平和的生存権



 前文に記された「平和のうちに生存する権利(平和的生存権)」について検討する。


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二について
 憲法の基本原則の一つである平和主義については、憲法前文第一段における「日本国民は、・・・政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」の部分並びに憲法前文第二段における「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」及び「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」の部分がその立場に立つことを宣明したものであり、憲法第九条がその理念を具体化した規定であると解している。
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集団的自衛権並びにその行使に関する質問に対する答弁書 平成26年4月18日 (色は筆者)


【前文】
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 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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  ↓  ↓  ↓  ↓  (平和主義の理念を具体化)  ↓  ↓  ↓  ↓

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    第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない
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砂川判決
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一、先ず憲法九条二項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないうにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
 そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
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 砂川判決の内容は、前文で日本国民が「国際社会において、名誉ある地位を占める」と願い、「全世界の国民」と同様に日本国民も「平和のうちに生存する権利」を有していると考えることから、憲法の「平和主義」はわが国に対する外国の武力攻撃に対して「無防備、無抵抗」を求めるものではないと解する判断である。「名誉ある地位を占める」や「生存する」ことを達成することが予定されているのであって、「無防備、無抵抗」で「名誉ある地位を占める」ことができなくなったり、「生存する」ことを達成できなくなることは、憲法解釈として妥当性を欠くということである。

 しかし、だからといって日本国の統治権によって「戦力」を保持したり、「武力の行使」を行ったりすることができるかどうかは砂川判決では述べておらず、「自衛のための措置」の選択肢として挙げているものは、「国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等」と「他国に安全保障を求めること」だけである。他の選択肢については、何も述べていないのである。



名古屋地裁判決(平成18年4月14日) (P105~)
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 憲法前文は,恒久の平和を念願し全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認する旨うたい,憲法9条は,国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使放棄し,戦力を保持せず国の交戦権を認めない旨規定している。しかしながら,憲法前文は,憲法の基本的精神や理念を表明したものであって,それ自体が国民の具体的権利を定めたものとは理解し難い。また,憲法9条は,国家の統治機構ないし統治活動についての規範を定めたものであって,国民の私法上の権利を直接保障したものということはできない。そもそも 「平和」とは,理念ないし目的としての抽象的 ,概念であって,その到達点及び達成する手段・方法も多岐多様であるから,原告らが主張する平和的生存権等の内包は不明瞭で,その外延はあいまいであって,到底,権利として一義的かつ具体的な内容を有するものとは認め難く,これを根拠として,各個人に対し,具体的権利が保障されているということはできない(高裁平成元年6月20日第三小法廷判決・民集43巻6号385頁参照 。 )
 このことは,原告らが「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利 , 」「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利 「他 」,国の民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく,自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利 「信仰に基づいて平和を希求し,す 」,べての人の幸福を追求し,そのために非戦・非暴力・平和主義に立って生きる権利」など,表現を異にして主張する権利についても同様である。
 したがって,原告らの主張する平和的生存権等は具体的権利といい得ないものである。
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 名古屋高裁で「平和的生存権」を肯定しているものがある。


 近代憲法は「権利章典」と「統治機構」で構成されている。つまり、「人権」と「統治」である。「人権保障」と「権力分立」とも言われる。

 憲法は、「人権」という目的を達成するために、手段として「統治機構」を創設し、人権保障に奉仕させる仕組みなのである。

 この関係から考えると、「平和的生存権」は「権利」であり、この目的を達成する手段として、「統治機構」に9条の制約を加えたと考えることが妥当であると考えられる。

 ただ、この「平和的生存権」は前文の中で掲げられているものであり、憲法第三章「国民の権利及び義務」に具体的な条文として定められているわけではない。そのため、これは国内的に「日本国民」あるいは「日本国に住む外国人」を対象とする具体的な人権規定とは区別されているようにも見受けられる。

 また、前文では「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とあることから、「日本国民」や「日本に住む外国人」のみを対象とした規定ではなく、「全世界の国民」を対象としている規定である。

 この「全世界の国民」の「平和的生存権」を実現するという目的を達成するために、手段として日本国は自国の「統治機関」に対して9条によって「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の制約をかけていると考える。

 このことから導かれることは、「全世界の国民」の「平和的生存権」を保障する観点から、「平和主義」や9条の趣旨を読み解くことが妥当な解釈基準を導き出すことに繋がると考えられる。

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(イ)そこで検討するに、憲法は、前文において、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とし、9条において、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄し、戦力を保持せず、国の交戦権を認めない旨を規定している。これらの規定からすると、憲法が日本国民のみならず全世界の国民が平和のうちに生存すべきであるとの理念を有しているということができる。

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信州安保法制違憲訴訟判決書(R3.6.25).pdf 信州安保法制違憲訴訟の会 令和3年6月25日 (P30)

 



 

 


(百里基地訴訟最高裁判決)

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すなわち、憲法九条の宣明する国際平和主義、戦争の放棄、戦力の不保持などの国家の統治活動に対する規範は、私法的な価値秩序とは本来関係のない優れて公法的な性格を有する規範であるから、私法的な価値秩序において、右規範がそのままの内容で民法九〇条にいう「公ノ秩序」の内容を形成し、それに反する私法上の行為の効力を一律に否定する法的作用を営むということはないのであつて、右の規範は、私法的な価値秩序のもとで確立された私的自治の原則、契約における信義則、取引の安全等の私法上の規範によつて相対化され、民法九〇条にいう「公ノ秩序」の内容の一部を形成するのであり、したがつて私法的な価値秩序のもとにおいて、社会的に許容されない反社会的な行為であるとの認識が、社会の一般的な観念として確立しているか否かが、私法上の行為の効力の有無を判断する基準になるものというべきである。

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同条は、日本国憲法の基盤をなす平和主義の原理を正文のなかの一箇条として規範化したものであり、きわめて重要な規定であることはいうまでもないが、それは、国の統治機構ないし統治活動についての基本的政策を明らかにしたものであつて、国民の私法上の権利義務と直接に関係するものとはいえない。

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憲法九条の規定は統治機構統治活動に向けられた政治的色彩の濃い規範であるとしても、それがために公序と関係がないとはいえず、むしろ憲法秩序として重要なものであるから社会の公序を形成しているといえるであろう。

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とくに憲法九条のような統治機構統治活動に密着するきわめて公法的性格の強い規範の場合にそう考えるべきである。

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不動産所有権確認、所有権取得登記抹消請求本訴、同反訴、不動産所有権確認、停止条件付所有権移転仮登記抹消登記請求本訴、同反訴及び当事者参加 最高裁判所第三小法廷 平成元年6月20日



疑問


 一般に「平和的生存権」と呼んでいるものについて、前文のどの範囲を指しているのだろうか。

〇 「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」の部分
〇 「平和のうちに生存する権利」の部分

 「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、」の部分は、ここにいう『権利』の中に含まれているのか否かが明確でないように思われる。「、」があるため、区切ることができるようにも思える。しかし、「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」の全てをまとめて一般に「平和的生存権」と一括りにされる対象であるようにも思われる。

 また、ここで登場する「平和」というものは、9条が1項で禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「戦争」「武力による威嚇」「武力の行使」や、2項前段で禁じる「陸海空軍その他の戦力」、2項後段で禁じる「交戦権」と直接的な関係性を有する意味で捉えるべきなのだろうか。つまり、一般に第二章の「戦争の放棄」と関係する意味として読み解くべきなのだろうか。
 それとも、第二章の「戦争の放棄」とは関係せずに、「平穏に生きること」を「平和」と表現しているだけだろうか。「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、」の部分は、「戦争」と関係する意味で用いられているのか、「人権侵害一般」の意味で用いられているのか明確でないように思われる。


〇 「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、」の部分は、「戦争」と関係する意味

〇 「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、」の部分は、「人権侵害一般」の意味


 直前の文で、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を」との文言がある。これを三分割すると下記のようになる。
① 平和を維持
② 専制と隷従
③ 圧迫と偏狭


 これに対応する意味で「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を読み解くことができるだろうか。


① 平和を維持  ━  平和
② 専制と隷従  ━  恐怖(?)
③ 圧迫と偏狭  ━  欠乏(?)


 完璧な対応関係にあるというわけでもないように思われる。


 「全世界の国民」が「ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を有することを確認している。ただ、その意味するところは明確でない。考えられるのは下記の通りである。

〇 「全世界の国民」が「戦争」のない中で「生存する権利」を有するという意味
〇 「全世界の国民」が「人権侵害」のない中で「生存する権利」を有するという意味



 ただ、日本国憲法が「平和主義」と「国際協調主義」の両方を採用しており、日本国憲法が「人権概念」の性質を「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」として人類的基盤に根差すものとしている意味では、「戦争」に関連する意味も、「人権侵害」に関連する意味も、両方の意味があるようにも思われる。





<理解の補強>

平和的生存権 Wikipedia
平和的生存権および日本国憲法9条の今日的意義を確認する宣言 日本弁護士連合会
第六十五回 平和的生存権(名古屋高裁判決から考える平和実現の具体的手段) 伊藤真

自衛隊イラク派兵差止訴訟 9条1項違反の違憲判決 2008年4月17日

自衛隊イラク派兵差止訴訟・名古屋 関係ニュース 2008.9.16


<勉強中>

名古屋高裁自衛隊イラク派遣差止訴訟判決に関する決議 決議理由 2008年05月23日

 「また、本判決は、憲法前文の平和的生存権について、全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であり、裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得る具体的権利性が肯定される場合があると判断した。」


安保法違憲訴訟で原告敗訴 全国22地裁で初判決、札幌 2019.4.22

 (『公権力の行使』の部分の分析については、当サイト『集団的自衛権行使の違憲審査』のページで少し記載している。今後も分析を続ける。)


安保法制判決 何も答えぬ司法に失望 2019年4月23日

 「自衛隊のイラク派遣訴訟で、二〇〇八年に名古屋高裁は『平和的生存権は基本的人権の基礎で、憲法上の法的な権利』と認めた。今回はそれを『具体的な権利と解せない』と後退させた。」


平和的生存権は抽象的か 2019年5月13日

安保法制違憲訴訟における平和的生存権の主張 小林武 2017-07-28 愛知大学リポジトリ
第9条━特に平和的生存権の現代的意義について 2006年4月 PDF

■第ニ節 前文の法源性と「平和的生存権」の性質

◆3.5  平和的生存権

【かなり詳しい】解釈基準としての平和的生存権 齊藤正彰 2020-11-27 PDF

安保法制違憲訴訟7地裁判決における平和的生存権判断のあり方利 2021-07-30 愛知大学リポジトリ



違憲審査制と裁判所の役割 PDF

【動画】憲法を変えるな! ~安保法制違憲訴訟の勝利を目指して 2022/1/27

【動画】安保法制違憲訴訟 東京国賠控訴審 第6回口頭弁論 結審 2022/02/04






安保法制違憲訴訟の分析


安保法制違憲・国家賠償請求事件

〇 東京地方裁判所

 東京地方裁判所での「安保法制違憲・国家賠償請求事件」の「訴状」と「答弁書」の内容を検討する。

 下記は、【原告】【被告(国)】の主張を組み合わせ、対応関係が分かるようにした。インデントを下げている部分が、【被告(国)】の主張である。また、<筆者分析>も記した。


【原告】
安保法制違憲・国家賠償請求 訴状 (東京地方裁判所 御中) 2016(平成28)年4月26日


【被告(国)】
安保法制違憲・国家賠償請求事件 答弁書 (東京地方裁判所民事第1部合1係 御中) 平成28年9月2日 (P7~11)


(下線は筆者)

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【原告】
第2 集団的自衛権の行使等を容認する新安保法制法は違憲であり、その制定に係る内閣及び国会の行為は違法であること

