております。


○加瀬完君 それはあなた一人か、あるいは現内閣を通じての特別な説と言いますか、議論にはなるかも知れませんけれども、国際法上の通説としては私は通じないと思う、と言いますのは、自衛権の発動であろうが何であろうが、日本が行なったところの戦闘行為、これと同じ戦闘行為を外国がやるとする、そうすると、その交戦権を認められている外国の日本の自衛権の発動と同等の戦闘行為というものはあらゆる交戦権の権利というものを取得している、ところが日本の場合は全然権利を認められておらない、そうなってくると、日本の同じ戦闘行為が交戦権の権利を排除されておるということが直接自衛行動そのものをもこれは認められておらないということに国際法上は認定するのが当然であろう、この点どうですか。


○政府委員(林修三君) 憲法の規定は、御承知のようにこれは国内法の問題でございまして、国際法の問題ではございません。これは第一の問題でございますが、国内法の問題として先ほどから申し上げておるわけでございまして、自衛のための行動は否定されておらない、ただいわゆる国際法的に認められておるいわゆる観念としての交戦権、これを憲法が否認しておる、こういうことを申し上げたのであります。ただこれを国際法的に見た場合に、そういう自衛権の発動として行われておる戦闘行為について、その戦闘に参加している両方の国等の問題を国際法的にいかに否定するか、これは国際法の問題でございまして、憲法直接の問題ではございません。


○加瀬完君 憲法の解釈はあなたのような解釈が一応成り立つかも知れません。しかし自衛権交戦権の関係において、国際法上その自衛権の発動という固有の活動を認められておらないとするならば、国際法上は日本の自衛権の、主張は認められておらない、こう解釈するのが当然じゃないですか。


○政府委員(林修三君) 先ほど申し上げました通りに、国際法上あるいは国際条約上日本の国が自衛権も持たない、あるいはさらに交戦権を持たないというようなことは、どこにもこれは国際法上は規定はございません。従いまして、日本は憲法の規定によって自衛権の範囲内においてのみ行動する権限が与えられておる。そういう意味において他国から侵略を受けた場合それを排除する措置ができるわけでございまして、そういう行為をするに当っての国際法上の問題は憲法上の規定とは別のものでございまして、国際法上において日本が自衛権を持たないということは全然出てこないと思います。


○加瀬完君 そうじゃないんです。国際法上、日本においては自衛権の発動という形において、当然自衛権の発動だから、こういう権利があるんだという固有の活動をいたしましても、国際法上は何らそれに対しましては交戦権としての権利を与えておらない。と全然同じ戦闘行為をしながら、他国には認められておって、日本のそういう活動には国際法上の権利を認めておらないとするならば、国際法上そういうふうな見方をする自衛権というものを日本が主張したところで、それは日本の独自の解釈にとどまって、国際法上自衛権の主張というものを主張することは当を得ないということにはならないか。


○政府委員(林修三君) 先ほどから申し上げておりますように、実は国際法上の問題は憲法とは別な面からまた考えなくちゃならない問題だと思うわけでございますが、日本は、あるいは大部分の世界にある国は御承知のようにヘーグの陸戦法規条約にも参加しております。ジュネーヴ条約にも参加しております。従いまして、国際法的に見て、戦闘行為、敵対行為がありました場合に、その対敵行為に参加する国々はその国際条約によっておのずから縛られるわけでございます。そういう意味における国際条約上の問題は、日本のみならず相手の国もそれに従う義務はある。そういう点は今の憲法の交戦権の否認という問題とは別の問題だと私は思います。


○加瀬完君 そうじゃないんですよ、あなたは交戦権は認められておらないと言っているんでしょう、ですから自衛権の発動として行われた戦闘行為と同じ戦闘行為を他の諸国がやった場合は、これに対しては交戦権という特権を認めておる。ところが日本は同じ行為をして認められておらない。そういう国際法上の見方をされておるものの、日本の憲法で自衛権を認めろと主張する日本の憲法解釈そのものに無理があるんじゃないか。また、なぜ国際法上の通念として考えられないものを自衛権というふうな変なものを持ってきて、一体無理な、国際慣例を破ったような解釈を与えなければならないか、そういうことを私は伺っているんです。


