砂川事件最高裁判決(昭和34年12月16日)の中に「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を正当化する論拠があるかを確認する。
ポイントは、国際法上の『権利(right)』と、憲法上の『権力・権限・権能(power)』の違いを確認しながら読み解くことである。
◇ 自衛権 ⇒ 国際法上の『権利(right)』
◇ 自衛のための措置 ⇒ 日本国の統治権の『権力・権限・権能(power)』による措置
【砂川事件最高裁判決】(抜粋)
日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反 最高裁判所大法廷 昭和34年12月16日 (PDF〔https〕)(PDF〔http〕)
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一、先ず憲法九条二項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
二、次に、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。
しかるに、右安全保障条約は、日本国との平和条約(昭和二七年四月二八日条約五号)と同日に締結せられた、これと密接不可分の関係にある条約である。すなわち、平和条約六条(a)項但書には「この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。」とあつて、日本国の領域における外国軍隊の駐留を認めており、本件安全保障条約は、右規定によつて認められた外国軍隊であるアメリカ合衆国軍隊の駐留に関して、日米間に締結せられた条約であり、平和条約の右条項は、当時の国際連合加盟国六〇箇国中四〇数箇国の多数国家がこれに賛成調印している。そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当つては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。
ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである。
三、よつて、進んで本件アメリカ合衆国軍隊の駐留に関する安全保障条約およびその三条に基く行政協定の規定の示すところをみると、右駐留軍隊は外国軍隊であつて、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となつてあだかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。またこの軍隊は、前述のような同条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり、同条約一条の示すように極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに一または二以上の外部の国による教唆または干渉によつて引き起されたわが国における大規模の内乱および騒じようを鎮圧するため、わが国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することとなつており、その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるのである。
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〇 「~~権」という言葉は、『権利(right)』を意味する場合と『権限(power)』を意味する場合があるため注意が必要である。
文中の「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく」の部分を検討する。
まず、わが国が「主権国」であるか否かは国家承認を受けて国際法上の法主体として認められているか否かの問題である。国際法上の法主体として認められているのであれば、国際法上の『権利(right)』の適用を受ける地位を有することとなる。
次に、「自衛権」とは、国際法上の『権利(right)』の概念である。我が国が「主権国」として認められているのであれば、国際法上の法主体として認められることにより、「自衛権」の適用を受ける地位を有し、「武力の行使」に対する違法性の阻却を主張することができる。
しかし、国際法上において「自衛権」の適用を受ける地位を有し、「自衛権」を主張して「武力の行使」の違法性を阻却できるとしても、日本国の統治権の中に「武力の行使」を行う『権力・権限・権能(power)』が存在するか否かは別問題である。
なぜならば、日本国の統治権の『権力・権限・権能(power)』は、憲法上で正当化されるものであり、国民主権原理によって「厳粛な信託(前文)」を受けて授権されることによって発生するものだからである。
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砂川事件最高裁判決での自衛権は、国際連合憲章などを踏まえた国際法上の一般論に触れただけであって、日本国憲法下における自衛権「行使」について、云々するとは解せない。
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日笠完治(駒沢大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
〇 下記はアメリカ合衆国の『権利(right)』や『権限(power)』である。
軍隊を配備する権利 ⇒ 権利(right)
指揮権、管理権 ⇒ 権限(power) = この意味の中に『権利(right)』の意味が含まれているかもしれないが、少なくともそれを行使する『権限(power)』はアメリカ国民の国民主権によって正当化されるものである。
〇 「措置」という言葉は、『権限(power)』に基づくものである。
自衛のための措置 ⇒ 日本国の統治権の『権限』による行為である
軍事的安全措置 ⇒ 国際連合の機関の『権限』による行為である
ここでいう「自衛のための措置」の中に日本国の統治権の『権限』を行使して行う「武力の行使」が含まれているか否かであるが、「自衛のための措置」の内容を記した文が「他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない」と結論付けていることや、「同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、」との文言があることから、判断していないと思われる。(後者の『自衛のための戦力の保持』とは『芦田修正説』に基づく枠組みであることに注意。政府解釈は『芦田修正説』に基づく『自衛のための戦力』との枠組みを採用しておらず、9条2項前段が禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触しない範囲の『自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)』の保持が可能であると解しているが、砂川判決では9条2項前段の下で『自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)』の保持が許されるか否かについても判断していない。)
【参考】自衛武力持ってよいとは「云はない」 砂川、元判事メモ 2015年9月15日
【参考】砂川判決 多数説起案の「入江メモ」発見 自衛権の範囲踏み込まず 2018年11月19日
【参考】砂川最高裁判決と集団的自衛権 「司法が容認」は無理 2018年11月28日
砂川判決が認めた「自衛の措置」の範囲を検討する。
(抜粋+要約)
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① わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと
② 日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意した
③ それは、(略)国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができる
④ 憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない
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②で、「戦力は保持しない」と述べている段階で、日本国の統治権の『権限(power)』が「戦力」を用いて「武力の行使」をすることは不可能である。ただ、判決中には「二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」の文言もあることから、「自衛のための戦力」による「武力の行使」については判断していない。
また、砂川判決は政府見解である「戦力にあたらない『自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)』」の概念にも触れていない。そのため、「戦力にあたらない『自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)』」による1972年(昭和47年)政府見解による「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」の「武力の行使」が許されるかどうかについても述べてはいない。
これにより、砂川判決が日本国のとりうる「自衛の措置」として許容した範囲は下記となると考える。
日本国のとる「自衛の措置」 |
国連の『権限』による「武力の行使」 | A 国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等 | ← OK |
他国の統治権の『権限』による「武力の行使」 | B 他国に安全保障を求めること | ← OK | |
日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」 | C 戦力にあたらない「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)」による「武力の行使」 | ← 触れていない | |
D 戦力にあたらない「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)」による「個別的自衛権の行使」としての「武力の行使」 |
← 触れていない (政府見解は他国の行使できる「個別的自衛権」の範囲よりも狭いと述べている) |
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E 戦力にあたらない「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)」による「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」 |
← 触れていない (「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を行う組織は「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)」の範囲を超えて「戦力」になるという論点もある。) |
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F 「自衛のための戦力」による「武力の行使」 |
← 判断していない (判決文中に「二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、」の文言がある) |
||
G 「侵略戦争のための戦力」による「武力の行使」 | ← 「侵略戦争のための戦力」だからダメ |
AとBは、戦力を保持しないことによって生ずる防衛力の不足を「平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補な」う措置である思われる。
砂川判決が示した日本国のとることができる「自衛の措置」は「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけであり、その他については「侵略戦争のための戦力の保持」を禁じた以外は判断していない。
下図は、9条解釈とその下での「自衛の措置」の可否の考えられるパターンである。
「措置」という言葉で注意したいのは下記の部分である。
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そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。