1 新安保法制法制定の経緯
(1) 内閣は、前記のとおり、平成26年7月1日、26・7閣議決定を行いました。
同閣議決定は、「我が国を取り巻く安全保障環境は根本的に変容するとともに、更に変化し続け、我が国は複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している」「脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている」などとの情勢認識に基づき、「いかなる事態においても国民の命と暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく『積極的平和主義』の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制の整備をしなければならない」として、次のような法整備等の方針を示したものです。
①「武力攻撃に至らない侵害への対処」として、警察機関と自衛隊との協力による対応体制の整備、治安出動や海上警備行動の下令手続の迅速化の措置、自衛隊による米軍の武器等防護の法整備等を行う。
②「国際社会の平和と安定への一層の貢献」として、(1)後方支援について、他国軍隊の「武力の行使との一体化」論自体は前提としつつ、従来の「後方地域」や「非戦闘地域」に自衛隊の活動する範囲を一律に区切る枠組みではなく、他国が「現に戦闘行為を行っている現場」でない場所でならば支援活動を実施できるようにする、(2)PKOなどの国際的な平和支援活動について、駆け付け警護や治安維持の任務を遂行するための武器使用、邦人救出のための武器使用を認める。

③「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」として、後に新安保法制法において、存立危機事態における防衛出動として位置づけられる集団的自衛権の行使を、憲法上許容される自衛のための措置として容認する。
(2) 政府は、その後、平成27年4月27日、アメリカ合衆国との間で、新安保法制法案の内容に則した新たな「日米協力のための指針」(新ガイドライン)を合意した上、内閣は、前記のとおり、5月14日、新安保法制法案の閣議決定(27・5閣議決定)を行いました。この法案は、自衛隊法・事態対処法・周辺事態法・国連平和維持活動協力法等10件の法律を改正する平和安全法制整備法案と、従来のようなテロ特措法・イラク特措法等の特別立法なしに随時自衛隊を海外に派遣して外国軍隊を支援できるようにする一般法としての新規立法である国際平和支援法案の、2つの法案によって構成されたものです。そして政府は、翌5月15日、同法案を衆議院に提出しました。
 法案の内容は、基本的に26・7閣議決定に基づくものとなっていますが、それを超えた部分もあり、重要な点として例えば、後方支援について、従来の「周辺事態」を「重要影響事態」に広げて地理的限定なく自衛隊を派遣できるようにし、また、特別立法なしに世界中で生ずる「国際平和共同対処事態」にいつでも自衛隊を派遣できるようにし、さらにこれらの後方支援の内容として他国軍隊に対する弾薬の提供や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油・整備を可能としました。また、国連平和維持活動協力法においても、国連が統括しない「国際連携平和安全活動」にも自衛隊が参加できるようにしたなどの点があります。

(3) 新安保法制法案は、衆議院で同年7月16日に可決され、参議院で同年9月19日に可決されて、同月30日公布され、平成28年3月29日施行されました。


【被告(国)】

(略)


【原告】

2 集団的自衛権の行使が違憲であること
(1) 集団的自衛権の行使容認
 新安保法制法は、自衛隊法及び武力攻撃事態対処法を改正して、これまでの武力攻撃事態等(武力攻撃事態及び武力攻撃予測事態をいいます。以下同じ。)との概念に加えて、存立危機事態という概念を創り出し、自衛隊が、個別的自衛権のみならず、集団的自衛権を行使することを可能としました。


【被告(国)】
⑵ 「2 集団的自衛権の行使が違憲であること」について(16ないし21ページ)
ア 「⑴ 集団的自衛権の行使容認」について(16ページ)
(ア) 第1段落について
 平和安全整備法において自衛隊法及び「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」(平成15年法律第79号)。ただし、題名は、平成17年法律第76号により、「武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」と改められた。以下、「事態対処法」という。)の一部が改正されたこと、上記改正後の事態対処法において、武力攻撃事態等(武力攻撃事態及び武力攻撃予測事態)及び存立危機事態への対処について、基本理念、国、地方公共団体等の責務、国民の協力その他基本となる事項が定められたことは認める。平和安全法制整備法が自衛隊による集団的自衛権の行使を可能としたとの主張は、原告らのいう集団的自衛権の内容が明確なく、認否の限りでない。
 なお、被告は、平和安全法制整備法による改正後の自衛隊法及び改正後の事態対処法において認められる武力の行使のうち、国際法上は集団的自衛権として違法性が阻却されるものは、他国を防衛するための武力の行使ではなく、飽くまでも我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置に留まるものであるから、憲法9条の禁ずる武力の行使にあたるものではない一方、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないとの見解を採っている。


<筆者分析>

 被告(国)の主張で、「武力の行使のうち、国際法上は集団的自衛権として違法性が阻却されるものは、」と記載しているが、国際法上「集団的自衛権」とは「自国に対する武力攻撃」がない中で、武力攻撃を受けた他国からの『要請』を得ることによって違法性が阻却される『権利』を得るものである。これにより、「集団的自衛権を行使する」ということは、『他国防衛』の意図を含む「武力の行使」を行うものであるということができる。被告(国)の主張する「他国を防衛するための武力の行使ではなく」との主張は事実に反していると考えられる。

 また、被告(国)は、「我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置に留まるものであるから、憲法9条の禁ずる武力の行使にあたるものではない」と主張しているが、9条の制約は「我が国を防衛するため」であるからといって必ずしも「武力の行使」を許容しているわけではない。なぜならば、「我が国を防衛するため」などとする自衛目的を理由として政府が「武力の行使」に踏み切った事例は歴史上幾度も経験するところであり、そのような「武力の行使」が行われることを制約するために9条の規定が設けられているからである。そのため、9条の有する規範性は政府の自由な判断によって行われる「武力の行使」を制約するところに規定が存在する意味を有するのであり、「我が国を防衛するため」や「やむを得ない」、「必要最小限度」という基準ではその目的を達成できないからである。

 ここで使われている「必要最小限度」の意味が、①従来から「自衛のための必要最小限度」と呼んでいた「武力の行使」の三要件の全体を意味する趣旨の「必要最小限度」であるのか、②「武力の行使」の三要件の「第三要件」の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」の意味での「必要最小限度」なのか、③あたかも9条に抵触しないことを示す基準が数量的な意味での「必要最小限度」という文言だと考えているのかを特定する必要もある。

 ① 従来政府解釈において「自衛のための必要最小限度」と表現していたものは、「武力の行使」の三要件(旧)のすべてを満たすことを指していた。これは第一要件に「我が国に対する急迫不正の侵害があること」の規範が存在しており、我が国にに対する他国の行為に基準を設定していたため、9条が日本国の政府が自国都合によって「武力の行使」に踏み切ることを制約することができていることから、9条の規範性は損なわれていなかった。しかし、政府が「存立危機事態」の要件を加え、この要件を満たさない中で「武力の行使」を行うことを可能とする解釈変更を行ったために、9条の規範性が損なわれたとして訴訟となっているのである。そのため、従来より「自衛のための必要最小限度」と呼んでいた「武力の行使」の旧三要件の基準が、「存立危機事態」を含む新三要件に「武力の行使」の新三要件に変更されたにもかかわらず、未だこれを「必要最小限度」であるために9条の禁ずる「武力の行使」に当たらないとの主張をしているのだとすれば、被告(国)の主張には理由がないということになる。もし三要件の内容をどのような要件に変えても「自衛のための必要最小限度」という枠組みと呼ぶことで9条に抵触しないと説明することができるのであれば、三要件の内容を「先に攻撃(先制攻撃)」や「侵略戦争」を行う要件に変更したとしても9条に抵触しないと説明することが可能となってしまうのであり、法解釈として成り立たない。

 ② もし、「武力の行使」の三要件の「第三要件」の意味での「必要最小限度」を指しているのであれば、政府が「我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置」と表現している部分は、「やむを得ない」が「第二要件」を意味し、「我が国を防衛するため」が「第一要件」を意味することとなる。そうなると、政府は「我が国を防衛するため」という目的を掲げたならば9条に抵触しないとする基準を示そうとしていることになるが、先ほども述べたように、9条は必ずしも「我が国を防衛するため」であるからといって「武力の行使」を可能とする趣旨ではないため、被告(国)の主張には理由がないということになる。これでは、9条の規範性は損なわれている。

 ③ そうではなくて、9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」という基準であると考えている可能性が考えられるが、9条は法規範であり、政府に対して数量的な「努力義務」のみを課す規定というわけではない。また、数量的な基準であるとすれば、政府が必要と考えれば政策的な判断で9条に抵触するか否かを自由に判断できることとなってしまうのであって、政府は自国都合によって「武力の行使」に踏み切ることも可能となってしまう。これでは、

9条が政府の恣意的な都合によって「武力の行使」が行われることを制約しようとしている趣旨を満たさないことから、9条解釈の過程で9条に抵触するか否かを判定するためにの基準として直接的に数量的な意味での「必要最小限度」の文言が導き出されることはない。このような基準では9条の規範性を損なうのであって、被告(国)の主張には理由がないということになる。


 「留まるものであるから、憲法9条の禁ずる武力の行使にあたるものではない」との主張があるが、9条は「武力の行使」を法規範として制約しているのであり、規範性を損なっているとすれば、「留まる」と主張したところで違憲である。被告(国)は、「憲法9条の禁ずる武力の行使にあたるものではない」との主張をするのであれば、9条の規範性を損なっていない旨を明らかにする必要があるが、先ほど述べた通り、理由がなく、明らかにすることはできていない。

 被告(国)は、「他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないとの見解を採っている。」としているが、国際法上「集団的自衛権の行使」と評価されるものは、「武力の行使」が行われる状態を意味する。9条はこの「武力の行使」を制約している規定である。被告(国)の主張が、「他国を防衛すること自体を目的とする」『武力の行使』が認められないとの見解を採っているものと思われるが、9条は「他国を防衛すること自体を目的とする」『武力の行使』が認められないことは当然、「『自国』を防衛することを目的とする」『武力の行使』であったとしても、必ずしも認めているわけではないのである。9条の下では、たとえ「『自国』を防衛することを目的とする」『武力の行使』であったとしても、その規定に抵触しないことを示す規範性を有する基準が求められるのである。

 被告(国)は、「他国を防衛すること自体を目的とする」「武力の行使」ではないことを理由として「存立危機事態」での「武力の行使」が9条に抵触しないかのように説明を試みるが、9条に抵触するかしないかの基準は、「他国を防衛すること」か「自国を防衛すること」かにあるわけではない。そのため、被告(国)の主張は「存立危機事態」での「武力の行使」が9条に抵触しない旨を説明することにはなっておらず、理由がないということになる。

 


【原告】

 すなわち、改正後の事態対処法2条4号において、存立危機事態は「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」と定義され、自衛隊法76条1項2号は、防衛出動の一環として、存立危機事態における自衛隊の全部又は一部の出動を規定しました。そして防衛出動をした自衛隊は、「必要な武力の行使をすることができる」(同法88条1項)ことになります。

 
【被告(国)】

(イ) 第2段落について
 認める。



【原告】

(2) 憲法9条の解釈における集団的自衛権行使の禁止
 憲法9条の解釈については、A:自衛のための戦争を含めてあらゆる武力行使を放棄して非武装の恒久平和主義を定めたものであるという解釈から、B:自衛のための必要最小限度の実力の保持は憲法も許容しているとの解釈、さらには、C:否定されるのは日本が当事者となってする侵略戦争のみであって集団的自衛権の行使も許されるとする解釈まで、様々な立場があります。
そして、日本政府は、これまで、日本国憲法も独立国が当然に保有する自衛権を否定するものではなく、自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は憲法9条2項の「戦力」には当たらないとする一方で、その自衛権の発動は、①日本に対する急迫不正の侵害があること、すなわち武力攻撃が発生したこと、②これを排除するために他の適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきことの3つの要件(自衛権発動の3要件)を満たすことが必要であるとの解釈を定着させてきました。そして、政府は、自国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利としての集団的自衛権の行使は、この自衛権発動の3要件、特に①の要件に反し、憲法上許されないと解してきました。

 また、政府は、③の要件の自衛権による実力行使の「必要最小限度」については、それが外部からの武力攻撃を日本の領域から排除することを目的とすることから、日本の領域内での行使を中心とし、必要な限度において日本の周辺の公海・公空における対処も許されるが、反面、武力行使の目的をもって自衛隊を他国の領土・領海・領空に派遣する、いわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないとしてきました。
 すなわち、政府は、自衛隊による実力の行使は、日本の領域への侵害の排除に限定して始めて憲法9条の下でも許され、その限りで自衛隊は「戦力」に該当せず、「交戦権」を行使するものでもないと解してきましたが、それ故にまた、他国に対する武力攻撃を実力で阻止するものとしての集団的自衛権の行使は、これを超えるものとして憲法9条に反して許されないとされてきたのです。
 この海外派兵の禁止、集団的自衛権の行使の禁止という解釈は、昭和29年の自衛隊創設以来積み上げられてきた、一貫した政府の憲法9条解釈の基本原則であり、内閣法制局及び歴代の総理大臣の国会答弁や政府答弁書等において繰り返して表明されてきました。それは、憲法9条の確立された政府の解釈として規範性を有するものとなり、これに基づいて憲法9条の平和主義の現実的枠組みが形成され、「平和国家日本」の基本的あり方が形造られてきたのでした。

