ここでは、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を中心に、答弁の誤りを確認する。
安倍晋三
〇 内閣総理大臣 安倍晋三
(下線・太字・色は筆者)
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○安倍内閣総理大臣 憲法第九条の解釈に関する従来の政府見解の基本的な立場は、昭和四十七年の政府見解等で示されたとおり、憲法第九条は、その文言からすると、国際関係における武力の行使を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している国民の平和的生存権や、第十三条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第九条は、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは解されず、そのための必要最小限度の武力の行使は許容されるというものであります。
政府として、いわゆる砂川事件最高裁判決を直接の根拠として今後の検討を進めるわけではありませんが、この判決で示された考え方は、憲法第九条の解釈に関する従来の政府見解の基本的な論理と軌を一にするものであると考えております。
【筆者】
ここで用いられている「必要最小限度」の意味を特定する必要がある。①三要件(旧)をすべて満たす「自衛のための必要最小限度」の意味、②三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」の意味、③9条解釈の規範が数量的な意味での「必要最小限度」と考えている場合。この場面で突然②の三要件の第三要件の意味が持ち出されるとすれば、この文脈では「自国の存立」や「国民の権利」のために政府が恣意的な「武力の行使」を発動することを制約する規範となる部分が存在しないため、解釈として無理がある。③の場合も同様に、9条は政府の行為を制約する規定であり、数量的な意味での「必要最小限度」などという基準が9条解釈から導かれることはないため、解釈として妥当でない。よって、①の三要件(旧)をすべて満たす意味での「自衛のための必要最小限度」と考えることが相当である。
砂川事件判決については、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については述べていないため、政府が「武力の行使」の可否を直接裏付けることはできない。そのため、ここで「直接の根拠として今後の検討を進めるわけではありませんが、」と述べていることは妥当である。ただ、後に砂川事件判決を持ち出して日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を正当化しようとする答弁も見られ、それは誤っている。注意して見ておきたい。
【参考】
◇ 「このように、平和安全法制の考え方は砂川事件判決の考え方に沿ったものであり、判決の範囲内のものであります。この意味で、砂川事件の最高裁判決は、集団的自衛権の限定容認が合憲である根拠たり得るものであると考えているところでございます。(平成27年6月26日)」
◇ 「その意味で、砂川判決は限定的な集団的自衛権の行使が合憲であることの根拠たり得るものと考えているわけでございます。(平成27年8月25日)」
【動画】安倍晋三・横畠裕介・中谷元:安保法制 6/26大串博志 2015/06
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第186回国会 衆議院 予算委員会 第16号 平成26年5月28日
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○安倍内閣総理大臣 今般の閣議決定においては、政府は、新三要件を満たす場合には、我が国に対する武力攻撃がなくても、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な必要最小限度の自衛の措置として武力の行使が憲法上許容されると判断するに至ったわけでございます。
そこで、先ほど挙げた三要件があるわけでございます。これは、我が国を取り巻く安全保障環境が客観的に大きく変化をし、一層厳しさを増しているという現実を踏まえて、従来の憲法解釈との法理的整合性と法的安定性を維持し、従来の政府見解、これは昭和四十七年の政府見解、先ほど紹介をいたしました政府見解でありますが、における憲法第九条の解釈の基本的な論理を何ら変更することなく、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために合理的な当てはめの結果として導き出されたものであります。
世界各国と同様の集団的自衛権の行使を認めるなど、憲法第九条の解釈に関する従来の政府見解の基本的な論理を超えて武力の行使が認められるとするような解釈を現憲法のもとで採用することはこれは困難であり、その場合には憲法改正が必要になると考えております。
【筆者】
「従来の憲法解釈との法理的整合性と法的安定性を維持し」や「憲法第九条の解釈の基本的な論理を何ら変更することなく」、「合理的な当てはめの結果として導き出されたもの」との答弁であるが、誤りである。まず、1972年(昭和47年)政府見解には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味である。ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらず、「合理的な当てはめ」を行うことはできない。そのため、論理的整合性が存在しないことから、「法理的整合性」を「維持し」との主張は誤りであるし、「基本的な論理を何ら変更することなく」との主張は論理矛盾である。「合理的な当てはめの結果」としては導き出されない。もしこのような主張で「当てはめ」が可能であると考えるのであれば、「侵略戦争」や「先制攻撃」を行う要件についても「当てはめ」が可能であると結論のみを主張することで正当化することができてしまうのであり、法解釈として成り立たないのである。
「従来の政府見解の基本的な論理を超えて武力の行使が認められるとするような解釈を現憲法のもとで採用することはこれは困難であり、その場合には憲法改正が必要になる」との記載があるが、既に「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分を超えており、これに基づく「武力の行使」を行おうとするのであれば「憲法改正」が必要になる。「存立危機事態」の要件が「基本的な論理」と称している部分を超えていないかのような主張となっているところに誤りがある。
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○安倍内閣総理大臣 まず申し上げておかなければならないのは、昭和四十七年の政府見解の基本的な理論、法理は変えていないということであります。
この中で、憲法は、第九条において、同条にいわゆる戦争を放棄している、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において、全世界の国民が、ずっとありまして、平和のうちに生存する権利を有することを確認し、また、十三条において、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、国政の上で、最大の尊重を必要とする旨を定めていることからも、我が国みずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解せないということであります。
それを言った上で、それは三つの論理に分かれているわけでありますが、二つ目には、しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右に言う自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである、こう書いてあります。
その次の、三つ目のところで、第三段目におきまして、そうだとすれば、我が国憲法のもとで武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない、こう書いてあります。
この外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態について、我々はそれを、その事態というものの中に、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、これを当てはめているわけで、変更し、当てはめているわけでございます。
ですから、我々は、基本的な論理を変えずに、当てはめを行っているということでございます。
【筆者】
「昭和四十七年の政府見解の基本的な理論、法理は変えていない」との答弁があるが、「変えていない」のであれば、「基本的な論理」と称している部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」を意味することから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに含まれない。よって、「存立危機事態」の要件は違憲である。
1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件を「これを当てはめているわけで、変更し、当てはめているわけでございます。」や「基本的な論理を変えずに、当てはめを行っている」と述べているが、「外国の武力攻撃によつて」の部分に「我が国に対する武力攻撃」以外の武力攻撃は論理的に当てはまることはなく、「当てはめている」や「当てはめを行っている」と主張することは不可能である。
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○安倍内閣総理大臣 先ほども申し上げましたように、憲法の解釈との関係、あるいは国際法との関係、そしてまた、それとは別に、防衛政策としての議論があります。今行っているのは、防衛政策としての議論ではなくて、憲法との関係の議論と国際法との関係の議論だろう、このように思うわけでありますが、憲法との関係においては、いわば四十七年の見解において述べられている、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」「その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」というのが政府の四十七年見解の基本的な論理でありますが、引き続きこれは維持をしているわけでありまして、これを維持し、新三要件の中に書き込まれているわけであります。
その中において、国際法上、いわば、この「必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」という中において集団的自衛権の行使と解されるものがあるというのが今回の閣議決定であるわけであります。
(略)
【筆者】
「四十七年の見解」が述べているのは、下記の通りである。
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……(略)……自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。……(略)……
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論者は下線部を抜き出しているが、部分的な抜き出しであり、意味を改変するものとなっているため誤りである。「自衛のための措置を無制限に認めているとは解されない」の部分や、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の部分を無視しているのである。また、論者の抜き出している「必要最少限度の範囲にとどまるべきもの」の部分とは、発動した「自衛の措置」の程度・態様の意味であり、「武力の行使」の三要件では第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様を意味する部分である。これをあたかも9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準となっているかのように考え、発動要件までもこれに従って政府が自由に変更できるかのように考えている部分が誤りである。
「というのが政府の四十七年見解の基本的な論理でありますが、引き続きこれは維持をしているわけでありまして、」との答弁があるが、論者は「基本的な論理」と称している部分を正確に抜き出していないし、「必要最小限度」の意味を読み誤っている。そのため、読み誤った基準を勝手に用いて「引き続きこれは維持をしている」と主張しても、そもそも読み誤っているのであるから、「維持している」ものとは言えない。また、「維持している」ならば「あくまで外国の武力攻撃によつて」の部分は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに当てはまらないため、「存立危機事態」の要件は9条に抵触して違憲となる。
「新三要件の中に書き込まれているわけであります。」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件については違憲である。
「この『必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。』という中において集団的自衛権の行使と解されるものがある」との記載があるが、この「四十七年見解」の「必要最小限度」の意味は、三要件の第三要件の「武力の行使」の程度・態様に対応する部分であり、この第三要件の中に「集団的自衛権の行使と解されるもの」は存在しない。論者は「必要最小限度」の意味を取り違えているのである。
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○安倍内閣総理大臣 今回の閣議決定における憲法解釈は、我が国を取り巻く安全保障環境が客観的に大きく変化しているという現実を踏まえて、従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をし、従来の政府見解、これは昭和四十七年の政府見解でありますが、この見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの帰結を導いたものでありまして、これは、従来の憲法解釈の再整理という意味で憲法解釈の一部変更でありますが、憲法の規範を変更したものではないわけであります。
【動画】安倍と法制局長官 「集団的自衛権の行使」憲法解釈の変更7/14衆院 2014/07
【筆者】
「従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をし」や「合理的な当てはめの帰結を導いたもの」との記載があるが、「昭和四十七年の政府見解」の「基本的な論理」と称している部分の「枠内」に「存立危機事態」の要件は当てはまらない。そのため、これが当てはまるかのように論じている部分は「論理的整合性」が存在せず、誤りである。「憲法解釈の一部変更」との記載があるが、「存立危機事態」の要件は違憲となるため、今回の「変更」は許されない。「憲法の規範を変更したものではない」との記載があるが、確かに「憲法の規範」が保たれているのであれば、「存立危機事態」の要件は違憲である。しかし、「存立危機事態」の要件が合憲であるかのように論じるのであれば、それは「憲法の規範を変更」しようとしているものである。
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○安倍内閣総理大臣 まさに日本国憲法には、実力組織である自衛隊についての条文が、記述がないわけでありまして、同時に、自衛権についても書いていない。ですから、まさに解釈によって我々は我が国の防衛政策を形づくってきたと言ってもいいと思います。
六十年前の昭和二十九年に自衛隊が設立をされました。この自衛隊、十万人を超える実力組織についても、これは海外では多くの国々は憲法に書き込まれているわけでありますが、書き込まれていないものをかつては吉田総理は、自衛のための武力行使もこれは禁じられているととれる答弁を憲法ができたときにされたわけでございます。しかし、その後、解釈で、まさに六十年前に自衛隊が誕生し、今日に至ったわけでございます。
ですから、当然、安全保障政策は解釈によって積み重ねられてきたわけであります。多くは国会答弁で行われたわけでありますが、今回は閣議決定を経たところでございます。
立憲主義とは、主権者たる国民が、その意思に基づいて、憲法において国家権力の行使のあり方について定め、これにより国民の基本的人権を保障するという近代憲法の基本的な考え方であります。今回の閣議決定は、憲法の規範性を何ら変更するものではございません。これまでの政府見解の基本的な論理の枠内における合理的な当てはめの結果でありまして、したがって、委員御指摘のとおり、今回の閣議決定は何ら立憲主義に反するものではないということは申し上げておきたいと思います。
【筆者】
下線部、恐らく下記の吉田総理発言と思われるが、内容を確認する。
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1946年(昭和21年)
6月26日 衆議院本会議 吉田総理発言
「戦争抛棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第九条第二項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も抛棄したものであります」
第90回帝国議会 本会議 昭和21年6月26日(第6号)
7月4日 衆議院帝国憲法改正案委員会 吉田首相
「此の間の私の言葉が足りなかつたのか知れませぬが、私の言はんと欲しました所は、自衛権に依る交戦権の抛棄と云ふことを強調すると云ふよりも、自衛権に依る戦争、又侵略に依る交戦権、此の二つに分ける区別其のことが有害無益なりと私は言つた積りで居ります」
第90回帝国議会 委員会 昭和21年7月4日(第5号)
以前の答弁についてこれが「いわゆる自衛戦争の否定の趣旨」と解される補足答弁を行う。(リンク P34)
(リンク P34)
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○安倍内閣総理大臣
(略)
そこで、今回の閣議決定は、まさに、国民の命と平和な暮らしを守るために私たちは何をすべきか、そしてその中で何をしなければならないのか、そしてそれは今までの憲法解釈の中でできるのかどうかということについて、真摯な議論を重ねてきたわけでございます。そして、このわかりにくいというのは、どうしても、憲法解釈についてでありますから、これは、憲法自体に自衛隊の存在が書いてあるわけではないですし、また、自衛権について書いてあるわけでもなくて、それは長年の解釈の積み重ねの中においてなされてきたところでございます。
そこで、我々は、四十七年の政府の見解があるわけでございます。それは、憲法十三条と憲法の前文から引いて、その中において、我々は、国としての平和的生存権と、そして国民の命、あるいは自由、そして幸福追求の権利を守ることができるという中において必要最小限度の自衛権は認められているという考え方であります。
この基本的な考え方は維持をしているわけでありまして、基本的な法理、そして憲法の規範は維持をしながら、そして同時に、近隣国において紛争が起こって、そこから逃れようとする日本人を輸送している米艦を守ることができなくていいのかどうか、こういう課題に我々は当然正面から向き合わなければいけないわけでありまして、私は、国民の命を守る、幸せな生活を祈ってつくられた憲法がそれをどうしても禁じているとは考えられなかったわけでございますが、今回、政府の閣議決定をする上において、与党で議論がなされ、先般閣議決定をしたところでございまして、ただ、可能になるためには、これから具体的な法律を御審議いただくことになるのではないか、こう思うわけであります。
(略)
【筆者】
「必要最小限度の自衛権」との答弁があるが、「必要最小限度」の意味を特定する必要がある。①「自衛のための必要最小限度」の意味であれば三要件(旧)を意味する。②「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」の意味であれば三要件の第三要件であり、「武力の行使」の程度・態様を意味する。③9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」と考えている場合。9条解釈は法規範であり、政府の恣意的な「武力の行使」を制約する規定であるから、③の数量的な意味での「必要最小限度」は法解釈として成り立たない。②の「武力の行使」の程度・態様の可能性もあるが、「自衛権」と関連させていることから、「武力の行使」の発動要件を含むと思われる。これにより、①の「自衛のための必要最小限度」の意味と考えられる。ただ、その文に続いて「この基本的な考え方は維持をしているわけでありまして、」としているということは、「自衛のための必要最小限度」の意味が残っているのであり、旧三要件の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」もそのまま残っていることになる。そうなると、「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲となるのであるから、これを満たさない「存立危機事態」での「武力の行使」についても違憲である。
「基本的な法理、そして憲法の規範は維持をしながら、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらないため、9条に抵触して違憲となる。
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第186回国会 衆議院 予算委員会 第18号 平成26年7月14日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
今回の閣議決定でお示しをした新三要件、昭和四十七年の政府見解の基本的な論理の下で導き出されたものでありまして、具体的には、我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、必要最小限度の実力行使にとどまるべきことという新三要件は憲法上の明確な歯止めであり、国際的に見ても例のない極めて厳しい基準であると言ってもいいと思います。
また、今回の閣議決定は、集団的自衛権の行使に当たる武力の行使ができるようになるわけではありません。国内法の整備が必要であり、改めて国会の御審議をいただくことになるわけでありまして、実際の行使に当たっても、これまでと同様、国会承認を求める考えでありまして、そのことは閣議決定に書き込まれております。
民主主義国家である我が国としては、慎重の上にも慎重を期して判断をすることは当然のことでありますが、今回の決定は、繰り返しになりますが、憲法の規範をそのまま受け継ぐものでございます。
【筆者】
新三要件について「昭和四十七年の政府見解の基本的な論理の下で導き出されたもの」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に当てはまらず、違憲である。たとえ「国際的に見ても例のない極めて厳しい基準」であったとしても、「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないということにより、9条に抵触して違憲となる。
「今回の決定は、繰り返しになりますが、憲法の規範をそのまま受け継ぐもの」との答弁があるが、憲法の規範を解釈した「昭和四十七年の政府見解の基本的な論理」に「存立危機事態」の要件は当てはまらず、「憲法の規範をそのまま受け継ぐ」ことにより、「存立危機事態」の要件は違憲となる。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) まず、なぜこの基本的な規範、四十七年の論理を変えていないかということにつきましては、憲法九条においては、同条においていわゆる戦争を放棄している云々と、こうありまして、その後、我が国自らの存立を全うし国民の平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をすることを禁じているとは到底解されないということであります。
その上において、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処するためにやむを得ない措置として初めて容認されるものである、だから、その結果、その措置は右の事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきというのが論理でありまして、この論理、基本論理は変えていないわけでありまして、その後について、我が憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは我が国に対する急迫不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は憲法上許されないと、こう言ってきたわけでございます。
ここのところを、言わば時代の変化において、それを、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険になったときには、言わばこれは、他国に対する武力攻撃があったとしても、密接な関係にある他国に対してあったとしても、武力の行使は許されるという当てはめを行ったものであるというのが我々の考え方であります。
(略)
【筆者】
「だから、その結果、」と答弁している部分があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「必要最少限度の範囲にとどまるべきもの」の部分は、「自衛の措置」の程度・態様を示した部分であり、その前の文脈は「自衛の措置」の発動要件となる部分であることを押さえる必要がある。あたかもここで用いられている「必要最少限度」の文言が数量的な意味での9条の制約であるかのように考えることはできないのである。論者はこの点を混同している可能性がある。
1972年(昭和47年)政府見解の「外国の武力攻撃によつて」と「急迫、不正の事態」の部分は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は含まれない。「他国に対する武力攻撃があったとしても、密接な関係にある他国に対してあったとしても、武力の行使は許されるという当てはめを行ったもの」との答弁があるが、当てはまらないものを当てはまると結論のみを述べて正当化しようとしている点で誤りである。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
今のままでは、集団的自衛権に当たるとこれは国際法的には見られるわけでありまして、そして、それを国内の憲法との関係においてできるかできないかというのはまた別の議論でありますが、国際法的にこれは集団的自衛権に属するとなると、いわゆる集団的自衛権は全部駄目だというのが四十七年の見解の、最後の見解でありましたから、そこの基本的な論理は維持しつつ、最後の当てはめにおいて、言わばそこを、三要件を作り、変えたということでありまして、三要件の中に我が国に対する武力攻撃と我が国と密接に関係のある他国に対する攻撃が発生しということが書き込まれ、まさにそここそ、これは集団的自衛権の制限的に三要件の中に入る、一部が可能性としてこれは認められ得ると、こう考えたところでございます。
【筆者】
「そこの基本的な論理は維持しつつ、最後の当てはめにおいて、言わばそこを、三要件を作り、変えたということでありまして、」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに当てはまらない。そのため、当てはまるかのように説明し、「三要件を作り、変えた」として変えることができるかのように説明している部分が誤りである。
「これは集団的自衛権の制限的に三要件の中に入る、一部が可能性としてこれは認められ得ると、こう考えたところでございます。」との答弁があるが、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となるから、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」も同様に違憲である。また、1972年(昭和47年)政府見解は「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」ことにより、付随的に「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」との結論が導き出されているのであり、国際法上の「集団的自衛権の行使」に該当するものが直接的に違憲になるかのような判定の仕方ではない。
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第186回国会 参議院 予算委員会 閉会後第1号 平成26年7月15日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
先般の閣議決定と憲法解釈の関係についてのお尋ねがありました。
憲法に集団的自衛権を認めない旨明記されているわけではありません。
先般の閣議決定における憲法解釈は、我が国を取り巻く安全保障環境が客観的に大きく変化しているという現実を踏まえ、従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意し、従来の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの帰結を導いたものであります。
したがって、先般の閣議決定は、合理的な解釈の限界を超えるような憲法解釈の変更ではなく、憲法をないがしろにするものではありません。
【筆者】
「憲法に集団的自衛権を認めない旨明記されているわけではありません。」との記載があるが、「集団的自衛権」とは国際法上の『権利』であるため、憲法上に明記されていなくて当然である。
2014年7月1日閣議決定について、従来の憲法解釈である1972年(昭和47年)政府見解との「論理的整合性と法的安定性に十分留意し」ていると述べられているが、実際には1972年(昭和47年)政府見解の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、ここに「存立危機事態」の要件である「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらないため、「論理的整合性」は保たれていない。これにより「法的安定性」も損なわれている。「合理的な当てはめの帰結を導いたもの」との記載があるが、合理的に当てはまることはないため、誤りである。もし「合理的な当てはめの帰結を導いたもの」と述べるだけで、当てはまることになってしまうのであれば、「侵略戦争」や「先制攻撃」でさえも「合理的な当てはめの帰結を導いたもの」と述べるだけで当てはまると主張することができることになってしまい、法解釈として成り立たないのである。「合理的な解釈の限界を超えるような憲法解釈の変更ではなく」との記載があるが、「論理的整合性」が保たれていないのであるから、「合理的な解釈の限界を超える」ものであり、「合理的な解釈の限界を超えるような憲法解釈の変更ではなく」との主張も事実に反する。
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第187回国会 衆議院 本会議 第3号 平成26年10月1日
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○安倍内閣総理大臣 先ほど長官からも説明させていただいたわけでありますが、最初の明白な危険と急迫不正の事態との関係でありますが、四十七年見解は三段階から成り立っているわけであります。
これは御承知のとおりだと思いますが、憲法九条において戦争放棄をしているけれども、しかし、憲法の前文とそして十三条において「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」という部分があります。そして二番目の部分として、今委員が紹介をしておられる、外国の武力攻撃、「しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されない」と。それは、あくまでも、「外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」ということに限っています。そして三番目に、しかし、集団的自衛権は認めない、認められない。
こういう三段論法で来ているわけでありますが、今回の、まさに三要件において、我々は、我が国に対する武力攻撃が発生したことの後の、または「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」ことということを結論において当てはめているわけでありまして、こういう、今、我が国に対する武力攻撃が発生したこと、または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生して、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるということは、まさにこれは急迫不正の事態に当たるという考え方であります。
あと、後段の質問に対するお答えでありますが、昭和四十七年の見解のもとで武力の行使が許されるのは、あくまでも「外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に限られるわけでありまして、これが憲法解釈の基本的な論理であります。
いかなる意味でも、武力攻撃が発生しなければ武力行使は許されないというのが基本であります。我が国に対する武力攻撃が発生する明白な危険が切迫しているという状態は、いまだ我が国に対する武力攻撃が発生していない段階でありまして、武力攻撃が発生する前に武力行使をすることはいわゆる先制攻撃であって、これは、憲法上はもとより、国際法上も許されないわけであります。そして、まさに明白な危険というのは、他国に対して発生した武力攻撃でありますが、この三要件、これを満たせば、これは急迫不正の事態に相当する、このように解しているところでございます。
【筆者】
「そして三番目に、しかし、集団的自衛権は認めない、認められない。」との答弁があるが、「四十七年見解」にはその前に「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」との文言がある。この「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」からこそ、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が憲法上許されないと導かれるのであり、突然国際法上の用語である「集団的自衛権」の概念が持ち出されているわけではない。「こういう三段論法で来ているわけでありますが、」との答弁があるが、三段目は「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」であり、「集団的自衛権は認めない、認められない。」の部分はこれに伴い副次的に導かれるものでしかない。
「あくまでも、『外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態』ということに限っています。」の部分の「外国の武力攻撃によつて」とは、「我が国に対する武力攻撃」を意味している。なぜならば、ここに「我が国に対する武力攻撃」以外の武力攻撃が含まれるとするのであれば、我が国と関係のない他国間の武力攻撃もここに含まれる可能性が生まれてしまうのであって、そうなると、結局「四十七年見解」そのものが「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合による「武力の行使」に踏み切ることが可能な規範となってしまい、9条が政府の自国都合による「武力の行使」を制約している趣旨を満たさないものとなってしまい、憲法解釈として成り立たなくなるからである。また、「急迫、不正の事態」についても「我が国に対する武力攻撃(我が国に対する急迫不正の侵害)」である。なぜならば、外国の行った「他国」に対する行為はその「他国」が「急迫性」や「不正性」を独自に判断するものであって、日本国の憲法解釈において導かれる「急迫性」や「不正性」の意味の中に、他国に対する行為が含まれると読み取ることは法解釈として妥当でないからである。よって、この「あくまでも、『外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態』ということに限っています。」とするのであれば、ここに「存立危機事態」の要件は当てはまらないし、ここにいう「急迫、不正の事態」にも当たらない。「存立危機事態」の要件を挙げて「まさにこれは急迫不正の事態に当たるという考え方であります。」と答弁しているが、当たらないため誤りである。
「昭和四十七年の見解」の「基本的な論理」と称している部分を取り上げて「いかなる意味でも、武力攻撃が発生しなければ武力行使は許されないというのが基本であります。」との答弁があるが、「昭和四十七年の見解」の「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の部分は、「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、「他国に対する武力攻撃」は含まれない。よって、「武力攻撃が発生しなければ武力行使は許されない」との意味は「我が国に対する武力攻撃」を意味であるから、何らかの「武力攻撃」が発生すれば、それが「我が国に対する武力攻撃」でなくても良いかのように考えて「存立危機事態」の要件がここに当てはまるかのように考えているところに誤りがある。
「我が国に対する武力攻撃が発生する明白な危険が切迫しているという状態は、いまだ我が国に対する武力攻撃が発生していない段階でありまして、武力攻撃が発生する前に武力行使をすることはいわゆる先制攻撃であって、これは、憲法上はもとより、国際法上も許されないわけであります。」との答弁について、この「武力攻撃」の意味が「昭和四十七年の見解」のいう「我が国に対する武力攻撃」であるならば、「憲法上」「許されない」との認識は正しい。しかし、その後「まさに明白な危険というのは、他国に対して発生した武力攻撃でありますが、この三要件、これを満たせば、これは急迫不正の事態に相当する、このように解している」との答弁について、「明白な危険」について、先ほど「明白な危険が切迫しているという状態は、いまだ我が国に対する武力攻撃が発生していない段階でありまして、武力攻撃が発生する前に武力行使をすることはいわゆる先制攻撃であって、これは、憲法上は……許されない」と述べているはずである。また、「急迫不正の事態」についても、これは「我が国に対する武力攻撃(我が国に対する急迫不正の侵害)」を意味するのであり、「他国に対する武力攻撃」はここに含まれないし、それが「武力攻撃」であるか否かもその「他国」や国際機関が判定するものである。日本国政府が外国の行った「他国」に対する行為の「急迫性」や「不正性」を判定するなどということは「昭和四十七年の見解」の「急迫、不正の事態」の中に含まれていない。そのため、「存立危機事態」を含む新三要件を指して「これを満たせば、これは急迫不正の事態に相当する」と認識することは法解釈として誤りである。
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第187回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成26年10月3日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 閣議決定の中において、いわゆる昭和四十七年の憲法解釈の、日本政府の憲法解釈について述べたこの四十七年の解釈でございますが、この中におきましても、基本的な、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、言わば基本的な論理であり、昭和四十七年十月十四日に参議院決算委員会に対して政府から提出された資料、集団的自衛権と憲法との関係に明確に示されているところであると。この基本的な論理は、憲法第九条の下では今後とも維持されなければならない、これが閣議決定の中にも書かれているとおりでございます。
【筆者】
「この基本的な論理は、憲法第九条の下では今後とも維持されなければならない、これが閣議決定の中にも書かれているとおり」との記載があるが、その通りその旨は「書かれている」のであるが、この「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらない。そのため、「存立危機事態」の要件は違憲である。2014年7月1日閣議決定は、結論のみ当てはまるかのように論じているが、その過程に論理的整合性が存在しないため、手続きに不正がある。
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第189回国会 参議院 予算委員会 第10号 平成27年3月20日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
いわゆる恒久法などの法整備及び憲法解釈等についてお尋ねがありました。
昨年七月の閣議決定は、安全保障環境の大きな変化を踏まえ、昭和四十七年の政府見解の基本的な論理の枠内で導き出されたものであり、憲法解釈としての論理的整合性と法的安定性は維持されています。また、そもそも、昭和四十七年の政府見解は、砂川事件の最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。
今般の平和安全法制では、具体的な必要性が発生してから改めて立法措置を行うのではなく、自衛隊の活動の前提となる法的根拠をあらかじめ定めておくこととしています。
また、現に戦闘行為を行っている現場では後方支援を行わないなど、武力の行使との一体化を回避するための厳格な枠組みを設けており、現実の安全保障環境に即した合理的な仕組みとなるものと考えています。
さらに、我が国が武力の行使を行い得るのはあくまでも新三要件を満たす場合に限られ、これは憲法上の明確かつ厳格な歯どめとなっています。
このように、今般の平和安全法制の整備は、これまでの憲法解釈の基本的な論理の枠内のものであり、御指摘は全く当たりません。
【筆者】
「昭和四十七年の政府見解の基本的な論理の枠内で導き出されたものであり、憲法解釈としての論理的整合性と法的安定性は維持されています。」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は「基本的論理」と称している部分に論理的に当てはまらない。そのため、「基本的論理の枠内で導き出したもの」との説明は誤りである。また、これにより「論理的整合性と法的安定性」は損なわれており、「維持されています。」との説明も誤りである。
「昭和四十七年の政府見解は、砂川事件の最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。」との答弁があるが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、「軌を一にする」部分は「昭和四十七年の政府見解」の「武力の行使」について述べた部分は含まれておらず、「自衛のための措置」の部分だけである。
「我が国が武力の行使を行い得るのはあくまでも新三要件を満たす場合に限られ、これは憲法上の明確かつ厳格な歯どめとなっています。」との答弁があるが誤りである。「我が国が武力の行使を行い得るのは」、「昭和四十七年の政府見解」によれば、「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」のである。この見解の「基本的論理」と称している部分にも「あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるもの」との記載があり、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと(我が国に対する急迫不正の侵害があること)」が求められる。新三要件の「存立危機事態」の要件はこれを満たさないため、9条に抵触して違憲となる。「これは憲法上の明確かつ厳格な歯どめとなっています。」との答弁についても、憲法上の「歯止め」とは9条の規定そのものであり、三要件とは異なると考えられる。また、新三要件が憲法に抵触しないための「厳格な歯止め」となり得るかであるが、「存立危機事態」の要件は9条解釈である「昭和四十七年の政府見解」の「基本的論理」と称している部分に当てはまらないのであり、9条に抵触することから憲法に抵触しないための「厳格な歯止め」としての機能を有しない。よって、「明確かつ厳格な歯どめとなっています。」との認識は誤りである。