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この文は、要約すると「安全保障条約の目的…は、…わが国の防衛のための暫定措置として、…わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにある」となる。
しかし、「わが国の防衛のための暫定措置(アメリカ合衆国が(略)軍隊を配備する権利を許容する等)」が、日本国の統治権による措置なのか、条約締結国による措置なのか、その両方を含むのかはっきりしていない。ただ、これは日本国の統治権による「武力の行使」ではないことは明らかと思われる。
補足
① 砂川判決に対する政府の認識
砂川判決に対する政府の認識を確認する。
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○高辻政府委員 おわかりいただけるようにお話をいたしますが、前に、御存じだと思いますけれども、毎度お引き合いに出して恐縮でございますが、砂川事件判決というのがございました。これは戦力に関する問題でございますけれども、この駐留米軍がわが国の憲法が否定しておる戦力に当たるかどうか、これが第一点。それからまた、その駐留を許すような安保条約そのものが憲法に違反することにならないかという問題がございました。ちょうどいま仰せになっておる問題として言えば、そういう条約を締結することが憲法上どうかという点で、実は理論的に非常に類似の点があるわけでございます。それにつきましては、確かに一つの争点でございましたが、最高裁判所の判決につきまして、憲法がいう戦力を保持しないという主体は、わが国がこれに管理権、支配権を持つべきものについていうのであって、その他のものについていうわけではない、したがって、駐留米軍が日本に駐留すること、それについての条約を締結すること、それは日本の憲法の九条のらち外の問題であるという判決があったことは御承知のとおりだと思います。その同じ理屈がいま御指摘の問題についても当てはまるものだと私どもは考えております。
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第61回国会 衆議院 予算委員会 第4号 昭和44年2月5日
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○政府委員(大森政輔君) わかりやすくということでございますけれども、憲法九条、これは文字どおり読みますと、いわゆる戦争を放棄し、そしてまた二項におきまして戦力の保持を禁止しているわけでございます。ただ、これによりまして我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されているものではないということが第一のポイントでございます。
憲法前文におきまして、第二段あたりでございますが、
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてみる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
さらに、
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
このように憲法前文では述べているわけでございます。
これを踏まえて考えますと、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとる、とり得ることは国家固有の機能として当然のことであるというふうに考えているわけでございまして、憲法第九条がこのことを禁止しているとは到底考えられないということでございます。このことは、昭和三十四年十二月十六日の最高裁判所砂川事件判決において明確に確認されているところでございます。
以上でございます。
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第136回国会 参議院 予算委員会 第12号 平成8年4月23日
② 砂川判決の意味する「自衛権」の概念
砂川判決中の「裁判官奥野健一、同高橋潔の意見」に書かれた、「自衛権の行使」と「防衛のため武力攻撃を阻止する措置(防衛措置)」を区別すべきことについても検討する。
〇 国際法の違法性阻却事由としての評価 ⇒ 「自衛権の行使」
〇 憲法によって生み出される統治権による行為 ⇒ 「防衛のため武力攻撃を阻止する措置(防衛措置)」
国際法上の「固有の権利」として「国の自衛権」を有しているが、日本国の統治権(41条立法権のつくる法律に裏付けられた65条の行政権)による「防衛のため武力攻撃を阻止する措置(防衛措置)」は、憲法9条によって制約を受けた範囲に限られることとなる。ここでも、「防衛のため武力攻撃を阻止する措置(防衛措置)」の中に日本国の統治権の『権限』としての「武力の行使」が含まれるかどうかは述べていない。
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砂川事件判決に言う「自衛権」は、武力の行使を伴わないものを含む広義の自衛権である。そのことは、判決理由が国連の集団安全保障への参加や日米安保条約の締結も自衛の措置の一つととらえていることから明らかである。
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宮地基(明治学院大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
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砂川事件最高裁判決での自衛権は、国際連合憲章などを踏まえた国際法上の一般論に触れただけであって、日本国憲法下における自衛権「行使」について、云々するとは解せない。
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日笠完治(駒沢大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
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すでに多くの研究者が指摘していることであるが、砂川事件最高裁判決は、駐留米軍が9条2項で保持が禁止された「戦力」には該当しないと述べたにすぎず、日本国としての固有の戦力保持や武力行使は問題となっていない。自衛権の行使手段についても、他国に安全保障を求めることが承認されているにとどまる。ここから、日本国固有の集団的自衛権およびその行使手段としての自衛隊による武力行使を正当化しようとするのは、明らかに趣旨の逸脱である。
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玉蟲由樹(日本大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日 (下線は筆者)
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長沼ナイキ事件の第一審判決が砂川事件最高裁判決を引用しつつ「自衛権を保有し、これを行使することは、ただちに軍事力による自衛に直結しなければならないものではない」とした[16]。
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砂川事件 Wikipedia (PDF上のP100の23行目)
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また、長沼ナイキ事件第 1 審(昭48.9.7)において、札幌地裁は、砂川事件判決を引いて、9 条は自衛権を放棄するものではないが、「自衛権を保有し、これを行使することは、ただちに軍事力による自衛に直結しなければならないものではない」と判示し、多数説の見解に立つ立場を明らかにした52。
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「憲法第 9 条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)について~自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題」
に関する基礎的資料 衆議院憲法調査会事務局 平成15年6月 PDF
③ 砂川判決の「わが国の防衛力の不足」の意味
砂川判決の中の論理的整合性について検討する。
砂川判決は、2項のいう「戦力」は保持しないとしている。それによって「わが国の防衛力の不足」が生ずるとも述べている。
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すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。
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しかし、2項が「『自衛のための戦力』の保持を禁じたものであるかは別として」と述べている。
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従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
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ここで疑問が生まれる。まず、2項が「自衛のための戦力」の保持を禁じている場合は、確かに「わが国の防衛力の不足」が生ずることが考えられる。しかし、2項が「自衛のための戦力」の保持を禁じていない場合、そこに「わが国の防衛力の不足」が生ずるのかどうかである。
◆ 2項が「自衛のための戦力」の保持を禁じている場合 ⇒ 「わが国の防衛力の不足」が生じる
◆ 2項が「自衛のための戦力」の保持を禁じていない場合 ⇒ 「わが国の防衛力の不足」が生じる?
砂川判決が「憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、」と述べているということは、必然的に2項の「戦力」は「自衛のための戦力」の保持を禁じているとしか読めないように思われる。なぜならば、もし2項が「自衛のための戦力」の保持を禁じておらず「自衛のための戦力」を保持することが可能であるならば、「わが国の防衛力の不足」は生じないと考えることが妥当だからである。それにもかかわらず、「同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」と述べている部分は、論理的整合性が十分とは思われない。
もし、2項が「自衛のための戦力」の保持を禁じておらず「自衛のための戦力」の保持が可能であるにもかかわらず「わが国の防衛力の不足」があるとするのであれば、「わが国の防衛力」の中には、1項が放棄したはずの「侵略戦争」の概念が含まれることが前提となってしまうと考えられる。
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そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。
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そうなると、2項で「侵略戦争」のための「戦力」が禁じられたことにより「わが国の防衛力の不足」が生じ、これを補うために「平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼すること」による「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」や「他国に安全保障を求めること」を行うということになる。しかし、これでは「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」や「他国に安全保障を求めること」は、「侵略戦争」を目的としたものであることになってしまう。確かに日本国の統治権の『権限』による「侵略戦争」ではないことから、9条には抵触しないのであるが、これでいいのだろうか。
この整合性から考えると、砂川判決は2項が「自衛のための戦力」の保持を禁じていることを前提として考えている部分があると読むことが妥当と思われる。
(政府解釈の「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)」については何も述べていない。)
④ 砂川判決は「自衛隊」について判断しているか
砂川判決が「自衛隊」について法的判断を行っているかについて、政府の認識を確認する。