 

【被告(国)】

イ 「⑵ 憲法9条の解釈における集団的自衛権行使の禁止」について(16ないし18ページ)
 昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府が提出した資料「集団的自衛権と憲法との関係」において、
(一)まず、「憲法は、第九条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が・・・・平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第十三条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、・・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国が自らの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を執ることを禁じているとはとうてい解されない。」とし、
(二)次に、「しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。」として、このような場合に限って、例外的に自衛のための武力の行使が許されるという基本的な論理を示し、
(三)そのうえで、結論として、「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の事態に対処する場合に限られるのであつて、したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容するいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」として、(一)及び(二)の基本的な論理に当てはまる例外的な場合としては、我が国に対する武力攻撃が発生した場合にかぎられるという見解が述べられていることは認める。
 また、政府が、憲法9条2項は「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止しているが、これは、自衛のための必要最小限度を超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると解しており、自衛隊は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織であるから、同項で保持することが禁止されている「陸海空軍その他の戦力」には当たらないと解していること、従来から、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、了解、領空へ派遣するいわゆる「海外派兵」は、一般に、自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないが、他国の領域における武力行動でいわゆる自衛権発動の三要件に該当するものがあるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動を取ることが許されないわけではないと解していることは認める。その余は、原告らの意見ないし評価に渡るものであり、認否の限りでない。

 

<筆者分析>
 (二)の最後で、「このような場合に限って、例外的に自衛のための武力の行使が許されるという基本的な論理を示し、」との記載があるが、誤りである。なぜならば、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分の「しかしながら、……とどまるべきものである。」の文は、「自衛の措置の限界」を示した部分であり、「武力の行使」については何も述べていないからである。そのため、「例外的に自衛のための武力の行使が許されるという基本的な論理を示し」などと、被告(国)が「基本的な論理」と称している部分に「武力の行使が許される」旨が記載されているかのような説明は誤りである。

 上記の誤りにより、(三)の部分で、「そのうえで、結論として、」などと、「武力の行使が許される」としたうえで、結論として「我が国に対する武力攻撃が発生した場合にかぎられるという見解が述べられている」かのように読み取ることも、誤りである。「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界の規範を示したにとどまり、「自衛の措置」の選択肢の一つとして「武力の行使」を選択する(当てはめる)としても、この「自衛の措置」の限界の規範に拘束されるために、「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の事態に対処する場合に限られる」との結論が導き出されているだけである。

 同様に(三)の部分で「(一)及び(二)の基本的な論理に当てはまる例外的な場合としては、我が国に対する武力攻撃が発生した場合にかぎられるという見解が述べられていることは認める。」との記載があるが、誤った認識に基づく部分があるため、整理する必要がある。まず、「基本的な論理」と称している部分の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言は、「我が国に対する武力攻撃」の意味しか有しない。なぜならば、1972年(昭和47年)政府見解は「基本的な論理」と称している部分の直前の文で「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」ことを説明しており、その「自衛の措置の限界」を示した文の「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言にもし「我が国に対する武力攻撃」以外の武力攻撃(他国に対する武力攻撃)が含まれるのであれば、「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」とする文言と論理矛盾することとなるからである。被告(国)は、「基本的な論理に当てはまる例外的な場合としては、我が国に対する武力攻撃が発生した場合にかぎられるという見解が述べられている」などと、あたかも「基本的な論理」と称している部分が「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」に限られていないかのような前提で話を進め、結論となっている(三)の部分で初めて「我が国に対する武力攻撃が発生した場合にかぎられる」との規範が示されたかのように主張している。また、被告(国)は、「基本的な論理」と称している部分は「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」に限られないが、結論の(三)の部分で「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」という規範を当てはめたかのように主張している。誤った理解である。1972年(昭和47年)政府見解は、「基本的な論理」と称している部分で既に「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」に限られているのであり、「自衛の措置」の中に「武力の行使」を当てはめる場合にも同様に「我が国に対する武力攻撃が発生した場合にかぎられる」という規範が導き出されるというものである。これは、「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言が「我が国に対する武力攻撃」の意味しか有しないことや、文面上の「自衛の措置」の限界を示す規範から「武力の行使」の限界を示す規範に移る論理的過程により裏付けることができる。そのため、「基本的な論理」と称している部分が「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」に限られていないかのような主張や、「自衛の措置」の中に「武力の行使」を当てはめたのではなく、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」に限られていない「基本的な論理」の中に「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」という規範を当てはめたかのような主張は、論理的整合性のない誤った理解である。


 「政府が、憲法9条2項は『陸海空軍その他の戦力』の保持を禁止しているが、これは、自衛のための必要最小限度を超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると解しており、自衛隊は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織であるから、同項で保持することが禁止されている『陸海空軍その他の戦力』には当たらないと解している」との部分であるが、認識を整理すれば論理的に意味が通じない主張である。まず、ここで使われている「自衛のための必要最小限度」と「我が国を防衛するための必要最小限度」の意味は同じである。政府答弁でも、この両者を区別していない。この「自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するための必要最小限度)」の意味は、従来より三要件(旧)(自衛権発動の三要件・『武力の行使』の三要件)を意味していた。「自衛隊」についても、この三要件の制約の下にある実力組織であるから「自衛のための必要最小限度の実力(我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織)」と呼ばれていたのである。政府はこの三要件(旧)に基づく「武力の行使」やそのための実力組織についてであれば、9条1項、2項前段、2項後段のすべてに抵触しないと説明していた。この三要件の内容は「我が国に対する急迫不正の侵害(第一要件)」を「排除(第二要件)」するための「必要最小限度(第三要件)」の「武力の行使」であり、これについては9条の制約の下でも前文「平和的生存権」や13条の「国民の権利」の趣旨より正当化することが可能であることが裏付けられると考えているからである。この従来からの「自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するための必要最小限度)」の意味がそのまま残っており、これに制約されているとすれば、「自衛隊」は9条2項で保持することが禁止されている「陸海空軍その他の戦力」には当たらないと解することはこれまで通り可能である。しかし、新三要件のが定められたことにより、「自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するための必要最小限度)」の意味が旧三要件から新三要件に置き換わったのであれば、新三要件は「存立危機事態」の要件を有しており、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃(新第一要件)」を「排除(新第二要件)」するための「武力の行使」となるから、『他国防衛』の意図を含むのであり、そのための実力組織を9条2項の「陸海空軍その他の戦力」と異なることを説明することはできなくなる。また、「他国に対する武力攻撃(新第一要件)」を「排除(新第二要件)」するための「武力の行使」を前文「平和的生存権」や13条の「国民の権利」によって正当化することもできない。よって、「自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するための必要最小限度)」の意味が旧三要件から新三要件に置き換わったと考える場合には、それを行使する「自衛隊」については9条2項の「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。

 被告(国)は政府が、憲法9条2項は『陸海空軍その他の戦力』の保持を禁止しているが、これは、自衛のための必要最小限度を超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると解しており、自衛隊は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織であるから、同項で保持することが禁止されている『陸海空軍その他の戦力』には当たらないと解している」と主張しているが、新三要件の「存立危機事態」を行使する実力組織であるにもかかわらず、9条2項の「陸海空軍その他の戦力」に抵触しないと考えているのであれば誤りである。もし9条2項の「陸海空軍その他の戦力」に抵触するものは「自衛のための必要最小限度を超える」場合を意味することのみを理由として、その「自衛のための必要最小限度」の内容である三要件という基準の当否が問われないのであれば、その三要件を「先制攻撃(先に攻撃)」や「侵略戦争」にまで拡大しても、「自衛のための必要最小限度」であるから9条2項の「陸海空軍その他の戦力」に抵触しないと正当化することができてしまうこととなるため妥当でない。よって、「自衛隊」を「自衛のための必要最小限度の実力(我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織)」であることを理由として9条2項の「陸海空軍その他の戦力」に抵触しないと説明するとしても、その「自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するための必要最小限度)」という三要件の内容の当否が問われなければならないのであって、三要件がどのような内容であっても「自衛隊」が9条2項の「陸海空軍その他の戦力」に抵触しないということにはならない。「自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するための必要最小限度)」の意味が旧三要件であれば、1972年(昭和47年)政府見解に適合するし、前文「平和的生存権」や13条の「国民の権利」の趣旨からも正当化することができるため、「自衛隊」は合憲と解する余地がある。しかし、「自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するための必要最小限度)」の意味が新三要件の「存立危機事態」を含む意味であれば1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称している部分も同様)に適合しないし、前文「平和的生存権」や13条の「国民の権利」の趣旨からは正当化することができないため、9条に抵触して違憲となる。また、新三要件の「存立危機事態」については「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃(新第一要件)」を「排除(新第二要件)」するための「武力の行使」を行うものであり、『他国防衛』の意図を有するから、これを行使する実力組織を9条2項の「陸海空軍その他の戦力」と区別されたものと説明することもできないため、9条2項の「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。


 「従来から、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、了解、領空へ派遣するいわゆる『海外派兵』は、一般に、自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないが、他国の領域における武力行動でいわゆる自衛権発動の三要件に該当するものがあるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動を取ることが許されないわけではないと解している」との部分について、理解を整理する。まず、「自衛のための必要最小限度」とは、従来より三要件(旧)を意味している。この「我が国に対する急迫不正の侵害(第一要件)」を「排除(第二要件)」するための「必要最小限度(第三要件)」であり、9条の下ではこれ以上の「武力の行使」を行ってはならないことから一般に「海外派兵」は憲法上許されないとする基準が生まれているのである。「他国の領域における武力行動でいわゆる自衛権発動の三要件に該当するものがあるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動を取ることが許されないわけではないと解している」との部分については、「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)(第一要件)」を「排除(第二要件)」したならば、それ以上の「武力の行使」を行ってはならないことから、通常「海外派兵」は許されないと考えられるのであるが、
「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)(第一要件)」を「排除(第二要件)」するためにどうしても他に採りうる手段がないのであれば、この要件の範囲内でも「海外派兵」の「ような行動を取ることが許されないわけではない」と解するものである。

 政府が新三要件を定めた後においても一般に「海外派兵」は憲法上許されないとの基準を維持しているのであれば、新三要件が定められた後においても旧三要件の基準が生きていることとなる。新三要件と旧三要件が競合する状態である。もし「自衛のための必要最小限度」の内容が旧三要件から新三要件に置き換わったのであれば、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃(新第一要件)を「排除(新第二要件)」するための「武力の行使」が可能となっているのであるから、その「我が国と密接な関係にある他国」での「武力の行使」の活動は通常予想されるのであって、一般に「海外派兵」は許されないとする基準は存在しない。それに加えて「自衛権発動の三要件に該当するものがあるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動を取ることが許されないわけではないと解している」の意味を新三要件を基にして読み解けば、「他国に対する武力攻撃(新第一要件)」を「排除(新第二要件)」するための「行動を取ることが許されないわけではないと解している」こととなり、「海外派兵」が通常行動となる。

 このように、政府は新三要件を定めながらも、旧三要件に基づく従来の基準をそのまま維持していると主張しており、もともと論理的整合性が保たれないものとなっている。被告(国)は「……解していること、……解していることは認める」との記載があるが、まずは自らの主張に論理的整合性が保たれていないことを解し、認める必要がある。

 

【原告】

(3) 閣議決定と新安保法制法による集団的自衛権行使の容認
 ところが、政府は、平成26年7月1日、上記のこれまでの確立した憲法9条の解釈を覆し、集団的自衛権の行使を容認することなどを内容とする閣議決定(26・7閣議決定)を行い、これを実施するための法律を制定するものとしました。
 すなわち、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、①我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、③必要最小限度の実力の行使をすること」は、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されるとし、この武力の行使は、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合があるが、憲法上はあくまでも「自衛の措置」として許容されるものである、としたのです(上記①②③は引用者が挿入。これが「新3要件」といわれるものです。)。
 そして、新安保法制法による改正自衛隊法76条1項及び事態対処法2条4号等に、上記新3要件に基づく「防衛出動」との位置づけにより、この集団的自衛権の行使の内容、手続が定められるに至りました。