○政府委員(林修三君) 私は決して国際慣例を破ったような解釈をいたして、自衛権の観念にいたしましても、交戦権の観念にいたしましても、法上から離れた観念で御説明しておるわけではございません。それで先ほど御議論だと思いますが、憲法第九条二項は日本の憲法としていわゆる交戦権を否認しておるわけです。従いまして、日本国といたしましては、他国から侵略を受けた場合に、あるいは他国との国際紛争等が生じた場合に行動し得る範囲は自衛のため必要相当な限度に限られる。つまり自衛権の範囲を越えて他国に対して武力行動をするということは、これは憲法が否認しておるものと、かように考えるわけでございます。ただその他国が、日本の憲法が日本のそういう武力部隊、自衛隊等の行動の範囲を規定しておるからといって、日本の憲法の規定を国際条約として引用することはあり得ない。実際他国との間に今申しました自衛の範囲において敵対行為が起った場合に、特によその国が日本の自衛行動の範囲を評価するにつきましては、これは国際条約に基いて他国もそれについての拘束を受けるわけでございます。そういう点は先ほどから申し上げておると思います。御質問のようなことは起らない、かように考えております。

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第22回国会 参議院 内閣委員会 第36号 昭和30年7月28日


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○政府委員(林修三君) ただいまの点でございますが、これは従来からの私たちの答弁いたしておるところでございます。交戦権というのは、先ほど総理からお答えいたしました通りに、戦時に際して交戦国が持つ権利。その内容といたしましては、たとえば占領地行政、あるいは中立国船舶あるいは敵国船舶の拿捕、それから、あるいは武力を――人を殺傷するというようなことも、まあ交戦権という観念には入ると思います。しかし、いわゆる自衛行動権というものは、これとまた別な観念でございまして、自衛権に基いて急迫不正の侵害排除する。この内容には、当然武力の行使というものは含まれるわけでありまして、いわゆる交戦権――国際法上にいわれる交戦権がなくても、自衛権自衛行動権という内容で、国内に侵略者として入ってきた場合の侵略者の兵力に対して抵抗する、あるいはこれに対して武力行動をとるということは、自衛のための必要な措置として当然認められる。交戦権がないからそういう自衛行動権は認められないというものではないと、かように考えております。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○政府委員(林修三君) これは、自衛のための自衛権というものは、国家の基本権として認められているわけでありますが、その自衛のために必要な措置というもの、いわゆる自衛行動権、これは国家の基本的な権利として憲法は否定しておらない、かように私は考えているのでございます。従いまして、いわゆる交戦権という面とダブる面が、その自衛の行動権の範囲内にはいわゆる形式の面から見れば、あるかもしれません。しかし、自衛行動権によってカバーされる範囲のものは当然認められるものだ、かように考えるわけでございます。
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第28回国会 参議院 内閣委員会 第30号 昭和33年4月18日

 「自衛行動権、これは国家の基本的な権利として憲法は否定しておらない」との記載があるが、これは国家の統治権の『権限(power)』を意味するはずであり、『権利(right)』で表現することは正確でないと思われる。

 ただ、「自衛権というものは、国家の基本権として認められているわけでありますが」の場合の「基本権」は、恐らく国際法上の「固有の権利(自然権とも)」の意味であり、『権利(right)』と認識して間違いはない。

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○高辻政府委員 通俗語でいわゆる戦争、これは、そういう意味における自衛戦争ういうものはよくいわれて使われることばでございます。しかし岡田さんの御質問でございますから、そういうことではなしに、戦争という国際法上の概念からいってどうかという御質問かと思います。
 これは非常にむずかしい問題でございますが、いままで国際法上の戦争というものは、やはりたとえば交戦権というものが伴う、これは自衛行動権というようなものとはおよそ品質の違うものである。そういう交戦権が伴うような戦争、そういうものは憲法が否定しておると言わざるを得ない。ただ憲法が認めておるのはそういうような国際法上の概念、交戦権が伴うような戦争ではなくて、自衛権に基づく自衛行動としての――これは通俗には戦争と申します、そういう意味で戦争ということをいってもよろしいかと思いますが、厳密な意味でもし区別するなら自衛行動、自衛構想、そのための行動権、それがあるということを申し上げておるわけでございます。
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第58回国会 衆議院 予算委員会 第17号 昭和43年3月16日