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○政府委員(高辻正巳君) 砂川判決は中曽根長官からもお話がありましたように、わが国に自衛権があることを肯定し、そして自衛のための措置をとることもまたこれも肯定しております。ただ、憲法九条二項の戦力、先ほど御指摘になりましたように、わが国が管理権、指揮権を持つところの戦力になるかどうか、それは必ずしも結論を出しておりません。したがって、自衛隊自身が争点であったわけでもございませんので、砂川判決は自衛隊の合憲を肯定しているというのは言い過ぎかと思います。ただ、その前提にあるこの自衛権を肯定し、自衛のための措置を肯定しといっているところは、あるところまで政府の見解とひとしくなっておる、まあそういうことから言いまして、ここに新しい何かの判断を求めたいという気持ちが生ずるのも、これはまあ人の気持ちとしてあんまりおかしいとも思えない。それがあるからけしからんというふうにおっしゃることもないんではないかと、まあ率直に私はそう思います。
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第65回国会 参議院 予算委員会 第11号 昭和46年3月9日
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○政府委員(高辻正巳君) 先ほど申し上げたことと変わりませんが、砂川判決は、御承知のとおりに、自衛隊の合憲、違憲そのものを中心にした事件ではございませんでした。安保条約、ひいては安保条約に基づく駐留米軍の存在を違憲とするのが争点であったはずであります。で、そこの争点がそういうことでありますから、自衛隊が合憲であるとか、違憲であるとかいうような点には、あの判決は触れておらないわけです。これは前にもそういうことを申し上げたと思います。その点は変わっていない。これは事実でありますから、全く変わりようがありません。
しかし、重ねることになりますが、その中における憲法九条の解釈の規定——まあ人によって規定と見るかどうかはわかりませんけれども、私どもはやはり憲法九条の解釈の一つの礎石といいますか、そういうものについて触れた点があることは御承知であろうと思います。で、ただいまも中曽根長官が言われましたように、われわれは国会が制定をしました自衛隊法に基づく自衛隊の存在というものをむろん合憲であり、合法であるということはいささかも疑いを持たない。それはいままでの政府の見解しばしば出ておりますが、しかし、それはそうなんでありますが、砂川判決が自衛隊の合憲をあそこできめたかといわれれば、それはそうではないというのが、これは当然であります。ただ、繰り返して申しますが、憲法九条についての解釈の一つの基準を示したということだけは明らかなことでございます。
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第65回国会 参議院 予算委員会 第11号 昭和46年3月9日
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○高辻政府委員 砂川判決は、現にそれをごらんになって御指摘のとおりでありまして、私も大体は覚えておりますからおっしゃるとおりだと思います。ただし大事なことは、砂川判決においては、自衛隊そのものの合憲、違憲論というものが表になっておりませんので、たな上げにできたわけであります。あのときはむしろ駐留米軍についての憲法上の問題が中心になっております。したがってたな上げにされていることは、自衛隊の存在というものが憲法違反であるともまた憲法に適合しているとも触れていないわけでありまして、自衛隊が憲法違反だといっているわけでないことは申し上げるまでもないと思いますが……。
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第65回国会 衆議院 内閣委員会 第20号 昭和46年5月7日
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○政府委員(吉國一郎君) ……(略)……したがって、今後最高裁の判決によって自衛隊の——いままでは最高裁の判決によって自衛隊は合憲であるとも、また違憲であるとも示されておりません。しかし、今後最高裁が自衛隊が合憲であるかいなかということについて、これについてアクト・ド・グーベルヌマンの議論を用いるかどうかということも、これまた予断を許さない、あるいは判定を下すこともあり得るし、あるいは下さないかもしれない、ということであろうかと思います。
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第70回国会 参議院 予算委員会 第3号 昭和47年11月10日
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○政府委員(角田禮次郎君)
(略)
なお、先ほど最高裁の判決を引用してのお話がございました。確かに、砂川事件についての最高裁判決は、事件そのものが日米安保条約の合憲、違憲の問題でございましたから、直接自衛隊の合憲、違憲については触れていないことはそのとおりでございます。ただ、その判決の中にも、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないというようなことも言っておりますし、そういう意味から、私どもの政府の解釈というものがその砂川判決によって否定されたとは私どもは思いません。ただ、繰り返して申し上げますが、自衛隊の合憲、違憲については、現在のところ、それを明確にした最高裁判決はございません。したがいまして、司法的には完全に解決は、結論は与えられていないということは御指摘のとおりだと思います。
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第98回国会 参議院 予算委員会 第8号 昭和58年3月17日
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○政府特別補佐人(津野修君)
(略)それで、その上で、その自衛隊そのものの憲法適合性を直接的に判断した最高裁判決がないことは御指摘のとおりであるけれども、その意味でその総理の御発言は必ずしも正確ではなかったと存じますが、……(略)……
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第153回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成13年10月26日
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○政府特別補佐人(津野修君)
(略)
それで、御指摘のように、自衛隊そのものの憲法適合性を直接的に判断した最高裁判決はないということでございます。
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第153回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成13年10月26日
【参考】現在に至るまで、最高裁判所が自衛隊を合憲と判断したことはない 南野森 2014/3/7
【参考】砂川判決が自衛隊を合憲と判断した…が明らかに嘘と言える理由 2019.02.11
【参考】「自衛隊合憲は決着」は事実か? 「隊員募集
県の6割が拒否」は本当? 2019/2/11
【参考】91.憲法9条をめぐって、どのような憲法訴訟があったのか、教えてください。 2015年8月15日
➄ 砂川判決は「我が国に対する武力攻撃」を想定したものである
砂川判決が示している「自衛のための措置」の内容は「我が国(日本国)に対する武力攻撃」が発生した場合を想定するものである。
その理由は、下記の通りである。
砂川判決の「判決理由」には、「わが国政府の明示の要請に応じて与えられる援助」や、「外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用する」との記載があり、「外部からの武力攻撃」が発生し、「わが国政府の明示の要請」が行われる場合について述べられていることから、「我が国に対する武力攻撃」が発生した場合を想定するものである。
砂川判決の「判決理由」
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またこの軍隊は、前述のような同条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり、同条約一条の示すように極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに一または二以上の外部の国による教唆または干渉によつて引き起されたわが国における大規模の内乱および騒じようを鎮圧するため、わが国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することとなつており、その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるのである。
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砂川判決の「裁判官奥野健一、同高橋潔の意見」には、「わが国が他国からの武力攻撃を受ける危険があるとしたならば、」との記載があり、「わが国が他国からの武力攻撃を受ける」の場合を想定するものである。
砂川判決の「裁判官奥野健一、同高橋潔の意見」
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然るに、今若しわが国が他国からの武力攻撃を受ける危険があるとしたならば、これに対してわが国の生存権を守るため自衛権の行使として、防衛のため武力攻撃を阻止する措置を採り得ることは当然であり、憲法もこれを禁止していないものと解すべきである。けだし、わが国が武力攻撃を受けた場合でも、自衛権の行使ないし防衛措置を採ることができないとすれば、坐して自滅を待つの外なく、かくの如きは憲法が生存権を確認した趣旨に反すること明らかであるからである。
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砂川判決の「裁判官河村大助の補足意見」でも、「日本国に対する武力攻げきを阻止するため」や、「日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助」、「外部からの武力攻げきに対する日本国の安全に寄与するために使用する」との記載があり、「日本国に対する武力攻げき」「外部からの武力攻げき」が発生し、「日本国政府の明示の要請」が行われる場合を想定するものである。
砂川判決の「裁判官河村大助の補足意見」
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三、以上の見地に立つて合衆国軍隊の駐留の根拠となつている安保条約を見るに、同条約は国際連合等による十分な安全保障措置が成立するまでの暫定的措置として締結したものであつて(前文四項、四条)その前文には「平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。これらの権利の行使として、日本国はその防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻げきを阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在若干の自国軍隊を日本国内及びその附近に維持する意思がある」とあり、すなわち日本の防衛のためとアメリカ合衆国の平和と安全のために軍隊の駐留に関する取極を行うことが宣言されているのである。
四、ところで同条約第一条においては合衆国軍隊駐留の目的として、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに一または二以上の外部の国による教唆または干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱および騒じようを鎮圧するため、日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻げきに対する日本国の安全に寄与するために使用する旨定められているのであるが、右目的中「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」するということは、これによつてわが国が自国の防衛と直接関係のない戦争に巻き込まれる虞れがあるとの違憲論が生じている。
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砂川判決の「裁判官奥野健一、同高橋潔の意見」でも、「わが国に対する武力攻撃を阻止するため、」との記載があり、「わが国に対する武力攻撃を阻止する」場合を想定するものである。
砂川判決の「裁判官奥野健一、同高橋潔の意見」