「今般の平和安全法制の整備は、これまでの憲法解釈の基本的な論理の枠内のものであり、」との記載があるが、「昭和四十七年の政府見解」の「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、ここに「存立危機事態」の要件である「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。そのため、「基本的な論理の枠内」との認識は誤りである。
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第189回国会 衆議院 本会議 第24号 平成27年5月15日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
新ガイドラインと憲法改正についてお尋ねがありました。
新ガイドラインは、日米いずれの政府にも立法上、予算上、行政上その他の措置を義務付けるものではなく、法的権利又は義務を生じさせるものでもありません。
自衛隊の派遣については、我が国として、憲法及び法令に従い、自らの国益に照らして主体的に判断することは当然であり、自衛隊の活動が米軍とともに際限なく拡大するというものではありません。
また、新ガイドラインにも明記しているとおり、我が国に対する武力攻撃への共同対処が引き続き日米の安全保障、防衛協力の中核的要素であることには変わりがありません。
さらには、我が国の防衛の基本的な方針である専守防衛については、政府としてこれを維持することに変わりはなく、新ガイドラインにおいても、日本の行動及び活動は専守防衛等の日本の基本的な方針に従って行われる旨を明記しているところであります。
この新ガイドラインは、昭和四十七年の政府見解の基本的な論理の枠内で導き出した現行憲法の解釈の下で策定したものであります。
なお、憲法改正の是非については、国民的な議論の深まりの中において判断されるべきものと考えています。
(略)
【筆者】
「我が国の防衛の基本的な方針である専守防衛については、政府としてこれを維持することに変わりはなく、」との答弁があるが、誤りである。なぜならば、「専守防衛」とは「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」をいうが、「存立危機事態」の要件は「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、」に該当しないし、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に当てはまらず違憲となるため「憲法の精神に則った」を満たさず、「専守防衛」が「維持」されていないからである。「これを維持することに変わりはなく、」との答弁があるが、維持されていないため誤りである。
「昭和四十七年の政府見解の基本的な論理の枠内で導き出した現行憲法の解釈の下で策定したもの」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらず、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲である。
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第189回国会 参議院 本会議 第18号 平成27年5月18日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
昨年七月の閣議決定に関し、解釈改憲、立憲主義の逸脱といった批判は全く当たらないと考えているかどうかとのお尋ねがございました。
昨年七月の閣議決定における憲法解釈は、我が国を取り巻く安全保障環境が客観的に大きく変化しているという現実を踏まえ、従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意し、従来の、昭和四十七年の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの帰結を導いたものであります。
また、そもそも、昭和四十七年の政府見解のうち、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されないとする部分は、昭和三十四年の砂川事件の、我が国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないとの最高裁判決で示された考え方と軌を一にするものであります。
昨年の閣議決定では、国民の命と幸せな暮らしを守るため、必要最小限度の自衛の措置が許されるという、従来の憲法解釈の基本的考え方を変えるものではないことから、憲法の規範性を何ら変更するものではなく、立憲主義に反するものではありません。
したがって、御指摘のとおり、昨年の閣議決定について、解釈改憲、立憲主義の逸脱という批判は全く当たらないと考えます。
【筆者】
「必要最小限度の自衛の措置は許される」との答弁があるが、「必要最小限度」意味を特定する必要がある。まず、①従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいる「必要最小限度」の意味であれば三要件(旧)をすべて含むことを意味する。次に②「武力の行使」の三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様の意味。三つ目に、③9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準になっているかのように考えている場合。③については、9条は政府の自国都合による「武力の行使」を制約する規定であり、このような数量的な意味での「必要最小限度」という基準は政府の行為を制約することができないため、法解釈として成り立たない。②の「武力の行使」の程度・態様の意味だとすると、この文脈で「武力の行使」の発動要件に該当する部分は「国民の命と幸せな暮らしを守るため、」の文言ということになる。しかし、9条は政府が「国民の命と幸せな暮らしを守るため」などを理由として他国に向かって自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを制約するための規定であり、9条の下ではこのような発動要件は許容されず、違憲となる。①の従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいる「必要最小限度」の意味だとすると、三要件(旧)のすべてを満たすことを必要とするから、「武力の行使」を行う際は第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たす必要がある。しかし、「存立危機事態」の要件はこの「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たさないため、「存立危機事態」での「武力の行使」は許されない。よって、論者の主張はどの「必要最小限度」の意味を検討しても「存立危機事態」での「武力の行使」を憲法上許容する根拠とはならない。
「従来の憲法解釈の基本的考え方を変えるものではないことから、憲法の規範性を何ら変更するものではなく、立憲主義に反するものではありません。」とのと便があるが、「基本的な論理」と称している部分を変えていないのであれば、「存立危機事態」の要件はこの「基本的な論理」と称している部分に当てはまらず、違憲となる。「憲法の規範性を何ら変更するものではな」いのであれば、やはり違憲である。もし「存立危機事態」の要件を定めたことは、憲法に反する要件を定めたものであるから、立憲主義に反するものである。「立憲主義に反するものではありません。」との主張は誤りである。
「昨年の閣議決定について、解釈改憲、立憲主義の逸脱という批判は全く当たらないと考えます。」との答弁があるが、違憲な要件を定めようとしたことは、立憲主義の逸脱であり、批判は全く当たるものである。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
今回の法整備と立憲主義についてお尋ねがありました。
昨年七月の閣議決定における憲法解釈は、我が国を取り巻く安全保障環境が客観的に大きく変化しているという現実を踏まえ、従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意し、従来の、昭和四十七年の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの帰結を導いたものであります。
また、そもそも、昭和四十七年の政府見解のうち、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されないとする部分は、昭和三十四年の砂川事件の、我が国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないとの最高裁判決で示された考え方と軌を一にするものであります。
新ガイドラインは、憲法に従って、法令の範囲内で実施すると明記しています。
平和安全法制は、これから国会で御審議いただくものであり、国会で後づけで認めさせるとの御指摘は全く当たりません。
このように、今般の平和安全法制は、これまでの憲法解釈の基本的な論理を維持したものであり、恣意的な憲法解釈や憲法の信頼性も傷つけてしまうとの指摘は全く当たらず、立憲主義に反するものではありません。
【筆者】
「従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意し、従来の、昭和四十七年の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための合理的な当てはめの帰結を導いたもの」との答弁があるが、「昭和四十七年の政府見解」の「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。そのため、「基本的な論理の枠内」とは言えないし、「合理的な当てはめの帰結」として導かれない。論理的に当てはまらないものを当てはまると主張している点で「論理的整合性と法的安定性」は損なわれているのであり、「十分留意し」との「留意」も満たしていない。
「また、そもそも、昭和四十七年の政府見解のうち、……とする部分は、昭和三十四年の砂川事件の、……との最高裁判決で示された考え方と軌を一にするものであります。」との答弁があるが、砂川事件判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないのであるから、「また、そもそも、」との接続語を用いて直前に「昭和四十七年の政府見解」を利用して「武力の行使」の解説を行っていることと関連させ、あたかも砂川事件判決によって「存立危機事態」での「武力の行使」を正当付けることができるかのように説明することは誤りである。砂川事件判決と「昭和四十七年の政府見解」の軌を一にする部分とは、「自衛のための措置」の部分だけである。
【参考】論点のすり替え Wikipedia
【参考】詭弁 Wikipedia
「今般の平和安全法制は、これまでの憲法解釈の基本的な論理を維持したものであり、恣意的な憲法解釈や憲法の信頼性も傷つけてしまうとの指摘は全く当たらず、立憲主義に反するものではありません。」との答弁があるが、「基本的な論理」に「存立危機事態」の要件は当てはまらないため「基本的な論理を維持したもの」と説明することは論理矛盾である。また、「維持したもの」や「当てはめの帰結」などと結論のみを述べてその過程にある論理矛盾を無視することは「恣意的な憲法解釈」であり、「憲法の信頼性も傷つけてしまう」ものであり、「指摘」は全く当たっており、「立憲主義に反するもの」ということができる。答弁は、当てはまるはずのないものを当てはまると主張していることから次々に整合性の乱れが生じている。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
平和安全法制の整備と専守防衛の関係についてお尋ねがありました。
我が国は、戦後一貫して、日本国憲法のもと、専守防衛に徹し、平和国家として歩んできました。
今般の平和安全法制の整備に当たっては、昭和四十七年に示された政府見解の基本的な論理は一切変更していません。この基本的な論理は、砂川事件の最高裁判決の考え方と軌を一にするものです。
したがって、今般の法整備によって、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略である専守防衛について、その定義、そして我が国防衛の基本方針であることに、いささかの変更もありません。
平和国家としての日本の歩みは、これからも決して変わることはありません。その歩みをさらに力強いものにする、そのための決断こそが、平和安全法制の整備であります。
新三要件に該当するか否かの判断と、該当する場合に認められる武力の行使についてのお尋ねがありました。
新三要件のもと、我が国が用い得る武力の行使については、あくまで我が国の存立を全うし、国民の平和な暮らしを守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として認められるものであって、国連憲章第五十一条で認められている集団的自衛権の行使一般を認めるものではなく、また、他国の防衛それ自体を目的とする集団的自衛権の行使を認めるものでもありません。
我が国が武力の行使を行い得るのは新三要件を満たす場合に限られますが、これは憲法上の明確かつ厳格な歯どめになっています。
まず、第一要件のとおり、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生したことに加え、これにより、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合でなければ、武力の行使は憲法上許されません。
次に、第二要件のとおり、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないことが必要であり、自衛の措置としての武力の行使は、あくまでも我が国を防衛するための最後の手段です。
また、第三要件のとおり、武力の行使を行うとしても、それは自衛の措置としてのものであり、必要最小限度のものでなければなりません。
この新三要件は、今般の法整備において明確に書き込まれています。
以上のとおり、新三要件は、憲法上の明確な歯どめであり、国際的に見ても、他に例のない極めて厳しい基準であって、その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものではありません。
さらに、実際の武力の行使を行うために自衛隊に防衛出動を命ずるに際しては、これまで同様、原則として事前の国会承認を求めることが法律上明記されており、政府が判断するのみならず、国会の御判断もいただき、民主主義国家として、慎重の上にも慎重を期して判断されることになります。
【筆者】
「昭和四十七年に示された政府見解の基本的な論理は一切変更していません。」との答弁があるが、この「基本的な論理」と称している部分によって、「存立危機事態」の要件は違憲となる。
「憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略である専守防衛について、その定義、そして我が国防衛の基本方針であることに、いささかの変更もありません。」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件が「昭和四十七年に示された政府見解」の「基本的な論理」と称している部分に論理的に当てはまらないため、「存立危機事態」の要件は違憲であり、「専守防衛」の定義である「憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略」を満たさない。これにより、「専守防衛」とは言えず、「専守防衛」は損なわれている。「いささかの変更もありません。」との主張は誤りである。
「平和国家としての日本の歩みは、これからも決して変わることはありません。」との答弁があるが、誤りである。まず、9条は憲法の前文の「平和主義」の理念を具体化した規定であるとされている。9条解釈である「昭和四十七年に示された政府見解」の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらない「存立危機事態」の要件を定めたということは、9条に抵触する要件を定めたということになる。このことは、「平和主義」の理念を具体化した規定の要請を実現できていないことになるから、前文の「平和主義」の理念も同時に損なわれていることとなる。憲法の「平和主義」の理念が損なわれているということは「平和国家としての日本の歩み」は損なわれていることになるから、「平和国家としての日本の歩みは、これからも決して変わることはありません。」との主張は誤りである。「その歩みをさらに力強いものにする、そのための決断こそが、平和安全法制の整備であります。」との答弁もあるが、この「平和安全法制」の「存立危機事態」の要件によって、「平和国家としての日本の歩み」は損なわれているのであり、「その歩みをさらに力強いものにする」ことにはならない。「そのための決断こそが、」との答弁があるが、「平和安全法制」の「存立危機事態」の要件によって憲法上の「平和主義」の理念に裏付けられた「平和国家としての日本の歩み」は損なわれるのであり、「決断」とは、「平和国家としての日本の歩み」を捨てる「決断」にしかならない。もしかすると論者は「平和国家としての日本の歩み」を憲法前文の「平和主義」の理念とは異なる独自の考え方に基づいて使用している可能性があるが、憲法の前文「平和主義」の理念や9条の規定の制約はそのような独自の政治的立場を超えて規範性を有しているのであり、その制約を逃れることはできない。論者の独自の認識に基づいた「存立危機事態」の要件は9条に抵触して違憲となる。
「新三要件のもと、我が国が用い得る武力の行使については、あくまで我が国の存立を全うし、国民の平和な暮らしを守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として認められるものであって、」との答弁があるが、憲法上許容される「武力の行使」は「昭和四十七年に示された政府見解」によれば、「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」のであり、これを満たさないにもかかわらず、「我が国の存立を全うし、国民の平和な暮らしを守るため」や「我が国を防衛するため」であれば「武力の行使」が可能であると考えている部分が誤りである。「認められるものであって、」との答弁があるが、認められないため誤りである。
「国連憲章第五十一条で認められている集団的自衛権の行使一般を認めるものではなく、また、他国の防衛それ自体を目的とする集団的自衛権の行使を認めるものでもありません。」との答弁があるが、誤りである。まず、国連憲章において「集団的自衛権」に該当すれば「集団的自衛権」でしかなく、「一般を認めるものではなく」などと、「一般」とそれ以外があるかのような認識は誤りである。また、「集団的自衛権」としての違法性阻却事由を得るためには、『他国からの要請』が必要であり、この『要請』がなければ「集団的自衛権」としての違法性阻却事由を得られないにもかかわらず、「他国の防衛それ自体を目的とする集団的自衛権の行使を認めるものでもありません。」と主張することは論理的整合性がない。「集団的自衛権の行使」に該当する「武力の行使」は、その性質上必然的に『他国防衛』の意図を含むのであり、含まないかのように主張することはできない。もし「自国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず、『他国防衛』の意図のない『自国防衛』のための「武力の行使」を行うのであれば、それは国際法上は「先制攻撃」であり、違法である。『他国防衛』の「武力の行使」が違憲となることは当然であるが、「我が国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず、『自国防衛』を称して「武力の行使」に踏み切ることも「先に攻撃」であり、違憲である。
「我が国が武力の行使を行い得るのは新三要件を満たす場合に限られますが、これは憲法上の明確かつ厳格な歯どめになっています。」との答弁があるが、誤りである。まず、「新三要件」の「存立危機事態」の要件は「昭和四十七年に示された政府見解」の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないため違憲である。よって、「新三要件」を満たせば「武力の行使」を行い得るかのように説明している部分が誤りである。次に、「憲法上の明確かつ厳格な歯どめになっています。」との答弁であるが、憲法上の「歯止め」とは9条の規定である。よって、「新三要件」を「憲法上の明確かつ厳格な歯どめ」と呼ぶことは正確ではない。憲法に抵触しないための「明確かつ厳格な歯どめ」と主張しようにも、憲法解釈から導かれる憲法に抵触しないための「明確かつ厳格な歯どめ」とは、「昭和四十七年に示された政府見解」であり、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらない。よって、「新三要件」の「存立危機事態」の要件は違憲であり、憲法に抵触しないための「明確かつ厳格な歯どめ」とは言えず、論者の主張は誤りである。
「第一要件のとおり、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生したことに加え、これにより、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合でなければ、武力の行使は憲法上許されません。」との答弁があるが、この「存立危機事態」の要件は違憲であり、これに基づく「武力の行使」は憲法上許されない。これに該当すれば「武力の行使」が憲法上許されるかのように説明している部分が誤りである。
新三要件の第二要件を指して「自衛の措置としての武力の行使は、あくまでも我が国を防衛するための最後の手段です。」との答弁があるが、「昭和四十七年に示された政府見解」の下では「我が国に対する武力攻撃が発生したこと(我が国に対する急迫不正の侵害があること)」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲であり、「我が国を防衛するため」でいるからといって「武力の行使」が許容されるわけではない。よって、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと(我が国に対する急迫不正の侵害があること)」を満たさないにもかかわらず、「我が国を防衛するための最後の手段」と政府が考えれば「武力の行使」が可能となるかのように考えている部分が誤りである。
「第三要件のとおり、武力の行使を行うとしても、それは自衛の措置としてのものであり、必要最小限度のものでなければなりません。」との答弁があるが、認識を整理する必要がある。旧三要件における第三要件の「必要最小限度」とは、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(第一要件)」を「排除(第二要件)」するための「必要最小限度」の意味であった。第一要件と第二要件を達成するための「必要最小限度」の意味であり、「自衛の措置」であるか否かによって制約されていたわけではない。また、新三要件に基づく「他国に対する武力攻撃(新第一要件)」を「排除(新第二要件)」するための「武力の行使」は、憲法上許容される「自衛の措置の限界」を超えており、違憲である。そのため、「必要最小限度」と称してもその「武力の行使」は許されない。
「新三要件は、憲法上の明確な歯どめであり、国際的に見ても、他に例のない極めて厳しい基準であって、その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものではありません。」との答弁があるが、誤りである。まず、「憲法上の明確な歯止め」とは9条そのものであり、「新三要件」ではない。また、「新三要件」が憲法に抵触しないための「明確な歯止め」であると考えようにも、「新三要件」の「存立危機事態」の要件は違憲であり、憲法に抵触しないための「明確な歯止め」とも言えない。「国際的に見ても、他に例のない極めて厳しい基準であって、」との答弁についても、9条そのものが「国際的に見ても、他に例のない極めて厳しい基準」なのであり、「新三要件」を「国際的に見ても、他に例のない極めて厳しい基準」と称しようとも、「新三要件」が9条に抵触しない旨を示す根拠とはならない。「その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものではありません。」との答弁があるが、今回の「新三要件」の「存立危機事態」の要件は違憲であり、今回の解釈変更は内閣に与えられた裁量権の範囲を逸脱し無効であるから、その意味で「内閣が恣意的に解釈できるようなもの」ではない。「新三要件」が憲法上認められるかのように説明している部分が誤りである。
「実際の武力の行使を行うために自衛隊に防衛出動を命ずるに際しては、これまで同様、原則として事前の国会承認を求めることが法律上明記されており、」との答弁があるが、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲であり、たとえ「国会承認」を経ても違憲であることには変わりない。内閣も国会も、憲法に違反する権限を行使することはできないのである。
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第189回国会 衆議院 本会議 第28号 平成27年5月26日
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○安倍内閣総理大臣 ただいま高村委員が引かれましたように、昭和三十四年の砂川事件の最高裁判決で示された「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」、これが砂川判決で示された判決でございます。
そして、昭和四十七年政府見解において、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」と。これはまさに、当然、軌を一にするわけであります。
そこで、昨年の七月の閣議決定における憲法解釈は、我が国を取り巻く安全保障環境が客観的に大きく変化しているという現実を踏まえまして、従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をしながら、従来の昭和四十七年の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理を維持した上で、その枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、合理的な当てはめの帰結を導いたものであります。
したがって、昨年の閣議決定は、最高裁が判断を示した、一見明白に違憲でない限り国会と内閣に委ねられているという最高裁から与えられた裁量の範囲内であり、立憲主義にのっとった解釈であると考えております。
【筆者】
「従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をしながら」や「基本的な論理を維持した上」、「その枠内で」、「合理的な当てはめの帰結を導いたもの」との答弁であるが、「存立危機事態」の要件は「従来の昭和四十七年の政府見解」の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらず、「その枠内」を逸脱しており、「合理的な当てはめ」は不可能である。よって、「合理的な当てはめの帰結を導いたもの」ということはできず、これを当てはまるかのように説明することは「論理的整合性と法的安定性」を損なうものである。「従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をし」たならば、「存立危機事態」の要件は違憲となる。
「昨年の閣議決定」である2014年7月1日閣議決定は、解釈手続きに不正があることから違法である。このような解釈手続きの不正は「内閣」の「裁量権の範囲内」とは言えない。また、「立憲主義にのっとった解釈」とも言えない。
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○安倍内閣総理大臣 わかりやすく、先ほど大臣も答弁させていただいておりますが、改めて答弁をさせていただきたいと思います。
今般の整備に当たって、専守防衛という考え方は全く変わりがありません。なぜ変わっていないかということをこれから説明申し上げます。
今般の平和安全法制の整備に当たっては、昭和四十七年に示された政府見解の基本的な論理は一切変更していません。
この基本的な論理は、昭和三十四年の砂川事件の最高裁判決で示された考え方であります。すなわち、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」、これがまさに基本的な考え方であります。
新三要件のもとで許容される武力の行使は、あくまでも自衛の措置としての武力の行使に限られているわけであります。それは、新三要件の第一要件を見ていただければ自明の理だと思いますが、我が国に対する武力攻撃が発生、あるいは我が国と密接な他国に対する武力攻撃が発生したことによって我が国の存立が脅かされるわけですから、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険ですよ、これをまさに防衛するというのは、これは専守防衛ですよ。専守防衛であります。
つまり、この三要件、三要件について変わった。なぜ変わったかといえば、まさに日本をめぐる安全保障環境が厳しさを増す中において、どの国も一国のみで自国の安全を守ることができないという状況になっている中において、我々は状況の変化に対応して、国民の命と幸せな暮らしを守っていく責任を果たさなければなりません。そのことを皆さんは忘れてはならないんですよ。その上において、我々は新たな三要件をつくった。しかし、今申し上げましたように、この砂川判決そして四十七年の政府見解の根本論理は変わっていないというのは、今申し上げたとおりでございます。
【筆者】
「専守防衛という考え方は全く変わりがありません。」との答弁があるが、誤りである。「専守防衛」とは、「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」をいうが、「存立危機事態」の要件は「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、」に該当しないし、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に当てはまらず違憲となるため「憲法の精神に則った」を満たさない。これにより、「専守防衛」を逸脱しており、「専守防衛という考え方は全く変わりがありません。」との主張は誤りとなる。
「昭和四十七年に示された政府見解の基本的な論理は一切変更していません。」としているのであれば、その「基本的な論理」と称する部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、「存立危機事態」の要件は違憲となる。
「新三要件のもとで許容される武力の行使は、あくまでも自衛の措置としての武力の行使に限られているわけであります。」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解でも示されている通り、「平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されない」のであり、「自衛の措置」であるからといって必ずしも合憲となるわけではない。憲法上許容される「自衛の措置」は、1972年(昭和47年)政府見解によれば、「あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」のであり、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲である。新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」はこれを満たさないため違憲となる。もう一つ、論者はこの文の一つ前の文で砂川判決の「自衛のための措置」を持ち出して、これと一致していればあたかも合憲であるかのように論じようとしているが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、砂川判決の「自衛ための措置」と軌を一にするからと言って、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を正当化できるわけではない。これにより、「あくまでも自衛の措置としての武力の行使に限られているわけであります。」と主張しても、その「武力の行使」が違憲とならない旨を根拠付けることはできていない。
「それは、新三要件の第一要件を見ていただければ自明の理だと思いますが、」との答弁があるが、「自衛の措置の限界」を超えたならば、「自衛の措置」と称しても違憲となるのであり、「自衛の措置」であれば合憲であるかのように考えている点や、9条は『自国防衛』であるからといって必ずしも「武力の行使」を許容しているわけではないにもかかわらず、「存立危機事態」の要件の中に『自国防衛』の要素が含まれていれば合憲となるかのように考えている点に誤りがある。そのため、「新三要件の第一要件」を見たとしても、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に当てはまらないものであるため、違憲である。
「これをまさに防衛するというのは、これは専守防衛ですよ。専守防衛であります。」との答弁があるが、「専守防衛」とは先ほども述べたように、「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」のことであり、「存立危機事態」の要件は「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、」に該当しない。また、9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)にも適合しないことから、「憲法の精神に則った」も満たさない。そのため、「専守防衛」とは言えない。「専守防衛ですよ。専守防衛であります。」との答弁は、「専守防衛」ではないため、全く誤りである。
「この砂川判決そして四十七年の政府見解の根本論理は変わっていない」との答弁があるが、この9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は変わっていないのであり、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、「存立危機事態」の要件は9条に抵触して違憲となる。
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○安倍内閣総理大臣 いわば、先ほど申し上げました砂川判決と四十七年の政府見解は軌を一にするものでありまして、その考え方について申し上げますと、まさに砂川判決においては「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」、こう書いてあります。この中には個別的、集団的という言葉は全く書いていないわけでありますが、この論理と軌を一にする論理を四十七年見解でも展開しているわけでありますが、当てはめにおいて、集団的自衛権の行使は認められないということになったわけでございます。我々は、基本論理を維持しつつ、当てはめを変えたわけであります。
そこで、大切なことは、これは長妻さんも最初のところでいわばちゃんと理解をしていただかなければいけないわけでございますが……(長妻委員「いや、簡単な話ですよ。ちょっと委員長」と呼ぶ)まさに簡単な話ですから申し上げますと、第一要件は、我が国の存立が脅かされる、我が国の存立が脅かされる、何回も申し上げますが、我が国の存立が脅かされ、そして国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から脅かされる事態なんですよ。これは、我が国が攻撃されればそういう事態になる。しかし、他国が攻撃されてもこういう事態に当たる場合もあり得るということであります。
当たり得るという例については、今までも例として幾つか申し上げてきました。それはまさに、我々は、専守防衛とは変わらない、つまり、近隣国で紛争があって、そこから逃れようとする邦人を乗せている米国の艦船が他国から襲われたときにこれを防衛するということは、まさに国民の生命そして自由、幸福追求の権利を守ることになるわけでありまして、今まではそれはできなかった。できなかった。長妻さんはそのままでいいとおっしゃっている。でも、我々はそうは思わない。そうは思わないんですよ。それは当然守らなければいけないということであります。
つまり、これは当然、専守防衛の中に……(長妻委員「ちょっともう長いから。はい、わかりました。委員長」と呼ぶ)まだ答弁中です。
【筆者】
砂川判決について、「この中には個別的、集団的という言葉は全く書いていないわけでありますが、」との答弁があるが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」については何も述べておらず、国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由である国連憲章51条の「個別的自衛権」や「集団的自衛権」の行使としての「武力の行使」が可能であるかは関係がない。そのため、ここで「この中には個別的、集団的という言葉は全く書いていないわけでありますが、」などと国連憲章の区分を持ち出すこと自体が関係のない話である。
「四十七年見解でも展開しているわけでありますが、当てはめにおいて、集団的自衛権の行使は認められないということになったわけでございます。」との記載があるが、「四十七年見解」が「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」としているのは、「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」としていることに付随するものであり、「集団的自衛権の行使」であるか否かによって判別しているわけではないことを押さえておく必要がある。
「我々は、基本論理を維持しつつ、当てはめを変えたわけであります。」との答弁があるが、「基本的な論理」の中に「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、変えることができたかのように論じることは誤りである。
「これは、我が国が攻撃されればそういう事態になる。しかし、他国が攻撃されてもこういう事態に当たる場合もあり得るということであります。」との答弁があるが、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを制約する規定であり、政府が「我が国の存立が脅かされ、そして国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から脅かされる事態」という自国の状況のみを判定するだけで「武力の行使」に踏み切ることはできない。1972年(昭和47年)政府見解は「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」として「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たすか否かに「武力の行使」の可否を決する基準を定めたのであり、「他国に対する武力攻撃」であり、未だ9条の規範性を通過していないにもかかわらず、政府が「我が国の存立が脅かされ、そして国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から脅かされる事態」と認定すれば「武力の行使」が可能であるかのように考えている部分に誤りがある。ただ、「我が国に対する武力攻撃」の『着手』が認められた場合には、それを「我が国の存立が脅かされ、そして国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から脅かされる事態」として「武力の行使」を行うことは可能である。
「我々は、専守防衛とは変わらない、」や「これは当然、専守防衛の中に……」と答弁しているが、誤りである。「専守防衛」とは「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」を言うが、「存立危機事態」の要件は「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、」に該当しないし、1972年(昭和47年)政府見解にも当てはまらないことから「憲法の精神に則った」も満たさない。よって、「存立危機事態」での「武力の行使」は「専守防衛」とは言えない。よって、「専守防衛とは変わらない」との認識は誤りである。
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○安倍内閣総理大臣 海外での武力行使、いわば一般に海外派兵は認められない、これはまさに一貫した立場でございます。その立場には変わりがないということであります。
先ほども法制局長官が答弁をいたしましたが、いわば四十七年の基本的な論理というのは、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されず、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処するためのやむを得ない措置として必要最小限度の武力行使は許容されるというのが、これは基本原理であります。
その中において三要件をつくり、そして当てはめにおいて、いわばこの三要件の中において一部、この三要件に当てはまる集団的自衛権の行使の一部容認を認めた、当てはめたということでございます。
当時の宮沢総理が答弁している、いわば海外派兵は一般に認められない、これは当時から、個別的自衛権においても当然そうでございますから、同じなんですよ。集団的自衛権においても、自衛権においてかかる制約においては、当時も三要件がありました。必要最小限度というものも同じように入っていたわけでありまして、新三要件の中にも、必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、こうあるわけでありますから、当然、一般に海外派兵は許されない、これは変わらないということでございます。
【筆者】
「海外での武力行使、いわば一般に海外派兵は認められない、これはまさに一貫した立場でございます。その立場には変わりがないということであります。」との答弁があるが、従来より海外派兵が一般に認められないとしていたのは三要件(旧)の「我が国に対する急迫不正の侵害(第一要件)」を「排除(第二要件)」したならば、それ以上は「武力の行使」を行ってはならないとの基準に基づくものであり、これが「一貫した立場」「その立場には変わりがない」とするのであれば、新三要件が定められた後においても旧三要件が生きていることとなる。新三要件と旧三要件が競合する関係にあり、論理的整合性が保たれていない
1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を述べる際、「必要最小限度の武力行使は許容されるというのが、これは基本原理であります。」との答弁があるが、誤りである。なぜならば、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界について示したものであり、「武力の行使」については含まれていないからである。論者は「必要最小限度の武力行使は許容される」と「武力の行使」までもが「基本的な論理」であるかのように論じている部分に誤りがある。また、1972年(昭和47年)政府見解の「必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」の文言は、発動した「武力の行使」の程度・態様を示す第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」に対応する部分である。論者の「必要最小限度の武力行使は許容される」との説明では、あたかも9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」という基準であるかのように誤解を生ませる表現が見られるため、適切ではない。これは2014年7月1日閣議決定においても、1972年(昭和47年)政府見解を適切に抜き出したものとなっておらず、誤っているため注意が必要である。
