「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を容認しようとした2014年7月1日閣議決定や、その閣議決定を基にした安保法の「集団的自衛権の行使」としての「存立危機事態」での「武力の行使」は、通常の法論理から考えて極めて違憲性の強いものである。そのため、実際に「集団的自衛権の行使」としての「存立危機事態」での「武力の行使」に関わる事件が起きた場合には裁判所によって憲法判断がなされ、違憲判決が下される可能性が高い。
ただ、裁判所は「具体的な事件が起きた際にしか裁判を行わない」という付随的違憲審査制をとっている。そのため、具体的な事件が起きていない現在は、「集団的自衛権の行使」を容認しようとした2014年7月1日閣議決定や安保法制は裁判所によって違憲審査を受け付けてもらえない状態にある。
もし具体的な事件が起きて実際に裁判所による違憲審査がなされる前に、自衛隊を憲法中に明記する憲法改正が国会で発議され、国民投票にかけられ、その結果が過半数を超えたとする。すると、自衛隊が憲法組織へと格上げされることになる。ただ、この加憲は、現在の安保法制下の「『集団的自衛権の行使』としての「武力の行使」を実施する組織としての自衛隊」の存在を、国民投票によって国民が追認したことになりうる。
すると、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や「存立危機事態」での「武力の行使」は法論理的には明確に9条に抵触して違憲となると考えられるものであるが、国民投票による過半数の国民の追認という効果によって正当化がなされたような印象を持つ可能性がある。そうなると、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や「存立危機事態」での「武力の行使」に関する具体的事件が起きて裁判所で憲法判断をする際にも、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」についての違憲性を指摘し追及することが非常に困難な状況になる恐れがある。
これは、自衛隊の加憲案が国民投票という政治的過程を通って承認されたことにより、裁判所が「国の統治の基本に関わる高度に政治的な問題については、たとえ裁判所での法解釈が可能であっても、民主制の過程を経た国民の判断を尊重するために、裁判所での憲法判断を行わない」という『統治行為論』を使って、憲法判断を回避する可能性を高めるからである。
このようなことから、「憲法中に自衛隊を明記するかどうか」を問われる国民投票は、「『集団的自衛権の行使』としての『武力の行使』を実施する自衛隊の存在を追認するかどうか」というものになってしまうのである。
これは、「自衛隊の存在は認めても、9条の精神を守りたい」と考える人や、「自衛のための自衛隊であるべき」と考える人、「『個別的自衛権の行使』としての『武力の行使』の範囲内での自衛隊であるべき」と考えている人にとって、「『個別的自衛権の行使』としての『武力の行使』だけを実施する自衛隊」という意思を示す場が残されないままに加憲が行われてしまうものとなる。
現政権は、現政権下で「『集団的自衛権の行使』としての『武力の行使』を実施する自衛隊」へと変容させたことによって高まってしまった違憲性を何とか払拭するために、「自衛隊」という存在を憲法中に明記することだけを国民投票で訴えかけようとしている。しかし、その本質は単なる「自衛隊の合憲化」ではなく、「『集団的自衛権の行使』としての『武力の行使』を実施する自衛隊の存在を合憲化するもの」であるというのは、やり方としてどうも違っていると感じる人が多いのではないだろうか。
自衛隊の存在を憲法中に書き込んでも構わないと考える人は、「『集団的自衛権の行使』としての『武力の行使』の合憲化」につながる可能性を十分に検討した上で判断を行うべきである。
まとめ
〇 国民はまず、
① 「自衛隊の存在を認めない」
② 「『個別的自衛権の行使』としての『武力の行使』だけを行う自衛隊の存在を認める」
③ 「『集団的自衛権の行使』としての『武力の行使』を含む自衛隊の存在を認める」
④ 「(自衛隊を軍隊にする)」
のどれかを明確にする必要がある。
〇 そして、現在の安保法制の下では、国民投票によって自衛隊の存在を明記した場合、現状の追認を意味することから、③の「『集団的自衛権の行使』としての『武力の行使』を含む自衛隊の存在を認める』という判断を示すことになる」ということを知っておく必要がある。
自衛隊の違憲性が向上していく様子を記載する。基準は違憲度の指標を参考にしてほしい。
自衛隊の違憲度の向上
〇 憲法の誕生(平和憲法、戦争の放棄、9条の歯止め)
違憲度 < なし >
↓
〇 自衛隊の発足(この時に『自衛隊違憲説』も確かにあった)
違憲度 <★ >
↓
〇 政府解釈「自衛のための必要最小限度の範囲の実力組織」ならば合憲とする(個別的自衛権の行使のみ)
違憲度 <★ >
↓
〇 敵基地攻撃能力はないものの自衛隊が近代的な装備体系へと徐々に強化される
違憲度 <★★ >
↓
〇 自衛隊の「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を容認する閣議決定 ←現政権
違憲度 <★★★★★ >
↓
〇 自衛隊の「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を含む安保法の成立 ←現政権
違憲度 <★★★★★ >
↓
〇 与党総裁(現総理大臣)「自衛隊は違憲の疑いがあるという人もいる。憲法に自衛隊を明記して合憲化するべき(2017年5月3日)」 ←現政権
現政権は「違憲の疑いをかけられている自衛隊」を合憲化するために加憲することを提案し始めた。しかし、そもそも自衛隊を違憲の疑いをかけられてしまう組織にした最大の要因は、現政権の「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」の容認である。
現政権下、現法制下で自衛隊の存在を加憲すると、国民は国民投票によって「『個別的自衛権の行使』としての『武力の行使』だけを行う自衛隊」ではなく、「『集団的自衛権の行使』としての『武力の行使』を行う自衛隊」の存在を追認したことになりうる。すると、具体的事件が起きて裁判所でその紛争を取り扱った際も、裁判所は「自衛隊は『個別的自衛権の行使』としての『武力の行使』のみである」とする憲法判断を下しづらくなることが考えられる。なぜならば、国民投票の後になると、裁判所は「高度に政治性を有する問題は、司法判断が可能である事柄でも、一見極めて明白に違憲と認められるもの以外は、民主制の過程を経ていない裁判所が判断するのは適当でなく、裁判所で判断できる範囲を超える」などという『統治行為論』をとる可能性が高まるからである。こうなると、現在であれば裁判所で「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」について憲法判断がなされた際、「一見極めて明白に違憲と認められる」として違憲判決が下される可能性は十分に高いが、国民投票による自衛隊の加憲の影響によって、裁判所は違憲判断を出せなくなる可能性が高まるのである。
日本が人権保障のための法論理によって正しく統治される「法の支配」、「法治主義」の精神を貫徹するならば、国民投票によって「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が合憲化されるような状況になる前に、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を容認しようとした2014年7月1日閣議決定と、安保法のそれらの条項について違憲審査がなされることが望ましい。しかし、付随的違憲審査制をとる日本の司法制度の下においては、具体的な事件が起きてからでないと裁判所に司法審査の対象として事件を受け取ってもらうことができない。しかし、ここでいう具体的事件とは、既に「武力の行使」が行われた後となってしまうのであり、ほとんどの場合、戦死者が出てからやっと司法審査がなされるという状態になると想定される。これを予防的に司法審査することができないため、司法任せの違憲判断に頼ることはできない。そのため、司法判断以前の、国民による十分に合理的で妥当な法的判断や、国会による高い見識を持った正確な法的判断、行政府自身によるつじつまの合った普通の法的判断が求められるのである。
違憲度の指標の基準
〇 「完全な敵地攻撃能力を備えます!」
違憲度 <★★★★★★>
〇 「軍隊を持ちます!」
違憲度 <★★★★★★>
〇 「戦争します!」
違憲度 <★★★★★★>
<理解の補強>
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改憲で国家組織・国民生活は激変する 自衛隊を「違憲」にしたのは安倍政権。集団的自衛権の違憲性を国民に問うべきだ 2019年11月26日