 

【被告(国)】

ウ 「⑶ 閣議決定と新安保法制法による集団的自衛権行使の容認」について(18ページ)
 平成26年7月1日に「26・7閣議決定」がされたこと、同閣議決定において、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。」「憲法上許容される上記の『武力の行使』は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この『武力の行使』には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。」との考え方を示したこと、上記閣議決定を踏まえ、平和安全法制整備法による改正後の自衛隊法76条1項、88条及び改正後の事態対処法2条2号、4号、3条3項、4項、9条2項1号ロにおいて、「防衛出動」等の規定が定められていることは認める。

 

<筆者分析>
 被告(国)は、「26・7閣議決定」(2014年7月1日閣議決定)の「憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。」の部分を持ち出すが、「許容されると考えるべきである」との表現は、結論に対する願望である。この結論を正当化する法律上(法学上)の理由となっている部分がその閣議決定の中に見つけられるかであるが、見つけることができない。閣議決定の内容は、政策上の必要性が述べられているが、法律上の論拠は存在しないのである。「判断するに至った。」という過去形の表現であるが、法律論は過去形で表現すれば結論が確定するという性質を有するわけではない。法律論上の論理法則に従った理由がなければ結論を正当化することはできないのである。

 閣議決定の内容は、「憲法上許容される上記の『武力の行使』は、」と、あたかも許容されるかのように話を進めるが、未だ法律論上の正当化理由を示すことができていないのであり、「憲法上許容される」との結論は正当化されていない。


 被告(国)は、閣議決定の「この『武力の行使』には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。」の部分を取り上げるが、この部分も正当化理由とはなってない。

 まず、「他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも」との記載であるが、あたかも国際法上は他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするが、憲法上はそうではないかのような印象を与えるような文章にしようとしているように感じられるが、憲法上においても「他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする」「武力の行使」であることには変わりないものである。

 「他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機」とすれば、「我が国の存立を全うし、国民を守るため」や「我が国を防衛するためのやむを得ない」との理由によって「武力の行使」を行うことが9条の規範性を通過して正当化されるか否かが論点なのである。

 未だ「他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機」とすれば、「我が国の存立を全うし、国民を守るため」や「我が国を防衛するためのやむを得ない」との理由によって「武力の行使」を行うことが9条の規範性に抵触しないとする理由が示されていないにも関わらず、「許容されるものである。」との結論を述べることは論理的な正当化根拠を有していない。被告(国)の主張は理由がないということになる。



【原告】

(4) 集団的自衛権行使容認の違憲性
ア しかし、この集団的自衛権の行使の容認は、いかに「自衛のための措置」と説明されようとも、政府の憲法解釈として定着し、現実的規範となってきた憲法9条の解釈の核心部分、すなわち、自衛権の発動は日本に対する直接の武力攻撃が発生した場合にのみ、これを日本の領域から排除するための必要最小限度の実力の行使に限って許されるとの解釈を真っ向から否定するものです。それは、他国に対する武力攻撃が発生した場合に自衛隊が海外にまで出動して戦争をすることを認めることであり、その場合に自衛隊は「戦力」であることを否定し得ず、交戦権の否認にも抵触します。

イ 新3要件に即してみると、そのことはより明確です。
 まず、「他国に対する武力攻撃」に対して日本が武力をもって反撃するということは、法理上、これまで基本的に日本周辺に限られていた武力の行使の地理的限定がなくなり、外国の領域における武力の行使、すなわち海外派兵を否定する根拠もなくなることを意味します。
 そして第1要件についていえば、「我が国に対する武力攻撃」があったかなかったかは事実として明確であるのに対し、他国に対する武力攻撃が「我が国の存立を脅かす」かどうか、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利を覆す」かどうかは、評価の問題であるから、極めてあいまいであり、客観的限定性を欠きます。「密接な関係」「根底から覆す」「明白な危険」なども全て評価概念であり、その該当性は判断する者の評価によって左右されます。そして法案審議における政府の国会答弁によれば、この事態に該当するかどうかは、結局のところ、政府が「総合的に判断」するというのです。
 第2要件(他に適当な手段がないこと)及び第3要件(必要最小限度の実力の行使)は、表現はこれまでの自衛権発動の3要件と類似していますが、前提となる第1要件があいまいになれば、第2要件、第3要件も必然的にあいまいなものになります。
 例えば、国会審議を含めて政府から繰り返し強調されたホルムズ海峡に敷設された機雷掃海についてみれば、第1要件のいう「我が国の存立が脅かされ、国民の生命等が根底から脅かされる」のは、経済的影響でも足りるのか、日本が有する半年分の石油の備蓄が何か月分減少したら該当するのか、そのときの国際情勢や他国の動きをどう評価・予測するのかなどの判断のしかたに左右され、第2要件の「他の適当な手段」として、これらに関する外交交渉による打開の可能性、他の輸入ルートや代替エネルギーの確保の可能性などの判断も客観的基準は考えにくく、さらに第3要件の「必要最小限度」も第1要件・第2要件の判断に左右されて、派遣する自衛隊の規模、派遣期間、他国との活動分担などの限度にも客観的基準を見出すことは困難です。

 以上に加えて、平成25年12月に制定された特定秘密保護法により、防衛、外交、スパイ、テロリズム等の安全保障に関する情報が、政府の判断によって国民に対して秘匿される場合、「外国に対する武力攻撃」の有無・内容、その日本及び国民への影響、その切迫性等を判断する偏りのない十分な資料を得ることすらできず、政府の「総合的判断」の是非をチェックすることができないのです。
ウ こうして、新安保法制法に基づく集団的自衛権の行使容認は、これまで政府自らが確立してきた憲法9条の規範内容を否定するものであるとともに、その行使の3要件が客観的限定性をもたず、きわめてあいまいであるため、時の政府の判断によって、日本が、他国のために、他国とともに、地理的な限定なく世界中で武力を行使することを可能にするものとして、憲法9条の規定に真っ向から違反するものです。

 

【被告(国)】

エ 「⑷ 集団的自衛権行使容認の違憲性」について(18ないし20ページ)
 事実の主張ではなく、争点とも関連しないので、認否の要を認めない。

 


【原告】

(5) 立憲主義の否定
ア 日本国憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(前文)として、立憲主義に基づく平和主義を明らかにし、基本的人権の不可侵性を規定するとともに(97条)、憲法の最高法規性を規定して(98条1項)、国務大臣・国会議員等に憲法尊重擁護義務を課しました(99条)。日本国憲法の立憲主義は、国家権力に憲法を遵守させて縛りをかけ、平和の中でこそ保障される国民・市民の権利・自由を確保しようとするものです。

イ 26・7閣議決定、27・5閣議決定及び新安保法制法の制定によって集団的自衛権の行使を認めることは、これを禁止した規範として確立していた憲法9条の内容を、行政権の憲法解釈及び国会による法律の制定によって改変してしまおうとするものであり、これはまさに、この立憲主義の根本理念を踏みにじるものです。
ウ 同時に、このような憲法の条項の実質的改変は、本来、憲法96条に定める改正手続によらなければできないことです。同条は、憲法の改正には、各議院の総議員の3分の2以上の賛成による発議と国民投票による過半数の賛成を要求し、慎重な改正手続を定めるとともに、憲法制定権力に由来する主権者たる国民の意思に、その最終的な決定を委ねたのです。閣議決定と法律の制定によって憲法9条の内容を改変することは、憲法96条の改正手続を潜脱することであり、立憲主義を踏みにじり、憲法制定権力に由来する主権者たる国民の、憲法改正に関する決定権を侵害することです。


(略)

 

【被告(国)】

オ 「⑸ 立憲主義の否定について」(20、21ページ)
 日本国憲法が、前文において、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と定めていること、97条において、基本的人権の不可侵性を規定していること、98条1項において、憲法の最高法規性を規定していること、99条において、国務大臣、国会議員等に憲法尊重擁護義務を課していること、また、政府が「26・7閣議決定において、憲法9条の下で許容される自衛の措置についての考え方を示し、平和安全整備法においてその内容等が定められたことは認め、「26・7閣議決定」「27・5閣議決定」及び平和安全法制整備法が立憲主義の根本理念を踏みにじり、憲法96条の改正手続きを潜脱して国民の憲法改正に関する決定権を侵害するとの点は、事実の主張ではなく、争点とも関連しないので、認否の要を認めない。

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〇 札幌地方裁判所

 

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 (二)次に、「しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。」として、このような場合に限って、例外的に自衛のための武力の行使が許されるという基本的な論理を示し、

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※安保答弁書 平成29年4月28日 PDF (P23)

 (裁判資料 安保法制違憲訴訟北海道

 

との記載があるが、誤りである。

 1972年(昭和47年)政府見解のこの部分は、「自衛の措置」の限界を示したものであり、「武力の行使」については未だ触れていないからである。

 「武力の行使」については、この部分の次の文である「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」のところで初めて登場するのである。


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 (三)その上で、結論として、「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであつて、したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」として、(一)及び(二)の基本的な論理に当てはまる例外的な場合としては、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるという見解が述べられていることは認める。

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(同上)


 上記であるが、「当てはまる」の意味を読み間違えないように注意する必要がある。

 1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分は「自衛の措置」の限界の規範であり、

この「自衛の措置」の限界の規範の中に「武力の行使」を「当てはめる」場合には「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」との結論が導き出されることを示したものである。

 これは、「自衛の措置」をとることができる場合が、既に「我が国に対する武力攻撃」を満たす場合に限られていることから、ここに「武力の行使」を当てはめたとしても、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たす必要があると導かれることによるものである。


 この裁判での政府の主張である「(一)及び(二)の基本的な論理に当てはまる例外的な場合としては、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるという見解が述べられている」との部分は、あたかも「基本的な論理」と称している部分が「我が国に対する武力攻撃」を満たすことを求めていないかのような前提をとった上で、結論部分である(三)の所で初めて「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」の規範に限ったかのように読み取ろうとするものとなっている。

 しかし、1972年(昭和47年)政府見解は「自衛の措置」と「武力の行使」を使い分けているし、第二段落で「集団的自衛権の行使」は「自衛の措置の限界をこえる」と示していることから、「自衛の措置」の限界の中に「武力の行使」を当てはめたものであり、ここで政府が主張しているような形で当てはめようとするものとは異なる。

 



 

判決の資料


 判決と共に示されている資料の概念整理が不十分となっている点を指摘する。



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3 原告らの主張

⑴ 平和安全法制関連2法の違憲性

ア 集団的自衛権の行使が違憲であること

 自衛隊法76条1項2号は,我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態において,自衛隊に対し出動を命ずることができる旨を定め,いわゆる集団的自衛権の行使を認めたものである。


【筆者】

 まず、「集団的自衛権の行使が違憲であること」との部分であるが、「集団的自衛権」とは国連憲章2条4項の「武力不行使の原則」に対する国連憲章51条の違法性阻却事由の『権利』の概念であり、9条はこの『権利』そのものを否定していない。「集団的自衛権の行使」がなされる状態とは、実質的に国家の統治権の『権限』によって「武力の行使」が行われている状態を指すことから、この「武力の行使」が憲法9条に抵触するか否かが審査されることになる。この点、「集団的自衛権の行使が違憲」との表現には、この実質が「武力の行使」を伴うことと、憲法9条が「武力の行使」を制約していることから「違憲」となるのではないかとの疑義が生まれている論点が分かりづらくなっており、注意する必要がある。

 

 「自衛隊に対し出動を命ずることができる旨を定め,いわゆる集団的自衛権の行使を認めたものである。」との部分について検討する。「集団的自衛権の行使」とは国際法上の評価概念であり、これが行使さている状態は国家の統治権の『権限』によって「武力の行使」が行われている状態である。ただ、この「武力の行使」は自衛隊法88条1項の「第76条第1項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。」に定められている。この点、間違いとまでは言い切れないが、明確さを欠いているように思われる。

 