「そして当てはめにおいて」や「この三要件に当てはまる集団的自衛権の行使の一部容認を認めた、当てはめたということでございます。」との答弁があるが、新三要件の「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないため誤りである。また、論者は「集団的自衛権の行使」という国際法上の違法性阻却事由の『権利』を行使する意味で説明しようとするが、実質的に「武力の行使」を伴う措置であることを解する必要がある。新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」は、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)からは導かれないため、9条に抵触して違憲である。
「いわば海外派兵は一般に認められない、これは当時から、個別的自衛権においても当然そうでございますから、同じなんですよ。」との答弁があるが、先ほども述べたように、「海外派兵は一般に認められない」とする根拠は三要件(旧)に基づく「我が国に対する急迫不正の侵害(第一要件)」を「排除(第二要件)」したならば、それ以上は「武力の行使」を留めなければならないとの基準によって、一般に認められていなかったのであり、これが「同じなんですよ。」ということは、新三要件を定めた後でも旧三要件を採用していることとなる。
「集団的自衛権においても、自衛権においてかかる制約においては、当時も三要件がありました。必要最小限度というものも同じように入っていたわけでありまして、新三要件の中にも、必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、こうあるわけでありますから、当然、一般に海外派兵は許されない、これは変わらないということでございます。」との答弁があるが、誤った認識である。まず、三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」とは、第一要件と第二要件を達成するための「必要最小限度」である。つまり、旧三要件においては、「我が国に対する急迫不正の侵害(第一要件)」を「排除(第二要件)」するための「必要最小限度(第三要件)」であるからこそ、「我が国に対する急迫不正の侵害(第一要件)」を「排除(第二要件)」したならば、それ以上は「武力の行使」を行ってはならないため、「一般に海外派兵は許されない」との基準が生まれるのである。しかし、新三要件によって第一要件と第二要件を変更したのであるから、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃(新第一要件)」を「排除(新第二要件)」するための「必要最小限度」となるのであり、その「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃(新第一要件)」を「排除(新第二要件)」するためであれば、我が国以外の地域での「武力の行使」も一般に可能となっている。そのため、「一般に海外派兵は許されない」との基準は存在せず、「これは変わらない」との主張は誤りである。もし「変わらない」のであれば、新三要件を定めた後においても旧三要件の基準に従って判断していることとなり、新三要件と旧三要件が競合していることとなる。
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○安倍内閣総理大臣 四十七年の基本原理、これは砂川判決と軌を一にするものでありますが、これは、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されず、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処するためのやむを得ない措置として、必要最小限度の武力行使は許容されるというのが基本原理であります。
この基本原理の中において、いわば当てはめとして、我が憲法のもとで武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は憲法上許されないと言わざるを得ないというところについては、我が国に対する武力攻撃が発生したこと、または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があることに、結論について当てはめを変えたということでございますが、基本論理は、最初に申し上げたことが基本論理であり、この基本論理の中で、時代の状況が変わった中において当てはめを変えた、こういうことでございます。
【動画】横畠裕介・安倍晋三 憲法違反のお二人5/27戦争法案
【筆者】
「四十七年の基本原理、これは砂川判決と軌を一にするものでありますが、これは、」と話しを始め「必要最小限度の武力行使は許容されるというのが基本原理であります。」と記載しているが、「四十七年」見解の「基本的な論理」と称している部分は、「自衛の措置」についてのみ説明したものであり、「武力の行使」は含まれない。それにもかかわらず、「武力の行使は許容される」としているところまで「基本的な論理」であるかのように説明することは誤りである。ここは2014年7月1日閣議決定においても1972年(昭和47年)政府見解を正確に抜き出したものとはなっておらず、誤った文面となっているため、注意が必要である。
「結論について当てはめを変えたということ」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「外国の武力攻撃によつて」の部分は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、ここに「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。「当てはめを変えた」と主張しようにも、当てはまらないのであるから、変えることはできない。当てはまるかのように説明しようとしているところが誤りである。
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第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第3号 平成27年5月27日
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○安倍内閣総理大臣 ただいま、北側委員の御質問、そして法制局長官の質問と答弁、やりとりから、これは極めて明らかだろうと思います。
いわば、新三要件の中において、国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある、そのおそれとはということで、北側委員からも私と法制局長官の答弁も御紹介をいただいているわけでありまして、そこからも明らかにこれは専守防衛であるということではないかと思います。
今般の平和安全法制の整備に当たっては、昭和四十七年に示された政府見解の基本的な論理は一切変更していません。この基本的な論理は、昭和三十四年の砂川事件の最高裁判決で示された考え方、すなわち、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」との考え方と軌を一にするものであります。
また、三要件のもとで許容される武力の行使は、あくまでも自衛の措置としての武力の行使に限られており、我が国または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の発生が前提であり、また、他国を防衛すること自体を目的とするものではない。これは、三要件からも明らかであり、第一要件についての、第一要件とはどういう要件であるかということについての再三の答弁からも明らかであろうと思います。
このような考え方のもとに行われる今般の法整備においては、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略である専守防衛について、その定義、そしてそれが我が国防衛の基本方針であることにいささかの変更もないということは、はっきりと申し上げておきたいと思います。
【筆者】
「そこからも明らかにこれは専守防衛であるということではないかと思います。」との答弁があるが、誤りである。まず、「専守防衛」とは「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」のことを言う。「国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」というだけで「武力の行使」を行うのであれば、それは「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し」を満たさないため、「専守防衛」とは言えない。また、9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解は「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」としており、これを満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲であり、「憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」から逸脱し、「専守防衛」とは言えなくなる。これは1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分においても同様である。「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、これを満たさない中での「武力の行使」は「憲法の精神に則った」を満たさないため、「専守防衛」とは言えない。「国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」というだけで「武力の行使」を可能とすることは、「専守防衛」とは異なるのである。
「三要件のもとで許容される武力の行使は、あくまでも自衛の措置としての武力の行使に限られており」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解は「自衛の措置の限界」を「あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」としているのであり、ここに当てはまらない「存立危機事態」の要件は「自衛の措置」と称しようとしても違憲である。「三要件のもとで許容される武力の行使は」との答弁があるが、新三要件の中でも「存立危機事態」の要件は違憲であり、それに基づく「武力の行使」は憲法上許容されれない。許容されるとの前提で説明しようとしているところが誤りである。
「他国を防衛すること自体を目的とするものではない」との答弁があるが、「存立危機事態」での「武力の行使」は「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」を「排除」するための「武力の行使」であり、「他国を防衛すること」に該当する。そのため、「他国を防衛すること自体を目的とするものではない」との説明は虚偽である。もし、「自国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず、「他国を防衛すること自体を目的とするものではない」「武力の行使」を行うのであれば、それは自国都合による「武力の行使」であり、「先制攻撃」である。「自国に対する武力攻撃」が発生していないにもかかわらず「武力の行使」を行うことは既に9条に抵触して違憲であるが、「他国を防衛すること自体を目的とするものではない」「武力の行使」を行えば、国際法上も「先制攻撃」であり違法である。これを「集団的自衛権の行使」に分類することで違法性を阻却しようとしていると思われるが、「集団的自衛権」に該当して違法性を阻却するためには『他国からの要請』が必要であり、この要請がなければ「集団的自衛権」に該当しないのであるから、「他国を防衛すること自体を目的とするもの」に該当するのである。
「他国を防衛すること自体を目的とするものではない。これは、三要件からも明らかであり、第一要件についての、第一要件とはどういう要件であるかということについての再三の答弁からも明らかであろうと思います。」との答弁があるが、その「第一要件」の「存立危機事態」に基づく「武力の行使」は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」を「排除」するための「武力の行使」であるから、「他国を防衛すること自体を目的とするもの」に該当する。「他国を防衛すること自体を目的とするものではない。」と説明することは虚偽である。もし「他国に対する武力攻撃」を「排除」しているにもかかわらず、「目的」のみを切り離して『他国防衛』ではなく『自国防衛』であると称することができるのであれば、結局それは『自国防衛』と称しながら「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として「武力の行使」に踏み切ることと何ら変わらないのであり、このような「自衛戦争」を制約しようとした9条の規定に抵触して違憲となる。論者は「他国に対する武力攻撃」を「排除」している事実を『他国防衛』と切り離すことができるかのように考えている点、9条の下でも『自国防衛』であればすべての「武力の行使」が正当化されるかのように考えている点で、二重に誤っている。
「憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略である専守防衛について、その定義、そしてそれが我が国防衛の基本方針であることにいささかの変更もないということは、はっきりと申し上げておきたい」との答弁があるが、先ほども述べたように、「存立危機事態」の要件は「専守防衛」の定義である「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、」を満たさないし、9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解にも適合しないため「憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」にも該当しない。そのため、「専守防衛」の定義が「いささかの変更もない」との答弁ははっきりと誤りである。
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第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第3号 平成27年5月27日
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○安倍内閣総理大臣 なぜそれが可能かという御質問だったと思いますが、それは、例えば、四十七年見解の基本的な論理は今も維持をしているわけでありますが、この基本的論理、すなわちそれは、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解され」ず、「外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処」する「ための止むを得ない措置として」必要最小限度の武力の行使は許容される。この必要最小限度の武力の行使に、海外に行って、いわば派兵、武力の行使を目的として海外に出かけていく海外派兵は一般には許されないという考え方をとっております。これは個別的自衛権においてですね。
しかし、その中においても、今の論理から導き出される中において、ミサイルが攻撃をしてくる、その策源地を攻撃しなければ、まさに今言った状況を、我々、国民を守れない、座して死を待つべきじゃないという論理が引かれているわけでございますが、従来から申し上げておりますように、この個別的自衛権においても、いわば、我々は能力を持っていない、日米同盟の中において打撃力についてはアメリカが基本的に担っているという考え方であります。
(略)
【筆者】
「四十七年見解の基本的な論理は今も維持をしているわけでありますが、」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分を維持していることにより、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらないため、9条に抵触して違憲となる。
「必要最小限度の武力の行使は許容される」との答弁があるが、「四十七年見解の基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」についての規範であり、「武力の行使」については含まれていない。そのため、「基本的な論理」と称している部分についての説明の中で「武力の行使は許容される」との文言を持ち出すことは誤りである。また、この「基本的な論理」と称している部分の「必要最小限度」の文言は、「自衛の措置」を発動した際の程度・態様についての部分であり、「武力の行使」の三要件の第三要件に対応するものである。「必要最小限度の武力の行使は許容される」との説明では、9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」という基準であるかのように誤解しやすい文となっているため注意が必要である。この部分は、2014年7月1日閣議決定の文面においても1972年(昭和47年)政府見解を正確に抜き出した文面となっておらず、誤っているため注意が必要である。
「この必要最小限度の武力の行使に、海外に行って、いわば派兵、武力の行使を目的として海外に出かけていく海外派兵は一般には許されないという考え方をとっております。」との答弁があるが、「必要最小限度」の意味を特定し、「海外派兵は一般に許されない」という考え方の背景を確認する必要がある。まず、この「必要最小限度」の意味は、先ほど出てきた三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様に対応する」「必要最小限度」とは意味が異なる。「海外派兵は一般に許されない」という解釈で持ち出される「必要最小限度」の意味は、「自衛のための必要最小限度」であり、三要件(旧)のすべてを満たす「武力の行使」のことである。この旧三要件の「我が国に対する急迫不正の侵害(第一要件)」を「排除(第二要件)」したならば、それ以上は「武力の行使」を行ってはならないという制約から、「海外派兵は一般に許されない」との結論が導かれているのである。それにもかかわらず、この文脈では、「必要最小限度の武力の行使は許容される。この必要最小限度の武力の行使に、」などと、先ほど持ち出された「武力の行使」の程度・態様に対応する三要件の第三要件の「必要最小限度」と、三要件(旧)のすべてを満たすことを指す「自衛のための必要最小限度」が連なって同じものであるかのように示されており、誤った説明となっている。別記事でも解説したが、2014年7月1日以降の政府解釈は「海外派兵は一般に許されない」との説明で使われている「必要最小限度」の意味を取り違えているのである。2014年7月1日閣議決定以降も「海外派兵は一般に許されない」との制約が従来と同様に使われているのであれば、新三要件を定めた後においても、旧三要件の制約に従っていることになり、整合性が保たれていない。
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第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第6号 平成27年6月1日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
そして、先ほど、憲法と今度の平和安全法制についてのお話がございました。まさに、この平和安全法制については、昭和四十七年の政府の見解の基本的な法理の上に立ってつくり上げられたものであります。法律の中において、どれを超えたら憲法違反だということを法律に書く必要はないわけでありまして、まさに法律そのものが憲法の範囲内にあるからこそ、この法律として私たちは提出をさせていただいているわけであります。
言わば、昭和四十七年のこの法理というのは、これは、昭和三十四年の砂川判決の中において、我が国は九条によって主権国家として固有の自衛権を否定するものではないということを前提として、我が国が国の平和と安全を維持し、国の存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない。この法理によってその後の解釈をしていく。その後の解釈をしていくのは、まさに、政府として四十七年に解釈を行ったあの解釈の段階においては、まさに国際状況の中で集団的自衛権の行使は必要最小限度を超えると、こう考えたわけであります。
【音源】20150619 報道するラジオ「憲法と集団的自衛権」 2015/06/19
【筆者】
「この平和安全法制については、昭和四十七年の政府の見解の基本的な法理の上に立ってつくり上げられたもの」との答弁があるが、「昭和四十七年の政府の見解の基本的な法理」の中に「存立危機事態」の要件は当てはまらない。
「まさに法律そのものが憲法の範囲内にあるからこそ、この法律として私たちは提出をさせていただいている」との答弁もあるが、「昭和四十七年の政府の見解の基本的な法理」の中に「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、「存立危機事態」の要件を定めた「法律そのもの」は「憲法の範囲内」を超えている。そのため、「憲法の範囲内にあるからこそ」として憲法の範囲内であるかのように論じることは誤りである。
「四十七年に解釈を行ったあの解釈の段階においては、まさに国際状況の中で集団的自衛権の行使は必要最小限度を超えると、こう考えたわけであります。」との答弁があるが、「必要最小限度」の意味を特定する必要がある。①「自衛のための必要最小限度」であれば三要件(旧)をすべて満たす意味。②「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」であれば、三要件の第三要件の意味。③9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」と考えている場合。②については、「武力の行使」の程度・態様の意味であり、「集団的自衛権の行使」という「武力の行使」の発動要件とは直接関係しない。③については、9条は政府の自由な行為を制約する趣旨の規定であり、数量的な意味での「必要最小限度」と解することは法解釈として成り立たない。①の「自衛のための必要最小限度」の意味であれば、旧三要件の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たすか否かによって「武力の行使」の可否を判定することにより「集団的自衛権の行使」がこれを超えると考えるとの認識は法解釈として妥当である。ただ、これは③のような数量的な意味での「必要最小限度」とは異なるものであるから、「あの解釈の段階においては、まさに国際状況の中で」などと、国際情勢の変化によって変更し得るかのような認識によって「必要最小限度を超える」と判断されていたかのような認識は誤りである。
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第189回国会 国家基本政策委員会合同審査会 第2号 平成27年6月17日
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○安倍内閣総理大臣 平和安全法制について、憲法との関係では、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は変わっていないわけであります。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。
そこで、砂川判決とは何かということであります。この砂川判決とは、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない、つまり、明確に、必要な自衛の措置、自衛権について、これは合憲であるということを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断であります。
そして、その中における必要な自衛の措置とは何か。これはまさに、その時々の世界の情勢、安全保障環境を十分に分析しながら、国民を守るために何が必要最小限度の中に入るのか、何が必要なのかということを我々は常に考え続けなければならないわけであります。そして、その中におきまして、昭和四十七年におきましてはあの政府の解釈があったわけでございます。
今回、集団的自衛権を限定容認はいたしましたが、それはまさに砂川判決の言う自衛の措置に限られるわけであります。国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、専ら他国の防衛を目的とするものではないわけでありまして、それは新たに決めた新三要件を読めば直ちにわかることであります。
我が国の存立が脅かされ、これは我が国でありまして、米国でもなければ他のどの国でもないんです。我が国の存立が脅かされ、国民、これは日本国民です、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合であり、しかも、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに限られるわけであります。それはつまり、外交手段をまずは当然とり、その外交的な努力を重ね重ねてもこれはもう防ぐことができないという段階になって初めて必要最小限度の武力の行使をする。
今の文脈でもおわかりのとおり、まさに我が国自身の存立が危うくなっているときに、そのときこそ我々はまさに自衛の措置をとる。これは、最初に申し上げました砂川判決に書かれている国家固有の権能の行使である。国の存立が脅かされているというわけでありますから、まさに私は、憲法のこの基本的な解釈、憲法の基本的な論理、砂川判決の基本的な論理の中において我々は現在の安全保障状況を見ながら当てはめをした、常にこうしたことを、我々は常に努力を行うべきであって、考え抜かなければならない、こう思うわけであります。そして、繰り返しになりますが、行使する場合も、必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、こうあるわけであります。
このように、平和安全法制の考え方は砂川事件判決の考え方に沿ったものであり、判決の範囲内のものであります。この意味で、砂川事件の最高裁判決は、集団的自衛権の限定容認が合憲である根拠たり得るものであると考えているところでございます。
そして、憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、平和安全法制は、その考え方に沿った判決の範囲内のものであると考えております。
【筆者】
「昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は変わっていないわけであります。」との答弁があるが、「変わっていない」ことにより、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に当てはまらず、違憲となる。
砂川判決について「明確に、必要な自衛の措置、自衛権について、これは合憲であるということを認めた、」との答弁があるが、砂川判決が認めた「自衛の措置」とは「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであり、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていない。そのため、「自衛の措置」の中身として「武力の行使」を選択する場合には砂川判決を根拠として説明することはできない。また、「自衛権」について、9条は「自衛権」を否定していないと示されただけであり、その「自衛権」の行使として「武力の行使」が可能とは述べていない。「自衛権について、ごれは合憲であるということを認めた、」と、「自衛権」が合憲・違憲の対象となっており、あたかも「自衛権の行使」としての「武力の行使」までもが合憲であるかのように説明することは誤りである。
「そして、その中における必要な自衛の措置とは何か。これはまさに、その時々の世界の情勢、安全保障環境を十分に分析しながら、国民を守るために何が必要最小限度の中に入るのか、何が必要なのかということを我々は常に考え続けなければならないわけであります。」との答弁があるが、誤った認識に基づくものである。砂川判決では「自衛の措置」の中身が「必要最小限度」であるか否かなどと述べていない。そのため、砂川判決を根拠にして、「必要最小限度」という基準が示されていたかのように説明しているのであれば誤りである。また、9条の制約は数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準となっているわけではないため、「何が必要最小限度の中に入るのか」という説明そのものが法解釈として成り立っていない。混乱しやすいのは、従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいるものであるが、これは三要件(旧)のことを意味しており、この「自衛のための必要最小限度」の中には旧三要件しか入っていない。「何が必要最小限度の中に入るのか」などと、この中に別の要件が入る余地があるかのように考えているならばこれも誤りである。また、1972年(昭和47年)政府見解の中の「右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」の「必要最小限度」は、三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様に対応する意味であり、「何が必要最小限度の中に入るのか」という何かが入るかのような性質を有しない。このため、「必要最小限度」という基準は論者が9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」という基準であるかのように考える誤解から生まれた使用方法であり、誤りである。
「今回、集団的自衛権を限定容認はいたしましたが、それはまさに砂川判決の言う自衛の措置に限られるわけであります。」との答弁があるが、誤りである。「砂川判決の言う自衛の措置に限られる」のであれば、それは「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけとなり、「武力の行使」は対象外である。「集団的自衛権を限定容認はいたしましたが、」との答弁についても、「集団的自衛権」の中に「限定」などという区分はないし、9条の下で「限定」と称すれば「武力の行使」が可能となると考えている部分が誤りである。「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらず、憲法上「容認」されない。
「国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、専ら他国の防衛を目的とするものではないわけでありまして、それは新たに決めた新三要件を読めば直ちにわかることであります。」との答弁があるが、誤りである。まず、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを制約するための規定であり、「国民の命と平和な暮らしを守ることが目的」であるからといって、必ずしも「武力の行使」が正当化されるわけではない。1972年(昭和47年)政府見解では「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」をすべて違憲とし、「国民の命と平和な暮らしを守ることが目的」などと称して政府が自国都合によって「武力の行使」に踏み切ることを制約しているのである。そのため、「国民の命と平和な暮らしを守ることが目的」であれば「武力の行使」が正当化されるかのように説明している部分が誤りである。また、「専ら他国の防衛を目的とするものではないわけでありまして、」の答弁であるが、9条の下では『他国防衛』を目的とする「武力の行使」が違憲となり許されないことは当然であるが、『自国防衛』であるからといって必ずしも「武力の行使」が許容されるわけではない。先ほども述べたように1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)によれば「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」については、たとえ『自国防衛』と称しても違憲なのである。そのため、「専ら他国の防衛を目的とするものではない」ことを強調しても、「存立危機事態」での「武力の行使」が違憲とならない旨を示したものではなく、正当化根拠にはならない。さらに、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、「他国に対する武力攻撃(新第一要件・存立危機事態)」を「排除(新第二要件)」するための「武力の行使」なのであり、これを『他国防衛』の目的が含まれないかのように説明することは論理的に不可能である。「専ら他国の防衛を目的とするものではない」との答弁があるが、「専ら」でないならば『他国防衛』の意図が入っていても9条に抵触しないと考えているのであれば、やはり誤った法解釈である。もし「他国の防衛を目的とするものではない」の「目的」の部分を強調し、「目的」が『他国防衛』でなければ、あるいは「目的」が『自国防衛』であれば「武力の行使」を行っても9条に抵触しないと考えているのであれば、「目的」が『他国防衛』でない、あるいは「目的」が『自国防衛』であれば「侵略戦争」や「先制攻撃」についても9条に抵触しないと説明することができてしまうのであり、法解釈として成り立たない。よって、論者の主張は「存立危機事態」での「武力の行使」が9条に抵触しない旨を示す論拠にはならない。
「初めて必要最小限度の武力の行使をする。」については、文脈から三要件の第三要件の意味と考えるのが自然である。
「まさに我が国自身の存立が危うくなっているときに、そのときこそ我々はまさに自衛の措置をとる。これは、最初に申し上げました砂川判決に書かれている国家固有の権能の行使である。国の存立が脅かされているというわけでありますから、まさに私は、憲法のこの基本的な解釈、憲法の基本的な論理、砂川判決の基本的な論理の中において我々は現在の安全保障状況を見ながら当てはめをした、」との答弁があるが、認識を整理する必要がある。まず、9条の下で、「我が国自身の存立が危うくなっているとき」であると政府が判断しただけで「武力の行使」が許容されると考えている部分が誤りである。これは、砂川判決でも1972年(昭和47年)政府見解でもそのようには述べられていないからである。また、直前の文が「存立危機事態」の要件を挙げて「武力の行使」を行うことについて説明しており、これに連なって「武力の行使」を含む「自衛の措置」について説明しているにもかかわらず、「砂川判決に書かれている国家固有の権能の行使」と、砂川判決で「武力の行使」の権能が正当化されているかのように説明することは誤りである。「憲法のこの基本的な解釈、憲法の基本的な論理、砂川判決の基本的な論理の中において我々は現在の安全保障状況を見ながら当てはめをした、」との部分についても、政府が「基本的な論理」と称している部分は1972年(昭和47年)政府見解の一部分であり、砂川判決については「基本的な論理」と直接的に称していないはずである。「砂川判決の基本的な論理」との説明は、正確でないと思われる。また、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらない。「当てはめをした」と論理的に当てはまるかのように説明することは誤りである。
「行使する場合も、必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」の部分については、三要件の第三要件の意味である。
「平和安全法制の考え方は砂川事件判決の考え方に沿ったものであり、判決の範囲内のものであります。」との答弁があるが、誤りである。なぜならば、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、何も述べていない部分を「判決の範囲内のもの」と述べることはできないからである。もし何も述べていない部分を「判決の範囲内のもの」として正当化できるのであれば、砂川判決は「先制攻撃」について何も述べていないことから、「先制攻撃」を「判決の範囲内のもの」と正当化できてしまうのであり、法解釈として成り立たない。
「この意味で、砂川事件の最高裁判決は、集団的自衛権の限定容認が合憲である根拠たり得るものであると考えているところでございます。」との答弁があるが、誤りである。まず、国際法上の「集団的自衛権」という『権利』に「限定」などという区分は存在しない。また、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、「武力の行使」を正当化する根拠にはならない。そのため、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」は当然、「個別的自衛権の行使」としての「武力の行使」さえも正当化できないのであり、砂川判決によって、「合憲である根拠たり得るもの」と説明することできない。
「平和安全法制は、その考え方に沿った判決の範囲内のものであると考えております。」との答弁があるが、先ほども述べたように砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、「集団的自衛権の行使」という「武力の行使」を伴う措置を「判決の範囲内のもの」と説明することはできない。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○安倍内閣総理大臣 まさにこの砂川判決によって、自衛隊の前提である自衛権が最高裁によって、憲法九条があると同時に存在するということが認められたわけでございます。そして、その中において、先ほども例として挙げさせていただきましたが、いわば統治行為として、いわば必要な自衛の措置とは何かという解釈の中において我々は解釈してきたわけでございまして、その中において四十七年の解釈があるわけでございます。
いわば憲法の中に自衛隊の存在が明記されているわけではないわけでございまして、憲法九条の二項の中において果たして自衛隊あるいは自衛権そのものが存在するのかどうかということが大きな議論になり、そしてそれを前提とする自衛隊が違憲であるかということについて議論がなされてきたわけでございますが、我々はその中において個別的自衛権ということについて、昭和四十七年の見解の中でまさに砂川判決と軌を一にする政府の解釈をお示ししているわけでございます。
そして、あれから随分時を経た中において、状況が変わった中において、この四十七年の基本論理は維持しつつ当てはめを変えたということでございまして、まさに必要な自衛の措置とは何かということを考える中において、何がこの必要最小限度の中に必要な自衛の措置の中で当たり得るか、必要な自衛の措置ということを考えた中において今回解釈を変更したところでございます。
【筆者】
「まさにこの砂川判決によって、自衛隊の前提である自衛権が最高裁によって、憲法九条があると同時に存在するということが認められたわけでございます。」との答弁があるが、誤りである。まず、砂川判決では9条は「わが国が主権国として持つ」国際法上の『権利』である「自衛権」を否定する規定ではないことが示されただけであり、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」か可能かどうかについては述べていない。論者は「自衛隊の前提である自衛権が」と答弁しているが、自衛隊の設立根拠は日本国の統治権の『権力・権限・権能』である「行政権」が根拠であり、国際法上の『権利』である「自衛権」の有無とは関係がない。また、「自衛隊」は「武力の行使」を行う措置についての『権限』も有しているが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないのであるから、「自衛隊の前提である自衛権が最高裁によって、憲法九条があると同時に存在するということが認められた」など、あたかも「武力の行使」を行う実力組織の存在までもが砂川判決によって認められているかのように説明することは誤りである。さらに、砂川判決では「二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、」と、「自衛のための戦力」の保持が可能か否かについても判断を留保している。政府は「自衛隊」は「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)」であるとして9条2項のいう「戦力」には該当しないとしているが、最高裁は未だ9条2項が砂川判決にいう「自衛のための戦力」の保持を禁じているのか否か、また、「自衛隊」が禁じている範囲に該当して違憲となるか否かについては判断していない。砂川判決を根拠に「自衛隊」が認められるかのように説明しようとすることは誤りである。
砂川判決の判断していない部分は、下記のパターンがある。
◇ 2項の「戦力」が「自衛のための戦力」の保持についても禁じている場合
⇒ 「自衛隊」が「(自衛のための)戦力」に該当して違憲となる場合
⇒ 「自衛隊」が「(自衛のための)戦力」に該当せず違憲とならない場合
◇ 2項の「戦力」が「自衛のための戦力」の保持を禁じていない場合
⇒ 「自衛隊」が「自衛のための戦力」の範囲を超えており違憲となる場合
⇒ 「自衛隊」が「自衛のための戦力」の範囲内であり違憲とならない場合
政府は「自衛のための必要最小限度(旧三要件)の実力」を超える場合は2項の「戦力」に該当すると説明している。
おそらく「自衛権」と関連させて「そしてそれを前提とする自衛隊が違憲であるかということについて」との答弁があるが、「自衛権」は国際法上の『権利』の概念であり、日本国の統治権の『権限』の存否とは異なるから、「自衛隊」の存在を「それを前提とする」と説明することは誤りである。日本国の統治権の『権限』の存否と、国際法上の『権利』の存否は関係がないのである。
「我々はその中において個別的自衛権ということについて、昭和四十七年の見解の中でまさに砂川判決と軌を一にする政府の解釈をお示ししているわけでございます。」との答弁があるが、政府は1972年(昭和47年)政府見解において「自衛のための措置」については砂川判決と軌を一にするものとしているが、「個別的自衛権」という国際法上の違法性阻却事由の『権利』を行使することに伴う「武力の行使」についてまで軌を一にするとは述べていない。政府が独自に「自衛のための措置」の中に「武力の行使」の措置を含ませているだけである。あたかも「武力の行使」までもが砂川判決で許容されており、軌を一にするかのように説明をすることは誤りである。
「この四十七年の基本論理は維持しつつ当てはめを変えた」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は論理的に当てはまらないため、当てはまり変えることができるかのように説明することは誤りである。
「何がこの必要最小限度の中に必要な自衛の措置の中で当たり得るか、」との答弁があるが、認識に誤りがある。1972年(昭和47年)政府見解の中で使われている「必要最小限度」の文言は、「右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」というものである。これは三要件では第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様に対応する意味の「必要最小限度」であり、発動要件とは異なる。また、9条は政府の自国都合による「武力の行使」を制約する規定であり、9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」という基準であると考えることは、9条が政府の恣意的な「武力の行使」を排除できないため法解釈として成り立たない。そのため、論者は「必要最小限度」の意味を間違えており、「何がこの必要最小限度の中に必要な自衛の措置の中で当たり得るか、」などと、この「必要最小限度」の意味に発動要件が当てはまる可能性があるかのように考えている部分が誤りである。ここで使われている「必要最小限度」の意味の中には、たとえ旧三要件の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」でさえ当てはまらない。