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而して、安保条約は平和条約五条(c)と六条(a)但書に則りわが国と米国との間に締結された条約であつて、「無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので」、日本には武力攻撃を受ける危険があることを前提として(かかる「危険」があるか否かの国際情勢の判断については、いわゆる政治問題として裁判所の審査判断すべきところではなく、既に、政府と国会が安保条約の前文において、かかる判断を下している以上裁判所としてはこれに従う外はないものと考える)、わが国は、国連憲章の承認しているすべての国の固有する「個別的及び集団的自衛権の行使」として、わが国に対する武力攻撃を阻止するため、日本国内及びその附近に米国軍隊を維持することを希望し、米国に対しその軍隊を右地域に配備する権利を許与し、米国はこれを受諾し、その配備した軍隊を「外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するため等に使用することができる」ことを協定したものであつて、国連憲章の制約と国連の一般的統制の下に、国連憲章五一条の「個別的、集団的自衛の固有の権利」に基き、専ら「武力攻撃が発生した場合における」自衛のための措置を協定した集団的安全保障取極である(昭和三二年六月二一日の共同コミニユケ、昭和三二年九月一四日交換公文、参照)。
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このように、砂川判決そのものは日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないが、砂川判決の示した「自衛のための措置」の内容とは「我が国に対する武力攻撃」が発生した場合を想定するものである。
そのため、砂川判決から「他国に対する武力攻撃」が発生した場合については読み取ることはできない。
<理解の補強>
岸内閣が集団的自衛権を容認する答弁をしたというのは本当か? 南野森 2014/3/4
最高裁「砂川判決」と集団的自衛権 浦部法穂 2014年4月10日
第二章 解釈改憲のからくり その2 ── 憲法前文の平和主義の切り捨て PDF(砂川判決についてはP95~)
砂川事件最高裁判決を根拠とする集団的自衛権の限定容認論を強く 批判し,憲法9条の解釈変更に断固反対する声明 2014年4月28日
砂川事件判決を集団的自衛権の根拠とすることに反対する会長声明 東京弁護士会会長 髙中正彦 2014年05月02日
砂川事件最高裁判決は集団的自衛権の行使が合憲である根拠にはならない。 2015年06月09日
砂川事件最高裁判決は、今国会で審議されている安全保障関連法案を合憲とする根拠にならないこと 2015.6.15
【動画】小林節 慶応大学名誉教授、長谷部恭男 早稲田大学法学学術院教授 「憲法と安保法制」① 2015.6.15
安倍政権の憲法政策と平和 広島市立大学広島平和研究所准教授 河上暁弘 2014年6月20日 PDF
砂川事件で安保法制を、考える難しさ 2015年06月23日
北海道大学法学研究科特任教授・岡田信弘氏 憲法学者アンケート調査
東京経済大学現代法学部教授・加藤一彦氏 憲法学者アンケート調査
一橋大学大学院法学研究科教授・阪口正二郎氏 憲法学者アンケート調査
野坂泰司(学習院大法科大学院) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
松井幸夫(関西学院大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
木下智史(関西大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
小林節(慶応大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
上脇博之(神戸学院大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
畑尻剛(中央大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
宮井清暢(富山大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
實原隆志(長崎県立大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
阪口正二郎(一橋大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
常岡(乗本)せつ子(フェリス女学院大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
玉蟲由樹(日本大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
渋谷秀樹(立教大学法科大学院) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
諸根貞夫(龍谷大学法科大学院) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
水島朝穂(早稲田大法学学術院) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
田近肇(岡山大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
江島晶子(明治大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
鈴木敦(山梨学院大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日
憲法を護るものは誰か―内閣法制局の“黄昏” 笹田栄司 2015年7月21日
【特別寄稿】憲政の邪道 暴走する安倍政権――集団的自衛権と立憲主義 2015年07月25日
【動画】安保法制採決を前に あらためて「砂川判決」を問う 憲法学者・浦田一郎教授が「違憲」を訴え 2015/09/14
今朝の朝日新聞に掲載された、〝「砂川」関与の元判事、残したコメント―集団的自衛権、検討されず?〟―安倍政権には法的正当性はもはやない、即刻退陣を! 2015年09月15日
戦争法案合憲の論拠に砂川判決引用は政権の墓穴ー入江メモのインパクト 2015年9月15日
[3]日本の憲法原理にとって最悪の敵は安倍政権 長谷部恭男 2015年11月19日
昭和34年12月16日「砂川事件」最高裁判所大法廷判決 ―砂川判決は集団的自衛権を肯定するか― 山岸喜久治 2016年4月28日 PDF
砂川事件再読──砂川事件最高裁判決は集団的自衛権承認と「軌を一」にするか── 中西又三 2016年07月30日 PDF
(砂川事件再読──砂川事件最高裁判決は集団的自衛権承認と「軌を一」にするか── 中央大学リポジトリ)
(砂川事件再読──砂川事件最高裁判決は集団的自衛権承認と「軌を一」にするか── 中央大学リポジトリ)
砂川事件最高裁判決によって 集団的自衛権の行使が認められるとの俗論を排す 深草徹 PDF
(砂川事件最高裁判決によって集団的自衛権の行使が認められるとの俗論を排す)
3. 憲法9条は安保条約を予定していない 2019.01.27
【動画】安保法制違憲訴訟全国の状況 XXIV ~「今こそ「統治行為論」を消去せよ!」豊 秀一(朝日新聞編集委員) 2023/09/30
砂川判決の統治行為論のベクトル
「存立危機事態」での「武力の行使」が司法審査にかけられた際に、裁判所によって法的判断が下されるかどうかについて、砂川判決が「主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するもの」であることを理由に「司法審査権の範囲外」として判断を避けたことと同様に、法的判断を避けるはずであると考える者もいるようである。
ただ、この考え方の妥当性を、裁判所が「統治行為論」を用いて法的判断を避けることによってもたらされる効果の「ベクトル」の違いから検討する。
【砂川判決を審査するベクトル】
砂川判決の論旨は、「同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」として、「外国の軍隊」の「駐留」は合憲であるとの前提を置いている。
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そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
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しかし、「安全保障条約」の段階に移ると、「高度の政治性を有するもの」として、内閣と国会の「高度の政治的ないし自由裁量的判断」と関わるとして「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のもの」して、法的判断を避けた。
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ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである。
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上記を簡単にまとめると、下記のようになる。
〇 まず、砂川判決は9条2項の「戦力」とは、我が国が「主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る」ものをいい、「外国の軍隊」はこれに当たらないと述べている。
〇 つまり、法的判断としては『合憲』との前提が一旦示されているのである。
〇 その上で、「外国の軍隊」の駐留が「安全保障条約」に基くことから、「安全保障条約」の違憲審査をしようとするのであるが、「高度の政治的ないし自由裁量的判断」として司法審査権の範囲外とした。(一般に統治行為論という)
これは、『合憲』ではあるけれども、「外国の軍隊」という性格上、前文の「平和主義」の理念や9条の精神に適合するか否かについては、内閣や国会の判断、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきと考えることによって採用される「統治行為論」である。
つまり、これは司法権によって「合憲である」とのお墨付きを与えることは、かえってその正当化根拠を基にして軍拡を招きかねないことになることから、前文の「平和主義」の理念や9条の精神からしても慎むべきであるとの判断が働いていると考えられるのである。
これに対し、「裁判官小谷勝重の意見」は、「違憲審査権は立法行政二権によつてなされる国の重大事項には及ばない、とするもの」は、「わが新憲法が指向する力よりも法の支配による民主的平和的国家の存立理念と、右法の支配の実現を憲法より信託された裁判所の使命とに甚だしく背馳するものであることは明らかである。」と厳しく批判し、「統治行為論」を採用することは不当であり、裁判所は積極的に違憲審査を行うべきとしている。
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長谷部 だって、おかしいですよね。多数意見を読んでいただければわかることですが、最高裁は合憲性の判断を避けているどころか、合憲だと言い切っているとみていいと思います。「かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ」とまで踏み込んでいるのですから。
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「打倒 芦部憲法学」弟子の長谷部恭男早大教授が語る 2020年03月15日
【参考】砂川事件、判決原案を批判する「調査官メモ」見つかる 2020年6月13日
【参考】異例メモ、判決案の矛盾突く 「相対立する意見を無理に包容させたもの」 砂川事件 2020年6月13日
【参考】「多数意見といえるのか」判決直前、メモが突いた矛盾 2020年6月13日
【参考】最高裁判決直前、原案批判のメモ 担当調査官名で 「高度な政治判断は裁判の対象外」示した砂川事件 2020年6月13日
【参考】砂川事件の最高裁判決原案を批判する調査官メモ発見について解説 2020年6月13日
【参考】今こそ「統治行為論」を消去せよ! 砂川事件最高裁判決で調査官メモが意味するもの~揺らぐ統治行為論の正当性 2020年06月29日
ただ、この事例において裁判所が積極的に法的判断を行うことは、結局「外国の軍隊」を合憲である旨を明確化することになり、「軍隊」に対して積極的に正当性を与える結果を生むことから、前文の「平和主義」の理念や9条の精神からくる慎みの観点から見ても相当ではないとする判断は妥当と考えられる。
政府も、外国軍隊が「きわめて侵略的」なものであった場合に、「平和主義」の憲法の下で問題になり得るが、それを明確に禁じる規定は憲法上は存在しない旨を述べており、積極的に「合憲」であることを示すことには慎重であるべき態度を読み取ることができる。