 しかし,憲法9条1項は自衛のためであるか否かを問わず「武力の行使」を認めていないのであるから,自衛隊による武力の行使を認める自衛隊法76条1項2号は,憲法9条1項に反し無効である。


【筆者】

 「憲法9条1項は自衛のためであるか否かを問わず『武力の行使』を認めていないのであるから,」の部分であるが、これは「1項全面放棄説」を採用した解釈である。

 「自衛隊による武力の行使を認める自衛隊法76条1項2号は,憲法9条1項に反し無効である。」の部分であるが、「武力の行使」を認めているのは厳密には88条1項である。

 また、「武力の行使」の全てを違憲と考えるのであれば、自衛隊法76条1項2号の「存立危機事態」だけでなく、1号の場合についても違憲であると主張する必要がある。

 

 独立国が当然に保有する自衛権を憲法9条が否定するものではないと解するとしても,その文言上武力の行使を全面的に禁止している以上,同条のもとで自衛のための武力の行使が認められるのは,自衛のため必要やむを得ない場合に,最小限度の範囲で行使することができるにすぎない。そうすると,自衛のための武力の行使が認められるのは,我が国が他国からの攻撃を受けた場合に限られるのであって,他国に対する攻撃に対して集団的自衛権を行使することは憲法9条に違反するものといわざるを得ない。平成26年7月1日の閣議決定より前の政府解釈も,自衛のための措置としての必要最小限度の範囲での武力行使は憲法9条に反するものではないが,他国に加えられた武力行使を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの立場を堅持してきた。


【筆者】

 「独立国が当然に保有する自衛権を憲法9条が否定するものではないと解するとしても,」の部分であるが、9条は日本国の統治権の『権力・権限・権能』に対する制約であり、国際法上の『権利』の概念である「自衛権」を直接的に制約する規定ではない。

 9条について、「その文言上武力の行使を全面的に禁止している以上,同条のもとで自衛のための武力の行使が認められるのは,自衛のため必要やむを得ない場合に,最小限度の範囲で行使することができるにすぎない。」との部分について検討する。「その文言上武力の行使を全面的に禁止している以上,」の部分は、「1項全面放棄説」によるものなのか、「2項全面放棄説」によるものなのか明らかでない。また、「武力の行使」を「全面的に禁止している」と考えるのであれば、「武力の行使」は一切できないはずであり、「自衛のため必要やむを得ない場合に,最小限度の範囲で行使することができるにすぎない。」との話は、例外を基礎づける根拠も説明されていないにもかかわらず「武力の行使」を行うことができるとの前提に立っており、理解しがたい。「自衛のため必要やむを得ない場合に,最小限度の範囲」の部分について、従来の政府答弁では「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準によって限度が画されている。

 「他国に対する攻撃に対して集団的自衛権を行使することは憲法9条に違反するものといわざるを得ない。」との部分について検討する。「集団的自衛権」とは国際法上の概念であり、これが行使される状態とは「武力の行使」がなされている状態であり、9条はこの「武力の行使」を制約する規定である。この意味で、「集団的自衛権を行使すること」そのものが9条に違反するか否かを審査することは適切でなく、「武力の行使」の内容が9条に違反するか否かを審査する必要がある。この点、「他国に対する武力攻撃に対して」「武力の行使」を行うことは、他国の間で発生した国際紛争に対して武力介入するものとなるから、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」「武力の行使」に抵触して違憲となる。また、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」は、未だ「我が国に対する急迫不正の侵害(我が国に対する武力攻撃)」が発生していない中で、「他国に対する武力攻撃」の発生に起因して、その「他国に対する武力攻撃」を「排除」するために「武力の行使」を行うものである。これを実施する実力組織を「陸海空軍その他の戦力」と異なるものと説明することはできず、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。

 「自衛のための措置としての必要最小限度の範囲での武力行使」との部分であるが、政府は通常「自衛のための必要最小限度」か、「我が国を防衛するため必要最小限度」の文言を用いている点に注意して読み解きたい。

 

 しかし,自衛隊法76条1項2号は,「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」があった場合にも自衛隊に対して出動命令を行うことを認めており,集団的自衛権の行使を正面から認めるものであるから,憲法9条の許容する自衛の範囲を超え,同条に反するものというべきである。また,自衛隊法76条1項2号は,「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃により「我が国の存立が脅かされ」国民の生命等の権利に対する「明白な危険」がある場合,すなわち事態対処法2条4号にいう「存立危機事態」にある場合の集団的自衛権の行使を認めている。しかし,上記各要件は,いずれも客観的な判断基準を有するものではなく,主観的な評価判断にわたらざるを得ない。また,緊急の場合には,国会の事前承認なく出動命令を行うことができる(事態対処法9条4項2号)とされていることからすると,時の政権の判断の下,その必要性が十分に吟味されないまま集団的自衛権が行使されるおそれが高く,その行使について必要最小限度にとどまるような歯止めがされているとはいえない。したがって,自衛隊法76条1項2号の定める集団的自衛権の行使は,憲法9条において許容される武力の行使の範囲を超えるものであって,同条に違反するものである。


【筆者】

 「集団的自衛権の行使を正面から認めるものであるから,憲法9条の許容する自衛の範囲を超え,同条に反するものというべきである。」の部分であるが、「集団的自衛権の行使」が「武力の行使」を伴う措置であり、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が9条の許容する「自衛の措置」の範囲を超え、9条に反するという内容である。この点、「武力の行使」の概念を用いて説明しないと、意味が分かりづらくなっている。

 「自衛隊法76条1項2号は,……(略)……事態対処法2条4号にいう『存立危機事態』にある場合の集団的自衛権の行使を認めている。」との部分について検討する。まず、「武力の行使」を認めているのは自衛隊法88条1項である。次に、国際法上で「集団的自衛権の行使」として評価され、国際法上の違法性阻却事由を得られるか否かは、国際法上の問題である。これらは異なる法分野の問題であり、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」であるからといって、国際法上の違法性阻却事由を得られるとは限らない点に注意が必要である。ただ、国際法上の評価でいう「集団的自衛権の行使」となる、日本国の統治権の『権力・権限・権能』による「武力の行使」は、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」であることから、9条に抵触すると考えられる。

 「その必要性が十分に吟味されないまま集団的自衛権が行使されるおそれが高く,」の部分と、「自衛隊法76条1項2号の定める集団的自衛権の行使は,」の部分であるが、「集団的自衛権」の行使という国際法上の観点からの表現を使うのではなく、「武力の行使」が9条に抵触するか否かという表現を用いることが適切である。

 

 被告は,平成26年7月1日の閣議決定(前記前提事実⑴)において,我が国を取り巻く安全保障環境の変化に伴い,他国に対する武力攻撃であったとしても,その目的,規模,態様等によっては,我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得るのであって,自衛のための必要最小限度の武力の行使としての集団的自衛権は憲法上も許容されるべきであるとの見解を示した。


【筆者】

 「自衛のための必要最小限度の武力の行使としての集団的自衛権は憲法上も許容されるべきであるとの見解を示した。」との部分について検討する。従来より政府が用いている「自衛のための必要最小限度」とは三要件(旧)の基準を指すものである。ここには第一要件に「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」の基準があることから、これを満たさない「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が「自衛のための必要最小限度」の中に当てはまるはずがない。そのため、政府の言う「自衛のための必要最小限度の武力の行使としての集団的自衛権は憲法上も許容されるべきである」という認識は、論理的に成り立たず、誤りである。

 もう一つ、「集団的自衛権」とは国際法上の『権利』の概念であり、憲法9条はこの『権利』そのものは否定していない。そのため、「憲法上も許容されるべき」という許容されていなかったかのような認識は不備がある。「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」について「憲法上も許容されるべき」と説明しようとするものと思われるが、「自衛のための必要最小限度」とは三要件(旧)の基準を指していることから、この中に当てはまらず、許容されない。

 

 しかし,平和安全法制関連2法の審議過程においても,我が国を取り巻く安全保障環境がいかに変化し,それによりどのように我が国の存立が脅かされる危険が高まったのかという点について具体的な根拠を有する事実は何ら提示されておらず,我が国に対する急迫不正の侵害に対処するために集団的自衛権を行使すべき必要性は明らかにされていないものといわざるを得ない。このことを措くとしても,閣議決定により政府解釈を改め,集団的自衛権の行使が憲法上許容されるべきであるとの見解を示したとしても,集団的自衛権の行使が憲法9条に反するという上記の結論が左右されるものではなく,仮に集団的自衛権の行使を容認するのであれば,憲法改正によらなければならない。そうであるにもかかわらず,政府解釈の変更のみで集団的自衛権の行使を容認することは,立憲主義の精神そのものを崩壊させるものであるといわざるを得ない。


【筆者】

 「集団的自衛権を行使すべき必要性は明らかにされていない」の部分は、政策論上の必要性の有無であるから、法律論上の適法・違法の問題ではない。そのため、ここでは論じない。

 「我が国に対する急迫不正の侵害に対処するために集団的自衛権を行使すべき」との部分であるが、「我が国に対する急迫不正の侵害」が発生しているのであれば、旧三要件の第一要件を満たす事例である。また、これは国連憲章51条の区分では、通常「個別的自衛権」に該当する。そのため、「集団的自衛権を行使すべき」ということにはならない。

 「集団的自衛権の行使」の部分について「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」が行われている状態であることを明確にする必要があると思われる。

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安保関連法違憲国家賠償請求事件 札幌地方裁判所  平成31年4月22日 (PDF) (P7~10)

安保一審判決 2019年4月22日

裁判資料 安保法制違憲訴訟北海道の会)

 

 

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(原告らの主張)

ア 平成26年7月閣議決定による集団的自衛権の許容,並びにこれに基づく事態対処法・自衛隊法による防衛出動と武器等防護,重要影響事態安全確保法による後方支援活動及び国際平和支援法による協力支援活動の各違憲性等

(ア)集団的自衛権行使の許容が違憲であること

 平成26年7月閣議決定は,従来は憲法9条1項の下で許容される自衛権行使の範囲を個別的自衛権が行使される場面に限定するものとしていたにもかかわらず,その範囲を超えて,集団的自衛権の行使を許容することとした。

PDF) (P14~15)

【筆者】

 「従来は憲法9条1項の下で許容される自衛権行使の範囲を個別的自衛権が行使される場面に限定するものとしていたにもかかわらず,」の部分であるが、従来より政府は「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準を基にして「武力の行使」の限度を限定していたのであり、国際法上の基準を用いて「個別的自衛権が行使される場面に限定する」としていたわけではない。これは、「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準の中の「武力の行使」については、国際法上の違法性阻却事由の『権利』の概念で言えば「個別的自衛権」に該当するとしていただけである。たとえ「個別的自衛権の行使」として違法性が阻却される部分であったとしても、憲法9条を有する日本国の統治権の『権力・権限・権能』は、「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準を超える形で「武力の行使」を行うことはできないのである。

 「その範囲を超えて,集団的自衛権の行使を許容することとした。」の部分であるが、新三要件を定めたことにより、その「存立危機事態」での「武力の行使」が国際法上の区分で言えば「集団的自衛権の行使」となるとする論理に基づくものである。この「武力の行使」については、「憲法9条1項の下で許容される」の範囲を超えていると考えられる。

 

 また,平和安全法制整備法の制定による改正で,事態対処法2条4号,自衛隊法76条1項柱書・2号において,存立危機事態への対処として集団的自衛権の行使が許容され(防衛出動),自衛隊法95条の2において,米国の軍隊を始めとする外国軍隊の武器等が警護の対象とされた(武器等防護)。これらは,被告において定着した憲法9条1項の解釈を,しかもその核心部分である「自衛権の発動は日本に対する直接の武力攻撃が発生した場合にのみ,これを日本の領域から排除するための必要最小限度の実力の行使に限って許される」という解釈を根底から覆して,他国に対する武力攻撃が発生した場合にまで,自衛隊を出動させて戦争をすることを認めるものであり,被告が本件各行為によって憲法9条1項に違反したことにほかならない。米国は,第2次世界大戦後も世界中で戦争を繰り返しているが,本件各行為は,結局のところ,米国に対する支援を目的とするものであり,我が国が米国の戦争に巻き込まれる危険性を飛躍的に高めるものにほかならない。