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第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第14号 平成27年6月26日
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○安倍内閣総理大臣 我々は、憲法の適合性は、これはもちろん基本だと思います。まさに、従来より御説明をさせていただいておりますように、砂川判決があって、これと軌を一にする四十七年見解があって、その基本的な論理を維持しつつ、この論理の安定性もしっかりと維持をしながら、今回、我々は、当てはめにおいて、三要件の中で、我が国を守るため、国民の命や幸せな生活を守るためには行使できる、集団的自衛権をそのためにのみ行使できるという当てはめを行ったところでございまして、その点においては御理解をいただきたい。
確かに、例えば歴代の法制局長官はさまざまなことを述べておられるわけでありますが、しかし、国際法との関係においては、有権解釈を行うのはまさに外務省、法制局ではなくて外務省が行うわけであります。憲法との関係においては、専ら法制局が政府の一部局として審理を行ってきている。
憲法学者の方々との関係におきましては、これは残念ながら、かつては自衛隊も違憲というのが大勢でありました。そして、PKOも違憲である、これが大勢だったということもあるわけでありますが、我々は、必要な自衛の措置とは何かということを考え抜いた末、今回の法案を提出させていただいたところでございます。
【動画】
【筆者】
「基本的な論理を維持しつつ、この論理の安定性もしっかりと維持をしながら、」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に当てはまらず、「この論理」は維持されているとは言えない。「維持をしながら」との説明は論理的整合性が存在しないため誤りであり、「安定性」は損なわれている。
「我が国を守るため、国民の命や幸せな生活を守るためには行使できる、集団的自衛権をそのためにのみ行使できるという当てはめを行った」との答弁があるが、「集団的自衛権の行使」とは実質的に「武力の行使」が行われることを意味するのであり、論者は「我が国を守るため、国民の命や幸せな生活を守るため」であれば「武力の行使」を行うことができると主張していることになる。しかし、9条は「自国の存立」の危機や「国民の権利」の実現を理由として政府が自国都合によって「武力の行使」に踏み切ることを制約する規定なのであり、「我が国を守るため、国民の命や幸せな生活を守るため」であるからといって必ずしも「武力の行使」を許容しているわけではない。1972年(昭和47年)政府見解によれば、「あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」としており、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと(我が国に対する急迫不正の侵害があること)」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲である。「我が国を守るため、国民の命や幸せな生活を守るため」であれば「武力の行使」が可能になると考えているところに誤りがある。「当てはめを行った」との答弁についても、当てはまらないため、当てはまるかのように説明している部分が誤りである。
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第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第19号 平成27年7月10日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
法案の合憲性についてお尋ねがありました。
昨年七月の閣議決定では、安全保障環境の大きな変化により、他国に対する武力攻撃であったとしても、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得ることを踏まえ、新三要件に基づく限定的な集団的自衛権の行使は、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として憲法上許容されると判断するに至りました。
限定的な集団的自衛権の行使の容認について、憲法との関係では、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的な論理は全く変わっていません。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。
砂川判決は、我が国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないと述べています。個別的自衛権、集団的自衛権の区別を付けずに我が国が自衛権を有することに言及した上で、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることを認めたものであると考えています。
私たちは、厳しい現実から目を背けることはできません。現実に起こり得る様々な事態にどう対応するのか、我が国の置かれた環境を常に分析、評価し、砂川判決の言う必要な自衛の措置とは何かをとことん考え抜いていく責任があります。
今回、限定的な集団的自衛権の行使を容認しましたが、それはまさに砂川判決の言う自衛の措置に限られます。あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、他国を防衛することそれ自体を目的とするものではありません。
憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、平和安全法制はその考え方に沿った判決の範囲内のものであり、憲法に合致したものであります。
【筆者】
「新三要件に基づく限定的な集団的自衛権の行使は、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として憲法上許容されると判断するに至りました。」との答弁があるが、新三要件の「存立危機事態」の要件については1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないため、憲法上許容されない。「憲法上許容されると判断するに至りました。」と、あたかも当てはまり、許容されるかのように説明している部分が誤りである。結論のみを述べることで許容されると考えることができるのであれば、「先制攻撃」や「侵略戦争」についても「憲法上許容されると判断するに至りました。」と説明すれば正当化できてしまうこととなり、法解釈として成り立たない。
「限定的な集団的自衛権の行使」との文言が使われているが、国際法上「集団的自衛権」に該当すれば、それは「集団的自衛権」でしかなく、「限定的な」という区分は存在しない。
「限定的な集団的自衛権の行使の容認について、憲法との関係では、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的な論理は全く変わっていません。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。」との答弁があるが、誤りがある。「限定的な集団的自衛権」などという区分は国際法上存在しない。これを「存立危機事態」での「武力の行使」を指すものと考えるとしても、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分が「全く変わっていません。」ということであるから、「存立危機事態」の要件はこの「基本的な論理」に当てはまらず、9条に抵触して違憲となる。また、「これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするもの」との説明について、砂川判決と1972年(昭和47年)政府見解の「軌を一にする」部分とは、「自衛のための措置」について説明した部分だけであり、「武力の行使」の可否についてはそこに含まれない。それにもかかわらず、「集団的自衛権の行使」という「武力の行使」を伴う措置を説明している文に続いて、「これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。」と説明することは、誤りである。砂川判決では日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないのである。
砂川判決について「個別的自衛権、集団的自衛権の区別を付けずに我が国が自衛権を有することに言及した上で、」との答弁があるが、認識を整理する必要がある。まず、「自衛権」と表現される場合、それが国際法上一般に言う「自衛権」を指すのか、国連憲章51条の「個別的自衛権」や「集団的自衛権」にあたるものを指すのか、定かでない。政府も下記のように説明している。
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「自衛権」については、その用いられる文脈により、個別的自衛権と集団的自衛権の両者を包括する概念として用いられる場合もあれば、専ら個別的自衛権のみを指して用いられる場合もあると承知している。
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衆議院議員伊藤英成君提出内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問に対する答弁書 平成15年7月15日
よって、砂川判決の「自衛権」について「区別を付けずに」と説明することであたかも「集団的自衛権」についても含まれると説明しようとすることは正確には誤りである。
また、「自衛権」とは国家の自衛に関する国際法上の『権利』とでもいう「武力の行使」とは直接関係しない概念として用いられる場合もあれば、国連憲章のように国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する国連憲章51条のいう違法性阻却事由として機能する『権利』を意味する場合もある。よって、この砂川判決の「自衛権」の文言を根拠として日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を正当化できるかのように説明しようとすることは誤りである。
「自衛権」の文言
⇒ 「個別的自衛権」だけを意味するのか、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の両方を意味するのか分からない。
⇒ 国際法上の国家の自衛に関する『権利』とでもいうような「武力の行使」とは直接関係しない概念として用いられているのか、国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する国連憲章51条の違法性阻却事由の『権利』として用いられているのか分からない。
「限定的な集団的自衛権の行使を容認しましたが、それはまさに砂川判決の言う自衛の措置に限られます。」との答弁があるが、誤りがある。まず、国際法上は「限定的な集団的自衛権」という概念は存在しない。次に、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないため、「武力の行使」を正当化する根拠にはならない。3つ目に、砂川判決の示した「自衛のための措置」とは、「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであり、「砂川判決の言う自衛の措置に限られます。」ということは、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」は行うことができない。よって、砂川判決を根拠として日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を正当化しようとすることはできず、誤りである。もしこのような砂川判決が何も述べていないことを理由に「武力の行使」を正当化できるのであれば、砂川判決が何も述べていない「先に攻撃(先制攻撃)」についても正当化できることとなってしまい、法解釈として成り立たない。
「あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、他国を防衛することそれ自体を目的とするものではありません。」との記載があるが、2つの誤りがある。まず、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合による「武力の行使」に踏み切ることを制約する規定であり、「国民の命と平和な暮らしを守ることが目的」であるとしても、必ずしも「武力の行使」を許容しているとは限らない。1972年(昭和47年)政府見解によれば、「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」と示し、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」をすべて違憲としているのである。これを満たさなければ、たとえ「国民の命と平和な暮らしを守ることが目的」の「武力の行使」であったとしても違憲である。次に、「他国を防衛することそれ自体を目的とするものではありません。」についてであるが、「存立危機事態」での「武力の行使」とは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃(第一要件)」を「排除(第二要件)」するための「武力の行使」であり、「他国を防衛すること」が含まれる。これを「他国を防衛することそれ自体を目的とするものではありません。」と説明することは論理的に誤りである。もし、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃(第一要件)」を「排除(第二要件)」するための「武力の行使」であるにもかかわらず、「目的」が「他国を防衛すること」でないとすれば9条に抵触しないかのように考えているのだとしたら、「目的」が「他国を防衛すること」でないこと、あるいは『自国防衛』であることを理由として実質的な「先に攻撃(先制攻撃)」や「侵略戦争」を行っても9条に抵触しないと主張することが可能となってしまうため、法解釈として成り立たない。また、先ほども述べたように9条は政府の自国都合による「武力の行使」を制約する規定であって、たとえ『自国防衛』であったとしても必ずしも「武力の行使」を許容しているわけではない。そのため、「他国を防衛すること」(他国防衛)でないことを理由としても、それが9条に抵触しないとする根拠にはならない。
「平和安全法制はその考え方に沿った判決の範囲内のものであり、憲法に合致したものであります。」との答弁があるが、誤りである。砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、砂川判決を根拠にして「武力の行使」を正当化することはできない。また、「判決の範囲内のもの」との説明についても、何も述べていないことを根拠に「判決の範囲内のもの」と正当化できるとすれば、砂川判決では何も述べていない「先に攻撃(先制攻撃)」についても同様に「判決の範囲内のもの」と説明することが可能となってしまうのであって、法解釈として成り立たない。「判決の範囲内のもの」と説明することは誤りである。よって、砂川判決を根拠として「憲法に合致したものであります。」と説明することは誤りであるし、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)を根拠としても「存立危機事態」の要件はここに当てはまらないことから「憲法に合致したもの」とは言えない。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
法案の憲法適合性、政府における検討及び法的安定性についてお尋ねがありました。
まず、新三要件については、砂川判決と軌を一にするこれまでの政府の憲法解釈の基本的な論理の範囲内のものであるため、法的安定性は確保されており、将来にわたっても憲法第九条の法的安定性は確保できると考えています。
また、自衛隊の活動が武力の行使との一体化を防ぐ仕組みなどにより、武力による威嚇又は武力の行使に当たらないことを確保しています。その例外は、新三要件を満たす場合の自衛の措置に限られており、法案は憲法に適合するものであります。
法案は、これら憲法を含めた様々な論点について、有識者懇談会での議論や政府内での時間を掛けた検討、そして自民党と公明党の与党協議会における二十五回に及ぶ徹底的な議論を経てお示ししているものであります。
自国防衛のための集団的自衛権についてお尋ねがありました。
国際法上、個別的自衛権と集団的自衛権は、自国に対し発生した武力攻撃に対処するものであるか、他国に対し発生した武力攻撃に対処するものであるかという点において明確に区別されるものとして確立しています。
新三要件の下で、存立危機事態において許容される武力の行使は、他国に対して発生した武力攻撃に対処するものであり、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合があります。しかしながら、これは、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るための必要最小限の自衛の措置に限られており、他国を防衛することそれ自体を目的とするものではありません。
新三要件は、国際的に見ても極めて厳格な要件であり、他国防衛への濫用のおそれが排除できないといった御指摘は全く当たりません。また、国際社会に対しても、平和安全法制について丁寧に説明し、非常に多くの諸国から理解と支持を得てきており、国際的に全く通用しないとの御指摘も当たりません。
武力攻撃を受けた国の要請と自衛権の行使についてお尋ねがありました。
国際法上、集団的自衛権の行使に当たっては、武力攻撃を受けた国の要請又は同意があることが当然の前提です。また、我が国が国際法を遵守することは当然のことであります。このため、存立危機事態の要件としてあえて法律上重ねて規定する必要はないと考えています。
存立危機事態に対応するために我が国が行う武力の行使は、国際法上、集団的自衛権又は武力行使を容認する安保理決議によって正当化する必要があり、個別的自衛権とみなすことはできません。
また、存立危機事態において、我が国は武力攻撃を受けた我が国と密接な関係にある他国を含む関係国と緊密に協力しつつ対処することになると考えられます。そのような際に、武力攻撃を受けた我が国と密接な関係にある他国からの要請又は同意がないことはおよそ想定されません。
我が国による武力の行使については、新三要件の下、あくまでも我が国が主体的に判断することは言うまでもなく、自らの意思で国を守ることもできないとの指摘は全く当たりません。
我が国と密接な関係にある他国の説明とホルムズ海峡での機雷掃海についてお尋ねがありました。
新三要件の第一要件に言う我が国と密接な関係にある他国とは、一般に、外部からの武力攻撃に対し、共通の危険として対処しようという共通の関心を持ち、我が国と共同して対処しようとする意思を表明する国を指すものと考えています。
従来から申し上げているとおり、具体的にどのような国が我が国と密接な関係にある他国に当たるかについては、あらかじめ特定されているものではなく、武力攻撃が発生した段階において個別具体的な状況に即して判断されるものであります。
(略)
【筆者】
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第189回国会 参議院 本会議 第34号 平成27年7月27日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) つまり、当時の田中内閣のときに出した、これは内閣法制局の言わば参議院に提出したもので、参考の解釈の提出であったわけでありますが、そこで、言わば今ここにお示しをしていただいている基本的な論理としては、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることを禁じているとは到底解されないという考え方があるわけであります。そして、その上において、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される急迫不正の事態に対して、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲内に、範囲にとどまるべきものであると、こう導き、そうだとすれば、我が憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫不正の侵害に対する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ないと。
この今言った、そうだとすれば以下が、これが当てはめでございまして、これを今回、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があることについては、これをまさに結論として今回は当てはめたものでありまして、基本的な論理は維持しながら、維持しつつ、この集団的自衛権の考え方に対する結論は状況の変化に対応して当てはめたわけでございます。
【動画】安倍晋三vs福山哲郎「戦争ではないのか 横畠裕介は万死に値」7/28
【筆者】
「そうだとすれば以下が、これが当てはめでございまして、」との部分であるが、論者は1972年(昭和47年)政府見解の「自衛の措置」の限界の規範として示された「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていないことを前提として、今までは「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」との規範が当てはめられていたが、「存立危機事態」の要件を当てはめることができるかのように論じようとしている。
しかし、1972年(昭和47年)政府見解は第二段落で「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」ことを示しており、その「自衛の措置」の限界の規範として示された「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「集団的自衛権の行使」を可能とする余地のある「他国に対する武力攻撃」の意味は含まれておらず、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られている。また、1972年(昭和47年)政府見解の「自衛の措置」とは、砂川判決で示された「自衛のための措置」と軌を一にするものとして示された用語であり、1972年(昭和47年)政府見解の論理展開は、その「自衛の措置」の限界の規範の中に政府が独自に「自衛の措置」の選択肢の一つとして日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を当てはめたものである。
そのため、論者の用いる「当てはめ」の意味は、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」という当てはまるはずのないものを当てはめようとしている点と、そもそも1972年(昭和47年)政府見解が「自衛の措置」の中に「武力の行使」を当てはめているにもかかわらず、「自衛の措置」の限界の規範の中に「武力の行使」の新たな規範を当てはめようとしている点で、二重の意味合いで誤っている。
論者は「これをまさに結論として今回は当てはめたものでありまして、基本的な論理は維持しながら、維持しつつ、この集団的自衛権の考え方に対する結論は状況の変化に対応して当てはめたわけでございます。」と主張するが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を「維持」しているのであれば、その「自衛の措置」の限界の規範である「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の意味は当てはまらない。論者は「これをまさに結論として今回は当てはめたもの」と主張するが、論理的に当てはまらない。論理的整合性が保たれていないのであれば、法解釈として正当化することはできない。論者は「この集団的自衛権の考え方に対する結論は状況の変化に対応して当てはめた」と主張するが、「自衛の措置」の限界の規範である「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は既に「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、「状況の変化」によってこれを超える形で「武力の行使」の発動要件を定めることはできないし、当てはまらない。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) まさにこの砂川判決において、必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないと、このように判断を下しているわけであります。つまり、ここでは自衛権、必要な自衛のための措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないと、こう認めているわけであります。
しかし、ここにおいては、集団的自衛権あるいは個別的自衛権には、ここにおいては、言わばこの判決全体の中においては言及はしておりますが、ここではこの自衛権について明確に示しているわけではございません。
そこで、四十七年の見解におきまして、果たして必要な自衛のための措置とは何かということについて四十七年の見解を示しているわけでございますが、そこにおきましては、必要な自衛の措置はとり得るけれども、しかし同時に、集団的自衛権の行使、これは必要最小限度を上回ると、こう考えたわけでございます。
つまり、この段階においては、言わば密接な関係のある他国が攻撃を受けたときには、言わば自国に対する攻撃と同じように攻撃をすることができると、自衛の措置をとることができるという集団的自衛権の措置、これは先ほど来横畠長官が答弁をしているように、これは言わばフルスペックの考え方であります。
そして、ずっと従来から、昨年七月の一日閣議決定をするまでは、まさにフルスペックのみについてずっと法制局は考えて、様々な質問に対して法制局としてはフルスペックしかあり得ないという考え方の下に答弁をしているわけでありまして、一部だけを認めることはできないというのが今までの法制局の答弁であったわけでございます。
しかし、私たちは、必要な自衛のための措置とは何か、もう四十年が経過している中において、大きく国際環境が変わっている中において私たちはその責任を果たさなければならない、こう考えたわけであります。この必要な自衛のための措置の中において、先ほど来説明をしているような具体的な例にこれを当てはめてみても、まさに我が国の存立を脅かし、そして国民の生命や自由や幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険のある集団的自衛権の行使もあり得ると、こう考えたわけでありまして、そこで三要件を付し、これに合致するものについては憲法上も集団的自衛権の行使をし得る、このように当てはめたわけでありまして、まさに四十七年の見解というのは砂川判決と軌を一にするものでありますが、この基本的な論理は変えずに、当てはめにおいて、国民を守るために今回こういう解釈の変更を行ったところでありまして、まさに憲法の範囲内であると我々は完全に自信を持っているところでございます。
【動画】「横畠裕介・内閣法制局長官は万死に値する」福山哲郎7/28
【筆者】
「ここにおいては、集団的自衛権あるいは個別的自衛権には、ここにおいては、言わばこの判決全体の中においては言及はしておりますが、ここではこの自衛権について明確に示しているわけではございません。」との答弁があるが、国際法上の『権利』である「自衛権」の適用を受ける地位を有しているとしても、それを根拠として日本国の統治権の中に「武力の行使」を行うための『権力・権限・権能』が生まれるわけではないため、法的には直接的な関係がないことを押さえる必要がある。
「四十七年の見解におきまして、果たして必要な自衛のための措置とは何かということについて四十七年の見解を示しているわけでございますが、そこにおきましては、必要な自衛の措置はとり得るけれども、しかし同時に、集団的自衛権の行使、これは必要最小限度を上回ると、こう考えたわけでございます。」との答弁があるが、認識を整理する必要がある。まず、1972年(昭和47年)政府見解が「自衛のための措置とは何か」を示したものは、「自衛の措置」の限界の規範を示した部分である「あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」の部分である。そして、この「自衛の措置」の限界の規範の中に「武力の行使」を当てはめるとしても、その規範に拘束されるため、「武力の行使」の限界の規範として「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」との結論が示されている。「集団的自衛権の行使」が憲法上許されないとする結論は、この「武力の行使」の限界の規範に基づいて付随的に生まれる結論である。論者は「これは必要最小限度を上回ると、こう考えた」としているが、従来より政府は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」は「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準の範囲内に限られるとしており、「集団的自衛権の行使」はその第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」であることから、許されないとしてきたものである。注意したいのは、論者は1972年(昭和47年)政府見解の「右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」という三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」に対応する「必要最小限度」と、「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準を意味する「必要最小限度」を区別できていないように思われる点である。いずれにせよ、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中で「武力の行使」を行うことが禁じられることにより、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」は行うことができない。
「フルスペックの考え方であります」や、「ずっと従来から、昨年七月の一日閣議決定をするまでは、まさにフルスペックのみについてずっと法制局は考えて、様々な質問に対して法制局としてはフルスペックしかあり得ないという考え方の下に答弁をしているわけでありまして、」との答弁があるが、国際法上の「集団的自衛権」に該当すれば、それは「集団的自衛権」でしかなく、「フルスペック」とそうでないものが存在するかのような認識は誤りである。また、憲法9条は「武力の行使」を制約する規範であり、国際法上の区分である「集団的自衛権」の区分が「フルスペック」であるか否かという問題は直接的な因果関係がない。「従来から」「法制局」は「フルスペック」であるか否かによって「武力の行使」の可否を判断していたわけではなく、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たすか否かによって答弁していた。
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○大森政府委員 集団的自衛権に当たるから認められないとか、集団的自衛権に当たらないのだから認められるという、集団的自衛権を核にした議論がよくなされるわけでございますけれども、我が国の問題に関する限りは、やはり集団的自衛権の概念を解するのではなくて、我が国を防衛するために必要最小限度の行動に当たるかどうかということが基準になるはずでございます。
したがいまして、冒頭にも申し上げましたとおり、憲法九条は、国際紛争を解決する手段としては武力による威嚇または武力の行使等を禁止しているけれども、我が国を防衛するために必要最小限度の実力行動は禁止していない。したがって、問題となる行為が我が国を防衛するために必要最小限度の行為であるかどうかということによって事が決せられるべきであるというふうに考える次第でございます。(岡田委員「持っているけれども行使できないというのは」と呼ぶ)国際法上は集団的自衛権を主権国家であるから保有しているのである、これは国際法上そのように解せられておりますから、従前も政府の答弁としてもそのように答弁してきているわけでございますが、やはりそれに対しまして、我が国は最高法規としての憲法によりまして、我が国の行動を縛っているわけでございます、言葉は悪いかもしれませんが。
したがいまして、憲法九条によって、武力による威嚇または武力の行使に当たることはいたしません、やってはいけませんと。したがって、行動の面で縛っているわけでございますから、集団的自衛権の行使というのはその観点から認められない。国際法上は保有していると言えても、その行使は憲法で禁止されているんだということは、何らおかしいことでないということは従前から反論しているわけでございます。
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第142回国会 衆議院 予算委員会 第27号 平成10年3月18日
論者の「一部だけを認めることはできないというのが今までの法制局の答弁であったわけでございます。」との答弁があるが、内閣法制局は国際法上の「集団的自衛権」という区分を基にして「一部」であるとか「フルスペック」であるとかを判断しているわけではないく、「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たすか否かによって判断している。
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その上で、憲法九条のもとで許される自衛のための必要最小限度の実力の行使につきまして、いわゆる三要件を申しております。我が国に対する武力攻撃が発生したこと、この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、それから、実力行使の程度が必要限度にとどまるべきことというふうに申し上げているわけでございます。
お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。
したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日
「この必要な自衛のための措置の中において、先ほど来説明をしているような具体的な例にこれを当てはめてみても、まさに我が国の存立を脅かし、そして国民の生命や自由や幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険のある集団的自衛権の行使もあり得ると、こう考えたわけでありまして、そこで三要件を付し、これに合致するものについては憲法上も集団的自衛権の行使をし得る、このように当てはめたわけでありまして、まさに四十七年の見解というのは砂川判決と軌を一にするものでありますが、この基本的な論理は変えずに、当てはめにおいて、国民を守るために今回こういう解釈の変更を行ったところでありまして、まさに憲法の範囲内であると我々は完全に自信を持っているところでございます。」との答弁があるが、誤りである。
まず、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界の規範には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られている。そのため、ここに新三要件の「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の意味は当てはまらない。論者は「先ほど来説明をしているような具体的な例にこれを当てはめてみても、まさに我が国の存立を脅かし、そして国民の生命や自由や幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険のある集団的自衛権の行使もあり得ると、こう考えた」としているが、論理的に当てはまらないため、「集団的自衛権の行使」としての新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」は行うことはできない。「集団的自衛権の行使もあり得ると、こう考えた」との部分についても、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称している部分も同様)の下では、あり得ないため、誤りである。「こう考えた」というのは、論理的整合性がなく、法的に正当化することができない考えである。
「そこで三要件を付し、これに合致するものについては憲法上も集団的自衛権の行使をし得る、このように当てはめた」の部分について、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、9条に抵触して違憲となるため、行使することはできない。「憲法上も集団的自衛権の行使をし得る、このように当てはめた」との答弁についても、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件を当てはめることは論理的に不可能であり、「集団的自衛権」を行使し得ない。「このように当てはめた」と当てはまるかのように説明している部分が誤りである。
「まさに四十七年の見解というのは砂川判決と軌を一にするものでありますが、」との部分であるが、1972年(昭和47年)政府見解と砂川判決が軌を一にするものとは、「自衛のための措置(自衛の措置)」の部分である。砂川判決は「自衛のための措置」として日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、1972年(昭和47年)政府見解が「自衛の措置」の選択肢の一つとして「武力の行使」を示した部分については軌を一にしているわけではない。
「この基本的な論理は変えずに、当てはめにおいて、国民を守るために今回こういう解釈の変更を行ったところでありまして、まさに憲法の範囲内であると我々は完全に自信を持っているところでございます。」との部分であるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、ここに「存立危機事態」の要件を当てはめることはできない。論理的整合性が存在しないことから、「こういう解釈の変更」を正当化することはできず、違憲・無効である。論者は「まさに憲法の範囲内であると我々は完全に自信を持っている」と述べるが、「存立危機事態」での「武力の行使」は1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称している部分も同様)の枠を超えており、9条に抵触して違憲となる。「憲法の範囲内」とは言えない。論者は法的に正当化することができないものに「自信を持っている」ことになる。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) いや、そうは考えておりません。法的安定性において、言わば四十七年の見解の基本的な論理は維持したものであると、このように思っております。
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第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第3号 平成27年7月28日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 今回の平和安全法制の整備は、これはあくまでも憲法の許容する範囲内でこれを行うものであり、これは当然のことであります。憲法改正ができないから解釈変更を行うものではないということは、はっきりと明確に申し上げておきたいと思います。
我が国を取り巻く国際情勢が大きく変化する中において、国民の命と平和な暮らしを守るために、砂川判決の言う必要な自衛の措置とは何かをとことん考え抜いていかなければならないわけでありまして、現実に必要な安全保障政策を講じる必要が、考え抜いていく必要があるわけでありまして、この点は我が党も御党も同じであろうと。この必要な自衛の措置とは何かということを考えた中において、我が国に対する武力攻撃が発生していない中において自衛の措置をとり得るということについては、先ほど申し上げましたように、御党も考え抜いた上で、それも憲法の許容する範囲内であるということについては、ここは一致をしているんだろうと思います。
今回の平和安全法制は、そうした政治の責任において必要な自衛の措置を国民を守るために考え抜いた結果、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は全く変わっていないわけでありまして、これは砂川事件に関する最高裁判決の考え方とも軌を一にするものであります。平和安全法制はこの最高裁判決の範囲内であり、違憲ではないということは繰り返し申し上げたいと思います。
【筆者】
「砂川判決の言う必要な自衛の措置」について、「この必要な自衛の措置とは何かということを考えた中において、我が国に対する武力攻撃が発生していない中において自衛の措置をとり得るということについては、……それも憲法の許容する範囲内であるということについては、ここは一致をしているんだろうと思います。」との答弁があるが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、「武力の行使」を正当化する根拠とはならないし、同様に「我が国に対する武力攻撃」が発生していない段階において「自衛の措置」としての「武力の行使」を可能とする根拠とすることもできない。よって、「憲法の許容する範囲内である」とは言えず、誤りである。
「昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は全く変わっていないわけでありまして、これは砂川事件に関する最高裁判決の考え方とも軌を一にするものであります。」との答弁があるが、「昭和四十七年の政府見解」の「基本的な論理」と称している部分をが全く変わらないことにより、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に当てはまらず、違憲となる。「これは砂川事件に関する最高裁判決の考え方とも軌を一にするもの」と述べているが、確かに「自衛のための措置(自衛の措置)」については軌を一にするとされているものであるが、その「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は論理的に当てはまらない。また、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないのであるから、ここで砂川判決を持ち出して「存立危機事態」による「武力の行使」を正当化できるかのように論じることは誤りである。
「平和安全法制はこの最高裁判決の範囲内であり、違憲ではない」との答弁があるが、先ほども述べたように、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、「武力の行使」の措置について「最高裁判決の範囲内」と主張することは誤りである。また、何も述べていない部分について「最高裁判決の範囲内」と正当化できるとすれば、砂川判決は「先制攻撃(先に攻撃)」についても何も述べておらず、同様に「最高裁判決の範囲内」ということになってしまう。そのため、このような論じ方は法解釈として成り立たず、誤りである。「存立危機事態」での「武力の行使」は、「昭和四十七年政府見解」の「基本的な論理」と称している部分に論理的に当てはまらず、違憲である。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 砂川事件、そしてまた昭和四十七年の見解、それぞれ確かに古いわけでございますが、自衛権について判断が下されたのは砂川判決でございます。古くてもこれは最高裁の判決であり、そしてまた四十七年の見解も、今日までこれは維持をされてきたものでございます。かなりの経過はしているのでございますが、これらの中に憲法第九条に関する基本的考え方が示されておりまして、今日でも重要なものだと思っております。