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○高辻政府委員
(略)
そこで、いま仰せになりましたような点でございますが、これもいまの理屈を考えてみれば、やはり同じような論理が成り立つように思いますけれども、ただ、特に御指摘のように、きわめて侵略的というようなことになりますれば、確かに憲法の平和主義の上からいえばこれは一つの問題になり得ると思います。ただ先ほどから、具体の問題としては米国の問題になるわけでございまして、アメリカ合衆国はとにもかくにもわが国と同じように国連憲章の中に入っておりまして、これは固有の自衛権あるいは集団的自衛権のワク内で行動をするということになっておりますので、国連憲章を守る限り、いま仰せのようなことが、国連憲章に入っているアメリカについて考えられるということはないのではないかというふうに考えるわけでございます。
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○高辻政府委員 法律上の問題として、いま仰せになったような点が全く平和主義の憲法を持つ日本の憲法のもとで問題にならない、断じて、どこのだれも問題にし得ないものであるというふうには申し上げておりません。ただ憲法で——結論だけを申し上げるとよく通じないと思いますので、先ほど申し上げたような憲法九条の戦力問題をめぐる理論からいえば、それは憲法の条章のどれかにそれでは該当するか、該当して違反になるかということになりますと、憲法の各規定の中に、それに先ほどの最高裁の理論をもってする限り、特にどこに違反するという規定はございません。
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第61回国会 衆議院 予算委員会 第4号 昭和44年2月5日
「軍隊の駐留」という事柄の性質上、たとえ法的に「合憲」であることが明らかであったとしても、「合憲」であることを積極的に示すことは、却って前文「平和主義」の理念や9条の精神を損なわせる結果に繋がることが考えられる。
それは、「他国の軍隊の駐留」が「合憲」であるからといって、無制限に軍拡が行われることを「平和主義」を理念とする憲法の精神が積極的に許容しているとは考えられないし、「他国の軍隊」の指揮権・管理権を利用することによって9条の制約を回避する道を開こうとするなど「平和主義」の理念を潜脱させる試みを助長することとなってもいけないのである。
裁判所がこのような「軍隊の駐留」に対して積極的に「合憲」であるとのお墨付きを与えてしまうことによって起こり得る、負の作用も考慮に入れることにより、「アメリカ合衆国軍隊の駐留」に対して敢えて法的判断を行うことを控え、「主権を有する国民の政治的批判に委ね」ることにより、前文「平和主義」の理念や9条の精神を実現しようとしたのであれば、妥当な判断であると考えることができる。
この趣旨は、「不戦条約」締結時の考え方とも重なるものである。「不戦条約」は、一見すべての戦争が禁じられているかのように見えるが、「自衛権(当時の認識では国連憲章51条にいう個別的自衛権に相当するもの)」については、暗黙に合法とする旨を理解してつくられているのである。
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●アメリカ合衆国の解釈(米国国際法学会におけるケロッグの講演)
一九二八年四月二十八日
「不戦条約の米国草案には、どのような形ででも自衛権を制限しまたは害する何物をも含んではいない。その権利は、すべての主権国家に固有するものであり、すべての条約に暗黙に含まれている。すべての国は、どのような時でも、また条約の規定の如何を問わず、自国領域を攻撃またはは侵入から守る自由をもち、また、事態が自衛のための戦争に訴えることを必要ならしめるか否かを決定する権限を有する。国家が正当な理由を有しているならば、世界は、その国の行動を称賛し非難はしないであろう。しかしながら、この譲り渡すことのできない権利を条約が明示的に認めると、侵略を定義する試みで遭遇するのと同じ困難を生じさせることになる。それは、同一の問題を裏面から解こうとするものである。条約の規定は自衛の自然権に制限を付加することはできないので、条約が自衛の法的概念を規定することは、平和のためにならない。なぜならば、破廉恥な人間が合意された定義に合致するような出来事を形作るのは、極めて容易だからである。」
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ベーシック条約集 2011 編集代表 松井芳郎 東信堂 amazon
(ベーシック条約集〈2017年版〉 amazon)
砂川判決についても、法的判断を行わないという事情の中には「外国の軍隊」の駐留が『合憲』であるという認識が「暗黙に含まれている」と考えられる。しかし、これを『合憲』と明確化することは、その「合意された定義に合致するよう」に「出来事を形作る」ことによって、前文の「平和主義」の理念や9条の精神を回避することが「極めて容易」となってしまい、結果として「平和のためにならない」事態を生む危険が考えられるのである。そのため、敢えて法的判断を行わないのである。
ただ、たとえ「不戦条約」において「自衛権」に該当する国家の行為が暗黙に合法であることを理解したとしても、各国が勝手に「自衛権」を名乗って「侵略戦争」を行うことが合法となるわけではない。条約上、国家の行為が違法と評価される部分は確かに存在するのである。
同様に、たとえ前文の「平和主義」の理念や9条の精神の中において暗黙に『合憲』と解される部分が存在することを理解したとしても、それをもって日本国の統治権の『権限』による実力組織の保持や「武力の行使」に対して必ずしも司法判断が下されないということを意味するわけではない。国家(統治権)の行為が前文の「平和主義」の理念や9条に抵触して違憲と評価される部分は確かに存在しており、法的判断が行われることもあり得るのである。
【「存立危機事態」での「武力の行使」を審査するベクトル】
「砂川判決のベクトル」に対して、「存立危機事態」での「武力の行使」が可能であるかを司法審査する場合には、どのような「ベクトル」が考えられるか検討する。
〇 まず、「存立危機事態」での「武力の行使」を実施する組織は、我が国が「主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る」組織であることから、必然的に9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触するか否かが問われることになる。
(あるいは日本国の統治権の『権限』による『存立危機事態』での『武力の行使』が9条1項の禁じる『国際紛争を解決する手段として』の『武力の行使』の部分に抵触するか否かのみが問われることになる。〔この場合、旧三要件に基づく『武力の行使』を実施する実力組織が9条2項前段の『陸海空軍その他の戦力』に抵触するか否かについては法的判断が留保される可能性がある。〕)
〇 つまり、法的判断としては9条に抵触する『違憲の疑い』から入らざるを得ないのである。
〇 その上で、自衛隊法76条1項2号の「存立危機事態」の要件が司法審査されることになるが、たとえ「高度の政治性ないし自由裁量的判断」を考えようにも、「違憲の疑い」がある以上、司法審査権の範囲外とすることは、「法の支配」の実現を妨げる結果を生むことに繋がる。また、司法審査権の範囲外とする判決を下すことは、結局9条の規定が法規範として存在している意義そのものを損ない、前文の「平和主義」の理念を無にすることとなる。
砂川判決での「合憲」という前提から来る司法審査権の範囲外とする判決の効果と、「存立危機事態」での「武力の行使」での「違憲の疑い」から来る司法審査権の範囲外とする判決の効果では、「法の支配」や前文の「平和主義」の理念、9条の精神を実現しようとする法という営みそのものに対して与える意図のベクトルが異なるのである。
「存立危機事態」での「武力の行使」の事例では、先ほど妥当性を否定した「裁判官小谷勝重の意見」の、「違憲審査権は立法行政二権によつてなされる国の重大事項には及ばない、とするもの」は、「わが新憲法が指向する力よりも法の支配による民主的平和的国家の存立理念と、右法の支配の実現を憲法より信託された裁判所の使命とに甚だしく背馳するものであることは明らかである。」との厳しい批判が効いてくることとなる。
これは、この事例で「統治行為論」を採用して法的判断を避けることは、まさしく「法の支配」や前文の「平和主義」の理念、9条の精神を実現しようとする法という営みそのものを損ねる結果を生むからである。
事例
|
砂川判決 | 安保法制 |
対象 | 外国軍隊の駐留 | 「存立危機事態」での「武力の行使 」 |
条文 | 日米安全保障条約 | 自衛隊法76条1項2号での88条 |
9条への抵触の判断 |
我が国が主体となって指揮権、 管理権を行使し得る戦力ではない |
我が国が主体となって指揮権、 管理権を行使する組織の活動である |
前提 | 合憲 | 違憲の疑い |
法的判断をしなかった場 合の効果(統治行為論) |
【判決】 国民の政治的批判に委ねることで 平和主義と9条の精神の実現を目指す |
「武力の行使」に法的判断が及ば ないことになり「法の支配」や 平和主義、9条の精神が損なわれる |
法的判断をした場合の 効果 |
外国軍隊を正当化することになり 平和主義と9条の精神が損なわれる |
「法の支配」が実現されると同時に 平和主義と9条の精神が実現される |
〇 砂川判決は、「統治行為論」を採用して法的判断をしなかったが、この事例では前提が『合憲』であるから、「平和主義」と9条の精神の実現を目指す観点からは妥当である。
〇 「存立危機事態」での「武力の行使」について、もし砂川判決と同様に「統治行為論」を採用して法的判断をしなかった場合、日本国の統治権の行為であっても、「武力の行使」については法的判断が及ばないことが明らかとなってしまう。これは、「法の支配」だけでなく、憲法の「平和主義」の理念と9条の精神が同時に損なわれる結果を生む。この事例を法的判断をするか否かは、砂川判決の効果とは異なるベクトルを持つものであるから、法的判断を行うことが憲法の理念、精神、法という営みを実現していくことにより近いものとなると考えられる。
【9条の改正限界説を考慮するべきかの論点】
「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や、「存立危機事態」での「武力の行使」は、9条に抵触して違憲である。このことから、もし日本国の統治権の『権限』においてこれらの「武力の行使」を行いたいのであれば、9条を改正することによって成し遂げるべきものである。
そのため、憲法に違反する「法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部(98条)」が存在するにもかかわらず、裁判所が「統治行為論」などを採用して憲法判断を回避し、それらの違憲・違法を黙認することは許されないと考えられる。
もし9条を改正することが政治的に困難であるとの認識(評価)や、あるいは9条には改正限界説が存在することにより改正が不可能であるとの認識(評価)を理由として「立法府」と「行政府」の行った違憲・違法な国家の行為が黙認されるとするならば、国家の行為を適正な手続きに則らせることによって国民主権に基づく正当な権力を生み出すプロセスそのものを否定することとなる。
また、たとえ9条に改正限界説が存在することによって改正が不可能であり、その規定の効力が存在し続けるとしても、現実の権力行使(国家行為)の中において正当性を有しない違憲・違法な「武力の行使」が行われる可能性そのものが完全になくなるわけではない。
法の精神からは望ましい形とは言えないが、権力者が事後的に法によって処罰を受けたり、損害賠償の責任を負うこととなる中において、違憲・違法な「武力の行使」が行われることは起こり得るのである。
このことは、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や、「存立危機事態」での「武力の行使」を実施するための法律の規定が定められている場合においても同様である。
9条が存在する限りにおいては、「閣議決定」や「法律」によって「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や、「存立危機事態」での「武力の行使」を実施する規定を定めたとしても、それを理由として9条の効力が否定され、違憲・違法な国家行為が合憲・合法に変わるわけではない。
9条の規定の効力によって違憲・違法となる国家行為を行ったならば、責任者は法によって処罰され、損害賠償の責任を負うこととなる。
国家権力は、国民主権に基づく正当な権力を生み出すプロセスに拘束される必要があり、9条という規定が存在する限りは、国家行為をその規定の求める手続きに則らせる必要がある。もし権力者がそれを逸脱する国家行為を行った場合、その者に対する情状酌量の余地は、法による処罰や損害賠償の算定の段階で行われるべきものである。