現在の国民投票の制度では、恐らく憲法審査会と国会の本会議で発議された一つの改正案に対して、国民は「賛成」「反対」の二択のうち一つを選んで投じることしか想定されていないと思われる。すると、国民の意思が正しく反映されないばかりか、通常の論理解釈から導かれる法的な一貫性も損なわれたままに、政治戦略で強引に押し通されてしまうことが考えられる。
そのため、「賛成」「反対」という二択の国民投票をやめた方がいいのではないだろうか。また、急に憲法改正の国民投票をするのではなく、衆議院・参議院選挙の際に、同時に下記のようないくつかの選択肢が設けられた「アンケート投票」を実施し、ステップを踏むのはどうだろうか。
アンケート投票の投票用紙
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問1 あなたは、どの案に賛成ですか。
□ ① 自衛隊は現状の法律規定のままでよいので改正しない
□ ② 自衛隊の存在を認めない
□ ③ 個別的自衛権の行使のみの自衛隊を認める
□ ④ 集団的自衛権の行使を含む自衛隊を認める(そもそも戦力になり、自衛隊ではないともいえる)
□ ⑤ 自衛隊ではなく国防軍を創設する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
このような選択肢を用意した用紙でアンケート投票を行うと、国民の意見を正確に取り入れることが可能となると思われる。すると、実際の憲法改正案をつくる際にも国民の意見を正確に集約・反映した条文案をつくることが可能となるはずである。その後、そのアンケート投票に合わせた改憲案を発議し、憲法改正の国民投票にかけるのである。国民に広く受け入れられる良質な憲法をつくるためには、急に決めるのではなく、そのようなステップを踏んでいくことが大切ではないだろうか。
<理解の補強>
「護憲」「改憲」の二元論を超えて 橋下徹 木村草太 2018/11/26
完全放棄 | 個別的自衛権 | 限定的集団的自衛権 | 集団的自衛権 | 侵略戦争 | |
なし※ |
〇 | × | × | × | × |
警察予備隊 | ? | ? | × | × | × |
保安隊 | ? | ? | × | × | × |
自衛隊(9条+13条の根拠)★ |
× | 〇 | △1 | × | × |
国防軍(9条2項削除) |
× | 〇 | 〇 | 〇 | △2 |
軍(9条削除) |
× | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
※ 実力組織を保持しないとしても、外国から攻めてきた軍隊などの違法な武力組織は、国内への具体的な侵略があった際、法制度上、刑法犯として警察力によって対応することが可能である。また、一般人も一人ひとりが刑法36条の正当防衛による実力行使を行うことが可能である。よって、その行為の違法性は阻却される。実力組織が存在しないからといって、直ちに自らの人権を放棄するという意味にはならないと考えられる。ただ、ミサイル防衛システムなどの装備は通常の警察力を越えるため、保有できないことが考えられる。(国内の治安を守るためであれば、国内の治安情勢を想定した上で、警察力でも保有が可能かもしれない。そこまで来ると、現在の自衛隊も警察力の範囲ともいえるかもしれない。そこに明確な線引きは存在しないと思われる。)
△1 自衛隊の行う「集団的自衛権の行使」としての「存立危機事態」での「武力の行使」(日本独自に限定的な集団的自衛権の行使と呼んでいるもの)については、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称している部分も同様)の枠を逸脱しており、9条に抵触して違憲である。また、新三要件の「存立危機事態」に基づく「他国に対する武力攻撃」を「排除」するための「武力の行使」については、13条の「国民の権利」を保障する趣旨によって根拠づけることもできないことから、9条に抵触して違憲となる。
△2 『自国防衛』や『他国防衛』のための海外派兵や限定的な侵略戦争、他国への体制干渉や戦後の一時的な統治などが含まれる可能性がある。それ以前に「集団的自衛権の行使」などで参戦してしまった戦闘の戦火によって日本国が消滅している可能性も想定しておきたい。
★ 自衛隊は、9条の制約に対して13条の「国民の権利」の保障の趣旨を踏まえることで設立された組織である。そのため、9条2項前段の「陸海空軍その他の戦力」の文言が失われたならば、武力組織に対する規制の歯止めはなくなり、自衛隊は法律改正によって「国防軍」と同じ組織になり得る状態に置かれることとなる。つまり、9条2項によって歯止めをかけられた存在であるからこそ、自衛隊という形が存在しているのである。9条2項を削除・改正した場合、自衛隊は本質的に自衛隊ではなくなり、国防軍と同質の存在となってしまうことに注目しておく必要がある。
注意:「『国防軍』という名前だけで戦略守勢(専守防衛)に徹していることを意味するものではない。(国防軍 Wikipedia)」との記述もあるため、「国防軍」の名称には気を付けたい。実質を見抜くことが大切である。
<第2章 戦争の放棄>
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
<第3章 国民の権利及び義務>
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
国際紛争を解決する手段として | 陸海空軍その他の戦力 | 交戦権 | 13条 | ||
戦争 | 武力による威嚇又は武力の行使 | ||||
現行 9条 ※1 |
× | × | × | × | 〇 |
9条1項のみ削除 ※2 |
〇 | 〇 | × | × | 〇 |
9条2項のみ削除 (国防軍) |
× | × | 〇 | 〇 | 〇 |
9条をすべて削除 (軍) |
〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
〇 可能
× 不可能
※1 9条で「武力の行使」を一般に禁止しているように見えるが、13条の「国民の権利」の趣旨を踏まえると、「武力の行使」を行うことができる場合があると解するものである。
※2 9条1項には「永久にこれを放棄する。」の文言がある。そのため、9条1項は改正の限界を超えるとする説も有力である。また、2項前段には「前項の目的を達するため」という文言がある。このことから、2項の規定は1項に依存する形で存在しており、1項のみを改正あるいは削除することは不可能とも考えられる。
禁止規定である9条に自衛隊や国防軍を明記する案であるが、そもそも9条の配置された第二章「戦争の放棄」の章に相いれないものである。9条2項の削除や9条全体の削除がなされた際、禁止規定が失われることから、国防軍や軍の設置が法律上合憲的に可能となるだけである。9条はもともと、積極的に「自衛隊」や「国防軍」、「軍」などという文言を配置するべき趣旨の規定としてつくられていないのである。
憲法に自衛隊を書き込むことで、「『自衛隊が違憲である』との批判から逃れることができ、自衛隊の正当性が強化される」との意見がある。しかし、その正当性は憲法の正当性に頼った考え方である。安易な自衛隊の明記を試みる憲法改正によって、憲法体系が乱れ、整合性や安定性が損なわれてしまったり、学術的に妥当であるという納得感を十分に得られないものとなってしまったならば、憲法そのものの正当性の質が下がってしまうことを理解する必要があるだろう。
なぜならば、法の正当性は、単に憲法や法律などの法の上下関係によってその権威や正当性の確からしさが決まるわけではないからである。法に権威が生み出される原因となっているものは、その社会を構成する人々の間に、法原理が綿密な正当性を根拠として学術的につくり込まれていることが理解され、その洗練された法の仕組みに対する高い信頼が広く行き渡っていることによるものである。そのため、安易な内容で改憲を行ってしまうことは、人々の信頼によって成り立っている『法』それ自体の正当性や権威を揺るがしてしまいかねないのである。
その社会を構成する法秩序が、これらによって信頼を失った場合、人々の意識を法に結びつける求心力が失われ、法の支配が成り立たなくなってしまう恐れがある。すると、力を持った人間が乱暴な力を行使しても、法によってその行為を是正することができなくなり、「力による支配」がまかり通る乱暴な社会を招いてしまうことに繋がるのである。
このような、人々の信頼によって成り立つ「法の効力」それ自体を失わせてしまうような憲法改正は、何としても避けなけれはばならないだろう。
もし、「憲法改正手続きの国民投票で多数を経てたならば、何もかもが正当化される」と考えるのであれば、自衛隊明記に留まらず、「自民党」などの多数派の政党を三権に超越する機関として憲法中に明記する案が出てきてもおかしくないだろう。