限定的な集団的自衛権の行使容認について、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的な論理は全く変わっていないわけでありまして、これは政府の基本的考え方が一貫していることの証左でもあります。
また、砂川事件の最高裁判決は、先ほど申し上げましたように、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないと明確に述べているわけでありまして、砂川事件につきましては、自衛隊の合憲性や我が国による武力の行使の回避そのものが争点となった事件ではないということは先ほど申し上げたとおりでございますが、最高裁判所があえて判断の過程で考慮したことをこのような形で示しているということは、重みを持って受け止めるべきものと考えています。
新三要件の下で認められる限定的な集団的自衛権の行使は、我が国の自衛の措置に限られるものであり、砂川判決の範囲内のものであると、こう考えているところでございまして、憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、その考え方に沿った判決の範囲内のものである限定的な集団的自衛権の行使は憲法に合致したものであると考えております。
【筆者】
「限定的な集団的自衛権の行使容認について、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的な論理は全く変わっていないわけでありまして、これは政府の基本的考え方が一貫していることの証左でもあります。」との答弁があるが、誤りである。「昭和四十七年の政府見解」には、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言があり、これは「我が国に対する武力攻撃」を意味するものであるから、これを満たさない「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」違憲となる。「基本的な論理は全く変わっていない」としているところから、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」は「基本的な論理」に当てはまらないため違憲となるのである。「基本的な論理」の中に「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が当てはまるかのように考えている点が誤りである。もう一つ、国際法上の「集団的自衛権」に該当すればそれは「集団的自衛権」でしかなく、「限定的な」などという区分は存在しない。また、1972年(昭和47年)政府見解に当てはまらない「武力の行使」は、たとえ「限定的な」「武力の行使」と称しても違憲であることには変わりない。
「新三要件の下で認められる限定的な集団的自衛権の行使は、我が国の自衛の措置に限られるものであり、砂川判決の範囲内のものであると、こう考えているところでございまして、憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、その考え方に沿った判決の範囲内のものである限定的な集団的自衛権の行使は憲法に合致したものであると考えております。」との記載があるが、誤りである。まず、9条の下では「自衛の措置」も「自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて(1972年〔昭和47年〕政府見解)」、「我が国の自衛の措置に限られる」と主張しようとも、1972年(昭和47年)政府見解の「あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」を満たさなければ違憲となる。また、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないのであり、「武力の行使」の措置であるにもかかわらず、「砂川判決の範囲内のもの」と説明することはできない。「その考え方に沿った判決の範囲内のものである限定的な集団的自衛権の行使は憲法に合致したもの」との答弁についても、まず砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」について何も述べていないのであるから、「集団的自衛権の行使」という「武力の行使」を伴う措置については何も述べていない。よって、「新三要件」に基づく「武力の行使」を行う措置であるにもかかわらず、「判決の範囲内のもの」とは言えないし、「判決の範囲内のものである限定的な集団的自衛権の行使」としてあたかも「武力の行使」が「判決の範囲内のもの」であるかのように説明することも誤りである。これにより、「憲法に合致したもの」とする根拠もない。
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第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第4号 平成27年7月29日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) この法的安定性につきましては、今回の解釈についての変更、一部変更につきまして、我々は四十七年見解の基本的な論理は維持しているわけでございます。そのことによって法的安定性を維持していると。
そして、法的安定性の重要性についての御下問でございますが、それは、例えば安全保障に関わる基本的な考え方について、これは政権が替わっても、また総理大臣が替わっても、基本的な姿勢は同じであるということの重要性でございます。国民の安心感あるいは法体系に対する信頼性にも関わってくるわけでございますので、我々はその法的安定性を維持しながら、今回は四十七年の政府解釈、この解釈の基本的な論理を維持しつつ、その当てはめの変更という形で一部行使容認という判断を行ったところでございます。
【筆者】
「四十七年見解の基本的な論理は維持している」との答弁があるが、維持しているのであれば「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、違憲となる。ここに「存立危機事態」の要件が当てはまると主張することは、論理的整合性が存在しておらず、「国民の安心感あるいは法体系に対する信頼性」が損なわれているため、「法的安定性」は維持されていない。
「法的安定性を維持しながら、今回は四十七年の政府解釈、この解釈の基本的な論理を維持しつつ、その当てはめの変更という形で一部行使容認という判断を行った」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらないことから、「当てはめの変更」として当てはまるかのように論じている部分は誤りである。「一部行使容認」との認識についても、違憲であり容認されない。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 法的安定性につきましては、閣議決定においても明記しているわけでございますから、我々は、法的安定性はしっかりと確保されている、それは基本的論理を、四十七年の基本的論理を踏まえたものであり、法的安定性は確保されているということをずっと答弁をしてきたわけでございまして、この考え方はまさに揺るぎないものでございます。
【筆者】
「法的安定性につきましては、閣議決定においても明記しているわけでございますから、」との答弁があるが、解釈において「法的安定性」が求められることが明記されていても、実質的な解釈の中身に論理的整合性が存在しなければ、それは「法的安定性」は損なわれていることとなるのであり、「法的安定性」が求められることを明記していることによって直ちに法的安定性が確保されると考えているところに誤りがある。
「基本的論理を、四十七年の基本的論理を踏まえたものであり、法的安定性は確保されているということをずっと答弁をしてきたわけでございまして、この考え方はまさに揺るぎないもの」との答弁があるが、「基本的論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は論理的に当てはまらず、「法的安定性は確保されている」と主張しても、論理矛盾がなくなるわけではない。「この考え方はまさに揺るぎない」とするのであれば、「四十七年の基本的論理」と称している部分によって「存立危機事態」の要件は違憲となり、この違憲となることによって「法的安定性」が確保されることになる。論理矛盾しているにもかかわらず、「法的安定性」を主張することはできないのである。
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第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第5号 平成27年7月30日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) ですから、先ほど説明したとおり、つまり基本的な考え方、四十七年の基本的な考え方というのは必要最小限度にとどまらなければならないと、こういうことでありまして、その中において、必要最小限度とは何かという中において、新三要件の下では限定的な集団的自衛権の行使は認められると、こう当てはめたわけでございます。
そして、今委員と議論しているのは、これは憲法学者の方々との関係において議論をしているわけでございますが、そもそもその中で六割を超える方は自衛権そのものを認めておられないというわけでございまして、そして、その残りの方々で反対をしておられる方々は、言わば今委員がおっしゃった、また私が申し上げましたように、この基本的な論理、つまり必要最小限度の実力の行使の中にはこれは入らないと、このように主張しておられると、こう申し上げているとおりでございます。
【筆者】
「四十七年の基本的な考え方というのは必要最小限度にとどまらなければならないと、こういうことでありまして、その中において、必要最小限度とは何かという中において、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の中で用いられている「必要最小限度」の文言は、「右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」であり、これは「武力の行使」の三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様に対応するものである。論者はあたかも9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」という基準であるかのように考え、ここに「集団的自衛権の行使」に基づく「存立危機事態」での「武力の行使」が当てはまるかのように主張しているが、もともと9条は政府の自国都合による「武力の行使」を制約する規定であるから、数量的な意味での「必要最小限度」という基準では政府の恣意性を排除できないため法解釈として成り立たない。また、1972年(昭和47年)政府見解の「自衛の措置」の発動要件となる部分は「あくまで外国の武力攻撃によつて」の部分であり、これは「我が国に対する武力攻撃」を意味する。そのため、「必要最小限度とは何か」という疑問自体が、1972年(昭和47年)政府見解の意味を正確に理解していないことから生まれた疑問であり、誤りである。また、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらず、「存立危機事態」の要件は違憲である。
「この基本的な論理、つまり必要最小限度の実力の行使の中にはこれは入らないと、」との答弁があるが、論者の認識は正しく整理されていない。まず、1972年(昭和47年)政府見解では「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」とされている。また、旧三要件の第一要件は同様に「我が国に対する急迫不正の侵害があること」であった。旧三要件のすべてを満たす「武力の行使」のことを従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいる。よって、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)を満たす「武力の行使」は、「自衛のための必要最小限度」と呼ぶことができるが、1972年(昭和47年)政府見解の中で「必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」と用いられている「必要最小限度」の意味は、三要件の第三要件の意味である。論者は「基本的な論理」を持ち出して「必要最小限度の実力の行使の中には」と話しを繋いでいるが、「基本的な論理」の中の「必要最小限度」は「武力の行使」の程度・態様に対応する意味であるため、意味が通じない。論者は「必要最小限度」の意味を取り違えているため、注意が必要である。
━━━━【1972年(昭和47年)政府見解】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。 ( ⇒ 第三要件に対応 )
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━━━━━【自衛のための必要最小限度】━━━━━
「武力の行使」の旧三要件
〇 我が国に対する急迫不正の侵害があること
〇 これを排除するために他の適当な手段がないこと
〇 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと ( ⇒ 第三要件 )
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 自衛の措置としての武力の行使の新三要件は、我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、必要最小限度の実力行使にとどまるべきことであります。
憲法第九条につきましては、最高裁が判断した唯一の判決である砂川判決において、我が国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないとしています。これを踏まえて、憲法第九条はその文言からすると、国際関係における武力の行使を一切禁じているように見えますが、憲法前文で確認している国民の平和的生存権や、憲法第十三条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第九条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されないわけでありまして、この必要な自衛の措置について現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、新三要件を満たす場合においては、従来の政府見解の基本的な論理に基づく必要最小限の武力の行使として、限定的な集団的自衛権の行使が憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至ったものであります。
このように、新三要件は、憲法第九条の下で我が国がとり得る必要最小限度の自衛のための措置として何が認められるのかということをとことん考え抜いた結果、導き出されたものであります。
【筆者】
「従来の政府見解の基本的な論理に基づく必要最小限の武力の行使」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に基づくのであれば、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となる。ここで「必要最小限の武力の行使」とあるが、「必要最小限度」の意味を特定する必要がある。まず、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の中にある「必要最小限度」とは「右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」の部分であり、旧三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様に対応する意味である。よって、この「必要最小限度」の中に「武力の行使」の発動要件は当てはまらない。そのため、論者が「限定的な集団的自衛権の行使」と称する「存立危機事態」での「武力の行使」の発動要件は当然、旧三要件の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」についても当てはまらない。論者はあたかも9条制約が数量的な意味での「必要最小限度」という基準であるかのように考え、「基本的な論理」と称している部分の「必要最小限度」の文言がそれに当たると考えている可能性がある。しかし、9条は政府の自国都合の「武力の行使」を制約するための規定であり、数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準であれば政府の恣意的な「武力の行使」を排除できない基準となってしまうのであって、憲法解釈として成り立たないため誤りである。従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいた意味での「必要最小限度」であれば、それは三要件(旧)のすべてを満たす意味であるから、第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たす中でしか「武力の行使」は許されない。これにより、論者がここで「限定的な集団的自衛権の行使」と称している「存立危機事態」での「武力の行使」は憲法上許容されない。これにより、論者は「必要最小限の武力の行使として、限定的な集団的自衛権の行使が憲法上許容される」と考えているが、「必要最小限度」の意味を正確に理解していおらず、誤りである。憲法上許容されないのである。
「我が国がとり得る必要最小限度の自衛のための措置として」との答弁があるが、先ほどと同様に「必要最小限度」の意味を正確に理解していないものである。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 昨年の七月一日の閣議決定では、安全保障環境の大きな変化によって、他国に対する武力攻撃であったとしても我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得ることを踏まえて、新三要件に基づく限定的な集団的自衛権の行使は、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として憲法上許容されると判断するに至ったわけであります。
限定的な集団的自衛権の行使の容認について、憲法との関係では、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的な論理は全く変わっていません。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。
砂川判決は、先ほども申し上げましたが、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないと述べています。個別的自衛権、集団的自衛権の区別を付けずに我が国が自衛権を有することに言及した上で、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることを認めたものであると考えています。
私たちは、厳しい現実から目を背けることはできません。現実に起こり得る様々な事態にどう対応するのか、我が国の置かれた環境を常に分析、評価し、砂川事件で言うところの必要な自衛の措置とは何かをとことん考え抜いていく責任が我々国会議員とそして政府にはあると考えています。
今回、限定的な集団的自衛権の行使を容認しましたが、それはまさに砂川判決で言うところの自衛の措置に限られるわけでありまして、あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、他国を防衛することそれ自体を目的とするものではないわけでありまして、憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、平和安全法制はその考え方に沿った判決の範囲内のものであり、憲法に合致したものであると、このように確信をしております。
【筆者】
「新三要件に基づく限定的な集団的自衛権の行使は、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として憲法上許容されると判断するに至ったわけであります。」との答弁があるが、国際法上「集団的自衛権」に該当すれば、それは「集団的自衛権」でしかなく、「限定的な集団的自衛権」という区分は存在しない。また、9条の下では「限定的な」と称すれば「武力の行使」が合憲となるわけでもない。1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称している部分も同様)の下では、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」は全て違憲である。「従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として憲法上許容されると判断するに至った」との部分についても、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在しており、これは1972年(昭和47年)政府見解の第二段落で「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」と説明していることを受けた「自衛の措置」の限界の規範として示されたものであることから、「集団的自衛権の行使」を可能とする余地のある「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれることはなく、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られている。そのため、論者の言う「新三要件に基づく限定的な集団的自衛権の行使」である「存立危機事態」での「武力の行使」の要件は「基本的な論理」と称している部分に当てはまらず、9条に抵触して違憲となる。論者は「憲法上許容されると判断するに至った」というが、論理的に正当化する論拠は存在せず、誤りである。「憲法上許容されると判断」することはできない。「至った」と過去形で示すことによって、結論のみを正当化しようとしているように見受けられるが、法解釈は適正な手続きに基づく論理の過程によって結論が正当化されるのであり、その過程となっている部分の論拠に不正や瑕疵が存在すれば、結論を正当化することはできない。
「限定的な集団的自衛権の行使の容認について、憲法との関係では、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的な論理は全く変わっていません。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。」との答弁があるが、誤りである。まず、国際法上は「集団的自衛権」でしかなく、「限定的な集団的自衛権」という区分が存在するわけではない。また、「限定的な」と称すれば9条に抵触しなくなるわけでもなく、これは憲法の範囲内であることを示す意味を持たない。「昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的な論理は全く変わっていません。」としているのであれば、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」は全て違憲となるため、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」(論者の言う『限定的な集団的自衛権の行使』としての『武力の行使』を含む)や、「存立危機事態」での「武力の行使」は、これを満たさない中で「武力の行使」を行うものであることから、「昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的な論理」と称している部分の枠を越え、9条に抵触して違憲となる。論者は、「これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。」と主張するが、1972年(昭和47年)政府見解と砂川判決が軌を一にする部分とは「自衛の措置」だけである。これは、砂川判決が示した「自衛のための措置(自衛の措置)」の内容が「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであり、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないからである。1972年(昭和47年)政府見解は、砂川判決の示した「自衛のための措置」と軌を一にする形で「自衛の措置」の限界を示し、その中に政府独自の見解として「自衛の措置」の選択肢の一つとして日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を当てはめたものである。論者は「集団的自衛権の行使」という「武力の行使」を含む措置を示した上で、「これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。」と説明しようとしているが、1972年(昭和47年)政府見解と砂川判決が軌を一にする部分は「自衛のための措置」だけであり、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」については軌を一にしていないため誤りである。
論者は砂川判決について「個別的自衛権、集団的自衛権の区別を付けずに我が国が自衛権を有することに言及した上で、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることを認めたものであると考えています。」と答弁しているが、認識を整理する必要がある。まず、国際法上は主権国家として認められているのであれば「自衛権」の適用を受ける地位を有している。これは国際法上の『権利』の概念であり、この適用を受ける地位を有しているからといって、その国家の統治権の中に新たな『権力・権限・権能』が発生するわけではない。そのため、「個別的自衛権、集団的自衛権の区別を付けずに我が国が自衛権を有することに言及した上で、」と述べたとしても、9条の制約範囲の中で日本国の統治権がどのような「自衛の措置」をとることができるかには法的に直接的な因果関係がない。また、単に「自衛権」と表現された場合、それは「個別的自衛権」のみを指す場合も考えられるのであり、論者が「個別的自衛権、集団的自衛権の区別を付けずに」と表現するように、「自衛権」の中に「集団的自衛権」が含まれることを前提とすることができるわけでもない。
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「自衛権」については、その用いられる文脈により、個別的自衛権と集団的自衛権の両者を包括する概念として用いられる場合もあれば、専ら個別的自衛権のみを指して用いられる場合もあると承知している。
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衆議院議員伊藤英成君提出内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問に対する答弁書 平成十五年七月十五日
さらに、砂川判決はもともと「自衛のための措置」として「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」を示したにすぎず、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていない。そのことから、国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由としての国連憲章51条の「個別的自衛権」と「集団的自衛権」が持ち出される場合には、その行使が「武力の行使」を伴うことが前提となるものであるが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないのであるから、「個別的自衛権、集団的自衛権の区別を付けずに」などと、「武力の行使」を伴う措置が行わる場合を述べているかのように説明することもできない。
「砂川事件で言うところの必要な自衛の措置とは何かをとことん考え抜いていく責任が我々国会議員とそして政府にはあると考えています。」との答弁があるが、「砂川事件で言うところの必要な自衛の措置」とは、砂川判決の示した「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであり、「とことん考え抜いて」もこれしか出てこない。砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないのである。
「今回、限定的な集団的自衛権の行使を容認しましたが、それはまさに砂川判決で言うところの自衛の措置に限られるわけでありまして、あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、他国を防衛することそれ自体を目的とするものではないわけでありまして、憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、平和安全法制はその考え方に沿った判決の範囲内のものであり、憲法に合致したものであると、このように確信をしております。」との説明があるが、誤りである。まず、国際法上は「限定的な集団的自衛権」という区分は存在しない。「限定的な集団的自衛権の行使を容認しましたが、」との部分についても、1972年(昭和47年)政府見解には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、これを満たさない「集団的自衛権の行使(論者の言う『限定的な集団的自衛権の行使』を含む)」としての「武力の行使」や、「存立危機事態」での「武力の行使」は1972年(昭和47年)政府見解の示した「自衛の措置」の限界の規範を超え、9条に抵触して違憲となる。そのため、「容認」することはできない。また、「砂川判決で言うところの自衛の措置に限られる」のであれば、砂川判決の示した「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」しかとることはできず、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」は行うことができない。「あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、他国を防衛することそれ自体を目的とするものではないわけでありまして、」の部分についても、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを制約するための規定であり、「国民の命と平和な暮らしを守ることが目的」であるとしても、それだけで「武力の行使」を行うことができることにはならない。また、「他国を防衛することそれ自体を目的とするものではない」についても、9条の下では『他国防衛』の意図・目的を有する「武力の行使」が許されないことは当然、たとえ『自国防衛』の意図・目的を有する「武力の行使」であったとしもそれだけでは必ずしも許されるわけではない。そのため、「他国を防衛することそれ自体を目的とするものではない」と述べたところで、その「武力の行使」が9条に抵触しないことを示したことにはならない。「憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、平和安全法制はその考え方に沿った判決の範囲内のものであり、憲法に合致したものである」の部分についても、砂川事件最高裁判決では「自衛のための措置」として日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないのであるから、何も述べていない部分を勝手に「その考え方に沿った判決の範囲内のもの」と評価することはできない。もし何も述べていない部分を「その考え方に沿った判決の範囲内のもの」と説明することができるのであれば、砂川事件最高裁判決では「先に攻撃(先制攻撃)」についても何も述べていないのことから、「先に攻撃(先制攻撃)」を行うとしても「その考え方に沿った判決の範囲内のもの」と説明することができてしまうのであり、法解釈として成り立たない。「憲法に合致したものである」との説明も、論理的に「憲法に合致」している理由を説明したものとはなっていないし、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらないのであるから、「存立危機事態」での「武力の行使」は9条に抵触して違憲となる。そのため「憲法に合致したものである」とは言えない。「このように確信をしております。」との部分も、上記の理由で誤った「確信」であると考えられる。
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第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第7号 平成27年8月4日
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○安倍内閣総理大臣
(略)
今回の平和安全法制につきましては、自衛のための必要最小限度の武力の行使しか認められないという従来の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理は全く変わっていないわけでございまして、四十七年の解釈における見解といわば基本原理が変わっていない中において当てはめを行ってきたものであり、法的安定性は損なわれていないというのが我々の基本的な考え方でありまして、補佐官もそのことは十分に認識をしているものと思います。
【動画】
【筆者】
「自衛のための必要最小限度の武力の行使しか認められないという従来の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理は全く変わっていないわけでございまして、」との答弁があるが、「必要最小限度」の意味を特定する必要がある。まず、従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいるものは三要件(旧)をすべて満たす意味での「武力の行使」のことである。これが全く変わっていないのであれば、「存立危機事態」の要件は旧三要件の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たさないため、違憲となる。「四十七年の解釈における見解」の「基本的な論理」が変わっていないとの答弁から、「四十七年の解釈における見解」の「基本的な論理」と称している部分に記載された「必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」の部分を従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいたものと同一視している可能性があるが、これは三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様に対応する意味での「必要最小限度」であり、三要件全体を意味する「自衛のための必要最小限度」とは異なる。これにより、「自衛のための必要最小限度」や「四十七年の解釈における見解」の「基本的な論理」と称している部分が「全く変わっていない」ために、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらず、「存立危機事態」の要件は違憲となる。「当てはめを行ってきたもの」との答弁があるが、論理的に当てはまらない。「法的安定性は損なわれていないというのが我々の基本的な考え方」との答弁があるが、論理的整合性がないのであるから、法的安定性は損なわれている。
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○安倍内閣総理大臣 法的安定性が重要であるということは、もう何回も何回も、繰り返し繰り返し繰り返し申し上げているとおりでございまして、我々は、憲法解釈の変更を行うに際して、四十七年の基本的な論理である必要最小限度、この中においての、いわば必要な自衛の措置をとるというこの基本的な考え方、論理を残しつつ当てはめを変えた、こういうことでございますから、法的安定性は保たれているということは申し上げているとおりでありますし、それは重視している、こういうことでございます。
(略)
【動画】
【筆者】
「四十七年の基本的な論理である必要最小限度、この中においての、いわば必要な自衛の措置をとるというこの基本的な考え方、論理を残しつつ当てはめを変えた、こういうことでございますから、法的安定性は保たれている」との答弁があるが、誤りである。まず、「必要最小限度」の意味を特定する必要がある。従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいるものは三要件(旧)のすべてを満たす「武力の行使」のことであり、「存立危機事態」の要件は旧三要件の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たさないため違憲となる。次に、「四十七年の基本的な論理」の「必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」の「必要最小限度」は三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様に対応する意味である。論者はこの文脈で「四十七年の基本的な論理」の「必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」の「必要最小限度」の意味を、あたかも9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」という基準であるかのように見なしてしまっている可能性があるが、9条は政府の自国都合による「武力の行使」を制約する趣旨の規定であり、数量的な意味での「必要最小限度」がそのまま制約基準になることは法解釈として成り立たないため誤りである。これにより、「自衛のための必要最小限度」にも、「四十七年の基本的な論理」にも「存立危機事態」の要件は当てはまらず、「論理を残しつつ当てはめを変えた」と主張することはできない。ここに「存立危機事態」の要件が当てはまると主張することは、論理的整合性が存在しないため、法的安定性は損なわれている。「法的安定性は保たれている」との答弁は誤りである。「法的安定性が重要であるということは、もう何回も何回も、繰り返し繰り返し繰り返し申し上げている」や「それは重視している」と言うのであれば、「存立危機事態」の要件は当然に違憲となる。
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第189回国会 衆議院 予算委員会 第20号 平成27年8月7日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 我が国を取り巻く安全保障環境は日々変化をしているわけでありますし、年々大きく変わっていると言えると思います。このような状況の中で、情勢をしっかりと分析をし、評価をし、国民の命と平和な暮らしを守るため、そして領土、領海、領空を守り抜くために、砂川判決で言う必要な自衛の措置とは何かをとことん考え抜いて、現実に必要な安全保障政策を講じていく必要があります。これが私たち政治家、そして政府に課せられた最も重要な課題であると考えます。
今回の平和安全法制は、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理を全く変えることなく、砂川判決の言う必要な自衛の措置とは何かを考え抜いた結果であり、砂川判決の範囲内のものであります。
一方、昭和四十七年当時と比べて、例えば米軍の規模は、兵員あるいは軍艦の数、そしてまた航空機の機数、それぞれ半分になっているわけであります。そしてまた、当時は北朝鮮は全く弾道ミサイルは保有していなかった。現在は数百発の弾道ミサイルを保有し、そしてそれに載せることのできる核の開発を進めている。さらには、それを防止するためのミサイル防衛という技術も我々は獲得し、その体制を整えているわけであります。
その中において、弾道ミサイル防衛システムを保有していますが、これは従来にない日米の極めて緊密な協力が不可欠となっているわけでありまして、委員御指摘のとおり、平和安全法制を議論する上で合憲性、法的安定性が確保されていることは当然の前提とした上で、大きく変化する安全保障環境を踏まえて、国民の命と平和な暮らし、そして領土、領海、領空を守り抜くためにこの法案が必要なものであることをしっかりと説明をしていく考えであります。
【筆者】
「砂川判決で言う必要な自衛の措置とは何かをとことん考え抜いて」との答弁があるが、砂川判決が示した「自衛のための措置」とは、「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであり、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」については何も述べていない。そのため、「砂川判決で言う必要な自衛の措置とは何かをとことん考え抜い」た場合には、「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」しか出てこない。
「今回の平和安全法制は、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理を全く変えることなく、砂川判決の言う必要な自衛の措置とは何かを考え抜いた結果であり、砂川判決の範囲内のものであります。」との答弁があるが、誤りである。まず砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないのであるから、「武力の行使」の措置について定めようとしているにもかかわらず、「砂川判決の範囲内のもの」と説明することはできない。もし何も述べていないことを「範囲内のもの」と考えることができるのであれば、「先に攻撃(先制攻撃)」についても砂川判決は何も述べていないのであるから、「先に攻撃(先制攻撃)」についても「範囲内のもの」として許容されることになってしまい、法解釈として成り立たない。また、「昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理を全く変えることなく」ということは、「存立危機事態」の要件は「基本的論理」の中に当てはまることはないため、「存立危機事態」での「武力の行使」は9条に抵触して違憲となる。何も述べていないことを「範囲内のもの」と勝手に判断することはできないし、論理的に当てはまらないにもかかわらず「全く変えることなく」などと正当化することもできない。
「平和安全法制を議論する上で合憲性、法的安定性が確保されていることは当然の前提とした上で、」との答弁があるが、「当然の前提とした上で、」などと、整合性の検証もなく当然の前提としている点で誤りである。「存立危機事態」の要件は、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に当てはまることはなく、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲である。ここに「存立危機事態」の要件が当てはまると主張することは論理的整合性が成り立たないため、「法的安定性」も損なわれる。「合憲性、法的安定性が確保されている」との認識は誤りである。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
今回の平和安全法制は、自衛のための必要最小限度の武力の行使しか認められていないとの従来の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理は全く変わっておらず、合憲性と法的安定性は確保されており、このことは礒崎補佐官も十分承知をしていると、このように思います。
【筆者】