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○政府委員(高辻正巳君) お答え申し上げます。
 昨日、ただいまのお話のような御質疑がありまして、私、詳細に速記録を調べておるわけでございませんが、私の記憶と、それから新聞に載っております詳報をまあ見て申し上げたいと思うのでありますけれども、昨日も申し上げましたように、憲法の九条二項が交戦権を否認しておる。これは第一項において国権の発動たる戦争を放棄していることに見合うものである。したがって、交戦権の放棄は、これは戦争の放棄と相伴ってあるものであるから、そのほかの戦争と違う武力の行使、つまり自衛権の行使としての武力行動、それを現実具体的に行なっていくについて国際法上適法と認められる根拠、これをさがし求めるとすれば、それは交戦権と違う、いわば自衛行動権というようなものであって、交戦権ではないと思うということを実は申し上げた、二度にわたって申し上げたつもりでございます。しかし、この御質疑も、それが趣旨であったのではないとは思いますが、自衛の範囲を出なければ交戦権もあるというふうに考えてよろしいかというようなお尋ねがありまして、その私がいま言った自衛行動権というものの実体が同じであるなら、そういうお考えを持っていただいてもそれはいいだろう。中身さえ違わなければと申しましたけれども、これは私の言う実は本旨ではございませんで、あくまでも憲法の第九条二項が否認をしている交戦権、これは絶対に持てない。しかし、自衛権の行使に伴って生ずる自衛行動、これを有効適切に行なわれるそれぞれの現実具体的な根拠としての自衛行動権、これは交戦権と違って認められないわけではなかろうということを申し上げた趣旨でございますので、不明な点がありましたら、そのように御了解を願いたいと思います。
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第61回国会 参議院 予算委員会 第4号 昭和44年2月22日

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○高辻政府委員 まず終わりのほうで御指摘になりました限定された交戦権、これは実は速記録をごらんいただけばわかるわけでございますが、交戦権自衛行動権というのは、私は実は厳密に区別しております。これは同じものとは言えない。ただ、たまたま質疑の中でそういうことばがありましたために、もしもその区別の本質がわかって、わきまえておっしゃるのならそういう言い方もあるでしょうということを申し上げたのが、ある新聞によるとあたかも私の本心であるかのごとくに報道せられたということがございますが、私は自衛行動権交戦権とは明確に区別しております。つまり自衛行動権はあっても交戦権は許されないというのが私の本来の考えでございます。
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第61回国会 衆議院 予算委員会 第17号 昭和44年3月3日

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○政府委員(高辻正巳君) お答え申し上げます。
 いま私は資料を持ち合わせておりませんですが、私も交戦権自衛行動権というものに触れまして、いつかお答えをしたことがございました。そのときには御理解をいただいたのじゃなかったかと私は当時は思いましたけれども、なおお尋ねでございますので申し上げますが、その資料がございませんと申し上げた趣旨は、実は先般のお答えを初めて私はやはり持ち出したつもりではございませんで、政府としてはそういう考え方を従来ずっととってきておるわけです。ただ説明のしかたが必ずしも常に同一ではございません。もちろん中身が違うということではなしに、表現のしかたには若干違った点がございますが、大筋は一貫しているつもりでございます。
 で、それを繰り返すことになりますけれども、憲法は御承知のように九条一項で戦争を放棄しております。これはもう端的に放棄していると考えてよろしいと思いますが、そこでいう戦争というものは、戦争の中身は武力の行使でございますけれども、私どもが憲法九条を眺めます場合に、武力の行使と戦争とを分けて書いているというところが、やはり戦争というものは国際法上の概念としての戦争であろう、その戦争を放棄したことに見合って交戦権の放棄をしていると解釈するのが相当であろうというふうに考えるわけです。一方、たとえば交戦権の例として占領地行政、こういうようなものが確かに交戦権でございますが、そういうようなものは、しばしば申しておりますように、自衛権の行使として占領地行政を行なうというようなことは例の海外派兵等と関連してもお考えいただいてけっこうでございますが、そういうものができるはずがないということから言いますと、交戦権は持たない、持ち得ないということを申していいわけでございます。しかし同時に九条の一項の解釈といたしまして、これはまた砂川判決も認めておりますけれども、わが国には自衛権がある。自衛権を行使します場合には、やはりそこに武力の行使が行なわれる。自衛権を持っているということをさらに行使をするということができるということになりますれば、そこには武力行動というものができてくる。わが国民の生存と安全を保つために抵抗をするということが出てまいります。そこには、抵抗をします場合には、やはり国際法上その行為が正当視される根源のものがやはりなければならぬことは御指摘のとおりでございます。しかしそれがいま言ったような占領地行政を含むような、そういう非常に深く非常に広い権限の行使としてはわれわれはそれを持たないというべきであろう、しかしそれとは違った自衛権を認められている、国民の生存と安全を保つために必要な最小限度の行動、そういうものはいまの占領地行政が入るような交戦権とは違う。言うならば自衛権を行使して自衛行動をするいわゆる自衛行動権であるべきである。そういう意味で交戦権は持たないが、自衛行動権は持つと考えるべきであろう、こういう考え方を従来からとっているわけです。いまの御説明でおわかりいただけたと思いますけれども、大体の考え方はそういうことでございます。
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第61回国会 参議院 予算委員会 第21号 昭和44年3月31日

