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【このページの目次】
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<安保法制の憲法適合性> ( ← このページの内容)
法的審査の対象
違憲審査の前提
〇 2014年7月1日閣議決定の解釈変更
〇 違憲審査の対象
9条解釈の前提
〇 軍事権のカテゴリカルな消去
〇 9条と前文
・平和主義
・平和的生存権
〇 解釈の体系
違憲審査のアプローチ
〇 違憲審査基準の設定方法
〇 違憲審査の二つのアプローチ
9条解釈の枠組みからのアプローチ
〇 9条解釈のバリエーション
◇ 1項全面放棄説(+2項全面放棄説)からのアプローチ
◇ 1項限定放棄説+2項全面放棄説(自衛力否定説)からのアプローチ
◇ 1項限定放棄説+2項全面放棄説(自衛力肯定説)からのアプローチ
有権解釈の枠組み
裁判所の砂川判決が示したもの
政府解釈が示したもの
司法権と行政権の判断の射程
政府解釈の基準 ⇒ <9条解釈>
「武力の行使」の範囲
9条2項前段が禁じる「陸海空軍その他の戦力」との関係
9条2項後段が禁じる「交戦権」との関係
政府解釈まとめ ⇒ <自衛のための必要最小限度>
政府解釈からのアプローチ ⇒ <集団的自衛権行使の違憲審査>
◇ 1項限定放棄説のアプローチ
政府解釈の基準
政府解釈からのアプローチ
司法判断からのアプローチ ⇒ <9条解釈の枠組み>
9条1項の趣旨からのアプローチ
◇ 1項限定放棄説+2項限定放棄説(芦田修正説)からのアプローチ
〇 まとめ
〇 9条そのままに抵触すること
「武力の行使」の発動要件からのアプローチ
〇 9条の法的効力
〇 9条の規範性
◇ 9条の文言の定義による審査
◇ 9条の規範性を保つために必要となる基準による審査
・9条の立法目的
・9条の立法目的を達成するための手段
・9条に抵触しないことを明確にできる要件
▽ 従来の統制方法
・三要件(旧)の基準
・三要件(旧)の評価
▽ 2014年7月1日閣議決定「後」
・新三要件の第一要件後段の「存立危機事態」
・9条の規範性を保つための基準を通過していないこと
・9条そのままに抵触すること
・文言の分析
・曖昧不明確であること
・漠然不明確・過度の広範性の判断
・明確性の原則
・枠組みの描き方
・「存立危機事態」の要件が設定された場合
・相当因果関係はあるか
・要件該当性の作出行為が可能
・「他国防衛」や「自国都合」が排除されていないこと
・要件の性質
・9条の規範性を保つための基準となるものはどこにあるのか
・「規範性を有する」としている
・「全ての情報を総合して客観的、合理的に判断する」としている
・新三要件は何を「排除」するのか
・新三要件の第二要件について
・新三要件の第三要件
・「他国からの要請」が必要という論理矛盾(作成中)
・前文の「平和主義」との整合性
・他国の「先制攻撃」に加担することが可能
9条の制約を13条が例外化する解釈からのアプローチ
・三要件(旧)の基準
・新三要件の「存立危機事態」
・13条で正当化できる範囲
〇 合憲限定解釈は可能か
〇 統治行為論を採用するべきか ⇒ <砂川判決に論拠はあるか>
〇 国際法との対応関係
〇 論理構成まとめ
結論
〇 違憲性の是正方法
〇 法律論と政策論
〇 責任と賠償
〇 存立危機事態に関わる違憲訴訟
安保法制違憲・国家賠償請求事件
命令服従義務不存在確認請求事件
資料
〇 9条 論点マップ
〇 リンク
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法的審査の対象
2014年7月1日閣議決定で定められた新三要件の第一要件後段の「存立危機事態」や、自衛隊法76条1項2号の「存立危機事態」の要件に基づく同88条1項による「武力の行使」(日本独自に限定的な集団的自衛権の行使と称している部分)に関わる法的審査の対象は大きく2つある。
「2014年7月1日閣議決定の解釈の過程(解釈手続き)」と「『存立危機事態』での『武力の行使』の要件」である。
〇 「2014年7月1日閣議決定の解釈の過程(解釈手続き)」の違法
この論点は、下記の通りである。
内閣が2014年7月1日に行った「閣議決定」の論旨には、解釈の過程で看過することのできない不正が存在し、論理的整合性が保たれていない。このことから、「閣議決定」そのものが行政権に与えられた裁量権の範囲を逸脱するものとなっている。「法の支配」、「法治主義」の理念、「法律による行政の原理」、「法律留保の原則」の趣旨、31条の「適正手続きの保障」の観点より違法となる。
これについては、下記のページで詳しく解説している。
〇 「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」の違憲
これは、新三要件の第一要件後段の「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」や、自衛隊法76条1項2号の「存立危機事態」の要件に基づく同88条1項での「武力の行使」が、9条に抵触して違憲となる論点である。
これについては、当ページで解説し、違憲審査を行う。
違憲審査の前提
2014年7月1日閣議決定の解釈変更
2014年7月1日閣議決定の前後で、「武力の行使」の三要件がどのように変わったかを確認する。
従来の三要件
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「武力の行使」の旧三要件
〇 我が国に対する急迫不正の侵害があること
〇 これを排除するために他の適当な手段がないこと
〇 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
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武力の行使の「新三要件」 Wikipedia
防衛省が突然『集団的自衛権は違憲』記載を削除→完全復元してみた 2014年7月7日
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2014年7月1日閣議決定によって解釈変更された後の三要件
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「武力の行使」の新三要件
◯ わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
◯ これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
◯ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
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違憲審査の対象
違憲審査の対象となる「存立危機事態」と呼ばれている条項を確認する。これは対象となるものが二つある。
◇ 対象① 行政権を持つ「内閣」が定めた『閣議決定』 ⇒ (2014年7月1日閣議決定)
◇ 対象② 立法権を持つ「国会」が成立させた『法律』 ⇒ (自衛隊法76条1項2号等)
これらを、下図で三権分立の仕組みを意識しながら確認する。
【行政権を持つ「内閣」が定めた『閣議決定』】
2014年7月1日閣議決定で定められた第一要件後段の「存立危機事態」の要件 (下記の太字部分)
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憲法第9条のもとで許容される自衛の措置としての「武力の行使」の新三要件
◯ わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
◯ これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
◯ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
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【立法権を持つ「国会」が成立させた『法律』】
「存立危機事態」での「武力の行使」を認める規定は、自衛隊法76条1項2号と88条である。
自衛隊法
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第六章 自衛隊の行動
(防衛出動)
第76条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)第九条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。
一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態
2 内閣総理大臣は、出動の必要がなくなつたときは、直ちに、自衛隊の撤収を命じなければならない。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
第七章 自衛隊の権限
(防衛出動時の武力行使)
第88条 第76条第1項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。
2 前項の武力行使に際しては、国際の法規及び慣例によるべき場合にあつてはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならないものとする。
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自衛隊法76条1項2号の「存立危機事態」によって出動を命ぜられた自衛隊は、同88条1項によって「武力の行使」を行うことができる。
この「武力の行使」にあたっては、88条2項の「国際の法規及び慣例」も遵守しなければならないことから、国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由の『権利(right)』の区分である「個別的自衛権」や「集団的自衛権」のいずれかに該当させることを必要とする。
「存立危機事態」の定義は、下記の法律に記載されている。
武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律
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(定義)
第二条 この法律(第一号に掲げる用語にあっては、第四号及び第八号ハ(1)を除く。)において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一 武力攻撃 我が国に対する外部からの武力攻撃をいう。
二 武力攻撃事態 武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態をいう。
三 武力攻撃予測事態 武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態をいう。
四 存立危機事態 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。
(以下略)
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<理解の補強>
<第3回>武力行使に歯止めなし
新3要件は法律に明記がない 倉持麟太郎 2015年8月13日
政府の説明に即した法文案 水上貴央 2015.09.16 PDF
限定的な集団的自衛権の行使のための法整備 - 事態対処法制の改正 - 参議院 外交防衛委員会調査室 PDF
( 限定的な集団的自衛権の行使のための法整備 - 事態対処法制の改正 - 参議院 外交防衛委員会調査室 PDF)
9条解釈の前提
軍事権のカテゴリカルな消去
日本国憲法は大日本帝国憲法を全面的に改正した形式を採っている。この改正の際に、大日本帝国憲法の中で天皇大権として存在していた「軍事」に関する権限を徹底的に消去している(軍事権のカテゴリカルな消去)。
下記でおおよその対応関係を確認する。
大日本帝国憲法(カタカナをひらがなにしている)
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第11条 天皇は陸海軍を統帥す(①)
第12条 天皇は陸海軍の編制及常備兵額(②)を定む
第13条 天皇は戦を宣し(③)和を講し及諸般の条約を締結す
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日本国憲法
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第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争(①)と、武力による威嚇又は武力の行使(④)は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力(②)は、これを保持しない。国の交戦権(③)は、これを認めない。
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① 大日本帝国憲法では「国権 = 天皇主権の統帥権」であったが、日本国憲法では、「国権 = 国民主権によって信託された統治機関の権限(立法権・行政権・司法権)」に相当すると考えられる。
② 大日本帝国憲法の「陸海軍の編成及常備兵額」は、日本国憲法の「陸海空軍その他の戦力」に相当すると考えられる。
③ 大日本帝国憲法の「戦を宣し」が、日本国憲法の「国の交戦権」に相当すると考えられる。
④ 日本国憲法の「武力による威嚇又は武力の行使」は、国連憲章2条4項の「武力による威嚇又は武力の行使(the threat or use of force)」と同じ文言である。
大日本帝国憲法 | ⇒ 変更 ⇒ | 日本国憲法(現行) |
【天皇主権】により 天皇の有していた権限 |
主権の変更 |
【国民主権】により日本国民が 国家に信託せず、禁じた権限 |
11条「陸海軍を統帥す」 | 軍事権限の削除 | 9条1項「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇又は武力の行使」を放棄 |
12条「陸海軍の編成及び常備兵額」 | 軍事組織の削除 | 9条2項前段「陸海空軍その他の戦力」を不保持 |
13条「戦を宣し和を講し」 | 対外戦争行為の削除 | 9条2項後段「国の交戦権」を否認 |
20条 日本臣民は法律の定むる所に従ひ兵役の義務を有す | 兵役の削除 | 18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。 |
31条 本章(注:第2章 臣民権利義務)に掲けたる条規は戦時又は国家事変の場合に於て天皇大権の施行を妨くることなし |
侵害可能な 人権観を削除 |
11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 |
32条 本章(注:第2章 臣民権利義務)に掲けたる条規は陸海軍の法令又は紀律に牴触せさるものに限り軍人に準行す | 軍人の削除 | (66条2項 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。) |
下記の図は、大日本帝国憲法から日本国憲法に改正する際の体系である。
現行憲法では、天皇は「国政に関する権能を有しない。(4条)」存在となり、大日本帝国憲法において天皇が有していた軍事に関する権限も削除されている。
また、「主権(最高決定権)」も天皇から国民へと移り、天皇主権から国民主権へと変わった。
日本国憲法が国民主権を採用していることは、 前文の「ここに主権が日本国民に存することを宣言し、」の文言や、1条の「主権の存する日本国民」の文言で確認することができる。
前文 第一段 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
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政府委員(味村治君)
(略)
もう一つは、天皇の地位でございますが、我が国の憲法が国民主権をとっていることは憲法第一条に「主権の存する日本国民」、こういう言葉がございますように、これはもう明らかなことでございます。ここで主権と申しますのは、これは政治のあり方を最終的に決定する力とでもいうようなことでございまして、そういう意味の主権が日本国民に属する、こういうことになっているわけでございます。……(略)……
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第113回国会 参議院 内閣委員会 第7号 昭和63年10月20日
そのため、日本国憲法の主権者は国民となっている。
また、国家の統治権の『権力・権限・権能』の正当性は、国民からの「厳粛な信託(前文)」という国民主権原理の流れから生み出されるものとなった。前文には下記のように記されている。
前文 第一段
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そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
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これにより、日本国の統治権(国家権力)は国民からの「厳粛な信託」という国民主権原理の過程を経ることによって発生する。
日本国憲法の規定する統治権(国家権力)は、下記の三権のみである。
◇ 『立法権』(41条・国会)
◇ 『行政権』(65条・内閣)※
◇ 『司法権』(76条・裁判所)の三権のみである。
※ 「行政権」とは、学説上、国家作用から「立法権」と「司法権」を除いた残りの部分である(控除説)。地方自治は「行政権」に属するのか議論がある。「行政権」の定義としての「控除説」から考えると、地方自治も「行政権」の中に含まれるように思われる。地方自治は、三権に匹敵する第四権としての『権限』ではなく、地方自治を制度的に保障したものと考えられる。
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○政府委員(味村治君) 国の統治権と申しますものは、御承知のように司法、行政、立法、この三権に分かれるわけでございまして、行政というのは国の統治権のうちで立法と司法を除いたものというのが定義されているわけでございます。
(略)
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第113回国会 参議院 内閣委員会 第7号 昭和63年10月20日
(三権と言っても、憲法秩序を支持する者たちの頭の中に合意事としてのみ存在する概念上の『権限』のことである。実際には、その『権限』という概念上の合意事は、「統治機関に所属する者(公務員)」と人々に合意されている者たちによって行使されることとなる。この合意事としての『権限』に正当性があるか否かが問われているわけである。)
ここで注意したいのは、憲法制定権力となった主権者の「日本国民」は、大日本帝国憲法に存在した軍事権限を日本国憲法ではカテゴリカルに消去していることである。
また、憲法制定権力である9条の「日本国民」は、日本国憲法を制定し、「厳粛な信託(前文)」の過程を通して統治権(国家権力)を構成する際、下記の軍事権限を否定している。
◇ 9条1項「国際紛争を解決する手段として」の「戦争」、「武力の行使」、「武力による威嚇」
◇ 9条2項前段「陸海空軍その他の戦力」
◇ 9条2項後段「交戦権」
このように、「主権(最高決定権)」を持つ憲法制定権力としての「日本国民」は、9条の規定によって、「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を行っている。
これにより、日本国の統治機関は、国民主権原理の「厳粛な信託(前文)」の過程で、国家の統治権の『権力・権限・権能』の一部がもともと授権されていない。
先ほど述べた『立法権』『行政権』『司法権』の三権についても、9条が禁じ、『権限』を与えない旨を示している部分については、もともと授権されておらず、最初から『権力・権限・権能』として発生していない。
これが日本国憲法の三大原理の一つである「平和主義」の理念が具体化されている部分である。
これは、「戦争」や「武力の行使」等について、他国との間で条約を締結することによって違法化するという手法を採用するのではなく、主権者の国民が自国の憲法上で自ら放棄することによって、国家の統治権にもともと『権限』を与えないところに特徴がある。
国家(国家機関に所属する者)は、国民主権原理の過程によって正当性を裏付けられたこの範囲の『権限』しか行使することはできない。
また、「組織」や「機関」を設置する場合においてもこの範囲の『権限』を行使するためのものに限られる。
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民主制の下における「権力」の「行使」は、それを「信託」する「国民」によって正統化されなければならないと同時に(日本国憲法前文)、憲法を含む「法」の枠内に収まることによって正当なものとされる。
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高田篤(大阪大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
もし日本国の統治機関の行為(国家の行為)が9条に抵触した場合、9条で禁じられた部分の『権限』を行使した場合、日本国憲法が定めている枠組みによって成立する日本国の統治機関に対してはもともと統治権の『権限』として授権されていないものを行使したことになる。
つまり、主権者である「日本国民」が国民主権原理の「厳粛な信託(前文)」の過程で授権していない部分の『権力・権限・権能』を行使したことを意味する。
これは、正当性が裏付けられておらず、越権行為である。正当性を有しない違憲・違法な国家行為である。
前文と9条
平和主義
9条は、前文の「平和主義」の理念を具体化した規定である。
前文
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日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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↓ ↓ ↓ 【平和主義の理念を具体化】 ↓ ↓ ↓
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第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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そのため、前文の「平和主義」の理念と、9条は密接に繋がっている。
【有権解釈】
〇 裁判所の説明
砂川事件の最高裁判決でも、9条は「平和主義を具体化した規定である」と述べている。
砂川判決
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そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。
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〇 政府の説明
政府の答弁書でも、9条は前文の「平和主義」の理念を具体化した規定であると説明している。
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二について
憲法の基本原則の一つである平和主義については、憲法前文第一段における「日本国民は、・・・政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」の部分並びに憲法前文第二段における「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」及び「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」の部分がその立場に立つことを宣明したものであり、憲法第九条がその理念を具体化した規定であると解している。
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集団的自衛権並びにその行使に関する質問に対する答弁書 平成26年4月18日 (色は筆者)
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○大森政府委員 九条の趣旨は、その前提として、日本国憲法の前段で述べられている決意にやはり立ち戻らなければならないのではなかろうかと考えているわけでございます。
前文におきましては、御承知のとおり、日本国民は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、そして、恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した、このようにその決意を宣明しておりまして、これを受けまして、この決意を実現するために、第九条におきまして、国権の発動たる戦争、武力による威嚇または武力の行使を放棄するとともに、いかなる戦力も保持せず、交戦権も認めない、このように規定していると理解されるわけであります。
(略)
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第142回国会 衆議院 予算委員会 第27号 平成10年3月18日
【9条の表現は前文の表現と近い】
9条の文頭と語尾の表現は、前文の文中と近い表現を確認することができる。
〇 「日本国民は、」について
9条の規定が、前文の「平和主義」の理念と近い関係にあることは、「日本国民は、」の書き出しであることによっても裏付けることができる。
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また、ここに「日本国民」の文言を使用したのは、前文において「日本国民」又は「われら」が平和への決意を表明したことを受けて、戦争放棄及び戦力の不保持がその平和への決意から由来するものであることを強調した結果であると解されている24。
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「憲法第 9 条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否 認)について~自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題」
に関する基礎的資料 衆議院憲法調査会事務局 平成15年6月 (P9)
〇 「放棄する。」「保持しない。」「認めない。」について
9条の語尾について、前文の中でも「決意し」「宣言し」「排除する」「念願し」「自覚する」「信頼し」「決意し」「思ふ」「確認する」「信ずる」「誓う」のように、自らが決意や宣言を行うという『意志の観念』が表現されており、9条の規定と表現の仕方が重なることが確認できる。
一般的な条文においては、このような宣言的な記載はされていないため、9条が前文と密接に関係した条文であることを裏付ける手がかりとなる。
〇 立法当時の資料
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3 GHQ草案の起草と日本政府案の作成・公表
(略)
なお、試案および原案からは、第9条が、当初前文のなかに置かれ、次いで、第1条に移されていることが読みとれる。これは、平和主義の原則に世界の注目が集められることを望んだマッカーサーの意向を反映したものであった。しかし、後のGHQ草案では、天皇に敬意を表し、「天皇」の章が冒頭に置かれたため、条文番号は第8条となった(2月22日会見のGHQ側記録)。
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日本国憲法の誕生 論点 戦争の放棄 国立国会図書館 (下線・太字は筆者)
[Original drafts of
committee reports] 1
[Original drafts of committee
reports] 2
これらの意図より、9条を解釈する際には、前文の「平和主義」の理念から導かれる意図を生かした形で解釈する必要がある。
【「平和主義」と「国際協調主義」】
前文の「平和主義」だけでなく、「国際協調主義」も含めている政府答弁がある。
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○味村政府委員 我が国の憲法は、その前文におきまして平和主義及び国際協調主義の理想を高く掲げまして、その理想のもとに、憲法九条におきまして戦争の放棄について定めているところでございます。
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第107回国会 衆議院 内閣委員会 第6号 昭和61年11月20日
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○政府委員(角田禮次郎君) 憲法には、前文にもやはり自国のことのみに専念してはならないというような表現がございますように、決して日本だけではなくて、あくまで国際協調主義の理念というのも憲法の重要な基本原則になっていると思います。しかしながら、そのことは直ちにわが国が集団的自衛権の行使あるいは武力行使によって他国を救うということにはつながらないというのが憲法の考え方であろうと思います。