「自衛のための必要最小限度の武力の行使しか認められていないとの従来の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理は全く変わっておらず、」との答弁があるが、認識に混乱がある。
まず、従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいるものは三要件(旧)をすべて満たす「武力の行使」のことである。よって、「自衛のための必要最小限度の武力の行使しか認められていない」との論理が全く変わっていないのであれば、「存立危機事態」の要件は第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たさないため違憲となる。
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したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日 (下線・太字は筆者)
また、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分が全く変わっていないのであれば、この中には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」を意味するから、「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」はここに当てはまらず、「存立危機事態」の要件は違憲となる。
論者の主張には混乱が見られるが、いずれのルートからも違憲となることに変わりはない。
「合憲性と法的安定性は確保されており、」との答弁もあるが、違憲であり、これを合憲と主張することは論理的整合性が保たれておらず、法的安定性も損なわれている。「合憲性と法的安定性は確保されており、」との主張は誤りである。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
今回の平和安全法制は、自衛のための必要最小限度の武力の行使しか認められないとの従来の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理は全く変わっておらず、合憲性と法的安定性は確保されているわけでありますし、先ほど佐々木議員とのやり取りの中でも、昨年七月一日の閣議決定の中におきましても法的安定性の重要性が明記されているところでございます。
【筆者】
「自衛のための必要最小限度の武力の行使しか認められない」との答弁があるが、従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいたのは三要件(旧)をすべて満たす中での「武力の行使」のことである。そのため、「自衛のための必要最小限度の武力の行使しか認められない」のであれば、旧三要件の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす必要があるから、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となるため行使することができない。
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お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。
したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日
「従来の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理は全く変わっておらず、」としているのであるから、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらず、「存立危機事態」の要件は違憲となる。当てはまらないにもかかわらず、当てはまると結論のみを述べて正当化しようとしても、解釈の過程に論理的整合性が保たれていないのであるから正当化することはできない。「合憲性と法的安定性は確保されている」との答弁もあるが、論理的整合性が保たれていないのであり、違憲となるし、法的安定性も損なわれているため誤りである。
「七月一日の閣議決定の中におきましても法的安定性の重要性が明記されている」との答弁があるが、重要性が語られていても、実際に論理的整合性が保たれていないのであるから、法的安定性は確保されていない。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 法的安定性につきましては、今回の平和安全法制は、自衛のための必要最小限度の武力の行使しか認められないとの従来の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理は全く変わっておらず、合憲性と法的安定性は確保されているわけでありまして、先ほども答弁いたしましたが、昨年の七月の一日の閣議決定におきましても法的安定性の重要性について閣議決定の中で明記されているとおりでございまして、法的安定性は関係ないとの認識に立っているとの御指摘は全く当たらないと、このように考えております。
【筆者】
「自衛のための必要最小限度の武力の行使しか認められないとの従来の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理は全く変わっておらず、」との答弁があるが、「自衛のための必要最小限度」とは三要件(旧)を意味する基準であることから、その第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たすことを求めているし、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分にも「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、これらの規範が変わっていないのであれば、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」はこれらを超えていることによって9条に抵触して違憲となる。
「合憲性と法的安定性は確保されているわけでありまして、」との答弁があるが、先ほどの理由により違憲であるため「合憲性」は確保されていないし、「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準と、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分が維持されているとの前提によって新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」はここに論理的に当てはまらないのであり、「法的安定性」も確保されていない。
「七月の一日の閣議決定におきましても法的安定性の重要性について閣議決定の中で明記されているとおりでございまして、法的安定性は関係ないとの認識に立っているとの御指摘は全く当たらない」との答弁があるが、確かに2014年7月1日閣議決定の中には「政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。」との記載があるが、その2014年7月1日閣議決定の内容は、1972年(昭和47年)政府見解の文言を正確に抜き出したものとはなっていないし、論理的整合性も保たれておらず、手続き上の不正がある。そのため、「法的安定性」は保たれていない。「法的安定性は関係ないとの認識に立っているとの御指摘は全く当たらない」との部分について、2014年7月1日閣議決定の内容は「法的安定性」が確保されたものとはなっていない。
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第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第11号 平成27年8月21日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 限定的な集団的自衛権の行使の容認について、憲法との関係では、昭和四十七年の政府見解で示した憲法第九条の解釈の基本的な論理は全く変わっていません。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考えと軌を一にするものであります。憲法には自衛権について明記されていませんが、憲法解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関である最高裁判所は、砂川事件判決において次のように述べているわけであります。
我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない。
これは、個別的自衛権、集団的自衛権の区別を付けずに我が国が自衛権を有することに言及した上で、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることを認めたものであると考えるわけであります。最高裁が言う必要な自衛の措置とは何か、我々はこれを考え抜いていく責任があるわけでありまして、昭和四十七年に政府見解を示したときは、当時の安全保障環境に照らして必要な自衛の措置は個別的自衛権の行使に限られるものと考えたわけであります。
しかし、今日、我が国を取り巻く安全保障環境は昭和四十七年に政府見解がまとめられたときから想像も付かないほど変化をしており、今や脅威は容易に国境を越えてくる時代となったわけでありまして、すなわち、脅威がどの地域において発生しても我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっています。もはやどの国も一国のみでは自国の安全を守れない時代となった。このような安全保障環境の大きな変化を踏まえれば、新三要件の下、他国に対する武力攻撃であっても、我が国の存立を全うし、国民を守るための必要な自衛の措置として限定的な集団的自衛権の行使が許容されるとの判断に至ったものであります。
今回、限定的な集団的自衛権の行使を容認をしましたが、それはまさに砂川判決の言う自衛の措置に限られるわけでありまして、あくまでも国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、他国を防衛すること、それ自体を目的とするものではないわけでありまして、したがって、新三要件の下で認められる限定的な集団的自衛権の行使は我が国の自衛の措置に限られるものであり、砂川判決の範囲内のものであります。その意味で、砂川判決は限定的な集団的自衛権の行使が合憲であることの根拠たり得るものと考えているわけでございます。
【筆者】
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○内閣総理大臣(安倍晋三君) これは、今までこれは何回も説明をさせていただいているわけでございますが、昭和四十七年の政府見解については、「憲法は、第九条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第十三条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」というまず第一の論理であります。
「しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。」、これが第二の論理であります。
まさにこの第一の論理、第二の論理、これは基本論理でございますが、この基本論理を我々はそのまま受け継いでいるわけでありまして、しかし、この基本論理の中での当てはめとして、「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、」の後でありますが、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」と、こう書いてあるわけであります。
しかし、当時の、先ほども申し上げましたように、安全保障環境は大きく変わったわけでありまして、まさにこの基本的論理で言うところの、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするため、そして国民の生命、自由及び幸福追求の権限が根底から覆されるという、こういう状況での集団的自衛権の行使もあり得ると考えたわけでありまして、最初申し上げましたように、第一番目の論理と第二番目の論理から、安全保障環境の変化の中において、まさに当てはめとして、一部、今申し上げましたような、国の存立が危うくなり、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があり得るときの集団的自衛権の行使は認定され得ると、このように解釈を変更したわけでございます。
【筆者】
「この基本論理を我々はそのまま受け継いでいるわけでありまして、」との答弁があるが、その「基本的な論理」の中には、「あくまで外国の武力攻撃によって」の文言が存在し、これは「我が国に対する武力攻撃」を意味するから、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらない。
「まさにこの基本的論理で言うところの、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするため、そして国民の生命、自由及び幸福追求の権限が根底から覆されるという、こういう状況での集団的自衛権の行使もあり得ると考えたわけでありまして、」との答弁があるが、この「基本的な論理」は「我が国に対する武力攻撃」が発生した場合に限られており、これを満たさない「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」はここに含まれず、違憲となる。「あり得ると考えた」との答弁であるが、「基本的な論理」の中には論理的に当てはまらず、あり得ない。
「まさに当てはめとして、」との答弁があるが、当てはまらない。
「国の存立が危うくなり、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があり得るときの集団的自衛権の行使は認定され得ると、このように解釈を変更した」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)の下では「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲であり、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」も当然違憲である。「認定され得る」との答弁があるが、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさないため、許容されない。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 基本的論理は全く変えていないということは最初に私が答弁したとおりでありまして、第一の論理、そして第二の論理から、四十七年当時は、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」というこれは結論を引いているわけでございますが、第一の論理、第二の論理を維持をしたまま、しかし同時に、第一の論理、第二の論理にあるように、必要最小限度の範囲の中において、そしてかつ国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される、我が国の存立が危うくなる、そういう集団的自衛権の行使についてはそれは容認したわけで、それは新たなこれは状況が生起してきたわけでありますし、それは概念としても、まさにこれは弾道ミサイルを排除するために日米が共同で排除する、その米国の艦船が攻撃を受けたときにはまさに我が国の存立が、これは存立が脅かされるという状態が四十年前にはなかったんですから。それが今はあるということにおいては、まさに我が国の存立が脅かされ、国民の生命や自由や幸福追求の権利が根底から覆されるという状況に陥る、それを排除するための集団的自衛権の行使があり得るというこれは当てはめを行った。それは、まさに国民の命を守るために必要な自衛の措置とは何かを考え抜いた結論でございます。
【筆者】
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○内閣総理大臣(安倍晋三君) それは、まさにこの基本的な論理の中で言っておりますね。
外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処して、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されることであると。そして、それは事態を排除するため取られるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると。そして、第三のところで、我が憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫不正の侵害に対する場合に限られるのであってと、こう結論付け、そしてその後、集団的自衛権の行使は憲法上許されないと、こうなっているわけでございますが、先ほども答弁をさせていただいたわけでございますが、当時の状況としては、まさに我が国自体に攻撃が直接なければ、我が国自体に攻撃が至らなければ、こうした急迫不正の事態には至らなかったわけでございます。
他国に対する攻撃は、我が国においてはまさに国民の自由や生命や幸福追求の権利が根底から覆されるという状況には至らなかったのでありますが、しかし、それが、四十年以上経過した中にあって、北朝鮮は数百発の弾道ミサイルを持ち、そしてそれを防止する力を今我々は得ているわけでありまして、そのミサイル防衛ができるという中において、このミサイル防衛の一角を負っている米国の艦船が、艦船が攻撃を受けるという中において、受けるという中において、それはすなわち自国の存立が危うくなり、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される危険に直面するという判断ができるわけでありまして、まさに急迫不正の事態になっていくということになるわけでありまして、それは、その中においては、集団的自衛権の行使、そういう状況の中においては、まさにこれは三要件の言うところでございます。
であるからこそ、新しい三要件も四十七年の見解の基本的な論理を生かしているわけでありますが、この三要件が当てはまれば、三要件が当てはまれば集団的自衛権の行使がなされ得ると、このように考えているわけでございます。
【筆者】
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 昨年の七月一日の閣議決定でございますが、委員御指摘のとおり、限定的な集団的自衛権の行使を容認しましたが、それは昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理を全く変えるものではないわけでありまして、砂川判決の言う自衛の措置に限られるわけであります。国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、専ら他国の防衛を目的とするものではありません。このことは新三要件によって明らかでありまして、限定的な集団的自衛権を行使できるのは、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合であり、しかも、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない場合に限られ、また行使する場合も必要最小限度の実力行使にとどまるべきとされております。
このように、あくまでも自衛の措置に限られることは明らかでありまして、他方、個別的自衛権と集団的自衛権は、自国に対し発生した武力攻撃に対処するものであるかどうかという点において明確に区別される権利であり、この点は国際法上確立をされているわけでありまして、このため、新三要件に基づく自衛の措置については、国際法上の整理では集団的自衛権の行使となる場合があるわけでありますが、先ほど委員がおっしゃったように、ベトナム戦争、これは我が国の存立に関わりがありません。国民の命や幸福、自由、追求する権利が根底から覆されるわけでもありませんから、当然これはらち外、その外にあるわけであります。湾岸戦争もそうですね。イラク戦争もそうである。それはおっしゃるとおりでございます。
【筆者】
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
その後の検討はこの私の判断に基づいて行われているわけでありまして、与党協議会での濃密な議論の結果、昨年七月一日の閣議決定において新三要件の考え方を示しましたが、これは、我が国を取り巻く安全保障環境が客観的に大きく変化している現実を踏まえて、従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をし、従来の昭和四十七年の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理の枠内で国民の命と平和な暮らしを守り抜くための結論として導いたものであります。
この三要件は、御指摘のように、平和安全法制に過不足なく反映されているわけでありまして、このように、平和安全法制は、これまでの憲法第九条をめぐる議論との論理的整合性と法的安定性を重視して提案しているものでございます。
【筆者】
「従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をし、従来の昭和四十七年の政府見解における憲法第九条の解釈の基本的な論理の枠内で」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理の枠内」には当てはまらない。これを当てはまると主張することは「論理的整合性と法的安定性」を損なう。「十分留意をし、」と述べているが、これも満たしていない。
「平和安全法制は、これまでの憲法第九条をめぐる議論との論理的整合性と法的安定性を重視して提案しているもの」との答弁があるが、「存立危機事態」について「これまでの憲法第九条をめぐる議論」には当てはまらないため、「論理的整合性と法的安定性」は損なわれており、「重視して」との内容は満たされていない。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 昨年の七月の一日に閣議決定をいたしまして、そしてその閣議決定において、法的安定性を重視し、そして四十七年の政府見解の基本的な論理を維持しつつ、国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるときには、言わば三要件に当てはまるときには集団的自衛権の行使はし得るという解釈を行ったわけであります。
この七月一日の解釈変更の上において、今回平和安全法制を作成したわけでございまして、当然合憲であり、また、砂川判決で言うところの必要な自衛のための措置の範囲内であると、このように考えております。
【筆者】
1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を維持しているのであれば、そこに「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、「存立危機事態」の要件は違憲である。「三要件に当てはまるときには集団的自衛権の行使はし得る」との記載があるが、新三要件の「存立危機事態」については違憲となるため、行使することはできない。
「砂川判決で言うところの必要な自衛のための措置の範囲内である」との記載があるが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」が可能であるか否かについては何も述べておらず、「砂川判決で言うところの必要な自衛のための措置の範囲内である」と断定することはできない。もしこのような論拠で「武力の行使」が正当化されるとするならば、砂川判決は「侵略戦争」を禁じる趣旨は確認できるが、「先制攻撃(先に攻撃)」の可否については何も述べていないことから、「先制攻撃(先に攻撃)」についても「砂川判決で言うところの必要な自衛のための措置の範囲内である」と主張することが可能となるのであり、論理的に誤りである。
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第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第12号 平成27年8月25日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) これは、政府が再三御説明をさせております昭和四十七年見解の基本的な論理を、これを分かりやすく言えば、憲法第九条の下でも、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処する場合には、例外的に自衛のための武力行使が許される。今申し上げたことが基本的な論理であります。
そして、平和安全法制においては、我が国を取り巻く安全保障環境の変化を踏まえれば、この基本的な論理を維持し、この考え方を前提として、これに当てはまる場合として、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとしてきたこれまでの認識を改め、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合もこれに当てはまるとしたものであります。つまり、当てはめを行ったということであります、基本的論理の中で当てはめを行ったということであります。
このように、今般の見直しは基本的な論理を維持しつつ、我が国を取り巻く安全保障環境の変化を踏まえて行うものであって、理論の捏造という御指摘は全く当たらないと、こう考えております。
【動画】安倍晋三vs小西洋之「砂川判決」【全】9/11 2015/09/10
【筆者】
「例外的に自衛のための武力行使が許される。今申し上げたことが基本的な論理であります。」との答弁があるが、誤りである。「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」について述べた部分であり、「武力の行使」は含まれていないからである。2014年7月1日閣議決定においても、この点を1972年(昭和47年)政府見解から正確に抜き出しておらず、誤っているため注意が必要である。
「この基本的な論理を維持し、この考え方を前提として、これに当てはまる場合として、」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」に当てはまらない。当てはまるかのように主張している部分が誤りである。
「これに当てはまるとしたものであります。」との答弁もあるが、当てはまらない。
「今般の見直しは基本的な論理を維持しつつ、」との答弁があるが、「基本的な論理」を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件はここに当てはまらないため違憲であるし、「存立危機事態」の要件を定めるのであれば、「基本的な論理」は維持されていないこととなる。よって、「理論の捏造というご指摘」は全く当たっている。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 先ほど申し上げたとおりでありまして、一番最初に私はこの基本的な論理を申し上げたわけであります。まさに国の存立が脅かされ、国民の生命や自由、幸福追求の権利、これは憲法で保障されているものでありますが、まさにこの平和的生存権、そして憲法で、憲法十三条で保障されているこうした諸権利がこれ奪われようとしているときにおいては、自衛の行使を、自衛の行使をですね……(発言する者あり)今お答えしているんですから、しばらくの間だけでもちょっと黙っていていただけますか。自衛の、いいですか、必要な自衛の措置、必要な自衛の措置は取り得ることができると、こういう解釈をしているものでありまして、これは砂川判決と軌を一にするものでありますが、この必要な自衛の措置という中において、これは集団的自衛権については、当時は、昭和四十七年においては、昭和四十七年においてはまさにこれは必要最小限度を超えるものと考えていたわけでありますが、これはこの委員会においてもるる説明をしているように、安全保障環境が変わる中においてはまさにもはや一国のみで自国を守り抜くことはできないという中において、先ほど条件を付けた、先ほど条件を付けた、これは国の存立と国民の命や自由、幸福追求の権利が奪われると、これ、根底から覆される明白な危険があるときは、あるときはこれは行使できる、このような変更を行ったわけでありますが、これは当然、我々はまさにこの四十七年の基本的な解釈、論理の中においての当てはめを変更したと、このように考えているところでございます。
【動画】安倍晋三vs小西洋之「砂川判決」 【全】9/11 2015/09/10
【筆者】
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 我々は、解釈変更に当たって、しかし、これは解釈の変更、安全保障に関する基本的な考え方についての解釈の変更でありますから、これはしっかりと閣議決定を行ったということを申し上げております。
そして、立憲主義との関係においては、これは、まさにこれは基本的な論理が変わっていないわけでありますから、それは、そこでまさに法的安定性がこれは保たれ、そしてもちろん立憲主義に資するものであると、このように答弁しているところでございます。
【筆者】
「基本的な論理が変わっていないわけでありますから」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないため、誤りである。「基本的な論理が変わっていない」と主張するだけで「存立危機事態」の要件が正当化されることとなれば、「基本的な論理が変わっていない」と主張するだけで「侵略戦争」や「先に攻撃(先制攻撃)」をも正当化できることとなり、法解釈として成り立たない。「基本的な論理が変わっていない」と結論を述べるだけであたかも「基本的な論理」と称する部分に「存立危機事態」の要件が当てはまっているかのように主張している点で誤りである。
論理的整合性が保たれていないのであるから、「立憲主義」にも反している。また、「法的安定性」も保たれていない。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 我が国を取り巻く国際情勢が大きく変化する中で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、砂川判決の言う必要な自衛の措置とは何かをとことん考え抜き、万一のために隙のない備えをつくっておく必要があります。これが政治家や政府に課せられた最も重要な責務であると私は考えております。
今回の平和安全法制は、とことん考え抜いた結果であり、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は全く変わっていません。これは砂川事件に関する最高裁判決の考え方とも軌を一にするものであります。平和安全法制は、この最高裁判決の範囲内のものであり、違憲との批判は当たらないと考えております。
(略)
【筆者】
「砂川判決の言う必要な自衛の措置とは何かをとことん考え抜き」との答弁があるが、砂川判決の示した「自衛のための措置(自衛の措置)」とは「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけである。従来より政府解釈はこの「自衛のための措置(自衛の措置)」の中に「武力の行使」が含まれていると解釈しているが、「砂川判決の言う必要な自衛の措置とは何かをとことん考え抜」いた場合、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」については何も述べていないのであるから、「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」しか出てこない。そのため、砂川判決の言う「自衛のための措置(自衛の措置)」の中から「武力の行使」が出てくるかのような前提によって「存立危機事態」での「武力の行使」を正当化しようとすることは誤りである。
「今回の平和安全法制は、とことん考え抜いた結果であり、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は全く変わっていません。これは砂川事件に関する最高裁判決の考え方とも軌を一にするものであります。」との答弁があるが、三つの誤りがある。砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていない。そのため、「砂川判決の言う必要な自衛の措置とは何か」を「とことん考え抜いた」としても、「結果」として「武力の行使」は導き出されない。砂川判決から「武力の行使」が導かれるかのように考えている部分が誤りである。また、「今回の平和安全法制」の「存立危機事態」の要件は、「昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理」の中には当てはまらない。よって、「全く変わっていません。」との主張も誤りである。さらに、「砂川事件に関する最高裁判決」は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」については何も述べておらず、「自衛のための措置」についてしか述べていないため、「今回の平和安全法制」が「武力の行使」を含んでいるにもかかわらず、「砂川事件に関する最高裁判決の考え方とも軌を一にするもの」と主張することは誤りである。
「平和安全法制は、この最高裁判決の範囲内のものであり、違憲との批判は当たらない」との答弁もあるが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、「平和安全法制」の「武力の行使」について「この最高裁判決の範囲内」と主張することはできない。もし何も述べていないものを「この最高裁判決の範囲内」と主張できるのであれば、砂川判決からは「侵略戦争」を禁じる趣旨は確認できるが、「先に攻撃(先制攻撃)」の可否については何も述べていないことから、「先に攻撃(先制攻撃)」も「この最高裁判決の範囲内」ということになってしまい、解釈として成り立たないのである。「違憲との批判」について、「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に当てはまらいため、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲である。批判は当たることになる。
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第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第19号 平成27年9月11日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) ただいま外務大臣から他国の歯止めの例について御紹介をさせていただいたところでございますが、今回の平和安全法制は、憲法との関係では昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は全く変わっていないわけであります。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。
砂川判決は、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないと述べています。
我が国を取り巻く安全保障環境は大きく変わってきているわけでありまして、昭和四十七年の政府見解が出された四十年以上前から想像も付かないほど変化をしています、一層厳しさを増しています。脅威は容易に国境を越えてやってきますし、もはやどの国も一国のみで自国を守ることができない時代になっています。このような中において、私たちは厳しい現実から目を背けることはできないわけでありまして、砂川判決の言う必要な自衛の措置とは何かをとことん考え抜いていく責任があります。
その中で、今、我々は平和安全法制を提出をさせていただいているわけでありますが、我が国が武力の行使を用い得るのは、行い得るのは新三要件を満たす場合に限られますが、これは憲法上の明確かつ厳格な歯止めになっており、今般の法整備において過不足なく明確に書き込まれております。
新三要件は、国際的に見ても他に例のない極めて厳しい基準であって、その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものでは決してないわけであります。さらに、実際の武力の行使を行うために自衛隊に防衛出動を命ずるに際しては、これまで同様、原則として事前の国会承認を求めることが法律上明記されており、政府が判断するのみならず国会の御判断もいただき、民主主義国家として慎重の上にも慎重を期して判断されることになるわけであります。
したがって、我が国の新三要件について、極めて明確かつ厳格なしっかりとした歯止めがあると考えております。
【筆者】
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 国際法上は個別的自衛権も集団的自衛権も我が国はそれを有しているわけでございますし、政府はずっとそのように答弁をしてきたところでございます。しかしながら、憲法の要請において必要最小限度を集団的自衛権のフルの行使は超えると、このように考えてきたところでございます。
かつて、四十年前には、これは我が国を守るための、言わば存立を全うするため、国民の命を守るための、だけの集団的自衛権が概念として果たして存在をするかといえば、そのようには考えなかったのでございますが、しかし、四十年の時を経て、米軍の軍備力についても半減したわけでございます。人員においても隻数においても航空機の数においても半減する中において、北朝鮮は数百発の弾道ミサイルを保有するに至った、これは四十年前にはなかった状況であります。それに登載する言わば核兵器も開発をしつつあるという中において、そして、そのミサイルを防ぐことのできる弾道ミサイル防衛システムは当時もなかった。しかし、それを導入し、まさに日米で特別な連携を取る中で、そのミサイル防衛を導入し、そして日本人の命を守ることになっているわけでございます。
そこで、その一角が崩される、この一角が崩されることを防ぐという、まさに我が国の存立を全うするための集団的自衛権という概念はあり得るという中において今回解釈を変更したわけでございまして、今までの解釈と基本的な論理においては矛盾するものではないと、このように考えております。
【筆者】
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第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第20号 平成27年9月14日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
平和安全法制と憲法との関係についてお尋ねがありました。
憲法との関係では、昭和四十七年の政府見解で示した憲法第九条の解釈の基本的な論理は全く変わっていません。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。
憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、平和安全法制は、その考え方に沿った、判決の範囲内のものであり、憲法に合致したものであります。
また、平和安全法制は、国会において、二百時間を超える充実した審議の結果、与党のみならず、野党三党の皆さんの賛成も得て成立したものであり、内閣の判断だけで決められたとか立憲主義の破壊との御指摘は当たりません。
平和安全法制は、その内容と手続のいずれにおいても、現行憲法のもと適切に制定されたものであり、廃止することは全く考えていません。
【筆者】
「基本的な論理は全く変わっていません。」との答弁があるが、全く変わっていないのであれば、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」に当てはまらない。それにより、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲となる。「存立危機事態」の要件が「基本的な論理」に当てはまるかのように述べている点が誤りである。
「平和安全法制は、その考え方に沿った、判決の範囲内のものであり、憲法に合致したもの」との答弁があるが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、「武力の行使」の措置であるにもかかわらず、砂川判決の「範囲内のもの」と説明することはできない。また、日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否について何も述べていない砂川判決を根拠として「憲法に合致したもの」と述べることは、砂川判決で述べていない「先制攻撃(先に攻撃)」についても「憲法に合致したもの」と考えることができることになってしまうのであって、法解釈として成り立たない。
「内閣の判断だけで決められたとか立憲主義の破壊との御指摘」について、2014年7月1日閣議決定は解釈手続きに不正があり、違法である。また、「存立危機事態」の要件についても2014年7月1日閣議決定が前提として採用している1972年(昭和47年)政府見解に適合せず、「存立危機事態」での「武力の行使」は違憲である。これにより、違憲な要件を定めて正当化しようとするものであるから、「立憲主義の破壊」との指摘は当たることとなる。
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第190回国会 衆議院 本会議 第8号 平成28年1月27日
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○安倍内閣総理大臣
(略)
しかしながら、今、稲田委員がおっしゃったように、憲法前文が国民の平和的生存権を確認し、そして、十三条で生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきことを定めていることなどを踏まえて考えると、憲法第九条は、我が国が主権国家として持つ固有の自衛権を否定しているものではなく、自衛権の行使を裏づける必要最小限度の実力組織を保持することももとより禁じているものではないと解しているわけでありまして、このような政府の解釈は一貫したものであり、また、政府の憲法解釈に関する基本的論理は、最高裁判決と軌を一にするものであります。また、何よりも、自衛隊は創設以来六十年間以上にわたり国内外における活動を積み重ね、今や自衛隊に対する国民の支持は揺るぎないものがあるわけであります。
(略)
【動画】
【筆者】
「必要最小限度の実力組織」との記載があるが、これは政府解釈の「政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。(憲法と自衛権)」との解釈から用いてきたものであると思われ、「自衛のための必要最小限度の実力」の意味である。この「自衛のための必要最小限度」とは、従来より三要件(旧)を意味する文言であるから、「集団的自衛権」に基づく「武力の行使」や「存立危機事態」での「武力の行使」についてはここに含まれない。
もう一つ、そもそも国際法において「自衛権」という国際法上の『権利』の適用を受ける地位を有していることと、憲法上で『権限』が存在するか否かは別問題であり、9条が国際法上の「自衛権」という『権利』を否定していないことを理由として、日本国の統治権の『権限』による「自衛のための必要最小限度の実力(組織)」を保持できるかは関係がない。そのため、ここで用いられている根拠となっている政府見解の論じ方の当否にも注意を向ける必要がある。
「政府の憲法解釈に関する基本的論理は、最高裁判決と軌を一にするものであります。」との記載があるが、最高裁の砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていない。「自衛のための措置(自衛の措置)」について軌を一にすると考えたとしても、その中に「武力の行使」が含まれると考えている部分は従来より政府の独自の解釈である。そのため、最高裁の砂川判決を持ち出して日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を根拠付けようとすることは不可能であり、誤りである。