 この説明から分かることは、日本国も国際法上の「自衛権」を有しているが、その中の「占領地行政」を含むような「非常に広い権限の行使」については、「交戦権」を否認しているために行うことができないということである。(ここでは「交戦権」について『権限(power)』を用いて説明していることに注意。)

 つまり、「交戦権」を否定する結果、「自衛権」の中の「交戦権」に該当する部分は行使できないが、「自衛権」から「交戦権」を除いた部分は日本国も有しており、その他国より小さい「自衛権」を行使するために、日本国の統治権の『権限(power)』である「自衛行動権」を使って「武力の行使」を行うということである。


 (ただそう考えると、『交戦権』の中には『相手国兵力の殺傷と破壊」が含まれるが、『自衛権』から『交戦権』を取り除くと『相手国兵力の殺傷と破壊』までも取り除かれてしまう。逆に、『交戦権』は禁じるが、『自衛権』にあたる部分はこれに当たらないと考えるのであれば、『自衛権』を規定しているのは国際法であり、憲法優位説によって『交戦権』を禁じる規定が優越するのはずであるから意味が通じない。また、もし『交戦権』は禁じるが、『自衛権』にあたる部分は例外的にこれに当たらないと考えるのであれば、日本国も他国と同様に『自衛権の行使』として『相手国の領土の占領』『占領行政』を行うことも否定されなくなってしまう。すると、『交戦権』が禁じる対象が存在しないこととなり、規定の意義が失われる点で妥当な解釈とは言えなくなる。)


 (政府見解は、『相手国の領土の占領などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められません。』と説明しているが、結局この『自衛のための必要最小限度』の範囲を画する基準が旧三要件を意味するのであれば、『相手国の領土の占領』が否定されるのは『交戦権』による制約ではなく、旧三要件による制約であることになる。そうなると、政府が『交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むもの』と定義し、『自衛権の行使』による『相手国兵力の殺傷と破壊』は可能だと説明した上で、『相手国の領土の占領』の否定をわざわざ『交戦権』に関する解釈で持ち出されること自体がおかしなものであるということになる。なぜならば、『相手国の領土の占領』が否定されるのは、『自衛のための必要最小限度(旧三要件)』による制約によるものでしかないことになるからである。)

 ただ、この説明においても、国際法上の「自衛権」という『権利(right)』の中の「交戦権」の部分が取り除かれたところで、「自衛行動権」の範囲を制約する基準は9条1項の「国際紛争を解決する手段として」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」と、9条2項前段の「陸海空軍その他の戦力」である。日本国が有することとなる他国より小さい「自衛権」の範囲を超える「武力の行使」を行ったところで、国際機関は日本国の行使した「武力の行使」が国際法上の違法性阻却事由である「自衛権」にあたるか否かを決する基準は、他国と同様の「交戦権」が取り除かれる以前の大きな「自衛権」の範囲内かどうかである。

 日本国が憲法上の理由から自国に対して適用される国際法上の「自衛権」の範囲が他国よりも小さいと独自に主張しても、国際機関が国際法上の違法性の責任を日本国に対して問う場合は、日本国憲法ではなく国際法を適用することになるのであるから、日本独自の主張は退けられるのである。この結果、結局「交戦権」の文字は、何ら法的な拘束力を有することはない無意味な規定となってしまうのである。