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○政府委員(角田禮次郎君) 前文の性質についてはいろいろな説がございますが、私どもとしては、あくまで本来の条文が法規範として重要であり、そして同時に前文はそれぞれの条文を解釈する場合の解釈上の指針として、これまた重要な意味を持っているというふうに解しております。
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○政府委員(角田禮次郎君) 先ほども申し上げましたように、前文では平和主義及び国際協調主義という憲法の理想を高く掲げるとともに、その理想が実現されることを全国民がみんなでやろうと、そういうことで誓っているわけであります。対等の立場ではないというふうに言われましたけれども、日本国民は一つの選択として憲法を通じて、その対等の立場に立つことを、武力的な手段あるいはそれに準ずるようなものではなくて、あくまで平和的な手段によってやろうと、こういう選択を憲法を通じてやったものだと思います。
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○政府委員(角田禮次郎君) あえて金ということだけではないと思いますが、要するに武力による方法以外によって世界の平和に貢献をして、そしてそれによってわが国の地位を世界において認めてもらう、そのことが各国と対等になると、こういう論理であると思います。
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○政府委員(角田禮次郎君) 先ほど来申し上げたことを繰り返すようになりますが、要するに、憲法は平和主義あるいは国際協調主義というものを高い理想として掲げて、それを実現するための方策として、軍事的な手段以外にいろいろな方法によってそういうものを実現する、それによって国際的にも名誉ある地位を占め、また、それによって国際的に信頼をされ、対等の立場を認めてもらいたい、こういう非常にむずかしい選択だとは思いますが、そういう選択を日本国民は憲法を通じて選択をし、そしてそのむずかしい困難な方策を今日まで続けてきているということが憲法の考え方であろうと思います。
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第96回国会 参議院 予算委員会 第6号 昭和57年3月12日
平和的生存権
前文に記された「平和のうちに生存する権利(平和的生存権)」について検討する。
前文
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日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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↓ ↓ ↓ 【平和主義の理念を具体化】 ↓ ↓ ↓
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第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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砂川判決
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一、先ず憲法九条二項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
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砂川判決の内容は、前文で日本国民が「国際社会において、名誉ある地位を占める」と願い、「全世界の国民」と同様に日本国民も「平和のうちに生存する権利」を有していると考えることから、憲法の「平和主義」はわが国に対する外国の武力攻撃に対して「無防備、無抵抗」を求めるものではないと解する判断である。「名誉ある地位を占める」や「生存する」ことを達成することが予定されているのであって、「無防備、無抵抗」で「名誉ある地位を占める」ことができなくなったり、「生存する」ことを達成できなくなることは、憲法解釈として妥当性を欠くということである。
しかし、だからといって日本国の統治権によって「戦力」を保持したり、「武力の行使」を行ったりすることができるかどうかは砂川判決では述べておらず、「自衛のための措置」の選択肢として挙げているものは、「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけである。他の選択肢については、何も述べていないことに注意が必要である。
名古屋地裁判決(平成18年4月14日) (P105~)
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憲法前文は,恒久の平和を念願し,全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認する旨うたい,憲法9条は,国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を放棄し,戦力を保持せず,国の交戦権を認めない旨規定している。しかしながら,憲法前文は,憲法の基本的精神や理念を表明したものであって,それ自体が国民の具体的権利を定めたものとは理解し難い。また,憲法9条は,国家の統治機構ないし統治活動についての規範を定めたものであって,国民の私法上の権利を直接保障したものということはできない。そもそも 「平和」とは,理念ないし目的としての抽象的
,概念であって,その到達点及び達成する手段・方法も多岐多様であるから,原告らが主張する平和的生存権等の内包は不明瞭で,その外延はあいまいであって,到底,権利として一義的かつ具体的な内容を有するものとは認め難く,これを根拠として,各個人に対し,具体的権利が保障されているということはできない(高裁平成元年6月20日第三小法廷判決・民集43巻6号385頁参照 。 )
このことは,原告らが「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利 , 」「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利 「他 」,国の民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく,自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利 「信仰に基づいて平和を希求し,す
」,べての人の幸福を追求し,そのために非戦・非暴力・平和主義に立って生きる権利」など,表現を異にして主張する権利についても同様である。
したがって,原告らの主張する平和的生存権等は具体的権利といい得ないものである。
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名古屋高裁で「平和的生存権」を肯定しているものがある。
近代憲法は「権利章典」と「統治機構」で構成されている。つまり、「人権」と「統治」である。「人権保障」と「権力分立」とも言われる。
憲法は、「人権」という目的を達成するために、手段として「統治機構」を創設し、人権保障に奉仕させる仕組みなのである。
この関係から考えると、「平和的生存権」は「権利」であり、この目的を達成する手段として、「統治機構」に9条の制約を加えたと考えることが妥当であると考えられる。
ただ、この「平和的生存権」は前文の中で掲げられているものであり、憲法の第三章「国民の権利及び義務」の中に具体的な条文として定められているわけではない。そのため、これは国内的に「日本国民」あるいは「日本国に住む外国人」を対象とする具体的な人権規定とは区別されているようにも見受けられる。
また、前文では「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とあることから、「日本国民」や「日本に住む外国人」のみを対象とした規定ではなく、「全世界の国民」を対象としている規定である。
この「全世界の国民」の「平和的生存権」を実現するという目的を達成するために、手段として日本国は自国の「統治機関」に対して9条によって「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の制約をかけていると考える。
このことから導かれることは、「全世界の国民」の「平和的生存権」を保障する観点から、「平和主義」や9条の趣旨を読み解くことが妥当な解釈基準を導き出すことに繋がると考えられる。
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⑩日本国憲法が平和的生存「権」と規定したのは、平和的生存のための戦争という論理を否定する意味がある。政策に対抗し、政策を制約するのが、本当の憲法上の権利である。また、権利主体が「全世界の国民」とされていることも、「正義の戦争」の想定の下で相手国国民の生命の犠牲はやむを得ないとする論理と整合しない。……(略)……(浦田一郎・「現代の平和主義と立憲主義」日本評論社1995年115頁)
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「核の時代」における安倍流改憲 特に、核兵器と9条2項に関連して (下線は筆者)
解釈の体系
9条を解釈するにあたってポイントとなるのは、前文、9条、13条、41条、65条の関係である。これらの規定が憲法の体系の中でどこに配置されているのかを理解して整合的な解釈を行うことによって、実力組織(自衛隊等)の目的や権限、組織の実体、活動根拠、それらの制限を受ける範囲を正確に描き出すことができる。
〇 前文は、法規範性はあるが、裁判規範性はないとされている(通説)。ただ、「条文解釈の方針」となる。
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〔前文 第一段〕
……(略)……政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、……(略)……
〔前文 第二段〕
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
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〇 9条は、「武力の行使」を実施する際や、実力組織を保持する際の「限度」を定めている。
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〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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〇 13条は、行政機関(実力組織を含む)の行政権が行使される際の「目的」となる根拠を定めている。
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〔個人の尊重と公共の福祉〕
13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
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〇 41条は、国会が行政権に事務を行わせるため立法権を行使して法律を立法する際の「手段」となる権限の根拠を定めている。
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〔国会の地位〕
41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
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〇 65条は、内閣が国会の立法した法律に従って行政権を行使して行政機関(実力組織を含む)を指揮監督する際の「手段」となる権限の根拠を定めている。
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〔行政権の帰属〕
65条 行政権は、内閣に属する。
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日本国憲法の「三権分立」と「外敵を防ぐ国の作用」あるいは「国を守る作用」に関する国会答弁を確認する。
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○政府委員(佐藤達夫君)
(略)
要するに今の国の作用というものを三つに分けるという、いわゆる三権分立の一般の分類を今の憲法においてとつておりますからして、こういう、即ち外敵を防ぐとかいうようなことが国の作用として許されておるという前提をとりますならば、その作用は立法にあらず、司法にあらず、それは行政の作用であろうということが言い得ると思います。それが一体許されておるかどうかという問題に触れなければなりませんが、これは非常に現実具体的な形では今まで出ませんでしたが、例えばこの憲法ができます際の帝国議会の審議の際において、この憲法は一体無抵抗主義であるのかという御質問が貴族院でありました場合に、決して無抵抗主義ではございませんということを言つておるわけであります。外敵に対して一応許された範囲においての抵抗というものはあり得ることを前提としておりますと答えておるわけでございますからして、できたときの趣旨から言つても、そういうことはあり得るという前提で参つておりますからして、そういうことは今の三つの権力に分けて分類すれば、行政権であろうということが言えると思うのです。ただ、憲法が違つた形でできておつて、仮にいわゆる四権の一つとしての統帥権というものを憲法が作れば、これは憲法を作るその政策の問題としては考え得られますけれども、とにかく三権ということで行つております以上は、その実体は行政権であり、行政作用であろうということであります。従いましてその点は木村大臣の答えた通りであると考えております。
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○政府委員(佐藤達夫君)
(略)
今の行政権についてのお言葉でございますが、この問題はもう少し掘下げて考えてみますというと、一応は私は国を守る作用ということは、結局今の内乱が起つた場合に、その内乱を抑える、それを防ぐというような作用というものとは、根本性質は同じものであろうと思いますからして、これをよそから眺めた場合には、要するに立法権でないことは明瞭、司法権でないことは明瞭ということで、一応行政権でございますと答えておるわけでございます。この限りにおいては、その本質をつかまえて言えば、行政作用であることはどうも誤まりないように思います。(略)
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第19回国会 参議院 法務委員会 第35号 昭和29年5月13日
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○政府委員(依田智治君) 自衛隊は自衛権の行使機関かということでございますが、憲法九条で我が国は主権国として持つ固有の自衛権を認められておるという建前になっているわけでございまして、この自衛権を行使する裏づけとしての自衛のための必要最小限の実力組織として設けられておるわけでございます。そういう実力を行使するということは、現行憲法体系下では当然行政権の一部をなしておるというように考えております。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○政府委員(味村治君) 国の統治権と申しますものは、御承知のように司法、行政、立法、この三権に分かれるわけでございまして、行政というのは国の統治権のうちで立法と司法を除いたものというのが定義されているわけでございます。
そういう意味で、ただいま自衛権の行使というものは、これは行政に属するということは疑いのないところでございます。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
(略)
その意味で、現在、ほかの行政と同じように、自衛権の行使ということも行政の一部に属しているということでございます。したがって、内閣はその最終的な責任に任ずるというわけであります。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○政府委員(味村治君) 現在の防衛庁設置法第七条を制定いたしました際の政府委員の説明によりますと、第七条の規定は、憲法第七十二条の内閣総理大臣が内閣の首班といたしまして内閣を代表して行政を指揮監督するという規定を自衛隊法第七条のような表現にしたものでありまして、これによりまして統帥的な権能を与えたという趣旨ではないのでありますと。つまり、現在の憲法の七十二条の内閣総理大臣の権限を確認的に規定した、こういうことでございます。
先ほど申し上げましたように、自衛権の行使というのは行政に属します。そうすると、「行政権は、内閣に属する。」ということが憲法第六十五条に規定がしてあるわけでございます。そして、内閣のもとに各省各庁が置かれておりまして、防衛庁は総理府の外周ということに相なっているわけでございます。したがいまして、内閣といたしまして自衛権の行使について責任を負うというのが現在の憲法の建前であるというふうに考えるわけでございます。
したがって、先ほどの行政権に属する限りにおきましては、特に国会の方で立法なりされればこれはまた別のことでございますが、内閣の責任において自衛権の行使をするということに相なりますので、それに必要な防衛計画の大綱とかそういったものを内閣の責任において行うというのが憲法上の建前であろうかと存じます。
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○政府委員(日吉章君) 先生おっしゃられますように、国権の最高機関は国会でございますが、法制局長官からもお話がございましたように、我が国は議院内閣制をとっているわけでございまして、国会の議員の中から選ばれた者が内閣総理大臣になり一般行政を行っているというわけでございます。それで、先ほど長官からもお答えがございましたように、自衛権と防衛庁の業務というものも一種の行政行為、行政機関としての行為だというふうなお話を申し上げたわけでございますから、防衛庁の所掌事務の中の基本的な事柄を防衛庁長官並びに最高指揮官としての内閣総理大臣にゆだねられているということは、それはそれなりに立法論としても成り立ち得るのではないかと思います。
ただ、先生も御指摘のように、防衛庁・自衛隊というものが他の行政機関と異なる点があるといたしますれば、これは必ずしも法律的に正しい用語かどうかは私ちょっと自信がございませんが、俗に言う一種の実力集団、実力組織であるという点であろうかと思います。したがいまして、その実力の行使にかかわります典型的なものが防衛出動でございますが、これは自衛隊法上国会の承認にかからしめられている、先生御案内のとおりでございますが、こういう点に防衛庁・自衛隊の他の行政機関と若干異なりました特色が出ているのではないかと思います。
そういうふうな意味で、国会が国権の最高機関であり、なおかつ議院内閣制をとり、防衛庁・自衛隊の特殊性等がすべて勘案された上での整合性のとれた法体系になっているのではないかと思います。
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○政府委員(味村治君) 我が国では、御承知のように、三権分立をとっておりまして、その中で国会は全国民を代表される議員から構成されますわけでございますので、主権者たる国民と非常に直接の関係を有しておられますので国権の最高機関だというふうに憲法で規定されているわけでございます。
しかし、三権分立ということはやはりあるわけでございまして、国会は主として立法、内閣は行政、司法は裁判ということをそれぞれが独立して行うということになっておるわけでございまして、行政権は内閣に属するということは内閣はその責任において行政を行うということに、これは現行憲法がそういうふうに規定をしているわけでございます。もとより、内閣は行政権の行使につきまして国会に対し連帯して責任を負うということでございまして、国会に対して責任を負っているわけでございます。しかも、その責任を問う方法といたしまして、いわゆる国政調査権も憲法に規定されております。そういうような意味で、国会が内閣に対して行政権の行使についていろいろ御監督になるということ、コントロールされるということは、これはもう当然のことでございます。
したがいまして、先ほどの防衛計画の大綱であるとか国防の基本方針ということについて国会の方でいろいろ内閣、政府側に対しまして御質疑なりいろいろされるということは、これは国会の監督権の行使として当然のことでありますが、その基本方針をつくるとかそういうことはやはり憲法の建前といたしましては内閣の責任において行うということになっているということを申し上げたいと存じます。
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(略)
現在の憲法におきましては、すべてこの自衛権の行使は内閣の責任において行う、その具体的な行使はもとより自衛隊において行うわけでございますが、これはすべて先ほど申し上げましたように国会に対して責任を負うというこの体制のもとにおきまして、主権者たる国民の代表者である国会議員から成ります国会に対して責任を負うという建前、そういうもとにおきまして自衛権の行使をするということになっているわけでございまして、自衛権の行使のために必要なもろもろの準備も当然国会の監督のコントロールを受けるわけでございますから、これは全く旧憲法とは違うということを申し上げたいと思います。
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第113回国会 参議院 内閣委員会 第7号 昭和63年10月20日
<理解の補強>
軍事権を日本国政府に付与するか否かは、国民が憲法を通じて決める 木村草太『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』から 2015.08.26
執政権の規律に関するおたずね 2015/06/29
「王殺し」と四権分立 2015/06/23
違憲審査のアプローチ
違憲審査基準の設定方法
9条の解釈にはいくつかのルートがある。その中から妥当な解釈を選び出すための基準となるものは、規定の意図が正確にくみ取られ、論理的整合性や体系的整合性が最も確からしいものを選択することである。なぜならば、そのような解釈であることは、法に対する予見可能性が保たれ、法的安定性が維持され、法が社会の中で安定的に通用するという有益性の価値をもたらすことに繋がるからである。
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○政府委員(大出峻郎君) 一般論として申し上げますというと、憲法を初め法令の解釈といいますのは、当該法令の規定の文言とか趣旨等に即して、立案者の意図なども考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであると考えられるわけであります。
政府による憲法解釈についての見解は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものと承知をいたしており、最高法規である憲法の解釈は、政府がこうした考え方を離れて自由に変更することができるという性質のものではないというふうに考えておるところであります。
特に、国会等における論議の積み重ねを経て確立され定着しているような解釈については、政府がこれを基本的に変更することは困難であるということでございます。
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第134回国会 参議院 宗教法人等に関する特別委員会 第3号 平成7年11月27日
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憲法を始めとする法令の解釈は、当該法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきものであり、政府による憲法の解釈は、このような考え方に基づき、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請を考慮すべきことは当然であるとしても、なお、前記のような考え方を離れて政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えている。仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられる。
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政府の憲法解釈変更に関する質問に対する答弁書 平成16年6月18日
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また、お尋ねの「法的安定性」とは、法の制定、改廃や、法の適用を安定的に行い、ある行為がどのような法的効果を生ずるかが予見可能な状態をいい、人々の法秩序に対する信頼を保護する原則を指すものと考えている。仮に、政府において、論理的整合性に留意することなく、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、法的安定性を害し、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねないと考えられる。
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七・一閣議決定の法的安定性と論理的整合性の意味等に関する質問に対する答弁書 平成29年6月27日
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法を解釈することと、法を解釈していると思い込んでいることとを区別しうるためには、解釈は個人的・私的なものではなく、社会的な、つまり原理的には誰にも共通にアクセス可能な、公的活動でなければならないはずである。各人がそれぞれ異なった形で得心がいっただけでは、法解釈として十分とはいえない。解釈者は、他人を説得し、同じように既存の法源(判例・法令)を見るように議論を進める必要がある。もちろん、その結果、つねに同一の結論へと人々の意見が集約されるとは限らない。同じ程度に説得力を持つ複数の解釈が競合することは珍しいことではない。
解釈が解釈であるためには、つまり、それが原理的に誰もが参加しうる公的な活動であるためには、第一に、法源の核心的な意味の理解を可能とする共通の言語作用が背景として存在していなければならない。そして、第二に、解釈の目的は、例外的・病理的現象である法の意味の不明瞭化に対して、人々の合意をとりつけることで、正常な法の機能を回復すること、人々が再び疑いをもたずに法に従いうる状態を回復することになければならない。
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憲法の理性 長谷部恭男 (P210) (下線は筆者)
【9条解釈のポイント】
〇 国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由の『権利』の区分である51条の「個別的自衛権」や「集団的自衛権」に該当するか否かの基準は、憲法9条が日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を制約する基準には何ら影響を与えない。これらは、それぞれ別の法体系によって確定されるものである。
〇 9条を解釈する際は、前文の「平和主義」の理念と整合的な解釈が求められる。
〇 前文の「平和主義」の理念に含まれる「全世界の国民」の「平和のうちに生存する権利」を確認している趣旨や、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」している趣旨は、他国の国民を犠牲にするような措置を政府が意図して行うことを許容していない。
〇 9条を解釈する際は、政府の恣意的な都合によって「武力の行使」が行われることを制約する基準となるものが必要となり、それによって9条の規範性を保つことが求められる。また、9条に抵触するか否かの基準をその時々の政府の裁量判断とすることはできない。
違憲審査の二つのアプローチ
「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」を違憲審査する際に、二つのアプローチを考えると手順が分かりやすくなる。
〇 9条解釈の枠組みからのアプローチ
〇 「武力の行使」の発動要件からのアプローチ
【9条解釈の枠組みからのアプローチ】
これは、9条解釈のバリエーションの各方面、つまり、いくつかある9条解釈のルートから導かれる規範の枠組みをそれぞれ明らかにし、それぞれの枠の中に「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」が当てはまるか否かを審査するアプローチである。
◇ 1項全面放棄説(+2項全面放棄説)からのアプローチ
◇ 1項限定放棄説+2項全面放棄説(自衛力否定説)からのアプローチ
◇ 1項限定放棄説+2項全面放棄説(自衛力肯定説)からのアプローチ
政府解釈からのアプローチ
◇ 1項限定放棄説のアプローチ
政府解釈からのアプローチ
司法判断からのアプローチ
9条1項の趣旨からのアプローチ
◇ 1項限定放棄説+2項限定放棄説(芦田修正説)からのアプローチ
◎ 9条の制約を13条が例外化する解釈からのアプローチ