中国は、共産党の一党独裁であり、憲法に優越する党の規定によって運営されているようである。そのように、「国民投票の過程を経たならばどのような改正も可能である」と考えるならば、憲法によって正当性を強化するために、政党組織を書き込むことも当然になされるようになるはずである。
憲法への自衛隊明記を考える場合、このような憲法の役割や存在が一体何なのかということに対して十分な理解を必要とするのである。これを安易な改正を行ってしまうことは、憲法原理を守り、人権保障を確かに実現し続けていくためには害が大きいのである。
こういった問題を防ぐために、憲法は「硬性憲法」として定められ、多数派の安易な判断を信用していないのである。自衛隊明記によって自衛隊組織を憲法規定へと昇格させることで行う正当化行為は、多数派の際限なき憲法改正を招き、憲法原理を破壊してしまいかねない問題なのである。
「自衛隊は違憲である」という主張を封じるために、憲法中に自衛隊を明記してお墨付きを与えるように改憲するというのは、そもそも自衛隊が違憲であると自分でも怪しく思っている証拠ではないだろうか。この状態では、「自衛隊を加憲しなければいけない」と主張すれば主張するほど、あたかも自衛隊が違憲であることが当然であるかのような印象を与えてしまうこととなる。これは政治の空気によって、自衛隊の根拠となっている法論理が揺るがされてしまうような状況にあるのである。
法論理とは、多数派の空気に惑わされずに物事の道理を突き詰めれば誰もが必ず行き着く認識基盤を基にして成り立つべきものとして社会の基盤に構成されるべくものである。これを「根拠不明瞭であるのかどうか」というのは、政治的な空気ではなく、法的思考によって考えなくてはならないはずのものである。「法は空気を読まない。」ということを改めて確認し、9条の下でも自衛隊が合憲であるという論拠を再調査し、現在の合憲論拠として明確に示すことが、自衛隊の存立を確かなものとして確立することに繋がるだろうと思われる。
「自衛隊は合憲である」という論拠をより確かなものとして改めて示し直すことが、憲法中に自衛隊を明記することよりも現実的な選択ではないだろうか。その法論理に自信を持てるかどうかの問題である。自衛隊加憲論者は、自衛隊の存在に対して自信がない面があると思われる。ここは惑わされることなく、法論理に従って、現在の自衛隊の根拠を明快となるまで確認することが大切ではないかと思われる。
自衛隊の憲法中への明記は、自衛隊の位置づけを明らかにし、違憲の疑いをかけられてしまう批判を受けないようにするための唯一の解決策と思い込む必要はない。選択肢は多様にある。
確かにそのような手段も考え得るかもしれないが、より妥当な憲法理解を会得することが大切であると思われる。そして、その確かな理解こそが、より強固で、より人権保障に適した、より国民のためになる、より明確な憲法を創造することに繋がり、より良い自衛隊などの自衛組織のあり方をつくり上げていく力となるのである。それこそが、確かな信頼を勝ち得るような、人々の望む国家の姿をつくり上げていくことに繋がると思われる。
幅広い選択肢の中から、すべての国民の意識に負担なく応え、法への信頼によって生まれる確かな効力基盤を、人々の心の中に生み出していくような法論理を整えることが望ましいと言えるだろう。
憲法中に「自衛隊」や「自衛の措置」に関わる規定を設ける場合の論点を明らかにしていく。
第二章「戦争の放棄」の9条は総則的規定
〇 9条は憲法の【人権規定】や【統治規定】に影響を及ぼす総則的な意味合いの強い規定である。
〇 9条は立法の試案および原案の段階で、当初前文の中に置かれていたことからも、総則的な意味合いが強い規定である。
〇 第二章「戦争の放棄」の9条の規定は、第五章「内閣」の行政権だけでなく、第一章「天皇」の統帥権(明治憲法に存在していた)、第四章「国会」の立法権、第六章「司法」の裁判所の司法権、第七章「財政」の国会や内閣の財政に関する権限、第八章「地方自治」の地方自治の準立法作用(条例制定)や行政作用にも規定の効力が及ぶ。
〇 9条は自衛隊のような実力組織だけでなく、警察組織や海上保安庁などの実力組織が国際紛争を解決する手段として「国権の発動たる戦争」や「武力による威嚇」、「武力の行使」をすることも当然に禁止している。
〇 憲法の【総則】の意味を持つ第二章「戦争の放棄」の9条の規定に、内閣の下で活動する行政機関の一つである自衛隊を書き込むのは疑問。
章の名称との不一致
〇 「戦争の放棄」を謳った章の中に、自衛隊を明記するというのは、章の名称が通常想定している内容ではない。
〇 憲法9条に自衛隊を書き込んだとしたら、それは9条の歯止めの規定が自衛隊のみを対象としたものであるかのような規定へと変質してしまう。
〇 戦争や武力行使などについて触れる9条の規定に自衛隊の規定を組み入れた場合、自衛隊を「国防任務」を主とした組織(これを軍ともいう)に完全に変容させることになる。
三権分立の統治の原理の破壊
〇 行政機関の一つである自衛隊だけを特別扱いとし、「立法」「行政」「司法」の三権分立を規定した章の外に配置するというのは、憲法の体系から見ても違和感がある。
〇 憲法が統治規定の三権を「第四章 国会」「第五章 内閣」「第六章 司法」と章を分けて配置した意図を損なわせてしまい、「章」として区切られた区分とは何だったのか分からなくなってしまう。
〇 憲法中に三権分立の三権の機関以外の組織を書き込むと、そこに権力が集中し、国民の人権保障を疎かにする危険がある。
〇 憲法中に第四権力を生み出すものとなってしまう。
〇 自衛隊を会計検査院と同じような三権から独立した特殊な組織のような印象を与える配置にするべきではない。
〇 憲法体系に散りばめられた憲法保障の意図に乱れが生じる。
自衛隊や自衛の権限の根拠となる規定
〇 前文「平和的生存権」 ⇒ 憲法理念や憲法体系の意味解釈を導くもの
〇 13条「生命権、自由権、幸福追求権利」 ⇒ 実力組織の設立根拠となる『目的』の規定
〇 65条「行政権」 ⇒ 実力組織の権限行使の根拠となる『手段』の規定
〇 9条「戦争、武力、戦力、交戦権の制限」 ⇒ 実力組織やその権限に制限を加える『限度』の規定
第五章「内閣」の章での対応の検討
〇 自衛隊は、「内閣」の章に配置するべきか。
〇 三権分立の統治規定の外に独立した規定を置くわけではないので、国会や裁判所の監視・抑制の機能も当然に働くように統制できるはず。
〇 今までのように65条の行政権に含まれるため、憲法の統治に関わる既定の体系を乱すことはない。
〇 防衛省・自衛隊の見解でも、「国の防衛に関する事務は、一般行政事務として、内閣の行政権に完全に属しており」として、その趣旨を読み取ることができる。
〇 「内閣」の章に自衛隊の規定を配置する案を取るにしても「戦力(9条2項)」との整合性をどうするかは検討の余地がある。
〇 他の行政機関を押しのけて自衛隊という行政機関だけを具体的に書き込むことは、憲法の体系が乱れてしまう。
〇 自衛隊明記の問題は、法律と憲法の役割分担の境界線をどこで引くかという、憲法全体に渡るコンセプトに関わる問題である。
〇 第五章「内閣」の章に設けた自衛隊の存在が、三権分立の抑制均衡の作用として「立法権」や「司法権」に対する圧力として働いてしまい、行政権の過剰な権力拡大を招いてしまうこととならないかどうか検討する必要がある。
第三章「国民の権利及び義務」の章での対応の検討
〇 自衛・防衛関係について、国の組織や権限を書き込むのではなく、「国民の権利」を明記することで対応するのはどうか。
〇 現在の政府解釈の自衛隊の根拠となる規定である13条を拡大し、13条2項に国民の権利としての「平和的生存権」や国の「自衛権」や「防衛関係」の規定を明記する加憲がより妥当な方法ではないか。
〇 13条2項に国民が「外国等からの脅威から保護される権利」を有することを書き込めばいいのではないか。
〇 13条2項に前文にもある、「平和的生存権」の言葉を使うのはどうだろうか。
〇 13条2項に「国に対する義務規定」とするのはどうだろうか。
「自衛隊」の用語の検討
〇 憲法中への自衛隊明記は、自衛隊は防衛省の「特別の機関」であり、上級行政機関と下級行政機関の関係性が乱れる。
〇 憲法中への自衛隊明記は、内閣(合議制の意思決定機関)、内閣総理大臣、防衛大臣、防衛省職員、統合幕僚監部、統合幕僚長の上下関係が乱れる。
〇 自衛隊が内閣の指揮下に存在することが不明確となる可能性がある。
〇 9条への自衛隊明記を検討することは、三権分立の意図として配置された内閣の行政権、国会の立法権、裁判所の違法性・違憲性の審査との関係が乱れる。
〇 9条への自衛隊明記を検討するにしても、自衛隊に加えてシビリアンコントロールの規定を設けるならば、第五章「内閣」の66条2項・3項に既に存在しているシビリアンコントロールの規定と重複する。