 

 「交戦権」が「自衛権」の概念を直接制約していると考える場合、下記の政府答弁や砂川判決と整合性がなくなる。

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○大村国務大臣 ただいまお尋ねになりました点につきまして、政府の見解をあらためて申し述べます。
 第一に、憲法は自衛権を否定していない自衛権は国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である。憲法はこれを否定していない。従つて現行憲法のもとで、わが国が自衛権を持つていることはきわめて明白である。
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第21回国会 衆議院 予算委員会 第2号 昭和29年12月22日


砂川判決(抜粋)
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かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。
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 このように、政府の主張は、法解釈として妥当とは言えないように見受けられる。



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○真田説明員 先ほど申しましたように、日本の憲法で認められているわが国の実力行使は、自衛のために必要最小限度の実力行使なんで、したがいまして、海外まで押し寄せていくとか、外国の領土を占領するとかいうようなことはできない、そういう枠があるわけなんですね。その枠の中だけの実力行使はできる。したがいまして、いまの枠に抵触しない範囲の行為、たとえば外国が日本の領土に侵略して上陸してきたそれを排除するために物を破壊し敵の兵隊を殺すというようなことは当然できるわけなんですが、ただ、いま申しましたようないろいろな制約があるわけですから、そこで交戦権という言葉は使わない。しかし、自衛のために必要な最小限度の実力行使自衛権の行使そのものですから、それは否定されておらないということになるわけなんです。
 安保条約の五条を発動した場合のことをいまおっしゃいましたけれども、おっしゃるとおりなんで、共同して対処するわけなんですが、わが国の自衛隊は、いま申しました憲法上の制約がありますから、アメリカ軍が何にもそういう制約のない形で対処する場合とは対処の仕方は若干違います。違いますが、しかし、いまの戦時国際法上、では自衛隊の行う行為については国際法は無縁かと言えば、それはそうじゃないのであって、国際法上の交戦国としての待遇は日本の自衛隊だって受けるし、また、義務は守らなければならぬと思います。それは名前はわれわれは自衛行動権と言っておりますけれども、国際法の上から見れば、それはやはり普通の交戦国がやることと大体似たようなことを国内ではやるわけです。ただ、先ほど申しましたように制約がありますから、非常に制限を受けておって、したがいまして、これを交戦権という名前で呼ぶことははなはだ誤解を招くということで、われわれは使わない、こういう関係でございます。
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第84回国会 衆議院 内閣委員会 第27号 昭和53年8月16日

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○説明員(真田秀夫君) きのうの受田委員に対する私の答弁ぶりについての御指摘だろうと思いますが、ちょうどいい機会だから一言補足させていただきますが、私の発言に関しましてどうも誤解を与えたきらいがあります。それから現に、けさのある新聞では大変誤解に満ちた記事が載っております。
 で、私の真意は、受田さんとのやりとりよくごらんいただければおわかり願えると思うんですが、私の真意は、結局、日本の憲法九条の規定もありますけれども、日本の憲法九条のもとにおいても自衛権はまあまあ認められると、これは大体異論のないところなんですね。したがいまして、自衛権があるのに、ただ権利があるあると言ったってこれは始まらないんであって、自衛のために必要な最小限度実力部隊組織、つまり自衛力は持てると。また、その自衛権を行使する場合の活動の根拠になる、法律的な評価をすれば権原ですね、それは自衛活動、自衛行動権といいますか、自衛活動権としてこれまた放棄したものでないと。で、一方憲法の九条の二項の後段で交戦権は否認すると言っておりますから、したがいまして、その伝統的な国際法に言う戦争の、戦闘行為といいますか、それを合法化するための権原としての交戦権は、これはもうないというふうにわれわれ見ているんです、否認されていると。ただ受田先生が、交戦権がないと国際法上の戦時国際法の適用はないんじゃないかとかいうふうにおっしゃいましたので、それの誤解を明らかにするために、また現象的には国内で戦闘行為が行われれば、そこで敵の装備、兵器を破壊するとか、敵の兵隊といいますか、人員を殺傷するというようなことも許されるわけですから、それができなきゃ自衛権の行使ができませんから、で、そういうことは国際法上の交戦権の中身にも入っております。ですから、現象的には非常に似ている面がありますから、それでそういう点をとらえまして受田先生が、それじゃ事実上交戦権が非常に制約されたものがあると言ってもいいんですかということをおっしゃいましたから、だからそういう、私がいま先ほど申しましたような、いわゆる第二項で言っている交戦権と、それから自衛行動権との違いがありますよと、そういうことをよく御承知の上でおっしゃっているんだろうということを念を押しまして、それで、それはそうおっしゃって御理解になっても実態は変わらぬということで、それでああいうお答えをしたわけでございまして、私の真意は、やはり前から政府が言っていますように、交戦権は否認していると、しかしその自衛行動権はあるよということなんです。それを、自衛の範囲ならば交戦権があるというふうに端的に言われますと、やはり非常に誤解を与えることになりますので、その点も実は昨日受田先生には私から繰り返し述べておったわけでございまして、どうぞそういう誤解のないようにひとつお聞き取りを願いたいと思います。
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第84回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第2号 昭和53年8月17日