【「武力の行使」の発動要件からのアプローチ】
これは、「武力の行使」の発動要件が9条の規範性を保つために必要となる枠を損なうものとなっていないか(9条解釈の作法から許されるか)を審査するアプローチである。
これは次のようなステップで審査する。
9条の規定の趣旨・目的・意義を捉える。
これを満たさない形で「武力の行使」の発動要件を設定した場合、その発動要件は9条の規範性を損なわせていることになる。
その発動要件に基づく「武力の行使」は9条に抵触して違憲となる。
そこで、「武力の行使」の発動要件の性質を明らかにし、その「武力の行使」の発動要件が9条の規範性を損なわせていないかを示す。
その発動要件に基づく「武力の行使」が9条に抵触するか否かを示す。
9条の規範性を損なうものとなっていないかを考えるポイント
〇 9条が政府の行為を制約しようとしている趣旨を満たすか
〇 限度を画することができる基準を有しているか
〇 意図・目的は許容されるものであるか
・能動的な要素が含まれていないか
・主観的な要素が含まれていないか
・曖昧不明確な要素が含まれていないか
など
また、「存立危機事態」の要件だけでなく、新三要件の第一要件後段の「存立危機事態」の場合における第二要件、第三要件を含めて発動される「武力の行使」が9条に抵触するか否かについても審査する必要がある。
これら二つのアプローチを考えると、違憲審査の手順が分かりやすい。
【動画】安保法制違憲訴訟全国の状況 ~各地からの報告 XIX 2023/05/07
9条解釈の枠組みからのアプローチ
9条解釈のバリエーション
9条の解釈にはいくつかのバリエーションがある。詳細は、下記のページで解説した。
【参考】日本国憲法第9条(第9条の解釈上の問題) Wikipedia
「存立危機事態」に基づく「武力の行使」は、これら9条解釈のバリエーションの全ルートから違憲となる。
1項全面放棄説(+2項全面放棄説)からのアプローチ
「1項全面放棄説(+2項全面放棄説)」では、「武力の行使」を行うことができない。何らかの侵害に対する措置についても、刑法上の「正当防衛」に基づく「実力行使」の範囲に限られる。
「正当防衛」の要件である刑法36条の「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。」の範囲の「実力行使」を超えた場合、それ以上は刑法上の規定に抵触して罰せられる対象となるし、9条1項が禁じる「武力の行使」に抵触して違憲となる。
この違憲審査基準によれば、旧三要件に基づく「武力の行使(実力行使)」は、実質的には刑法上の「正当防衛」の要件と異ならないものであったため、合憲と解する余地がある。
しかし、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使(実力行使)」は、刑法36条の「正当防衛」に基づく実力行使の範囲とは言えず、9条1項の禁じる「武力の行使」に抵触して違憲となる。
【9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」への抵触】
「1項全面放棄説(+2項全面放棄説)」では、「武力の行使」を行うことができない。何らかの侵害に対する措置についても、刑法上の「正当防衛」に基づく「実力行使」の範囲に限られる。
また、その何らかの侵害に対する措置を行う組織についても、刑法上の「正当防衛」に基づく実力行使を実施するための組織に限られる。これを一般に「警察力」という。
しかし、その「警察力」についても、「正当防衛」の要件である刑法36条の「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。」の範囲の実力行使を超えたならば、それ以上は刑法に抵触して罰せられる対象となるし、9条1項の禁じる「武力の行使」となって違憲となる。
この違憲審査基準によれば、旧三要件に基づく「武力の行使(実力行使)」は、実質的には刑法上の「正当防衛」の要件と異ならないものであったため、合憲と解する余地がある。
また、それを実施する組織についても、「警察力」の範囲内であると説明することが可能であり、合憲と解する余地がある。
しかし、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使(実力行使)」については、刑法36条の「正当防衛」に基づく実力行使とは言えず、9条1項の禁じる「武力の行使」に抵触して違憲となる。
また、その「武力の行使(実力行使)」を行う組織についても、「警察力」の範囲内のものと説明することはできず、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
1項限定放棄説+2項全面放棄説(自衛力否定説)からのアプローチ
9条1項は「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」のみを限定的に禁じているが、9条2項によって「陸海空軍その他の戦力」と「交戦権」を全面的に禁じる結果、結局「武力の行使」も行うことができないと考える説である。
この場合、「自衛力否定説」を採る場合、上記に挙げた「1項全面放棄説(+2項全面放棄説)」と同じ結論に至る。
1項限定放棄説+2項全面放棄説(自衛力肯定説)からのアプローチ
9条1項は「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」のみを限定的に禁じるものであるが、9条2項は「陸海空軍その他の戦力」と「交戦権」を全面的に禁じていると考える。日本国の統治機関は、この部分に関しては国民からの信託を受けていない。
ただ、13条後段には「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定められている。国政を担う三権(立法権・行政権・司法権)は、それら「国民の権利」を保障するための『権限』については、国民から信託を受けており、それらを実現することを義務付けられていると考える。
この9条の制約と13条の「国民の権利」を保障する趣旨を整合的に解釈することによって、日本国の統治機関は、9条の範囲に踏み込んでしまうことがないように注意しながら、13条の「国民の権利」を保障するために極めて抑制的な形で「自衛の措置」を行うことは許されると考える。
「自衛の措置」の内容としては、砂川判決が示した「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」や「他国に安全保障を求めること」など、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を伴わない措置も考えられる。
日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を伴う措置を行う場合としては、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触しない範囲の「武力の行使」、2項前段の「陸海空軍その他の戦力」に抵触しない範囲の「実力組織」の保持、2項後段の「交戦権」に抵触しない範囲の「自衛行動権」の行使は可能であると考える。
この9条の制約と13条の趣旨の関係を読み解く際、二つの読み方がある。
〇 もともと9条に抵触しない部分があるとする読み方
〇 9条に抵触するが、13条の趣旨より例外的に違法性を認定できない読み方
【参考】自衛隊は「自衛のための最低限度の実力」 2018年1月25日
【参考】もし「自衛権」を国民投票にかけたらどうなるか? 2017年7月19日
上図は、①「9条に抵触しない範囲がもともとある」という考え方と、②「9条に抵触するが例外的に違法性を問えない」という考え方の枠組みを示している。
ただ、細かく考えると、9条1項の「武力の行使」については②であるが、9条2項の「戦力」については①、あるいはその逆、というように分けて考えることも考えられる。
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【読み方】
読み方① 限定された状況下(三要件などの基準設定が必要)の9条に抵触しない範囲がある。
読み方② 9条には抵触するが、限定された状況下(三要件などの基準設定が必要)で、例外的に違憲性を認定できない。
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【読み方】
読み方① 実力組織が「武力の行使」をしても、しなくても、「陸海空軍その他の戦力」に当たらない範囲がある。
読み方② 実力組織が「武力の行使」をしていない場合には「陸海空軍その他の戦力」に当たらない。しかし、「武力の行使」をした場合、「陸海空軍その他の戦力」に抵触する。ただ、その「武力の行使」が1項の禁じられた範囲を例外的に解除する前文や13条の趣旨を踏まえた措置であれば、同じく前文や13条の趣旨により「陸海空軍その他の戦力」による違憲性を認定できない。
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13条を援用しない説もある。
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つまり、ここでも、わざわざ憲法13条の条文を援用するまでもないということになります。常識を備えた人なら、当然、9条の下でも個別的自衛権は行使できるという結論を了解できるだろうという話です。
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その2 表現の自由と公共の福祉 2017/1/20
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集団的自衛権「限定行使」の虚構 高見勝利
(略)
七 容認の切り札「幸福追求権」援用の破綻
その上で、ここで改めて強調しておきたい点は、(ⅰ)砂川最判が憲法九条と前文を根拠としたのに対して、七二年見解(❶および七・一決定)は自衛のため必要な最小限度の「武力の行使」を正当化するための根拠として、両者に加えて憲法十三条の幸福追求権に言及していること、(ⅱ)同条援用のアイディアは佐藤達夫元内閣法制局長官の著作(『憲法講話〔改訂版〕』〔一九六〇、立花書房〕一七頁)にまで遡及すること、(ⅲ)その佐藤自身、同条を持ち出すと当該武力行使の範囲が限りなく拡大する恐れがあるとの危惧を表明していたということである(出稿「集団的自衛権行使容認論の非理非道」『世界』八六三号〔二〇一四年一二月号〕一八〇頁以下)。
(略)
七・一決定における幸福追求権の援用については、しかし、次の二つの理由から憲法論として無理がある。第一に、そもそも国民の幸福追求権を含む憲法上の「自由」とは、わが国家権力がこれを侵してはならない(国家からの自由)とするものであり、外敵からの「急迫不正の事態」に対処する「武力の行使」(自衛措置)はもとより、他国への武力攻撃を機とした「存立危機事態」に対して、わが国が「武力の行使」に訴えることをも憲法的に正当化するものでないことは、権利の性質上明らかだからである。憲法十三条の援用は、国家に対して国民の権利・自由の尊重を促す「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」との文言について、外敵の攻撃に対し「国家」が国民の権利・自由を「保護すべし」と命じたものと敢えて曲解(ミスリード)したことによるものである。第二に、かりに百歩譲り上記・国家による国民の幸福追求権「保護義務」を憲法十三条から導き出し得たとしてても、当該保護はわが国の主権(統治権)が及ぶ領域等に限られているはずだからである(在外邦人保護は憲法上は「外交関係」の「処理」〔憲法七三条二号、外務省設置法四条九号〕。出稿「七・一閣議決定と国会の違憲審査機能」『法律時報』一八〇八号〔二〇一五年七月〕六七頁参照)。そもそもホルムズ海峡にまで、憲法一三条の保護は及びようがないのである。
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安保法制の何が問題か 2015/9/12 (P76~77) amazon (灰色にしている部分は筆者。情報量をそぎ落とすため。)
第203回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号 令和2年12月3日 【動画】
有権解釈の枠組み
裁判所の砂川判決の示したもの
【砂川判決の許容した「自衛の措置」とは何か】
砂川判決は「自衛のための措置」について下記のように述べている。
砂川判決(抜粋)
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しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
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砂川判決が示した「自衛の措置」は、下記の二つである。
〇 国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等
〇 他国に安全保障を求めること
【砂川判決は日本国の統治権による「武力の行使」の可否を判断したか】
砂川判決は、日本国が「自衛の措置」の選択肢として、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を採用することが可能であるか否かを判断しているかを検討する。
砂川判決(抜粋)
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そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
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上記の砂川判決が述べているのは下記の通りである。
〇 1項では、「いわゆる侵略戦争」を永久に放棄している
〇 2項では、「いわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことがないようにするため」に「いわゆる戦力」を不保持としている
〇 2項が、「いわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否か」は判断していない
⇒ 2項が「保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいう」
このことから、砂川判決は、9条2項が「自衛のための戦力」の保持を禁じているか否かについては判断していない。
そのため、わが国が保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使する「自衛のための戦力」によって「武力の行使」を行うことが可能であるか否かについても当然判断していない。
また、砂川判決は政府解釈が示している「自衛のための必要最小限度の実力(組織)〔自衛力〕」を保持することが可能か否かについても一切触れおらず、その実力組織による「武力の行使」が可能であるか否かについても当然何も述べられていない。
政府解釈が示したもの
【1972年(昭和47年)政府見解】
砂川判決では、日本国が「自衛の措置」の選択肢として、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を採用することが可能であるか否かについて何も述べていない。
しかし、政府は「自衛の措置」の限界の規範を示した上で、その「自衛の措置」の選択肢の一つとして日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を行うことが可能であると独自に解釈している。
1972年(昭和47年)政府見解
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憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第 13
条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであつて、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであつて、したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
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集団的自衛権と憲法との関係 参議院決算委員会提出資料 内閣法制局 昭和47年10月14日 PDF (P63)
この政府見解が示している「自衛の措置」は、砂川判決で示された「自衛のための措置」と軌を一にするものであると述べられている。
(軌を一にするもの・軌を一にするもの)
(【動画】衆議院平和安全特別委員会 2015 06 19)
司法権と行政権の判断の射程
【有権解釈の射程】
司法権の示した「砂川判決」と、行政権の示した「1972年(昭和47年)政府見解」の範囲を確認する。
政府解釈の基準
9条1項の「国際紛争を解決する手段としては、」の文言は、制約範囲を限定する意味であると解し、9条1項は「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」のみを限定的に禁じるものであり、これに該当しない「武力の行使」を行う余地があるが、9条2項の「陸海空軍その他の戦力」と「交戦権」については全面的に禁じていると考える。
しかし、前文の「平和的生存権」や13条の「国民の権利」の趣旨を考えると、日本国は「自衛の措置」をとることが可能であり、9条はもともと「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の範囲の「武力の行使」や、それを実施するための「自衛のための必要最小限度の実力(組織)〔自衛力〕」の保持、それを行使するための「自衛行動権」を禁じていないと考える。
「武力の行使」の範囲
政府は2014年7月1日閣議決定の以前まで、「自衛の措置」の選択肢として日本国の統治権の『権限』によって「武力の行使」を行う場合、その「武力の行使」が9条に抵触しないことを明確にするために三要件(旧)の基準を設定していた。
そして、その三要件(旧)の基準をまとめて「自衛のための必要最小限度」と呼んでいた。
━━━━━【自衛のための必要最小限度】━━━━━ ← 三要件(旧)の全てを含む意味
「武力の行使」の三要件(旧)
〇 我が国に対する急迫不正の侵害があること
〇 これを排除するために他の適当な手段がないこと
〇 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと ← 第三要件の程度・態様の意味
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(ここでは『必要最小限度』の文字が二つの異なる次元で用いられていることに注意する必要がある。)
この三要件(旧)の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」という規範は、1972年(昭和47年)政府見解「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」と示している部分と対応(一致)するものである。
1972年(昭和47年)政府見解 (抜粋)
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憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第 13 条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであつて、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであつて、したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
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(下線・太字・色は筆者)
このように、従来の政府解釈は「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」としており、日本国の統治権の『権限』によって「武力の行使」を行うことが許されるのは、三要件(旧)の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たす場合に限られるとしている。
これを満たすか否かは、日本国の統治権の『権限』が「武力の行使」を行った場合に、その「武力の行使」が9条に抵触して違憲となるか否かを識別するための基準となっている。
つまり、政府の行為が憲法によって正当に授権されている『権限』の範囲を超えるか否か、越権行為となるか否かの限界を示すものである。
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【読み方】
「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)を満たさない「武力の行使」は9条に抵触して違憲となる。
◇ 「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」となれば9条1項に抵触して違憲となる。
↓ ↓ ↓
「先に攻撃」を行った場合は9条に抵触して違憲となる。
政府が自国都合によって「武力の行使」に踏み切った場合は9条に抵触して違憲となる。
「自国の存立」や「国民の権利」の危機(自存自衛)などを理由として政府が政策判断として「武力の行使」を行うことができる状態となっていれば9条に抵触して違憲となる。
政府の恣意的な動機に基づいて武力の行使」が行われることを排除する基準となるものを有していなければ9条に抵触して違憲となる。
「武力の行使」の発動要件が曖昧不明確な形で設定された場合には、政府の恣意性を排除することができず、9条の規範性を損なうことから、9条に抵触して違憲となる。
↓ ↓ ↓
「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の範囲を超える「武力の行使」は9条に抵触して違憲となる。
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9条2項前段が禁じる「陸海空軍その他の戦力」との関係
政府は「自衛のための必要最小限度」と呼んでいる三要件(旧)の基準の範囲を超えない限りは、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」には抵触しないと解し、その範囲での実力組織(自衛のための必要最小限度の実力〔自衛力・防衛力〕)を保持することは可能としている。
9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に関して、政府の示した基準を確認する。
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○秋山政府特別補佐人
(略)
それから、御質問の後段の、憲法解釈において政府が示している、必要最小限度を超えるか超えないかというのは、いわば数量的な概念なので、それを超えるものであっても、我が国の防衛のために必要な場合にはそれを行使することというのも解釈の余地があり得るのではないかという御質問でございますが、憲法九条は、戦争、武力の行使などを放棄し、戦力の不保持及び交戦権の否認を定めていますが、政府は、同条は我が国が主権国として持つ自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を保有し行使することは認めていると考えておるわけでございます。
その上で、憲法九条のもとで許される自衛のための必要最小限度の実力の行使につきまして、いわゆる三要件を申しております。我が国に対する武力攻撃が発生したこと、この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、それから、実力行使の程度が必要限度にとどまるべきことというふうに申し上げているわけでございます。
お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。
したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日
◇ 「自衛のための必要最小限度の実力」を保有
⇒ 9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触しない範囲の実力組織を保持する意味
◇ 「自衛のための必要最小限度の実力」の行使 あるいは
「自衛のための必要最小限度」の「実力の行使」
⇒ 9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触しない範囲の実力組織が「武力の行使」を行う意味
この「行使」については、「武力の行使」の三要件(旧)を満たす必要がある。
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(1) 保持し得る自衛力
わが国が憲法上保持し得る自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えています。
自衛のための必要最小限度の実力の具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面を有していますが、憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」に当たるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題です。自衛隊の保有する個々の兵器については、これを保有することにより、わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かによって、その保有の可否が決められます。
しかしながら、個々の兵器のうちでも、性能上専(もっぱ)ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、これにより直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。したがって、例えば、ICBM(Intercontinental Ballistic Missile)(大陸間弾道ミサイル)、長距離戦略爆撃機、あるいは攻撃型空母を自衛隊が保有することは許されないと考えています。
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憲法と自衛権 防衛省・自衛隊 (2014年7月1日閣議決定以降〔憲法と自衛権〕は、『(1) 保持し得る自衛力』が『(1)保持できる自衛力』に変えられるなど文面がやや変更されていることに注意。)
「自衛のための必要最小限度」と呼んでいる三要件(旧)は、「武力の行使」の発動の可否や、「武力の行使」を発動した場合における程度・態様を制約する基準となっているだけでなく、この基準が同時に保持する「実力組織」が9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触しないことを明らかにし、その限界を画する基準ともなっている。
このように、三要件(旧)は「武力の行使」を制約すると同時に、政府解釈の述べる「実力組織(自衛のための必要最小限度の実力〔自衛力・防衛力〕)」が2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触しないことを画する基準ともなっていたのである。
これは、「武力の行使」の発動要件が緩和した場合、「実力組織(自衛のための必要最小限度の実力〔自衛力・防衛力〕)」の範囲を逸脱して2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」となってしまうことや、一旦発動した「武力の行使」についても、その「武力の行使」の程度・態様が第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまること」を超えていた場合、結局「実力組織(自衛のための必要最小限度の実力〔自衛力・防衛力〕)」の範囲を超えて実態が「陸海空軍その他の戦力」となってしまうからである。
━━━━━【自衛のための必要最小限度】━━━━━
「武力の行使」の旧三要件
① 我が国に対する急迫不正の侵害があること ← (満たさなければ「戦力」に抵触)
② これを排除するために他の適当な手段がないこと ← (他の手段があれば「戦力」に抵触)
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと ← (とどまらなければ「戦力」に抵触)
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○高辻政府委員 元来私は、国際紛争を解決する手段としては平和的手段によるべきであるということは、憲法が命ずるところでもありますし、それは当然のことだと思いますが、この自衛力を保持するというのは、何といっても外国からの武力攻撃というのが前提でございます。その武力攻撃の様相というものをはたしてどういうふうに考えたらいいものか、これは私は何といってもしろうとでございますので、それをはっきり申し上げられませんが、専門当局である防衛庁がこういう考えを持っていることについては、私もおそらくそうであろうというふうに思います。
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第65回国会 衆議院 内閣委員会 第20号 昭和46年5月7日
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【読み方】