〇 シビリアンコントロールは国会と内閣の関係や、第五章「内閣」の66条2項・3項、法律規定にて既に存在している。
〇 具体的なシビリアンコントロールを新たに加憲するとなると、自衛隊を「軍隊」と認めたこととなり、そもそも戦力に該当することから「自衛隊」ではなくなる。
〇 憲法中に書き込んだ自衛隊にシビリアンコントロールを明記したとしても、現在の自衛隊のように法律によって自衛隊以外に新たに設けられる実力組織に対してはシビリアンコントロールが及ばないのかが問題となる。
〇 9条が立法の試案および原案の段階で、当初前文の中に置かれていたことから考えると、9条への自衛隊の加憲は、前文との理念的な一致が乱れる。
「自衛権」の用語の検討
〇 「自衛権」を書き込むべきか。
〇 「自衛権」は国際法上の『権利』の概念であり、これを行使する場合には国内法上の『権限』が必要であり、具体的には『立法権』によってつくられた法律に基づく『行政権』による「武力の行使」等の措置である。
〇 国際法上の「自衛権」の概念を日本の裁判所で審査できるのか疑問があり、国内法上の体系に加えることとが相応しいものであるか検討を要する。
〇 国際法上の概念を持ち込んだ場合、日本国憲法が『国際協調主義』ではなく、完全な『国際法主義』となり、自国の主権さえも国際法の定義変更や学説の変遷によって揺らいでしまう可能性がある。
〇 「自衛権」の文言を使うと、「立法権」「行政権」「司法権」に加えた第四権力となる権限を憲法中に設けることとなってしまうと考えられる。
〇 9条が立法の試案および原案の段階で、当初前文の中に置かれていたことから考えると、9条への自衛権の加憲は、前文との理念的な一致が乱れる。
「自衛の措置」の用語の検討
〇 第五章「内閣」の章の73条に「自衛の措置」の用語で内閣の指揮権を加憲するのはどうか。
〇 「自衛の措置」の文言は、9条の制限の中でも前文と13条の趣旨から最小限度で行使できる措置として政府見解に使われている用語である。
〇 国際法上の概念である「自衛権」の言葉を使っていないことから、国際法を国内法体系の中に組み込むことがないため、日本国内の裁判所で問題なく統制が可能である。
〇 国際法上の概念である「自衛権」の言葉を使っていないことから、国際法の定義変更や解釈変更によって日本の主権(最高独立性)が損なわれることもない。
〇 武力組織・実力組織による「自衛の措置」が想定されることから、9条の下で13条の趣旨から許容されると解される「自衛隊」の組織の合憲性も明確となる。
〇 9条の「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇」「武力の行使」「陸海空軍」「その他の戦力」「国の交戦権」に抵触しない範囲で、13条の「国民の生命権、自由権、幸福追求権」を実現する目的のために、その手段として41条の立法権によって成立した法律に従って、65条の行政権を行使して「自衛の措置」を行うことが可能である。
〇 9条の範囲で、13条の目的のためにその手段として許容される41の立法権による法律と、65条の行政権による法律の執行に関して、76条の司法権によって違法性・違憲性を審査することも可能である。
〇 自衛の措置(防衛出動など)の「国会の承認」について憲法規定としていないことから、資格争訟裁判(55条)や弾劾裁判(65条)などに見られる「憲法の明文上の例外」となる恐れがないことから、裁判所の司法権を行使する対象となり、裁判所による統制が可能であると考えられる。
〇 自衛の措置(防衛出動など)の「国会の承認」について、裁判所において「国会の自由裁量論」や「統治行為論」として判断がなされない可能性は考えられる(現行法でも同じである)。
<理解の補強>
石破氏、憲法改正は「ムードでやっていいもんじゃない」(衆院選2017)「きちんと理詰めでやっていく」2017年10月23日
岸田文雄外相「今、9条改正考えない」と重ねて強調 2017.6.28
岸田外相、9条改憲「今は考えない」 2017年6月28日
「岸田政権」になれば安倍首相悲願の憲法改正棚上げか 2017.8.22
岸田自民政調会長:憲法9条の改正不要との考えは変わらず 2017年9月5日
自民 岸田政調会長 憲法改正で国論二分好ましくない 2017年11月14日
9条に自衛隊明記「意味ある」 岸田氏、首相改憲案支持 2018年1月10日
憲法は、国家が失敗しないための「貼紙」 『月刊Wedge』 木村草太 2017/03/27
「自衛隊に最高の栄誉・規律必要」「両論併記で国民的議論の喚起を」 自民党憲法改正推進本部会合の発言要旨 2017.9.13
自衛隊明記改憲は政権与党にとっていばらの道だ 2017年06月15日
第二章 解釈改憲のからくり その2 ── 憲法前文の平和主義の切り捨て PDF
(第二章 解釈改憲のからくり その2 ── 憲法前文の平和主義の切り捨て PDF)
総選挙では争点にならなかった「憲法改正問題」の論点整理 2017.10.26(木)
いまさら聞けない「憲法9条と自衛隊」~本当に「憲法改正」は必要なのか? 憲法学者・木村草太が現状を読み解く 2016.7.2
憲法改正の論点を探る(下) 自衛隊の明記、法的に困難 井上武史 九州大学准教授 2018/2/7
憲法に自衛隊書くだけでは白紙委任 阪田・元法制局長官 2018年2月7日
(あすを探る 憲法・社会)9条の持論、披露する前に 木村草太 2018年2月22日
(あすを探る 憲法・社会)9条の持論、披露する前に~木村草太 2018-02-22
木村草太教授と読み解く自民党の改憲7案 安保法制を無理に通したツケが回ってきた 2018年3月20日
『シリーズ憲法の論点⑫』自衛権の論点 国立国会図書館 2006年3月 PDF
「憲法第 9 条 特に、自衛隊のイラク派遣並 びに集団的安全保障及び集団的自衛権」 に関する基礎的資料 衆議院憲法調査会事務局 平成16年2月 PDF
いくつかの記事を参考に、自衛隊明記の妥当性について検討する。
〇 憲法の理念性や基本的なコンセプトに関する知識が十分でない者の発想である。
「今、なぜ憲法改正が必要か」 はじめに ~法改正の重要性~ 八木秀次 平成30年3月14日
「9条1項、2項をそのままにして自衛隊を憲法に明記するということですが、自衛隊を憲法に明記しても自衛隊の権限や任務は何も変わらないわけです。」との記載があるが、誤りである。
まず、自衛隊を憲法中に明記した場合、自衛隊が三権分立(権力分立)のバランスに影響を与える機関となり得る。また、三権から独立した機関となる解釈が導かれた際には、三権によってもコントロールができない機関となり、武力組織の暴走を許すことになり得る。
他にも、自衛隊は9条によって制約されているがために、その権限や任務も憲法上の制約の中で行使されるのである。しかし、自衛隊自体を憲法中に明記した場合には、憲法上の制約の及ばない独自の規定となり得ることから、その権限や任務は制約のないものとなり得るのである。つまり、法律の制定によって、あるいは解釈によって権限や任務の幅を拡大することも可能となり得るということである。
「国の防衛に当たる自衛隊の廃止が国会の過半数でできるのです。自衛隊の法的根拠はそれだけ脆弱なものに過ぎないというわけです。」との記載があるが、行政機関は法律によって制定することが憲法の規律密度のコンセプトである。そのため、自衛隊に限らず、海上保安庁や警察組織、消防組織など、あらゆる行政機関は法律によって制定されるのである。かつて存在した警察予備隊や保安隊も、法律によって設置されるのである。これらはすべて重要な機関であるが、廃止してその任務をなくしてしまうことは通常の認識からは到底考えることができない。それぞれの組織は、それぞれに批判を受けながら運営されているが、自衛隊だけが脆弱であるとは評価することはできないはずである。
また、自衛隊などの武力組織は、暴走した場合にはその実力を抑えるためのそれ以上の武力組織が存在しない。そのため、武力組織が暴発した場合、国民の人権保障にとって深刻な危機を招きかねない存在である。そのため、シビリアン・コントロールを徹底する必要があるのであるが、それでもコントロールが効かなかった場合に備え、自衛隊法を廃止して正当性を剥奪するという最終手段を有しておくことが必要となる。これについては、何も武力組織が日本国から失われるわけではなく、「防衛隊法」など、他の組織を設置して防衛力を移行し、シビリアン・コントロールを回復し直すのである。武力組織である性質上、法律規定としておくということそれ自体にも意味があるのである。