これにより、9条に改正限界説が存在するとしても、それをもって直ちに9条の精神の実現可能性の当不当が問われる問題であることを理由として、裁判所が「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や、「存立危機事態」での「武力の行使」が9条に抵触するか否かについての法的判断を行わないとの結論を採用することは相当とは思われない。
行政府の長である内閣総理大臣「安倍晋三」も「憲法改正ができないから解釈変更を行うものではない」と答弁しており、「存立危機事態」での「武力の行使」について直接的な法的審査が行われることを受け入れる立場に立っている。
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○内閣総理大臣(安倍晋三君) 今回の平和安全法制の整備は、これはあくまでも憲法の許容する範囲内でこれを行うものであり、これは当然のことであります。憲法改正ができないから解釈変更を行うものではないということは、はっきりと明確に申し上げておきたいと思います。
(略)
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第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第4号 平成27年7月29日
【動画】参議院平和安全特別委員会 2015.07.29 (1時間28分52秒より)
上記、「憲法の許容する範囲内」と述べている部分については、1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称する部分も同様)に「存立危機事態」の要件は当てはまらないため、政府自身の提示する違憲審査基準によって論理的に違憲と導かれる部分である。政府自身の違憲審査基準によって、「憲法の許容する範囲内」とは言えない。
当時の内閣法制局長官「横畠裕介」も、「合憲性は十二分に説明できるものと考えております。」と説明しており、法的判断を受け入れる立場である。
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○政府特別補佐人(横畠裕介君) 裁判において、裁判所において違憲であるという判断がされるということは考えておりません。合憲性は十二分に説明できるものと考えております。
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第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第8号 平成27年8月5日
【動画】横畠裕介「裁判になっても合憲」vs「あなたはもう普通じゃない」寺田典城
「超法規的憲法保障」に分類されている「国家緊急権」によって「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」や、「存立危機事態」に該当するような「武力の行使」が行われる可能性が考えられるとしても、9条が存在する限りは9条の規定に従って法整備を行う必要がある。憲法に違反する形で予め法令を制定することが許されるわけではない。学説上において、事実上行われた国家行為が事後的に裁判所の法的判断の段階で「国家緊急権」を理由として違法性が阻却される可能性があるとしても(判例は存在しないと思われる)、9条に抵触する法律を立法したのであれば、それは違憲と評価せざるを得ないものである。
上記とは異なるが、下記は、日本国憲法の下では通常の場合に「統治行為の理論が成立する余地はない」という前提の下、憲法保障の「事後的保障手段」としての「抵抗権」や「国家緊急権」が行使された場合において、裁判所が法的審査の段階で統治行為論を根拠として法的判断を回避する可能性があるか否かについて研究する必要があると述べているものである。
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わが国憲法において統治行為の理論が成立する余地はないということは、現憲法の条項に則しての前提問題である。したがって、抵抗権、国家緊急権の問題については、それがいわゆる統治行為に属するかどうかは今後の研究にゆずることにする。
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【刑罰と国家賠償との関係】
さらに、「我が国が主体となって指揮権、管理権を行使する」「武力の行使」や「実力組織」であるにもかかわらず、裁判所が統治行為論を採用することによって法的判断を行わないということになれば、国会によって「侵略戦争開始の議決」が行われたり、「侵略戦争のための戦力の保持に関する法律」、「戦争遂行と占領地での統治権の行使に関する法律」などを立法した際に、裁判所によって違憲判断を行うことができなくなる。
また、この影響により、それらの法律を立法した国会議員や、それらの権限を行使した内閣以下の行政府職員に対して、刑罰や国家賠償の責任を負わせることができないこととなってしまう。
そうなれば、9条が定められているにもかかわらず、それらの行為を法によって防ぐことができないこととなるのであって、無制限の「侵略戦争」や「武力の行使」、無制限の「戦力」の保持をも可能としてしまうことに繋がる。
これらのことより、裁判所が統治行為論を採用して憲法判断を回避することは妥当とは思われない。
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しかし、これに止まらず司法の果たすべき役割はそれに止まらず、立憲主義を回復させ、違憲判決が射程に置かれなければかえって安保関連法に「合憲」のお墨付きを与えることになりかねません。
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自衛官の安保出動拒否、審理差し戻し、「司法の黙認が許されないことを示した」猪野弁護士が指摘 2018年02月04日
【それでもなお統治行為論を検討する場合】
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また、もしもこの砂川判決を先例として積極的に読むべきというのであれば、統治行為に属するものであっても、一見極めて明白に違憲無効の法令であれば、裁判所は違憲と宣言してよい筈である。通説、政府見解の何れから見ても本法案はそのレベルにある。ならば、本法案が今後仮にこのまま制定されても、何か事件が生じたとき、裁判所がこれを違憲と宣言する場合すらあると思える。
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君塚正臣(横浜国立大学) 安保法案学者アンケート 2015年7月17日 (下線は筆者)
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わが国の司法の在り方は、司法消極主義と言われてきたように、違憲審査権の行使に慎重である。このような司法の在り方は、国会を国権の最高機関とする憲法原理に照らし、それなりの根拠を有するものではあるが、一見明白に違憲の立法についてまで、違憲審査権の行使を抑制すべき根拠はない。憲法98条は、裁判官に対しても、明示的に、「この憲法を尊重し擁護する義務」を課している。明白に違憲な法制に対する違憲審査権行使の抑制は、この崇高な義務に反し、違憲審査権に基づく憲法保障機能を失わせる。
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安保法制違憲訴訟 大分では2017年1月10日提訴 2017年1月10日
統治行為について、長沼事件第二審判決(高裁判決)の中で解説がある。
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もつとも、純粋な意味で統治行為の理論を徹底させ、これについてはおよそ司法審査の対象にならないとするときは、立法、行政機関の専権行為については、明白に憲法その他の法令に違反するものであつても、裁判所がこれを抑制できないことになるが、それはまた、他面において三権分立の原理に反することになるといわなければならず、憲法第九八条の規定からも、右結論を是認することはできない。したがつて、立法、行政機関の行為が一見極めて明白に違憲、違法の場合には、右行為の属性を問わず、裁判所の司法審査権が排除されているものではないと解すべきである。
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結局憲法第八一条は、前記統治行為の属性を有する国家行為については原則として司法審査権の範囲外にあるが、前記の如く大前提、小前提ともに一義的なものと評価され得て一見極めて明白に違憲、違法と認められる場合には、裁判所はこの旨の判断をなし得るものであることを制度として認める規定であると解するのが相当である。
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保安林解除処分取消請求控訴事件 札幌高等裁判所 昭和51年8月5日 (PDF)
上記と同じ(PDF)で、P82から「 (原裁判等の表示) 」として長沼事件の第一審の判決と思われる資料が紹介されている。その中で、統治行為論について「第二、自衛隊の司法審査の法的可能性(いわゆる統治行為論について)」(PDF上のP89~93)の項目が詳しい。
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(1) 憲法九条の法的牲格
当審におけるいわゆる「立法事実」に関する証人の証言を援用するまでもなく、憲法九条は、前文のように政治的理念の表明にとどまるものではなく、今次大戦の惨禍とこれに対する国民的反省に基づき、前文で表明された平和主義を制度的に保障するため、戦争放棄という政策決定を行い、それを中外に宣明した・憲法の憲法ともいうべき根本規範である。したがつて、その意味・内容は、まさに、法規範の解釈として、客観的に確定されるべきものであつて、時の政治体制や国際情勢の推移等に伴つてほしいままに変化されるべき性質のものではない、といわなければならない。
もつとも、憲法九条の規定する戦争の放棄にしても、戦力の不保持にしても、国土の安全保障という高度の政治性を有する問題である。そして、このことから、本条をいわゆる政治的規範であつて政治の面においてのみ拘束力を有するにすぎないものであり、その意味・内容も終局的には主権者たる国民の政治的意思によつて決定されるべきであるとする見解もある。しかし、ここで問題となつているのは、国土の安全保障としていかなる政策を選ぶのが妥当であるかということではなく、本条がいかなる政策を選んだかということであり、また、その点は一応度外視するとしても、他に特段の事情もないのに、ただ単に本条が高度の政治性を有する事項に係わるものであるという一事のみによつて、本条を政治的規範であると解し、本条に関する争いを司法の統制外に置くことは、それだけ本条の実効性を殺ぐこととなり、憲法がその最高法規性を明言し、裁判所に法令審査権を与えて憲法理念(精神)の貫徹を期した法意にもそぐわない恐れなしとしない。それ故、右の見解にはにわかに左袒することができず、憲法九条は、裁判規範として法令、処分等の合憲性の判断基準になり得るもの、と解するのが相当であろう。
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(2) 裁判所と憲法判断
もとより、憲法九条についても、規定の文言解釈のみに終始することなく、憲法の基本精神に立ち帰り、かつ、九条の基調とする平和主義の理念とその他の基本理念との弾力的調和のもとに、目的論的解釈によつて、前記諸見解のうちのいずれが妥当な解釈であるかを決定することは可能であり、また、裁判所は、必要に応じてそれを決定しなければならないのである。……(略)……
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東京高等裁判所 (百里基地訴訟 第二審の高裁判決と思われるが、この資料のタイトルの年は判決日ではなく事件番号であることに注意。)
<理解の補強>
統治行為論 Wikipedia
【秀逸】統治行為論不要説 原島啓之 PDF
書籍『憲法と政治』 青井未帆 2016年5月
(書籍『憲法と政治』 青井未帆 2016年5月)
これはすごい資料だ。
違憲審査制と裁判所の役割 PDF
訴訟資料 『安保準備書面17(違憲審査制と裁判所の役割).pdf』が詳しい
違憲判断の回避について 弁護士 伊藤真 PDF
多数意見による反対意見・非論及の憲法問題 ~ 最高裁判所の「すれ違い判決」を巡る考察 ~ 小西 洋之(参議院) PDF
(多数意見による反対意見・非論及の憲法問題 ~ 最高裁判所の「すれ違い判決」を巡る考察 ~ 小西 洋之(参議院) PDF)
砂川判決の要約
判決文は一文が長すぎる。その影響で意味を読み取れなくなってしまうため、白色で潰して要約する。かなり読みやすくなったのではないだろうか。
(抜粋)