「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の「武力の行使」を実施するための実力組織の範囲であれば、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触しない。
◇ 「陸海空軍その他の戦力」に該当すれば9条2項前段に抵触して違憲となる。
↓ ↓ ↓
保持する実力組織の実態が「陸海空軍その他の戦力」に該当すれば違憲となる。
行使する『権限』が軍事権に該当すれば違憲となる。
↓ ↓ ↓
保持する実力の全体が「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の「武力の行使」を実施する範囲を超える場合は違憲となる。
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9条2項後段が禁じる「交戦権」との関係
さらに、この「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準は、「武力の行使」や「実力組織」に関わる『権限』が9条2項後段の禁じる「交戦権」に抵触しないことを示すための基準ともなっていた。
政府は、この「自衛のための必要最小限度」を超えないもの、つまり、三要件(旧)の基準を満たす中であれば「自衛行動権」の範囲内であり、9条2項後段の禁じる「交戦権」とは区別することができると説明している。
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(5)交戦権
憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領などの権能(けんのう)を含むものです。
一方、自衛権の行使に当たっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然のことと認められており、その行使は、交戦権の行使とは別のものです。
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憲法と自衛権 防衛省・自衛隊 (憲法と自衛権 2014年7月1日閣議決定以前の過去のページ) (下線・太字・色は筆者)
━━━━━【自衛のための必要最小限度】━━━━━
「武力の行使」の旧三要件
① 我が国に対する急迫不正の侵害があること ← (満たさなければ「交戦権」に抵触)
② これを排除するために他の適当な手段がないこと ← (他の手段があれば「交戦権」に抵触)
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと ← (とどまらなければ「交戦権」に抵触)
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【読み方】
「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の「武力の行使」であれば、「自衛行動権」の範囲であり、9条2項後段の禁じる「交戦権」には抵触しない。
◇ 「交戦権」に該当すれば9条2項後段に抵触して違憲となる。
↓ ↓ ↓
「相手国の領土の占領」などを行うと、その『権能』は「交戦権」に抵触して違憲となる。
↓ ↓ ↓
「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の「武力の行使」を超える場合は、「自衛行動権」の範囲を超えて「交戦権」に抵触して違憲となる。
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政府解釈まとめ
「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準を用いることにより、「武力の行使」や「実力組織」、それを行使するための『権限』が、
〇 9条1項「国際紛争を解決する手段として」の「戦争」「武力の行使」「武力による威嚇」
〇 9条2項前段「陸海空軍その他の戦力」
〇 9条2項後段「交戦権」
のそれぞれ抵触しないことを説明し、正当化していたのである。
この考え方に基づき、従来より政府は「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準を満たす場合においてしか「武力の行使」を行うことは許されないとしていた。
この解釈により、国会は「立法権(41条)」を行使して、9条2項の禁ずる軍事権限に当たらない範囲の実力組織(自衛のための必要最小限度の実力)を設置する法律(自衛隊法や海上保安庁法、警察法などの設置法)や、9条に抵触しない範囲の『権限』を定めた法律を制定することが可能となる。
また、内閣や行政機関もそれらの法律の根拠に従って「行政権(65条)」を行使し、9条2項の禁ずる「陸海空軍その他の戦力」や軍事権限に抵触しない行政組織としての「自衛のための必要最小限度」の実力組織を保持(維持管理)し、9条の禁じる「武力の行使」に抵触しない国内行政の範囲で、「自衛の措置」としての「自衛のための必要最小限度」の「武力の行使」を発動するなど、法律の執行が可能となる。
政府解釈からのアプローチ
【1972年(昭和47年)政府見解との整合性】
2014年7月1日閣議決定は「従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを 守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。」と述べ、従来からの9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解を示した上で「この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。 」と説明している。
これは、2014年7月1日閣議決定においても、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分が示している「自衛の措置」の限界の規範を用いることを述べたものである。
また、2014年7月1日閣議決定の結論部分では、新三要件の「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」を容認しようとしており、これが「従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置」であると説明しようとしている。
そのため、この1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界の規範として記されている文言の意味を正確に読み解くことで、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」が9条に抵触して違憲となるか否かを法的審査(違憲審査)することができる。
そこで、1972年(昭和47年)政府見解を確認する。
【2014年7月1日閣議決定の解釈変更の不正】
2014年7月1日閣議決定の解釈変更には不正が存在する。
◇ 論理的整合性の不存在
◇ 解釈手続きの不正
◇ 法治主義の逸脱
これについては、下記の「集団的自衛権行使の違憲審査」のページに詳しく記載した。
【9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」への抵触】
〇 実力組織の実態が「自衛のための必要最小限度」の範囲を超えることによる違憲
政府は従来より9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」とは、「自衛のための必要最小限度を超えるもの」をいうという基準を示している。
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○政府委員(吉國一郎君) 戦力について、政府の見解を申し上げます。
戦力とは、広く考えますと、文字どおり、戦う力ということでございます。そのようなことばの意味だけから申せば、一切の実力組織が戦力に当たるといってよいでございましょうが、憲法第九条第二項が保持を禁じている戦力は、右のようなことばの意味どおりの戦力のうちでも、自衛のための必要最小限度を越えるものでございます。それ以下の実力の保持は、同条項によって禁じられてはいないということでございまして、この見解は、年来政府のとっているところでございます。
(略)
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第70回国会 参議院 予算委員会 第5号 昭和47年11月13日
つまり、実力組織の実態が「自衛のための必要最小限度」の範囲内に留まっているのであれば違憲とはならないが、これを超えると9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となるということである。
この「自衛のための必要最小限度」とは、三要件(旧)の基準のことを指している。
━━━━━【自衛のための必要最小限度】━━━━━
「武力の行使」の旧三要件
① 我が国に対する急迫不正の侵害があること
② これを排除するために他の適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
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この三要件(旧)の基準を満たす「武力の行使」を実施するために設けられた実力組織(自衛のための必要最小限度の実力〔自衛力〕)である限りにおいては合憲ということである。
しかし、この三要件(旧)の範囲を超える「武力の行使」を行うこととなった時点で、それを実施する実力組織の実態は「自衛のための必要最小限度」の範囲を超えることになるから、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
━━━━━【自衛のための必要最小限度】━━━━━
「武力の行使」の旧三要件
① 我が国に対する急迫不正の侵害があること ← (これを超えると「戦力」に抵触する)
② これを排除するために他の適当な手段がないこと ← (これを超えると「戦力」に抵触する)
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと ← (これを超えると「戦力」に抵触する)
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自衛隊は、「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準を満たす「武力の行使」を実施するための「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)」であることにより、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」には抵触しないと説明されていたのである。
しかし、2014年7月1日閣議決定では、新三要件の第一要件後段の「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」や、自衛隊法76条1項2号の「存立危機事態」の要件に基づく同88条1項による「武力の行使」が定められた。
これにより、それまで自衛隊の合憲性を裏付けている正当化根拠が失われ、論理破綻することとなる。
「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」は、「他国に対する武力攻撃」に起因して「武力の行使」を行うものである。
これは、三要件(旧)の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない。
そのため、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」は、三要件(旧)の基準の範囲を超えるものである。
(三要件(旧)の範囲を超える形で「武力の行使」を行うものである。)
(三要件(旧)を用いて限界を画していた基準を超える「武力の行使」である。)
三要件(旧)の範囲を超えているということは、「自衛のための必要最小限度」を超えることを意味し、そのことに連動して、それを実施するための実力組織の実態も「自衛のための必要最小限度」の範囲を超えるものとなっていることを意味する。
このような実力組織は、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
「自衛のための必要最小限度」の内容が、旧三要件から「存立危機事態」を含む新三要件に置き換わったと考え、それによって、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」を実施するための実力組織(自衛隊)は9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触しないと主張されることが考えられる。
しかし、三要件(旧)の基準に基づいて範囲が画されている枠を「自衛のための必要最小限度」と呼んでいるのであり、もともと9条の制約の下において「自衛のための必要最小限度」という枠が存在するわけではない。
なぜならば、もし9条の制約の下に「自衛のための必要最小限度」という枠が存在しているとの考えが通用するとなると、それは「自衛のための必要最小限度」の中身を変更したのであれば、どのような要件を定めたとしても9条に抵触しないと説明することが可能となってしまい、法解釈として妥当でなくなるからである。
例えば、「自衛のための必要最小限度」の内容として、実質的に「先に攻撃(先制攻撃)」や「侵略戦争」を行う要件を定めたとしても、それは9条に抵触しないと説明することができることとなってしまう。
これでは、9条が法規範として政府の行為を制約しようとする意味そのものを損なう結果となり、9条が存在している意味そのものを失わてしまうこととなる。
9条の下に三要件(旧)とは別に「自衛のための必要最小限度」という枠が存在するかのような主張は、9条の制約があたかも数量的な意味であるかのように取り扱うこととなるのであり、9条が法規範によって政府の恣意的な行為を制約しようとした趣旨を損なうものとなるため、法解釈として妥当でない。
そのため、三要件(旧)の基準を離れた形で、「自衛のための必要最小限度」という基準を独自に数量的な概念として扱うようなことはできない。
また、もし旧三要件とは別に「自衛のための必要最小限度」という枠が存在することを前提として、「自衛のための必要最小限度」の内容が旧三要件から新三要件に置き換わったと考えようとしても、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)の枠を離れて要件を定めることができるわけではない。
1972年(昭和47年)政府見解は、まず、「自衛の措置」をとることができるとしても、それは無制約ではないとして、「自衛の措置」の限界の規範を示している。
そして、「自衛の措置」の選択肢として「武力の行使」を選択するとしても、「自衛の措置」の限界の規範に拘束されることから、「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」という結論に至っている。この規範は、旧三要件の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」と同じ(一致する)ものである。
そのため、旧三要件と別に「自衛のための必要最小限度」という枠が存在することを前提として、その中身を旧三要件から新三要件に変更しようとするとしても、結局「自衛の措置」は無制約ではなく、1972年(昭和47年)政府見解の示す「自衛の措置」の限界の規範に拘束されることになる。この規範を超える形で「自衛のための必要最小限度」という枠の中身を自由に変更できるという性質のものではない。
そのため、新三要件の第一要件後段の「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」については、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称している部分も同様)の枠を超え、9条に抵触して違憲となる。
〇 「他国に対する武力攻撃」を「排除」する「武力の行使」を行う実力組織であることによる違憲
新三要件の「存立危機事態」に基づく「武力の行使」とは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃(第一要件・存立危機事態)」を「排除(第二要件)」するために「武力の行使」を行うものである。
そのため、実質的に「存立危機事態」での「武力の行使」とは、『他国防衛』の意図・目的を有する「武力の行使」ということができる。
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○政府委員(粟山尚一君) お答え申し上げます。
国際法上、ただいま先生御指摘のように、日本が個別的自衛権それから集団的自衛権というものを持っておる、これは国家である以上当然であるということでございまして、国連憲章においてもそのとおりでございます。
ただ、その集団的自衛権を実力の行使ということとの関連で、わが国が他国を守るというために行使するということは、これは憲法上の制約がございまして行い得ない。これは従来から政府が申し上げておるところでございます。
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第96回国会 参議院 予算委員会 第6号 昭和57年3月12日
『他国防衛』のための「武力の行使」を実施する実力組織の実態を「陸海空軍その他の戦力」とは異なるものと説明することはできず、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
〇 国土の保全のための実力を超えることによる違憲
政府は、「国土が外部から侵害される場合」の「実力」を持つことは9条2項の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に当たらないと説明している。
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○林政府委員 ……(略)……それでこれにつきましては、大体においてただいままでの解釈といたしまして、この陸海空軍その他の戦力を保持しないという言葉の意味につきましては、戦力という言葉をごく素朴な意味で戦い得る力と解釈すれば、これは治安維持のための警察力あるいは商船とか、そういうものもみな入ることに相なるわけでありますが、憲法の趣旨から考えて、そういう意味の国内治安のための警察力というものの保持を禁止したものとはとうてい考えられないわけであります。戦力という言葉にはおのずから幅がある、陸海空軍その他の戦力を保持しないという意味においては幅があるというふうに考えられます。従いまして国家が自衛権を持つておる以上、国土が外部から侵害される場合に国の安全を守るためにその国土を保全する、そういうための実力を国家が持つということは当然のことでありまして、憲法がそういう意味の、今の自衛隊のごとき、国土保全を任務とし、しかもそのために必要な限度において持つところの自衛力というものを禁止しておるということは当然これは考えられない、すなわち第二項におきます陸海空軍その他の戦力は保持しないという意味の戦力にはこれは当らない、さように考えます。
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第21回国会 衆議院 予算委員会 第1号 昭和29年12月21日
新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、この「国土が外部から侵害される場合」に該当しないことから、それを実施するための実力組織は9条2項の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
〇 曖昧不明確な要件に基づく「武力の行使」を実施するための実力組織となることによる違憲
新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」は、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある(第一要件・存立危機事態)」という状況を「排除(第二要件)」するために「武力の行使」を行うこととなる。
しかし、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」の部分は、具体的にどのような状態を指しているのか曖昧不明確であり、その具体的な限度を画することができる基準をもともと有していない。
このような曖昧不明確な状況を「排除」するために「武力の行使」を行うことは、その「武力の行使」について明確な限度を画することができないことを意味し、それを実施するための「実力組織」を保持するとしても、その実力の規模についても具体的な限度を画することができない。
そうなると、実力組織の実態を「陸海空軍その他の戦力」と異なるものであるとする明確な線引きを損なわることとなり、結局、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
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(2)現在自衛隊は、我が国の国民・国土を外国の武力攻撃から守るための最小限度の実力組織という限度で辛くもその合憲性が認められているといえるが、「他国防衛のための軍事的実力」の保持ということになれば、そのような理屈付けがそもそも当てはまらないことになってしまいます。したがって、そのような自衛隊の「実力」は端的に 9 条 2
項で保持しないとされている「戦力」という評価を免れず、この点でも、明白に憲法に違反すると言わなければならないと述べておられます。
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準備書面(22) 宮崎礼壹元内閣法制局長官の陳述書の内容説明の口頭弁論要旨 PDF (P2)
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……(略)……日本国憲法は,9条1項の「国際紛争を解決する手段として」の文言から,個別的自衛権についてはある程度認められるが,集団的自衛権の行使は国際紛争解決のための武力行使にほかならず,またそれに充てる実力は,「現実の国際間における武力紛争を鎮圧するだけの効果があるもの」でなければならないから,もはや必要最小限度の実力とはいえず,2項の禁止する「実力」に当たってしまい,違憲を免れない。
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安保法制違憲訴訟7地裁判決における平和的生存権判断のあり方 小林武 2021-07-30 愛知大学リポジトリ (P152) (下線は筆者) (宮崎礼壹証言について)
(『2項の禁止する「実力」に当たってしまい,』との記載があるが、2項が禁止しているのは「戦力」であるため、「実力」の文言は「戦力」とするべきところを間違えたものと思われる。)
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この九条をそのままにして、海外派兵。集団的自衛権というのは、いろいろな定義がありますが、国際法というのは、まだ法自体が戦国乱世の状態で中心的有権機関なんかないわけですから、世界政府がないわけですから。ですから、それぞれがいろいろ言っているおおよそのところからいけば、少なくとも、仲間の国を助けるために海外に戦争に行く、これが集団的自衛権でないと言う人はいないはずです。これをやろうということですから、これは憲法九条、とりわけ二項違反。
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参考人 小林節(慶應義塾大学名誉教授)(弁護士) 第189回国会 憲法審査会 第3号 平成27年6月4日 (下線・太字は筆者)
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日本が攻撃を受けたわけでもないのに「行動」を起こすのは「『自衛権』の行使としての必要最小限度の行動」とはいえない。自衛隊は、「必要最小限度の行動」のための手段としての「必要最小限度の実力」なのだから、それを自国ではなく他国が攻撃を受けた場合に出動させることは許されない。これが、上記の「自衛隊合憲」の論拠から導かれる当然の結論であり、従来の政府の自衛隊合憲論の核心なのである。つまり、自衛隊合憲論といわゆる「集団的自衛権」否認論というのは、論理的に合体していたのである。
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第18回 「安倍9条改憲」は「自衛隊合憲」の弁明放棄 浦部法穂 2017年11月20日 (下線・太字は筆者)
(第10回 「集団的自衛権」容認で「自衛隊合憲」の論理は吹っ飛んだ 2015年7月6日)
(「自衛隊」と「国防軍」のちがい 浦部法穂 2013年2月7日)
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政府は、憲法にない概念である個別的自衛権を持ち出してきて、個別的自衛権を行使するため、「自衛のための必要最小限度の実力」であれば、憲法上ギリギリ認められるとしてきた。「一切禁じているように見える」なかで、仮に何とか自衛隊の存在の正当化の理屈をひねり出すとすれば、個別的自衛権がせいぜいであり、「自衛のための必要最小限度の実力」という解釈そのものを変更することは不可能である。政府解釈で、集団的自衛権の行使を違憲としていることが、自衛隊の存在を担保してきたが、自衛隊をギリギリ合憲としてきたこの「屁理屈」を、集団的自衛権行使容認により、安倍政権は壊したわけである。
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この点も、自衛隊の合憲性の問題に帰着する。「自衛隊は合憲である、しかし必然的な結果といいますか、同じ理由によって集団的自衛権は認められない」(内閣法制局)のであり、「自衛のため」に当たらない武力行使ができるように解釈変更を行うのであれば、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」だけは武力行使を認めるという「自衛」隊の存立根拠の説明に連動せざるを得ない。したがって、自衛隊の合憲性の根拠という問題を離れて、「量的な連続性」か「質的連続性」か、というフラットな法解釈の一般論を論じても何の意味もない。
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藤田氏は「非常に微妙な問題」というが、従来の政府解釈からは、「我が国に対する武力攻撃の発生」がない以上は武力行使は許されず、いわゆる「敵基地攻撃」の範囲を超えた「先に攻撃」は違憲なので、「微妙」ではなく、明瞭である。これを否定すれば、自衛隊の合憲性の論拠が崩れる。
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9条の文言がある限り、「我が国に対する武力攻撃の発生」がある場合に限ってその範囲内で個別的自衛権行使が認められると言わざるを得ず、国際法上の個別的自衛権行使すらそのまま認めるわけにはいかないというのが従来の政府解釈である。従来の内閣法制局は、9条の文言上自衛隊の合憲性を認めることが法解釈上容易ではないことを十分に認識していたため、「我が国に対する武力攻撃の発生」を武力行使禁止の唯一の例外としてきたのだろう。従来の政府解釈が自衛隊の合憲性について、「個別的自衛権」から論理をスタートさせるのではなく、「我が国に対する武力攻撃の発生」から論理をスタートさせているのは、9条の文言の厳格さゆえである。
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憲法研究者と安保関連法――元最高裁判事・藤田宙靖氏の議論に寄せて 2016年3月7日 (下線・太字は筆者)
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そして,仮に自衛隊がわが国に対して武力攻撃が発生していない場合に実力を行使する存在になると,それは,9条2項が保持を禁じている「戦力」そのものであるといわなければならない。
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「安全保障」法制に対する違憲訴訟 ――その能否と可否―― 小林武 2015年11月29日 PDF (P37) (下線・太字は筆者)
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すなわち,集団的自衛権は,わが国には何ら攻撃は加えられておらず,他国が別の他国から攻撃されているという事態を想定しているのであって,それは国際的な武力紛争に該当し,そこでわが国が武力の行使をすることは,武力の行使を禁じた憲法9条1項に違反する。そして,仮に自衛隊がわが国に対して武力攻撃が発生していない場合に実力を行使する存在になると,それは,9条2項が保持を禁じている「戦力」そのものである。また,自衛隊が国際法上集団的自衛権として実力行使をすることは,同項が否認している「交戦権」の行使となる。
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安保法制違憲訴訟における平和的生存権の主張 小林武 2017-07-28 愛知大学リポジトリ (P93) (下線は筆者)