「ちなみに国家の重要機関はだいたい憲法にその名前が明記されています。会計検査院まで書いてありますが、自衛隊は書かれていません。」との記載があるが、憲法の機関は三権分立の抑制・均衡のバランスを保つコンセプトによって設置されているものであり、「重要な機関であるから憲法上に設置する」という発想自体が、日本国憲法のコンセプトや規律密度、憲法と法律(憲法付属法)との切り分けに沿わない考え方である。会計検査院については、行政権を持つ内閣からも独立した立場に設置しなければならない機関である性質上、憲法中に書き込まれていると見ることが妥当であり、重要であるからではなく、他の行政機関とは性質が異なるから記載されているのである。論者はこの点の知識を欠いており、単に憲法が法律よりも各上であるという権威性のイメージのみで自衛隊を憲法上に明記しようと考えてしまっているように見える。憲法がなぜ他の法律よりも優越する最高法規性を有しているのか、その根源的な法哲学的基盤を知らず、なぜ権威が権威として存在を保っているのか理解していないように思われる。行政機関の一つを憲法中に明記しようとする発想自体が、憲法のコンセプトを損ない、その憲法が現在保っている権威性の観念を失わせてしまいかねない問題であることに認識が不足していると思われる。
「自衛隊の法的根拠は格段に上がり、確固たる地位が築かれます。」との記載があるが、日本国憲法は大日本帝国憲法からの軍事権のカテゴリカルな消去によってつくられた平和主義に貫かれている。自衛隊を憲法上に明記し、確固たる地位を築こうとすることは、その平和主義の理念や精神の中に自衛隊を組み込むことになることから、自衛隊という存在自体が理念化してしまうことを理解していないように思われる。また、大日本帝国憲法での統帥権干犯問題のように、武力組織が憲法上の確固たる地位を築いてしまうこと自体が、武力組織の意思決定の独断や暴走を招きかねない問題に繋がるのである。日本国憲法は大日本帝国憲法に存在していたこの問題点を修正して立法されているはずであるが、同じようなことを繰り返すことになりかねないように思われる。
「言い換えれば、自衛隊を『廃止する、廃止しない』ということが簡単にできる組織とするのか、簡単にはできない重要な組織と認識するのか、そこを国民に問うわけです。」との記載があるが、何も自衛隊だけが法的に脆弱であると評価する根拠は見出しがたい。警察組織も、消防組織も、他の行政機関も同じく法律によって設置されている。自衛隊のみを殊更に憲法上に明記するということは、自衛隊は他の行政機関とは一線を画する存在とすることになるから、そもそも平和主義の抑制の下に行政機関を設置しようとする発想がなく、9条1項、2項を空文化させようとするものにしかならないと思われる。
「自衛隊はあるものとしてその任務を明記します。」との記載があるが、日本国憲法は「個人の尊厳」を最高価値として人権保障を実現するための法としてつくられた法形式である。97条の実質的最高法規がそれを示している。人権保障の法であるからこそ、その実質的最高法規性が裏付けられるという発想なのである。それにも関わらず、自衛隊の任務などの細々とした事柄を書き込むことは、憲法が人権保障のための法であるというコンセプトが損なわれることになってしまう。なぜならば、「人権保障のための法」ではなく、「防衛のための法」という要素が加わってしまうからである。
憲法には権利章典(人権規定)と統治機構(統治規定)の二つの要素が存在するが、この統治機構とは人権保障に奉仕する機関としての役割を果たすように権力分立を中心に定められるものである。ここに、自衛隊という特定行政機関の任務などを書き込むことは、憲法典自体の役割を逸脱するのである。
「それでは自衛隊法3条と7条の規定を憲法9条のどこに持ってくるかということになりますが、」とあるが、自衛隊法の3条、7条を憲法中に持ち込むことがそもそも憲法典のコンセプトそれ自体を壊すことになってしまうために妥当とは言えない。
「同時に自衛隊だけの問題ではなくて、国民に国防の義務を負わせるという規定も必要だろうと思います。」との発言があるが、徴兵制を考えているのだろうか。また、義務規定を配置することから、国民の自由や権利にも関わる大きな問題を含む提案である。
三権分立について、砂川判決(全文)の「裁判官藤田八郎、同入江俊郎の補足意見」を確認する。
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一、日本国憲法は、立法、行政、司法の三権の分立を確立し、司法権はすべて裁判所の行うところとした(七六条一項)。
また、裁判所法は、裁判所は一切の法律上の争訟を裁判するものと規定し(三条一項)、民事、刑事のみならず行政事件についても、事項を限定せず概括的に司法裁判所の管轄に属するものとせられ、さらに、憲法は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを審査決定する権限を裁判所に与えた(八一条)。これらの結果、国の立法、行政の行為は、それが法律上の争訟となるかぎり、違憲審査を含めて、すべて裁判所の裁判権に服することとなつたのである。これがいわゆる司法権の優位として、司法権に、立法、行政に優越する権力をみとめるものとせられ、日本国憲法の一特徴とされるところである。
しかしながら、司法権の優位にも限度がある。憲法の三権分立の構想において、その根幹を為すものは三権の確たる分立と共に、三権相互のチエツク(check)とバランス(balance)であつて、司法権優位といつても、憲法は決して司法権の万能をみとめたものでないことに深く留意しなければならない。たとえば、直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為は、たとえ、法律上の争訟となる場合においても、従つてこれに対する有効無効の法律判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものといわなければならない。この司法権に対する制約は、結局三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきである。
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憲法中への自衛隊明記は、三権に対する「自衛隊の優位」、「防衛事項の優位」などの解釈が導かれる恐れも考えられる。
〇 「憲法付属法」や行政組織法定主義に関する知識がない者の発想である。
【阿比留瑠比の極言御免】憲法は何度改正してもよい 2018.9.13
「日本同様、敗戦国だったドイツは戦後、憲法に当たる基本法を約60回改正している。」との記載があるが、これが日本国憲法においても同様に考えてよいものかどうかを検討する必要がある。
【参考】ドイツは60回も憲法改正してるから日本も…が詭弁である理由 2018.05.20
ドイツの憲法改正の内容は、日本国の法体系に合わせて考えると、ほとんどの事項が「憲法付属法」などの法律で対応できる事項であることが確認できる。よって、ドイツは60回改正しているとの主張から、日本国憲法においても同様に妥当すると考えている点は、十分な説得力を有さないものと見ることができる。
〇 基本的な行政組織の構造を理解していない者の発想である。
自民党総裁選討論会の報道を読んで――安倍首相の9条改正論を支持する 深沢明人 2018年09月18日
「例えば、自衛隊の最高の指揮監督権を有するのが内閣総理大臣であることは、自衛隊法で規定されており、憲法には何の規定もない。」との記載があるが、誤りである。
自衛隊は行政機関であり、内閣の下にある。また、内閣を総理している者が内閣総理大臣であることから、憲法上の根拠が存在するからである。
憲法
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〔行政権の帰属〕
第65条 行政権は、内閣に属する。
〔内閣の組織と責任〕
第66条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
〔国務大臣の任免〕
第68条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。
〔内閣総理大臣の職務権限〕
第72条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。
〔内閣の職務権限〕
第73条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二 外交関係を処理すること。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五 予算を作成して国会に提出すること。
六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
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防衛省の見解を確認する。
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国の防衛に関する事務は、一般行政事務として、内閣の行政権に完全に属しており、内閣を構成する内閣総理大臣その他の国務大臣は、憲法上文民でなければならないこととされています。