 「権原としての交戦権は、これはもうないというふうにわれわれ見ているんです、否認されている」との記載があるが、『権原』の文字は『権限』の誤りと思われる。法律上の意味で『権原』の文字も存在するが、ここでは『権限』の方が適切と思われる。

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○角田(禮)政府委員 結局御質問は、自衛権を認めている前提において交戦権の禁止等がどういう関係に立つかという御質問だろうと思います。
 この点につきましては、私どもはずっと前から一つの見解を絶えず申し上げているわけでございますが、結局交戦権というのは、いわゆる戦いを交える権利という意味ではなくて、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であるというふうに解しております。たとえば相手国兵力の殺傷及び破壊とか相手国領土の占領とか、そこにおける占領行政とか中立国船舶の臨検をやるとか敵性船舶の拿捕をやるとか、そういうような権能を含むものであります。
 一方、私どもは自衛権というものを認めている立場でございますから、その自衛権の行使そのものとして必要最小限度の実力を行使するということは、当然主権国家としてそれを持っている、したがって、そういうものはいわゆる交戦権の行使とは別のものであるというふうに理解しております。したがいまして私どもの理解に従って言えば、相手国領土における占領行政をやるとか中立国の船舶の臨検をやるとか、そういうことはできないわけでありますが、現実に戦闘に伴って、それを自衛行動権と言うかどうかは別として、必要な自衛行動をする権限というものは当然認められているというふうに解しております。


○稲葉委員 そうすると、自衛権は認める立場に立つと、交戦権はこれを認めないということは書いてあるけれども、それはきわめて限定的にしか意味を持たない、こういうふうな理解の仕方にならざるを得ない、こういうことでしょうか。


○角田(禮)政府委員 限定的な意味というわけではございませんで、いわゆる交戦権というのは私どもは全面的に持っていない、その反面、自衛権に基づく実力行使の自衛行動権というものは別に持っている、こういうわけで、結果として、こちらは持ってないがこちらは持っているということで、両方比較しますと、直接戦闘をやって相手方を殺すとか、そういうことを中心として考えれば、そういうものは持っているということになるわけであります。

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第93回国会 衆議院 法務委員会 第7号 昭和55年11月26日


 ここでは、「交戦権」について「権能を含むもの」と、『権能(power)』で説明されている。政府の答弁には一貫性がない。

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○角田(禮)政府委員 先ほども申し上げましたけれども、私は、交戦権の行使として認められている中立国船舶の臨検というものが、そのままの形で自衛権の行使として認められるというような答弁をしたわけではございません。
 お言葉を返すようでございますが、交戦権の行使の例として、交戦権の内容の例として、たとえば敵国兵力の殺傷、破壊というようなものが挙げられておりますけれども、同時に、自衛権の内容として、自衛権に基づく、たとえば自衛行動権という名前をつけるならば、その自衛行動権の内容として、敵国兵力の殺傷とか破壊というものができるわけであります。しかも、自衛権として行う場合には、やはりその場合でも交戦権として行える範囲とは必ずしも一致しないと思います。たとえば海外派兵などは私どもはできませんし、それからまた、B52で敵国の領土に対して壊滅的な打撃を与えるというようなこともできないわけでございます。したがいまして、単純に言葉を比較して、交戦権の行使として挙げられているものが、そのままの形でできるとは申しませんが、単純な言葉の比較で、自衛権の行使としてできないということにはならないと思います。現にそういう趣旨の答弁は、かつて佐藤内閣法制局長官当時にも、理論的にはそういう可能性があるという答弁をしております。
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第94回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第4号 昭和56年4月20日