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すなわち,安保法制を形づくる法律群は,1個の新法と10個の改正法を束ねたものであるが,ここでは,9条違反がとくに指摘される立法を拾い上げておくことにしたい。何よりも,武力攻撃事態法改正や自衛隊法改正などの「存立危機事態」対処法制は,集団的自衛権行使を認めたものであり,その点において,憲法9条に真っ向から反する。すなわち,学説では,個別的自衛権とされるものを含めて,一切の武力行使を違憲とするのが通説であるが,政府の憲法解釈でも,従来,わが国に対する直接の武力攻撃が生じた場合に限り,わが国を防衛するための必要最小限度の武力の行使が許されるのであり,集団的自衛権の行使はその範囲を超えるものであって憲法上許されないとされてきた。すなわち,集団的自衛権は,わが国には何ら攻撃は加えられておらず,他国が別の他国から攻撃されているという事態を想定しているのであって,それは国際武力紛争に該当し,そこでわが国が武力の行使をすることは,武力の行使を禁じた憲法9条1項に違反する。そして,仮に自衛隊がわが国に対して武力攻撃が発生していない場合に実力を行使する存在になると,それは,9条2項が保持を禁じている「戦力」そのものである。また,自衛隊が国際法上集団的自衛権として実力行使をすることは,同項が否認している「交戦権」の行使となる。
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安保法制違憲訴訟7地裁判決における平和的生存権判断のあり方 小林武 2021-07-30 愛知大学リポジトリ (下線は筆者) (P149)
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○公述人(阪田雅裕君) そのとおりですね。ずっと申し上げているように、現在の九条の下ではちょびっとだけでも全部でも集団的自衛権。要するに、我が国に対する武力攻撃がないという状態の中で実力を行使するということは論理的に読めない、そういう戦力としては用意されていない自衛隊であるということであります。
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第186回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 平成26年3月13日 (下線は筆者)
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今回の「安保関連法案」は、他国への武力攻撃に対して「自衛隊」が武力行使をすること(集団的自衛権の行使)を可能とするものであるため、このギリギリの線を踏み越えてしまっており、違憲と言わざるをえない(逆に、この「他衛権」の行使まで合憲としてしまうと、憲法9条2項の下での自衛隊の合憲性は一層疑わしいものとなるのと同時に、憲法9条2項の存在意義をほぼ失わせるに等しいため、やはり憲法解釈の限界を越えていると考えざるをえない)。
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本秀紀(名古屋大学大学院) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
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また、日本に対する武力攻撃を阻止する個別的自衛権行使においては、専守防衛の自衛隊はその実力の行使の手段として「他国に侵略的脅威や攻撃的脅威を与える兵器を保有することはできない」とされてきました。これを超える装備は持った瞬間に9条2項の「戦力の不保持」に該当し憲法違反になります(なお、特に、性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる兵器とされている、大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母は明らかに「戦力」に該当するとされてきました)。しかし、自衛隊が同盟国を防衛するために先制的に第三国に武力行使を行い、かつ、相手の反撃などによってその武力行使の「必要最小限度」が論理的に画せない集団的自衛権行使は、本来の専守防衛では必要のない「実際は、侵略的で攻撃的な兵器」を保有せざるを得ないものと考えられ、第2項の「戦力の不保持」に違反するのです。
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第四章 解釈改憲の構造
──三つのからくりとその他の憲法違反 (P155) (下線・太字は筆者)
(第四章 解釈改憲の構造 ──三つのからくりとその他の憲法違反 PDF)
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③ 急迫不正の侵略を排除する自国防衛のための「自衛力」においてはその保有する兵力について「他国に侵略的脅威や攻撃的脅威を与える兵器を保有することはできない」という定性的な条件を画することができ、それによって「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(専守防衛の実力しか保有できない)という憲法9条2項の明文規定との整合を図ることができたが、集団的自衛権行使においては、外国の武力攻撃の態様等に相対的というよりはいわば従属的に対応し(①)、かつ、その後の必要な武力の限度を画せない(②)から、「どのようなものであれば戦力とならないか」を論理的に画することは困難である。
従って、上記の①、②で示した集団的自衛権行使を遂行するために我が国として保有することができる実力の範囲を画することが困難となることから、憲法9条2項の「戦力の不保持」との関係で違憲となるものと解される。
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第五章 集団的自衛権行使の新三要件
──歯止め無き無限定の武力行使 (P169) (下線・太字は筆者)
(第五章 集団的自衛権行使の新三要件 ──歯止め無き無限定の武力行使 PDF)
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(参考)阪田雅裕編著『政府の憲法解釈』有斐閣抜粋
「 第9条が集団的自衛権の行使を禁じていないと解することは、同条の文理に照らしても問題がある。すなわち、仮に第9条を集団的自衛権の行使を禁じる規定ではないと解するとした場合、同条第2項の戦力の不保持や交戦権の否認の意味を説明することが極めて難しくなるのである。「戦力」に関しては、もし集団的自衛権の行使のために必要な実力ないし実力組織が同項の禁止する「戦力」に当たらないとすれば、その質的・量的な限界を(個別的)自衛の場合のように論理的に画せるかどうか疑問がある(限界を画せないとすれば、法規範として無意味になる)し、「交戦権」を有しないままで現に生じている戦争その他の武力紛争にいずれかの陣営の一員として加わることも想定し難い。この点は、後述の集団安全保障措置(多国籍軍)に参加して武力行使をすることが許されると解する立場に立つ場合にも、同様に問題となる。」
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集団的自衛権行使を容認する閣議決定の違憲・違法性について ―閣議決定は無効であり憲法9条の法規範性は不変である― 参議院議員 小西洋之 2014年6月27日 PDF (P16) (下線・太字は筆者)
(集団的自衛権行使を容認する閣議決定の違憲・違法性について ―閣議決定は無効であり憲法9条の法規範性は不変である― 参議院議員 小西洋之 2014年6月27日 PDF)
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ただし、もし自衛のための軍隊が必要であるとして、「専守防衛」という範囲がまだ明確であった従来であれば、地理的範囲や個別的自衛権が発動される場合にもある程度限定は可能であった。しかし、集団的自衛権に関していうならば、他国に対する武力攻撃の発生は、自国では予防できず、そのため規模や場合も主体的には想定しにくい。そのため、出撃しなければならない場所も、保持しなければならない武力も、戦闘に備えた能力も最小限度がどの程度であるのか想定しにくいと考える。
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憲法の掲げる平和主義と自衛隊の強化 -石垣市・宮古島 市の自衛隊配備問題を中心に 髙良沙哉 2016-09 (下線は筆者)
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3.集団的自衛権の容認は自衛隊合憲論の根拠を崩す
自衛隊合憲論は、自衛隊は日本の領域防衛を超える行動はできないという歯止め、すなわち個別的自衛権とセットになっていた。日米安保条約改定時(1960年)にもこの9条解釈は維持され、ぎりぎりのところで自衛隊が集団的自衛権に踏み込まないように日本の役割が限定的に規定された。この歯止めを外すと自衛隊合憲論そのものが崩れる。
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関西学院大学大学院司法研究科教授・永田秀樹氏 憲法学者アンケート調査 (下線は筆者)
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仮に、これまでの政府解釈のように、自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」として「合憲」であると解するとしても、その場合の「自衛」とは、日本が武力攻撃を受けた場合の反撃、すなわち個別的自衛権の行使を意味するのであり、それが、憲法9条2項の下で「自衛隊」を「合憲」とするギリギリの線である。今回の「安保法制」は、他国への武力攻撃に対して「自衛隊」が武力行使をすること(集団的自衛権の行使)を可能とするものであるため、このギリギリの線を踏み越えてしまっており、違憲と言わざるをえない(逆に、この「他衛権」の行使まで合憲としてしまうと、憲法9条2項の下での自衛隊の合憲性は一層疑わしいものとなるのと同時に、憲法9条2項の存在意義をほぼ失わせるのに等しいため、やはり憲法解釈の限界を越えていると考えざるをえない)。
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名古屋大学大学院法学研究科教授・本秀紀氏 憲法学者アンケート調査 (下線は筆者)
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憲法は、「国際紛争を解決する手段としての武力の行使」と「戦力の保持」を禁止している。つまり、時の政権の判断で、日本の国益を守るために武力を行使するという手段を、政府に与えていない(政府はそのような憲法上の権限を持たない。)のである。従来の政府解釈は、このことを前提にした上で、わが国が直接に武力攻撃を受けている場合に必要な反撃をすることまで、憲法が禁じていると考えることは不合理だという判断の上に成り立っている。昨年の7.1閣議決定と今回の法案は、この前提を覆すものであり、自衛隊合憲論の根拠を失わせるものである。
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関西学院大学法学部教授・長岡徹氏 憲法学者アンケート調査 (下線は筆者)
【9条2項後段の禁じる「交戦権」への抵触】
「交戦権」の意味するところは、政府見解によれば、「交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むもの(憲法と自衛権 防衛省・自衛隊)」である。
「交戦権」と「自衛行動権」の違いについては下記の通り。
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○政府委員(秋山收君) 憲法第九条のもとに認められております自衛行動と申しますのは、繰り返しになりますが、いわゆる自衛力発動の三要件、具体的な武力攻撃を受けていること、それからそれを排除するためにほかの適当な手段がないこと、それから発動の態様は必要最小限に限るということでございます。
その範囲内で、それを裏づける具体的な権能として自衛行動権という概念を説明として用いているわけでございますが、伝統的な国際法上の交戦権がいかなるものを、総体的にどんなものを含んでいるか、そのメニューの中で自衛行動権として認められるものは何かということはなかなか具体的に確定することはできないわけでございまして、やはり先ほどの三要件に照らしまして認められる範囲で自衛行動権が認められると。
したがって、典型的に申しまして交戦権には含まれるとされております相手国領土の占領、軍政の実施というようなものが含まれないということは申し上げているわけでございますが、それ以外のものがどこに境界が引かれるかということは、やはり具体的な状況に応じて判断せざるを得ない問題ではないかと考えております。
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第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第5号 平成11年3月15日
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自衛力発動の三要件
〇 具体的な武力攻撃を受けていること
〇 それを排除するためにほかの適当な手段がないこと
〇 発動の態様は必要最小限に限るということ
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その範囲内で、それを裏づける具体的な権能として自衛行動権
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○政府委員(林修三君) ただいまの点でございますが、これは従来からの私たちの答弁いたしておるところでございます。交戦権というのは、先ほど総理からお答えいたしました通りに、戦時に際して交戦国が持つ権利。その内容といたしましては、たとえば占領地行政、あるいは中立国船舶あるいは敵国船舶の拿捕、それから、あるいは武力を――人を殺傷するというようなことも、まあ交戦権という観念には入ると思います。しかし、いわゆる自衛行動権というものは、これとまた別な観念でございまして、自衛権に基いて急迫不正の侵害を排除する。この内容には、当然武力の行使というものは含まれるわけでありまして、いわゆる交戦権――国際法上にいわれる交戦権がなくても、自衛権、自衛行動権という内容で、国内に侵略者として入ってきた場合の侵略者の兵力に対して抵抗する、あるいはこれに対して武力行動をとるということは、自衛のための必要な措置として当然認められる。交戦権がないからそういう自衛行動権は認められないというものではないと、かように考えております。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○政府委員(林修三君) これは、自衛のための自衛権というものは、国家の基本権として認められているわけでありますが、その自衛のために必要な措置というもの、いわゆる自衛行動権、これは国家の基本的な権利として憲法は否定しておらない、かように私は考えているのでございます。従いまして、いわゆる交戦権という面とダブる面が、その自衛の行動権の範囲内にはいわゆる形式の面から見れば、あるかもしれません。しかし、自衛行動権によってカバーされる範囲のものは当然認められるものだ、かように考えるわけでございます。
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第28回国会 参議院 内閣委員会 第30号 昭和33年4月18日
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○説明員(吉國一郎君) 私の、これはお答えと申し上げるより釈明みたいなものでございますが、平和条約の五条のC項でございますか、と安保条約の前文、日ソ共同宣言で、わが国が自衛権を持っているということは確認をしております。その自衛権には、形容詞がついておりまして、個別的及び集団的自衛の固有の権利があるということで、条約上うたわれておりますが、これは国際法上の問題として、日本が自衛権を持っている、その自衛権というのは個別的及び集団的なものであるということを国際法上うたったわけでございまして、憲法上こういう権利の行使については、また別途措置をしなければならない。憲法ではわが国はいわば集団的自衛の権利の行使について、自己抑制をしていると申しますか、日本国の国内法として憲法第九条の規定が容認しているのは、個別的自衛権の発動としての自衛行動だけだということが私どもの考え方で、これは政策論として申し上げているわけではなくて、法律論として、その法律論の由来は先ほど同じような答弁を何回も申し上げましたが、あのような説明で、わが国が侵略された場合に、わが国の国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るためにその侵略を排除するための措置をとるというのが自衛行動だという考え方で、その結果として、集団的自衛のための行動は憲法の認めるところではないという法律論として説明をしているつもりでございます。
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第69回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号 昭和47年9月14日
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他方、我が国は、国際法上自衛権を有しており、我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することが当然に認められているのであつて、その行使として相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うことは、交戦権の行使として相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うこととは別の観念のものである。実際上、我が国の自衛権の行使としての実力の行使の態様がいかなるものになるかについては、具体的な状況に応じて異なると考えられるから、一概に述べることは困難であるが、例えば、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められない。
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憲法第九条の解釈に関する質問に対する答弁書 昭和60年9月27日
これより、「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準を超えた場合には、2項後段の禁じる「交戦権」に抵触して違憲となる。
「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が「交戦権」に抵触するか否かについては下記の通りである。
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○阪田参考人
(略)
実は、交戦権がないということを明確に書いてあるわけですね。交戦権がない結果として、従来、我が国は、外国が攻めてきたときも、まさに必要最小限度の実力行使しかできないんだ。それは何のための必要最小限度であったかというと、その外国の侵略行為を排除するために必要最小限度なので、敵が撃ち方をやめているのに、ずっと追っかけていって外国の領土、領海に入る、そして敵をせん滅するというようなことは許されないと述べてきたわけですね。
今回、もし集団的自衛権を、限定的であるとしても行使するとした場合に、そもそもそれは外国に行って戦うということを意味するわけですから、この交戦権との関係で、必要最小限度というのは一体何なんだろうと。
武力攻撃事態法を見ますと、いわゆる存立危機事態ですか、政府は速やかに終結させなければならないというようなことになっているわけです。これを速やかに終結させるということは、つまりは戦争に勝っちゃうということでしかないわけで、そのためには最大限の実力行使を恐らくしなければならないんじゃないかと思いますので、今回の自衛措置の発動要件の第三要件にも必要最小限度と書かれているんですけれども、それは一体何のための必要最小限度なんだろうなんというようなところで首をかしげるところもあります。
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第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第13号 平成27年6月22日
【動画】元法制局長官「違憲」「逸脱」戦争法案で明言 2015/06/23
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(参考)阪田雅裕編著『政府の憲法解釈』有斐閣抜粋
「 第9条が集団的自衛権の行使を禁じていないと解することは、同条の文理に照らしても問題がある。すなわち、仮に第9条を集団的自衛権の行使を禁じる規定ではないと解するとした場合、同条第2項の戦力の不保持や交戦権の否認の意味を説明することが極めて難しくなるのである。「戦力」に関しては、もし集団的自衛権の行使のために必要な実力ないし実力組織が同項の禁止する「戦力」に当たらないとすれば、その質的・量的な限界を(個別的)自衛の場合のように論理的に画せるかどうか疑問がある(限界を画せないとすれば、法規範として無意味になる)し、「交戦権」を有しないままで現に生じている戦争その他の武力紛争にいずれかの陣営の一員として加わることも想定し難い。この点は、後述の集団安全保障措置(多国籍軍)に参加して武力行使をすることが許されると解する立場に立つ場合にも、同様に問題となる。 」
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集団的自衛権行使を容認する閣議決定の違憲・違法性について ―閣議決定は無効であり憲法9条の法規範性は不変である― 参議院議員 小西洋之 2014年6月27日 PDF (P16) (下線は筆者)
(集団的自衛権行使を容認する閣議決定の違憲・違法性について ―閣議決定は無効であり憲法9条の法規範性は不変である― 参議院議員 小西洋之 2014年6月27日 PDF)
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さらに,阪田氏は,「集団的自衛権」は,他国に対する武力攻撃に対して,自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力を行使するものであるところ,憲法9条2項は,他国に攻撃をしかける交戦権を認めておらず,どう解釈しても,合憲とはいえないと述べました。
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元内閣法制局長官 阪田雅裕氏と弁護士 岩村智文氏との対談を踏まえて
~解釈改憲による集団的自衛権の行使の容認を認めない~/山口毅大 2014.6
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他方、外国の領域における他国防衛の実質を有する武力行使たる集団的自衛権の行使において(もし、他国防衛の実質が一切無い自国防衛のための武力行使を行えばそれは国際法違反の先制攻撃そのものである)、こうした「交戦権の行使とは別の観念のもの」を見出し、かつ、交戦権の行使の実質を一切排除することは著しく困難であると解される。従って、憲法 9 条 2 項の交戦権の否認との関係で違憲とならざるを得ないものと解される。
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第五章 集団的自衛権行使の新三要件 ──歯止め無き無限定の武力行使 PDF (P169)
(第五章 集団的自衛権行使の新三要件 ──歯止め無き無限定の武力行使 PDF)
〇 9条2項後段の「交戦権」を伝統的な国際法上の『権利』の概念であると考える説もあるが、「交戦権」の意味を日本国独自の概念と考えると、「集団的自衛権の行使」として行われる「武力の行使」は「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」が発生していない段階で「武力の行使」を行うものであることから、国際法の「自衛権」の区分に関係なく、直接「交戦権」に抵触して違憲となることが考えられる。
1項限定放棄説のアプローチ
「1項限定放棄説」とは、9条1項の「国際紛争を解決する手段としては、」の文言は制約の範囲を限定する意味であると解し、9条1項は「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」のみを限定的に禁じているが、それ以外の形で「武力の行使」を行うことは可能であると考える説である。
この9条1項の制約の下で「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や、「存立危機事態」での「武力の行使」を可能とする余地があるか否かを検討する。
政府解釈の基準
政府解釈は、9条1項を「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」のみを限定的に禁じる趣旨であり、それに該当しない「武力の行使」は可能であると考えている。
下記で、9条1項の「国際紛争を解決する手段としては、」の意味と、9条1項の制約範囲を確認する。
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○政府委員(佐藤達夫君)
(略)
国際紛争の問題でありまして、第九条の第一項においては、お言葉にありましたように、国際紛争解決の手段としては武力行使等を許さない、その趣旨はこれはずつと前から政府として考えておりますところは、他国との間に相互の主張の間に齟齬を生じた、意見が一致しないというような場合に、業をにやして実力を振りかざして自分の意思を貫くために武力を用いる、そういうことをここで言つておるのであつて、日本の国に対して直接の侵害が加えられたというような場合に、これに対応する自衛権というものは決して否定しておらないということを申しておるのであります。その趣旨は、私は今のお言葉にも出て来ましたように、恐らく突如として敵が日本に攻め込んで来るということはむしろ例外の場面であつて、何か初めにいざこざがあつて、そうしてそのいざこざのあげくに向うから手を出して攻め込んで来るという場合に、これが常識上普通の場合だ。いざこざがあつて向うから手を出して攻め込んで来た場合に、一体日本がそれを迎え撃つということが国際紛争解決の手段として武力行使になるかどうかと申しますと、それはならないと考えるべきであろうと思います。即ちいざこざが前にあろうとなかろうとこちらから手を出すのは、これは無論解決のための武力行使になりますけれども、いざこざがあつて、そうして向うのほうから攻め込んで来た場合、これを甘んじて受けなければならんということは、結局言い換えれば自衛権というものは放棄した形になるわけです。自衛権というものがあります以上は、自分の国の生存を守るだけの必要な対応手段は、これは勿論許される。即ちその場合は国際紛争解決の手段としての武力行使ではないんであつて、国の生存そのものを守るための武力行使でありますから、それは当然自衛権の発動として許されるだろう、かように考えておるのであります。
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第19回国会 参議院 法務委員会 第35号 昭和29年5月13日
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○林政府委員 ただいま総理大臣から御指名がありましたから私から憲法問答についてお答えすることにいたします。
憲法第九条は御承知のように第一項におきまして国際紛争を解決する手段として武力の行使というものをはつきり放棄いたしております。この第一項の解釈につきましては大体において説は一致しておりますが、これにつきましては、日本は固有の自衛権というものを独立国である以上放棄したものではない、従いまして他国から急迫不正の侵害を受けた場合に、その自衛権を行使するという形において武力抗争をすることも第一項は放棄したものではないということも、これも大体通説と考えてよろしいと思います。……(略)……
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第21回国会 衆議院 予算委員会 第1号 昭和29年12月21日
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○大村国務大臣
(略)
二、憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。一、戦争と武力の威嚇、武力の行使が放棄されるのは、「国際紛争を解決する手段としては」ということである。二、他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。
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第21回国会 衆議院 予算委員会 第2号 昭和29年12月22日
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○高辻政府委員 これは安保条約のときに、実は何べんも出た問題だと私は思います。かりにどこかの国が侵略を受けた、日本の国は実は安全であったという場合に、他の一国の武力攻撃を受けたということについて、日本がそれに加担をして武力を行使するというのは、憲法九条でいう国際紛争を解決する手段になるということになろうと思います。ただ、念のために申し上げますが、たとえば日本が他国の集団安全保障の享受を受けるということは、話がむろん別でございます。