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防衛政策の基本 防衛省・自衛隊
自衛隊法7条は、単に憲法上の規定の趣旨を確認したものに過ぎない。
自衛隊法
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(内閣総理大臣の指揮監督権)
第七条 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。
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内閣法も確認する必要があるだろう。
内閣法
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第一条 内閣は、国民主権の理念にのつとり、日本国憲法第七十三条その他日本国憲法に定める職権を行う。
2 内閣は、行政権の行使について、全国民を代表する議員からなる国会に対し連帯して責任を負う。
第二条 内閣は、国会の指名に基づいて任命された首長たる内閣総理大臣及び内閣総理大臣により任命された国務大臣をもつて、これを組織する。
2 前項の国務大臣の数は、十四人以内とする。ただし、特別に必要がある場合においては、三人を限度にその数を増加し、十七人以内とすることができる。
第三条 各大臣は、別に法律の定めるところにより、主任の大臣として、行政事務を分担管理する。
○2 前項の規定は、行政事務を分担管理しない大臣の存することを妨げるものではない。
第四条 内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。
○2 閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる。
○3 各大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めることができる。
第五条 内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、予算その他の議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告する。
第六条 内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する。
第七条 主任の大臣の間における権限についての疑義は、内閣総理大臣が、閣議にかけて、これを裁定する。
第八条 内閣総理大臣は、行政各部の処分又は命令を中止せしめ、内閣の処置を待つことができる。
第九条 内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う。
第十条 主任の国務大臣に事故のあるとき、又は主任の国務大臣が欠けたときは、内閣総理大臣又はその指定する国務大臣が、臨時に、その主任の国務大臣の職務を行う。
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国家行政組織法も確認しておきたい。
国家行政組織法 e-Gov
「ということは、仮に○○党が両院で過半数を占め、その党が『○○党首は、自衛隊の最高の指揮監督権を有する。』と自衛隊法を改正すれば、それが現実のものとなるということである。」との記載があるが、誤りである。
まず、自衛隊は内閣の行政権の下にある行政組織である。そのため、自衛隊法が○○党首に対して最高の指揮監督権を与えるとすることは、自衛隊を行政権に属さない組織としようとするもので不可能と思われる。また、法律は41条の立法権の趣旨から一般性・抽象性が求められており、個別具体的な〇〇党首などの公的な機関でない者を指定して権限を配分することはできない。31条の適正手続きの保障(法内容の実体の適正も含まれる)、デュー・プロセス・オブ・ローの趣旨からも不可能と思われる。
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〔生命及び自由の保障と科刑の制約〕
第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
〔国会の地位〕
第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
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「これは極端な例だが、最高指揮監督権にまで至らずとも、時の権力により恣意的な法改正がなされ、自衛隊が変質する可能性がある。」との記載もあるが、海上保安庁や警察組織や消防組織なども法律で設けられている法律機関である。これらも重要な組織であるが、同じ行政機関として自衛隊と同様である。
また、自衛隊の場合はシビリアン・コントロールが効かなくなった際に、自衛隊法を廃止して武力組織の正当性を剥奪して暴走を抑える必要性が生まれる可能性がある。この点を考慮しても法律規定としておくことには意味があると考えられる。
他にも、日本国の法体系は国家行政組織法を中心として行政組織を法律で定める形式を採用している。権限間の紛争なども、この法体系の中で行うのである。
さらに、憲法中に自衛隊を明記した場合、自衛隊が独立性の高い組織となる解釈が導かれる恐れがある。三権分立の理念により設置されている国会や内閣という憲法機関からの監督を受ける下部組織であったものが、三権に対等、あるいは三権から独立した機関として配置される恐れである。これは、明治憲法下での統帥権干犯問題のような事態を招きうるものである。
他国の憲法と日本国憲法は、規律密度の設計思想や法体系のコンセプトが異なる。他国の憲法事項であっても、日本国の場合は、多くの場合、憲法付属法によって対応しており、憲法典としての守備範囲が異なるからである。よって、他国の憲法に軍事に関する定めがあるからといって、日本国憲法に軍事の規定を定めなければならないことは必然的に導き出されるものではない。
<理解の補強>
木村草太の憲法の新手(79)憲法への自衛隊明記 自民党案表現は争点隠し 2018年5月6日
〇 「制限規範」を「授権規範」に作り変え、憲法の権力分立の構想を逸脱する点で妥当でない。
自衛隊明記で憲法9条は「防衛条項」にもなる 伊藤哲夫 2018/03/01
「とすれば、憲法学者の六割にも上るとされるかかる違憲論に終止符を打つだけでも、大きな意味があろうとする議論だ。」との記載があるが、その結果に繋がらないため誤りである。なぜならば、9条2項が残っていれば、自衛隊が戦力に該当して違憲ではないかとの議論は残り続けるからである。あるいは、自衛隊が2項の例外となることによって、2項が空文化し、2項を残した意味と矛盾することとなり、2項を残した選択が妥当でないことになるからである。
「この軍事の役割を一見否定したとも見える第九条に自衛隊が明記されることとなれば、この平和論は逆に憲法上の論拠を失うからだ。」との記載があるが、9条という禁止規定(規制規範)に対して自衛隊の根拠規定(授権規範)を明記する案は、憲法の体系を損なうものであり、そもそも妥当なものとは言えない。また、9条の規定は、前文の平和主義を具体化した規定であるとされ、ここに自衛隊を明記することも、前文との整合性を損なうため、妥当な方法ではない。
9条について、「換言すれば、この日本の安全保障努力に対する『制限規範』ではあっても、その権限を正面から認める『授権規範』ではないということだ。」との記載があるが、おおよそその通りである。安全保障の努力それ自体を制限するわけではないが、実力の規模や権限を制限するものである。第二章「戦争の放棄」に定められた9条は「制限規範」であって、「授権規範」ではないのである。
憲法上は、「授権規範」となるのは、第四章「国会」、第五章「内閣」、第六章「司法」の章に統治権として与えられた立法権、行政権、司法権である。この【統治規定】の章は「授権規範」と同時に「制限規範」の側面も有しているが、9条の規定は「制限規範」の側面しか有しておらず、「授権規範」ではないのである。
第二章「戦争の放棄」の章は、明治憲法からの改正によって、「制限規範(禁止規定・規制規範)」として新たに設けられたものである。大日本帝国憲法の「授権規範」は、第一章「天皇」、第三章「帝国議会」、第四章「国務大臣及枢密顧問」、第五章「司法」であるが、日本国憲法に改正された際に、「天皇」は国政に関する権能を有しない存在に変わり、権限を授権されている三権についても第二章「戦争の放棄」の9条によって制限を受けることになったのである。そのため、もともと9条は「授権規範」にはなりえない規定なのである。