【筆者】
 「集団的自衛権の行使が許容され(防衛出動)」の部分であるが、88条1項によって「武力の行使」が許容されようとしている部分についての説明である。「集団的自衛権の行使」とは国際法上の評価概念であり、この場面でこの文言を直接的に用いることは不自然であると考えられる。

 

 平成26年7月閣議決定は,集団的自衛権の行使の要件を示しているが(新三要件・前記2(2)イ(ウ)参照),その内容は極めて曖昧であり、自衛隊が自衛のための必要最低限度の実力の保持しか許容されていない存在であるというのに,専守防衛という目的から離れて世界中で武力を行使することを可能にしたのであり,正しく,自衛隊を憲法9条2項が禁止する「戦力」とし,他国との「交戦権」を認めるものであり,憲法9条2項に明白に違反する。


【筆者】

 おおよそその通りであるが、内容が明確でない。

 「その内容は極めて曖昧であり、」の部分は、要件の文言を具体的に示すことが望ましい。

 「自衛隊が自衛のための必要最低限度の実力の保持しか許容されていない存在であるというのに,」の部分は、「自衛のための必要最小限度」と呼んでいるのは三要件(旧)の基準であることを示すことが望ましい。

 「専守防衛という目的から離れて」の部分であるが、「専守防衛」とは、「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」のことであり、「目的」とはやや異なる。ここで使われている「自衛のための必要最小限」についても、三要件(旧)の基準のことであり、新三要件の「存立危機事態」での「武力の行使」や、それを実施する実力組織はこの範囲を超えていることから、「専守防衛」の枠を逸脱するものである。

 

 更にいえば,本件各行為は,憲法9条の実質的な改変である。憲法9条につき,従来の政府解釈は,他国防衛のための武力行使は認められない以上,集団的自衛権の行使は一切禁止されており,「必要最小限の実力行使にとどまること」という数量的概念を用いた議論を挟む余地はないものとして確立されており,憲法規範性を備えるに至っている。それにもかかわらず,本件各行為は,内閣による憲法解釈の変更及び国会による法律の制定によって,集団的自衛権の行使を許容した。本件各行為は,憲法96条が定める憲法改正手続を潜脱しており,同条にも違反する。


【筆者】

 「憲法9条の実質的な改変である。」の部分であるが、厳密には閣議決定を行ったり、法律を制定したとしても、憲法上の規定の規範を変えることはできない。そのため、厳密には「改変」することはできず、単に違憲となるだけである。憲法上の規定に抵触する下位の法令や国家行為がまかり通ることになれば、確かに「改変」ということができる場合もあるかもしれないが、法解釈上は下位の法令や国家行為が憲法上の規定の規範を「改変」することはできず、単に違憲となるだけである。

 「従来の政府解釈は,他国防衛のための武力行使は認められない以上,集団的自衛権の行使は一切禁止されており,」との部分であるが、従来より政府は「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」を一切認められていないとしていたのであり、「他国防衛のための武力行使」であるか否かに基準を置いていたわけではない。また、9条の下では「他国防衛のための武力行使」が認められないことは当然であるが、『自国防衛』と称する「武力の行使」であるとしても必ずしも認めているわけではないことに注意する必要がある。「集団的自衛権の行使は一切禁止されており,」とされていたのは、「集団的自衛権の行使」が「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中で「武力の行使」を行うものだからである。

 「『必要最小限の実力行使にとどまること』という数量的概念を用いた議論を挟む余地はないものとして確立されており,」との部分であるが、2014年7月1日閣議決定以降、政府は「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準を意味する「必要最小限度」と、三要件の第三要件の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」の「必要最小限度」の意味を取り違えている。また、2014年7月1日閣議決定以降の政府は、9条の制約があたかも数量的な意味での「必要最小限度」というものが基準となっているかのような誤解に基づく説明を行っている場合があるが、9条は「自国の存立」や「国民の権利」の危機などを理由として政府が自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを制約するために設けられた規定であることから、このような数量的な概念によって政府が「武力の行使」の可否を決することができるかのような基準であるかのように見なすことは、政府の行為を制約できないこととなるため、法解釈として妥当でない。

 「集団的自衛権の行使を許容した。」の部分であるが、9条が制約しているのは「武力の行使」であることを押さえた上で意味を読み解く必要がある。

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(イ) 政府は,これまで,繰り返し,集団的自衛権の行使には憲法9条の改正が必要と明言してきた。憲法9条についての政府の憲法解釈は,集団的自衛権の行使は認められないとして確立されており,憲法規範となっている。しかるに,被告は,平成26年7月閣議決定において上記憲法解釈を変更して,集団的自衛権の行使は許容されるとし,同閣議決定を含む本件各行為により,集団的自衛権の行使を可能とした。本件各行為は,内閣による閣議決定及び国会による立法行為により,憲法9条の実質的改正をするものであり,憲法96条1項所定の手続を潜脱している。

PDF) (P27)

【筆者】

 「集団的自衛権の行使」が「武力の行使」を伴う措置であり、9条はこの「武力の行使」を制約する規定であることを押さえる必要がある。

 「本件各行為は,内閣による閣議決定及び国会による立法行為により,憲法9条の実質的改正をするものであり,憲法96条1項所定の手続を潜脱している。」との部分について検討する。確かに憲法に違反する「内閣による閣議決定及び国会による立法行為」がまかり通ることを前提とすれば、「憲法96条1項所定の手続を潜脱している。」ことになる。しかし、通常は憲法上の規定に違反する「内閣による閣議決定及び国会による立法行為」は違憲・無効であり、「憲法96条1項所定の手続を潜脱」することはできないはずである。

 

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「憲法98条1項において、憲法に反する一切の行為が効力を有しないと明記されているとおり、憲法より下位の規範である法律や閣議決定が、憲法の内容に影響を与える余地はなく、本件各行為によって、憲法が『改正』されたという事態が生じていない。」

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山口訴訟の報告 PDF 2021.10.29

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(被告の主張)

ア 原告らが主張する本件各行為の違憲性について

後記イのとおり,原告らの請求は,国賠法上保護された権利又は利益の侵害をいうものではなく,主張自体失当であるから,原告らの見解に認否反論する必要はない。なお,被告は,平和安全法制整備法による改正後の自衛隊法及び事態対処法において認められる武力の行使のうち,国際法上は集団的自衛権として違法性が阻却されるものは,我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置にとどまるものであるから,憲法9条の禁ずる武力の行使に当たるものではない一方,他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないとの見解を採っている。

PDF) (P28~29)

【筆者】

 「我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置にとどまるものであるから,」の部分について検討する。

 まず、従来より政府が用いていた用語は「自衛のための必要最小限度(我が国を防衛するため必要最小限度)」という三要件(旧)の基準である。そのため、「我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度」という概念は存在しておらず、2014年7月1日閣議決定以降、突然用い初めたこのような概念に基づいて9条に抵触しないと説明することはできない。

 また、「自衛の措置」という言葉を用いているが、国際法上の「集団的自衛権の行使」に該当する場合とは、「武力の行使」が行われている場合である。また、1972年(昭和47年)政府見解でも「平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、」と示されているように、「自衛の措置」であったとしても9条に抵触して違憲となる場合がある。そのため、ここで「武力の行使」であるものを「自衛の措置」と表現したところで、9条に抵触しないことを示したことにはならない。

 さらに、「とどまるものであるから,」の部分について、9条に抵触しないことを示す基準を持たない概念に対して「とどまる」などという表現を用いたところで、9条に抵触しないことを示したことにはならない。

 そのため、「憲法9条の禁ずる武力の行使に当たるものではない」の部分についても、9条に抵触しない旨を示したことにはならないため、「憲法9条の禁ずる武力の行使に当たるものではない」と結論付けることもできない。


 「他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないとの見解を採っている。」との部分について検討する。

 まず、国際法上の「集団的自衛権」に該当すれば、それは「集団的自衛権」でしかない。そのため、「他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権」と、そうでないものが存在するかのような認識は誤りである。

 また、9条が制約しているのは「武力の行使」であり、「集団的自衛権」という国際法上の『権利』ではない。そのため、9条が「武力の行使」を制約する結果として、国際法上の「集団的自衛権」に該当する部分の「武力の行使」を行うことができるか否かが決せられるだけであり、「集団的自衛権」の中身が「他国を防衛すること自体を目的とする」ものと、そうでないものが存在し、それを基準として「武力の行使」の可否が決せられているかのような認識は誤りである。

 さらに、9条の下では「他国を防衛すること自体を目的とする」「武力の行使」が認められないことは当然、たとえ『自国防衛』のための「武力の行使」であったとしても、必ずしも認められているわけではない。そのため、「他国を防衛すること自体を目的とする」「武力の行使」でないことを説明したところで、その「武力の行使」が9条に抵触しないことを示したことにはならない。 

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安保法制違憲・国家賠償請求事件 東京地方裁判所  令和元年11月7日

判決要旨 PDF

(裁判所の判例検索の場合) 平成28(ワ)13525

平成28年(ワ)13525号 国家賠償請求事件 



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(甲事件原告らの主張の要旨)

ア 2号出動命令について

 事態対処法は,集団的自衛権を行使する要件として,2条4号,3条4項ただし書及び9条2項1号ロの3要件を規定しているが,2条4号の規定する要件(存立危機事態の要件)は,海外派兵を否定する根拠とならず,また,その要件の定めが,評価概念によっており,極めて曖昧であることから,事態対処法の定める要件は,集団的自衛権の行使に客観的限定をかけるものではない。そのため,時の政府の判断によって,要件該当性が容易かつ安易に肯定され,集団的自衛権の行使がなされる蓋然性がある。

PDF) (P13)

【筆者】

 その通りであるが、「集団的自衛権」の行使のことを「武力の行使」で表現する方が適切であると考えられる。

 また、「存立危機事態」の要件の曖昧不明確な点についても、具体的に示していくことが望ましい。

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

3 争点3(甲事件の差止請求に係る各規定の違憲性等)について

(甲事件原告らの主張の要旨)

 本件各閣議決定及び関連2法により創設された後記各規定は,以下のとおり,違憲である。

(1) 2号出動命令について

ア 自衛隊法76条1項2号は,存立危機事態(我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が有る事態)に際して,我が国を防衛するため必要があると認める場合には,自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる旨規定するところ,同号の要件を満たす旨を政府が認定すれば,我が国に対する武力攻撃が発生した場合でなくとも,自衛隊の出動を認める点で,同号は憲法9条に違反するものというべきである。

イ 事態対処法は,集団的自衛権を行使する要件として,2条4号,3条4項ただし書及び9条2項1号ロの3要件を規定しているが,2条4号の規定する存立危機事態の要件は,海外派兵を否定する根拠とならず,また,その要件の定めが,評価概念によっており,極めて曖昧であることから,事態対処法の規定する要件は,集団的自衛権の行使に客観的限定をかけるものではなく,憲法9条に違反している。

ウ 前記ア,イの各規定は,集団的自衛権の行使を禁止した規範として確立した憲法9条の内容を,閣議決定及び法律の制定により改変するものであるから,憲法96条の憲法改正の手続を潜脱し,立憲主義を踏みにじるものであって,国民の憲法改正に関する決定権を侵害している。

PDF) (P19)

【筆者】

 アの「同号は憲法9条に違反するものというべきである。」との部分であるが、やや明確でない。まず、「存立危機事態」での「武力の行使」が9条に抵触して違憲となることを明確に示すべきである。

 具体的には、政府の9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解は「わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」としているが、「存立危機事態」での「武力の行使」はこれを満たさないものであることから、9条に抵触して違憲となる。

 また、2014年7月1日閣議決定では、1972年(昭和47年)政府見解の「基本的な論理」と称している部分を維持し、そこに「存立危機事態」の要件を当てはめたと主張しているが、その「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界の規範には「あくまで外国の武力攻撃によつて」の文言があり、これは1972年(昭和47年)政府見解の第二段落で「集団的自衛権の行使」が「自衛の措置の限界をこえる」ことを説明する旨を受けて記載された文言であることから、ここに「集団的自衛権の行使」を可能とする余地の生まれる「他国に対する武力攻撃」が含まれることはなく、「我が国に対する武力攻撃」の意味に限られている。そのため、「基本的な論理」と称している部分を維持している以上は、「我が国に対する武力攻撃」を満たさない中での「武力の行使」は行うことができず、これを満たさない「存立危機事態」での「武力の行使」は「基本的な論理」と称している部分の「自衛の措置」の限界の規範を超え、9条に抵触して違憲となる。