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○味村政府委員 これは憲法の解釈から申し上げるわけでございますけれども、憲法の九条二項では、わが国につきましては交戦権は否認されておりますが、われわれは、自衛のために必要な行動をする権利、自衛行動権というのは持っているのだというふうに理解をいたしておるわけでございます。その場合の自衛行動権というのは、やはり武力の行使を中心とする概念でございます。そしてその武力の行使というのは、もちろんわが国による武力の行使でございます。わが国が武力を行使するということ、これが自衛の範囲にとどまるのだというのが憲法の九条の要請しているところである、このように考えているところでございます。
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第98回国会 衆議院 内閣委員会 第2号 昭和58年3月3日


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○平野達男君 私の聞きたかったのは、かつて内閣法制局の答弁の中に、自衛行動と自衛行動権という言葉使って、自衛行動というのは要するに武力の行使のことを言っているんです。自衛行動権の中でいわゆる停船検査みたいなことを、ここで概念を分けているんですね。
 それで、ここでももう一回繰り返しますけれども、自衛権の行使に伴い実施する措置ですから、じゃ、そもそもここで言う自衛権の行使というのは一体何だということなんですが、これは何になるんですか。

○国務大臣(石破茂君) それは、自衛行動権という言葉でもそれはよかったんだろうと思います、実は。ただ、その自衛行動権をじゃ英語に訳したら一体どうなるのというと、非常に妙なことが起こりまして、自衛権行使そのものではないんだということは言いたい、それがその自衛行動権という言葉にしたことの含意なのだろうと、こう私は思っていますが、そこで、自衛行動権というような一つの権利としてそういうものを編み出すべきなのか、それが国際法的にこう通るのかねということを考えましたときに、そういう概念を何となくクリエートするような感じよりは、自衛権の行使に伴う措置といった方がより実際には近似するのではないかという考え方をいたしております。

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第159回国会 参議院 イラク人道復興支援活動等及び武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第14号 平成16年6月2日

 ここでは、「自衛行動権というような一つの権利としてそういうものを編み出すべきなのか」として「権利」で表現されているが、「自衛行動権」は日本国の統治権の『権限(power)』による行為なので、「権限」の誤りと思われる。
 また、「自衛行動権」は、結局「自衛権の行使に伴う措置」、「自衛のための措置(自衛の措置)」とほぼ同一概念と思われる。これは統治権の『権限(power)』の側面に着目した言葉として一貫性があるからである。

 ただ、砂川判決の示した「自衛のための措置(自衛の措置)」は「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」や「他国に安全保障を求めること」も含んでおり、この措置を行うのは内閣の条約締結だけでなく国会の承認も含まれているため、行政権に限らず、立法権による措置も含むと考えられる。そうなると、「自衛行動権」とはいかにも行政権による措置と思われるため、「自衛のための措置(自衛の措置)」とは区別されるべきなのかもしれない。

 


<メモ>


Q 「交戦権」の文言は、国際法に対して違憲審査を行おうとする規定なのか。
Q 「交戦権」の文言は、日本国の統治権に対する制約ではないのか。
Q 9条の「日本国民」は、日本国の「統治権」を制約している。しかし、9条は国際法上において日本国が適用を受ける地位を有する『権利(right)』を制約するものではないと考えられる。
Q なぜ憲法上「交戦権」という文言だけが、国際法上の『権利(right)』に対して制約を行うことになるのか。
Q 「交戦する権利」ではなく、「交戦するための権限(交戦権限)」という『権力・権限・権能(power)』意味で読むことが妥当ではないか。
Q 交戦権(Belligerent Rights)ではなく、交戦権(Belligerent Power)と訳すべきではないか。

Q 政府は「交戦権」を

「伝統的な戦時国際法における交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」と定義するのではなく、
「伝統的な戦時国際法における交戦国が国際法上有する種々の権利『を行使するための権能』の総称」と定義し直した方がいいのではないか。