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第48回国会 衆議院 予算委員会 第17号 昭和40年3月2日
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○政府委員(高辻正巳君) 問題は、武力攻撃が発生するに先立って先制攻撃、いわゆる先制防御といいますか、とにかくこちらから、防衛の実を全うするために、攻撃がある前にこちらから手を出すということができるかできないかという問題でございますが、これはただいまもお話しがありましたように、わが国の自衛権というものについては、要するに、外国から急迫不正な侵害があった場合に、わが国民の安全と生存を保持するというのが目的でございますので、侵害がないのにこちらから手を出す、極端な場合には、国際紛争を武力で解決するということになりましょうが、そういうことは憲法が許さない。したがって、あくまでも侵害があった場合、武力攻撃が発生した場合ということになるわけでございます。ところで、アメリカのほうは、そうは言ってもそうはいかぬじゃないかということでございますが、アメリカのほうも、先ほど申し上げましたように、国連憲章の根拠に基づて発動をするわけでございますから、それは先ほども申し上げましたことでありますが、「武力攻撃が発生した場合には」ということになります。現実の事態はそうではないではないかという仰せでございますが、これは私が答弁する限りではないと思いますが、この「武力攻撃が発生した場合」ということについてあるいは認識の相違があるのかもしれません。しかし、いずれにしましても、国連憲章そのものは武力攻撃が発生した場合にのみ集団的自衛権あるいは個別的自衛権の発動を認めておるということを、私の答弁する限りでは、そこまで申し上げる以外はございません。
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第58回国会 参議院 予算委員会 第8号 昭和43年3月27日
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○高辻政府委員 あまり私が長く時間をとるのもどうかと思いますので、筋道だけを申し上げたいと思います。
大体憲法九条の考え方としては、これは何べんも申し上げていることで重ねて申し上げるのも申しわけないのですが、憲法九条の一項というのは、まさに国際紛争を武力で解決することはいけないということがきわめて明瞭にあらわれておるわけであります。したがって国際紛争があれば、それは平和的に解決しろ、国際裁判所にいくのもいいだろう、第三国の調停を得るのもよかろう、いずれにしても個人間の紛争について暴力を行使しないで、それぞれしかるべく筋を通して解決をするのがいいと同じように一それ以上かもしれませんが、国家間の紛争というものは平和的に解決しろ、これはもうきわめて一点の疑いもない憲法の規定であります。ただし、国際紛争を解決するというのではなくて、わが国が武力攻撃を受けて国民の安全と生存が保持できなくなった場合、その場合にもなおかつ身を滅ぼすべきかどうかというのがぎりぎり一ぱいの論点になると思います。そういう場合には、国民の安全と生存を維持するためにその必要の限度で防衛をするというのは、まさかに憲法の否認しているものとはいえまいというところから、自衛に必要な限度の武力組織、実力組織、それから行動の限界というものが問題になってくるわけで、この両点については、少なくとも政府一般がそうでありますけれども、私ども法制局としては、その限界を失えば、これは実は憲法の規定が根底からくつがえされることになるくらいに考えておりますから、その限界というものは非常にやかましくいうものであります。そうではありますけれども、この限界内におけるものは、いまいった本旨から許さるべきではないか。
(略)
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第65回国会 衆議院 内閣委員会 第20号 昭和46年5月7日
このように、9条1項に関する政府解釈は、「我が国に対する武力攻撃」が発生する以前の段階で「武力の行使」を行った場合、9条1項に抵触して違憲となるとしている。
政府解釈からのアプローチ
政府解釈の基準によれば、「我が国に対する武力攻撃」が発生していない段階で「武力の行使」を行うことは、9条1項に抵触することになる。
そのため、新三要件の第一要件後段の「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」は、9条項に抵触して違憲となる。
司法判断からのアプローチ
【砂川判決は「先に攻撃」を許容しているか】
「存立危機事態」での「武力の行使」の要件は、相手国との間で我が国が「先に攻撃」を行うものである。このような「武力の行使」は、砂川判決の「同条(筆者注:九条)一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争」と述べている部分に該当すると考えられる。
砂川判決
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そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。
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砂川判決の「裁判官小谷勝重の意見」でも、「右憲法九条一項で禁じておる侵略等」の文字がある。これは、我が国の憲法が我が国の法体系内部の評価として、我が国の統治権の『権限』として「侵略等」に該当する「武力の行使」を行うことを禁じている趣旨と考えられる。
砂川判決「裁判官小谷勝重の意見」
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そして、わたくしの本件に対する判断の要旨は、憲法九条はわが国が主権国として有する固有の自衛権それ自体はこれを否定したものではなく、また同条二項前段は右自衛権行使のためわが国自体が保持する戦力をも禁止しておるものであるか否かは別論として、少なくともわが国に駐留する外国軍隊で、わが国に指揮権も管理権もないものは、それが憲法九条一項で禁ぜられておる目的のために駐留するものでない限り、かかる外国の戦力はこれを含まないものと解すべく、そして本件日米安全保障条約によるアメリカ合衆国のわが国駐留軍隊は、右憲法九条一項で禁じておる侵略等のために駐留しておるものではなく、極東における平和の維持とわが国の安全に寄与するために駐留しておるものであることは、本件安全保障条約の前文及び本文一条並びに日本国との平和条約五条c項六条a項及び国際連合憲章五一条五二条等に照して明らかであつて、憲法九条二項前段に禁ずる戦力には該当しないものといわなければならない。
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砂川判決の「裁判官田中耕太郎の補足意見」では、「同条(筆者注:九条)の精神は要するに侵略戦争の禁止に存する。それは外部からの侵略の事実によつて、わが国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合に、止むを得ず防衛の途に出ることおよびそれに備えるために必要有効な方途を講じておくことを禁止したものではない。」と述べられている。
砂川判決「裁判官田中耕太郎の補足意見」
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本件において問題となつている日米両国間の安全保障条約も、かような立場からしてのみ理解できる。本条約の趣旨は憲法九条の平和主義的精神と相容れないものということはできない。同条の精神は要するに侵略戦争の禁止に存する。それは外部からの侵略の事実によつて、わが国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合に、止むを得ず防衛の途に出ることおよびそれに備えるために必要有効な方途を講じておくことを禁止したものではない。
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これは、9条は「外部からの侵略の事実」によって「我が国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合」については「止むを得ず防衛の途に出ること」および「それに備えるために必要有効な方途を講じておくこと」を禁止していない趣旨である。(ただ、ここでは日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」が可能であるかについては触れていないことに注意。)
しかし、「存立危機事態」での「武力の行使」は、ここにいう「外部からの侵略の事実」は存在せず、「我が国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合」とは言うことができない。
「存立危機事態」の要件は、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと」の要件を満たさない中で、「自国の存立」や「国民の権利」の危険などを政府が総合的に判断するという「我が国の意思」を含めて「武力の行使」(先に攻撃)を行うことを可能とするものとなっている。
これにより、「存立危機事態」での「武力の行使」は、この「裁判官田中耕太郎補足意見」で述べられている基準から見ても、9条に抵触して違憲となる。
この「裁判官田中耕太郎の補足意見」では、「憲法九条の平和主義の精神は、憲法前文の理念と相まつて不動である。それは侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄する。」とも述べられている。
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b それでは、学説上、おそらくもっともゆるやかな解釈をとった場合、集団的自衛権を認めることができるか。9条1項の解釈で、放棄したものは、侵略戦争であると考え、2項の「前項の目的」を、侵略戦争の放棄であると捉えると、侵略戦争のための戦力は認められないが、自衛のための戦力は認められるという解釈が可能になる。さらに、集団的自衛権のための戦力も認められると解釈することも文言上は不可能ではない(侵略戦争ではないから)。しかし、法の解釈は文言上可能だからすべて許されるというものではない。許容されるためには、①憲法解釈のルールに適合している(形式的要件)、②解釈に実質的根拠がありまたそれに対する国民(法曹も含む)の同意がある(実質的要件)、という条件を満たす必要がある。
①の憲法解釈のルールで問題となる点は、以上のように解すると、そもそも9条を規定した意味が喪失するということである。侵略戦争は国際法上、憲法制定時においても禁止されているのであるから、それだけのために規定を設ける意味は乏しいし、侵略戦争を禁止したいなら端的にそれだけを規定すればよい。したがって、9条のような比較的詳細な規定には侵略戦争禁止以上の意味があると解釈するのが自然である。
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齊藤芳浩(西南学院大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
1項が「侵略戦争」を放棄する趣旨であることは砂川判決でも述べられている。「侵略戦争のための戦力」や「自衛のための戦力」の文言についても、砂川判決でも同様の考え方が検討されている。ただ、砂川判決は「自衛のための戦力」を保持できるか否かについては判断していない。また、1項が「侵略戦争」の放棄のみを意味し、その他はすべて許容される、と示しているわけでもない。
また、砂川判決の「裁判官田中耕太郎の補足意見」では、「同条の精神は要するに侵略戦争の禁止に存する。それは外部からの侵略の事実によつて、わが国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合に、止むを得ず防衛の途に出ることおよびそれに備えるために必要有効な方途を講じておくことを禁止したものではない。」と説明している。砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」が可能であるか否かについては判断していないが、「自衛のための措置」として「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」を挙げているため、それが「止むを得ず防衛の途に出ること」の手段として想定しているものと考えられる。ここでは、9条の精神は「侵略戦争の禁止に存する」としているが、それに対比する形で「外部からの侵略の事実によつて、わが国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合」の「防衛の途に出ること」は禁止していないと示していることから、日本国の統治権の『権限』が「自衛のための措置」(防衛の途に出ること)として「武力の行使」を選択する場合にも、「外部からの侵略の事実によつて、わが国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合」が必要であると考えられる。つまり、我が国が武力攻撃を受けている場合、「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」が発生している場合を想定するものと考えられる。
「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や、「存立危機事態」での「武力の行使」については、「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」が発生していない段階での「武力の行使」であり、「外部からの侵略の事実」は存在しない。また、武力攻撃を受けた他国からの『要請』を含めて我が国政府が参加するか否かを判断するものであるから、「わが国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合」とも言えない。これにより、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や、「存立危機事態」での「武力の行使」については、9条1項に抵触して違憲となると考えられる。
「9条を規定した意味が喪失する」の部分については、「芦田修正説」の解釈方法の妥当性の議論に通じる部分である。
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不戦条約が覆そうとしたのは、「力は正義なり」というこのグロティウス的戦争観だったのです。国際紛争を解決する手段としての戦争は禁止されることになります。
日本国憲法9条1項はその流れをくむもので、さらに、武力による威嚇と武力の行使を「永久に放棄する」と文言上も明確に拡大したのです。ですから、9条1項を侵略戦争を禁止したものだと解釈するのでは狭すぎることになります。
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「打倒 芦部憲法学」弟子の長谷部恭男早大教授が語る 2020年03月15日
【動画】安保法制違憲訴訟全国の状況 ~各地からの報告 XIX 2023/05/07
砂川判決では、9条1項について「同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。」と述べており、「侵略戦争」を永久に放棄することを定めた趣旨の規定であると解している。
「存立危機事態」の要件には、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という曖昧不明確な部分があり、政府の主観的な判断によって「武力の行使」に踏み切ることが可能となるものとなっている。
このことは、砂川判決のいう9条1項が「侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためである」としている趣旨を満たしておらず、「存立危機事態」での「武力の行使」は9条に抵触して違憲となる。
【砂川判決の示す戦力の制約】
9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」の制約の下で、政府解釈のように「陸海空軍その他の戦力」に当たらない「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)」を保持することや、それによる「武力の行使」が許容されるか否かは別として、砂川判決は9条2項によって「保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいう」と述べている。
そして、その「戦力」の内容については、「二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、」と述べて、「自衛のための戦力」の保持が許されるかは判断を留保している。
ただ、砂川判決は「一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こす」「戦力」については、明らかに9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲であることを示している。
砂川判決の禁じている「侵略戦争のための戦力」とは、9条1項が禁じた「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」を実施する実力組織のことを指している。
このことから当然に、砂川判決は9条1項が「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」を禁じていることを前提としている。
その9条1項が禁じた「侵略戦争」(『国際紛争を解決する手段として』の『武力の行使』)の内容を具体的に示すと、
① 「我が国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず、他国に対して「侵略戦争」の形で「武力の行使」を行うことを意味することは当然、
② 「我が国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず、自衛の名の下で「先に攻撃」の形で「武力の行使」を行うことも、これに当てはまると考えられる。
また、そのことから当然に、9条2項前段の「陸海空軍その他の戦力」(侵略戦争のための戦力)に該当するものは、
① 「我が国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず、他国に対して「侵略戦争」の形で「武力の行使」を実施する実力組織を意味することは当然、
② 「我が国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず、自衛の名の下で「先に攻撃」の形での「武力の行使」を実施する実力組織についても、これに当てはまると考える。
このことは、砂川判決が我が国の政府が保持することができるか否かについて判断を留保している「自衛のための戦力」を、仮に保持できる場合であったとしても同様である。
9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」の下で「自衛のための戦力」の保持が許され、それによる「武力の行使」が許されるとしても、9条2項前段が「陸海空軍その他の戦力」を禁じている以上は、9条1項が「侵略戦争」を禁じた趣旨から導き出される「侵略戦争のための戦力」に抵触しないことを明確化することが求められる。
そのため、「先に攻撃」の形で「武力の行使」を行うことは、1項の禁ずる「侵略戦争」(『国際紛争を解決する手段として』の『武力の行使』)に抵触して違憲となることから、それを実施するための実力組織についても、結局は2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」(ここでいう『侵略戦争のための戦力』)に抵触して違憲となる。
「存立危機事態」の要件は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」というものである。
この「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」とは、未だ「我が国に対する武力攻撃」が発生していない段階で、「他国に対する武力攻撃」が発生したことに起因して「武力の行使」を行うものである。
また、我が国の政府が「我が国と密接な関係にある他国」に該当するか否かを自由裁量の判断として認定した国家(他国)に対して武力攻撃が発生した時点で、我が国の政府が「我が国にその影響があるか否か」、「その影響によって『自国の存立』や『国民の権利』に危険が及ぶか否か」を自由裁量として総合的に判断することによって「武力の行使」を行うことができるとするものである。
これは、何らかの武力攻撃の発生が確認された時点で、我が国の政府の自由裁量による認定でもって自衛の名の下に「先に攻撃」の形で「武力の行使」を行うことを可能とするもの見ることができる。
このことは、実質的に上記の②の事例と異ならないものである。
これにより、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」や、それを実施する実力組織の実態は、砂川判決に示された基準に照らし合わせても、9条1項の禁じる「侵略戦争」(『国際紛争を解決する手段として』の『武力の行使』)や9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
これは、9条が存在している我が国の法体系における統治権の『権限』の範囲の問題であるから、たとえ国際法において各国が軍を保持することが『権利』として認められており、その組織が行った「武力の行使」が国際法上の『権利』である「個別的自衛権」や「集団的自衛権」という区分に該当して違法性が阻却される場合があるにしても、結論は変わらない。
【長沼事件の第二審判決で示された枠組みでは「先に攻撃」を許容しているか】
「長沼事件」の第二審判決では、9条解釈のバリエーションについて述べられている。下記は「武力の行使」と「自衛のための戦力」を許容する場合の解釈の枠組みを示した部分であるが、それでも9条1項の制約の下では「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たすことを求めるものとなっており、それを満たす前の「武力の行使」は9条1項に抵触して違憲となることを前提としている。
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四 憲法第九条の解釈
わが憲法は、第九条第一項において国際紛争解決の手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を放棄し、同条第二項において右目的を達成するため陸海空軍その他の戦力を保持しないと定めたことにより、侵略のための陸海空軍その他の戦力の保持を禁じていることは一見明白である。しかし、憲法第九条第二項の解釈については、自衛のための軍隊その他の戦力の保持が禁じられているか否かにつき積極、消極の両説がある。
まず、積極説の論旨を要約すれば、次のとおりである。……(略)……
(略)
これに対し、消極説の論旨は、要約すれば次のとおりである。すなわち、憲法第九条第一項は、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使を、文言上明らかに国際紛争解決手段として行われる場合に限定して放棄しているもので、他国から急迫不正の攻撃や侵入を受ける場合に自国を防衛する自衛権行使の場合についてまで右戦争等を放棄しているものとは解されない。なるほどわが憲法は、国の在り方として平和主義、国際協調主義をその原則としていることは明らかである。しかしわが憲法は、主権を有する日本国民が、その意思によつて形成する国の組織形態及びその基本的運営の在り方を確定した国の最高法規であつて、国としての理想を掲げ、国民の権利を保障し、その実現に努力すべきことを定めているものであるから、わが国の存在基盤をなす領土等が保全され、主権が侵害されることなく維持されることをその前提としているものといわなければならない。したがつて、もし国の存在が失われるならば、主権は否定され、憲法はその理想を実現することはもちろん、国民の人権保障さえ不可能となるのであるから、国の存立維持を図ることは憲法の基本的立場である。憲法の平和主義、国際協調主義も、わが国が戦争等を開始し自ら平和を破ることはないとする生存の姿勢を示したものであり、わが国が他国から武力侵略を受け、滅亡の危機に際してまで無抵抗を貫ぬくものとして平和主義を定めたものと解することはできず、したがつて、実力による抵抗は当然予想されているもので、憲法第九条第一項において他国からの急迫不正な攻撃や侵入に抵抗する自衛のための戦争等は放棄されていないと解することは、むしろ憲法の精神に副うものである。
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保安林解除処分取消請求控訴事件 札幌高等裁判所 昭和51年8月5日 (PDF)
このことから、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」は、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」となるから、9条1項に抵触して違憲となる。
【百基地訴訟の第一審判決で示された枠組みでは「先に攻撃」を許容しているか】
「百里基地訴訟」の第一審判決では、9条の解釈について述べられている部分がある。その枠組みは「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たすことを求めるものであり、それを満たす前の「武力の行使」は9条1項や2項後段の「交戦権」に抵触して違憲となることを前提としている。
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……(略)……憲法は、平和主義、国際協調主義の原則に立ち「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のであるが、その趣旨とするところが、わが国が他国から緊急不正の侵害を受け存亡の危機にさらされた場合においても、なお自らは手を拱ねいて「われらの安全と生存」を挙げて「平和を愛する諸国民の公正と信義」に委ねることを決意したというものでないことは明らかである。けだし、わが国が加盟した国際連合による安全保障(国際連合憲章第三九条ないし第四二条)が未だ有効適切にその機能を発揮し得ない現下の国際情勢に照らし、国の安全と国民の生存が侵害された場合には、これを阻止、排除し、もつて「専制と隷従、圧迫と偏狭」を地上から除去することこそ、「正義と秩序を基調とする国際平和」(憲法第九条第一項)の実現に寄与するゆえんであり、かくして、はじめて「国際社会において名誉ある地位」を占めることができるからである。そうであれば、わが国は、外部からの不法な侵害に対し、この侵害を阻止、排除する権限を有するものというべきであり、その権限を行使するに当つてはその侵害を阻止、排除するに必要な限度において自衛の措置をとりうるものといわざるを得ないし、みぎの範囲における自衛の措置は、自衛権の作用として国際法上是認さるべきものであることも明らかである。
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四また、同法第九条第二項後段は「国の交戦権は、これを認めない。」と規定しているので、自衛のための戦争も許されないのではないかとの疑問がないではない。しかし、みぎにいう「交戦権」とは、戦争の放棄を定めた第一項との関連において、さらには戦争の手段たる戦力の不保持を定めた第二項前段のあとを受けて規定されている点から考えてみても、「戦争をなす権利」と解する余地は存しないから、国際法上国が交戦国として認められている各種の権利であるといわざるをえない。従つて、わが国が外部からの武力攻撃に対し自衛権を行使して侵害を阻止、排除するための実力行動にでること自体は、なんら否認されるものではないのである。
五以上要するに、わが国が、外部から武力攻撃を受けた場合に、自衛のため必要な限度においてこれを阻止し排除するため自衛権を行使することおよびこの自衛権行使のため有効適切な防衛措置を予め組織、整備することは、憲法前文、第九条に違反するものではないというべきである。
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百里基地訴訟第一審判決 (この資料のタイトルの年は判決日ではなく事件番号であることに注意。)
このことから、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」は、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」となるから、9条に抵触して違憲となる。
9条1項の趣旨からのアプローチ
【9条1項の趣旨】
「自国の存立」や「国民の権利」の危機(自存自衛)などを理由として政府が恣意的な動機に基づいて自国都合の「武力の行使」に踏み切ったことは歴史上幾度も経験するところであり、9条はそのような「武力の行使」を制約するために設けられた規定である。
そのため、9条は政府が『自国防衛』を称して「武力の行使」に踏み切ることを制約する趣旨を有している。