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一、先ず憲法九条二項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
二、次に、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。
しかるに、右安全保障条約は、日本国との平和条約(昭和二七年四月二八日条約五号)と同日に締結せられた、これと密接不可分の関係にある条約である。すなわち、平和条約六条(a)項但書には「この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。」とあつて、日本国の領域における外国軍隊の駐留を認めており、本件安全保障条約は、右規定によつて認められた外国軍隊であるアメリカ合衆国軍隊の駐留に関して、日米間に締結せられた条約であり、平和条約の右条項は、当時の国際連合加盟国六〇箇国中四〇数箇国の多数国家がこれに賛成調印している。そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当つては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。
ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである。
三、よつて、進んで本件アメリカ合衆国軍隊の駐留に関する安全保障条約およびその三条に基く行政協定の規定の示すところをみると、右駐留軍隊は外国軍隊であつて、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となつてあだかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。またこの軍隊は、前述のような同条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり、同条約一条の示すように極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに一または二以上の外部の国による教唆または干渉によつて引き起されたわが国における大規模の内乱および騒じようを鎮圧するため、わが国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することとなつており、その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるのである。
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砂川判決の9条解釈の分析
砂川判決の「判決理由」、「補足意見」、「意見」から類似した見解を集め、砂川判決の「判決理由」に記載された9条解釈の意味の輪郭をよりクッキリとした形に描き出したいと思う。
「判決理由」、「補足意見」、「意見」は当サイト下記で詳しく確認できる。
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【判決の理由】
そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。
【① 田中耕太郎】
その解釈について争いが存する憲法九条二項をふくめて、同条全体を、一方前文に宣明されたところの、恒久平和と国際協調の理念からして、他方国際社会の現状ならびに将来の動向を洞察して解釈しなければならない。
【① 田中耕太郎】
我々として、憲法前文に反省的に述べられているところの、自国本位の立場を去つて普遍的な政治道徳に従う立場をとらないかぎり、すなわち国際的次元に立脚して考えないかぎり、憲法九条を矛盾なく正しく解釈することはできないのである。
【判決の理由】
すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。
【① 田中耕太郎】
憲法九条の平和主義の精神は、憲法前文の理念と相まつて不動である。
【① 田中耕太郎】
我々は「国際平和を誠実に希求」するが、その平和は「正義と秩序を基調」とするものでなければならぬこと憲法九条が冒頭に宣明するごとくである。平和は正義と秩序の実現すなわち「法の支配」と不可分である。
【⑧ 奥野健一、同高橋潔】
憲法九条一項は「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争を解決する手段とする」ことを禁止しているのであつて、
【⑧ 奥野健一、高橋潔】
憲法九条一項は、わが国の、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としてはこれを放棄したものであり、
【⑥ 石坂修一】
蓋し、国際紛争解決の手段としての、国権の発動なる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、勝敗により事を決する意図の下に、いづれもこれにより相手方を制圧、屈服せしめ、以つて国家の一方的利益に国際紛争を終局に導くことを目的とするものであり、
【① 田中耕太郎】
それは侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄する。
【① 田中耕太郎】
同条の精神は要するに侵略戦争の禁止に存する。
【判決の理由】
同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときこと
【⑧ 奥野健一、同高橋潔】
その趣旨は不戦条約にいう「国際紛争の解決のために戦争に訴えることを不法とし、国家の政策の手段としての戦争を放棄する」というのと同趣旨に解すべきものであり、かくて、また国連憲章二条四項の趣旨とも合致するものと考える。
【⑥ 石坂修一】
蓋し、国際紛争解決の手段としての、国権の発動なる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、勝敗により事を決する意図の下に、いづれもこれにより相手方を制圧、屈服せしめ、以つて国家の一方的利益に国際紛争を終局に導くことを目的とするものであり、憲法九条はかゝる目的のために戦力の保持せられることを禁止したものと解すべきである。
【⑧ 奥野健一、高橋潔】
憲法九条一項は、わが国の、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としてはこれを放棄したものであり、従つて、同条二項の戦力の不保持も、わが国が自ら指揮権管理権を有する戦力の保持を禁じたものと解すべきが当然であり、
【② 島保】
同条二項にいう戦力とは、わが国の指揮管理下にある戦力を意味し、
【判決の理由】
同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、
【判決の理由】
そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。
【⑥ 石坂修一】
憲法九条は、国権の発動なる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争解決の手段としては、永久に放棄し、右の目的を達成するため、戦力を保持しないことをこそ規定すれ、
【判決の理由】
かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、
【判決の理由】
しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、
【② 島保】
日本国憲法九条はわが国の自衛権そのものを否定するものではないこと、
【⑧ 奥野健一、高橋潔】
従つて、憲法九条一項は何らわが国の自衛権の制限・禁止に触れたものではなく、「国の自衛権」は国際法上何れの主権国にも認められた「固有の権利」として当然わが国もこれを保持するものと解すべく、
【⑦ 小谷勝重】
憲法九条はわが国が主権国として有する固有の自衛権それ自体はこれを否定したものではなく、
【⑥ 石坂修一】
わが国が自ら右の如き自衛権行使の手段即ち防衛手段を保有することを、全面的に禁止して居るものとは、到底解し得られない。
【① 田中耕太郎】
およそ国家がその存立のために自衛権をもつていることは、一般に承認されているところである。
【⑥ 石坂修一】
これ等は、既に述べたるが如き自衛権の行使及びそのための防衛手段とは、全く法的意義を異にし、彼此の間は、峻別せらるべきものであつて、混淆を許されぬ。
【判決の理由】
憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。
【⑧ 奥野健一、高橋潔】
一方、憲法前文の「……われらの安全と生存を保持しようと決意した」とか「……平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とかとの宣言によつても明らかなように、憲法はわが国の「生存権」を確認しているのである。
【⑧ 奥野健一、高橋潔】
けだし、わが国が武力攻撃を受けた場合でも、自衛権の行使ないし防衛措置を採ることができないとすれば、坐して自滅を待つの外なく、かくの如きは憲法が生存権を確認した趣旨に反すること明らかであるからである。
【判決の理由】
わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。
【判決の理由】
しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。
【⑧ 奥野健一、高橋潔】
然るに、今若しわが国が他国からの武力攻撃を受ける危険があるとしたならば、これに対してわが国の生存権を守るため自衛権の行使として、防衛のため武力攻撃を阻止する措置を採り得ることは当然であり、憲法もこれを禁止していないものと解すべきである。
【① 田中耕太郎】
それは外部からの侵略の事実によつて、わが国の意思とは無関係に当然戦争状態が生じた場合に、止むを得ず防衛の途に出ることおよびそれに備えるために必要有効な方途を講じておくことを禁止したものではない。
【⑤ 河村大助】
憲法九条において戦争を放棄し、戦力の保持を禁止したわが国が、その生存と安全を全うするために如何なる措置を講じ得るかの点については、憲法に特別の明文はないが、わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために適当な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能であつて憲法の趣旨精神にも適合するものである
【② 島保】
憲法九条二項を以上の趣旨に解する以上、わが国がその指揮管理下に戦力を保有すること以外のいかなる手段方法によつてわが国の存立をまつとうすべきかということ(従つて、わが国の指揮管理下に立たない外国の軍隊に依存してその自衛をまつとうすべきかということ)については、わが憲法は、直接これを規定することなく、政治部門の裁量決定に委ねる趣旨と解さざるを得ない。
【判決の理由】
すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。
【判決の理由】
そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
【判決の理由】
従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、
【⑧ 奥野健一、高橋潔】
(なお、憲法九条が自衛のためのわが国自らの戦力の保持をも禁じた趣旨であるか否かの点は、上告趣意の直接論旨として争つているものとは認められないのみならず、本件事案の解決には必要でないと認められるから、この点についてはいまここで判断を示さない)。
【⑦ 小谷勝重】
また同条二項前段は右自衛権行使のためわが国自体が保持する戦力をも禁止しておるものであるか否かは別論として、
【判決の理由】
そしてこのことは、憲法九条二項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである。
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砂川判決の読み方の誤り
〇 「自衛権」と「自衛のための措置」の違い
平成30年版 防衛白書の記載を検討する。
<解説>平和安全法制と憲法の関係について 平成30年版 防衛白書
(下記も上記と同様の説明が見られる)
平和安全法制と憲法の関係について 平成28年版
防衛白書 PDF (P212)
平和安全法制と憲法の関係について 日本の防衛 (P236)
平成30年版 防衛白書には、砂川判決について「個別的自衛権、集団的自衛権の区別をつけずに、我が国が、自衛権を有することに言及した上で、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な『自衛の措置』を取り得ることを認めたものであると考えられます。」との記載がある。