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(新設)
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(新設)
(章に格上げ)
(新設)
日本国憲法(現行)
前文
第1章 天皇
第2章 戦争の放棄
第3章 国民の権利及び義務
第4章 国会
第5章 内閣
第6章 司法
第7章 財政
第8章 地方自治
第9章 改正
第10章 最高法規
第11章 補則
「自衛隊は必要だとは思っても、憲法論も全く無視はできず、その間の関係をどう考えたらよいのかが、とりあえず疑問であったのだ。」との記載がある。しかし、自衛隊は行政権の下で活動する行政機関であり、73条の「一般行政事務」に完全に属しているとされている(防衛政策の基本 防衛省・自衛隊)。つまり、自衛隊の「授権規範(根拠規定)」は第五章「内閣」の行政権(65条)であり、具体的には73条の「一般行政事務」なのである。9条は行政権を含めた統治権(国権)の全体を制約する規定であり、自衛隊の根拠それ自体とは関係ないのである。
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第5章 内閣
第65条 行政権は、内閣に属する。
第73条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
(以下略)
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9条は「平和条項」ではあっても、「制限規範(規制規範)」である。この論者の主張として「防衛条項」とあるが、そもそも「防衛」とは国家行為の一つの側面であり、「人権保障」と「権力分立」を基礎とした『権利章典』と『統治機構』を配置する憲法典のコンセプトから逸れる内容である。日本国憲法の構成において行政組織法定(法律)主義が採用され、行政組織によって行われる具体的な国家行為についても法律で記載することにしているからである。そのため、憲法典に特に「防衛条項」というものが存在せずとも、立法権による法律と、行政権による活動が存在すれば、防衛は可能なのである。むしろ行政行為の具体的事項を憲法事項として書き込むことは、日本国憲法の構成を逸脱し、妥当でないのである。
もう一度、9条の規定を確認する。
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第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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太字にした1項の『国権』とは、「統治権」のことである。統治権とは、「立法権」「行政権」「司法権」のことである。2項の「国の交戦権」の『国』とは、憲法上は「統治権」の概念のことである。
この「統治権」全体に対して「制限規範(規制規範)」として作用する9条の規定に対して、「防衛条項」などというものに変更しようとする発想は、「統治権」の全域を防衛条項へと変質させる考え方である。これは、軍事最優先の軍国主義化であるということができる。
これらの問題点から、憲法の体系的な構成を軽んじて論じるべきではない。
〇 論者の支持する改憲案では、論者の意図や目的を達成することはできない。
「9条の2」追加の改憲案を支持する(下) 百地章 2017.08.18
「自衛隊の憲法明記により違憲論の余地を無くすことには、十分理由があると思われる。」との記載があるが、2項を残した時点で、自衛隊が「戦力」にあたるか否かという違憲論は解消されない、あるいは、2項の禁ずる「戦力」の例外として位置づけられるために2項が無効化(空文化)することになる。よって、法の論理的整合性が損なわれ、法への信頼も失われる。自国の憲法上の規定に論理的整合性がないことは、この論者が大切にしている価値観である「自信」や「誇り」なども損なわれると思われるが、どう考えているのだろうか。
「『自衛隊の保持』と『国を守る』という自衛隊の『本来任務』を憲法に明記することにより、」との記載があるが、複数箇所の認識の不足がある。
まず、憲法とは人権保障を目的として権力を分立する構想の下につくられた法である。そのため、一部の機関に権力が集中し、権力の独占によって人々への人権侵害が起きないようにつくられているのである。このことから、日本国憲法では三権分立の形式を採用し、立法権を国会に、行政権を内閣に、司法権を裁判所に配分している。
しかし、この三権分立の構想から逸脱した形で、「自衛隊の保持」という新たな根拠規定(授権規範)を設けることは、権力の独占を防ぐ意図を損ない、憲法の統治機構の体系を破壊することに繋がるのである。
次に、憲法は人権保障を目的とした法である。また、憲法の存立根拠それ自体も、人権の保障を実現するための法であるからこそ、最高法規性が存在するのである(97条)。しかし、「国を守る」という目的を書き込むことは、憲法の目的である人権保障とは別の新たな目的を書き込むことになる。これは、憲法の人権保障の価値とは異なる新たな価値観を書き込むことになることから、「国を守る」という目的や価値観が、人権保障という価値と競合したり、人権保障の機能を阻害したり、人権保障という目的よりも優先して適用される可能性を生み出すことになる。
三つ目に、「自衛隊の『本来任務』を憲法に明記すること」であるが、自衛隊とは「自衛隊法」によってつくられた組織である。つまり、「法律」上の組織である。「法律」とは、憲法に定められている国会によって立法される法形式のものである。
この国会によってつくられる「法律」上の組織には、他にも「警察法」による警察組織や「海上保安庁法」による海上保安庁などがある。以前には「警察予備隊」や「保安隊」なども存在していた。
このように、「自衛隊」という組織も「唯一・普遍的な組織」というわけではなく、国会の立法する「法律」によって、同じような組織をつくることもできるし、新たな任務や権限を設けたり、廃止したりすることが可能な組織なのである。
しかし、「自衛隊の『本来任務』を憲法に明記」しようとしている論者は、行政組織法定(法律)主義によって自衛隊とよく似た組織を設立する可能性や、新たな任務を柔軟に配分したりする可能性を検討していないように思われる。
「自衛隊に栄誉を、そして自衛官に誇りを与え、社会的地位を高めることだ。」との記載があるが、このような憲法への明記による「栄誉」や「誇り」、「社会的地位の向上」という感覚が生み出されている根底にあるものは、「憲法への信頼」によるものである。
つまり、憲法それ自体が「栄誉」であり、「誇り」であり、「社会的地位の高い存在」であることに由来するのである。
しかし、憲法中に自衛隊を明記した場合、上記で述べたように、憲法が最高法規として権威を持っている根本的な価値である人権保障という機能を低下させてしまったり、三権分立の構想によって権力の独占を防ぐコンセプトに乱れが生じることとなる。
すると、憲法それ自体の正当性の観念が破壊されてしまうことから、憲法それ自体の「栄誉」や「誇り」「社会的地位の高さ」が損なわれ、国民の抱く「憲法への信頼」も損なわれることとなる。
この結果、自衛隊を明記した憲法それ自身の正当性が損なわれてしまうのであるから、自衛隊に対して与えようとした「栄誉」や「誇り」、「社会的地位の向上」という目的自体も達成することができなくなるのである。
この論者は憲法の権威がいかなる正当性の基盤の上に成り立っているのかという根本的な認識を欠いていると言わざるを得ない。
「冒頭に『前条の下に』という文言を加えることで、本条が「9条の例外」ではなく、あくまで『9条の枠内』での改正であることを明らかにすることにある。」との記載があるが、9条の規定はすべての国権(統治権:立法権・行政権・司法権)に対して効力の及ぶ総則的な禁止規定である。これは、大日本帝国憲法の体系には存在しなかった、日本国憲法への改正時に新たに設けられた禁止規定(制限規範)なのである。
日本国憲法の授権規範は、立法権・行政権・司法権の三権であり、「自衛隊」や「自衛の措置」についても、この三権の権限によって根拠付けられた国家権力である。
しかし、この論者はこれらの国権(統治権)を総則的に制約する趣旨で設けられた9条の禁止規定(制限規範)を裏返す形で、新たな根拠規定を設けようとしているのである。これは、憲法体系の三権分立の構想を歪め、国権のすべてを「国を守る」という目的や、「自衛隊」という組織のために運用することを求める解釈を導くことになり、軍国化を進めるものとなる。
「憲法9条をめぐる従来の政府解釈は変更しないことを示すためである」との記載があるが、自衛隊を加憲した場合、9条の例外・別枠である解釈を導くことから、「従来の政府解釈は変更しない」ということにはならず、誤りである。