9条1項の規定が存在する意義を保つためには、9条が政府の行為を制約しようとする趣旨が生かされた形で、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」と、そうでない「武力の行使」を識別するための明確な基準を設定し、9条の規範性を保つことが必要となる。
このことから、9条1項の「国際紛争を解決する手段としては、」の文言が「武力の行使」の範囲を限定する意味は、未だ「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」が発生していない(我が国が武力攻撃を受けていない)にもかかわらず、我が国の統治権の『権限』によって「武力の行使」を行うことを禁じることにあると考えられる。
未だ「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」が発生していない段階で「武力の行使」を行うことをすべて「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」と呼び、理由が何であれ(自衛戦争などと称しようとも)その段階での「武力の行使」を行うことを正当化する根拠を与えないところに、9条1項の規定が存在する意義を保つことができるのである。
もし9条が、未だ「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」が発生していないにもかかわらず、政府が「武力の行使」を行うことを許容していると考えた場合、9条の下でも政府が「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として「武力の行使」に踏み切ることを可能とする余地が生まれてしまうことになる。
そのような考え方は、9条が「自存自衛」などと称して政府が「自衛戦争」や自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを制約しようとする規範として成り立たないものとなるため、法解釈として妥当でない。
未だ「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」が発生していない段階で「武力の行使」を行うことは、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触して違憲となるのである。
【9条は「先に攻撃」を許容しているか】(作成中)
また、直接的に「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」の『着手』が認められない段階で「武力の行使」に踏み切るのであれば、それは「先に攻撃(先制攻撃)」を行うこととなる。
「先に攻撃(先制攻撃)」を行うことは、結局、政府が「自国民の利益」を実現(追求)するために「武力の行使」に踏み切ることと何ら異なるところはない。
政府が「自国民の利益」を実現するために「武力の行使」を行うことは、まさに9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触して違憲となる。
「存立危機事態」の要件は「他国に対する武力攻撃」が発生したことを前提としているが、2014年7月1日閣議決定以降の政府の説明によれば、その他国を防衛する意図がなく、『自国防衛』のために「武力の行使」を行うものである。
しかし、これは直接「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」の『着手』がない段階で『自国防衛』を称して「武力の行使」に踏み切るものであることから、「自国民の利益」を実現するために「武力の行使」を行うことや、自国の危機を理由として「予防攻撃」を行うものと何ら異ならない。
そのため、まさに「自国民の利益」を追求するために政府が「先に攻撃(先制攻撃)」を行うことを禁じる9条1項の「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触して違憲となる。
【9条1項と「存立危機事態」の要件】
「存立危機事態」の要件は「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」というものである。
これは、「他国に対する武力攻撃」が発生した時点で、その影響によって「自国の存立」や「国民の権利」の危険が存在するか否かを勘案し、これに該当するか否かを決するものとなっている。
また、この「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」は、実質的には「他国に対する武力攻撃」が発生した時点で、未だ「我が国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず、「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として日本国の統治権の『権限』が予防的に「武力の行使」を行うことを可能とするものとなっている。
そして、政府は新三要件の第一要件後段の「存立危機事態」に基づく「武力の行使」について、「他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする武力の行使を認める」ものであるとしている。
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あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として、一部、限定された場合において他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする武力の行使を認めるにとどまるものである。
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「砂川判決」と集団的自衛権についての政府見解に関する質問に対する答弁書 平成27年6月19日
このように、政府は「他国に対する武力攻撃」が発生した場合を契機としているが、その他国を防衛する意図はなく、『自国防衛』のための「武力の行使」であると説明することで正当化しようとしている。
しかし、これは9条1項の趣旨に反する。
まず、「他国に対する武力攻撃」が発生したとしても、未だ他国の間で武力紛争が発生しているだけである。
そのため、この段階で「武力の行使」を行えば、他国の間で発生した国際紛争に対して武力介入することになるから、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触して違憲となる。
また、9条の規範性を保つための基準となるものを有しない要件に基づいて「武力の行使」を行った場合には、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触して違憲となる。
そして、「他国に対する武力攻撃」が発生したからといって、それだけでは9条1項の規範性を保つための基準となるものを通過したことにはならない。
そのため、9条1項の下では、「他国に対する武力攻撃」が発生したからといって、「武力の行使」を行うことが許容されることにはならない。
このことから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、」の部分を満たすだけで「武力の行使」に踏み切ったのであれば、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触して違憲となる。
次に、9条1項の規範性を保つための基準となるものを通過していない段階では、政府が予防的に「武力の行使」を行うことができるとする余地は生まれていない。
そのため、たとえ「他国に対する武力攻撃」が発生したとしても、それだけでは9条1項の規範性を保つための基準となるものを通過していないことから、『自国防衛』を称して「武力の行使」を行うことが許容されるとする余地は生まれておらず、正当化することはできない。
そのため、「存立危機事態」の要件のように「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、」の部分を満たしたとしても、未だ9条の規範性を保つための基準となるものを通過したことにはならないことから、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という自国の状態を理由として「武力の行使」を行うことができるとする余地は生まれていない。
また、9条1項の下では、上記の政府の答弁書のような形で「我が国の存立を全うし、国民を守るため」や「我が国を防衛するため」を理由とするだけで、「他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする武力の行使」を行うことが許されるわけではない。
このことから、新三要件の第一要件後段の「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」は、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触して違憲となる。
【参考】先制攻撃が自衛隊に認められないと憲法論的に解釈される理由 2019.01.31
【9条1項が「不戦条約」と同様の趣旨であること】 (作成中)
9条1項の「戦争」の文言や「国際紛争を解決する手段としては」という文の用例は、「不戦条約 1条」から引き継がれたものと考えられる。
不戦条約
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第一条 締約国は国際紛爭解決の為戦争に訴ふることを非とし且其の相互関係に於て国家の政策の手段としての戦争を抛棄することを其の各自の人民の名に於て厳粛に宣言す。
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日本国憲法
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第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
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そのため、基本的に「不戦条約 1条」と9条1項は同様の趣旨と解されている。
また、9条1項の「武力による威嚇又は武力の行使」の文言は、「国連憲章 2条4項」(武力不行使の原則)の文言と同じである。
国連憲章
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第2条
4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
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日本国憲法
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第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
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これらのことは、「砂川判決」の裁判官「意見」でも触れられている。
砂川判決の「裁判官奥野健一、同高橋潔の意見」を確認する。
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そこで、安保条約が果して憲法九条の精神又はその前文の趣旨に反しないか否かを審査するに、憲法九条一項は「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争を解決する手段とする」ことを禁止しているのであつて、その趣旨は不戦条約にいう「国際紛争の解決のために戦争に訴えることを不法とし、国家の政策の手段としての戦争を放棄する」というのと同趣旨に解すべきものであり、かくて、また国連憲章二条四項の趣旨とも合致するものと考える。従つて、憲法九条一項は何らわが国の自衛権の制限・禁止に触れたものではなく、「国の自衛権」は国際法上何れの主権国にも認められた「固有の権利」として当然わが国もこれを保持するものと解すべく、一方、憲法前文の「……われらの安全と生存を保持しようと決意した」とか「……平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とかとの宣言によつても明らかなように、憲法はわが国の「生存権」を確認しているのである。
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「不戦条約」は「国際紛爭解決の為戦争」や「国家の政策の手段としての戦争」を禁じている。
ただ、「不戦条約」の締結当時、国際法上ではこの条約の下でも暗黙の了解として主権を有する各国に「自衛権」が認められていた。
国務長官「ケロッグ」の解説を読む。
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●アメリカ合衆国の解釈(米国国際法学会におけるケロッグの講演)
一九二八年四月二十八日
「不戦条約の米国草案には、どのような形ででも自衛権を制限しまたは害する何物をも含んではいない。その権利は、すべての主権国家に固有するものであり、すべての条約に暗黙に含まれている。すべての国は、どのような時でも、また条約の規定の如何を問わず、自国領域を攻撃または侵入から守る自由をもち、また、事態が自衛のための戦争に訴えることを必要ならしめるか否かを決定する権限を有する。国家が正当な理由を有しているならば、世界は、その国の行動を称賛し非難はしないであろう。しかしながら、この譲り渡すことのできない権利を条約が明示的に認めると、侵略を定義する試みで遭遇するのと同じ困難を生じさせることになる。それは、同一の問題を裏面から解こうとするものである。条約の規定は自衛の自然権に制限を付加することはできないので、条約が自衛の法的概念を規定することは、平和のためにならない。なぜならば、破廉恥な人間が合意された定義に合致するような出来事を形作るのは、極めて容易だからである。」
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ベーシック条約集 2011 編集代表 松井芳郎 東信堂 amazon
(ベーシック条約集〈2017年版〉 amazon)
この「不戦条約」の下で許容されていた「自衛権」とは、「自国に対する武力攻撃」から自国を守るための『権利』である。これは、国連憲章51条の区分で言えば「個別的自衛権」に該当するものである。
国連憲章
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第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
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憲法学者「長谷部恭男」の解説を読む。
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そうした、誰が正しいかはどちらが戦争に勝つかによって決まるという考え方自体を、パリ不戦条約はひっくり返そうとした。ほぼ同じ時期にできた国際連盟も同じ方向性を目指していましたし、その考え方を延長した先にあるのが現在の国際連合であり、日本国憲法の9条です。「国際紛争を解決する手段として、戦争や武力の行使、武力による威嚇をしない」、つまり「われわれはもう決闘をしません」と言っているんです。だから、決闘の手段としての戦力も持たないし、「交戦権はこれを認めない」というのは、要するに、戦争するための正しい請求原因などもはやあり得ないと言っている条文なんですね。
でもパリ不戦条約自体、当時から自衛権は否定していません。ここで言う自衛権は、個別的自衛権です。集団的自衛権じゃありませんよ(笑)。自分が攻撃を受けた時に反撃するのはあり、というのが当然の常識だったわけです。ケロッグ国務長官も、アメリカ上院の審議でそう明言しています。それを前提に現在の9条を考えれば、個別的自衛権はありだという、歴代の日本政府がずっと主張してきたことは、それなりに根拠のある話です。
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基本からわかる 憲法9条を変えなくていいシンプルな理由 高橋源一郎✕長谷部恭男「憲法対談」#1 2018/08/26 (下線・太字は筆者)
そのため、「不戦条約」の下で可能な「自衛権の行使」としての「武力の行使」の範囲は、国連憲章51条の区分で言えば「個別的自衛権の行使」としての「武力の行使」である。
「不戦条約」の下でも暗黙の了解として許容されていた行使が可能な「自衛権」とは、国連憲章51条の区分で言えば、「個別的自衛権」に該当する部分である。
なぜならば、「不戦条約」の締結当時は、未だ「集団的自衛権」という概念は存在しなかったからである。
9条1項は「不戦条約」と同様の趣旨であり、この「不戦条約」の下で行使できる「自衛権」は国連憲章51条の「個別的自衛権」に該当するものである。
「個別的自衛権の行使」として違法性を阻却するためには、「自国に対する武力攻撃が発生したこと」の要件を満たす必要がある。
そのため、9条1項は「自国に対する武力攻撃が発生したこと」を満たす中で「武力の行使」を行うことは暗黙の了解として許容されていると考えることができる。
9条1項の下で「武力の行使」を行う場合には、最低限「自国に対する武力攻撃が発生したこと(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」の要件を満たす必要があると考えられる。
つまり、9条1項の下でも暗黙の了解として許容されている「武力の行使」の範囲とは、「自国に対する武力攻撃(我が国に対する武力攻撃)」が発生した場合に限られると考えられる。
9条1項の下で行使できる「武力の行使」は、「自国に対する武力攻撃」が発生した場合に限られる。
しかし、「自国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず「武力の行使」を行うこと、つまり、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと」の要件を満たさない中で日本国の統治権の『権限』が「武力の行使」を発動することは、9条1項に抵触して違憲となる。
そのため、「自国に対する武力攻撃(我が国に対する武力攻撃)」が発生していないにもかかわらず「武力の行使」を行うことはできない。
このことは、9条2項の「前項の目的を達するため、」の文言を1項を引き継ぐものと考え、「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」を実施するための「陸海空軍その他の戦力」は保持できないが、1項で禁じていない「武力の行使」を実施するための「自衛のための戦力」を保持できるとする「芦田修正説」の解釈を採用した場合でも、結論は変わらない。
「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や、「存立危機事態」での「武力の行使」は、「自国に対する武力攻撃(我が国に対する武力攻撃)」が発生していない段階で「武力の行使」を行うものである。
そのことから、それらの「武力の行使」は、9条1項に抵触して違憲となる。
砂川事件最高裁判決の「裁判官奥野健一、同高橋潔の意見」を確認する。
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そこで、安保条約が果して憲法九条の精神又はその前文の趣旨に反しないか否かを審査するに、憲法九条一項は「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争を解決する手段とする」ことを禁止しているのであつて、その趣旨は不戦条約にいう「国際紛争の解決のために戦争に訴えることを不法とし、国家の政策の手段としての戦争を放棄する」というのと同趣旨に解すべきものであり、かくて、また国連憲章二条四項の趣旨とも合致するものと考える。従つて、憲法九条一項は何らわが国の自衛権の制限・禁止に触れたものではなく、「国の自衛権」は国際法上何れの主権国にも認められた「固有の権利」として当然わが国もこれを保持するものと解すべく、一方、憲法前文の「……われらの安全と生存を保持しようと決意した」とか「……平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とかとの宣言によつても明らかなように、憲法はわが国の「生存権」を確認しているのである。然るに、今若しわが国が他国からの武力攻撃を受ける危険があるとしたならば、これに対してわが国の生存権を守るため自衛権の行使として、防衛のため武力攻撃を阻止する措置を採り得ることは当然であり、憲法もこれを禁止していないものと解すべきである。けだし、わが国が武力攻撃を受けた場合でも、自衛権の行使ないし防衛措置を採ることができないとすれば、坐して自滅を待つの外なく、かくの如きは憲法が生存権を確認した趣旨に反すること明らかであるからである。そして、かかる場合に、わが国の安全と生存を保障するためには、国連憲章三九条ないし四二条による措置に依拠することは理想的ではあるけれども、国連の右措置は未だ、適切有効に発揮し得ない現況にあることは明らかであるから、次善の策として、或る特定国と集団安全保障取極を締結し、もつて右特定国の軍隊の援助によりわが国の安全と生存を防衛せんとすることは止むを得ないところであつて、その目的のために右特定国軍隊をわが国の領土に駐留することを許容したからといつて、それはわが国の自衛権ないし主権に基く防衛措置に外ならないのであるから、憲法前文の平和主義に反するものではなく、また、憲法九条二項の禁止するところでもない。
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※ 注意するべきなのは、この裁判官の「意見」で述べられている「自衛権の行使」とは、必ずしも日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を想定しているわけではないことである。
ここでは、国際法上の「自衛権の行使」となる日本国の統治権の『権限』による活動を「防衛のため武力攻撃を阻止する措置(防衛措置)」と表現している。そして、その「防衛措置」について「国連憲章三九条ないし四二条による措置に依拠することは理想的」であるが、「特定国の軍隊の援助によりわが国の安全と生存を防衛せんとすることは止むを得ない」と述べている。
このことから、この裁判官の「意見」の「自衛権の行使」の意味は、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を意味していない。
(「自衛権」という言葉は、国連憲章の下では2条4項の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由の『権利』を指す概念として用いられている。そのため、国連憲章の下では「自衛権の行使」が行われる状態とは、必然的に加盟国の統治権の『権限』による「武力の行使」を伴う措置と対応する形となる。しかし、国連憲章が制定される以前や、国連憲章が廃止された場合、国連憲章に頼らない国際慣習法上の法認識における「自衛権」の概念は、「自国を守るための権利」ぐらいの意味である。これは、必ずしも国家の統治権の『権限』による「武力の行使」を伴う措置と対応する関係にあるわけではない。)
憲法9条1項は「不戦条約」や「国連憲章2条4項」の趣旨と合致するものと述べられている。
ただ、注意するべきことは、憲法9条1項の制約とこれらの条約の制約の趣旨が合致していたとしても、正確には憲法と国際法では法分野が異なっており、憲法と国際法とではその法の背後にある正当性が生み出される法的な基盤の形(法源)も異なっていることである。
◇ 日本国憲法の法形式は、日本国民からの「厳粛な信託(前文)」を経るという国民主権原理の過程を通ることによって成立し、正当化される。
◇ 条約の法形式は、各国の統治権が締結・承認(批准)することによって初めて成立し、正当化される。
また、憲法9条の制約と、条約による制約は、法的性質が異なる。
◇ 憲法9条は、日本国の統治権(国権)の『権力・権限・権限(power)』を制約している。9条が日本国の統治権の『権限』を制約している趣旨は、主権(最高独立性)を有する日本国の内部の法体系の問題である。
◇ 「不戦条約1条」や「国連憲章2条4項」は、加盟国が「戦争」や「武力による威嚇又は武力の行使」を行った場合に、違法と認定して責任を問うが、各国に「自衛権」という『権利(right)』を行使する地位を認めることによって一定の要件を満たした場合にはその違法性を阻却するというものである。「自衛権」という『権利』は、国際法上の違法性の有無を決する概念である。
このように、9条が日本国の統治権の『権限』の範囲を制約していることと、加盟国が行った「武力の行使」に対して国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」によって問われる違法性を国連憲章51条の「自衛権」という『権利』の区分に該当させることによって違法性を阻却することでは、法的に直接的な関係はない。
そのため、たとえ日本国が「武力の行使」を実施した場合に、「自衛権」という『権利』の区分に該当して国際法上の違法性が阻却されるとしても、9条が日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を制約している基準は変わらない。
日本国の統治権の『権限』の行った「武力の行使」が国際法上で合法であったとしても、憲法9条の規範が緩められることはなく、9条の制約範囲は変わらないのである。
そのため、日本国が「武力の行使」を実施した場合に、「集団的自衛権」の区分に該当して国際法上の違法性が阻却されるとしても、9条が日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を制約している基準は変わらない。
もし国連憲章が廃止されるなど、国際法上で無制限の「武力の行使」が合法化されることがあったとしても、9条が日本国の統治権の『権限』を制約している基準は変わらない。
もともと国際法と憲法(国内法)では法体系が異なるのであるから、自国の統治権の『権限』の範囲を確定する憲法解釈においては何ら影響を受けることはないのである。
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「主権独立国の憲法(国内法)と主権国家の併存する国際社会に妥当する国際法とは、独立した別々の法体系であるとみなすのが一般である。もっとも、日本国憲法の解釈によれば、日本の国内レベルにおいては、憲法は国際法(条約と慣習法)に優位する。国際法とくに条約を憲法(国内法)秩序のどこに位置づけるかおよびその効力は憲法の規定によるのであり、逆に、憲法の外から条約によって押し被せるわけにはいかない。国際法上の国家の権利をその国の憲法が規定しないことは可能であり、その場合国家によるかかる権利行使が違憲とみなされることもあろう。この脈絡では、国際環境の変化を理由にして憲法9条を個別的および集団的自衛権を認める国際法(国連憲章51条)に合わせて解釈したり(意味の変遷)、またそのために改憲しなければならないとするのは本末転倒の感を否めない。」
*藤田久一「平和主義と国際貢献-国際法からみた9条改正論議」ジュリスト1289号(2005年)89頁
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憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その4・完)――憲法9条をめぐって 2017年10月20日
憲法9条1項が国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」と趣旨が合致していることは、国連憲章51条の「集団的自衛権」という違法性阻却事由の『権利』の区分を含めて合致していることを意味するわけではない。
そのため、憲法9条1項が国連憲章2条4項と合致していることを根拠として、直ちに9条1項が「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」の範囲を禁じていないと考えることはできない。
もし、国連憲章51条が「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」と定めていることから考えて、国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」の規定は「加盟國に対して武力攻撃が発生した場合」には「個別的自衛権」や「集団的自衛権」にあたる「武力の行使」をもともと「害するものではない」(禁じていない)と考えるとしても、結局憲法9条1項が「不戦条約」の趣旨とも合致していることにより、9条1項の制約の下で許容されている「武力の行使」の幅は国連憲章51条で言う「個別的自衛権」にあたる「武力の行使」だけということになる。
つまり、国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」の規定がもともと「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」の範囲を制約していないとしても、その「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」の範囲については結局「不戦条約」の禁じている範囲に抵触するのであり、「不戦条約」と同様の趣旨を有する憲法9条1項によって制約されていることとなるのである。