 他にも、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合でなくとも,」「武力の行使」を実施するということは、他国の間で発生した国際紛争に対して武力介入することになるから、9条1項の禁じる「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」に抵触して違憲となる。

 9条1項に違反する「武力の行使」を実施する実力組織は、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。


 イの「海外派兵を否定する根拠とならず,」の部分であるが、従来より政府が一般に「海外派兵」は許されないと解釈してきたのは、三要件(旧)の基準の範囲を超えるからである。もし三要件(旧)の基準の範囲内であるのであれば、「海外派兵」も可能となる場合があり得るとされている。この三要件(旧)の基準を逸脱する場合は、9条に抵触して違憲となるが、三要件(旧)の基準の範囲内であれば「海外派兵」も9条に抵触しない場合があるとされている。あたかも9条が「海外派兵」そのものを直接的に禁じているかのような認識を有しているのであれば、誤解がある。

 「その要件の定めが,評価概念によっており,極めて曖昧であることから,事態対処法の規定する要件は,集団的自衛権の行使に客観的限定をかけるものではなく,憲法9条に違反している。」の部分であるが、具体的に示していくことが適切である。

 まず、「存立危機事態」の要件の「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」の部分は、具体的にどのような場合を指しているのか曖昧不明確な内容であり、通常の判断能力を有する一般人の理解においてこれを適用できるか否かを識別するための基準を示すところがない。

 このような曖昧不明確な内容に基づいて「武力の行使」を行うことができるのであれば、政府が恣意的な動機に基づいて自国都合の「武力の行使」に踏み切ることを排除することができない。また、国際情勢や、その時々の政治的な判断として「武力の行使」に踏み切ったものであるのか否かを識別することができなくなる。

 これでは、実質的には政府の裁量判断として「武力の行使」を行うことができてしまうこととなり、9条が法規範として適法・違法の基準によって政府の行為を制約しようとした趣旨を損なうこととなる。

 これにより、「存立危機事態」の要件は9条の規範性を損なうこととなり、「存立危機事態」の要件に基づく「武力の行使」は9条に抵触して違憲となる。


 ウの「集団的自衛権の行使を禁止した規範として確立した憲法9条の内容を,」の部分について検討する。

 まず、「集団的自衛権」とは国際法上の違法性阻却事由の『権利』の概念であり、9条はこれを否定していない。9条は日本国の統治権の『権力・権限・権能』による「武力の行使」を制約する規定である。

 9条解釈である1972年(昭和47年)政府見解(その『基本的な論理』と称している部分も同様)の下では、「我が国に対する急迫不正の侵害があること(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)」を満たさない中での「武力の行使」は違憲であり、「集団的自衛権の行使」とは、これを満たさない中で「武力の行使」を行うものであることから、9条の下では認められないこととなる。「集団的自衛権の行使」が禁じられることは、9条の下で許容される「武力の行使」の範囲が決せられた後に生まれる付随的な問題であることに注意する必要がある。

 「憲法9条の内容を,閣議決定及び法律の制定により改変するものであるから,憲法96条の憲法改正の手続を潜脱し,」の部分であるが、「閣議決定及び法律」とは、憲法よりも下位の法形式であることから、通常の場合、憲法9条の規範を「改変」することはできない。単に「閣議決定及び法律」の内容が憲法9条に抵触して違憲・無効となるだけである。

 

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「憲法98条1項において、憲法に反する一切の行為が効力を有しないと明記されているとおり、憲法より下位の規範である法律や閣議決定が、憲法の内容に影響を与える余地はなく、本件各行為によって、憲法が『改正』されたという事態が生じていない。」

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山口訴訟の報告 PDF 2021.10.29

 

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 そもそも,平和安全法制関連2法は,憲法ではなく,あくまで法律を改正又は制定するものであり,平和安全法制関連2法が憲法に適合しない場合には,平和安全法制関連2法が違憲無効となるにすぎないのであって,平和安全法制関連2法の制定によって,憲法の効力に影響を与える余地はないのであるから,憲法9条が実質的に改正されたということもできない。

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損害賠償請求事件 福島地方裁判所 いわき支部  令和4年2月22日 (PDF

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自衛隊出動差止等請求事件 大阪地方裁判所 第2民事部 令和2年1月28日

 


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(エ) 法律の仕組みに基づく本件主位的主張の補足

a 集団的自衛権の行使に係る法規定と原告らの権利侵害

 (a) 存立危機事態における防衛出動を規定する自衛隊法76条1項2号は,集団的自衛権の行使を発動するものであり,日本が相手国を攻撃すれば相手国の日本の領域に対する反撃を免れず,武力攻撃事態等を招かないことの方が考えにくいことからすれば,この集団的自衛権の行使は,相当程度の確実性をもって日本を武力攻撃事態等に至らしめることになる。したがって,集団的自衛権の行使自体が,原告らを含む国民,市民を戦争に直面させ,戦争に巻き込むことで,原告らの平和的生存権等を侵害し,その侵害状態の受忍を原告らに強いるものといえる。

PDF) (P9)

【筆者】

 「a 集団的自衛権の行使に係る法規定」や「集団的自衛権の行使を発動するものであり,」、「この集団的自衛権の行使は,」、「集団的自衛権の行使自体が,」との記載があるが、「集団的自衛権の行使」としての「存立危機事態」における「武力の行使」と表現することが妥当である。日本国の統治権の『権限』による「武力の行使」が9条に抵触するか否かの問題に対して、国際法上の評価概念である「集団的自衛権」という言葉を用いることは厳密には適切でない。

 そのため、この論点は単に、「自衛隊法76条1項2号」の「存立危機事態」に同88条1項に基づく「武力の行使」を発動して「日本が相手国を攻撃すれば相手国の日本の領域に対する反撃を免れず,」「相当程度の確実性をもって日本」国は武力攻撃を受けることとなる、と表現することが妥当である。

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⑶ 本件各行為が憲法9条等に違反し,国賠法上違法であるか否か(争点⑵ア)

(原告らの主張)

ア 本件各行為の違憲性

(ア) 集団的自衛権の行使を許容することが違憲であること

 平成26年7月閣議決定は,集団的自衛権の行使を容認することをその内容とするものであり,平和安全法制整備法による自衛隊法,事態対処法等の改正により,一定の要件の下で,存立危機事態(我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し,これにより,我が国の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合)において自衛隊が防衛出動し,海外で武力行使することができることとなった。

 従前,集団的自衛権の行使は憲法9条に反して許されないと解され,政府が一貫してこの解釈を表明することにより,憲法9条の確立した政府解釈として法規範性を有してきたことからすれば,集団的自衛権行使を容認する本件各行為は,現実に機能してきた憲法の根本規範に反するものであり,違憲である。

 さらに,上記の存立危機事態の要件については,①各文言の具体的な内容が不明確であること,②武力の行使の範囲につき地域的限定がないこと,③特定秘密の保護に関する法律の下で,集団的自衛権の行使の要件該当性の判断に必要な情報は政府のみが掌握しており,政府による要件判断に対する民主的統制が極めて不十分であることといった,重大な問題点がある。そうすると,集団的自衛権の行使及び自衛隊による海外での武力行使を容認することは,武力の行使を禁ずる憲法9条1項に違反し,また,自衛隊という「戦力」により「交戦権」を行使することを容認するものとして,同条2項にも違反する。

PDF) (P27~28)

【筆者】

 「従前,集団的自衛権の行使は憲法9条に反して許されないと解され,」について、この明確な意味を下記の答弁から理解する必要がある。


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○大森政府委員 集団的自衛権に当たるから認められないとか、集団的自衛権に当たらないのだから認められるという、集団的自衛権を核にした議論がよくなされるわけでございますけれども、我が国の問題に関する限りは、やはり集団的自衛権の概念を解するのではなくて、我が国を防衛するために必要最小限度の行動に当たるかどうかということが基準になるはずでございます。
 したがいまして、冒頭にも申し上げましたとおり、憲法九条は、国際紛争を解決する手段としては武力による威嚇または武力の行使等を禁止しているけれども、我が国を防衛するために必要最小限度の実力行動は禁止していない。したがって、問題となる行為が我が国を防衛するために必要最小限度の行為であるかどうかということによって事が決せられるべきであるというふうに考える次第でございます。(岡田委員「持っているけれども行使できないというのは」と呼ぶ)国際法上は集団的自衛権を主権国家であるから保有しているのである、これは国際法上そのように解せられておりますから、従前も政府の答弁としてもそのように答弁してきているわけでございますが、やはりそれに対しまして、我が国は最高法規としての憲法によりまして、我が国の行動を縛っているわけでございます、言葉は悪いかもしれませんが。
 したがいまして、憲法九条によって、武力による威嚇または武力の行使に当たることはいたしません、やってはいけませんと。したがって、行動の面で縛っているわけでございますから、集団的自衛権の行使というのはその観点から認められない。国際法上は保有していると言えても、その行使は憲法で禁止されているんだということは、何らおかしいことでないということは従前から反論しているわけでございます。
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第142回国会 衆議院 予算委員会 第27号 平成10年3月18日

 「集団的自衛権行使を容認する本件各行為は,」との部分であるが、上記の答弁にあるように、厳密には「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準を超えるか否かによって憲法違反であるか否かが決せられるものである。

 ただ、「集団的自衛権」という『権利』は『他国からの要請』に従って得られる地位であり、これを行使する場合とは実質的に『他国防衛』の意図・目的を有する「武力の行使」となる。この『他国防衛』の意図・目的を有する「武力の行使」を実施する実力組織の実態を「陸海空軍その他の戦力」と異なると説明することはできず、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となる。


 「集団的自衛権の行使及び自衛隊による海外での武力行使を容認することは,武力の行使を禁ずる憲法9条1項に違反し,また,自衛隊という『戦力』により『交戦権』を行使することを容認するものとして,同条2項にも違反する。」との部分について検討する。

 まず、「集団的自衛権の行使及び自衛隊による海外での武力行使を容認することは,武力の行使を禁ずる憲法9条1項に違反し,」の部分であるが、従来より政府は「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の基準を超える「武力の行使」を9条に抵触するものとして違憲であると説明していた。「海外での武力行使」(海外派兵)が一般に許されないと説明していたことも、この三要件(旧)の「我が国に対する急迫不正の侵害(第一要件)」を「排除(第二要件)」したならば、それ以上は「武力の行使」を行ってはならないという基準に従って導かれていたものである。そのため、ここで説明されているように9条1項が直接的に「海外での武力行使」(海外派兵)を禁じているかのような説明の仕方ではないことを押さえる必要がある。

 次に、「また,自衛隊という『戦力』により『交戦権』を行使することを容認するものとして,同条2項にも違反する。」との部分であるが、政府は「自衛隊」については「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)を実施する範囲に留まる限りは9条2項前段の禁じた「陸海空軍その他の戦力」には該当しないとしている。そのため、この「集団的自衛権の行使」としての「存立危機事態」での「武力の行使」を実施するための実力組織については、「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)を実施する範囲を超えることから、9条2項前段の禁じる「陸海空軍その他の戦力」に抵触して違憲となるが、ここで説明されている「自衛隊という『戦力』」との説明は、この論理を正確に描き出していないため不備がある。

 同じく「『交戦権』を行使することを容認するものとして,」の部分であるが、政府は従来より「自衛のための必要最小限度」という三要件(旧)の範囲の自衛行動を行う権能については、「自衛行動権」と呼んでおり、これは9条2項後段が禁じる「交戦権」とは異なるものであると説明していた。「集団的自衛権の行使」としての「存立危機事態」での「武力の行使」については、この範囲を超えるものであることから、9条2項後段の禁じる「交戦権」に抵触して違憲となるが、この説明はこの点を明確に描き出していないため不備がある。

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自衛隊出動差止め等請求事件 東京地方裁判所  令和2年3月13日

 

 

自衛隊出動差止め等請求事件(第1事件),安保法制違憲駆け付け警護等差止請求事件(第2事件,第3事件)  東京地方裁判所 令和2年3月13日

 

福岡高等裁判所 那覇支部 令和3年2月18日

 