2014年7月1日閣議決定では、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分をやや改変して持ち出している部分があり、誤りがある。実際には1972年(昭和47年)政府見解において「右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」として「自衛の措置」についてしか述べていない部分であるにもかかわらず、2014年7月1日閣議決定においては「一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の『武力の行使』は許容される。」として「武力の行使」までもが「基本的な論理」であるかのように論じているのである。「自衛のための措置(自衛の措置)」は砂川判決と軌を一にするとしても、「武力の行使」までもが砂川判決と軌を一にすると考えることは誤りであり、2014年7月1日閣議決定が「『武力の行使』は許容される。」との文言を「基本的な論理」の中に含めていることは不正である。そのため、先ほどの答弁で「実力組織」という「武力の行使」を実施する組織について述べている文脈で「政府の憲法解釈に関する基本的論理は、最高裁判決と軌を一にするものであります。」と述べることは、あたかも「最高裁判決」の砂川判決が「武力の行使」をも許容しているかのような印象を導くものとなっており、誤りである。
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○安倍内閣総理大臣
(略)
また、憲法との関係について言えば、昭和四十七年の政府見解で示した憲法第九条の解釈の基本的な論理は全く変わっていないわけであります。これは砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。
最高裁判所は、砂川判決において、我が国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは、国家固有の権能として当然のことと言わなければならない、こう述べているわけであります。憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、平和安全法制はその考え方に沿った判決の範囲内のものであり、憲法に合致したものであります。
このように、平和安全法制は、その手続と内容のいずれにおいても現行憲法のもと適切に制定されたものであり、立憲主義に反するものではないことは明らかであろうと思います。
(略)
【動画】
【筆者】
「基本的な論理は全く変わっていない」との答弁があるが、そうであれば、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」には当てはまらないため、違憲となる。
「平和安全法制はその考え方に沿った判決の範囲内のものであり、憲法に合致したものであります。」との答弁があるが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないため、「武力の行使」の措置であるにもかかわらず、「判決の範囲内のもの」と説明することは誤りである。また、何も述べていないにもかかわらず、「憲法に合致したもの」と説明することも根拠のない主張であり、誤りである。
「平和安全法制は、その手続と内容のいずれにおいても現行憲法のもと適切に制定されたものであり、立憲主義に反するものではない」との答弁があるが、2014年7月1日閣議決定が「存立危機事態」の要件を許容しようとしたことは手続きに不正があり、「存立危機事態」の要件の内容も解釈の前提となっている1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまらないものであり、内容も違憲である。よって、「その手続きと内容のいずれにおいても」違法・違憲なものであり、「現行憲法のもと適切に制定されたもの」とは言えない。違憲な要件を定めるものであるから、「立憲主義に反するもの」であり、「立憲主義に反するものではない」との主張も誤りである。
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○安倍内閣総理大臣
(略)
同時に、安保法制懇において、ここにおいていろいろな議論がございました。いわば、四十七年見解の基本的な論理をそのまま残すという考え方と、また一方、芦田修正に依拠するべきではないかという議論がございました。我々は、そうではなくて、前文とあくまで十三条に依拠するこの四十七年見解の基本的論理の中において当てはめを変えていくという考え方にしたわけでございます。
これは、法制局もさまざまないわば議論をしていたのではないか、こう思うわけでございますが、それはどういう議論であったかということは私はつまびらかには存じ上げないわけでありますが、官邸においてもさまざまなことを議論していた中において、最終的には、そういう方向でいこうと。いわば、自衛権の行使については十三条とそして前文から引いてくる、そして、それは四十七年見解の基本的論理を受け継いでいくという方針にしたところでございます。
【動画】
【筆者】
「四十七年見解の基本的論理の中において当てはめを変えていくという考え方にした」「四十七年見解の基本的論理を受け継いでいくという方針にした」との答弁があるが、「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらない。そのため、「当てはめを変え」て「存立危機事態」を定めることはできないし、「基本的論を受け継いでいく」のであれば、「存立危機事態」の要件は違憲となる。
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第190回国会 衆議院 予算委員会 第6号 平成28年2月3日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 政府がもうこれは再三答弁をさせていただいていることでございますが、昭和四十七年見解の基本的な論理でありますが、これを分かりやすく説明をさせていただければ、分かりやすく言えば、憲法第九条の下でも、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処する場合には例外的に自衛のための武力の行使が許される、これがまさに基本論理であります。
それは、今申し上げましたように、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処する場合には例外的に自衛のための行使が許されるということでありまして、平和安全法制においては、我が国を取り巻く安全保障環境の変化を踏まえれば、この基本的な論理を維持して、この考え方を前提として、これに当てはまる場合として、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとしてきたこれまでの認識を、ここを改めるわけでありますが──小西さん、よろしいですか。改め、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合もこれに当てはまるとしたものであります。
つまり、これは、例えば四十七年見解当時は、北朝鮮には言わば日本を狙うミサイルもなかったわけでありますし、同時に、そのミサイルを落とすミサイル防衛というものもなかったわけでありまして、つまり、ここで、これ大切なことなんですからちゃんと議論をしなければいけないわけでありますが、ここで、まさに我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福の追求の権利がまさに脅かされようとしているわけでありますが、これを守るために共同してその防衛に当たっている米国の艦船に対する攻撃から米国の艦船を防備するということは、まさにこれは国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るための行為であるわけでありまして、ここに、まさにこの基本的な論理を守りつつ当てはめができるというふうに考えたわけでありまして、まさにこれは論理的な帰結であろうと、このように思う次第でございます。
【動画】安倍晋三 vs小西洋之 集団的自衛権3/28参院・予算委員会 2016/03/28
【筆者】
「例外的に自衛のための武力の行使が許される、これがまさに基本論理であります。」との答弁があるが、誤りである。1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は、「自衛の措置」について述べたものであり、「武力の行使」は含まれていないからである。「基本的な論理」と称する部分に「武力の行使」が含まれているかのように説明しているところが誤りである。これは2014年7月1日閣議決定においても、1972年(昭和47年)政府見解を正確に抜き出しておらず、誤っているため注意が必要である。
「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処する場合には例外的に自衛のための行使が許されるということでありまして、」との答弁があるが、誤りである。論者自身も前段で「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処する場合には」と述べている通り、1972年(昭和47年)政府見解の中には「外国の武力攻撃によつて」の文言が存在するのである。これは「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、これを満たさないにもかかわらず「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」との認識だけで「武力の行使」に踏み切ることができるかのように論じているところが誤りである。また、1972年(昭和47年)政府見解の「急迫、不正の事態」の部分についても、「我が国に対する武力攻撃(侵害)」について我が国が独自にその「急迫性」や「不正性」は判定するものであるが、外国の行った「他国」に対する行為の「急迫性」や「不正性」はその行為を受けるその「他国」が判定するものである。そのため、我が国の憲法解釈の規範として用いられている「急迫、不正の事態」の文言の中に「他国に対する武力攻撃」は含まれない。
「この基本的な論理を維持して、この考え方を前提として、これに当てはまる場合として、」との答弁があるが、「存立危機事態」の要件は「基本的な論理」と称している部分に当てはまらない。そのため、「基本的な論理」を維持しているのであれば、「存立危機事態」の要件は違憲となる。当てはまるかのように説明している部分が誤りである。
「これに当てはまるとしたものであります。」との説明があるが、結論のみ「当てはまる」かのように説明しようとしているが、その過程に論理的整合性が存在しないため、当てはまらない。
「米国の艦船に対する攻撃から米国の艦船を防備するということ」との答弁があるが、これは日本国の統治権の『権限』が、「他国に対する武力攻撃」を「排除」するための「武力の行使」を行うものであるから、『他国防衛』の「武力の行使」である。9条の下では、『他国防衛』のための「武力の行使」は違憲となる。
「国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るための行為であるわけでありまして、」との答弁があるが、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合による「武力の行使」に踏み切ることを制約するための規定であり、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るための行為」であるからといって必ずしも「武力の行使」が許容されるわけではない。1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)によれば「我が国に対する武力攻撃が発生したこと(我が国に対する急迫不正の侵害があること)」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲である。
「まさにこの基本的な論理を守りつつ当てはめができるというふうに考えたわけでありまして、まさにこれは論理的な帰結であろうと、」との答弁があるが、「基本的な論理」に「存立危機事態」の要件は当てはまらない。「論理的な帰結」として当てはまらないため、結論のみを当てはまるかのように説明しようとしている部分が誤りである。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
そして、その御質問につきましては、それはまさに見解が全く違うということでありますが、いずれにせよ、我々は、国民の生命を守るために、大きく安全保障環境が変わる中において、基本的論理を守りつつ、そして当てはめを変えたということでございます。
【筆者】
「基本的論理を守りつつ、そして当てはめを変えた」との答弁があるが、誤りである。
1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を守っているのであれば「自衛の措置」の限界の規範の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、1972年(昭和47年)政府見解の第二段落で「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」ことを説明する中に用いられた文言であることから、「集団的自衛権の行使」を可能とする余地の生まれる「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれていることはなく、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られている。そのため、「自衛の措置」の限界の規範の中に「自衛の措置」の選択肢の一つとして「武力の行使」を当てはめるとしても、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす場合に限られるのであり、これを満たさない「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や「存立危機事態」での「武力の行使」が当てはまる余地はない。
そのため、「基本的論理を守りつつ、」との答弁と、「当てはめを変えた」として「存立危機事態」の要件が「基本的な論理」と称している部分に当てはまるかのような主張は、論理的に成り立たない。
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第190回国会 参議院 予算委員会 第19号 平成28年3月28日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 繰り返しになりますが、基本論理は変わっていないわけでございまして、憲法の九条の制約がございますから必要最小限度の武力行使しかできない、それはもちろん変わっていないわけでございます。
そこでしかし、我が国の存立を守るため、そしてまた国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるときにこの武力行使ができるわけでありますが、我が国の存立を守り、そして我が国の存立を守り、国民の生命や自由及び幸福追求の権利を守るために必要最小限度の武力の行使とは何か、まさにこれが砂川判決で求めているところでございますが、その中で、安全保障環境が変わる中において新しい三要件を付け加えたわけでございます。
これは、もう平和安全法制の議論の中で再々答弁させていただいたとおりでございます。
【筆者】
「基本論理は変わっていないわけでございまして、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分が変わっていないことにより、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす中でしか「武力の行使」をすることはできず、「存立危機事態」による「武力の行使」は違憲となる。
「必要最小限度の武力行使しかできない」との答弁があるが、「必要最小限度」の意味を特定する必要がある。①従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいたものは三要件(旧)をすべて満たす中での「武力の行使」のことであり、これに基づけば第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を満たす中でしか「武力の行使」を行うことができないことから、「存立危機事態」の要件は違憲となる。②三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」の意味であれば「武力の行使」の程度・態様を意味するから、「武力の行使」の発動要件とは関係がない。そうなると、この文脈で「武力の行使」の発動要件を示さずに突然「武力の行使」の程度・態様の話をしていることになり、不自然な内容である。③論者はあたかも9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」であるかのように誤解している可能性があるが、9条は政府の自国都合の「武力の行使」を制約するための規定であり、数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準となる場合、政府の恣意的な「武力の行使」を制約する規範として意味を為さないのであり、法解釈として成り立たない。よって、「必要最小限度」のどの意味を取っても、「存立危機事態」での「武力の行使」が違憲でない旨を示すことにはならない。「それはもちろん変わっていないわけでございます。」との答弁もあるが、変わっていないことに基づけば、①の意味しか文脈の意味が成り立たないため、「存立危機事態」の要件は違憲となる。
「我が国の存立を守るため、そしてまた国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるときにこの武力行使ができるわけでありますが、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)の下では、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」の要件を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲であり、あたかも「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由とすれば「武力の行使」が可能となるかのように説明することは誤りである。
「我が国の存立を守り、そして我が国の存立を守り、国民の生命や自由及び幸福追求の権利を守るために必要最小限度の武力の行使とは何か、まさにこれが砂川判決で求めているところでございますが、」との答弁があるが、誤りである。砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、「武力の行使とは何か」は判断されていない。あたかも砂川判決で「武力の行使」が許容されているかのように説明することは誤りである。また、「必要最小限度」の意味を特定する必要がある。①従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいるものについては三要件(旧)をすべて満たす「武力の行使」のことであり、第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること」を含んでいる。これにより、この第一要件を満たさない「武力の行使」はすべて行使することができず、「存立危機事態」での「武力の行使」についてはこの「自衛のための必要最小限度」には含まれない。②三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様を意味する「必要最小限度」であれば、発動要件は「我が国の存立を守り、国民の生命や自由及び幸福追求の権利を守るため」の部分ということになる。しかし、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機を理由として政府が自国都合による「武力の行使」に踏み切ることを制約する規定であるから、「我が国の存立を守り、国民の生命や自由及び幸福追求の権利を守るため」であることを理由とする「武力の行使」を必ずしも許容していない。その「自衛の措置の限界」を示したものが、1972年(昭和47年)政府見解であり、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」はすべて違憲とするものである。「存立危機事態」の要件はこれを満たさない中で「武力の行使」を行うものであるから、違憲である。③論者は9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」というものであるかのように考えている可能性があるが、9条は政府の恣意性を排除するための規定であり、数量的な意味での「必要最小限度」という基準では9条の趣旨を満たさないため誤りである。この「必要最小限度」の中に「新しい三要件を付け加えたわけでございます。」と説明しているが、いずれの「必要最小限度」の意味においても新三要件の「存立危機事態」の要件は当てはまることはなく、誤りである。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 今までお答えを既に何回もさせていただいているわけでありますが、この合憲性について言えば、合憲性について言えば、平和安全法制の中で、憲法との関係では、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は、全くこれは変わっていないわけであります。
これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものでありまして、この四十七政府見解の中にも、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されないと既にここに書いてあるわけでありまして、そして、その措置は、右の事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると、こう書いていまして、そうだとすればということで、憲法の下で自衛、武力的、武力行使を行うことが許されるのは我が国に対する急迫不正の侵害に対処する場合に限られる、つまり我が国に対する急迫不正の侵害とここに書いてあるわけでありますが、この当てはめを一、二の基本論理の中において、しかし、国際情勢が変わっていく中において、これはこの四十七年見解をここでも申し上げてきたわけでありますが、四十七年見解を出したときには、北朝鮮が言わば核兵器を持つ、あるいは日本に届くミサイルを持つということは考えられなかったわけであります。そして、それに対するミサイル防衛ということができるということも考えられなかったわけであります。そして、そのミサイル防衛を実行する上においても、日米の同盟のきずなによって、あるいはそれは日米の協力によってそれが可能になるということも当時は考えられなかったわけであります。
つまり、その中において、日米で共同して、まさに先ほど申し上げましたように、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守るということになるわけでございます。そして、それを守るためにどうすればいいかということにおいて、これは考えた末において、最後の当てはめの部分において新しい当てはめを行ったということでございます。(発言する者あり)
【筆者】
「この四十七政府見解の中にも、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されないと既にここに書いてあるわけでありまして、そして、その措置は、右の事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると、こう書いていまして、」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解を部分的に抜き出したもので規範を正確に示しておらず、また「必要最小限度」の意味を取り違えているため誤りである。
1972年(昭和47年)政府見解は下記の通りである。
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……わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであつて、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる……
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論者が抜き出したのは下線部分であるが、ここで用いられている「必要最少限度の範囲にとどまるべきもの」とは三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」という「武力の行使」の程度・態様に対応する意味である。これは発動した「武力の行使」の程度・態様を示すものであるから、発動要件となる第一要件、第二要件の部分とは区別される基準である。それにもかかわらず、論者はこの「必要最小限度」の文言だけに注目し、9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」という基準であるかのように考え、その誤解した「必要最小限度」という勝手な基準の中に、これまで政府が裁量判断として「我が国に対する急迫不正の侵害があること」という要件だけを含ませていたが、同じように裁量判断として「存立危機事態」の要件を含ませることができるとする主張を行っているのである。しかし、この見解は誤りである。先ほども述べたようにこの「必要最小限度」の意味は、発動した「武力の行使」の程度・態様に対応する「必要最小限度」の意味であり、発動要件に当たる部分は「あくまで外国の武力攻撃によつて」の部分である。また、9条は政府の自国都合による「武力の行使」を制約する規定であり、数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準となるのであれば、政府の恣意性を排除することができないため法解釈として成り立たない。もし9条の制約が数量的な意味での「必要最小限度」という基準によるものであれば、同様に国際情勢の変化を理由として「先制攻撃」や「侵略戦争」までもが「必要最小限度」として正当化されることとなり、法解釈として妥当でないのである。
「最後の当てはめの部分において新しい当てはめを行ったということでございます。」との答弁があるが、論者は「必要最小限度」を数量的な基準であるかのように誤解しているため、ここに「存立危機事態」が当てはまるはずはない。また、「存立危機事態」の要件は、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)にも同様に当てはまらない。「新しい当てはめを行った」と当てはまるかのように主張しているが、論者は1972年(昭和47年)政府見解の「必要最小限度」の意味を読み誤っているし、論理的に当てはまらないため誤りである。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) これは、今結論においてというふうに、私は当てはめのところにおいてという、私はちょっとそれを取り違えたものでございますから、済みません。
当てはめにおいては、もちろんそれが変わっているわけでありますから、当然、我が国というところから他国ということも入ったわけでありますが、この基本論理の中にはこれは含まれているということでございます。
【筆者】
「この基本論理の中にはこれは含まれているということでございます。」との答弁があるが、「基本的な論理」は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、ここに「他国に対する武力攻撃」は当てはまらないため、当てはまるかのように主張することは誤りである。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 基本論理の中においては、これは言わば一と二と三と分解して考えているんですが、一と二のところにある基本論理のところにおいては、それは他国に対する武力攻撃もこれは入っているわけでありますが、しかし、その最後の当てはめのところにおいては、我が国だけであったものを、それを変えた、密接な関係にある他国ということにしたところでございます。
【筆者】
「一と二のところにある基本論理のところにおいては、それは他国に対する武力攻撃もこれは入っているわけでありますが、」との答弁があるが、誤りである。1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の部分は「我が国に対する武力攻撃」の意味であり、「他国に対する武力攻撃」は入らない。その理由は下記の通りである。
〇 1972年(昭和47年)政府見解は「集団的自衛権と憲法との関係」について説明した文章であり、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであつて許されないとの立場にたつている」との旨を説明する内容として使われた文言であること
〇 「自衛のための措置を無制限に認めているとは解されない」として、無制限としない規範性を見出す内容として使われた文言であること
〇 「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされる」のは、「我が国に対する急迫、不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」を意味しており、「他国に対する武力攻撃」では法規範として求められる直接的な相当因果関係を見い出すことができないこと
〇 「急迫、不正の事態」に該当するものは、「我が国に対する急迫、不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」が発生した場合を意味し、「他国に対する武力攻撃」では「我が国にとっての急迫性」や「我が国にとっての不正性」が認定できないこと(国際法上の急迫性や不正性の要件に該当するかについては、国際法上の基準で確定するべきものであり、憲法解釈としての文面において、敢えて「他国に対する武力攻撃」が「急迫、不正」のものであるかが含まれていると読むことはできない。)
〇 「止むを得ない措置としてはじめて容認されるもの」である必要があるが、「他国に対する武力攻撃」が発生した段階で「やむを得ない措置」と評価するのでは、9条の規範性が損なわれるため解釈として妥当でないこと
〇 「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」との結論に至るまでの過程で使われた文言であること
〇 「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」との結論に至るまでの過程で使われた文言であること
「しかし、その最後の当てはめのところにおいては、我が国だけであったものを、それを変えた、密接な関係にある他国ということにした」との答弁があるが、当てはまらないため誤りである。1972年(昭和47年)政府見解は、まず「自衛の措置」の限界を示し、次に砂川判決には見られない政府独自の見解である「武力の行使」の限界を示す形で段階的に構成された文面であり、「自衛の措置」の限界と「武力の行使」の限界は同じ規範である。「自衛の措置」の限界を示した部分で既に「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が存在し、これは前後の文脈との整合性や同じ時期の政府答弁など他の資料との整合性から見ても「我が国に対する武力攻撃」としか読むことができず、ここに「他国に対する武力攻撃」は含まれない。論者は1972年(昭和47年)政府見解の「必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」の文言が発動した「自衛の措置」の程度・態様を意味するにもかかわらず、この「必要最小限度」の文言だけに注目し、9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」という基準であるかのように考え、この数量的な「必要最小限度」という基準の中に「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」を含ませようと考えている可能性がある。しかし、9条は政府が自国都合によって「武力の行使」に踏み切ることを制約する規定であり、数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準であるとすれば、政府の恣意的な行為を排除する趣旨を満たさないため、法解釈として成り立たない。また、数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準となるのであれば、論者の言う国際情勢の変化などによって「先制攻撃(先に攻撃)」や「侵略戦争」でさえも9条に抵触しないかのような解釈が可能となってしまうのであって、法解釈として成り立たない。9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準となっているかのように考えることは誤りである。
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第192回国会 参議院 予算委員会 第1号 平成28年10月5日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) この昭和四十七年の見解を、我々はこれを三つに分解して理解をしているわけでありますが、第一のこのパラグラフのところにおいては、この憲法九条においては、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているということとは到底解されないということが書いてあります。そして、その次に、その次に、しかし、だからといって、平和主義をその基本原理とする憲法が、右に言う自衛のための措置を無制限に認めるとは解されないのであって、それはあくまで、あくまでです、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態であると、そこに限られるということを述べているわけであって、そして三番目に、集団的自衛権の行使は許されないと、こう来ているわけでありますが。
ですから、基本論理は最初に述べた一、二でございまして、一は、つまり必要な自衛の措置をとれるということが述べてあります。しかし、必要な自衛の措置というのは、これは無制限ではない、その制限されるところは、これはあくまで外国の武力攻撃によって等々と、先ほど述べたとおりでございまして、これを、これから導き出される結論について、それを我が国に対する武力攻撃と我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃というふうに当てはめを行ったところでございます。
【筆者】
論者の言うように、1972年(昭和47年)政府見解には「自衛の措置」の限界の規範の中に「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が記載されている。これは1972年(昭和47年)政府見解が第二段落で「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」ことを示す中に用いられた文言であることから、「集団的自衛権の行使」を可能とする余地のある「他国に対する武力攻撃」の意味は含まれておらず、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られている。
「その制限されるところは、これはあくまで外国の武力攻撃によって等々と、先ほど述べたとおりでございまして、これを、これから導き出される結論について、それを我が国に対する武力攻撃と我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃というふうに当てはめを行った」との答弁があるが、先ほども述べたように、1972年(昭和47年)政府見解の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られていることから、ここに「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」の意味は含まれておらず、当てはめることはできない。
もう一つ、1972年(昭和47年)政府見解は「自衛の措置」の限界の規範の中に「自衛の措置」の選択肢の一つとして「武力の行使」を当てはめた見解である。これは、1972年(昭和47年)政府見解の「自衛の措置」は、この砂川判決の示す「自衛のため措置」と軌を一にするものとして示されており、砂川判決が示した「自衛のための措置」の内容が「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであるところに、政府が独自に日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」を当てはめたものだからである。論者は前提として「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言の中に「我が国に対する武力攻撃」の規範が当てはめられていたが、そこに新しく「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」という規範が当てはめられるのではないかと考えて、「自衛の措置」の限界の規範の中に「存立危機事態」の要件を当てはめようとしているが、1972年(昭和47年)政府見解は「自衛の措置」の限界の規範は既に「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られており、その「自衛の措置」の限界の規範の中に、「自衛の措置」の選択肢の一つとして「武力の行使」を当てはめたものであることから、そもそも誤っている。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○内閣総理大臣(安倍晋三君) それは、これはもう再三ここで議論をしていることではありますが、当時は、当時はまさに、例えば近隣国の北朝鮮が弾道ミサイル、そして弾道ミサイルに載せる核弾頭を保持をしていない時代であります。そして、それに対して、ミサイル防衛によって、日米の協力によってそれを迎撃できるという技術もないわけであります。
つまり、この日米の同盟のきずなによってそれを迎撃し、日本人のまさに生命、自由及び幸福追求の権利を守れる、またそれでなければ守れないという状況が生起しつつある中において、今、この基本論理の中の二つ目の論理の中における外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態において、これは、集団的自衛権の、こういう中においてであれば集団的自衛権の行使は、今言ったようなことを用いなければ対応できないのであれば、それは、当然それは当てはまるというふうに我々は考えたところでございます。
【筆者】
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○内閣総理大臣(安倍晋三君) つまり、砂川判決においては、必要な自衛のための措置とは何かということについては、これはまさに行政府、そして国会にある意味委ねられているわけでございます。
その中において、四十七年見解においては、四十七年見解においてはですね、今申し上げた論理に従って、当てはめにおいて集団的自衛権の行使は行われないと、こういうふうに述べているわけでありますが、この二番目の基本論理のところで、基本論理のところにおいて、言わば外国のまさに我が国に対する攻撃ということを限定しているわけではないわけでありまして、あくまで、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対してどのように対していくかということについて、当てはめにおいて集団的自衛権の行使は行われないということが言われているわけでございまして、政治論ということではなくて、まさにどのように解釈をしていくか。まさにこれは、国民の生命、そして自由及び幸福追求の権利が根底から覆される事態とはどのような事態かということについて我々は常に考えていかなければならないと、こういうことではないかと、このように思います。
【筆者】
「基本論理のところで、基本論理のところにおいて、言わば外国のまさに我が国に対する攻撃ということを限定しているわけではないわけでありまして」との答弁があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、「我が国に対する武力攻撃」に限定されているものである。その理由は下記の通りである。
〇 1972年(昭和47年)政府見解は「集団的自衛権と憲法との関係」について説明した文章であり、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであつて許されないとの立場にたつている」との旨を説明する内容として使われた文言であること
〇 「自衛のための措置を無制限に認めているとは解されない」として、無制限としない規範性を見出す内容として使われた文言であること
〇 「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされる」のは、「我が国に対する急迫、不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」を意味しており、「他国に対する武力攻撃」では法規範として求められる直接的な相当因果関係を見い出すことができないこと
〇 「急迫、不正の事態」に該当するものは、「我が国に対する急迫、不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」が発生した場合を意味し、「他国に対する武力攻撃」では「我が国にとっての急迫性」や「我が国にとっての不正性」が認定できないこと(国際法上の急迫性や不正性の要件に該当するかについては、国際法上の基準で確定するべきものであり、憲法解釈としての文面において、敢えて「他国に対する武力攻撃」が「急迫、不正」のものであるかが含まれていると読むことはできない。)
〇 「止むを得ない措置としてはじめて容認されるもの」である必要があるが、「他国に対する武力攻撃」が発生した段階で「やむを得ない措置」と評価するのでは、9条の規範性が損なわれるため解釈として妥当でないこと
〇 「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」との結論に至るまでの過程で使われた文言であること
〇 「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」との結論に至るまでの過程で使われた文言であること
「当てはめにおいて集団的自衛権の行使は行われないということが言われている」との答弁があるが、「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」との結論に至るのは、「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」との「武力の行使」に関する規範に付随して生まれる結論である。これは、「自衛の措置」の部分で言えば「あくまで外国の武力攻撃によつて」や「急迫、不正の事態」の部分である。
「国民の生命、そして自由及び幸福追求の権利が根底から覆される事態とはどのような事態かということについて我々は常に考えていかなければならない」との答弁があるが、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危険を理由として政府が自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを制約する規定であり、1972年(昭和47年)政府見解はその9条の趣旨を損なわせない形で解釈された「自衛の措置の限界」を示した規範である。たとえ「国民の生命、そして自由及び幸福追求の権利が根底から覆される事態」であると政府が考えたとしても、それだけで「武力の行使」の発動が許容されるとするのであれば、結局自国都合によって「自衛の措置(武力の行使)」に踏み切ることを制約する趣旨を満たさないことから、9条に抵触することとなる。政府が「国民の生命、そして自由及び幸福追求の権利が根底から覆される事態」であると考えたならば9条に抵触しないかのような前提で考えている部分が誤りである。