これにより、憲法9条1項が国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」と趣旨が合致しているとしても、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」は9条1項の制約範囲に抵触して違憲となる。
【国連憲章が廃止された場合】
「存立危機事態」での「武力の行使」が憲法9条に抵触して違憲となるか否かを論じる際に、国連憲章51条の「自衛権」という違法性阻却事由の『権利』の概念を用いて説明することで、あたかも憲法9条の制約からも逃れることができるかのように論じようとする者がいる。しかし、これは誤った認識である。
なぜならば、日本国が国家承認を受けて国際法上の主権国家としての法主体性を認められており、国連憲章51条の適用を受ける地位にあるという意味で「自衛権」という『権利』を有していることと、憲法9条が日本国の統治権の『権力・権限・権能』を制約していることは、まったく別の問題だからである。
このことは、「国際連合憲章」が廃止された場合を考えると理解がしやすい。
かつて国際機関として「国際連盟」が存在していた。しかし、第二次世界大戦を防ぐことができず、失敗に終わった。これにより、「国際連盟」は廃止された経緯がある。
同じように、今後、現在の「国際連合」の体制が失敗し、「国際連合憲章」が廃止されることも起こり得る。その場合に、現在はその国連憲章の2条4項において「武力不行使の原則」が定められているが、国連憲章が廃止されたならばこの制約は失われることとなる。
当然、この「武力不行使の原則」が失われると、違法性阻却事由の『権利』として機能する「個別的自衛権」や「集団的自衛権」という区分の概念も意味を有さないものとなり、同時に消滅する。
このような「武力不行使の原則」が失われた国際秩序においては、加盟国だった多くの国々(国家)は無制限に「武力の行使」を行うことが可能となる。なぜならば、多くの国家は自国の憲法上で「武力の行使」を制約する規定を有しておらず、国連憲章が廃止されたならば「武力の行使」に対する法的な制約は存在しなくなるからである。
もし各国が自国の利益を追求するために他国に向かって「武力の行使」を行ったとしても、「武力不行使の原則」に代わる何らかの条約を締結することによって制約をかけていない限りは、国際法上の責任を問われることはないのである。
このような国際法秩序の中で、日本国の憲法9条の規定が何を対象とした、どのような意味や制約を有する法規範であるのかを検討することで、9条の規範性を保つことのできる限界となる基準はいかなる範囲に設定されるべきかを理解しやすくなる。
まず、憲法は前文では「国際協調主義」を示している。ただ、この「国際協調主義」の内容は、直接的に国連憲章を指すわけではない。
次に、98条2項に「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と定められている。しかし、この「条約及び確立された国際法規」の文言についても、必ずしも国連憲章を意味しているわけでもない。
憲法は、国際情勢の変化によって、無秩序な国際秩序に変容したり、新たな国際的な枠組みが創設されたりする可能性も考慮してつくられている。これは、日本国は主権を有し、独立性の保たれた法秩序として成立している国家であり、専ら国際法に属して成立する国家(あるいは組織、団体など)というわけではないからである。
このことは、たとえ国連憲章が廃止され、国際法上から「武力不行使の原則」が失われる場合においても、憲法9条が日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を制約している趣旨は何ら影響を受けず、憲法上の規範に変化はないことを意味する。
たとえ国際法上で「武力の行使」を制約する規範が失われ、他国にとっては無制限の「武力の行使」が可能となる状態に変わったとしても、日本国の場合は憲法自体が「平和主義」の理念を掲げ、9条によって「戦争の放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」を行って日本国の統治権の『権限』を制約しているため、日本国の統治権の『権限』が「武力の行使」を発動できる基準は変化しないのである。
単に、9条の規定が日本国の統治機関の有する統治権に対していかなる制約を課しているかを解釈し、「武力の行使」を発動できる場合であるか否かの範囲を決するだけである。
この前提を押さえることで、9条1項の制約がいかなる意味を有しているのかを明確に導き出すことができる。
9条1項は、「国際紛争を解決する手段として」の「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を放棄している。
この制約の中で「武力の行使」を行うことができる部分を見出すのであれば、それは「我が国に対する武力攻撃」が発生した場合に、我が国を守るために行う「自衛の措置」としての「武力の行使」だけである。
前文の「平和主義」の理念を背景とした9条の規定の文言からは、日本国が「他国に対する武力攻撃」が発生したことを理由としてその「他国に対する武力攻撃」を排除するために「武力の行使」を行う余地など、到底導き出すことができない。
ここで、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」について検討する。
「存立危機事態」の要件は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」であり、これに該当する場合に「武力の行使」を可能とするものとして定められた要件である。
これは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生しているが、未だ「我が国に対する武力攻撃」が発生していない事態に、それにより「我が国の存立」や「国民の権利」に危険があると判断すれば、「武力の行使」を行うことができるとするものである。
これについて、たとえ「他国に対する武力攻撃」が発生したことによって我が国に何らかの影響があったとしても、「我が国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず、「自国の存立」や「国民の権利」を理由として「武力の行使」を行うことができるとすることは、9条1項が禁じた「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に該当する。
よって、「存立危機事態」での「武力の行使」は、9条1項に抵触し、違憲となる。
このことは、たとえ国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」や、同51条の「個別的自衛権」や「集団的自衛権」という違法性阻却事由が存在し、それらが国際法上において効力を有していても結論は異ならない。
※ ここでは国連憲章が廃止された場合のことを想定しているが、国連憲章51条が改正されて「集団的自衛権」の区分だけが廃止される可能性も想定する必要がある。
※ 日本国が国連を脱退しても、9条は日本国の統治権の『権限』に対して効力を持ち続ける。そのため、国連憲章51条の「個別的自衛権」や「集団的自衛権」という『権利』の区分を基準として9条の制約範囲を確定しようとする試みは法解釈として成り立たない。
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集団的自衛権は、20世紀半ばに国連憲章が創設した国際法上の権利で、これを行使するか否かは各国の主体的意思による筈である(そもそもその行使は集団的安全保障条約の締結相手国あってのものであり、これを国家の自然権的権利と言うのは無理がある)。少なくとも侵略戦争を厳しく禁じている日本国憲法9条が上記の形の集団的自衛権行使を許容しているとは思えない。仮に本法案が許容できるのなら、9条は日本国の行為の何を禁じているのか不明となり、法に値しなくなるため、この解釈はおよそありえない。
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君塚正臣(横浜国立大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
【9条1項の制約】
このように、新三要件の第一要件後段の「存立危機事態」に基づく「武力の行使」は、9条1項に抵触して違憲である。
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しかし、国際法上の適法違法と、日本国憲法上の合憲違憲の判断は、独立に検討されるべきものです。
外国への武力攻撃があったとしても、それが日本への武力攻撃と評価できないのであれば、仮に国際法上は、集団的自衛権で正当化できるとしても、憲法上は、違憲な先制攻撃と評価されます。
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軍事権を日本国政府に付与するか否かは、国民が憲法を通じて決める 木村草太『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』から 2015.08.26 (下線は筆者)
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しかし、集団的「自衛権」というのがミスリーディングな用語であり、「他衛」のための権利であるというのは、国際法理解の基本だ。それにもかかわらず「自衛」だと強弁するのは、集団的自衛権の名の下に、日本への武力攻撃の着手もない段階で外国を攻撃する「先制攻撃」となろう。集団的自衛権は、本来、国際平和への貢献として他国のために行使するものだ。そこを正面から議論しない政府・与党は、「先制攻撃も憲法上許される自衛の措置だ」との解釈を前提としてしまうことに気付くべきだろう。
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なぜ憲法学者は「集団的自衛権」違憲説で一致するか? (下線は筆者)
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さらに、日本国憲法との関係で極めて重要な問題は、「集団的自衛」という名目における「他衛」は、友好国を攻撃した相手国と日本との関係においては、日本からの先制攻撃になるということである。その相手国は、日本の友好国に対しては攻撃しているが、日本自体に対しては攻撃していないわけだから、その相手国と日本との二国間関係に絞って考えれば、日本からその相手国に対して先に攻撃をすることになるわけである。
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つまり、集団的自衛権とは、その相手国との二国間関係においては、日本からの「先制攻撃権」に他ならないのである。集団的自衛権行使を容認するように憲法解釈を変更するということは、友好国を助けるためとはいえ、二国間における先制攻撃権が日本国憲法上、存在し、その行使が可能である、と解釈することを意味する。
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[4]自衛権か、他衛権・先制攻撃権か? 2014年06月17日 (下線は筆者)
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限定的な行使容認ならいいのだ、という議論もありますが、国外での戦争に参加するとなれば、同盟国の意向や戦争の状況との関係があるので、日本の都合だけで限定を課すことは困難ですし、「必要最低限度」がどれくらいかも確定できません。それに攻撃を受けた国からしたら、日本が攻撃をしかけてきたというに等しいわけですから、わが国への「急迫不正の侵害」を「排除する」という問題とは、状況が大きく変わります。
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国のあり方を変える「集団的自衛権」とは?(1) 憲法を「解釈」できるのは誰か? 青井未帆 2014/05/23 (下線は筆者)
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そもそも日本が米国(米軍)を防衛するために集団的自衛権を行使するケースというのは、基本的に、日本が攻撃を受けてもいないのに、米国とともに戦争をするということである(日本が攻撃を受けた時の対処ならば個別的自衛権の行使で対応可能だから)。この場合は、相手国からすれば、日本に攻撃を加えていないのに日本から先制攻撃を受けたことになる。そして、その場合、米国の対戦国と戦争状態になり、当該対戦国にいる在外邦人の生命・安全を保証しえないことになりかねず、また、さらに日本への武力攻撃も起こりうることも想定すべきであろう。
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安倍政権の憲法政策と平和 広島市立大学広島平和研究所准教授 河上暁弘 2014年6月20日 PDF (下線は筆者)
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紛争を「戦争」にエスカレートさせないために、いかなる紛争が起きてもこちらからは決して武力を行使しないという歯止めをかけることが重要なのである。集団的自衛権を行使する場合、「自国と密接な関係にある国」を攻撃している国(攻撃国)と日本の間には、当然深刻な紛争はあるものの、「攻撃国」が日本に対して武力攻撃をしていない以上、日本が攻撃国に武力を行使することは、日本と攻撃国との間の「紛争」をこちらから「戦争」にエスカレートさせるものであって、憲法9条の基本的な考え方に真っ向から矛盾する。
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日本に対して武力を行使していない国に対して、こちらからそのような武力行使に踏み切れば、相手国が「自衛権」の行使を理由に日本に対して武力行使することが可能になる。このように、相互の武力行使がエスカレートして戦争につながることこそ、憲法9条が避けようとしている事態なのである。
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明治学院大学法学部教授・宮地基氏 憲法学者アンケート調査 (下線は筆者)
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集団的自衛権を行使する場合、「自国と密接な関係にある国」を攻撃している国(攻撃国)と日本の間には、当然深刻な紛争はあるものの、「攻撃国」が日本に対して武力攻撃をしていない以上、日本が攻撃国に武力を行使することは、日本と攻撃国との間の「紛争」をこちらから「戦争」にエスカレートさせるものであって、憲法9条の基本的な考え方に真っ向から矛盾する。
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宮地基(明治学院大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日 (下線は筆者)
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(1)憲法9条1項の「国際紛争を解決手段としては」という文言に、個別的自衛権行使の一部を合憲と解釈しうる僅かな余地があったが、集団的自衛権を行使した場合には、我が国は当該武力攻撃をした国に対し新たな武力攻撃をすることとなり、その国との間で武力抗争状態を新たに発生させることになる。これが、「国際紛争を解決する手段としての武力行使」を放棄している憲法9条1項に正面から違反することは一見して明らかではないかということです。
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準備書面(22) 宮崎礼人元内閣法制局長官の陳述書の内容説明の口頭弁論要旨 PDF (P2) (下線は筆者)
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宮崎元長官は安保関連法について、日本を攻撃する意思がない国に対しても攻撃できることから、他国の防衛ではなく武力介入になってしまうと主張。「自衛隊はわが国への攻撃が切迫している段階でも攻撃できないのに、他国を助けるためなら攻撃できるという逆転した状態になっている」とも述べた。
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「憲法と両立し得ず」 元法制局長官、安保法訴訟で証言 2019年11月01日 (下線は筆者)
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それを可能だとした昨年7月の閣議決定それ自体の適法性・合憲性が疑わしく、その閣議決定と安全保障法制を先取りした改訂ガイドラインを前提にして立案された安全保障関連法案は、これまで政府が積み重ねてきた憲法解釈の枠(「専守防衛」「自衛」という枠)を大きく踏み越えており、限定的とはいえ、集団的「自衛」のために他国の戦争に参加し、あるいは後方支援という形で加担しようとしており、その全体が憲法9条の規範の論理の下で許容される余地はないと考える。
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右崎正博(独協大学法科大学院)安保法案学者アンケート 2015年7月17日 (下線は筆者)
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すなわち,安保法制を形づくる法律群は,1個の新法と10個の改正法を束ねたものであるが,ここでは,9条違反がとくに指摘される立法を拾い上げておくことにしたい。何よりも,武力攻撃事態法改正や自衛隊法改正などの「存立危機事態」対処法制は,集団的自衛権行使を認めたものであり,その点において,憲法9条に真っ向から反する。すなわち,学説では,個別的自衛権とされるものを含めて,一切の武力行使を違憲とするのが通説であるが,政府の憲法解釈でも,従来,わが国に対する直接の武力攻撃が生じた場合に限り,わが国を防衛するための必要最小限度の武力の行使が許されるのであり,集団的自衛権の行使はその範囲を超えるものであって憲法上許されないとされてきた。すなわち,集団的自衛権は,わが国には何ら攻撃は加えられておらず,他国が別の他国から攻撃されているという事態を想定しているのであって,それは国際武力紛争に該当し,そこでわが国が武力の行使をすることは,武力の行使を禁じた憲法9条1項に違反する。そして,仮に自衛隊がわが国に対して武力攻撃が発生していない場合に実力を行使する存在になると,それは,9条2項が保持を禁じている「戦力」そのものである。また,自衛隊が国際法上集団的自衛権として実力行使をすることは,同項が否認している「交戦権」の行使となる。
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安保法制違憲訴訟7地裁判決における平和的生存権判断のあり方 小林武 2021-07-30 愛知大学リポジトリ (下線は筆者)
【参考】7. 「先制攻撃」について
【参考】緊急直言 「先制攻撃」と「先に攻撃」を区別せよ――参議院でのかみ合った審議のために 2015年7月30日
【参考】【安保法制国会ハイライト】「先制攻撃に何らかの正当性があれば、それは先制攻撃に該当しない」という前提で議論が行われている!? 国会論戦で垣間見えた、安倍政権の意図する集団的自衛権の「正体」 2015.7.29
【動画】集団的自衛権“砂川判決根拠論”崩れる 2015/06/10
1項限定放棄説+2項限定放棄説(芦田修正説)からのアプローチ
「1項限定放棄説+2項限定放棄説」とは、「芦田修正説」とも呼ばれる解釈方法である。
まず、1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言を範囲を限定する意味と解し、「国際紛争を解決する手段として」の「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」のみを限定的に禁じたものと考える。
次に、2項前段の「前項の目的を達するため、」の文言は、1項の限定の意味を引き継ぐためのものと考え、「国際紛争を解決する手段として」の「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を実施するための「陸海空軍その他の戦力」を保持することのみを限定的に禁じたものと考え、それ以外の「陸海空軍その他の戦力」については保持が可能であると考える。
【9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」への抵触】(作成中)
ただ、上記「1項限定放棄説」の項目で論じたように、1項で禁じられている「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を行うことはできないし、1項で禁じられている「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を実施するための「陸海空軍その他の戦力」を保持することもできない。
そのため、日本国の統治権の『権限』が保持することのできる「陸海空軍その他の戦力」があったとしても、それによって「武力の行使」を行うことができるの範囲は、「1項限定放棄説」の項目で示した範囲に限られることとなる。
9条1項に抵触する「武力の行使」を実施する実力組織は、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
さらに、それを行使する『権限』は、9条2項後段の禁じる「交戦権」に抵触して違憲となる。
たとえ2項前段の解釈において「芦田修正説」を採用し、9条1項の禁じていない範囲の「武力の行使」を行う「陸海空軍その他の戦力」の保持が許容されると考えたとしても、その「陸海空軍その他の戦力」に許された「武力の行使」とは、9条1項の下で許容されている「武力の行使」の範囲に限られる。
9条1項に抵触する「武力の行使」を実施する実力組織は、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」については、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと」の要件を満たさない中で「武力の行使」を行うものであるから、9条1項に抵触して違憲となる。
そのため、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」を実施する実力組織については、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
また、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」を行うための『権限』についても、9条2項後段の禁じる「交戦権」に抵触して違憲となる。
まとめ
新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、どの9条解釈の枠組みを用いても、少なくとも1項には抵触して違憲となる。
そのため、「自衛のための必要最小限度」という旧三要件に基づく「武力の行使」や、それを実施する実力組織である「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)」である「自衛隊」が9条1項、2項前段、2項後段に抵触するか否かは別としても、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については少なくとも9条1項には抵触して違憲となる。
また、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」が9条1項に抵触しているということは、1項の限定放棄説の意味を2項前段の「前項の目的を達するため、」の文言が引き継ぎ、2項前段が禁じる「陸海空軍その他の戦力」の範囲が限定されていると考えるとしても、その新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」を実施する実力組織については、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
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……(略)……本件訴訟は,9条の解釈をめぐって,自衛のための必要最小限度の実力(いわゆる自衛力)の保持は許容されるとするか否か,そして,自衛隊の保持を合憲と見るか否かは問わず,そのいずれの説に立つにせよ7.1閣議決定およびそれにもとづく安保法制法は違憲だとするものである。……(略)……
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安保法制違憲訴訟7地裁判決における平和的生存権判断のあり方 小林武 2021-07-30 愛知大学リポジトリ (P153)
9条そのままに抵触すること
〇 「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、」
まず、「他国に対する武力攻撃」が発生したとしても、この段階では、未だ他国同士の間で武力紛争が発生したに過ぎない。
これだけでは、日本国は何らの影響を受けない場合もあり得る。
この段階で日本国の政府が「武力の行使」を行った場合、他国同士の間で発生した武力紛争(国際紛争)に対して武力介入したことになるから、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触して違憲となる。
また、9条1項の禁じる「武力の行使」を実施する実力組織は、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
さらに、日本国と直接的な関係のない出来事を根拠として「武力の行使」を行う『権力・権限・権能』は、9条2項後段の禁じる「交戦権」に抵触して違憲となる。
このことから、9条の下では「他国に対する武力攻撃」が発生しただけで「武力の行使」を行うことは許されない。
このことは、たとえ「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」であっても同じである。
「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、」の部分を満たしただけでは、未だ他国同士の間で武力紛争が発生しただけである。
この段階で「武力の行使」を行った場合、他国同士の間で生じている武力紛争に対して武力介入したことになることから、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触して違憲となる。
その「武力の行使」を実施する実力組織は、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
その「武力の行使」を行う『権力・権限・権能』は、9条2項後段の禁じる「交戦権」の行使に抵触して違憲となる。
このことから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、」の部分を満たすというだけで「武力の行使」を行った場合には、9条に抵触して違憲となる。
〇 「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」
9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機(自存自衛)を理由として政府が自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを制約するために設けられた規定である。
そのことから、「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として「武力の行使」を行うことは、9条に抵触して違憲となる。
このように、9条の下では「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として「武力の行使」を行うことは許されない。
このことは、単に「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」ことを理由とする場合においても同様である。
「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という状態であることを理由として「武力の行使」を行うことは、「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として「武力の行使」を行うことと変わりないのであり、9条に抵触して違憲となる。
このことから、「存立危機事態」の要件の「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」の部分を満たすというだけで「武力の行使」を行った場合には、9条に抵触して違憲となる。
〇 「これにより」
上記の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、」の部分と、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」の部分を「これにより」という文言で繋ぎ合わせたとしても、もともとどちらの部分に基づいて「武力の行使」を行ったとしても9条に抵触するのであるから、これらを「これにより」の文言で繋いだところで9条に抵触することは変わりない。
〇 結論
よって、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」は、9条に抵触して違憲である。
続きは下記の「存立危機事態の違憲審査」のページに記載しています。