安保法制違憲・国家賠償請求事件 大阪高等裁判所 令和3年4月16日


判決 安保法制違憲訴訟みやざきの会 2021年5月26日


札幌高裁判決 2021年5月26日 PDF

裁判資料 安保法制違憲訴訟北海道の会)

 



 下記の判決は、P1からの「第2 事案の概要」や、P11からの〔原告らの主張〕の部分の裁判所の行った整理が、かなり読みやすく、質が良い。下記で、「集団的自衛権の行使」としての「武力の行使」に関係する部分を抜き出す。

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〔原告らの主張〕

1 本件各行為の違憲性について


(1) 集団的自衛権行使の許容が違憲であること


 ア 憲法9条違反


(ア) 平和安全法制整備法の制定による改正で、事態対処法2条4号、自衛隊法76条1項2号により、存立危機事態への対処として自衛隊が武力を行使することが可能となった。存立危機事態とは、自国が直接攻撃されていない事態を規定するものであるから、存立危機事態における自衛隊の武力行使を認める規定(同条1項柱書、2号、同法88条1項)は、集団的自衛権(国際法上、一般に、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化されている権利)の行使を許容したものである。また、平和安全法制整備法による改正で、自衛隊法3条1項から「直接侵略及び間接侵略に対し」という部分が削除されたことにより、日本が攻撃されていない場合における自衛隊の本務が拡大された。

 このように、平和安全法制関連2法は、集団的自衛権の行使を許容したものである。


(イ) 憲法9条1項の「国際紛争」とは、国または国に準ずる組織との間において生ずる武力を用いた争いを指し、同項の「武力の行使」とは、我が国の物的・人的組織体における国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為を意味する。


【筆者】
 政府解釈によれば「国際紛争」とは、「国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立しているという状態」(平成10年5月14日)を指すとしている。

 ここで「国または国に準ずる組織との間において生ずる武力を用いた争い」としているのは、政府解釈によれば国際的な武力紛争」の意味である。平成14年2月5日平成15年7月10日平成16年6月11日

 この点、政府解釈を基にしているのであれば、対応していないようである。

 

 しかし、集団的自衛権は、前記(ア)のとおり、我が国が直接攻撃にさらされていないにもかかわらず、同盟国等への武力攻撃が他国から行われたとの理由で、武力をもってこれに参加する国際法上の権利であり、このような場合に、我が国が集団的自衛権を行使すれば、我が国は、同盟国と上記他国に国際紛争を解決する手段として、当該他国に対して新たに武力行使を行うことになる。

 したがって、集団的自衛権の行使は、「国際紛争を解決する手段としての武力行使」にほかならず、憲法9条1項の一義的な文言に反するものである。


(ウ) 憲法9条2項がその保持を禁止する「戦力」とは、自衛のための必要最小限度を超えるものと定義されているところ、自衛隊は、日本国民、国土を外国の直接の武力攻撃から守るために必要な実力組織であり、他国に脅威を感じさせる装備を持たないという理由で、「戦力」に該当しないとされていた。

 しかし、集団的自衛権の行使は、同盟国に加えられた武力攻撃を同盟国と一緒に排除するというものであるから、現実の国際間における武力紛争を鎮圧するだけの効果があるものでなければならず、その際の自衛隊はまさに「戦力」に該当する。

 したがって、集団的自衛権の行使は、戦力の不保持を規定する憲法9条2項に一見明白に違反するものである。また、集団的自衛権の行使には、敵国の兵力を殺傷し、軍事施設を破壊する活動も含まれ、これらの活動は、憲法9条2項が規定する交戦権の行使にも該当するから、この点でも、憲法9条2項に一見明白に違反している。


(エ) 戦後、政府は、憲法の下で集団的自衛権を行使することは許されないという憲法解釈を繰り返し明示しており、一貫した政府の見解であった。したがって、憲法9条の下では集団的自衛権を行使することができないとの解釈を変更することは、憲法9条の規定・文言及び憲法成立以来の憲法実践にも明白に違反している。


(オ) 以上によれば、集団的自衛権の行使を許容する自衛隊法3条、76条1項2号、同法88条1項は、いかなる検討を行っても、憲法9条に一見明白に違反している。



イ 明確性の原則違反

 精神的自由を規制する立法は明確でなければならないから、明確性の原則に反する立法は違憲無効(文面上無効)となる。

 しかし、平成26年7月閣議決定は、集団的自衛権の行使の要件を示しているが(新三要件)、その内容は極めて曖昧である。新三要件のうち第一要件については、他国に対する武力攻撃が「我が国の存立を脅かす」かどうか、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」かどうか、「明白な危険」が生じるかどうかは、全て評価概念であり、法文自体が抽象的で不明確である上、第二の要件及び第三の要件も前提となる第一要件が曖昧になれば、必然的に曖昧なものとなる。

 従って、平和安全法制関連2法は、明確性の原則に反し違憲無効である。



ウ 憲法65条、73条違反

 憲法においては、内閣が持っている権限は行政権であり(憲法65条)、外交権はこれに含まれるが(憲法73条2号)、軍事権は持っていない。

 しかし、集団的自衛権の行使は、自国の主権を維持する活動ではないため行政権の行使として認められず、また相手国の主権を制圧する活動であるから外交権の行使としても認めがたい。

 したがって、集団的自衛権の行使は、憲法9条が禁止する軍事権の行使としか解し得ないから、65条、73条に反し違憲である。



エ (略)

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信州安保法制違憲訴訟判決書(R3.6.25).pdf 信州安保法制違憲訴訟の会 令和3年6月25日 (改行は筆者)

 上記の内容は、非常に整理されている。違憲審査の基準となる論理が描き出された説明となっている。



 下記の判決のP8からの(原告らの主張)の部分の裁判所の行った整理は、違憲性を描き出している部分がある。


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(原告らの主張)

ア 集団的自衛権の行使容認の違憲性

 内閣は,平成26年7月閣議決定以前,自衛隊による実力の行使は,日本の領域への侵害の排除に限定して初めて憲法9条の下でも許され,その限りで自衛隊は同条2項の「戦力」に該当せず,「交戦権」を行使するものでもないと解していた。このことから,内閣は,他国に対する武力攻撃を実力で阻止するものとしての集団的自衛権の行使は,日本の領域への侵害の排除を超えるものとして憲法9条に反して許されないと解し,その旨を国民に対して説明してきた。


 それにもかかわらず,内閣は,これまでに確立した憲法9条の解釈を覆し,集団的自衛権の行使を容認することなどを内容とする平成26年7月閣議決定を行い,これを実施するための法律を制定することとした。そして,平和安全法制整備法により改正された自衛隊法76条1項2号は,存立危機事態において,自衛隊に対し出動を命ずることができる旨を定め,集団的自衛権の行使を認めた。


 しかし,集団的自衛権の行使は,政府の憲法解釈として定着し,現実的規範となっていた憲法9条の解釈の核心部分,すなわち,自衛権の発動は日本に対する直接の武力攻撃が発生した場合にのみ,これを日本の領域から排除するための必要最小限度の実力の行使に限って許されるという解釈を否定するものであり,「武力による威嚇又は武力の行使」に該当し,憲法9条1項に違反する。集団的自衛権の行使は,他国に対する武力攻撃を阻止するために自衛隊が海外にまで出動して戦争をすることを認めるものであるから,その場合における自衛隊は,憲法9条2項にいう「戦力」に該当することになる上,交戦権の否認にも抵触することになる。


 平成26年7月閣議決定以前の憲法9条に関する政府解釈は,憲法9条は戦力の放棄を定めているものの,他国の武力によって国民の基本的人権が根底から覆される事態において,我が国がそれに対抗しうる実力を持たなければ,憲法13条以下の基本的人権規定に違反するとの立場を根拠とするものであり,憲法9条は日本が二度と他国に対する侵略戦争を起こさないために制定されたものであることからすると,憲法9条の解釈として妥当性を得るためには,①憲法9条の文言的解釈を超えることについて他の憲法上の根拠が存在するか,②侵略戦争を防止するという憲法9条の趣旨を没却する危険性がないかといった点が重要である。

 そして,集団的自衛権の行使を可能とする解釈は,①憲法9条の文言的解釈を超えることについて他の憲法上の根拠は存在せず,②侵略戦争を防止するという憲法9条の趣旨を根底から覆すものであるから,許されない。

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国家賠償請求事件 京都地方裁判所 令和3年8月19日 (PDF) (改行は筆者)


 上記の下線部分に示された違憲審査の過程はかなり本質的である。



損害賠償請求事件 福島地方裁判所 いわき支部  令和4年2月22日 (PDF




 下記の記事によると、判決の中で「存立危機事態」の範囲などについて明らかとは言えない部分があることを述べたようである。

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一方、安全保障関連法で想定される「存立危機事態」の範囲など、明らかとはいえない部分もあるとして、「改めて政府による説明や国会による議論が尽くされ、立憲民主主義と平和主義のもと、広く国民の理解を得て、適切に機能する制度として整備されることが望まれる」と述べました。
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安保法訴訟 憲法判断示さず訴え棄却 横浜地裁 2022年03月17日

 

安保法訴訟 憲法判断示さず棄却も国会議論の必要性などに言及 2022年03月17日

安保法制違憲訴訟、横浜地裁「行政府は説明を」 請求は棄却 2022年3月17日

安保法めぐる訴訟 横浜地裁が原告側の請求棄却 2022/03/17

安保法違憲訴訟、請求棄却 横浜地裁「国民の理解不十分」 2022年3月18日

安保法訴訟、横浜地裁が請求棄却 2022/3/18
【動画】進む裁判と司法の良心~受講生・受験生の皆さんへ第119弾 2022年3月18日

【動画】安保法制違憲訴訟全国の状況 ~各地からの報告VI 2022/03/30

【動画】UPLAN 安保法制違憲訴訟 東京差止め控訴審 第4回口頭弁論&報告集会 2022/05/20

安保法制違憲訴訟かながわの会 横浜地裁判決全文 2022.3.17

安保法制違憲訴訟かながわの会 横浜地裁判決要旨

 

 

岡山地裁 判決文・声明文(確定版) 2022/03/23

岡山地裁 判決文・声明文と事後報告会を公開 2022/03/23)

 

【動画】安保法制違憲・国賠訴訟控訴審 判決言渡し期日後の記者会見 2022.5.24

 

東京差止控訴審判決 2023年2月16日
【動画】残念な判断~受講生・受験生の皆さんへ第168弾 2023年2月17日

【動画】安保法制違憲訴訟全国の状況 ~各地からの報告 XVII 2023/03/09 19:10

【動画】伊藤真弁護士 全国の訴訟の状況と判決の問題点 2023/06/11

 

名古屋地裁の判決 安保法制違憲訴訟の会あいち 2023年3月24日

 

【動画】安保法制違憲訴訟全国の状況 ~各地からの報告 XX 2023/06/02

 

新安保法制違憲国賠訴訟控訴事件 福岡高等裁判所 令和5年6月27日 (PDF

 

「安保法は違憲」 訴えた市民らの敗訴確定 最高裁が上告棄却 2023年9月7日

安保法制の違憲訴訟 最高裁が市民側の訴えを退け、請求棄却判決が確定 違憲かどうかは判断せず 2023年9月7日

【動画】司法の義務~受講生・受験生の皆さんへ第197弾 2023年9月8日




〇 仙台高裁


 2023年12月5日の仙台高裁判決については、下記で取り上げる。

 




〇 札幌高裁

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 判決では関連法について、「(原告らの)生命・身体を侵害する内容でもなく、そのような危険がある状況を生じさせてもいない」と認定。また、解釈変更に関する原告側の主張は、「時の政府などによる憲法解釈の変更を、憲法改正と同視することにつながりかねない」として採用しなかった。

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原告側の控訴棄却 集団的自衛権を認めた安保法制をめぐり 札幌高裁 2024年2月16日


国家賠償請求事件 高知地方裁判所  令和6年3月29日

 

【動画】安保訴訟判決と都知事選~受講生・受験生の皆さんへ第239弾 2024年6月21日



〇 神奈川訴訟東京高裁判決

 

【動画】市民集会「とりもどそう 立憲主義と平和憲法」(修正版) 2024/07/10

【動画】[zoom29]安保法制違憲訴訟 XXXIII ~大分控訴審判決報告|神奈川控訴審判決報告 2024/07/24