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第192回国会 参議院 予算委員会 第3号 平成28年10月11日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 小西洋之議員にお答えをいたします。
昭和四十七年見解に関するお尋ねがありました。
政府が繰り返し御説明している昭和四十七年見解の基本的な論理を分かりやすく申し上げれば、憲法第九条の下でも、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処する場合には、例外的に自衛のための武力の行使が許されるというものであります。
平和安全法制においても、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は全く変わっていません。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方とも軌を一にするものであります。憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、平和安全法制はその考え方に沿った判決の範囲内のものであり、憲法に合致したものです。
また、平和安全法制は、国権の最高機関である国会において、二百時間を超える充実した審議の結果、野党三党の賛成も得て成立したものであり、現行憲法の下、適切に決定されたものであります。
(略)
【筆者】
「平和安全法制においても、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は全く変わっていません。」との答弁があるが、「基本的論理」と称する部分が変わっていないことにより、「存立危機事態」の要件はその「基本的論理」と称する部分によって違憲となる。
「平和安全法制はその考え方に沿った判決の範囲内のものであり、憲法に合致したものです。」との答弁があるが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、何も述べていない部分を勝手に「判決の範囲内のもの」と述べることは法解釈として成り立たない。もし何も述べていないことを「判決の範囲内のもの」と主張できるのであれば、砂川判決で何も述べていない「先制攻撃(先に攻撃)」についても「判決の範囲内のもの」と主張することが可能となってしまうのである。よって、砂川判決を根拠にして「憲法に合致したものです。」との結論を導き出すこともできない。
「現行憲法の下、適切に決定されたもの」との答弁があるが、2014年7月1日閣議決定は解釈手続きに不正があり、「存立危機事態」の要件も1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に適合せず違憲であり、その不正な解釈に従って「存立危機事態」の要件が立法された経緯から、「現行憲法の下、適切に決定されたもの」とは言えない。
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第193回国会 参議院 本会議 第12号 平成29年3月31日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)
(略)
憲法との関係では、昭和四十七年の政府見解でお示しした憲法解釈の基本的論理は全く変わっていません。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、平和安全法制はその考え方に沿った判決の範囲内のものであり、憲法に合致したものです。
平和安全法制は、その手続と内容のいずれにおいても、憲法の下、適切に制定されたものであり、見直すことは考えていません。
(略)
【筆者】
「昭和四十七年の政府見解でお示しした憲法解釈の基本的論理は全く変わっていません。」との答弁があるが、この「基本的論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、「存立危機事態」の要件は違憲となる。
「平和安全法制はその考え方に沿った判決の範囲内のもの」との答弁があるが、砂川事件に関する最高裁判決」は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、「武力の行使」を行う措置であるにもかかわらず、「判決の範囲内のもの」と説明することは誤りである。もし何も述べていないことを理由に「判決の範囲内のものであり、憲法に合致したもの」と正当化できるのであれば、砂川判決で述べられていない「先制攻撃(先に攻撃)」が憲法に合致したものと正当化できてしまうのであって、法解釈として成り立たないのである。
「存立危機事態」の要件を許容しようとした2014年7月1日閣議決定は論理的整合性が保たれておらず、「手続」において違法である。また、「内容」に関しても、「存立危機事態」の要件は1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称している部分も同様)に適合しないため、違憲である。よって、憲法に違反する要件が含まれているのであるから、「憲法の下、適切に制定されたもの」とは言えない。
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第196回国会 参議院 本会議 第2号 平成30年1月25日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君)(続)
(略)
憲法九条とその改正についてお尋ねがありました。
我が国は、戦後、再び戦争の惨禍を繰り返すことのないように決意し、不戦の誓いを立てました。恒久の平和は日本国民の念願です。平和主義は憲法の基本原則であり、憲法第九条は平和主義の理念を具体化した規定であると考えています。
平和安全法制においては、集団的自衛権の限定的な行使を容認することとしましたが、憲法との関係では、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は全く変わっていません。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであり、憲法に合致したものです。
(略)
【筆者】
「集団的自衛権の限定的な行使を容認することとしましたが、憲法との関係では、昭和四十七年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は全く変わっていません。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであり、憲法に合致したものです。」との記載があるが、誤りである。まず、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、「集団的自衛権」の行使としての「武力の行使」を正当化する根拠にはならない。また、砂川判決と「昭和四十七年の政府見解」が軌を一にする部分とは「自衛のための措置」の部分であり、「昭和四十七年の政府見解」において政府が独自に解釈している「武力の行使」の部分は含まれていない。砂川判決が「武力の行使」までも許容しており、「武力の行使」についても「軌を一にする」かのような主張となっている部分は二重の誤りがある。さらに、「昭和四十七年の政府見解」の「基本的な論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は当てはまることはなく、「集団的自衛権の限定的な行使」は違憲である。よって、「憲法に合致したものです。」との主張も誤りである。もう一つ、国際法上の「集団的自衛権」に該当すれば「集団的自衛権」でしかなく、「限定的な」などという区分は国際法上存在しない。
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第196回国会 参議院 本会議 第3号 平成30年1月26日
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○安倍内閣総理大臣
(略)
日本政府の、この自衛隊の合憲性については、芦田修正論ではなくて、先ほど申し上げましたように、前文と十三条による平和的生存権と幸福追求の権利という観点から、これは必要最小限の実力組織としての自衛隊を持つことができるという判断をしているところでございますので、これまでの政府の解釈の一貫性の中において芦田修正はとらなかったということでございます。
そして、もう一つの考え方は、我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときに限定的に集団的自衛権を行使することは許されるとの考え方があったわけでございまして、政府としては、後者の考え方について、従来の憲法解釈との論理的整合性と法的安定性に十分留意をし、これはさんざん平和安全法制で議論したことでございますが、昭和四十七年の政府見解における憲法解釈の基本的な論理の枠内で当てはめを行い、結論として導いたものであります。これにより、あらゆる事態に切れ目のない対応が可能になり、国民の命と平和な暮らしを守ることができるようになった、このように考えております。
平和安全法制では、あくまで自国防衛のための限定的な集団的自衛権の行使が認められるのであって、国際社会の平和と安定のためにフルスペックの集団的自衛権の行使を行えるようにするものではありません。政府としては、現行憲法のもとでは、世界各国と同様の集団的自衛権の行使一般を認めるなど、今回の解釈を超えて自衛権を広げるような解釈を採用することは困難であると考えている、このことは申し上げてきたところでございます。
(略)
【動画】
【筆者】
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第196回国会 衆議院 予算委員会 第3号 平成30年1月30日
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○安倍内閣総理大臣 そもそも、任務等については自衛隊法等に既に規定があるわけでありますが、その根幹であります自衛権については、さきの砂川判決から引いてきて、この四十七年の見解と軌を一にするものが出てきているわけでございます。
そして、この解釈については、平和安全法制の際の前年に憲法解釈を我々は変更した、これは当てはめでありますが、基本的論理は維持しつつ当てはめを変えた、こういうことでございますが、その中で、二項を残すことによって二項による制限が残る中においては、いわば権限は変わらないだろうということを申し上げたところでございます。
【動画】
【筆者】
砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べておらず、「自衛隊法」の「任務」としての「その根幹であります自衛権については」などと、国際法上の「自衛権の行使」としての「武力の行使」を「砂川判決から引いて」来ることができるかのように述べることは誤りである。
また、砂川判決と政府見解が軌を一にする部分とは、「自衛のための措置」について述べた部分であり、「武力の行使」の部分とは異なる。「武力の行使」は政府の独自の見解である。
「これは当てはめでありますが、基本的論理は維持しつつ当てはめを変えた」との記載があるが、「基本的論理」と称している部分に「存立危機事態」の要件は論理的に当てはまらない。そのため、当てはまるかのように論じている部分は誤りである。
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第196回国会 衆議院 予算委員会 第5号 平成30年2月5日
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○安倍内閣総理大臣 まず、平和安全法制についても、もちろん私はというか、政府としては当然合憲である、四十七年の見解にのっとって、基本論理にのっとって解釈を変えた、こういうことでございます。
(略)
【動画】
【筆者】
「四十七年の見解にのっとって、基本論理にのっとって解釈を変えた」との記載があるが、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言があり、これは「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は当てはまらない。そのため、「四十七年の見解にのっとって、基本論理にのっとって」いるのであれば、「存立危機事態」の要件は違憲となる。「当然合憲である」との主張は誤りである。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
○安倍内閣総理大臣 まず、平和安全法制の際のいわば解釈、四十七年見解の解釈の変更、基本論理は同じなんですが、その当てはめの問題であります。
当てはめの問題についての議論があることと、いわば基本論理そのものについて違憲であると言っているわけですよ。いわば、自衛隊が違憲というのは、そもそも自衛隊を持たないという考え方、合憲性。ですから、四十七年見解そのものの根本原理自体を否定していると言ってもいいんだろうと思います。
つまり、自衛隊法そのものも、これは違憲立法であるという立場に立っているわけでありますから、それは憲法違反ということですからね。我々は、自衛権の中の集団的自衛権というもの、それの一部容認について当てはめを変えたわけでございます。それと根本とを混同されることこそ、それは議論としてはいささか強引ではないか、こう思うところでございます。
(略)
【動画】
【筆者】
「四十七年見解の解釈の変更、基本論理は同じなんですが、その当てはめの問題であります」との答弁している部分について、「存立危機事態」の要件は「基本論理」の中に当てはまらない。
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第196回国会 衆議院 予算委員会 第6号 平成30年2月6日
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○安倍内閣総理大臣
(略)
そこで、いわば我々は、申し上げているのは、既に政府の立場は、これはもう四十七年見解で明らかになったように、既に合憲であるという立場は揺るぎないわけでございます。
つまり、自衛権があり、そして自衛権が行使できる、しかし、その中の自衛権においては、四十七年見解においては集団的自衛権は行使できないというものであったものを、我々は当てはめる形において、基本的論理を変えずに、国際情勢の変化に合わせて、平和安全法制を制定する前年に憲法の解釈を変えて、この当てはめを変えたという経緯があるわけでありますが、この立場には変わりがないわけでありますし、新憲法草案がどういうものになるかは、これはまだ完全に条文ができてみなければわからないわけでありますが、その上において、行われた国民投票において今までの政府の見解が変わるわけでは基本的にはない、こう考えております。
【動画】
【筆者】
「四十七年見解においては集団的自衛権は行使できないというものであったものを、我々は当てはめる形において」との記載があるが、「四十七年見解」が「集団的自衛権は行使できない」との結論を導いていたのは、「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」からである。
「基本的論理を変えずに、」との記載があるが、「基本的論理」と称している部分が変わらないのであれば、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は「我が国に対する武力攻撃」を意味しており、ここに「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」は含まれない。よって、「存立危機事態」の要件は「基本的論理」に当てはまらず、9条に抵触して違憲となる。
「憲法の解釈を変えて、この当てはめを変えた」との答弁もあるが、当てはまらないものを当てはまるかのように主張している部分が誤りである。
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第196回国会 衆議院 予算委員会 第11号 平成30年2月14日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 私も平和安全法制の論議においては千問近くの御質問をいただきお答えをさせていただいたところであり、今の論点についても何回もお話をさせていただいておりますが、改めてお答えをさせていただきたいと思います。
四十七年見解において政府が示した基本的論理とは何かということであります。憲法が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されないということ、これが基本的論理であります。
この基本的論理は政府だけが述べているものではなく、これはもう御承知のように、最高裁砂川判決にこのようにあります。我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能として当然のことと言わなければならないと述べています。このように、四十七年見解における基本的論理とは、最高裁判決で示された見解と全く同じ考えに立っているということを申し上げておきたいと、このように思います。
その上で、昭和四十七年当時の安全保障環境に照らせば、基本的な論理に当てはまる場合というのは我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるというのが当時の事実認識であったわけであります。ここは共有できるんだろうと思います。
ところが、現在は当時と状況が違う。例えば、北朝鮮が弾道ミサイルを保有しており、核兵器の開発も行っているということ、他方、弾道ミサイルに対抗するミサイル防衛という手段も当時は、当時はなかったわけであります。北朝鮮が今は保有していますが、当時は保有していない、弾道ミサイルも保有していない。同時に、当然それに対抗し得るこちら側のミサイル防衛もない。また、同盟国である米軍の兵力数は現在に比べはるかに強大であったわけでございます。
この大きな変化の中において、我々はこの昭和四十年当時からは想像も付かないほど変化をしており、当然その中においては当てはめが変わってくるということであります。ここは大切な論点であり、私はこの論点はもう何回も何回も、この平和安全法制の議論については御紹介をさせていただいたところであります。
脅威がどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になって今はいるわけであります。それも当時とは違うわけでありまして、もはやどの国も一国のみでは自国の安全を守れないという時代になっているということの中において、半世紀にわたる安全保障環境の大きな変化を踏まえ、基本的論理に基づく必要な自衛の措置とは何かを考え抜いた結果、新三要件の下、我が国の存立を全うし、国民を守るための限定的な集団的自衛権の行使が許容されると判断するに至ったものであります。
つまり、基本的論理は変えずに、この大きな変化、安全保障的な環境が変わった中において当てはめを行ったと、新たに当てはめを行ったというのが政府がこの平和安全法制において述べてきた論理でございます。
【動画】参院予算委員会締めくくり質疑 民進党・新緑風会 小西洋之議員 2018年3月28日
【筆者】
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) ちゃんと通告しておられますので、その通告していただいた上にお答えをさせていただいております。
つまり、基本的論理については砂川判決と軌を一にするものであるということは御理解をいただいたんだろうと思います。言わば、必要な、必要な自衛のための措置とは何かということは、まさに私たちがそれを突き詰めていく、国民の命を守るためにその責任を持っているわけであります。
その中において、吉國長官の時代とは大きく安全保障環境が変わっているわけであります。この時代の変化、技術の変化の中で、私たちは国民を守る、つまり、必要な自衛のための措置をとっていくことは国家固有の権能として当然のことと言わなければならないと、こう書いてあるわけでありますから、その中において当てはめを変えた。当てはめを変えていくことが私たちの責任であると考え、法案を提出をし、国会において御承認をいただき法制ができたということではないかと思います。
【動画】参院予算委員会締めくくり質疑 民進党・新緑風会 小西洋之議員 2018年3月28日
【筆者】
砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていない。そのため、砂川判決が「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と「自衛のための措置」を述べている部分を根拠に、直ちに「武力の行使」が導かれるわけではない。よって、「その中において当てはめを変えた。」と称するだけで、「存立危機事態」での「武力の行使」が許容されるかのように論じることは法解釈として成り立たない。この主張では、「自衛のための措置」として「侵略戦争」や「先制攻撃」が含まれていたとしても同様に「当てはめを変えた」と主張するだけで許容されることとなってしまうのであり、論理的に成り立たないのである。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 言わば吉國氏は、四十七年の安全保障環境と現在を比べることは当然できないわけであります。それをできるのは私たちです。できるのは私たちであって、当時は、まさにこれは、北朝鮮は弾道ミサイルも保有していない、核の能力も今とは全然違うわけであります。かつ、それを落とす能力、ミサイル防衛能力を、言わば、も当時はない、今はある。そして、ミサイル防衛能力を発揮する上においては、日米の連携がそもそも必要であります。ミサイルディフェンスというのはそういうものであります。米国からの、米国から、言わば、の早期警戒衛星がしっかりと発見しという中においてミサイル防衛を行っていくわけでございますが、その中で米国のイージス艦とともにそれは行う可能性というのも十分にあるわけであります。
そうしたことは四十七年当時は起こり得ないのであります。しかし、その中で、我が国を守るため、これ新三要件が掛かっておりますから、我が国を守るために展開をしている、言わば米国のイージス艦が公海上で攻撃を受けるということは、我が国を守るために展開している防衛、このイージス艦の能力をミサイル防衛上必要としている中において、必要としている可能性もある中において、言わばここでしっかりとこのイージス艦を守るということを、ことにおいて限定的に三要件の中で集団的自衛権を行使するということは、最初に申し上げました基本的論理の中に当てはまると考えたところでございます。
【筆者】
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第196回国会 参議院 予算委員会 第15号 平成30年3月28日
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) ですから、私は、自衛隊の最高指揮官として、内閣の長として、閣法として提出をする以上、これは相当重い決意で臨んでいる。そこで私はあらゆる責任を取る覚悟で出しているということを総理大臣として申し上げているわけですよ。その中で、どういうものが入っているか、包含されているかということは、大体これは、皆様、想像が付くんだろうと、このように思います。私は、一々申し上げませんが、全ての責任を取る覚悟で、全ての責任を取る覚悟で私は出しているということを申し上げているわけであります。
と同時にですね、同時に、違憲かどうかということについては、もうこれ小西さんと数え切れないぐらい議論をしておりますが、基本的、四十七年見解の基本的な論理は変えていないわけでありまして、基本的な論理と、基本的な論理と……(発言する者あり)ここ大切なところなんですから、違憲だと言っているわけですから。基本的な論理というのは、まさに砂川判決で示されている、我が国の自由と我が国の存立を守るために必要な、自衛のための必要な措置をとり得ることは国家固有の権能として当然のことと言わざるを得ない。必要な自衛のための措置とは何かということは、私たちは考えるこれ責任があるわけでありまして、四十七年当時と現在とでは安全保障環境が変わってきている中において当てはめを行ったということにおいて、まさに参議院においても衆議院においても多数を得てこの法律は成立をしているわけでございます。
当然、一票を賛成票として投じた人は憲法違反ではないという確信の下に投票をしているということであります。いまだに小西さんはそれを違憲と言うことはその重みを余りにも軽んじているのではないかと、そんな感じがしているところは御紹介させていただきたいと思います。
【動画】
【筆者】
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第196回国会 参議院 決算委員会 第1号 平成30年4月9日
<理解の補強>
<社説>安保転換を問う 政府の反論書 やはり「違憲法案」だ 2015年6月11日
お読みいただきありがとうございました。「基本的な論理2」へどうぞ。
下記は、「基本的な論理」との文言は含まれていないが、解説を記した。
〇 砂川判決の示した「自衛のための措置」を基にして「平和安全法制」や「自衛隊」を「合憲です。」と説明できるか否かについて
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○安倍内閣総理大臣 そのお答えは、先ほどの官房長官への御質問に対する答えと重なるところがあるんですが、平和安全法制にしても、また憲法にしても、九条の自衛隊との関係においても、政府としての公式見解はどちらとも合憲です。憲法学者でいろいろな評論をされている方がいても、それは合憲です。自衛隊が合憲と言い切る憲法学者は二割しかいませんが、政府の見解、これは砂川判決をもとにしていますが、これは合憲です。合憲です。これは変わらない。
(略)
しかし、例えばそれが国民投票によって、明記について、いや、明記する必要はないということでこれは否決されたとしても、政府の見解として、国家固有の権能として、必要な自衛のための措置をとり得ることは国家固有の権能として当然のことと言わざるを得ない、この国家固有の権能の中において自衛隊が設置をされているという考え方について、これは変わらないということでありまして、合憲であるということには変わらないということでございます。
【動画】
【筆者】
「平和安全法制にしても、また憲法にしても、九条の自衛隊との関係においても、政府としての公式見解はどちらとも合憲です。」との答弁があるが、その「政府としての公式見解」には論理的整合性がないため「合憲」と結論付けることはできないものであり、誤りである。
まず、「平和安全法制」であるが、ここには「存立危機事態」での「武力の行使」が加えられている。政府はこれについて1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分に当てはまることを前提として9条に抵触しないと説明を試みている。しかし、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言があり、これは「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」ことを説明する中で用いられた言葉であることから、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られている。そのため、この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言の中に「他国に対する武力攻撃」の意味は含まれておらず、この「基本的な論理」と称している部分の枠組みの中に「存立危機事態」の要件の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」を当てはめることはできない。よって、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称している部分も同様)の枠の中に「存立危機事態」の要件を当てはめることはできず、「存立危機事態」での「武力の行使」は9条に抵触して違憲となる。
「九条の自衛隊との関係」についてであるが、従来より政府は自衛隊について「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)を実施するための実力組織であることを理由として9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」には抵触しないと説明していた。また、この「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)を実施するための範囲を超えるものについては9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲であると説明していた。しかし、2014年7月1日閣議決定以降、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」が定められたが、これを実施する実力組織については「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の枠組みを超える「武力の行使」を行うことになることから、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。また、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、「他国に対する武力攻撃(第一要件)」を「排除(第二要件)」するための「武力の行使」であり、『他国防衛』の意図・目的を有する。『他国防衛』の意図・目的を有する「武力の行使」を実施する実力組織を「陸海空軍その他の戦力」とは異なるものと説明することはできず、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。
自衛隊について「政府の見解、これは砂川判決をもとにしていますが、これは合憲です。」との答弁があるが、砂川判決は「米軍の駐留」について争われたものであるが、砂川判決は「米軍の駐留」が合憲であるか否かさえ法的判断を行っておらず、この「砂川判決をもとに」して日本国の統治権の『権限』によって「自衛隊」という実力組織を保持することを「合憲です。」と説明することはできない。また、砂川判決には「二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、」との文言があるため日本国の統治権の『権限』が「自衛のための戦力」を保持することの可否について判断が行われていないことは当然、政府の解釈である「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)を実施するための実力組織(自衛力)を保持することの可否についても判断は行われていない。さらに、砂川判決が「自衛のための措置」として挙げているのは、「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであり、日本国の統治権の『権限』が「武力の行使」を行うことができるかについても判断は行われていない。そのため、論者が「政府の見解、これは砂川判決をもとにしていますが、これは合憲です。」と答弁している部分について、あたかも「自衛隊」の保持やその「自衛隊」によって「武力の行使」を行うことについて「砂川判決をもと」にして「合憲」という結論を導き出すことができるかのように説明していることは誤りである。
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○政府委員(高辻正巳君) 砂川判決は中曽根長官からもお話がありましたように、わが国に自衛権があることを肯定し、そして自衛のための措置をとることもまたこれも肯定しております。ただ、憲法九条二項の戦力、先ほど御指摘になりましたように、わが国が管理権、指揮権を持つところの戦力になるかどうか、それは必ずしも結論を出しておりません。したがって、自衛隊自身が争点であったわけでもございませんので、砂川判決は自衛隊の合憲を肯定しているというのは言い過ぎかと思います。ただ、その前提にあるこの自衛権を肯定し、自衛のための措置を肯定しといっているところは、あるところまで政府の見解とひとしくなっておる、まあそういうことから言いまして、ここに新しい何かの判断を求めたいという気持ちが生ずるのも、これはまあ人の気持ちとしてあんまりおかしいとも思えない。それがあるからけしからんというふうにおっしゃることもないんではないかと、まあ率直に私はそう思います。
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第65回国会 参議院 予算委員会 第11号 昭和46年3月9日
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○政府委員(高辻正巳君) 先ほど申し上げたことと変わりませんが、砂川判決は、御承知のとおりに、自衛隊の合憲、違憲そのものを中心にした事件ではございませんでした。安保条約、ひいては安保条約に基づく駐留米軍の存在を違憲とするのが争点であったはずであります。で、そこの争点がそういうことでありますから、自衛隊が合憲であるとか、違憲であるとかいうような点には、あの判決は触れておらないわけです。これは前にもそういうことを申し上げたと思います。その点は変わっていない。これは事実でありますから、全く変わりようがありません。
しかし、重ねることになりますが、その中における憲法九条の解釈の規定——まあ人によって規定と見るかどうかはわかりませんけれども、私どもはやはり憲法九条の解釈の一つの礎石といいますか、そういうものについて触れた点があることは御承知であろうと思います。で、ただいまも中曽根長官が言われましたように、われわれは国会が制定をしました自衛隊法に基づく自衛隊の存在というものをむろん合憲であり、合法であるということはいささかも疑いを持たない。それはいままでの政府の見解しばしば出ておりますが、しかし、それはそうなんでありますが、砂川判決が自衛隊の合憲をあそこできめたかといわれれば、それはそうではないというのが、これは当然であります。ただ、繰り返して申しますが、憲法九条についての解釈の一つの基準を示したということだけは明らかなことでございます。
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第65回国会 参議院 予算委員会 第11号 昭和46年3月9日
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○高辻政府委員 砂川判決は、現にそれをごらんになって御指摘のとおりでありまして、私も大体は覚えておりますからおっしゃるとおりだと思います。ただし大事なことは、砂川判決においては、自衛隊そのものの合憲、違憲論というものが表になっておりませんので、たな上げにできたわけであります。あのときはむしろ駐留米軍についての憲法上の問題が中心になっております。したがってたな上げにされていることは、自衛隊の存在というものが憲法違反であるともまた憲法に適合しているとも触れていないわけでありまして、自衛隊が憲法違反だといっているわけでないことは申し上げるまでもないと思いますが……。
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第65回国会 衆議院 内閣委員会 第20号 昭和46年5月7日
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○政府委員(吉國一郎君) ……(略)……したがって、今後最高裁の判決によって自衛隊の——いままでは最高裁の判決によって自衛隊は合憲であるとも、また違憲であるとも示されておりません。しかし、今後最高裁が自衛隊が合憲であるかいなかということについて、これについてアクト・ド・グーベルヌマンの議論を用いるかどうかということも、これまた予断を許さない、あるいは判定を下すこともあり得るし、あるいは下さないかもしれない、ということであろうかと思います。
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第70回国会 参議院 予算委員会 第3号 昭和47年11月10日
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○政府委員(角田禮次郎君)
(略)
なお、先ほど最高裁の判決を引用してのお話がございました。確かに、砂川事件についての最高裁判決は、事件そのものが日米安保条約の合憲、違憲の問題でございましたから、直接自衛隊の合憲、違憲については触れていないことはそのとおりでございます。ただ、その判決の中にも、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないというようなことも言っておりますし、そういう意味から、私どもの政府の解釈というものがその砂川判決によって否定されたとは私どもは思いません。ただ、繰り返して申し上げますが、自衛隊の合憲、違憲については、現在のところ、それを明確にした最高裁判決はございません。したがいまして、司法的には完全に解決は、結論は与えられていないということは御指摘のとおりだと思います。
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第98回国会 参議院 予算委員会 第8号 昭和58年3月17日
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○政府特別補佐人(津野修君)
(略)それで、その上で、その自衛隊そのものの憲法適合性を直接的に判断した最高裁判決がないことは御指摘のとおりであるけれども、その意味でその総理の御発言は必ずしも正確ではなかったと存じますが、……(略)……
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第153回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成13年10月26日
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○政府特別補佐人(津野修君)
(略)
それで、御指摘のように、自衛隊そのものの憲法適合性を直接的に判断した最高裁判決はないということでございます。
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第153回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成13年10月26日
「政府の見解として、国家固有の権能として、必要な自衛のための措置をとり得ることは国家固有の権能として当然のことと言わざるを得ない、この国家固有の権能の中において自衛隊が設置をされているという考え方について、これは変わらないということでありまして、合憲であるということには変わらないということでございます。」との答弁があるが、誤りがある。
まず、「国家固有の権能」について述べているのは砂川判決が「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」と述べている部分から抜き出したものであると思われるが、論者は「政府の見解として、」と説明を始めているため意味を誤解しないように注意する必要がある。
次に、「この国家固有の権能の中において自衛隊が設置をされているという考え方」についてであるが、これは砂川判決が示した「国家固有の権能の行使」としての「自衛のための措置」に挙げたものは「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであるが、政府がこの砂川判決が示した「自衛のための措置」の中に日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」が含まれると独自に解釈していることについてである。しかし、政府は1972年(昭和47年)政府見解においても「平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、」と説明しており、「自衛のための措置」についても無制限ではないとしている。そのため、日本国憲法の下では「自衛のための措置(自衛の措置)」の限界を超える場合には、それを実施する実力組織についても違憲となることが前提となっている。1972年(昭和47年)政府見解では、「自衛の措置の限界」として「あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」との規範を示しており、これを逸脱するものについてはたとえ「自衛のための措置」を称しても違憲となる。
この「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は1972年(昭和47年)政府見解が「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」ことを説明する中で用いられた文言であることから、ここに「集団的自衛権の行使」が可能となる余地のある「他国に対する武力攻撃」の意味が含まれることはなく、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られている。そのため、1972年(昭和47年)政府見解では、「自衛のための措置」の選択肢として「武力の行使」を選択する場合においても、「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」旨を示している。この「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」という規範は、三要件(旧)の第一要件の「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」と同じである。
従来より政府はこの規範を含む三要件(旧)の基準を「自衛のための必要最小限度」と呼び、これを実施するための実力組織については9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」とは異なるものと説明していた。「自衛隊」についても「自衛のための必要最小限度」の範囲に留まっているのであれば9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触せず、合憲であると解釈していた。
しかし、2014年7月1日閣議決定によって新三要件が定められたが、この「存立危機事態」での「武力の行使」を実質するための実力組織については、「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)を実施するための範囲を超えていることから、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲である。また、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」については、「他国に対する武力攻撃(第一要件)」を「排除(第二要件)」するための「武力の行使」であり、『他国防衛』の意図・目的を有する。『他国防衛』の意図・目的を有する「武力の行使」を実施するための実力組織を「陸海空軍その他の戦力」と異なるものと説明することはできず、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。論者は「合憲であるということには変わらない」と答弁しているが、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」を実施する実力組織については、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲である。
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第201回国会 衆議院 予算委員会 第11号 令和2年2月12日