「『9条の2は9条と矛盾しないのか』との疑問に対して、現在でも自衛隊は『憲法9条の下に』設置されているのだから、その自衛隊を憲法に格上げしたからといって9条とは矛盾することはないと説明することができる。」とあるが、現在自衛隊は9条の制約の下に41条の立法権が立法した法律に従って設置され、65条の行政権を行使することで活動しているが、その自衛隊を憲法に格上げする場合、9条の制約とは例外・別枠となる。9条の例外・別枠なのであるから、9条とは矛盾しないともいえるのかもしれないが、9条2項が無効化(空文化・死文化)することの意味を考えると、矛盾するとも言えるものである。
「残念ながら、自衛隊の『権限』は現在と変わらない。」との記載があるが、解釈上は9条の例外・別枠となることから、9条の制約が及ばなくなるため、自衛隊の権限を拡大することが可能である。現在と変わることになる。
「しかし、その『地位』は大きく向上すると思われる。」との記載があるが、憲法上の権威を基に地位の向上を図ろうという提案であるが、自衛隊明記により人権保障機能が阻害されたり、三権分立の構想が乱れてしまうことで、憲法の権威性そのものが低下してしまうことから、明記した自衛隊の「地位」についても、現在の憲法と同様の権威に裏付けられたものとはならず、その意図を達成することはできないと思われる。
「認証官」については、行政職員が任命される場合でも、これは独立性の高い機関によるものと思われる。自衛隊の独立性が高まると、三権によるコントロールが不能となる点が懸念される。
認証官 Wikipedia
「自衛官の『栄典』『賞恤金』(犠牲者への功労金)等の待遇改善および向上も可能となる」との記載があるが、14条で栄誉や栄典はいかなる特権も伴わない旨が定められており、これを改善しない限りこの方法での「待遇改善および向上」はできないと思われる。
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〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
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その他の勲章や「在外公館の防衛駐在官の地位の向上等」についても、自衛隊が憲法規定であることとは直接関係ないと思われる。栄典についての個別の制度上の論点と思われる。
最後の段落の統合幕僚長の行った政治的発言と受けとることも可能となるようなものについては、議論のあるところである。
<参考>
上記と同じ論点の記事である。
【正論】支持率低下は「改憲つぶし」を画策した共産、民進、左翼メディアが最大の原因だ 改憲を躊躇すれば、反対派の「思う壺」 国士舘大学特任教授・百地章 2017.8.9
<理解の補強>
嘘と飛躍と矛盾まみれの、百地章「正論」PART1 0.百地章氏は、肩書を「研究者」から「活動家」にすべき 2018.1.23
嘘と飛躍と矛盾まみれの百地章「正論」PART2 3.「自衛隊明記」は自衛隊の活動範囲を広げない、の嘘 2018.1.23
〇 法学上の論点を確認すれば、それ以前の問題であることに気づく。
【正論】責任ある平和国家の9条論議を 防衛大学校教授・神谷万丈 2018.10.10
「憲法9条は平和憲法の要なのだから、そこに軍事組織である自衛隊を書き込むべきではないという主張の根底には、平和と軍事を根本的に対立するものととらえる態度がある。」との記載があるが、法学的には正確な認識ではないと思われる。法学上の整合性を検討する必要がある。
自衛隊は現在行政権として活動する組織である。行政権とは第五章「内閣」の65条の規定に根拠づけられた権限である。それを、9条に書き込もうとする考え方に憲法体系を理解していない発想がある。
憲法は人権保障に奉仕する組織を定める際に、権力の独占を防ぐために権力を三権に分立することを構想してつくられている。この設計意図から、第四章「国会」の立法権(41条)、第五章「内閣」の行政権(65条)、第六章「司法」の司法権(76条1項)の三権に分立されている。
この憲法の設計意図を越えて、9条に行政機関の一組織やその権限の根拠を設けようとする発想に、憲法の構想を破壊する危うさがある。
また、明治憲法での統帥権干犯問題があったように、権力分立の構想の枠外に軍事権限を設ける解釈を招くような規定方法には、軍事権限の暴走を招く極めて危険な提案である。
日本国憲法は他国とは異なり、憲法付属法という形の法律が多い。このことから、他国では憲法典の事項であっても、日本国の場合は憲法付属法の領域の事項であることも多い。このことから憲法典の簡素さを保つコンセプトが貫かれ、結果として憲法改正の必要性も最小限に抑えられることから、安定した法秩序を形成することができている。
この設計意図から、行政組織の設立や再編、廃止についても、行政組織法定主義を採用している。自衛隊も、内閣の統轄の下における行政機関で内閣府以外のものを定める「国家行政組織法」、そこから導かれる「防衛省設置法」、その下の「自衛隊法」という行政組織の階層構造の中に位置づけられた組織である。
このことから、自衛隊は行政組織として内閣の有する行政権(65条)の一般行政事務(73条柱書)に完全に属している。それにも関わらず、この権限基盤を飛び出す形で、第五章「内閣」の章を飛び出して第二章「戦争の放棄」に自衛隊という行政機関の一組織を書き込むことには体系的な整合性がない。
これは、「平和憲法の要なのだから、そこに軍事組織である自衛隊を書き込むべきではない」という問題とは異なる。
9条2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」の文言を残して自衛隊という組織を書き込んだ場合、①自衛隊は戦力であるのか否かに関する違憲論争は問われ続ける、あるいは、②戦力の例外として自衛隊を位置づけるため、9条2項の戦力不保持の規定が無効化(空文化)する。
この点でも整合性は保たれていない。この提案は「知的に誠実な態度」とは言えないだろう。
「平和と軍事は対立しない」との意見であるが、日本国憲法の平和主義は前文と9条に示された形での平和主義である。他国の言う平和主義ではなく、日本独自の平和主義の形なのである。よって、他国の平和と軍事が対立しない形であったとしても、日本国においては前文と9条に示された平和主義の形を採用しているというだけである。もちろん他国と同様な平和と軍事の形を採用することもできるが、その場合は日本独自の方法である前文の平和主義と9条の規定を削除する必要がある。
この前文の平和主義と9条の規定を残したままに、「三権分立の構想」や「戦力との論理的整合性」、「憲法の憲法典と法律の守備範囲のコンセプト」、「行政組織法律主義」、「行政組織の階層構造や紛争調整の仕組み」を破壊する形で自衛隊を明記しようとする発想は、とても「平和と軍事は対立しない」などという言葉では片づけられない問題を孕んでいるのである。
〇 「専守防衛」の定義を知らず、誤りである。
【とちぎ参院選】投票意義、感じさせて 宇都宮大で学生4人が座談会 雇用に関心、将来不安も 2019/7/1
「明記して『軍隊だが専守防衛』とはっきりさせればいい。」との記載があるが、論理的に成り立たないため理解が不足している。
まず、「専守防衛」の定義であるが、「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」のことを言う。この「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ」ることは、現行憲法の9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解に基づくものである。また、「保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限る」との制約も、政府解釈が9条2項の「陸海空軍その他の戦力」に抵触しない「自衛のための必要最小限度」の実力(自衛力)を保持することは憲法上許されると解しているからである。
この「専守防衛」というものは、現在の9条の下であるから「憲法に則った受動的な防衛戦略の姿勢」という内容となるのであり、9条を改正したり、「軍隊」を書き込んだ場合、それ自体が憲法上の規定となることから、現在の「憲法に則った受動的な防衛戦略の姿勢」という「専守防衛」の枠組みも失われるのである。
そのため、「専守防衛」の意味が現在の9条の下で生まれている枠組みであることから、9条に関する改正を行おうとしている点で「専守防衛」の枠組みが失われるのであり、「明記して『軍隊だが専守防衛』とはっきりさせればいい。」との認識は論理的に成り立たない。明記したら「軍隊」となり、「専守防衛」ではなくなるのである。
お読みいただきありがとうございました。
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