しかし、砂川判決は9条が「自衛権」という『権利(right)』を否定するものではないと示したものの、日本国が行うことのできる「自衛のための措置(自衛の措置)」の中に、日本国の統治権の『権限(power)』による「武力の行使」が含まれているか否かについては判断していない。
そのため、この場面で防衛白書が「新三要件の下で認められる『武力の行使』は、砂川事件に関する最高裁判決の範囲内です。」や「憲法の解釈を最終的に確定する機能を有する唯一の機関である最高裁判所の出した砂川判決の範囲内であり、憲法に合致したものです。」と説明することは誤りである。
また、「個別的自衛権、集団的自衛権の区別をつけずに、我が国が、自衛権を有することに言及した上で、」との記載があるが、「個別的自衛権」や「集団的自衛権」とは国連憲章51条に記載された国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由の『権利(right)』の区分であり、憲法解釈である9条の制約がいかなる範囲であるかを決する基準とは関係がない。そのため、日本国の統治権の『権限(power)』の範囲を確定する作業である9条解釈の基準として用いることはできない。
日本国が国際法上の『権利(right)』の適用を受ける地位を有していることは確かであるが、「個別的自衛権、集団的自衛権の区別をつけずに、」と記載して、あたかも「集団的自衛権の行使」としての日本国の統治権の『権限(power)』による新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」を正当化するための主張として用いることができるかのように誤解を生ませようとする意図の感じられる文面であることには注意が必要である。
ただ、やはり砂川判決は「自衛のための措置」の中に日本国の統治権の『権限(power)』による「武力の行使」が含まれるか否かについては判断していないため、「砂川判決の範囲内」との評価を下すことは誤りである。
この防衛白書のその他の誤りについては当サイト「集団的自衛権の合憲性の誤解4」で詳しく解説している。
〇 砂川判決の示した「自衛権」の性質とは何か
砂川判決は「個別的自衛権」について述べたものであるとの主張を見ることがある。
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桐山 そもそも集団的自衛権の問題のとき、政権はいわゆる砂川判決を根拠としました。しかし、この判例は個別的自衛権について述べたもので、集団的自衛権など視野にもありませんでした。憲法学の世界でもそれが常識です。政府見解でも長く「集団的自衛権は憲法上、許されない」と公式に述べています。
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「安保法制」違憲を問う声は 桐山桂一・論説委員が聞く 2018年9月22日
しかし、「個別的自衛権」とは国際法上の概念であり、日本国の裁判所によってその区分にあたる措置かどうかは判断できないと思われる。また、「個別的自衛権」であろうと「集団的自衛権」であろうと、これは国際法上の『権利(right)』であって、9条が日本国の統治権の『権限(power)』を制約する趣旨とは異なる。この「個別的自衛権」の表現が示すものについて、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合の『武力の行使』」のことを述べているのかもしれないが、砂川判決は日本国の統治権の『権限(power)』による「武力の行使」が許容されるかどうかについては判断していない。
ただ、砂川判決の裁判官の補足意見にて9条1項が「不戦条約」と同様の趣旨であることを述べていることから推察し、「不戦条約」の締結当時に国連憲章51条の「集団的自衛権」にあたる自衛権の概念が未だ存在しなかったことから、「不戦条約」の下でも許容されるとする「自衛権」の概念が国連憲章51条の「個別的自衛権」にあたる部分であると解し、9条1項が「我が国に対する武力攻撃が発生」した場合に行われる自衛の措置としての「武力の行使」のみは許容していると考える余地はある。
この意味は、以前存在していた「国際連盟」が廃止されたように、現在の「国連憲章」が破棄されて「国際連合」の体制が廃止されることを考えれば理解しやすい。国連憲章が廃止されたならば、国連憲章2条4項が定めている「武力不行使原則」は失われ、「個別的自衛権」や「集団的自衛権」という違法性阻却事由の『権利』の区分も存在しなくなるのである。この場合に、9条1項の規定が何を意味しているのかを解すると、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」にそれを排除するための「武力の行使」については否定していない旨であると考えることができるからである。
【参考】砂川判決が個別的自衛権を合憲と判断した…が嘘と言える理由 2019.02.12
「政府見解でも長く『集団的自衛権は憲法上、許されない』と公式に述べています。」との記載があるが、厳密には誤りである。9条は「集団的自衛権」という国際法上の『権利(right)』そのものを制約する規定ではない。政府が「集団的自衛権の行使」について「憲法上、許されない」と述べてきたのは、憲法9条の下では「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」を行うことが全て違憲となるとの基準があり、「集団的自衛権の行使」とは「我が国に対する武力攻撃」が発生していない段階で「武力の行使」を行うものであることによってこれを満たさないからである。9条は「集団的自衛権」という国際法上の『権利(right)』を直接的に制約する規定ではなく、「集団的自衛権」そのものを許さないとしているものではない。「集団的自衛権の行使」として行われる日本国の統治権の『権限(power)』による「武力の行使」が憲法上許されないと述べているものである。
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○秋山政府特別補佐人 集団的自衛権と憲法第九条の問題でございますが、お尋ねにございましたように、我が国が主権国家である以上、国際法上は集団的自衛権を有していることは当然でございますが、国家が国際法上、ある権利を有しているとしましても、憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限することはあり得ることでございまして、国際法上の義務を国内法において履行しない場合とは異なり、国際法と国内法との間の矛盾抵触の問題が生ずるわけではございませんで、法律論としては特段問題があることではございません。
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159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日 (下線・太字は筆者)
1972年(昭和47年)政府見解は、9条の制約の意味を「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」を全て違憲とするものである。結果として、日本国の統治権の『権限(power)』において「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を行うことには、この要件を満たさない中で「武力の行使」を行うものであるため9条に抵触して違憲となるため不可能との結論に至るのである。
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お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。
したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。
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第159回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成16年1月26日 (下線・太字・色は筆者)
9条によって日本国の統治権の『権限(power)』による「武力の行使」が制約されることによって、結果として「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」はその制約を超えるものであるために許されず、行使できないのである。
注意したいのは、たとえ国際法上の違法性阻却事由である「個別的自衛権」の『権利(right)』として許容される範囲であっても、日本国の統治権の『権限(power)』が9条の制約を超える「武力の行使」を行うことはできないことである。「個別的自衛権」の範囲であれば合憲となるというものではなく、9条の制約の下でも行使できるとする「武力の行使」は、国際法上の評価として「個別的自衛権」の範囲であるとの結論に至るだけである。
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○角田(禮)政府委員 ちょっと別の例で申し上げて恐縮でございますが、いわゆる個別的自衛権、こういうものをわが国が国際法上も持っている、それから憲法の上でも持っているということは、御承認願えると思います。
ところが、個別的自衛権についても、その行使の態様については、わが国におきましては、たとえば海外派兵はできないとか、それからその行使に当たっても必要最小限度というように、一般的に世界で認められているような、ほかの国が認めているような個別的自衛権の行使の態様よりもずっと狭い範囲に限られておるわけです。そういう意味では、個別的自衛権は持っているけれども、しかし、実際にそれを行使するに当たっては、非常に幅が狭いということを御了解願えると思います。
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第94回国会 衆議院 法務委員会 第18号 昭和56年6月3日 (下線は筆者)
【参考】憲法と自衛権 防衛省・自衛隊 過去のページ (2014年7月1日閣議決定までの解釈)
〇 上記と同様の論点で誤っている。
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さらに砂川事件の最高裁判決では、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」とし、いわゆる個別的自衛権を認めているが、安倍政権による2014年の限定的な集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定や、その翌年に審議・成立した一連の安全保障関連法にあたり、高村正彦自民党副総裁は最高裁判決における自衛権への言及について、「集団的自衛権も含まれるもの」と拡大解釈・曲解・牽強付会し、解釈改憲・安保関連法成立の「法的根拠」とした経緯がある。
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NHKドキュメンタリーETV特集「砂川事件 60年後の問いかけ」 2017年12月18日 (下線は筆者)
「いわゆる個別的自衛権を認めているが、」との記載があるが、砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないため、国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する違法性阻却事由としての「個別的自衛権」を行使して行う「武力の行使」が可能であるとは述べていない。そのため、「いわゆる個別的自衛権を認めているが、」との認識は正確には誤りである。砂川判決は9条は国際法上の『権利』としての「自衛権」を否定するものではないと述べているだけである。
〇 議論がすれ違っている。
下記は、「個別的自衛権」か「集団的自衛権」かが論点となっている。しかし、国際法上の「自衛権」という『権利』そのものは9条の制約範囲とは何ら関係がないことを理解すれば、誰がどのような意味で「自衛権」という言葉を使っているのかが異なり、議論がすれ違っていることをが分かる。
砂川事件最高裁判決は集団的自衛権の行使が合憲である根拠にはならない。 2015年06月09日
〇 砂川判決は「我が国に対する武力攻撃」を想定するものであることは確かである。
砂川判決は日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」の可否については何も述べていないことから、日本国が国際法上の「個別的自衛権の行使」や「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」を行う場合については何も述べられていない。
ただ、砂川判決が示している「自衛のための措置」の内容は「我が国(日本国)に対する武力攻撃」が発生した場合を想定するものであることは確かである。